京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 見えないけれど

2011年01月31日 | 日々の暮らしの中で
          

「月ごとの… つごもりの日行はるべき普賢講・阿弥陀・釈迦(さか)の念仏」などと式部が書いているが、何やかやと月すえに講や法要が重なってきた。
月の会場を提供するのが輪番なら、手伝いに上がる役も交代でという会もある。

端っこでぼんやりと、初対面の人たちの様子をそれとなく眺めながら法要を勤める義妹の寺で少しのお手伝い。子供とキャッチボールさえしないという父親に変わって私が相手をして遊んだ長男、我が家の息子と同い年だが立派に父親の後を継いでいる。

                    
寒の明けを前にして、やはり春の気配は漂う。まだまだ実際には厳しい寒さが続くが、こんな光にさえ季節の巡りは感じられるものだ。
琵琶湖の湖岸道路へ出て車を止めた。冷たい空気を頭の芯にまで行き渡らせて気分一新、帰りを急いだ。つい、よそ見…。
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 うようよぞよぞよ沸き出で来る・・・

2011年01月27日 | 講座・講演
心を正し仲睦まじく暮らす正月(睦月)ももはや跡四日の余波(なごり)となった二十七日の午後一時前、四条佛教センターの4基のエスカレーターの内より、塗(と)渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸き出で来るのは、孰(いず)れも ―

などと、持って廻った書き出しの文体を模写しながら遊んでみるが、“くたばってしめー” そうになるややこしさ。ぞろぞろと受付に向かうのはいずれも、ジャーナリストが論じる「メディアから見た京都文化論」講座への参加者だ。
ホンの一部のおすそ分けを~。

               いずれも東本願寺御影堂
宗教を専門に取材する記者クラブ。
カトリックの総本山バチカン(160社が入る)と並び世界に二つしかなく、日本では唯一東西本願寺に記者室を持つ京都宗教記者会というクラブがあるという。9つの新聞社と3専門紙社、NHKとKBS(京都放送)が加盟している。
一般では入ることはできず本邦初公開となるクラブ内を、わざわざ撮ってきてくださった写真で拝見。設立以来という木の札に墨字で社名と記者名が書かれ掛けられていた。

ここにかつて在籍された司馬遼太郎氏は、よくカウチやお東の大師堂に寝転んでは瞑想にふけっていたそうだ。クラブに顔を出してもすぐに龍谷大学の図書館に直行して資料と首っぴき。間もなく直木賞受賞、わが道を行く人だったとか。昼寝をされていた司馬カウチ、後輩が真似ては寝転び、以後の長年の使用に耐えて頭部の部分はポマードが染みているという写真だった。

西本願寺のご法度は抗議会見すら行う厳しさで、中でも取材記事に「祈る」の言葉を用いることは禁句であることを、必ず後輩へ申し送らねばならなかったというエピソード。
もともと阿弥陀如来によって生まれながらに死後は浄土に救われるというのが真宗の教えであるから、「ご冥福をお祈りいたします」という表現もしない。「祈る」必要がないわけだ。祈るのは自力本願。真宗は他力本願である。
そのあたりの記者としての苦労、「念ずる」、故人を・先祖を「しのんだ」などと記事では言い換えられている。

この冬期の3回を導入として、5月からも宗教論を中心に継続されていくことを知った。月1回、興味深い裏話(価値あり)を聞けるなど楽しい1時間半、ご一緒にいかがですか?
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 ひと息ついて 

2011年01月25日 | 日々の暮らしの中で
Jessieの入学初日、あの元気者にしては想像以上の緊張を感じて過ごしていたのが伝わっていた。
「疲れたから明日はマミィちゃんと家にいたい」とこぼしたとも。
ちゃんと起きて学校へ行くだろうか、行きたくないと言ってごねるだろうか、ちょっと気がかりだった。
        一日でコケたらえらいこと…。

ババゴンの杞憂? 心配は無用に終わったような2日目の様子に、いささか ホッ!
新しい友達の名前を出して楽しかった様子を話すと言うが、それでも昼食はほとんど残してくるらしい。まだもひとつかな。大きなリュックにランチボックス持参、緊張がほぐれてお腹がすけば食べることだろう。

ボーイが二人居眠りしていたそうだ。やはり5歳児集団だとババゴンにはこれまた安心材料が増えて、もひとつ大きくホッ。そして明日はオーストラリアン・デイで学校はお休み、と聞いては  ホッ!!

