京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

立命館大学国際平和ミュージアム

2009年04月29日 | 日々の暮らしの中で
一年前の今日、京都在住の岡部伊都子さんが亡くなった。

「加害の女」と自省し平和の尊さやいのちの重みをつづる。反戦や人権問題にも強く言及した社会派のエッセイストだ。彼女のやわらかな文章が好き。と同時に、心の底に激しさや強さを持ち合わせていることがきっちりと読み取れる、そこがまた一段と好きだ。気高い。

数万点に及ぶ遺品が立命館大学国際平和ミュージアムに寄託された。一周忌を翌日に控えた昨日、開催された「岡部伊都子展」と記念講演に出かけた。館長と岡部さんの娘さんの講演に続き、随筆二作品の朗読の世界に浸る。改めて平和を尊ぶ生き方を見つめさせられた思いがする。

実は昨日は、ライフワークとして森永ヒ素ミルク事件の救済対策委員(長:京都市)を務めた父親を持つ友人と過ごした一日でもあった。岡部さんとほぼ同時代を生きた父親の遺品も、ここに寄贈してあるのだという。“過去の歴史に学び、未来の平和を願って開設された博物館”、ここを出た後、彼女は父親と最後に入ったという名曲喫茶(出町柳駅付近)へと向かった……。

境内の石の鐘。国家総動員法に基き梵鐘は強制的に供出させられた。戦争を忘れさせないために、びくともせず風雨にさらされなお鎮座する。

国家や社会のために個人が貢献する生き方は尊いものだ。一人はみんなのために、社会のために、だろうか。微力を尽くし合う。社会の中で人は育つ、人を育てる。
世の中を動かしているのは人だろうな……。
いつもはゴールデンウイークに組み込まれ連休づくりに貢献してくれるぐらいの思いしかなかった「昭和の日」。珍しくぽちぽちいろんな事が頭に浮かぶ……。

        (大東亞戦梵鐘應召供出記念模造之と刻されてある石の鐘)


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またも空振り・・・

2009年04月27日 | 日々の暮らしの中で
何語なのだろう。隣の席で向かい合ってコーヒーを飲んでいる二人づれは、コール天の茶のジャケット着用が母親で、ブルーの縦縞模様の半袖ブラウス姿が娘だろうか。今日は風も冷たい寒い日だった。京都観光案内の薄い大判の冊子を広げてしゃべっている。

「SAKURA CHERRY BLOSSOM elegance and beauty」の大見出しが見える。満開のさくらの写真が配置され、あいだをびっしり埋める文字はとのぞけば確かに英語だ。けれども話しているのは、フランス語でもドイツ語でもイタリア語でもない。スペイン語の弾んだ早口の感もない。何語だろう。

Where are you from? フレーズを頭で確認し、それとなくやんわりと首をかしげると、母親?と目が合う。ニコッと口角をあげて双方でごあいさつ。二人を見送った。勇気を出すチャンスはまたも失われてしまった。どこから来たんだろう。
ジャミロールとペッパーカルネを食べてコーヒーを飲んだ。しばらくするとムッとしてきた。

京都は全国でも小学校の英語活動の実践ではトップグループを走っていると聞く。国境を超えた関係の時代に生きるこれからの世代にとっては、他国の人と積極的に交流が図れる力が必要になるのは言うまでもないことと思う。ただ、英語がしゃべれたからって国際化できる根拠などあるわけない。日本の文化・歴史……言葉などに関心を持たずして何をコミュニケーションできると言えるだろうか。

小学校からの英語教育も、そうした幅広い教養を身につけさせながら、未来を担うこどもの素地づくりには意味を持つのかと同感している。
Jessieが通い出した幼稚園では9月から導入が始まる。まっ、先のことだが。

     (お宮さんで遊ぶ…)
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婆さまを見習え!

