京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

今日のひと日をよろこびて

2022年09月29日 | 日々の暮らしの中で
ぽっかり空いた一日。
小説『ノボさん』や上田三四二の『短歌一生』を手に取りながら、9月が終わった先の予定に思いがいく。
覗いてみたい催し物がいくつもあるし、ちょっと心にかかることも含めて、どこまで欲張れるか日程をやりくりしてみていた。

雄略天皇のお召しを待つうちに八十歳にもなってしまった女性、赤猪子の話がある。
  
 日下江の入江の蓮(はちす) 花蓮 身の盛りびと 羨(とも)しきろかも   (『古事記』)

「身の盛りびと 羨(とも)しきろかも」
若さを羨む、嘆きの歌とされるが…。
いつしか歳を重ね、かなわずにいることを抱え持ったままだという人、あるいはまたまだ道半ばと精進される人、きっとたくさんいることだろう。
一つでも二つでも、やり残していることに向かって八十歳までの道を歩いていきたいものだ…。


  一日をゆっくり見つめ
  ゆっくり歩いて
  ゆっくり書いて
  ゆっくり生きて      高木護
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ぱつちり金の瞼かな

2022年09月27日 | 日々の暮らしの中で
境内の隅に五輪塔が保存されている。球形や三角形、宝珠形など、部分がいくつかばらばらに残っているものと一緒に。
砂利の上を這ってはびこる雑草を抜いていると、小さなアオガエルが飛び出してきた。


        青蛙ぱつちり金の瞼かな      川端茅舎

日中の残暑はなかなかゆるまなくて、30度に近い日が続く。寝た子を起こしたというには時季が早いようだ。

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる

 秋たつや川瀬にまじる風の音  

上田三四二は、この有名な古歌と飯田蛇笏の句とを比べて、
「短歌はリズムを主として内容はむしろ乏しく、俳句はリズムに欠けるのを物の把握で補っている」という。
【短歌は本来主観の声だが、心だけでは歌にならない。心が物に託されて、初めて人を打つ。俳句の持つ、物を掴む力を歌を作る側も見習いたい】
(『短歌一生』)。

「俳句は物の手ざわりなくしては成立しない詩型」。で、
「『川瀬にまじる風の音』、この物の把握」という箇所がちょいと私の心をとらえた。
「川瀬にまじる風の音」 ―「物を掴む」、「物の把握」
わかる? わかるような? うん?

素地のない者は、“なんとなくわかる気がする”というあたりでもたもたするが、考え考え読み進めるのだ。
こういうことはいいわ、と勝手に読み飛ばしたりするから、尚更もたもた?

言わんとされることを理解するとは言い難いが、なんとなく、なんとな~く、アバウトにわかるようなこともあって、ぼっちぼっち読んでいく。

アオガエルのジャンプに話は飛躍し過ぎたかしら。
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休日はバスに乗って

2022年09月25日 | こんなところ訪ねて
佐伯一麦さんの『月を見あげて』第三集に、「休日はバスに乗って」が収められている。
街中へはほとんどバスを利用し、長距離バスでの移動も多いというバス好きのご様子だ。
好みの座席も書いている。
9月20日は「バスの日」だったが、その日の地元紙コラムで故宮脇俊三さんのバス旅行記『ローカルバスの終点へ』があるのを知った。

車では数えきれないほど走っている道でも、目線の高さが変わるだけでちょっとした新鮮味を味わえる。今日はわずかな移動でしかないが、市バスに乗って一乗寺下がり松で降り、圓光寺へと歩いた。
緩やかな上りが続く。詩仙堂の門前の賑わいを目にしながら手前で横道へと曲がる。



圓光寺さんは2度目になるが、市街が望めたことを思い出すくらいで、この前がいつのことだったかの記憶もない。萩の上にまあるい月が出ている写真を見て、見ごろだろうかと訪れたのだったが…。



臨済宗南禅寺派。【慶長6(1601)年、徳川家康が国内教学の発展を図るため、下野足利学校第9代学頭を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。僧俗を問わず入学を許可。その後、相国寺山内に移り、さらに1667年に現在の地に移転した】ことが記されている。

