京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」

2014年06月30日 | 映画・観劇

6月21日土曜日の「サワコの朝」のゲストは行定勲監督でした。「セカチュー」の監督さんです。映画「円卓」の主人公・こっこを演じる芦田愛菜ちゃんのことを「やはり天才でした」と評していました。

小学校3年生の琴子(こっこ)。新しいことばを聞くたびに興味を示し、ジャポニカの国語ノートに書きつけていきます。好奇心も旺盛なこっこ。
こっこちゃんの髪飾りは、目玉なんです。「いろんなところを見てるからですよね」と監督が言われてました。

こっこは、新しいことは意味も知らないままに「かっこええ」でひとくくりしてしまいがちです。「ボートピープル」が、「かっこええ」わけはありません…。こっこはおじいちゃんから「イマジン、想像する」ということばを教わります。夏休みの日々が描かれていきますが、あー、こうして人としてのやさしさも身につけて大きくなっていくんだな…、なんて感じてみたり。ストレートな感情表現にも少し温かみが加わったかなと感じる、夏休み明けのこっこちゃんでした。

ひと夏の体験が子供を大きく変える…。子供の好奇心を上手に導く「イマジン」の一言でした。

相手の身に寄り添い、時には心のうちにくぐり入ってみる。心を働かせれば、共感し合えることはもっと多く生まれそうな気がします。
共に笑い、共に悩んで、そして縁ができていくのかもね。他人の事には無関心でいいのかどうか…。




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 無病息災に…

2014年06月27日 | 日々の暮らしの中で



上賀茂神社、二つ目の鳥居をくぐった先の境内に茅の輪が作られていました。旧暦の6月は夏の終わりなので、夏越(なごし)の祓といわれるわけです。残る半年の無病息災を得ようと、この茅の輪を8の字を書くようにくぐります。

      大金をもちて茅の輪をくぐりけり      波多野爽波

「月末に」と冒頭につけてみたくなります。出す人、入った人?? それぞれの事情の人がいたことかと想像します。

梅雨らしくもなく、暑さも中休みで、季節感も中途半端です。
何事も一足飛びには行きません、向こうとこっちを行ったり来たり…。一つひとつクリアーして、あと半年。かつては時間の経過はもっとゆっくりだったはず…。1年の長さは変わらないのですがね。
 


 



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 「怠らで…」

2014年06月25日 | 日々の暮らしの中で

宿根草の立葵、この時季になると毎年群がり咲いています。ムクゲや芙蓉とは少し趣きを異にして、順次上へ上へと直立の姿勢で咲いていく花。

      怠らで咲いて上りしあふひかな   才麿

大和国(奈良県)宇陀郡の人。のちに西鶴門に。芭蕉との親交もあったという江戸前・中期の俳人。「桐の花一しなありし木立哉」も気に入っている好きな一句です。


雨が少なくて賀茂川はアオコがはびこっていました。まだ日も暮れきらない夕つ方、いきなりの勢いある雨音に喜んだものの、ほんのしばらくの降り様で上がってしまいました。降り出す少し前、朝顔に水遣りしておきました。ダブルでここだけは潤いが増し、花が咲きだすには少し間がある状態ですが、明日は大きく蔓も伸び上がっているかもしれません。

姜尚中氏の『心の力』を読んで高野山夏季大学に参加しようと思いました。あの優しい語り口調から、「心の力」と題してどんなお話がうかがえるか期待しています。であるなら、やはり読んでおかなくては失礼でしょ?…と思うので。私としては『悩める力』以来です。

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 「であいもん」

2014年06月19日 | 日々の暮らしの中で

テレビでみたCMです。

イカと里芋を炊き合わせたんが入った小鉢が四つ、家族の食卓に並んでいます。
子供たちは言います。
「おかあさん、イカとおイモが同じとこに入ってる」
「お皿けちったん?」

「二つの材料を合わすと、お互いがますますおいしくなるんや」
お母さんは子供たちにこう答え、そうした組み合わせを「であいもん」というのだと教えていました。

今日は奈良に住む友人と出会えた日。帰りは大阪の京橋駅まで一緒に歩きます。「短い時間ですがおしゃべりするのが楽しみです」と言って下さる。「駅までが近くって、それがちっと残念」と私は答えるのですが、今日は駅でしばらく立ち話をしました。
「どこかへ一緒に行って、(そのことを)keiさんがエッセイに、私が児童文学か童話で作品を書くというのもいいね」と言いだされました。面白い試みだと思ったのと同時に、ここまではっきりと思いを出してくれるのも珍しいと嬉しく感じていました。同じ鍋の中で互いの味をぐつぐつ煮合わすことにはなりませんが、心が弾めば何かが飛び出すかもしれないのを期待します。
「2年ほど前までに、人と出会うのが億劫になった時期があってね…」と打ち明けるように話し出されるので、「言いたくないことは言わなくたっていいんだわ」と制して…。 少しずつ時間をかけてお互いを知っていけばいいので、な~んの問題ありません。

