京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 さあっ、ここらで

2012年10月31日 | 日々の暮らしの中で

10月も終わろうという日。「先を見据えて微調整すべし」とあるが、さてどうやって… という話になる運勢欄のことば。

山田洋次監督が文化勲章を受賞されたと知って、南座で開催中の企画展に出てきた友人がいる。昨日、大阪の梅田で一緒にミュージカルを見たばかりのひとり。あいにくの休館日だったとかで、映画でも観ないかと誘うメールが入ったが、今日ばかりは誘いを断ってこそ吉と、私は意思を強く持ったのだった。すると今度は、明日は一日で映画デーだからまた1000円、観ない?って。明日は外出の予定がある。申し訳ないけどお付き合いしかねまする…。

ほーっと一息ついたとたん、秋の古本まつりが始まったことを思い出したが、どうしたことか、のぞいてみようかという気分にもならないからあら不思議。「古本やまたお枕になっちゃった」で終わってもね…。とにかくゆっくりと心身の休養に当てようと決め込んだ。

           

感じるところ、「意欲」みたいなのがすぼんでしまっている。何かをしようとするテンションが低い。ニタニタしてなどはいないが、気持ちが膨らんで唇のあたりが自然とほころんでくる。たるんでいる証拠かな。気合ではどうにもならないが、地に足をつけて切り替えなくてはね。新たな月のスタートに向けたい。

午後、何かを求めてぶらぶらと歩いてみた。ここ一週間ほどで街路樹の色づきも随分と進んでいるのに気付く。
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 「愛して生きる」

2012年10月30日 | 映画・観劇

ミュージカル「ロミオ&ジュリエット」本場フランス版です。

舞台の両サイドにある日本語字幕スーパーを横目に筋を追って台詞を理解し、官能的ともいえるダンスと迫力のある音楽にのった見事な声量による歌唱に感動しながら、楽曲の美しさ…、舞台のすべてを楽しんできました。
とは言っても、2010年に宝塚歌劇団上演の日本オリジナルバージョンも観ておらず、少年少女文学全集などといったものではるか昔に原作を読んだだけの記憶しかない「ロミオ&ジュリエット」の世界です。

モンタギュー家とキャビュレット家、両家の対立の構図は青と赤のライトで照らし出され、最終章は運命の恋に落ちたロミオとジュリエットの悲しい結末へと導かれていきます。
二つの貴い命が失われて初めて、両家は人として理解し合って生きていくことの大切さを知るのです。原作の解釈が違うのかお国柄なのか、それはわかりませんが、展開の仕方は大胆で、心情的な背景、人間関係を丁寧に描く部分は省略気味です。若い二人に好意的だったロレンス神父が、聖職者として人の話に耳を傾け諭し導く立場にありながら救えなかった自らの無力さを歌いあげます。彼も神父である前にひとりの人間、私たちは祈ろう、神に許しを請い、自らを捧げて生きようという彼の歌唱に涙が出そうになほど引き込まれました。

嫉妬・憎み合い・対立、過ちを犯しながら悩みを抱えて、それでも人は生きて行くわけです。が、そうした人間の業のようなものを前にしても、「愛ほど素晴らしいものはない」と歌いあげられる思いは、今も昔も大きく変わらないものだと思えるのでした。許されながら生きている…、のでしょうか。

 
新装なったJR大阪駅、大阪ステーションシティの時空広場に大阪在住の友人が案内してくれました。
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 冬眠には早い

2012年10月29日 | 日々の暮らしの中で
 
        
          つはぶきはだんまりの花嫌ひな花

三橋鷹女がそう詠んだ石蕗の花が咲きだしている。

妙に暗いコンクリート塀近くだが、鮮やかな黄でぽっと明るさが増した思いがしている。「石蕗」は冬の季語、本来なら寒さがつのる中で、懸命に背筋を伸ばして耐えているふうにも見て取れるのだろうが、季節的にはひと月も早いかと思われる開花だ。比叡おろしが吹くのにだってまだ少し間がある。
鷹女は嫌った「だんまり」だが、石蕗に感じ取れる寡黙な芯の強さは私には潔いと思える。毎日茎の先端が少しづつほころび大きくなっていくのを楽しんできた。そこに咲いていてくれるだけで嬉しい。