子供を通わせる小学校は各家庭で自由に選ぶことができ、プレップ・スクールはその小学校に付属している。
そのため、各小学校の教育方針によって入学前の子供たちへの指導は異なってくるようだ。簡単なホームワークがあるのを是とする親も多くいるのだろう。娘もその一人か?
例えばこんな、 I am Jessica. こんな3語の文を読んで書いて…の練習から。
            
北野天満宮の初天神だった。
雪化粧の朝だったが日差しが戻って、ほころび始めている冬の梅もかぐわしい。
   
春の先駆けの花。
  学業の神様に、ちょっとだけお願いしておきました。
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 入学の日

2011年01月24日 | HALL家の話
     
      1月24日、Jessicaはプレップ・スックールに入学しました。

休暇も終わって今日から新学期が始まるオーストラリアです。
午前8時半までに教室に入る約束の入学の朝。
「早く行きたいわ~~~」と前日からテンションも高めのJessieは6時起床、母親と一緒に8時には学校に着いていたといいます。

校長(園長)先生のお話もなければ、PTA会長、教育委員会や来賓の祝辞等々、一連のご挨拶などありません。式そのものがない。
「入学式」といったものはなく、親は教室で最初の15分ほど隣に付き添うだけで退出だそうです。後はもう迎えに行くだけだという。

初日だと言うのに迎えは午後3時に近く、「どうだった?」と話を向けても「楽しかった~」と言うだけで車で居眠りが始まったとのこと。
相当に緊張の一日だったようです。かわいそうに~。月曜から金曜日まで、学校生活の始まり始まり~です。
週数回キンディに通うだけのゆったりした楽しい生活はおしまい。一変振りが強烈な印象です。

早速の宿題は短いセンテンスを読んで書く練習。小学校1年生でもないのに…。
「もっと単語と単語の間を離して!」 「なんでまっすぐに書けないの~?」と、
出そうになる言葉を・・・出したの?飲み込んだんだったっけ?
ほめて、ほめてあげなはれ~。

 
      初来日のとき、7ヶ月直前           歩き始めの頃
こんなに大きくかわいく育って。笑顔が消えることのない日々でありますように。
子供はみんな自分の歩幅で一歩一歩階段を上って行くのだから。

夕食後、7時には就寝。朝には元気に起きてね、Jessie~。



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 申・猿・去る

2011年01月23日 | こんなところ訪ねて
「いい匂いですよ~」箒を手に小さな祠のあたりを掃き清めるご近所さん 
東大路通りから八坂通りを東へ入ると八坂の塔が目に入る。その塔の近くに日本三大庚申のひとつ、大黒山金剛寺八坂庚申堂はある。
              
                        
              
                            門の上には見ざる聞かざる言わざるの三猿
庚申とは干支、「庚(かのえ)申(さる)」の日を意味している。
 この夜は人間の体の中にいる三尸(さんし)の虫が睡眠中に体から抜け出して天に昇り、その罪悪を天帝に告げに行くという。
天帝は罰として悪いことをした人の寿命を縮める。ただ、三尸の虫は人間が寝ている間にしか体から抜け出ることがないので、庚申の日は徹夜をして過ごしていた。
が、いつの頃からか、庚申の日には三尸の虫を喰うという青面(しょうめん)金剛を本尊として拝むようになった。睡眠を捧げ、一晩一心に願い続ければどのような願い事もかなうとされている。
青面金剛とは、お釈迦様に出会い仏教に帰依するようになった夜叉(鎮守様)と言われる。仏教を信じる者は全力でお守りいただけるということになるようだ。
                               
縁起物、お猿の土鈴を身近に置こうといただいた。難が去るように!!