「言うの忘れちゃったんだけど、高野山夏季大学に申し込んだの」とメールが入りました。
「まあまあ嬉しいこと! 私も聞くの忘れちゃってたのよ」 
作品の合評会が終わって、ほっとし過ぎの二人だったのかもしれません。現地で出会えればいいことで、一緒に、とまでは束縛しないようにしようと話し合ってそれぞれで決めたことでした。

「しおりにでも使って」と、返してくれた本に手紙と一緒に添えて下さった。手織りの麻を、奈良にちなんだモチーフや季節の花の形に抜いた「奈良麻絵型」というようです。。






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 しがらみ

2014年06月17日 | 日々の暮らしの中で

「助けて! keiさん!!」

こんなことばをもらったのは初めてのような気がします。
「まあまあ、落ち着いて~」と言うのですが、「もう切れそう」というばかり。「法事の考え方や価値観が違う親戚にふりまわされるのに耐えられない」と興奮ぎみです。もっと具体的に聞かせてもらわなければなんとも返しようがありません。(聞いてもさして変わり映えしませんが)

一軒の家でも、老いた両親が何やら違う宗教に凝りだして、若いモンだけが寺で月参りや法事を勤めている例はあります。価値観の違いってなんでしょうね…。どんな支障が起きているのでしょう。ホトケさんごと、いがみ合いを棄てて集い、仏縁の一日を感謝し合えないものなのでしょうかね…。
M子さんもかちんこちんにならず、いつもと違うスパイスを一味加えてみるくらいに考えれば、変わった価値観が案外いけるかもしれませんよね。

どなたの法事かわかりませんが、長男の夫が飾りものだとお怒りなんです。「夫に代わって私がほかの宗派について調べようと思って」って…。あら~…。「kei さん、宗派はいろいろあるんでしょう?」「そりゃね~」 ほんまに、一体何が問題なのでしょうか…。 
しがらを断つことはできませんわねえ。

楽観的なことしか言わない私のような人間に、愚痴を聞いて欲しいと言ってくるM子さん。たまった胸の内を吐きだして、頭をからっぽにすれば落ち着くのではないでしょうか。

見てください。こんなきれいな花が足元に咲いているんですよ。コモチマンネングサというらしい。小さくてもキラリッ! 笑って、美しく美しくいきましょう、な~んて。
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 「春を背負って」

2014年06月14日 | 映画・観劇

「歳を重ねると人はいろいろなものを背負って生きなければならなくなる。地図もない、案内人もいない道を…。」
「一歩一歩、普通に歩けばいいんだよ」
「徒労」ということばを用い、無駄なように見える一歩一歩の積み重ねが人生なんだ…と言葉にして見せる。

「木村大作監督・撮影」でも話題の映画、映像の美しさはいうまでもありません。エンディングで流れた山崎まさよしさんの主題歌の歌詞。多くはないセリフ。飾らない素朴さに豊潤な温かみを感じて、心がじんとくる。観終わって、ああいい映画だと思いました。

口にしないだけで人は様々な思いや荷を背負って生きているはず。後生大事にしまいこむほどのこともないお荷物は片づけて、勤勉に…、歩いていく道はこれまでつけてきた道の他にはないのだろう。これからを生きていくことに、力づけられるセリフが嬉しい。
それぞれの人にとっての「我が道」を生きていくことには、やはり意味があると思うのです。深い人生の意味を語ってくれている映画だと感じました。

「アナと雪の女王」「青天の霹靂」「ウッドジョブ」、友人がよかったと何度進めてくれても、決して気持ちが向かないまま。今回は公開を待っての久しぶりの映画でした。きっともう一度観に行くと思います。
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 「鹿のことばがきこえてきた」

2014年06月12日 | 日々の暮らしの中で

先月の末に続いて二度目、鹿2頭と出会いました。
烏が森の中からバサバサと飛び出して来た後、何かカサコソと音がしています。左端の木の陰で何か動いたような…、猿でもいるのかと思って見ていますと、鹿でした。よく見るとそのすぐ左手にも。2頭がこちらをじっと見て動きません。残念なことに、カメラを家に置いてきていて、携帯で!と思った時は時すでに遅し。