低く雲が垂れた山向こうから朝日が差しかけてきていた。雨上がりの朝の冷気が肌に心地よく、我に返る思いで思わず深呼吸になった。よいことありそうな予感。楽しい日々を気ままに過ごし虚脱や放心と言うほどではないが、、それでも時には人生の類まれな美しいものを見せられたような衝撃を得ることもある。人生の装飾品、宝石にも増さる財産にして、そろそろ目覚めよと今朝の空気が。

深まりゆく秋をもうしばらく楽しまなくては。気分一新、でも、ポチポチに日常に戻ろう。ちょっと支離滅裂…??




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 やじろべえ

2012年10月17日 | 日々の暮らしの中で

ある駅に電車が停車した時、お爺さんが乗り込んで来られたのをぼんやり目で追った。入り口近くのシートに腰を下ろして、読むともなく本を広げていた私はすぐまた下を向くことになるのだが、次に顔を挙げたのは「あっ、杖、杖!」という男性の声でだった。

私の真向かいの席に座る二人連れの一人が、横並びになるお爺さんを見ていたようだ。
彼は「よかった。間に合った」と、すぐに後戻りされたお爺さんの姿にそう口にした。一緒にいた女性からは「杖がなくても歩ける…」といった言葉が漏れた。確かに、杖がなくても歩けるのかもしれない。が、咄嗟に、もう一方の想像を働かせたこの若者のやさしさに少しの感動を覚えていた。

     秋晴の何処かに杖を忘れけり     松本たかし

あいにくの雨降りに傘との併用がうっかりの元だったのかもしれない。

 

誕生から1年1カ月が経ったTyler、今では両腕を上げてバランスを取りながら自在に歩きまわるようになってきたという。追いかけるとキャッキャッと声をあげて逃げまくる。その逃げ足の速さに母親が喜び、追いかけまわしているに違いない。バスタブの中にキッチン用のざるが出てきたというが、おこれまい…。

ヤジロベエだ。タイラ兵衛はまだまだバランスは悪い。けれども、倒れまいとするよりも、失敗しても大丈夫な力量を持つことの方が大事だということになるはず。人間が立ちあがり、歩き出す頃から繰り返し繰り返しそれを体得しているはずなのに、どうして忘れてしまうのだろう。

この道もオモシロイ。張りのある大切な道だけど、向こうにも別の知らない道がある。いろいろな世界を知っていたら心も広がり、結果的にはコケテも強いバランスの良さも身につくかもしれない。この笑顔の消えることがないように…。
                                  (小林良正さんのほほ笑み地蔵)

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 じんわりと…

2012年10月15日 | 日々の暮らしの中で

父にとって母との最後の旅は比叡山となった。横川の根本中堂の前でのツーショットが残されている。二人で湖東三山を巡った後、私どもを訪ねて来た。母を追うように逝った父の20回目の祥月命日を前にしている。来月は母の、師走には末弟の…、考えれば故人と向き合う月ばかりが続く。そして、いつも「人生はちょっとだけ間に合わない」といった事を感じながら偲ぶことになる。

何ヶ月ぶりかで息子から連絡が入った今日、午後。何事!?かとその着信履歴に驚かされ、すぐに発信してみたら、「お母さんの生年月日はいつだっけ」と来た。「えーっ!? どっか書いとけば」と笑うと、「間違えたら恥ずかしいと思ってな」と…。

朝は朝で、娘が急くように「郵便番号なんだっけ」とオーストラリアから電話をしてきた。郵便局にいるらしい。「Jessieが手紙を出す言うんやけど、末尾を忘れた~」と言う。秋だと言うのになあ、色気もなにもあったものではない。

