京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

緊張とわくわく感と

2024年02月27日 | 日々の暮らしの中で

霙に驚かされ、霰が降りしきる中を滋賀県の大津市まで車で向かった。

久しぶりにプライベート点訳に関わることにした。
依頼の絵本を手打ちすることに。

パソコン点訳では、左から右へ、6点を使っての入力に指が自然と動いてくれるという部分はあるが、手打ちとなると、入力する点の位置が真逆になる。間違いを極力減らしてきれいな仕上がりにしようと思えば、久しぶりのこと、よほど慎重に意識を集中させなくてはならないだろうなあ。


点字器と点筆を取り出した。タックシールをはさんで…。

読むには凸面を左から右へと蝕読していくので、「あ」の文字は1の点が打たれて「あ」と読めるわけです。
手打ちの場合は、シールの裏面から打つので、凸面の状態にするには右から左へ、点を打つ場所も「あ」は1の点ではなく4の点を打つのです。

 凸面(読む面)

                                   
待ち人のお顔を思い浮かべ、まず丁寧に! 楽しんで仕上げようっと。
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親子の関係

2024年02月25日 | こんな本も読んでみた

自分で自分の人生を選ぶことができない。
選択肢のない人生の辛さを知る父親二人は、子供には苦労させたくない、自由に生きてほしいと一方的に思いを架ける。
家族とはいっても、人はいろいろな価値観や感情で生きているのに。

子供の意思を奪うことになったり、双方が思いを言葉にしないために、情に薄く冷たい人間だと父への理解も進まず、親子関係はこじれてしまっている。
とは言っても、親が子を思う、それぞれの事実の中には普遍性があって、真実と思えるものがある。



家族の解体や再生への希望が表から裏から、丁寧にすくい上げられる。
人間同士の関係はほんと厄介だ。人間関係がなければ、なんの苦労もないのだろうが・・・。それじゃあ人生は空白だ、という思いに納得する。
人と人との関係も、南部鉄器のように多くの工程をたどり、繊細な、シンプルで強い模様がデザインされていけたらいい。

「辛い思いをしたあなただからこそ、誰かのためにできることがきっとある」
補導委託を受けたことで、人間関係が浮き彫りになって、糸がほぐれていくラストは心地よく、あたたかだった。

折に触れての岩木岩手山の描写。チャグチャグ馬コの行列に少年春斗が見せる笑顔。印象深いシーンだった。



固かった紫陽花の冬芽がほころび始めた。

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ちいさいちいさい顔

2024年02月22日 | 日々の暮らしの中で
なかなかですねー。
我が家のご老体はいたってマイペース。


明日、お講を炊くというので午後から当番組の80代の女性3人と一緒に、お汁の具材を切ったり、本堂に長机と座布団を並べたり、適当に石油ストーブを配置したりと準備にあたりました。もう、火鉢はごめんしてもらいます。

明日の昼どきに間に合うように再度お当番さん5人が集合し、おくどさんでお汁を炊くのです。尼講さんたちがやってきます。白米は各自が家から持参。お漬物、お豆さんなどを添えて、午後のひとときを過ごします。
もちろん住職の読経に、ちょっとした話を交え、御膳を囲みます。

毎回こうした質素なお膳ですが、お汁は申し分なくおいしくいただけますよ。
まあまあのお天気になりそうです。


梅が香やどなたが来ても欠け茶碗


「お茶碗あげよか」
なんて言わないで。
湯呑み茶碗も、今日ちゃんと準備済み。 一茶さんのところです。

今日のガンバリに、1輪、2輪、咲きました。
「ちひさいちひさい顔の白梅」

                              ああうれし。
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左手から右手に

2024年02月20日 | 日々の暮らしの中で
藤原緋沙子さんに続いて柚月裕子さんの作品を手にした。名前を知ったのは、というか意識のどこかに収まったのは『慈雨』あたりからだったと思っている。ただ、警察小説とだけ作風をとらえていたので手を出さなかった。
   今回ブログを通じてこの機会をいただけることになって、感謝です。


