京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

女たち…

2017年09月30日 | 日々の暮らしの中で

鮮やかな紫色が美しいです。
 
    女等は声深めゆき実むらさき  加藤知世子

本堂の大屋根を葺き替える際に、塀の一角を壊して工事の車両が境内に入れるようにしました。以後、壁の裏側に(道路に面して)あった駐車場とは生垣で仕切っていたのですが不用心でした。ようやく様相も新たに外壁が仕上がり、一段落です。

女性が3人寄ってお喋りしていましたので、傍に寄っていくと、
「朝、目が覚めると、自分が生きてるってことが嫌で嫌でたまらないんやわ。何もすることがない。する気がしない。自殺したくなる」と、正子さんは穏やかではありません。
「夫が生きている間は、文句ばかり言ってても、怒ったり笑ったりすることがあったけどな、それもなくなってしまったやろ。うちは趣味もないし、ネクラやし、何かを努力するってことが嫌いな人なんやわ。どっこも行きとうないんや。困ったもんやわ」。そのうえ、続きます。「家の中でも片付けりゃあいいのに、それもめんどくそーてな」と。

早起きだった夫さんは、起きると家中の電気をつけ、暖房を入れておいてくれたとか。そこへ起きていけばよかったので、「朝起きたときが寒うて寒うてかなん」と嘆いていたことがあったのを思い出します。これからまたそんな季節がやってくるわけですが…。

正子さんと同年代の有さんが言いました。
「わかることもあるけどな。でも、もう4年やろ。いい加減変わらなあかんやろ、あんた」。
どう話しに加わったらよいのかわからず、私は聞いておりました。
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「ドリーム」

2017年09月29日 | 映画・観劇

優れた能力を持ちながら、人種や性差からくる偏見・差別の中でNASAの宇宙計画に携わった女性たちがいた。実話に基づき描かれた映画「ドリーム」を観た。
目の前の現実を受け入れ、与えられた仕事を確実にこなす中で先を見据えて努力、工夫を凝らす。めげることのなく夢に向かう。家族愛。変化する環境。自らが前例となることで道を開こうとする信念。3人の姿には大きな感動を覚えた。
「権利は平等よ。色は関係ないの」、とメアリーが言う。彼女はNASAで初の女性技術者として活躍する。

ごく最近、メジャー・リーグで初めて黒人選手として活躍したジャッキー・ロビンソンのエピソードを読んだ。
「黒人選手がプレーした前例のない環境の中で、偉大なプレーヤーでありかつ立派な紳士でなければならない。差別に対して仕返しをしない勇気を持つんだ」。
ロビンソン選手は、彼をチームに誘ってくれた会長と約束を交わす。
酷い差別や嫌がらせの数々に、彼は決して報復せず、紳士的にふるまうことを貫いたという。やがて周囲に理解が生まれ、活躍が認められるようになる。彼がつけていた背番号「42」はメジャー・リーグ界での永久欠番になっている。ーーといったn内容の短い文章だった。
人は一人で生きていくことはできないが、時に、孤独に耐えて自分を律していく心の強靭さは必要だ、と説かれていたのを映画を観て思い出した。

エンディングで3人の女性の写真と功績が紹介されている。
心の支えとなり、生きる上での勇気を与えてくれる作品への共感。薄っぺらい共感ではなく、もう一度見てみたい作品です。


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秋の色

2017年09月28日 | 日々の暮らしの中で
静かな秋の雨音を聞きながら朝を迎えました。
どんより曇って、細かな細かな雨が残る中、点訳の件で外出しました。


ハナミズキの葉が色づき、赤い実を結んでいるのに正直なところ驚かされました。植込みの上に真っ赤な葉っぱが1枚。本の間に挟んで持ち帰ることにしました。

 「み山路やいつより秋の色ならん見ざりし雲の夕暮れの空」
〈ふと気がついてみれば、あの夕べの雲はもう夏の雲ではない。山路にはいつから秋が訪れているのだろう〉。
新古今和歌集に収められた慈円のこの歌が好きだ、と竹西寛子さん(『詩歌断章』)
          
         

 「倖せのたゆたふごとく秋の日は草地一枚昏れ残したり」  高島健一
秋の色に気づきながら、天からの恵みのような1枚の葉を本の間に挟み、穏やかな気持ちになれる果報者。こんな平穏さ、充分に倖せです。
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秋日澄む

2017年09月26日 | 日々の暮らしの中で
「どれもが枝先から四、五センチのところで折られた枝に、青々とした数枚の葉とともに、青く艶のある団栗が付いていた」「ナイフで切られたようにすぱっとなっている」
『空にみずうみ』(佐伯一麦)に、こうした柚子と早瀬のやり取りがある。


ウォーキングの際によく見かけていた。前夜の強い風雨で枝先が折られたのだろうかぐらいにしか思っていなかった。けれど、どうしてこんなにたくさん、同じ形で、奇妙なことという思いもわずかだがあったのだ。それが、
 ――チョッキリという小さな虫が木の上で団栗に穴をあけて、そこに卵をうむ。産みつけると、穴をあけたときに出たおが屑状のものを使ってちゃんと穴をふさぐ。その後3時間ほどかけて枝を切り落とす――
読み終わったときには、チョッキリの仕業だと教わっていたのに、ころっと忘れて。つい先日、何気なく見ていたテレビでチョッキリの話が取り上げられていて、改めて思い出すことになった。映像と文字でインプット、今度は忘れないだろう。孫にも教えられそうな気がしてくる。