2009年04月25日 | 日々の暮らしの中で
往年の婆さまの張りのある大きな声は、今、すっかり影をひそめてしまっている。
朝、目が覚める。いのちが今日へと続いたこと、何かに生かされているという感覚があるのだろう。代わりに「おかげさんで今日も一日…」が、やたらと聞こえてくるようになった。

婆さまの健康づくりのプログラムは、まずは、好き嫌いなし、自給自足の、ときには自生する菜食を楽しむ「粗・素食」の食生活にあったのだろう。
檀家さんへのお参りだけを生活の糧としていたという婆さまの若かりし頃、肉といえば、―今夜はすき焼きだから窓を閉めよう―と、遠慮がちの中でこっそり舌づつみをうっていたらしい。もっとも、私の知る婆さまは、むろん肉料理も好きだし中華料理などもお気に入りではあった。

そこに昔から絶対に譲らない「早寝早起き」の励行がプラスされるから怖いものなし。
一代、人に頭を下げ続け、ストレスがないはずがないと思うものの、この徹底した自己管理が、見事にいきいきライフを演出してきたと言えそうだ。

そこへゆくと私は不健康ライフそのもの。あら~…
6時間未満の睡眠では肥満になりやすいというデータもあり、お腹ぽっこり、メタボを引き起こす誘因になるそうな。そうなると!睡眠不足は一大事。長期展望のもと、用心せにゃ、このスリムな容姿の維持のためにもなあ。

午前を回る頃にもなって感じる頭の冴えなど錯覚なのだろう。昼間でもさえない頭がなぜ夜中に、ってことだ。誰にも邪魔されない最高の時間帯と感じ、ついついしたいことをあれこれと……。

「年をとるのも初めてなんだから、楽しんでとりなよ」って言うけれど、この言葉を実践するにも早寝早起き。昼間は燃えつつ夜恋し??
これからひと仕事が待っている。 数字とにらめっこしながらPCに向かうことに。
言ってる先から、な~んてことだろう!



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天衣無縫…

2009年04月24日 | JESSICAの日本滞在記

本などを開いたり、書き物をしたりしていると、たいていはJessieがちょっかいを出しに近づいてくる。

こちらの様子をうかがいながら、そおっーと本を取ろうと手を伸ばしてきたり、ページを閉じてしまうという意地悪をしかけてくるのだ。これがまた心憎いほど静かに速やかに実行される。この見事な早技にいつ襲われるかだが、なんて子だと腹も立つ。思わず「こらっ!」と反撃、泣かせてしまうことになる。泣かせるが、姿だけは消える。

「ちょっとペン取ってくれな~い?」
今日は、そう言っておいて姿を消したが、“らくがき帳”をもって現れた。
殴り書きとしか見えないそれも、彼女には意味ありで一人ぶつぶつ言いながら、青いボールペンでお勉強。
「ちょっと忙しいからー、急がないとー。
明日な、Jessieな、学校なん。ざゆうのめい書くの~。」
「ざゆうのめい、“何回もしたらあかんです”」

笑えた!なに、この座右の銘は!体験から学んだ、急展開? 

ことばが豊かになるにつれ、想像力も鍛えられるのか、おしゃべりの内容は様々に飛躍しながら膨らんでいる。思考の深まり示す片鱗か、言葉を必死に探している。内面も豊かになっていくにちがいない。

天真爛漫のおさな心が、笑いを広げる、しかも大きさを増して。笑いはうつる。

本日の初給食は残さず食べられました。持ち帰った容器には、枝豆が3つ。
大好物が出たようでした。


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 初勝利、まあこんなもんでしょう~

2009年04月24日 | JESSICAの日本滞在記
まだまだかわいうぐいすの啼き声がしきりと聞こえてくる。薄曇り、冷たい空気が流れる今朝であった。
「一年」という時の流れの中で、新緑の萌える季節に3歳児が一歩遅れで幼稚園初登園という節目を得た。