岩手県で南部鉄器工房を営む父と息子のところに、盛岡家庭裁判所から調査員がやってきた。息子は、父がひと月ほど前から勝手に〈補導委託〉の引き受け話を進めていたことを知る。
〈補導委託〉とは、罪を犯した少年を受託者(施設や事業の経営者)が一定期間預かる制度で、父はその委託を受けるということだった。少年は住み込んで指導を受けながら更生に取り組む。


【父の思いもよらない行動に戸惑う悟。納得いかぬまま迎え入れることになった少年と工房で共に働き、同じ屋根の下で暮らすうちに、悟の心にも少しずつ変化が訪れて…】と帯裏に。
【落涙の家族小説】という言葉も見える。

人の一生は決して見通せない。定まったものなど何一つないのだ。日々の積み重ねで、どのようにも変わり、いかようにも変えられる。行く先々に選択肢はある。
「人の定めは人の力で変えられます。必ず、ね」

弥勒シリーズ(あさのあつこ)で描かれる清さんの言葉を思いだしながら、少年春斗の行く末は、父と息子の関係はと思いがとぶ。


「紙の本だけにあるもの。それは束(つか)である。束とは本の分厚さのこと。
本の重心が左手から右手に移動していくにつれ、本の中に封じ込められていたものが立ち上がる。それは主人公と彼が生きた時代、それを書いた著者の時間軸である。これを得ることが読書の楽しさであり、ネット情報との違い。…」
福岡伸一氏が何かで書いていた。

まだ左手に全重さがかかるほどで、序の口を読みだしたばかりだが、作品の中の言葉に促され、記憶をたどり返すことがあるだろう。琴線に触れれば、感動が生まれるというものだ。
読み進むにつれて、そこに生きる人間の成長譚は立ち上がるだろうか。
私自身の人生を手繰り寄せて、読み進めよう。


このこけし型をしたのは南部鉄器の製品で、夫が修学旅行の引率で東北、北海道を訪れた折の土産品。文鎮として今も愛用している。量ってみたら一つ135グラムあった。

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どっちにいたって夢の中

2024年02月18日 | 日々の暮らしの中で
2日、3日と遅くなるのに気づいていた。結局、よし!と気持ちを入れたのは(来年飾れる保証はないしな…)という思いだった。
緋毛氈を広げると、お内仏の部屋は華やかな座敷に一変する。桐の箱から一体ごと取り出して、お顔を包んでおいた薄紙を取り外す。


        箱を出て初雛のまゝ照りたまふ       渡辺水巴

何度こうした瞬間を味わい、喜ばせてもらって来たことか。やっぱり飾れてよかった。
「きれいやなあ、きれいやなあ。お父さんたちに見せたいなあ」と、飾り付ける脇に来てはそう口にしていた義母。飾り台の後方で、写真の義母が笑っている。


2015年3月9日付けの、ハルノ宵子さんの「3.16のお雛様」と題した短いエッセイの切り抜きが残されていた。この3年前の2012年に、父親の吉本隆明氏は亡くなられた。

吉本家では、思う存分〈現世〉にいていただこうと3月いっぱいはお雛さまを飾っていたそうだ。隆明氏が入院中も、例年通り、氏が寝所としていた和室の客間に飾ったという。
隆明氏が旅立ったのは3月16日。
病院から連れ帰り、まだお雛様が飾ってある客間に布団を敷いて寝かせた。やって来た葬儀社の人からは片づけを促されたが、それを断って、
【赤のお雛さまと白いお花に囲まれ、実に愛でたいお通夜となった】と書いてある。

もともと夢とうつつの境界が曖昧なところがあった、と父親をみるハルノ宵子さん。
12分の11カ月ほどを暗闇に閉ざされて過ごすお雛様も、「現世こそが夢」
「いいんじゃないの。私たちはどちら側にいたって夢の中なんだから」と、隆明氏の帰りを待っていたお雛様は微笑んでいたらしい。