うすい赤紫に色づいたフジバカマの花の蕾。ホトトギスの小さな花。「十牛図」を題材にした庭園だと言うが、よくわからない。



裏山に村山たか女の墓がある。近くの金福寺で彼女のことを知れるが、墓に参ったのは初めてだった。

訪れる人はそれなりに絶えない。脱俗的な?静けさの中、風が心地よい。にわかに思い立った、休日の小さなバスでの楽しみごと。
…だったはずが、帰途に恵文社まで歩いたのが余計だった。バス停まで難儀したこと!
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虫からの電話です

2022年09月24日 | 日々の暮らしの中で
今夜は窓を少しだけ開けているが、ひんやりとした空気の流れが気持ちよく感じられる。

昼間に賀茂川のはたを歩いていても、草むらでは小さく鉦をたたく音やコオロギの鳴き声がしきりだ。曼殊沙華の写真を撮ろうと、そおっと分け入るが声ははたと止む。
秋風が涼しくなるにつれて虫はすだき、その声は耳にあふれる。


コオロギの声が聞こえる部屋にいて、3歳児が一人何かをつぶやいていた。
たずねてみると、「虫からの電話」という言葉が返ってきたそうだ。
コオロギの鳴き声を電話の呼び出し音と思ったのか、見立てたのか。5歳の男の子は虫さんとおしゃべりしていた。
いいなあ。この感性はどこからくるのだろう。


孫のTylerはシジミが好きだった。彼に言わせればアサリもハマグリも「シジミのお友達」だと言って笑わせてくれたが、…やはり〈虫からの電話〉には負けるなア。
じゃあ寝る前の挨拶、「おやすみー。今日はたのしかったねぇ」はどう。

〈虫からの電話〉。いいなあ!!

くしゃみが出たので窓を閉めた。

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遠くなった耳?

2022年09月22日 | 日々の暮らしの中で

「Keiさん、『サバカン』見ましたか。今やってませんかね? 見てほしいわ」
友人からのラインでのご案内だ。

「サバカン? 見てません。どんな話かな、題名も知らないでいるわ。
このあいだ『アンデス、ふたりぼっち』を見てきましたよ。生きることのうつくしさ、むつかしさ? 複雑でした」

「和製スタンドバイミーです。すごく心温まる作品でした。娘に一押しって言っといたから感想が送られてきて、嬉しくて。Keiさん、ぜひ見てほしい」

「『ドライビング MISS .デイジー』みました? 舞台化もされて名作だって知ってるんですけど」
「見てないし、聞いたこともない。毎日映画館通いしてるの?」

(あなたにも私にもそれぞれに関心事や興味ってものがあるんだけどぉ、ひと言、アンデスの話にコメントしてもいいんじゃないのー?)って思い始めていた。
人の話に興味ないって感じ。
まあ、私にも人の関心事にまるっきし興味持てないってことはあることだから、責められないが、相手への想像だけは欠かすまいと言葉を継ぐことに努めているつもりだ。まして一対一でのオシャベリならなおさらのこと。

「来年1月の話ですが、夏井いつきさんの句会ライブが枚方であります。行きませんか?」
「前にも一度誘っていただいて。夏井さんのオシャベリが苦手です。あのときだけでもう十分。せっかくだけど遠慮させてもらいます」
ここははっきりさせた。

「京都大丸店での『長谷川義史さんの絵本原画展』に行きませんか? ああ、まだやってるかな。お会いできたらいいなあ」
「……」


ちょっと意地悪? 知らん顔してしまった。最後までアンデスの話など触れられない。
彼女の案内で、映画も舞台も枠を広げてこれたことには感謝しているのだ。
一聞いたら十話す、昔からそうなんだよね…。ただね、私の言葉をいったんミットに収めてよ。こんな思い、おそらく想像すらしないだろうな。

「やはり映画はどこか小さな映画館で上映されているのを発見し、何か悪事でもはたらくように、というのは大袈裟だが、こっそり一人でみに行くというのが私の流儀」
と山田稔さん(『某月某日シネマのある日常』)。大作より小品を、評判より滋味を、と。
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ノボさんのべーすぼーる

2022年09月20日 | こんな本も読んでみた
「一人の若者が銀座の大通り、路面鉄道を歩いている」
若者のいでたちは、「頭に短いツバの帽子をちょこんとのせて…襟を詰めた白いシャツ、膝下までの七分ズボン、ゲートルを巻いたようなソックスに革靴」である。
若者の姿を見つけた東京大学予備門の同級生が声をかけた。
「ノボさん。どこに行きますか」
「おう、あしはこれから新橋倶楽部のべーすぼーると他流試合に出かけるんぞな」
通称ノボさん、21歳の秋。