「きれいだね~」「う~~ん」、こんなたわいもないやり取りでさえ、幼子とさくらの美しさを感嘆し合える幸せを感じたものだ。
色とりどりの花の盛りにあっては、白い花に、今までは自分の中で眠っていた、眠らせていた?のかとさえ思える自らの思いを重ねていた。しなやかさ・可憐さ・優雅さで、ときには強ささえたたえて、ちゃんと独自の趣で存在を示すその姿には、埋もれることもなく生きていきたいという自分の密かなこだわりを映してみたりしていたのだ。

節目を通し、忘れがちな季節の豊かさ、わかりづらい自分の中で変化する心模様の面白さに気づかせてもらえたりする。山も笑う若葉の生命力には大きな力をもらうことだろう。

Jessieのデビュー戦は初勝利を飾った。
「ジャンジャ~ン、見てや~~」「ほらっ」
目の前の、差し出されたお弁当箱はからっぽ。きれいに残さず、なめた~?なんてことはないか。ちょっとお友達とウロウロっと立ち歩き「早く食べちゃいましょ~」って言われちゃったそうな。まあいいやね、ちょっとお行儀が悪かったにしても、こんなものでしょ。私は何にも、全く気になりません。
「せんせいが、あした、かわいいおようふく」
明日は記念写真を撮るとのこと、ここではたち歩かず、ちゃんと枠内に、とっびっきりの笑顔でおさまってくれることだろう。

人生80パーセント主義を思いながら、上等過ぎるデビュー戦となった。

「明日は、マミーのおやつも持って帰るからちょうだいって先生に言ってくれない?」
「あかんやろー、みんなのがなくなるやろー」って、見事な3歳児。
母娘の会話も、Jessieの完封勝ち!!

                (トキワナズナの花)



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いよいよデビュー

2009年04月22日 | JESSICAの日本滞在記
一昨年末、新築したマイホームに入居したのもつかの間、グレードアップを目的に売りに出し、ただいま新たに建設中。
その間転がり込んだ先が義弟宅なのだが、暮らすに支障はないものの問題発生。夫でさえ鼻をつまむ(どちらかといえば彼はきれい好きだが)という有り様に、我慢の限界は超えているのかもしれない。キ・タ・ナ・イ、散らかり放題……、う~~ん、なんとも言いかねますが……。

で、全く無期限を前提に居座る母と娘。新居完成までいるのかどうか、「完成日なんて全く当てにならない」というからどうなるやら。
あー、Jeaaie、もういっそ日本で暮らすかい?
ってなことも無理ですねー。
それに実は私には、オーストラリアの「教育」を見てみたい好奇心がある。

そんな中、春、四月の新スタートには少し遅れたが我が家にも一つの変化がもたらされる。
いよいよ!明日からJessieは幼稚園デビューだ。親にすれば、入園料は短期ということで免除してもらったが、月謝と教材費(夏休みまで)にプラス手数料なるもので、決してお安くはありませ~ん。
お経の一つも唱え出すだろうか。はてはて、おかしいやら楽しいやら。

  かわいい小さな上履き靴
  かわいいスモック
  かわいいキティちゃんのお弁当箱と水筒と 
  かわいいハンドタオル

何にでも「かわいい」が伴うが、とびっきりの上等さでかわいいのはJessie。

  どんな歌を歌ってくれるかな
  どんなお遊戯の先生役になるのかな
  ごっこ遊びのお相手役に指名されるのかな

 「みなさ~~ん、今度はピザの歌ですよ~
    ♪ ♪ ♪ (独唱がつづき…)
  もっともっと(テンポが)速くなりますよ~~

  みんなー いくよー わかってますか~
      “わかってま~す”(母親の大きな声が返ってくる)」

お友達が欲しいところだ。
「Jessie、先生、おはよ―ございますって言うわー」と言いながら、眠りについた。お休み~、どんな夢を見ているのかなあ~

     (幼稚園をのぞきに行って、作ってきました「こいのぼり」)
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見えるわ~!