ウォーキングで通りかかった男性が立ち止まって同じように見上げるものですから、「今ここに鹿が2頭も」と教えたくて仕方ありません。「このへんにたくさんいるんですよ。この頃は子鹿もよく見ますよ。夜はあそこの公園で走り回ってますよ。何を食べているんでしょうね」ですって。「へえ~~! そうなんですか~」新聞報道で知っていたので、やはり、という思いもあったせいか、こんな間の抜けた言葉しか返せません。 
おしゃべりしている間に、鹿は静かに姿を消してしまいました…。背景は比叡山、小さな川が流れ、広々とした鹿の運動場に変わるようです。

偶然にも先日、京都府による野生の鹿の処分に関する話題をテレビで聞いたところでした。
農作物の被害は1億3千万円を超え、これまで19000頭ほどを処分し、多くは山に埋めてきたとのこと。ですが、自然のありがたさ、命の大切さを考え、もっと処分した鹿を有効活用しようと、鹿皮のベストやバッグなどが創られているようです。

宮沢賢治が鹿の声を『鹿踊りのはじまり』の中で「水晶の笛のような声」と表現していること、つい最近教えられました。
天然記念物に指定されている奈良の鹿。鹿のいる日常が市民の誇りとなっている場合とは事情が違って、被害ばかりが報道される京の野生の鹿問題は避けて通れない問題のようです。
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 「顔よき花」

2014年06月11日 | 日々の暮らしの中で

淡いピンクの優しさについ足を止めますが、蔓を絡めた強い生命力が見て取れる花です。

『万葉集』に見られる「かほばな」はヒルガオ説が通説とされていて「顔よき花」からきた名だそうです。確かにかわいらしい花です。

   高円の野辺の容花(かほばな)面影に 見えつつ妹はわすれかねつも    (万 巻8‐1630)  

家持23歳、正妻の大伴坂上大譲に逢いたくてたまらないのです。一日一夜を離れているだけで、なんだってこんなにも嘆き慕うのだろうか。胸が痛んでならない…、と高円山の麓まで出かけて行きます。
「高円の野辺に咲きにおうかお花、この花のように面影がちらついて、あなたは、忘れようにも忘れられない(一体どうしたら忘れることができるのだろう。この苦しい恋というものを)」と歌を贈っています。

昼行燈のようだといったのはどなただったか…。
明るい日差しの中では、はっきりしない、淡くぼんやりした色合いが見る者をけだるくさせるのでしょうか。これがヒルガオの「昼の顔」かもしれません。ぼんやりにはぼんやりなりの魅力あり。なんて言ってると、のんびり開きぱなしにしている可愛い口から何か聞こえてきそうです。一輪の花の声…。

花は天ぷらにしたり、酢を少し入れた熱湯にさっとくぐらせて、サラダや酢の物、澄まし汁に浮かせるなどして食べられる。とは知りませんでした。
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 3年目のがんばりは

2014年06月09日 | HALL家の話

夕食の準備にかかっていた6日の5時半過ぎ。
「今日クロスカントリーだったのね。Jessie何番だったと思う?」とJessieが電話をしてきました。

本来は前のターム(term 学期)で予定されていた行事でしたが、雨で延びに延びて、ようやく6月4日開催が決まった大会でした。
その朝、登校前に電話をしてきたJessie。仕上げは上々らしく、「がんばってね」と電話を切りました。毎日、家の近くにある池の外周を走ってトレーニングしてきた様子です。
「ジェシ、ゴーゴーやるねん」「2ばんちがうねん 1ばん」
心強いTylerの応援もあってはりきっていたでしょうに…、3年生の時になって雨が降り出したとかで、またしてもの延期。そして6日のことでした。


3度目の正直…。でも、「何番だったと思う?」と、この聞きかた。それに、夕刻になっての報告。さては、のがしたかなと直感。
「はじめは1番だったんだけどね、抜かされた」 結果は「2番」と。(後ろを走る黄色のシャツの子に抜かされて)
「惜しかったね。けどよくがんばったよねぇ。2キロも走るなんてすごいよ」
来年こそ! これでいいじゃないのと私は思うのでした。

「おつきさん みえないの」「おつきさん みえないのー」
相手は代わり、電話口でTylerが繰り返すのですが、こちらはまだ外も明るく、お月さんの話がすっと飲み込めずにいました。時差の関係で向こうは午後6時半過ぎ。こちらより進んでいるうえに、「今こっちは冬だから、5時半にはもう真っ暗よ」娘のひと言で納得。
ここでも小さく驚いたのですが、Tylerはお月さんを眺めたりしているのか…、と思ったのでした。どんな顔して空を見上げるのでしょう。