闇を照らすのは、ぼんやりと明るいぼんぼりのほのかな光。
真の強さを内に秘めて、表はきよらに、ほのかに、雛は揃う。
王朝の雅。春の夜の夢は、おぼろにつつんで…。 宵子さんさすが。
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赤色浄土

2024年02月16日 | こんな本も読んでみた
赤地にこの「絵師金蔵赤色浄土」の文字。「赤色浄土」の文字は、かなりのインパクトをもって飛び込んできた。
棚から引き抜いて、この装幀に目を見張った。
なんの情報も持たない初めて読む作家だが、これは出会いだった。


【幕末の動乱は土佐国も大きなうねりで吞み込んだ。様々な思想と身分の差から生じる軋轢は、人々の命を奪っていった。金蔵はそんな時代に貧しい髪結いの家に生まれた。類まれなる絵の才能を認められ、江戸で狩野派に学び「林洞意美高」の名を授かり凱旋。国元絵師となる。
しかし、時代は金蔵を翻弄する。人々に「絵金」と親しまれながらも、冤罪による投獄、弟子の武市半平太の切腹、そして、土佐を襲う大地震…。
金蔵は絵師として人々の幸せをいかに描くかに懊悩する。やがて、絵金が辿り着いた平和を願う究極の表現とは…。】 (帯裏に)


「知で血を洗う出来事は、血をもって浄化するしかない。死んでいった者、今生きて不安を抱えている者たちの魂をおさめたい」

人間の喜怒哀楽の感情を文章によって丁寧に紡ぐ。その描写が人間を立ち上げるのだろう。
絵画では、苦悩、怒り、喜び、哀しみをどう描けば訴える力を持つか。金蔵の「仰天するような構図、強烈な色彩」は、すさまじさあふれるものだった。



江戸では、浮世絵師、川鍋暁斎が人気を得ていた。彼の名が2回ほど作品中に出てきた。暁斎の娘とよ(暁翠)を主人公にした『星落ちて、なお』(澤田瞳子)がある。ここへ流れようかと迷ったけれど、今日の書店行きには目的があった。

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トイレに一輪、台所に一輪

2024年02月14日 | 日々の暮らしの中で
〈春風はすべてをほころばせようとする風だといいます〉 
こんな心地よい言葉をどこかで目にしていたけれど、春一番の訪れもないまま初夏のごとき陽気になった。


すべての葉を落とした落葉樹の枝ぶりの、きっぱりとした美しさを見るのもいいものだ、などと昨年12月も半ばごろ、川べりを歩きながら孫娘に話したところ、なんとまあ一直線に「嫌い」と返ってきたことがあった。(おい、おい! 嫌いといってしまえばあとが続かないよ) どんよりと暗い京の冬は好まないのかしら。



〈12月末から咲き始めた水仙が、春めいてきた今は庭中に、まっ白に咲いている〉と82歳の女性が書いていた。
ほのかに漂う甘い香り。
〈トイレに一輪、台所に一輪、そして仏壇にも一輪〉。
つつましさ、ひそやかさ。素朴さ。小さな自然がそこにあるのがいい。
絶やすことなく楽しまれる暮らしぶりがうかがえる投稿文だった。ひと重咲きの野水仙だろう。

〈トイレに一輪、台所に一輪、仏壇に一輪〉
花の香を召しませと、誰かを思い、なにかを思って、私も真似たい一輪の仏前供花。

早く咲いておくれ。
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祝い事のような気持ちで

2024年02月12日 | 日々の暮らしの中で
昨日2月11日は私の二番目の弟が誕生した日だったが、わずか55年間のこの世暮らしで世を去ってしまって久しい。
12月。彼の家のカレンダーにあった下旬の〈原稿閉め切り〉のメモ書きは、メモのまま残された。
誕生日だったな、と思うだけで何をするでもない。

