京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 行く年

2015年12月31日 | 日々の暮らしの中で

今年ももうあと半日余り。
やり残したこと、思い残すこと、さまざまにありますが、
「心の灯消さじと抱き年暮るる」…。 

一年間ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。
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 心を満たした好い日

2015年12月26日 | 日々の暮らしの中で

クリスマスとは無縁で過ごして昨日25日は、3年ぶりに北野天満宮の終い天神に出向いた。今年最後の天神さんの縁日で、迎春準備の買い物客で賑わう。


参道の両側、境内周辺、さらには東側の一般道路に沿っても立ち並ぶ店をひと当たりのぞき歩いて、再度お目当ての店に戻った。その一つ、鞍馬からのおば(あ)さんのところで、すぐき漬けなど3品を買った。
パック詰めにした一つ一つに輪ゴムをかけ、それぞれをビニール袋に入れてまた輪ゴムで止めてくれている。代金を支払い、ゆっくり丁寧に包んでくれたものを受け取って歩きかけようとする私に、「良いお年をお迎えください」と声をかけてくれた。

「おおきに」とは返ってくるが、「良いお年をお迎えください」などと言われたのは初めてだったので嬉しくて、おば(あ)さんの方を向き直り「ありがとうございます。お元気でよいお年を」と言って会釈した。お互いに笑顔が浮かんだ…。
その後もずっと嬉しさが持続し、私の心を満たしてくれるよい日だった。

いつの日も心をこめて生きてこられたのではないか。ささやかな嬉しい巡り合いを得た。
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 片隅で

2015年12月24日 | 日々の暮らしの中で

気分だけでもと思ってみても、「子供むつましクリスマス」で、二人のいない今年は、取り残されたような…??
長い習慣が染みついているから、言うほど寂しくはない。んだけどね。

我が家に残っているこんなものもあるので、写真だけでも見ておこうっと~。


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 この一年 - 読書

2015年12月22日 | こんな本も読んでみた

「本を愛するものはおしなべて若さがみなぎり輝いている」
直木賞作家の出久根達郎さんは断言している(『本と暮らせば』)、というコラムを読んだことがあった。8年前、「身分を隠して一日過ごすなら」と記者から質問を受けた美智子さまは、「古本屋で立ち読み」と返された、ともあった。

人間には一つだけ老けないところがあるそうで、それは「心」なのだそうな。感動したり、さまざまに興味を持って良く心を動かすことは、若さみなぎり、輝く表情を自然と生み出すのだろう。さて自分は、となるといささか…。でも、内面ではひとり充ちている、と言える時だってある。

咋年末の『櫛挽道守』に続いて読んだ『漂砂のうたう』(木内昇著)、『母の遺産』(水森早苗)、『時雨の記』(中里恒子)、『邂逅の森』(熊谷達也)、『雨の裾』(古井由吉)、『砂浜に座り込んだ船』(池澤夏樹)。
この1年で、自分の中では特に印象深い作品となった。
今読み始めてまもない『冬の光』は、篠田作品で久しぶりの新刊本購入となったが、『ゴサインタン』『女たちのジハード』から始まり6冊目となり、篠田ファンだ。中里恒子の作品も好き。初めて触れる作家が多かったような…。

途中では、川端康成、夏目漱石の作品に触れ、玄侑宗久さんの著書も多く拝読した。エッセイは著者を幅広く選んで読んでいた。
ベストセラーでも興味を抱くことがなければ手を出さないし、いらないと思う。ただ、自分では選ばない本を読んでみる事ができるといった点でも、友人と本の話題を共有することに楽しさを感じる。

うーん…、私、もうちょっと輝いても良さそうだけどなあ~。
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 自分だけの…

2015年12月18日 | こんな本も読んでみた
大阪で、文章仲間と本年最後のおベンキョ―後、親睦会ということで難波に回った。
混みあった電車、押し込まれるように中へと進んで…、こうした体験はいつ以来のことかと思い返しても、学生時代を除くと思い浮かぶほどの記憶にもない。大昔のことだ。ラッシュって嫌なものだなあ~と思った。難波も初めての地だった。

難波まで行くことは、京都への帰り道を考えて気持ちに大きな負担を感じる。とは言え、楽しく語らい呑んで食べて、やっぱりこうした集いは楽しい。
合評で得る指摘は素直に受け止め、考えながら幅を広げたい。
そして、文体や言葉ひとつにもこだわり、自分だけの人生の感壊を大切にしていきたいと改めて強く思った…。

                   
本を買って読むのは初めてになるが、丸谷才一さんの『腹を抱へる』。ほんまに腹を抱えるセンスが自分に残っているのか、はなはだ自信がない中を拝読中の一冊。


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 冬紅葉

2015年12月16日 | 日々の暮らしの中で

手袋をせずにウーォーキングに出たが、午前中の暖かさから徐々に気温が下がってきているのを実感するように手が凍えた。冷たい。暗い曇り空で、今にも雨が降りそうだった。明日の天気予報には雪だるまのマークが出ていたが、舞うくらいのことはあるのだろうか。