英語も飛び出すし、言葉を面白いように吸収している時期のようです。2歳と9カ月になろうというところです。
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 「小さな記念室」のある町、高月

2014年06月08日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて


刈り入れ前の麦色が辺りを埋め尽くすかと思えば、水田の緑の量も増した米どころの風景を車窓から楽しんで、JR北陸線高月駅で下車。もうここまで来ると、琵琶湖北端の近江塩津に近いのです。
「有名な渡岸寺の十一面観音像をはじめとして、沢山の衆生済渡の仏さまたちが、静かに立たれたり、お坐りになったりしている古い町。琵琶湖を隔てて、遠く比良山系を望める美しい町、高月」(文学碑「聖韻」の詩文に 井上靖著)です。


昨日、30数年ぶりで二回目になりますが、手入れの行き届いた環境に静かにたたずむ渡岸寺(どうがんじ)観音堂を参拝。ここから東へぶらりと歩いたお隣には歴史民俗資料館があります。黒田官兵衛博覧会連携会場・開館三十周年記念で特別展が開催中です。

そのあと、平成5年4月29日にオープンした「井上靖記念室」を伴う町立図書館へ向かいました。『星と祭』(井上靖)に描かれている湖岸の十一面観音像が縁となって完成です。

遺品の品々、『星と祭』の複製原稿、地元民との交流の写真、氏の著書がずらりと並び、書斎を再現したコーナーなどがありと、小さいですが氏と十一面観音との関わりに焦点を置いた部屋になっていました。愛用の背広をマネキンが着ていて、立体感があるためか井上靖さんのそばにいるような気もしたり…。

【当初からこの事業は積極的な指示を得てはいなかった。本なんか読むのは限られたものだけだ、図書館など作っても活用などできるわけないと否定的な意見が多かった。にもかかわらず、背伸びしたものになってはいけないと注意もしつつ、本格的な図書館を作ろうと準備した。
オープン当日は司馬遼太郎さんに記念講演を依頼。弁当や景品をつけなければ人など集まるものかといった声が、職員の中からも上がっていた。ところが、千人収容の小学校体育館がいっぱいになってびっくり。町はじまって以来の大きな式典となってドタバタしているうちに一日が終わってしまった】
資料として置かれていた館長さんが書かれた「小さな記念室から」から、こんな経過が読みとれました。


この日を境に図書館をめぐる空気は一変。本の利用率は初年度から日本一に。
駅周辺にはコンビニの看板ひとつ目に入りません。穏やかな田園風景が広がる地帯、図書館に期待した人たちの熱い思いが計画を支え、利用率を上げているわけでしょう。

氏は小説を上梓後も幾度となく湖北を訪れ、渡岸寺や石道寺(しゃくどうじ)の十一面観音と出会い、それを秘仏として守り続けてきた土地の人たち、観音堂で参詣人の世話をする老人たちとの出会いも重ねられたとか。そして、土地の習俗、信仰として秘仏を守っていくのではなくて、公開し観音さまが本来のお役目を果たされるようにすべきだと熱心に説かれたのだそうです。それが、秘仏公開のきっかけとなったことを知りました。すごいことです~…。

また同じ風景を見て京都駅に戻りました。
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 心通わせて

2014年06月05日 | 日々の暮らしの中で

大阪、奈良、京都、福井から参加者のある中で、適度な距離を保ちながら親しくなりつつある友が一人いる。出会いは昨年の秋だったがこれといって言葉を交わすこともないまま、ようやくこの春先からご縁をいただけた思いだ。

エッセイではない。小説でもない。童話の世界、賢治風を思わせる… だろうか。彼女が書いた原稿用紙12枚の小作品は、不思議な世界へ案内してくれる。読み始めてすぐ感じ出した読点「、」の間合いの心地よさ。
まほろばの国に住んだ彼女の頭はこんなことを考えていたのかと、終始わくわくの連続で読ませていただいた。何を書きたかったのだろう。合評に向けての作品だ。読み返し、私は心をこめてそこに参加しようと思う。そして、彼女にはたっぷりの感想を伝えたい。同時に、私のつたない文章も彼女の批評を待っている。

彼女がこれまでの人生や生活で学んだことをもっともっと聴いてみたい。すべてはこれから、立ち入らず尊重しあって。奈良の地を一緒に歩きながら…、もいいな。

なんとなく陥っていた「なんにもしたくなくなる病」だったが、少しはい上がれたかも。自己再生に彼女の笑顔が力をくれた。
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