2009年04月17日 | 日々の暮らしの中で
めがねが……。

縫い針の穴に糸を通しにくい。糸通し器という便利なものもあるにはあるが、そもそもその先端が針穴に通らないのだから用をなさない。そこで大きく重い拡大鏡を持ち出すことになる。針を持つ手にさらにそれをセットし、糸を持った右手が針穴をねらうという無様な恰好だ。無駄な時間が増え、さすがにこの不愉快な作業の繰り返しに限度を感じるが、これを除けば、夕刻から、特に夜間には、辞書サイズの文字が見にくいという程度で過ごしていける。

「老眼鏡」、このひと癖あるネーミングに「まだまだ」「視力はいいんだから」と遠ざけてきたものの、いよいよそのときはきたらしい。否応なしに年令を意識し始めることになる。
さりげなく取り出してカッコよく身につけましょうなんて、いったい何を繕う必要があろうか年令相応、自意識過剰なだけ。むしろよく頑張ったと言えそうな。だけどだけど……、あ~、これも機能衰退の現象なのかしらん。

見えること見えること。はっきりくっきり。

遠く空を仰ぎ、草や木の緑を見て過ごすのに、この植物園内の公園が少し回り道としても遠くない所にあるのは私にはありがたい。うぐいすが高い木立の中で鳴くその下で、帰宅前の小一時間をベンチに座って本を広げる。眼鏡なしでも充分に活字は追える。

聞いたような声がする。見ると少し前方で大きな荷物を抱えた母子が道路を横断しようとしている。あの二人!甥っ子を連れた友人と一緒に“子供の楽園”に行った帰り道だった。
「何持ってるの?」「公園で遊ぶおもちゃ」だった。
「Jessie、歯ブラシ買うから先に帰ってて―」「は~~い」

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出会いあれば別れが

2009年04月16日 | 日々の暮らしの中で

玄関脇の植え込みに水を遣っている。バケツで雑巾をゆすぎながら大きなガラス窓をふきあげている。遠目からでも一人一生懸命に働く彼女の姿は目に入る。

大抵は急ぎ足で、軽い会釈で朝のあいさつを交わす日が多い。二年ほど利用している校舎の入り口での今朝、彼女は微笑みを越えて、豊かな愛情いっぱい?の気持ちがこもった笑顔をたっぷりと私に向けてくれた。思わず立ち止まり、「おはようございます」
美しい笑顔!きれいな人だな~と、なぜか珍しく意識してしまったが、これが最後の朝となってしまった。

いくつもの仕事を同時進行でテキパキとこなす。上手に家事をこなす知恵も持ち合わせていることだろう。さすが、おばあさん仕込みなのかと想像してみる。
人を迎える入口を美しく整え、気持ちよく過ごせる環境作りに心配る。彼女の人柄は、仕事の内容ではなく、機敏ながらも物腰の柔らかさを感じさせ、人を心地よくさせる術、おもてなしの心さえそこには見え隠れするかのような所作、そして、あの魅力ある笑顔が物語っている。

案外、年齢差を超え慕ってくれた彼女は、午後、子どもの授業参観とその後の役員決めなどが待つ学校へ向かうのだという。顔を見ると「ほっこりする」といってくれたHさん、私もあなたの若さが、柔らかさが好きでした~。
幼いころ、ご両親の仕事が忙しく実家を離れ京都のお婆さんに育てていただいたという。これからは大阪のご両親の仕事を手伝うのだと。

最近よく目が霞んで困ります。寂しくなります……。
いつか友人を誘ってお尋ねします。おいしい焼き鶏を前に話も弾むことでしょうね。
   
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春、揺れる。

2009年04月15日 | 映画・観劇
  

つい先日までの花の季節は夢か幻かと鴨川べりを歩きながら余韻に浸る。
雨上がりの日の光を受け、すでにすっかり若い緑が広がる枝がかすかに揺れている。

子供達が公園で、花の下、思いっきりぶらんこをこぎ空に向かって足先を伸ばしている姿に見るあの躍動感。それとは対照的に、楽しいけれどもどこか気負ったぎこちなさを伴う、不安な感覚を自らの新しい小さな一歩にあって味わっていた。春、きっとたくさんの心がさまざまに揺れてもいることだろう。