草木の色づきが目につきだした。街路樹の剪定も一部で始まっている。
「お酒をのもうか銭ためましょか…」と行燈に書かれた狂歌。秋の夜長、おいでおいでと、悩むほど食べ飲みの選択肢は広がる京の夜。

桜でも紅葉でもあの年・この年と、一緒にその景色を見た人との思い出によって、彩りは異なってくる。残された者は過去の記憶を胸にとどめ、日々前を向いて大切に生きていけばよい。できれば毎日楽しく。故人は喜び、子どもたちも安心する、はずだと思うから。これでいこう~。


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 最後の一輪

2012年10月10日 | 日々の暮らしの中で

今年も前年に手に入れた朝顔の種を蒔いて、同じように世話をしてきたつもりでいる。ブルー系ばかりなので赤い色を加えようと新たな種も買ってみた。ところが、モヤシのような茎なら当然でしょっとばかりの昼顔サイズの小さな花がやたら多かった。どうしてだろう。おまけに種すら充分に採れないまま、終わってしまった。種としての形を成さないのだから仕方がない。

10月に入って、モヤシの茎の高い所で余力を振り絞るかのように順次咲き出してきた。片づけたいのを抑えて、咲ききるのを待つことにして、いよいよ終わりも近い。今朝の一輪の脇に小さな蕾が一つ。切って水に挿し、ネットは外した。

最後の一輪が何時に開くのやら。短い命だがめいっぱい愛でてやることにしよう。
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 「大志を抱け-」

2012年10月08日 | 日々の暮らしの中で

京都大学の山中伸弥教授がノーベル医学・生理学賞を受賞された。昭和62年の利根川進さん以来である。国の舵取りに関わるはずの総裁選、内閣組閣の話題でさえ、また大阪のとある集団の国政参加云々のニュースなど何の感慨もなく見聞きしていたが、この知らせはとびっきり嬉しい、誇りに思える快挙だ。
朝刊で「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム」年次総会が国立京都国際会館で開幕した記事を読んだばかりの日の、夕刻のことだった。

世界約80カ国・地域の政府関係者や科学者が集う総会で、6年前にiPS細胞を作り出した氏は「技術が有用でもコストが高ければ途上国など多くの国の人が使えない」と述べたことが記されている。「コスト高が新たな医療技術の普及を妨げてしまう」と。

民間企業による独占の特許ではない、「独占させないための特許」を京都大学で取得している。研究が進むだけではなく、患者が恩恵を一日でも早く受けられるように…と、氏のビジョンには、iPS細胞を患者に届けるという確かなものがあり、研究者の努力で技術が進められていっている。

わずか6年での受賞。もう20年もしたら山中さんがノーベル賞を、などと聞いてもいた。だが、「革命を起こした」と授賞理由が述べられていたが、過去の業績に対する評価ではなく、“これから”への期待が大きく込められているようだ。世界中に花開いているというではないか。
若い人が、素晴らしいと受賞の喜びを語っていた街角インタビュー。大きな夢を!!そして地道な努力を!とどなたかも語っていた。

「9回失敗しないと1回の成功は手に入らない」、高校生に向けたこの氏の言葉もある。
やはり、「青年よ、大志を抱け」ですね。
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 爽やかな日に

2012年10月05日 | 日々の暮らしの中で

7月下旬には目立たない小さな花をつけていたが、それもいつの間にか終わってしまって、少しづつ実を結んできたムラサキシキブ。赤い実が多い中で、しかもこれだけ鮮やかな紫色の実は皆無だとか。南天の実がほんのり色づきだしているし、熊野ウォーク記念の石蕗の、花芽をつけた茎が地面近くに顔を出しているのに気付いた。これから花茎がじわじわと上がってくるのを見守る楽しみができたようだ。

干しものがオンパレードの秋晴れの一日。先日来の衣替えを進めるが、中途半端で先送りの部分も多い。ただ、夜はかなり寒くて、上も下も足元も、厚手のものは揃えておきたい。季節の移り変わりを一番楽しく感じていられるときだろう。