自転車の練習に出た孫の6歳児が、帰宅後、「公園に行くときにこの花を見た」と図鑑を開いて示したのはヒガンバナだった。家の近くでも咲いていて、その名を教えた後だったから彼の気づきが嬉しい。
『ア、秋』と、太宰に倣って秋探しをするのも楽しいこと。窓を開けて、すだく虫の音に耳を済ませている。
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家のありよう

2017年09月20日 | 日々の暮らしの中で

                  胡桃割る胡桃の中に使わぬ部屋  鷹羽狩行

川沿いにあるオニグルミの色づきも増してきた。折しも、秋のしつらえに整えていく時季にあるが、〈居たるあたりに調度の多きは、賤しげなるもの〉だ、と吉田兼好の都人らしい考えに触れた。(『徒然草』第七十二段)

玄関の扉を開ければ、靴箱の上に並んだ旅の土産品、手作りらしい人形や趣味の品々など、雑多な飾り物が迎えてくれる。通された応接間にはコレクションの品々がぎっしりと飾られている。こういうお宅を何軒も訪問したことがある。悪いわけではない。立派な絵画も飾られ、家族の温かみが演出されている。

靴箱の上にはせいぜい一輪挿しの花か。部屋の床の間には月替わりの軸物と、花が活けてあるだけがいい。
庵じゃないんだから、多くの家族で暮らせば物も増える。それでも、極力スッキリと暮らしたい。これもきっと性分。「モノが散らかっているほうが温かな感じがする」と口にした義母とは相容れず、使ったら使いっぱなしのものを片付け歩くのが私の役回りだった。思い出せばクスリと笑えるほどの散らかし魔だった義母。彼岸の入りに、くしゃみの一つもしているかしら。これまた大きなくしゃみを。

「日常の空間が物で埋められて、そこで花を立てる気にはならない」と、ある華道家の言葉を耳にした。空間を楽しめたら、日々の暮らしはもっと素敵になると思うが、どうでしょうね。

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「きょうは・・・」

2017年09月15日 | HALL家の話

昨年5月半ば、家族で日本にやってきました。当時はまだふっくらとして、あどけなさが残っていました。
幼稚園も休むことなく、お友達とも仲良く過ごせている様子です。食が細い割には元気そのもの。たくましくなりました。
おかげさまで今日6歳の誕生日を迎えることができました。
これから彼らの家を訪ね、ともに彼の成長を喜び祝ってやりたいと思います。

今日という日、Tyler自身で記しておくのもいいかな…、とこんなものを作ってみたのです。
練習し始めたひらがなで、どんな言葉が綴られるでしょう。楽しみです。
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自転車を

2017年09月12日 | HALL家の話
 

この15日、孫のTylerは6歳の誕生日を迎えます。
彼は自転車に乗れません。補助車をつけてでも乗ったことがないのです。
先日姉のJessieが言いました。「小学校1年生になっても乗れないのはおかしい」、と。
その言葉が決断させてくれました。

         (2009.6 4歳前)

Jessieが日本に来た折に乗っていた補助車がついた自転車が残されています。ご近所さんに譲っていただい男の子用のものですが、けたたましい音を立てて道路を走っていました。使い手がなくなり、以後ずっと蔵に突っ込まれたままです。
あれで練習をと私が提言しますと、母親は「危ない」「練習するところがない」「あの子が乗れるようになったら無茶苦茶して、車が危ないからいいわ」というばかり。交通事故を心配してのことです。

入学までには乗れるようにしておいた方が、友達と遊ぶにしても何かと便利なはずです。母親の自転車の後ろに乗って送ってもらうなんてのも、ちょっとどうかしら…。誕生日のプレゼントは自転車に決めました。

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「日記も簡を極め…」

2017年09月08日 | こんな本も読んでみた

ここのところぐずついた日が続いたが、今日は青い空が広がり心地よく晴れ渡った。
郊外へ車を走らせて、気運転換を図る。豊かな稲穂が風にそよぐ隣では、すでに刈り取られた田も多く、刈り株が整然と並んでいた。みごとな数の雀が一斉に飛び上がる。そんな光景をただ眺めているだけだったが、何やら「しあわせだなあ」って思えてくるから嬉しいことだ。

〈秋晴れの日記も簡を極めけり〉、と相生垣瓜人が詠んでいる。
こんな日は、ごたごた書くまい。余分な言葉は省いて、すっきりさせよう。(「秋晴れ」というには少し早いけれど)
ということで、
外出先で書店に立ち寄った。以前、書評を読んで知ったのだったか、書き留めておいた『活版印刷三日月堂 海からの手紙』(ほしおさなえ ポプラ文庫)を探していると前作も平積みされていて、2冊とも購入した。初めてのほしお作品で、読むのが楽しみ。
こうして少しづつ、静かに気持ちは充たされていく。少し時間がかかるだけで…。
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充ちてくるのを待って…

2017年09月06日 | こんな本も読んでみた
昨夜は久しぶりの雨音を耳にしながら眠った。
疲れていて10時半には横になり、残り僅かなページを読み終えようとしたものの睡眠薬代わりだった。ところが、余りに早く寝すぎたせいか午前2時過ぎには目があいてしまい、結局ここから読みかけだった『私の名前はルーシー・バートン』を読了した。


さわやかな緑色のカクレミノの葉と小果。
ある小さな店のショーウィンドーだったが、形よく広げた枝がガラスの花器にただ挿して飾られていた。そのおおらかさが涼しげで、緑の美しさを引き立てていたのが心に残っている。
もう秋。夏を締めくくるべく身辺整理をしなくては。







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