まだ残っている紅葉が静かな森の中で美しい。同じ場所でも日のあたり具合、葉の晒され具合、風の有無…、さまざまな条件下で、その時々の風情というものはあるはずだ。
先日、葉の表はすでに色もくすみ、葉先も茶っぽく変色し始めていたが、日を浴びた美しい照り葉を見かけた。

人間だって…。
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 母娘共用ってどう…

2015年12月14日 | 日々の暮らしの中で
しばらく前、「クリスマスプレゼントは来る時に絶対忘れないで持ってきて」と、電話でJessieが言ってきました。

 

早く送らなくてはと思うと同時にお土産にしてもいいかなと、送料を節約したいとも思って思案している矢先でした。娘がそう言わせたのかもしれません。ほなそうしよう~。Jessieには快く返事をしておいて、今日もTylerと彼らの父親 Jayの品選びに頭を悩ませています。まだ日もありますが難しい。娘とJessieにはすでにそれぞれに用意できているのです。女はトクみたいです。

さらに今日、10歳になったJessieと母親とが共用できるように、ヘアアクセサリーで玉飾りのかんざしを2本と夜会巻き用で、桃の花型の飾りがついたもの1本を組み合わせて選んでみました。1本1本が職人による手作り品、玉の他には装飾のないシンプルさで素敵です。二人で使い回すのもいいかと思って。これはお土産の一つ、かな。

現地の小学校では保護者主催での「ダンスナイト」が開催されたりします。
Jessieは熱心に自分でメイクをして参加したとか。カッコよくなりたくて4歳児が髪の毛を撫でつけていた話を思い出します。10歳の女の子のお洒落心にも磨きがかかり、またそうした自分を外にアピールする機会も多い気がします。少し大人っぽくも、日本のスタイルを取り入れてアレンジしてみてくれたら…。
送料をケチっておいて、思わぬ出費が嵩んでしまいました。いまだ大事な男性二人は後回しのまま…。

年が明けたら、4年ぶりにHall家を訪問する予定でいます。
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 「黄金のアデーレ」

2015年12月12日 | 映画・観劇

今年最後になるかもしれない映画鑑賞、『黄金のアデーレ 名画の帰還』を観た。
午後1時40分からの上映回だったので友人とお昼をご一緒し、ゆっくりたっぷりの時間を過ごして映画館へ。と言っても場所はすぐ近く。初めての店に案内されて美味しくいただいた。

「食」とは「人」に「良い」と書く、とか。そう言われてみれば確かに…。
時々はこうして親しい友人との会食が何よりの御馳走だし、心を充たす時間となる。

第2次世界大戦中、クリムトが描いた伯母・アデーレの肖像画をナチスに略奪されてしまう。
祖国オーストリアを捨てアメリカへ決死の亡命を図った主人公マリアは82歳。演じるのはあの『クイーン』のヘレン・ミレン。
祖国の国立美術館に飾られ、“オーストリアのモナリザ”と讃えられていたが、絵の所有権は自分にあり、オーストリア政府に対して「私に返してほしい」と訴訟を起こす。

美しい叔母と過ごした幼い日々、ナチスの侵攻、両親を残しての亡命…。胸に抱え込んだままの悲しみ。毅然とした姿、皮肉も可愛い、頭のキレ。マリアが素敵だ。回想のシーンが胸を打つ。と同時に、何もかも失う不条理な戦争への不快感がむらむらと突きあげ襲ってくる。

もう一度観たい。映画も音楽も、…読書もそうだが、心動かされる刺激が、生きていく上で大いに役立つ力となるような気がする。…とすれば、見たいという欲求を満たすことが好ましいのだろうなぁ。
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 漱石忌

2015年12月09日 | 映画・観劇
「俺は学者で勉強しなければならないのだから、おまえなんかにかまっていられない。それを承知していてもらいたい」
新婚早々にこんな宣言をされたと、夏目鏡子さんが『漱石の思い出』で語っている。大正5年12月9日逝去。今日は「漱石忌」

               

7月中頃、新聞記事で大江健三郎さんと古井由吉さんの座談の概要記事を読んだ。その中で、お二人がそれぞれに漱石を代表する3作品を挙げられていた。大江さんが『虞美人草』『こころ』『明暗』、古井さんは『こころ』『草枕』『道草』だった。
まだ読んでいなかったこともあって、つい先ごろ『道草』を読み終えた。漱石の自伝的小説とも言われる作品だが、大正4年に朝日新聞に連載後、出版されている。主人公の健三とその細君、心に沁みる優しさがない、情愛のなさが夫婦に感じられて、読んでいても気分がよくない。