一歩づつ丁寧に時を重ねよう。三室戸寺方面散策を約束し別れた友人たちと、二か月余の後の私の報告が明るい言葉で語れるように。雨に咲く紫陽花が美しく心に映えるように。

『レッドクリフ』パートⅡを見てきた。
これまでの歴史を築いてきた過去の人々の活躍の上に、今の私たちの時代があることを思い描いてほしいというかのジョン・ウー監督のメッセージ。
赤壁の戦闘シーンはもちろんかなりの映像だし、策を巡らせる戦いにも息をのむ。
そして人と人との「信」。まこと、誠実…、絶対に裏切らない……
“目に露を結ぶ”。暗闇の中、じんわり湧き上がってくる感情は大げさではなくチョー感動。
今一度見たい。見るつもりです。
ぜひ!どうぞご覧になってみてください。

周瑜と孔明のラストの会話……。

       (踊るJessie、手にはタンバリン…空を見よ!?)         
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アンパンマン

2009年04月15日 | 日々の暮らしの中で
自分も空腹なのに困っている子供達に自分の顔をちぎってあんパンを分け与える。
「アンパンマンとカレーパンマンとぉー、しま(じろう)ちゃんと、しんちゃんとぉー、Jessieはべんきょーするのー」
彼女はアンパンマンから何を感じているのだろう。

自らが傷ついても他人を助ける。またジャムおじさんが新しいのを作ってくれるので、新品の顔と差し替えられるようだが。

物語を読むことも、解釈する人の人生や心によって読み方感じ方が変わる。自分自身を見ることでは同一だとすれば、『源氏物語』も『アンパンマン』も変わりないのだろうか。常に自分の心を発見する、心と向き合うという根底があるのだろう。

感情移入が思いのほか強くなり、ちょっとばかり鼻の付け根が熱くなるとき、急いで隠そう、照れくさい自分はできるならしまっておこうとしてしまう。
他人の喜びや驚きだけではなく、痛みや苦難・悲しみに至るまで我が身のこことして感知できる人間力。我が身のことのように他者を思い苦悩する、そんな姿にまで私の想像力を働かせてくれた『アンパンマン』の威力。

夏日続きにめぐみの雨。雨が大地を十分に潤す一日だった。

「♪愛と勇気…」って歌っているけれど……。

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何かおかしい…

2009年04月13日 | 日々の暮らしの中で
「keiさん…」、そう言うと、前回会ってそう間もないのに、彼女は私の顔の輪郭にそって指を滑らし、「変わりないですね」とあいさつを交わし終えた。

私たちにとっても、触れる、それは必ずしも事実を確かめるための行為だけではないのかもしれない。目を閉じ、触れることを通して人間の想像力が豊かに働き、広がる可能性のある感性はあることだろう。

人間が視覚を通して得る情報量は大きい。その点では視覚障害者は情報障害者とも言われてきているが、読書を楽しむ環境作りに一般企業が参入するようになっても数年にはなる。ユニバーサルデザインに対する需要が増すと見込んでのこと。
大活字本の分野では講談社でも注文に応じ販売をしている。文字の書体も工夫され共同で業界向けに発売されているという。電子書籍を読み上げソフトを使って合成音声で聞けるサービスもある。
点字メニューを会社自らが外部団体に発注して作成しているケースもある。

また、京都工芸繊維大学では、「話し言葉の瞬時点字翻訳機」を本年度内に試作品完成予定で開発に着手している。そして、選挙公報の点字化や演説には手話通訳をと、政治に参加しやすい環境づくりのための研究会が京都で発足もした。