佐伯一麦さんのエッセイ「子規庵にて」(『月を見あげて』収)を読んでいて子規の辞世の句に触れた。一方では、べーすぼーるに夢中なノボさんこと正岡子規の若き姿をとても気持ちよく読み始めていたただけに、長く病床に伏す日々を想って心に沁みる。

庵の庭は「小園の記」にあるように〈ごてごてと草花植えし小庭かな〉の趣だったが、植物や集って来る虫たちの中に病弱の身を置くことで生命力を掻きたてようとしたことが窺われた、と佐伯氏は書いている。


「小園の記」のコピーが手元にある。
1年間軍に従い、帰途に病を得て療養ののち家に帰りついた。病が進むなか、「小園は余が天地にして草花は余が唯一の詩料となりぬ」と書く。
蝶がひらひらと舞うさまに「我が魂」を重ねたり、欲しかった葉鶏頭の芽が育ち二尺ほどになって、「かゝやくばかりはなやかな秋」を迎える。
ノボさんは「あざやかで美しいものを好んだ」。

正岡子規の辞世の句となる三句を引いておこうか。(9/19は糸瓜忌だった)
  糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
  痰一斗糸瓜の水も間にあはず
  をととひのへちまの水もとらざりき


伊集院の作品には香りがあり、人がいる。
そんな言葉に誘われて、『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』を読み始めたのだぞな
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ひと夜に増しぬ

2022年09月18日 | 日々の暮らしの中で
古来日本人の心を強く魅きつける萩の花



上賀茂神社の境内を流れる川のはたに咲く萩の花。

台風の予報に早くから接し、家のぐるりを、本堂の縁の下など含めて見て歩き、片付けなどしていたから少々気疲れした感があるのだが、いよいよ上陸。
かつては大屋根をつたわった雨水で天水受けがあふれ、境内に水がつくということがあった。それも排水の溝を通してもらって以降は安心しているが、極めて強い勢力と聞いて構え直している。

   池水のひと夜に増しぬ萩の雨   北柿

「露をやどしていた萩に秋雨が降り、露と雨が重なって、池水が一晩のうちに増水したというので、『萩の露』という常套句を伏せて匂わせたのが、一句の取りどころ」
と杉本秀太郎氏は実父・北柿の句を読まれていた。「隠された誇張に俳諧があるわけ」と結ぶ。

まだ早く、ほろほろと散るほどには咲いてはなかったが、近づきつつある台風の雨風に強くたたかれれしまことだろう。
明朝はいかに。明日はのんきに本など読んでいられないだろうか。
一晩のうちに、数時間で…。どんな危険が潜んでいるかわからない。
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アンデス、ふたりぼっち

2022年09月16日 | 映画・観劇
映画「アンデス、ふたりぼっち」を見た。


ペルー、アンデスの標高5000メートルの高地で、周囲の援助もなく孤立して生きる高齢者二人だけの暮らしがどういうものなのか。
精霊に祈りを捧げ、いたわり合って細々とした自給自足の暮らしが描かれる。老いた二人は息子の帰りを待っていることがわかってきた。
「息子がいれば助けてくれるのに」「もう死んでると思っているさ。都会が息子を変えた」
「わたしたちは見捨てられたの」
老母は息子のものらしいセーターを何度かたたみ直しては布でくるんでいた。

マッチがなくなりかける。村まで買いに行ってほしいという妻の頼みだが、夫はもう自分の足では遠く、戻ってこれないかもしれないと自信がない。案の定、途中で倒れ、それでも引き返してきた。飼っていた愛犬と羊がキツネに襲われる。

火種を絶やさぬよう寝ずの番をしていたが…。住むところも食べるものもない。それでも生きていかなければならない。残ったのはリャマ1頭。
ほどなく夫が静かに息を引き取った。細い泣き声に哀切漂う。


抑揚のない言葉、会話。アイマラ語というのだと知った。監督はペルーの原住民アイマラ族出身とのことだが、期待されながら34歳でこの世を去った。【アイマラの文化、風習の中に、私たちが存在を知りながらも目を背けていた現実を、雄大なアンデスの自然とともに痛烈に描いた】と紹介されている。