もう何年前になるのか。点訳を通して出会ったボランティアの会の活動の一つに「ひまある会」と言うのがあって、この時は外部からの参加を募り、大勢で大原を歩いたことがあった。その時だった。傍らに咲く彼岸花を見て、友人が私に口にされた。


 「曼殊沙華抱くほどとれど母恋し、中村汀女よ」、と。

体が弱かったという“姉さま”は、母親との密着度が強かったのだろうか。恋しく懐かしく、「母」と過ごした幼かった時分につながる一句なのかもしれない。
賀茂川の土手に曼殊沙華の花が咲いていた。たちまちこの一句が思い浮かぶと同時に、姉さまを思った。“姉さま”の姉さまが腰の骨に大けがを負われてしまい、今は自宅でお世話をされる日々にある。私としては初めて、この花にカメラを向けた。

お姉さんあっての“姉さま”、立場が変わって、食事の支度など頑張ってるかな??とお節介ながらちょっと心配にも…。
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 「ご明察!」

2012年10月03日 | 映画・観劇

日本では唐から「宣明暦」が伝わって以来、江戸時代初期までずっと同じ暦法が使われていた。次第に誤差や不具合が生じてきたのを改暦したのが安井算哲、のちの渋川春海で、幕府の天文方になって、苦心の末、日本独自の「貞享暦」を編纂した。改暦を機に幕府が暦の内容を統制する仕組みに整えられる。

それまでは長い間、「宣明暦」をもとにして各地の暦師がそれぞれに暦を作っていた。
岡田芳郎氏は『春夏秋冬 暦のことば』の中で、春海のエピソードを伝えている。
【春海は海で釣りを楽しもうと海辺にやってきた。が、地元の船頭に「今日は二百十日で、必ず時化る」と断られ船を出してもらえなかった。怪訝に思っていたが、水平線上に現れた一点の雲がみるみるうちに空を覆い、大風雨となった。すでに伊勢暦では船乗りたちの長年の経験により二百十日は凶日としていたのだった。
春海はこの体験に基づいて、「二百十日」を全国の暦に記載するようになった】などとある。

      ネットより
会津藩主保科正之、水戸光圀、本因坊道策、村瀬義益、関孝和…。泰平の時代に新たな息吹を…と、算哲を支える人物が好ましく描けていて、笑いあり、まあるい気もちにさせられたりと、「本屋大賞」受賞作品・沖方丁著『天地明察』の映画化を楽しんだ。

「ご明察!」「ご明察!」 この言葉がやけに気持ちよく響いた。 外は真っ青な空!
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 ためらいがちに

2012年10月01日 | 日々の暮らしの中で
台風一過、今朝は上天気…、と言う具合にはいかなかった。あいにく一日日差しはなく、今宵の十六夜の月見にかける期待も危なっかしい曇り空だった。
夕刻から、伏見区にある社会福祉会館まで出向いた。駅の改札を出れば、6時半だというのにすでに真っ暗。こんな時間に一人ひょこひょこ歩いているのが淋しくなって、6、7分の距離だが、帰りたくなってくる。「赤おに」と書かれた赤ちょうちんが灯っていた。
一気に深まったような秋の気配を感じながら、もっと厚着をしてくるべきだったなと寒さが少々応えた。


遠方なのでいつもひと足お先に切り上げて帰るのだが、今日は帰りも一人。寒い。
ふと見上げた空に、月光を受けた群青色の雲間がくれにお月さまの姿が認められた。今にも輝くフルムーンが姿を現わしそうでいて、たゆたう十六夜の月。雲の後ろへ隠れては、わずかに輝きを見せるばかり。なにをためらうのか。伏見と言えば龍馬だが、お龍さんと一緒に眺めたであろう同じ月がそこに…。

電車に乗り遅れてはエライこと、前方上空を向いて足早に駅へ向かった。




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