実は最近、顔もひきつるほどのおみくじを引いてしまった。笑顔になって元気が出るなど正反対。ふつーこんなこと書くか~?
優しさのない気分の悪さを吹き払おう。見なかった読まなかったことにして胸の奥にしまって黙っていよう、引かなかったことにしてしまおう?こんな勝手な言い分、三尸の虫が這い出ぬように寝る間を惜しんだ挙句には体を壊し病に伏して、…おみくじどおり!?
まあ、いやだ!! 気分新たにまたまた無病息災を祈った。

        
悪いことばかりではない。福がつけばずっとツキが落ちることはない、とか。
一年、良い事も悪い事も入れ替わりながらと自覚して、もうこれ以上の単なる縁起かつぎを求めてはやめにしよう。
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 冬木の桜

2011年01月21日 | こんなところ訪ねて
        
大寒の前後は寒さもひとしお厳しいといわれる。冬最後の節気だからその先はないということで、もうしばらくすれば春が立つ。週初めに身を切られるほどの寒さを体感し、その後に迎えた大寒の昨日、時折陽が差す曇り空の下で哲学の道を歩いていた。
すれ違う人はほとんどいない。見るべきものはなし、なのだろうか。

                     
満開の桜を想像しながらも、眼前の冬木をやはり美しいと感じる。人通りの絶えたこの冬の道は好きだ。
立ち並ぶ冬木の桜、芽吹きの内なるエネルギーがなにかしら明るくこの疎水べりに小さな世界を作る息遣い、気配すら感じられる。…などと言ってはカッコつけすぎ?

ドウダンツツジの枝の先々は赤みを帯びた細く小さな芽が伸びていた。その芽の鋭さは、身の引き締まる緊張を感じさせる。
何もなさそうな冬景色にも、足を止め大きく息を吸いたくなる心温まる空間はちゃんと用意されているのではないか。草木はちゃんと春の準備を進めているのだ。


南から歩いてきた哲学の道から東へ入り、法然院を静かに通り抜けながら銀閣寺に立ち寄った。さすがに観光寺として賑わっている。若い男性ばかり6人ほどのグループが「いいなあ」と口々に言って写真を撮りあっていた。銀閣のたたずまいに惹かれるだけもよし、修復なった姿を確かめたいと思った私みたいなのもいるかもしれない。いずれにしても何かしらのご縁をいただいたことになろう。


           法然院山門をはいると   その向こう…

春はやってくる。新たな生命の胎動を待ちながら力を蓄え、心音に喜びを得る日も近いことだろう。
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 風にさやぐころ

2011年01月18日 | 日々の暮らしの中で
「布団を着る」というようだ。
良く考えると、布団は「かける」だろうか。それでも、「ちゃんとお布団着て寝なや~」と使うことはあった。あった、と言うのは、今はそう言って言葉をかける対象もいないからだけれど。
着物そのものが布団になるほど重ね着して着込んだらしい「十二単」、だが、それでも寒かったのではないのかと思える寝殿造りに、京の底冷えのする冬の暮らし。

ここ数日の悲しくなるほどの寒さには閉口していたが、やっと日差しが戻り気温も上がった。苦にならずに体もよく動く、ありがたいことだ。
昨日思いついた落花生の家族が我ながら楽しくて、今日の陽気に誘われついついニタニタ話しかけて一人笑っている。一人笑いもおかしいなと、それもおかしくて。Jessie は見ただろうか…。