胸詰まる思いではあった。高地を下りる、村の中で暮らす選択はできなかったのか。
彼らには、ここで生きるしかなかったのだろう。どこで生きようと、どんな問題を抱えていようと、限界まで天命を尽くした姿なのかとも思いなおしている。
【いのちを日に新たにしている代謝が止まれば、この世を去る。「だから生命は荘厳なのである」】と司馬さんは書いていた(「新」について)。

行く先にあてもなく、布にくるんだわずかな荷を背負い、杖を片手に、一人ぼっちになった妻はどこへ…。

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きょうはまた生まれかわったぞ

2022年09月15日 | HALL家の話
孫のTylerが11回目の誕生日を迎えた。


今日は地域の各小学校代表チームによるサッカー大会でもあり、「明日は優勝してTylerの誕生日プレゼントにしよう」を合言葉に? チームの士気は高揚したらしい。うまい具合の誕生日が、盛り上がりに一役買えたということになるのかな。

6月の大会では結果2位だった。今日は3勝2敗、決勝進出ならずだったそうだが、敗因分析も(2チームのレベルを同等に編成したから、など)漏れ聞こえる。常に外野の評は伴うものだ。
それでも試合後には、ハッピ―バースデーを歌ってもらって嬉しかった様子だと伝え聞いた。
 「学校中の先生が誕生日だってこと知っててくれるんだ」
 「へえ~、うれしいやん」
 「なぜならな、学校で『俺の誕生日だ――』って叫んでいたからな」

昨日と今日となにがかわるというものではないかもしれないが、一日とて同じ日はない。
そうそう、思い出す。殷の王の湯が好きだったという言葉。
  
  荀(まこと)ニ日ニ新(あらた)ナリ
  日日新ナリ
  又日ニ新ナリ
 
新という字は、木ヲ斤(き)ルということから出た漢字だそうで、木の切り口のなまなましさをあらわすという。切ったばかりの切り口は樹液に濡れて、いのちがよみがえるような香気を放っている、とある(「新」について 『風塵抄』収)。命は常に新しいということだ。

11年前、6つうえの姉の下に生まれて

5歳下の弟ができた。いつも一緒と母親は笑う。兄でありサッカーのコーチでもあるみたいだ。


まだまだ線が細い。自信は外からつけられるものではない。様々な体験を経て、自らの心の内にわいてくるものだという。
失敗しても転んでも起き上がれるよう、太っていきなはれや~。
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いい仕事をしたな

2022年09月13日 | こんな本も読んでみた
酒井忠康氏が愛読書の一冊としていることを著書の中で書いておられた『アイヌの碑』(萱野茂)。先日たまたま中古書店で見つけた。


【作り話ではない。自らの生い立ちから、祖父母、父母、死んだ兄弟の生涯の真実。そして、アイヌ民族が背負わされてきた苦難の道。
5年の歳月を費やした、「文字をもたなかったアイヌ民族の一人の男が日本語で書いたアイヌの碑といえる」】本(1980年出版)。

「萱野さん、聞いてくれ。土を掘れば、石器も土器も出てくるが、言葉、おれたちの祖先の言葉は出て来ないもんなあー。言葉は土に埋まっていない。木の枝に引っ掛かっているわけでもない。
口から口、ただそれだけよ。頼むから若い人にアイヌ語を教えてやってくれ」
と一老人の言葉があったそうだ。

「言葉は民族の象徴、魂です。伝え続ける限り輝き続けます。今の子供が大人になったとき、
『おれは萱野茂からアイヌ語を学んだ』と胸を張ってくれたら、いい仕事をしたな、と嬉しくなります」
と萱野さんは書いていた。

寺子屋エッセイサロンに参加する若い子たちがいる。楽しくも、より充実したひとときでありたい。自分にできることをもっと探して…、などとあらぬ方向で私の中にも思いがわいたのだった。



実が割れたばかりの種を湿ったティッシュで包んでビンに密閉しておくと、根が伸びてきた、と佐伯一麦さんのエッセイにあった。
鉢に植えて5年。30センチほど伸びた枝先に芽を付けたのは葉芽だった。さらに2年、50センチほどになって花を付けた。紅色の侘助だったそうだ。

気の長い話だと知りつつ真似て密封した。なんてことない椿。
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十六夜の月が

2022年09月11日 | 日々の暮らしの中で

9月に入ってもなお続く厳しい暑さは辛い、辛いというか、うんざり感がわいてくる。
いつまで暑いんだ!? 日差しは強いし、外出気分じゃないのだけれど、法蔵館に出向く用事があって重い腰を上げた。