なのに……。
視覚障害者の福祉向上を目指す会議であるにもかかわらず、視覚障害者向けに資料が配布されない。
点字での資料がない。それこそあって当然のもの。どのような言いわけも通じないと思うのに「あるべきであろう」と一言、苦言を呈す代表の言葉をすでに私は何年となく聴き続けている。「ああ、また言ってる」と思われるだろうけれど、とひたすら言い続けている。

情報を共有し合うことなくどうして意味ある関係など築いていけるだろうか。
用意してほしいと伝える願望と、それを受取ってもらうことでのつながり。つなげることで、もっと活性化し対話も進むというもの。絆がなければ対話は存在し得まい。実現不可能なことではないはずだが、不可解なこと。何か、どこかがおかしい。

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娘の新しい顔

2009年04月11日 | 日々の暮らしの中で
武蔵に会うJessieはおしゃれして朝から良い子でございます。
かわいいお弁当を作ってもらって、「ありがと~~う」の声が何と伸びやかなことか。おかず二品ほども持ち寄りらしい。友人達とお花見、その後一泊の予定で滋賀県に向かう。

京都へ入る車の渋滞を横目に、出ていく私たち。
毎年、これ以上他所へ出かけてまでという思いも湧かず、あたりまえに見る地域の風景の中で、さくらの美しさも十分に堪能している。雑誌等での“お花見ランキング”も、お腹一杯の感ありだ。

車中より、帯状にそこだけピンクに色づいている山を見ながら、
「氷河期があった地球で、植物がどこから生え出したんやろ~」
「種子はどこから…」

「アインシュタインの話も聞くのは好きやわ~」
ア・イ・ン・シュ・タ・イ・ン???え~~~っ!?

朝っぱらからこの会話。知らんかったわ~、耳を疑った。
知り尽くしてると思っていた娘に、まだまだ奥があった?ことに、どきっ!娘とはいえ、別人格、自分だけの興味関心があって当然。内容の濃さなど別問題だが、いつの間にそんなこと考える脳になったのやら。

アインシュタインの話ができるように勉強しなくちゃならないのかしら…。自分を励ます能力はまだ残っているようだけれど、いったい何をしたらいいのか……。
そもそも新しく仕込む場所がなさそうだ。「完全を望むと麻痺がくる」って、かってのチャーチル氏の言葉が心強い味方。知らんもんは知らんでいいか~。
「アインシュタイン」、聞いただけで頭痛くなりそうな私だしね。

娘をおろし、ちょっと遊んで帰りました。朝からの重い会話が疲れさせてくれたような気分。
武蔵とおねんねかな?あしたJessieに聞いてみよ~

    
  
  
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一般解を越えて

2009年04月10日 | 日々の暮らしの中で
モンシロチョウのゆくえを目で追ううちに、小さな飛行機雲の先に輝く機体…、本日も青天。昨年より12日早い夏日となった九日。だから、なのだろう、外出先から戻ると、
「ど~お?このぼうし、にあう~~?」Jessieだ。まだ顔も合わさないうちから声だけが届く。はや初夏の装いで、買ってもらった帽子とサンダルを身につけている。誰かモデルにスカウトして~。冬から春、そしてさらに季節は移ろうなかすくすくと成長の姫。

全く対照的な人物を思い出している。昨年秋、「奇想の編集者」、明治・大正・昭和を駆け抜けたジャーナリスト宮本外骨を紹介する企画展が、京都の思文閣美術館であった。

亀四郎改め「外骨」。亀は骨を外にし肉を内にする、と記した中国の辞典を読み、18歳での、反骨ゆえの改名だという。
「筆禍による入獄4回、罰金15回、発禁処分14回」
パロディ精神で時の権力を痛烈に笑い飛ばし、徹底的に批判する。
「過激にして愛嬌あり」がモットー。
…小気味よい。

時代を今に戻して―
単一(同一)の論点からは見えにくい部分を、違った読み筋で切り開いてもらう。
一般解を越えるところで、事実を掘り起こし提供してくれる。
視野の狭い私にとっては、単なる情報提供でとどまらない次元で、関心や興味を呼び起こされる。気づかされることが多い。