 
    右の4粒は第三回目の熊野ウォークで 熊野産?
ふうせんかずらの種を取ろうと、部屋の隅で水に差したまま自然と枯れるのを待っていた。
はさみを入れて切り開いたが、もろそうでいて、ぱりぱりの薄紙の感触、、3粒の丸い種が隠れていた。
春に播こうと思っている。発芽率も良く、7月ごろには花が咲くとある。それも小さくて目だちにくい、わずか5mmの小花だそうな。

そよそよと音を立てて、緑のフェンスになるころは…。

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 大きなおなかにお豆さん

2011年01月17日 | 日々の暮らしの中で
              
                                    お見苦しくも残骸ですが…
「千葉のからつき落花生」を送っていただきました。
輸入品は殻が白くて… いただきませんが、昔から「千葉」にこだわって皆々の大好物です。

バリバリ ガサゴソ ぼりぼり・・・
かすが飛び散るなど目をつむり、やめられませんとまりません。
 
                                婆ちゃんも中に入れておくれ~
大きなおなかに豆いくつ?
Jessieもうすぐ届くからね。待っていておくんなさい。
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 たすきを渡す

2011年01月15日 | 催しごと
       
                                   唯一の写真は、岡山・長崎・? 
予報どおり、雪の積もった朝を迎えた。あー、やっぱり!の感だった。
ぬくぬくの部屋で、テレビ観戦といきたいものだな… と思う一方で、これも与えられたチャンスに違いないという思いもあって気持ちを前向きにしていたようだ。

広げた朝刊一面の中央には、昨日の開会式で選手宣誓をされた山口県の野村利奈主将の涼やかな笑顔があった。「未来の後輩たちにも希望というメッセージを伝えられるような走りで」盛り上げようという宣誓であったようだ。本人の体験から、エリートでなくても取り組み次第で大きな大会に出られることを伝えたかった、とある。
9年ぶり出場の秋田県の主将は「あきらめずに倒れるまで走る」と誓われていた。
昨年秋、豪雨に見舞われ大きな被害を受けた奄美大島から鹿児島県代表で走る中学3年生の願い。口蹄疫の被災地、宮崎県からの高校3年生の意気込みも伝えてくれていた。

ジャケットの下は1枚多く着込んで、ズボンの下にもストッキングをはき温かめの靴下を。さあ、マフラーをしてと…、これでは山歩きみたいだった。テレビ映りは!?
選手通過予想時間が迫るにつれて2区の沿道も賑わいできた。どこで応援するのがいいのか迷った。万が一にもテレビ画面に収まる瞬間を得ようとスカーフを持参していたし。中継車のカメラアングルは? あれこれ考えつつも運を天に任せ、必死にスカーフを振ってみたが。

うろうろと場所探しをしているときから、行く先々で顔を合わせた母子連れ。
二人が今朝の新聞記事の中学生の母親と弟だった、という嬉しい出会いをいただけたのだ。ふくよかな優しげな方だが、娘が近づいてくるや「ゆきーーっ!!がんばれ!!あと1キロ!!」と猛烈なゲキが飛んだ。さっすが母親だ! 何がどうあれ娘に期待し信じる最高の応援者なのだ。それは大きな喜びで自慢なのだ。それが良く理解できる。
      護王神社
8区中継点を前にして、ペタペタと足音を立て上気した顔の中学生が次々とアンカーの先輩にタスキを渡そうと走りこんで来る。華奢な体だが「倒れるまで」「チームのために」とよく聞くランナーの言葉が真実だと実感させられるほどに強い思いを発散させる姿だった。

この沿道での数時間、寒さに尻込みしたことなど捨て置いて大きな花マルマークの体験になった。
レースで渡されてきたタスキ、憧れを抱き「次」を狙う人たちの心にかかるタスキにもなるだろうと思いたい。
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 女子駅伝観戦の楽しみは