出たついででもあり、注文の用事を済ませてからは京都駅の八条側に回って書店を覗くことにした。
あさのあつこさんの新刊本『乱鴉の空』があった。弥勒シリーズの続編とわかったが、なんと文庫本で10冊目になる『花下に舞う』がこの13日に発売と書いてあるではないの。まあ、嬉しや。
積みあげるほど出番待ちの本があるから、しばらく楽しみは取っておくことにしよう。

昨夜は7時25分頃、山の端に上がってくる名月を見守った。
さて、今夜は月の出が40分遅くなって、十六夜の月が上っている。明日はさらに40分遅れるのだと聞いた。月の異名は立待ち月。そして居待ち月、十九夜は寝待ち月。このころになるともう月の出はかなり遅い。
山の端のどこに隠れているのだか、お月さん。

いつしかおさまる残暑の厳しさ。今しばらくの辛抱…。
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秋の心

2022年09月09日 | 日々の暮らしの中で
9月9日は陽数の9が重なることから重陽の節句と呼ばれ、菊が咲く季節でもある。
宮中では古来、重陽の節句では観菊の宴を催し、菊花の香りを移した着せ綿で身体を拭いて長寿を願うのだとか。

澤田瞳子さんの『駆け入りの寺』では、その宴の準備の様子が描かれていた。
【皇女を住持にいただく京都の修学院村の比丘尼御所・林丘寺にも、毎年重陽の宴のために嵐山にある曇華寺から丹精の美しい菊の鉢が贈られる。
「おかげで御所さんにも引けをとりはせぬおひしひしさん(盛大さ)や」。
「径二尺はあろうかという大鉢」、色も形も様々な十数鉢を3人がかりで池の端に並べていく。】
菊の栽培は流行しており、洛中洛外では花の優劣を競う「菊合わせ」が盛んだったともある。

季節を代表する秋の花として菊を思い浮かべることはあっても、新しい秋の七草として菊を候補に上げるのは落第。高浜虚子が「赤のまんま」を選んだのは傑作だと思った、といったことを山本健吉が「秋の心」と題して書いていた。

秋の七草は、元来野山の野草。「かくべつ強く注意を惹く花ではないが、見過ごしがたい花」「華やかな花でなく、貧しく、さびしく、うそうそとして、何か心を惹く花」「何か心に触れる花」、ハギ、オバナ、クズ、ナデシコ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ。
この対極にあるのが栽培され丹精されたキクのような花。

紺碧の秋天のもとの自然の姿が、いっそう美しい花なのだという言葉にはうなづきながら、自然を屋内に取り込んで瓶にさし、ひととき愛でたい。



田の実り。今年はどうなのかしら…。



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秋草の花々

2022年09月07日 | 日々の暮らしの中で

曼殊沙華っていつごろ咲くんだったか…。しばらく訪れることがなかったら、そこかしこ葛だらけ。旺盛な繫茂で周辺の木々を取り込み覆いつくしている。
杉本秀太郎氏ではないけれど、こんな木を庭に植えたらアウト!「手に負えない」。
葉の陰にたくさんの赤紫の花がついている。

ホンモノの葛の花を見たのは、この道、この川沿いでだったと思うのだ。熊野古道を歩くツアーに参加し出してウオーキングなるものを始め、どうせ歩くならたまには河鹿のなく鴨川上流をとこだわってもみた。10年ちょっと前までは実際に見たことがなかった花だった。

大根の種は「クズの花が咲いたらまけ」のことわざがあると今朝の新聞のコラムで知って、もう蒔いたのかしら、と知人の顔、顔を思いだすことになった。
農事の知恵。

通りを挟んだ斜め前の“みきちゃんちのおばあさん”の「○○○のタネまいといたしなあ」のひと声に、義母は「かまへんのに」を繰り返していたものだ。
よその畑にでもせっせと世話を焼いてくれた“みきちゃんちのおばあさん”手作りの、大きなおはぎがおいしかったっけ…。

「萩、すすきに曼殊沙華も添えて瓶に挿し、月の出を」待つ暮らし、前さんを見習いたいこの秋…。



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人として

2022年09月05日 | こんな本も読んでみた

8世紀末。蝦夷(えみし)たちは大和朝廷に服従せず、森の恵みを受け大自然と共生しながら自由に、誇り高く暮らしていた。その平和を大和軍が侵攻し破る。そのとき蝦夷の独立をかけて戦いを挑んだアテルイの生涯が描かれた『まほろばの疾風(かぜ)』(熊谷達也)。これが最初だった。