打ちのめしてしまう?ほどの強さがあるくせに、とてもやわらかい。
ちょっとした弱さも、愛らしさもこぼれてくる。
まぶしすぎることもなく、昨夜の輝く月のようにウキウキした心にもさせる。
“過激にして愛嬌あり“、のあなた。
どう社会を人間を見るか、そんな目を養うのを手伝ってくれている。感謝。

これって新聞の担う一面でもありますか。

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水魚の交わりの期待…

2009年04月08日 | 日々の暮らしの中で
―事を始めるなら午前よりも午後。交渉に成果―(「易八大のきょうの運勢」)
いつもはほとんど気に掛けることもない“運勢”に、う~ん、まずまずね、とひとり得心。余裕をもって見た目を整え、時間を過ごすはずだった。

ちょっとそこまでの買い物で思わぬハプニングが生じ、時間を浪費してしまった。
初日、初対面同士、あの独特の雰囲気に慣れておこうというだけの時間設定だが、電車の時間が迫っていた。着替えながら口を動かし、駅まで小走り、不可能を可能にする根性発揮で滑り込めた。

思い出したくもない最大の失敗日、7月25日。焦りがすべてを狂わせた、京都での地方公務員採用試験日当日は会場への飛び込みとなった。教室の窓側から2列目の最後列の机が指定席。理数の問題(一般教養)を前に、頭は真っ白。7年近くもそういった問題とは縁がなく、一夜漬けではとても無理。人生の計画を台無しにした日となってしまって、失敗に理由をつけることで自分の気持ちを軽くさせてきたものだ。
当日のドタバタは二度と繰り返すまいと誓った、はるか昔があったのだが。

明日のことは置いておこう……、と昨晩は『レッドクリフⅠ』をDVDで鑑賞。
赤壁の戦い、これまた漢文で習った興味ある時代の人間模様。たっぷり楽しんだ。

来週、友人とパートⅡを見、ランチの予定。11月には梅田芸術劇場で「劇団☆新幹線」の観劇まで予定を組んでくれちゃって……、でも、あまりに先のことで実感もない。
「水魚の交わり」とは言いかねるが、演劇通の彼女は私にとって良き師ではある。

余裕、よゆう~~
ここにわずかな緊張感をプラスすれば私流、のはず。
いい感じでスタート。
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不才でも励めば…と

2009年04月07日 | 日々の暮らしの中で
 

「やってみなはれ」
青いバラを咲かせたサントリーの創業者が生涯言い続けた言葉だった。

いつもは心の奥にしまっておいて、何かしら一歩を踏み出す時、楽しさと不安を両面から支え背中を押してくれるこの言葉。
自分の興味・関心の世界では発展的に自分の居場所も広げてきている。今回、少し異なった分野なのだが、学んでみたい、やってみたい!と思うや、案外素早く行動に移せる勇気を持ち合わせていた。身のほど知らず、外へ出たがりなだけなのかもしれないが。

【才不才は生まれつきのことであるから、人の力ではどうしようもない。しかし大抵は、不才の人といっても怠らずに努力し続けさえすれば、それなりの功はある。
学び方には、そう深くこだわる必要のないものだ。結局のところ、学問においては長い年月、いやになることなく励み努めることが肝要だ。】というようなことを、本居宣長さんも言っている。
不才でも努力次第ということであれば、私にもできるだろう。

ピカピカの一年生があふれだしている学生の街。
年齢や始める時期にもとらわれず、豊かな時間を楽しみたい。
経験をいくらかでも積んでいる、年の功、これだって味方につけられるのだから。
さあ、明日だな。

Jessieさえ「べんきょーし(す)る」「Jessieのコンピューターとって」とのたまう。
負けちゃいられませんわね、3歳児に。

   (写真は烏丸今出川にある同志社大学、御苑内で遊んだ帰りにいっぷく)
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