京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「気を取り直す、という才能」

2020年04月30日 | 日々の暮らしの中で

新聞紙上で紹介された立体マスクですが、ほんの少し顎下へとカーブを補正してから作ってみました。中央部の立体感はガーゼ生地でもきれいに出ますし、枚数を重ねるうちに手際もよくなりました。
今日、頼まれものを送るついでにマスクを3枚一緒に入れ込みました。自分の分も3枚残して。孫の、小学生用と幼児用サイズはこのあとにでも。写真はまだゴム(紐)を通してありません。

さあ、マスクをしてお出かけ~。
というのもヘンですね。

明日から5月。〈気を取り直す、という才能。肉体、精神の不調で再生が難しい人は、自己暗示をかけてください。自分で鏡を見て(なんて美しい)とか(かッわゆい!)と思ってください。〉
と田辺聖子さん。

この言葉に触れて、花柄や、ピンクの布地でのマスクも誂えてみようと思ったのです。娘に「こんなのはで!」と言われては作った甲斐もなく、おとなし目で作ったのでした。意外と「かわゆい~」などと評判になるかもです。マスクが。
「気を取り直す、という才能」。清少納言は『枕草子』の中で「心ときめきするもの」をあげていますが、聖子さんはその中から、舶来の上等品だけれど、少し曇りがきている鏡を取り上げています。
都合よく自分の顔がぼやけて映ることの効果…。「あら、あたしって…」、心ときめきする朝です。

何か楽しいことを考えなくっちゃ…。
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1枚の写真だけれど

2020年04月29日 | 日々の暮らしの中で

残照がブリスベン川を朱く染めている。

〈walkingに出たときの写真。きれいでしょ〉って。ただそれだけの言葉が添えられて孫娘から送られてきた。
見せたいと思ってくれた気持ちが嬉しい。
行動に制約を受ける中で、この風景に心を動かしている14歳の娘。佇む彼女の姿がそこに見えるようだ。
身中に潜む心の花。人間って素晴らしい…。

市内を大きく蛇行して流れるブリスベン川。彼女と二人で街中に出て、川沿いを歩き、観覧車に乗りたいとねだられた。でも、あまりに料金が高いので諦めさせたことがあった。家族一緒にクルーズを楽しんだ。一人植物園で川を眺め時間を過ごしたこともある。
さまざまなこと思い出すブリスベン川。

「うーん、きれいだねぇ。いいねえ」と返した。

季節は日本とは逆ですから、秋半ばでしょうか。
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「慈悲のやわらかな色」

2020年04月27日 | 日々の暮らしの中で

散歩道の頭上でしきりに鳥が鳴くものだから姿はと見上げた先、空を指すこの高い高い梢も、いっせいに若葉を吹きはじめていた。つい先ごろまでまる裸だったクサギの枝枝にも。

長い自粛生活が続く。
京都大学教授・鎌田浩毅さん(地球科学)は、アランの『幸福論』の中から「心配のある時には理屈を考えたりしてはいけない」というキーフレーズを引いて、〈悩み始めたら考えるのをやめて体を動かそう、感情を変えるのは簡単ではないけれど、行動は変えられる〉と勧めていた(朝刊記事)。人が少ない場所を散歩したり、畑仕事も庭仕事もできるし、家の中で体を動かすことなど、工夫の余地はあるだろう。

孫娘は帰国後の2週間の自宅待機を終えても、開いているのは薬局、病院、スーパーぐらいで、レストランやお酒を提供する店などすべて休業、相変わらず外出はままならないようだ。かれこれひと月半が経つ。依然として学校も休校状態で、オンラインでの授業が始まっている。
住まいのある州では感染者がいなくなったと聞いた。それでもあと2週間ほどは閉鎖が続くのだそうな…。長い。日本より厳しいので精神的にもきついことだろう。

〈森羅万象(生きとしいけるもの)。その生命の気は風となり、花となり、木々となり、この乾坤に姿を現し、私たちに話しかけているのです〉(『西行花伝』)。
気持ちを鬱屈させることなく、今、せめて散歩のいっときは、地上の暮らしにある好きことを慈しむ機会でありたい。