2011年01月14日 | 日々の暮らしの中で
                
皇后杯第29回全国都道府県対抗女子駅伝が2日後に迫ってきた。

我が家にも、何事かがなければ欠かさず走り続けるランナーがいる。ペース配分に優れ、真夏の暑さはどう避けるのか雨の日も風の日も、境内で軽くストレッチ後、飛び出して行く。途中歩いたりストレッチを繰り返してはまた走りして、計ったように1時間で帰ってくる。
かつての宗猛・茂選手の走りにことさら注目し、福岡国際マラソンは絶対に見逃せないレースと捉え“評論家”を自任してきた。聞く者おらずの…。何がここまでさせるのか、ようわからんが。

スポーツには観戦の楽しみというものが与えられている。見方、楽しみ方を知ればなおのこと。
発着地点の西京極陸上競技場を「0メートル」として、各中継ポイントの標高を比べる新聞記事があった。
コース途中には、マイナス3.2メートルの地点(浸水の多い場所で知られる高架下)もあるが、やはり北の、折り返し点となる国際会館前が69.3メートルで最も標高が高い。と言うことで、東寺の五重塔の約55メートルの高さを上回る、72.5メートルのアップダウンがあるコースを選手達は走ることになる。
自転車で南へ下がるのは楽だが、帰りがきついとは良く耳にしていることなのだ。

中継カメラにうまいこと収まれば全国ネットで顔が出る。誰か私に気づいてくれるだろうか。
「もしも!」の時のための目印として、白い帽子を被り、赤いスカーフを小旗の先につけて大きく翻そうか? 念を入れて、復路の応援でも繰り返すが良いか。待ち時間を考えれば、相当の覚悟で防寒対策グッズの準備も要りそうだ。こんなアルミのシートで体を覆って、熱いコーヒーでも持参で時間をすごせとか。

今年はちょっと応援に出てもいいかなと、思っていた。思っていたのだ。ところがだ、どうも半端ではない寒気が襲ってくるらしい。
救われた!? 
弱い意志を隠すために、お天気のせいにしてしまおう。

車から往路の第4中継所の場所を確認した。最後の調整に励むランニング中の選手の姿も見受けられた。
良いレースを!
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 石山詣で

2011年01月13日 | こんなところ訪ねて
     
昨日、立木観音参拝の帰り道、石山寺で車を止めて如意輪観音のご利益にもすがってきた。
紫式部が『源氏物語』を書き始めたという伝説のある石山寺は、西国第十三番札所だ。
東大門の左右には運慶快慶作の仁王が立っている。
         
      
         
物語中、光源氏がお礼詣で石山寺を訪れてもいるが、かつては私も物語のいくつかの舞台を訪ね歩いたりして来た。京都以外にも須磨や明石、宇治、初瀬、石山…と。
遠いはるか昔のこと、記憶は薄れてしまっていて、寺域の広さに改めて驚いた。京に住む伯母と二人で真冬の瀬田川沿いを歩きながら、餡まんをほおばることで暖をとっていたようなことを思い出す。昔、瀬田のシジミは琥珀色だったとか。
  
平安の王朝の女性たちは、任地へ行く夫や親に同行したりしない限りほとんど京の外へ出ることもなかったという。ただ物詣と称して、京の外にある神社仏閣に参拝することだけが旅をする機会だった。

初瀬詣での長谷寺・石山詣でなど、その代表格だ。
朝早く牛車を連ねて出発、粟田道を通り逢坂山を越えて昼頃に大津に着く。そして夕方には石山寺に到着、おおよそ二泊三日の滞在だったようだ。平穏であるだけに狭い体験しかない生活の息抜きをし、癒され、観音さまを心の拠り所とする女たちだった。

すがりつつも祓える邪気は自ら払って、無病息災を心がけるとしよう。「魔を滅する」に通じるという小豆も用意してある。さっそくに、小豆の「おかいさん」は十五日の風習だ。