次に、川越宗一著『熱源』を読んだ。19世紀後半の樺太で生まれたアイヌのヤヨマネスクと、ロシア皇帝暗殺を謀った罪でサハリンに流刑となったポーランド人・ブロニスワフの人生の交錯。差別にさらされながらもたくましく生きる人々、祖国を追われた人たちが大きなスケールで描かれていた。

そして読み終えた『六つの村を越えて髭をなびかせる者』(西條奈加)では、蝦夷地の探検で知られる最上徳内の生涯が描かれた。

出羽国で貧しい暮らしの家に生まれたが、父は息子の向学心にふたをしなかった。行商先で数学の指南書を買い求めては与えた。算術に優れていた元吉(のちの徳内)は、やがて江戸に出る。名を最上徳内と改め、田沼意次が派遣する蝦夷地見聞隊の竿取り(測量係)となって旅立つ。
素朴で素直な心根。情に厚い。人の思いは無駄にしない。徳内の“人徳”、彼は常に人に恵まれた。アイヌとでも心が通い合う。

「人が生きるにはなくてはならないものがある。それは誇りだ。人として、民族としての誇り。対等の立場にあってこそ自尊が芽生え、見かけの貧富に関わらず暮らしを支える。誇りを支えるものは自由であり、両者は表裏一体のもの」、と読むものに問いかける。

田沼を失脚させた松平定信は、「蝦夷地見聞は公儀御用に非ず」と関係者を処分する。
時代に翻弄されながらも、時代は新たなものを必要とし求め続けるものだろう。生み出そうとする意志、叡智、支え合う関係が力となって集まる。

そうか。「生きるための熱の源は、人だ」と『熱源』にあった。

今夜は「100分de名著」を見ることにしよう。

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ま、こんなことも

2022年09月03日 | 日々の暮らしの中で
8月の終わり近くに、〈『変奏曲を編む』刊行記念展〉という案内が目に留まった。

「同書の作者である歌人が詠んだ短歌のイメージを基にアーティストたちが描いた絵画に歌人が解説エッセーを添えて展示する」とある。
面白い試みだなと期待して書店内のギャラリーへ行ってみた。

歌は半分忘れたが〈…富士のすそ野を目で確かめたい〉といったふうなものだった。この試みで、それぞれの趣向で描かれた作品は4点だった。
誰もいない会場。小さな文字を追っていると、歌人ご本人が声をかけてくださり、それぞれ説明をしてくださるなど有難い思いをしたが…。

富士山を真上から見て、等高線を点線で示してすそ野の広がりを表した作品。台湾で発掘の青銅器に彫られた漢字、象形文字で、描いた富士の山頂や裾野を埋めた作品。版画による逆さ富士。裾野の大地、そこに花が咲いていた…のだったかな…作品。
版画での工夫や仕上がりの色遣いに、黒って何色あるの?という思いを綴った“エッセイ(著書より)”が添えられていた。細かくて読んでいないが、お話してくださった。  9/4追記


期待外れだったな。結局のところは、〈和歌 / 画 / エッセイが融合した画期的な内容の本〉(書店側の案内文)を買わないと…。お礼を申し上げ会場をあとにした。作品を提供した作家たちの作品(和歌をベースに…とは関係のない)が大半で、中央にはたくさんの立派な著書が置いてあって。

ぽつっ、ぽつっと数滴、4滴ほど数えるや傘を開くまでにめっちゃくちゃな雨脚の強さ。
家まであとわずかな道をずぶぬれで帰った。ダブルでついてない日になった。



雨風の中に、水引の細かな紅い花が見えている。

【植物に詳しい若い友人に「庭の隅に水引草がはびこりすぎた」といったら、「あれは草はいらないんですよ」とたしなめられた。
水引の根は、やわなスコップなどはひんまがってしまうほど根が堅牢で、しかも深く土中に喰い入っているらしく、頑丈なショベルを使ってようやくのこと3株を移植保存した】
という話を杉本秀太郎さんが書いている(『花ごよみ』)。

有難いことに? いつからか一株だけが草の中に咲くようになった。もう数株欲しいと思うのだけど。

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