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やる気があれば

2020年04月25日 | 日々の暮らしの中で

孫たちのベビー服を作った残り布や、娘が買い置きしていったガーゼの生地などがより取り見取り? 手元にあるのがわかっているので、あとは気持ちのスイッチが入るのを待つだけだった。
型紙も新聞紙上に2度にわたって掲載されたのを切り取ってある。市販のマスクの在庫に心配はいらないし、いつでも作れると思う気安さで、一日延ばしになってきた。

スイッチ・オン! 手芸用ボンドではなくミシンをかけて、試しに端切れで作ってみたら、大人用には顎の下までしっかり包むだけのゆとり(縦幅)が欲しいと、ほんのちょっと不満足。逆に、横幅を小さくするとTylerの給食当番用のマスクにちょうどかも。中央部で〈立体〉感はきれいに出る。明日、型紙を補正してみようかな。
今一つは、〈プリーツ〉をとったマスクを試してみたい。こちらのほうが簡単らしい。今回のマスクづくりは、娘の「プリーツのマスクって簡単だってよ。作ってよ」の言葉に始まる。(なら、自分で作れば?)なのですがね~。

             

肩が凝るほどの仕事でもなく、今日は試しの1枚で終えたが、〈なんだかやる気が出た〉。
まずはこの思いからでしょうか、勢いに乗って明日…。

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『西行花伝』

2020年04月22日 | こんな本も読んでみた

やっとやっと、相当な時間をかけてようやく読み終えた『西行花伝』(辻邦生)。
「花伝」、このタイトルの2文字がどのような意味を持つているのか。興味はあったが私を長年遠ざけていた作品だった。

西行の評伝ではないし評論でもなかった。
中心人物一人に限定せずに、その周囲にとりどりに位置を占めた、西行と縁のあった人物群の語りという手法で西行像を多角的に描き出している。西行自らの昔語りもはさまれて。
裏表紙には、「流麗雄偉なその生涯を、多彩な音色で唱いあげる交響絵巻」とあるが、まことにふさわしい表現に思えた。

語彙、字句の豊かさにしばし思いを留め、引用される多くの歌を味わった。
一所不住。流離。だが、ひとり草庵に引き籠って花鳥風月と遊んでいた人ではない。現実(うつせみ)に背を向け山林に閑居を楽しんだけの人ではなかった。
余韻に浸り、ページをめくり返し、思いを熟させるには少し時間もかかる、読み応えのある大作だった。。


どこかへ出かけることもままならない今。ネットの世界を巡ってつい時間を費やすこともあるが、大事な一冊の本を見つけ、作品と向き合い会話を楽しむほうが、はるかに豊かな時間を持てることは間違いない。
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種をまく

2020年04月19日 | 日々の暮らしの中で
これまで1年に2度、1月と9月にスイスの企業から招待を受けた出版社のプレスツアーでスイスへ行くことが続いていた息子。昨年9月のときだったかの土産の一つで、こんなものをもらっていたのでした。




ミツバチにするキットとともに花の種が一袋(写真右下)入っていました。春がきたら蒔こうとしまい込んでしまい、危うく忘れるところでした。
雨も上がり、種をまきました。

種は【marigold マリーゴールド、 sunflowerヒマワリ、 phaceliaパセリソウ、 mustard カラシ  serradella ??,  corianderコリアンダー、 dillディル 、その他】と記されています。
植物に疎く、聞いたこともない名前もあって、どのような感じでそれぞれが芽を出すのか見当もつきません。
どれがどの花の種かなどわかるはずもなく、もともと「mixed seeds」ミックスされているのですから仕方ありません。それぞれに適した育て方はあるのかもしれませんが、プランターに一緒くたにまいてしまいました。ちょっと密集させ過ぎたかもしれない。
まかねば芽もでず、花も咲かない。「タネはふしぎな命のカプセル」とどこかにあった。天地の祝福を受けて、この先どんな驚きが待っていることか、楽しみに過ごせそうです。