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 無病息災願って…

2011年01月12日 | こんなところ訪ねて
              

娘(息子)が生まれて、お宮参りは仲人宅のお寺へご挨拶にあがり、家の内陣でお参りを済ませている。成長の節目節目、みなそうしてきた。

その延長線上で、女三十三歳、娘は今年本厄に当たる。
心のどこかに仏さんに守られている、守っていてくださると思う気持ちがあるからだろう、世間で「言われている」ことも、正面から捉えることなくこれまで過ごしてきた。
が、ここへきて娘が、厄除けのお参りして欲しいと言ってきた。


  
運気が下がり、災厄に遭いやすくなる。本人だけではなく家族や身の回りの人にまで悪影響を及ぼすことがあるというではないか。人智では計り知れない運気の浮き沈みはたくあんあるとすれば、この一年は人生の中でも最も大切に、謙虚に暮らすよう努めなくてはならないのだろう。周囲のものを含めて。
気にして過ごすよりもご加護を願うのが良いだろう。本日は娘のために「厄除」のお願いに参上。

     
     

           やさしく一撞き            奥の院まで

瀬田川、南郷の洗堰から南へ2キロ、道路わきから心臓破りの700段余りの急階段を「く」の字型に上がって行く。ご利益ある西国二十番札所、滋賀県大津市の立木観音(安養寺)に参拝した。平安初期、弘法大師42歳の厄年に開基、とある。厄除観音としての信仰が厚い。

              
 

        「おててを あわせば かんのんさまが まもってくださいますよ  立木山」

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 すべすべ

2011年01月11日 | 日々の暮らしの中で
正月一日、「炭もガスも乏しければ、」
ではあまりに時代錯誤、さしずめ今風に言えば「灯油も底をつき電気代も節約のため」あたりか、「湯婆子(とうばし=湯たんぽ)を抱き寝床の中に一日をおくりぬ」
と荷風が記しているとある。

ロフトなどで見るとかわいい湯たんぽもあるが、子供たちが使っていたピジョンのものが使用可能だ。それこそ赤ちゃんの頃、足元遠くにおいて温めた代物。逆さにしても漏れることもない。

電気毛布を使ったことがない私は、ストーブの上で沸かした湯を入れて湯たんぽ派だ。安眠快眠! 朝方、まだまだぬくい湯たんぽを足で上まで手繰り寄せて抱え込み、ずっと寝ていたいところを起床モードに切り替えていく。
いまどき湯たんぽ派は少ないかもね、電気あんかを使ったことがあった!が、湯たんぽは燃料費は特別かからない。やわらか~なぬくもり、これがいい、ねっ!?

今日は先日の長距離歩行のアフターケアーデー、自分磨きと決め込んだ。日替わりの湯は、生姜湯だった。あれこれそろったスーパー銭湯で足腰肩の疲れをほぐして汗を流して、だが体重は少しも変わらない。ま、いいか。仕上げは塩サウナでツルピカピン!?

ペットボトルのふたを開ける力までなくなったのか、車で飲もうと買って乗ったのに、家までおあずけの始末。あ~あ、これを忘れるとたまにこういうことにでくわすこの頃。
なかなかの優れモノだ。

亡くなった伯母がよく開けて欲しいと言っていたのを思い出す。
ツルピカで湯たんぽ抱えて寝床にいても喉は渇く、ボトルオープナーもそのうち必需品になるのだろうか。
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 やおよろずの気配・・・ 

2011年01月10日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
はるか東山連峰の稜線が茜色に染まる光景を目にしながら、まだ暗いうちからリュックを背負い歩いているのを妙に嬉しく感じていた。八日、新年第一回目となる熊野古道ウォークの朝。

事故渋滞に巻き込まれて、到着時間は大幅に遅れた。11時、バス車内で昼食を済ませてからの出発となった。
紀伊路でも難所の一つと言われる鹿ヶ瀬峠・熊野古道では最長の503mに及ぶ石畳道を歩き、初めて見た黒竹の林を抜けて、棚田が広がる原谷の里で見上げた空の青さ―、変化に富んだコースだったと思う。
 