印象深かったのは「人間の運命は中々片付かないもんだな」という健三のことば。「世の中には面倒臭いくらいな単純な理由で已める事の出来ないものがいくらでもあるさ」とも。
縁の片付かなさの中で人は生きているのだと思えば、年賀状くらいのおつき合いの縁を、今ここで切ってしまってよいものがあるのかどうか、気をつけなくては…。断捨離ブームにしても、捨てるものを間違えては一生の大損だろう。


家庭の事情がさまざまに持ちあがって、この1年は御無沙汰が多かったが、女三人の都合を合わせて今年最後となる映画にランチ付きで一日を楽しんだ。「KANO海の向こうの甲子園」が期間限定で再上映されるからと、一人の友の積極的推奨作品に乗った。滋味だが暖かな感動をもたらすいい映画だった。
細くても、縁の糸を這わせて…。来年の春先再会を約して別れた。
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 暖かな日和に

2015年12月07日 | 日々の暮らしの中で
 
ここしばらくは比較的気持ちに余裕を持って過ごせそうだ。今年は娘たちが帰ってこないとわかって、あれこれ手をつけるのを先延ばししてしまった。彼らを迎える準備をしながら片づけも意識していたということになる。その後回しにしたことを、この時期にボチボチ進めておこうかと思っている、
朝から青空が広がって日差しがあったかい。動きやすいので半日だけ動いて、明日にすることにした。明日できることは明日すればいい。こんなことを、どこかで誰かが言っていたような記憶がある。

家にじっとしているのはあまりにもったいない上天気。以前、新聞の書評で見た山田太一さんの『夕暮れの時間に』という本を手にとってみたいと思って、ウォーキングついでに書店を回ることにした。
1軒目は置いてない。見当たらなくて若い女店員に尋ねると、入荷していないと言った。2軒目も同じで、3軒目でもまた聞くはめになる。

「夕暮れの時間に、っていう本ありませんか」
「夕暮れの…」「夕暮れの…」と繰り返すうちには「黄昏の時間に」なりそうで、何やら「夕暮れ」と口にするのが気恥ずかしい思いがしてくるからおかしい。大きな書店でもないから棚になければないのだ。正直なところあまり尋ねたくはない。今度、大型書店で覗いてみることにしよう。久しぶりに8000歩台を歩いていた。黄昏にはまだ早い。

81歳を迎えられた山田さんだが、70代で執筆されたエッセーを集めたもの。小さな営みを慈しむ氏の人間観、人生観に触れてみたい。
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 「ハッピーエンドの選び方」

2015年12月04日 | 映画・観劇

この写真は、主人公ヨヘスケルが、尊厳死を願う同じ老人ホームで暮らす仲間のために、安楽死できる装置を作っているところです(イスラエルの映画)。

逡巡しながらも、願いをかなえる形で支えるホームの仲間の5人。ヨヘスケルは妻が認知症を患っていた。「殺人」行為だと夫を避難していた妻も、自身の病の症状が悪化するにつれ、「自分が壊れてなくなってしまう前に」と尊厳死を選ぶ。夫と最後の小さなキスをして…。
身体を動かすこともできずに床ずれだらけ、生きていることが辛いからと死を願う老人に、医療は何もしてくれない。
殺人罪が適用される出来事にも、うわさが流れるだけで終わる。映画はコミカルな要素も多く含めて描いて見せている。

最期を迎える母に寄り添っていたとき、父は浅草寺に願解きに行ってくるといい残して、病院から急ぎ一人で向かった。回復を願ってお参りしていたから、もう楽にさせてあげたいという思いからだったろう。父の胸の内を思いながら、あふれるものはこらえていた。
大事な人を苦しめたくない、見ているのもつらい、万国変わらぬ人としての心情だろう。

尊厳死は自らの人生を閉じる上で幸せな終わりかたなのでしょうか。自分の最後をどう締めくくるのか。存命中からの意思表示が話題にはなるが…。
私は死がこわい、かな…。そういう心持が根っこにあるのを感じている…。


未来はこれから。こんな年頃の笑顔にせめて気持ちを慰めて…。
              


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 種だけあっても…

2015年12月01日 | 日々の暮らしの中で

電話があって、「今日は何してたの?」ってTylerが聞いてきた。
そこで、「たーくんは何してたの?」と聞き返したところ、返事は「た―くん、プール」だった。
娘が送ってくれたばかりの写真の中に、水泳教室でレッスンを受けたと説明がついた1枚を見ながらTylerに聞いてみた。
  Can you swim?  すかさず返ってきた、 I can swim. I took a lesson.

この程度でも、英語で会話することの不思議さがあり、嬉しさも感じるのだから、おかしな話だこと。
成長にたくさんのシャワーを浴びて?? いろいろな縁、チャンスをからめとって太っていってほしいもの。
  
    でもこの様子、大丈夫なのかしら…。  
 
【 種だけあっても / 花は咲かない / ご縁によって / すべてのものが / 開花する 】
この夏、高野山の宿坊で見かけ、メモしておいたことば。「全てのもの」、含み多いなと思って…。 
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