ツアーは今年から5月に変更になったと聞いており、おそらくそれは中止でしょう。



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「水と光があるから」

2020年04月15日 | 日々の暮らしの中で

生きるために、「水と光があるから」。
こんなスキマで3日間の雨風にも耐え、今こうして陽を浴びて、可憐な花は地上を飾り、与えられたいのちを尽くしている。
ただただ自然のはからいの中で、命が生きている。

一人ひとりの日常の大切さを思う…。


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「おうちにいました」

2020年04月13日 | 日々の暮らしの中で

断続的にでも3日にかけて雨降りとなった。 
今朝5時半過ぎ、眠っていても飛び起きそうな(起きていたが)、突然の雷鳴に驚かされて心臓がバクバク! 

「おうちにいてください」Stay at home.

雨で散歩に出ることもなく、堂々と読書三昧で過ごした。
動いているとき以上に、家でじっとしていると空腹感を感じるものだと改めて思った。
また、何もしないのに疲れて居眠りが出る。

ちょうどそんなときに孫の3歳児が電話してきた。
「なにしてるの?」って聞くので、「本読んで、居眠りしてた」と答えた。
「本読んで寝てたの?」 「うん」
。。。。。
「ぼく、今なんて言った?」
。。。。。?? (えぇー?)
「本読んで寝てたの?って聞いたよ」
「そうかそうか」

だって。よくわからないけど、「そうかそうか」って笑っていた。
                  
          (写真は雨の夜の烏丸御池交差点。手前が御池通、左奥へ(北へ)と烏丸通が伸びる)


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スキマに生きる

2020年04月10日 | 日々の暮らしの中で

さくらさくらさくら盛りを過ぎた公園の桜を見ながらいつもの散歩道から、山道への脇道をとってみた。
ウグイスがすぐ頭上で鳴いた。力強い。よく通るいい声だ。しきりに鳴き交わしている。「ほろろ」と、微妙にビブラートがかかったような鳴きはじめの声を耳にした。通りかかった人が笑顔で近づいてきて、「こんなにきれいに鳴くんですね」と同じように上を見上げて言う。立ち去りがたいウグイスの饗宴だった。

「春は空からさうして土から微かに動く」とは長塚節の『土』にある一節だが、庭だけではなく道路を歩いていてアスファルトのスキマにも春はやってきている。

公園の桜の花びらを集めてタンポポが咲き、

ガードレールの下で白いスミレが咲いていた。

川本三郎氏が、街中のスキマに生きる植物を観察した楽しい本だとして『スキマの植物図鑑』(塚本裕一)を紹介していた(『ひとり居の記』)。
それによると、スミレはスキマを好むらしい。こんな狭い窮屈なところでと思うなかれで、光と水があり、何よりライバルがいないということから、すき間は植物にとって「天国」なのだそうな。著者のスキマ植物に対する愛情を感じ取りながら、川本氏は、すきまに咲く花を「植物の世界のよき世捨て人」などと呼んでいた。

人間にとっては路上のスキマでの自活生活は辛いはずだ。
このコロナ感染拡大の中で、野宿するしかないと行き場を失った若者が報道されていた。
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桜と月と

2020年04月08日 | 日々の暮らしの中で
3月中旬にいち早く2輪の開花を見つけた桜の木。川向う、向かって左の木は、今満開の盛りです。

つまりこの右の木。

それは水辺に咲いています。この木の根は長く伸びて賀茂川の伏流水に達しているのかもしれません。

今夜はスーパームーンが桜を照らしている。あたりは一面の闇。あるのは桜の妖しさか、それとも畏怖の景かしら。
ただ、満月が桜の満開を照らすのは古典の常識ではあってはならない。伝統美では、山桜の上にあるのは有明の月だと光田和伸氏に教えていただいた。蒔絵でも桜の上に細い月が美しい、と。

東京では息子が基本テレワークとなっていて、テレビ会議で在宅と知り、先ずは小さくほっとしている。のんきに花見かと申し訳ないような気もするが、心の内は決して穏やかではないのだ。
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「妙『口』人」