              右下からやって来て
   
 木の洞が狭くなって中から外へ転がった馬頭観音。台座は洞に残したまま新たに
 ここに祭る。馬がクサを抓んで食べるように人間の苦悩を摘み取っていただけると…
 
             

  
九十九折(つづらおり)の山道には、いのししが鼻先でつけたとされる跡がずっと筋状に続いていた。こうして自分達が歩き去った後の森の静寂を思った。
一歩一歩敷き積もった落ち葉を踏み締める音だけを耳に、滑らないよう気を使って無言で歩いていて、ふーっと意識が遠のくような、周囲の静けさに吸い込まれるかのような一瞬の錯覚?… 歩いていて眠気を催すのだった。睡眠不足かなと思いもしたが、木漏れ日の差し込む、豊かな森の霊気に包まれた微妙な時間帯だった気もしてくるから不思議だ。

  
         小峠を振り返って                内原王子神社
太い枝が縦横に伸びた巨木に驚き、「なに!?これは」と問えば「椨(たぶ)の木」だと言うことだった。白檀などの香木を混ぜて線香の原料になる木。その傍には「樒(しきび)」、葉を折れば強い香がする。線香もしきびも仏事用だ。
今回の終着地、内原王子神社の境内には、やはり常緑樹の高木で春先に開花する「招霊(おがたま)の木」が植えられていた。神前に備え、神霊を迎える木。写真は、秋に生った赤い集合果がすべて落ちた後のものだが、…今にも聞こえてきそうな鈴の音。巫女が手に持ってシャンシャンと鈴を振って舞う巫女神楽、その神楽鈴の原型になったものだと教えられた。

  
            実は落ちて               神楽鈴

そこかしこで日本人として八百万の神にも触れることができる「ふる道」なのかもしれない、熊野古道。
19名の参加者と歩いた12,2km、歩数計は17097歩を示していた。
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 前夜

2011年01月07日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
                                     熊野本宮大社をめざして…
「何を着ていこうかなあ~…」「何でもいいやろ?あるもん着て行けば!?」
そりゃあそうなんだけどね、着込みすぎて汗をかくのはイヤだし、かといって寒さを我慢する一日もかなわない。基本的に3枚、そのほんのちょっとした加減に悩んでしまう。

明日は熊野古道を語り部と歩くウォーキングツアーの第4回目。河瀬(このせ)王子から紀伊内原までの12.2km、どうやらお天気の心配はなさそうだ。
今回は出発後ほどない時間から紀伊路最大の難所といわれる「鹿ヶ瀬峠」越えがある。藤原定家より100年も前に熊野詣をした藤原宗忠が「その道はなはだ険しく…」と嘆いたとされる道。まだ体力がある時間帯だけにクリアーの可能性も大だと信じたい。

ところがだ、「何事にも最初は勢よく飛び出すが、その勢いが長続きせずどんどん落ち目になっていく」ことを表す「いかち馬」という言葉があるのを知った。とは言っても、対策などあろうはずもない。
ただただ、どんな景色が見られるのか、どんな土地なのかとその楽しみだけは尽きない。

ウォーキング入門の記事によると【長い距離を無理なく歩くコツ】は、
目  真っ直ぐ前方を見る。景色を楽しんであるくといい。
姿勢 胸を張って。
肩  力を抜いてリラックス。
腕  脚の動きに合わせて自然に振る。ひじを軽く曲げて振ると疲れにくい
足  かかとから着地し、足全体で地面につけてからつま先でしっかり地面を蹴る。
   いつもより大股で。

と、確認~。新人、一応合格! 感動が薄れない程度にコースの予備知識も入れた。
お守りも一緒に準備完了。きっと楽しみながら歩けるだろう。
では、明日は早いのでこのへんでおやすみなさ~い。あーしたてんきに~・・・ なるはずでした~。
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