2020年04月06日 | 日々の暮らしの中で

今年は義母の7回忌のお勤めでした。

快活で飾らない人だった。よくしゃべった。自分のお喋りでその場の雰囲気を作り、居合わせた人を大きく包み込む人だった。
一方で、口からよく言葉が滑り落ちることも多かった。と、自ら「口はわざわいのもと! なむあみだぶつ なむあみだぶつ」」とつぶやく。
巧みな自戒の念(?)の示し方に、 腹が立つことも、あきれることも、ひそめた眉が笑いに変わることも、…いろいろあった。

かつて龍谷大学ミュージアムで「妙好人における死生観と超越」という特別展を拝観したことがある。
浄土真宗では、親鸞聖人の教えを熱心に聞法し、念仏ひと筋に生きた篤信者を「妙好人」と名付けて讃えている。「妙にして好ましい人。ミョウコウニン」は、市井に生きる人々の中に見出されてきた。苦悩の日常を力強く生き抜いた人。不思議なまでに優れた力をもった人という共通点を持つ。凡夫ゆえに、怠ることのない努力を自らに課して生きるのだ。

常に温かく人を迎え、妙なるもの言いの心を持ち合わせていた義母。その巧みな話で紡いだ縁の広がりを思う。まさに「妙『口』人」でした。

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九重桜の常照皇寺へ

2020年04月05日 | こんなところ訪ねて
花見の時季にはバスツアーもあるようで、見たいけれども混雑は嫌だと避けてきた。けれど今年は…。
  https://blog.goo.ne.jp/kyoto-10nen/d/20161213
  https://blog.goo.ne.jp/kyoto-10nen/d/20180903
京北の里にある常照皇寺を訪ねて3度目。初めて九重桜の開花を目にした。
小さな勅額門をくぐると勅使門が石段上に見える。目的の桜の木の位置はわかっていたし、塀の向こうに薄桃色の花が枝垂れて咲くのが目に入った。咲いてる! 先ずは方丈で、鴨居の上にお立ちの釈迦如来像にお参り。そして縁に出て。庭に下りて…。





年月を経て花の付き方も衰えているというが、数百年来の命の花を咲かす九重桜。やさしい花の傘ではないか。これが一度見たかった。エドヒガンの一変種でベニシダレと言われる品種だそうだ。
「花は生命のままに咲く。だから散る夕べは哀れで寂しい」「花が散る夕べを哀れ寂しと思うことで、花の盛りがあったことを祝福しているのだ。女人の恋のめでたさを祝し讃えているのだ」。女院をつねに薄紅の花の咲く枝垂れ桜の中に立つ女人として感じていた頃の西行に、空仁上人が掛けた言葉としてあった『西行花伝』の一節が思い起こされる。描写に浸り、あれこれ想像し思いを寄せたりしつつ未だにぼつぼつ読み進めている。

左近の桜はちらほら咲き。方丈の前の御車返しの桜はまだ蕾だった。一重の花も八重の花もあるというが、この蕾がひらくのはいつ頃になるだろう。四季の移ろいに心やすめ、静謐な里での暮らしに、光厳天皇は安心(あんじん)を得てきっと幸せを感じられたことだろうと思いを寄せた。



迎えてくれた桜の下を進んで後にした。また来よう。

小さな急なカーブが連続する周山への道。高尾にかかる頃、カーブを抜けるや左手前方の山の斜面を彩るツツジらしき群生が目に飛び込んできた。ハンドルを握りながら思わず感嘆。チラ見だが、見事な光景だ。ああ、これか!と思い出したのが西明寺のご住職の言葉だった。「4月初めごろに、裏山のミツバツツジをご覧においでなさい」
いきなりで、カーブ続きの細い道に咄嗟に車を止める場所もなく、今回はまずは目的を果たそうと常照皇寺に向かうことにした。道路沿いにはカメラを向ける人たちがいる。西明寺も訪ね、ミツバツツジの群生も一見したいものだ。今度、こんど。いつか、いつかで過ぎないうちに桜とともに…。

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