関西に出張で来たという帰りには我が家に立ち寄ることもあり、夫との文学談議に熱が入った。
いつも弟にはお酒が入った。その相手をしながら、私は横で二人の話を聞いていた。

【アニメや少女漫画、プロレスなどの話題に「ほうほう」と聞き入り、にこにこ笑いながら「啓蒙されました」とおっしゃる。それでいて、物事の本質はわしづかみにする】、
そんな吉本隆明氏だったと大塚英二氏が書くのを読んだこともあったが、
「ほうほう」「うんうん」にこにこ笑って、相手の話を聞いて、まあ心の内ではどう解釈しているのかはわからなかったが、似たような部分もあったなと思い出す。


弟の書棚には、むのたけじ、福島泰樹、高橋和巳、吉本隆明さんといった方々の著書が並んでいた。その影響を受けて、私も彼らの書をほんの少しかじった。少しずつの食い荒らしみたいなかじり方で、読んだというだけの浅い読みを少し。

偶然にも今日の朝刊に、吉本隆明さんの素顔を長女・ハルノ宵子さんが綴った『隆明だもの』の紹介が載っていた。


吉本隆明全集が今も刊行中だが、その内容見本に推薦文を寄せて糸井重里氏が書いている。
【…全集を買って揃えてまるごと読むということも、あんまりないと思います。しなくて普通なんじゃないかとも思います。(読む読まないを越えて)「まるごと知りたいと思わせる人」なので、僕は「全集」が揃う日を祝い事のような気持ちで待っている】と。

全集はともかく、また、まるごと知りたいかどうかも置いといて、そして、私が読んだからといって弟が喜ぶとも思えないのだけど、これまたほんの少し気持ちが動いた。

ちなみに、次女のばななさんも〈父と全集〉と題して、全集発刊の運びになったことを「死に物狂いで作ってくれているよ、やっぱり出るよ」という言葉で父に届けている。【晩年ぼけて仕事が思うようにできなくなっても、出せたら本当に嬉しいと弱弱しい笑顔で言っていた】という。不況下で全集を出そうという出版社はなかったのだ。

素顔。家族だからってすべてがわかるわけじゃない。けど、ここはひとつ糸井氏の言葉に倣い、「祝い事のような気持ち」で買ってみようか。

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そんなもんあるかいな

2024年02月10日 | 日々の暮らしの中で
寺子屋エッセイサロン、老若男女の文章仲間が集いました。
三連休ですので、顔だけでも見せてくれた若い子たちの参加は嬉しいことです。
車で送ってもらったという中学生が、川柳だと言って披露していました。

〈おばあちゃん何になりたい孫が聞く〉

「そんなもんあるかいな」
思わず一座は笑いました。

まさに「そんなもんあるかいな」。
私も聞くたびに、この一瞬の間をはさんでクスッとしています。
これ、ラジオから聞こえてくるCM京都銀行川柳劇場の1句なのです。一度聞いたら忘れない。
開始前、膝を寄せあい、お茶をいただきながらのくつろいだひとときも、活気があります。

冬の朝、水と柄杓を入れたままのバケツがそっくり凍っていたのを発見し、句にした小学生がいました。ジュニア俳句の先生は、
「冬の大発見。自然の魔術です」
「驚いた声で音読するといいですよ。俳句は声の文学でもあるのです」と言われてました
ー という話題にも発展。 私も地元紙で読んでいました。
俳句は声の文学でしたか。
(新聞はよく読んでおこう)と思ったのでした。


先日通りかかった畑では、3畝ある真ん中一列にずらっとネギが栽培されていた(写真はネットより拝借)。出荷してるのだろうと思うほどの一畝。
夕飯の支度をしながら、思い出したのは書家の榊莫山さんの「ネギは畑の哲学者やと思う」という言葉だった。

「真っすぐ天に向かってんのよな。周囲の野菜は花を咲かせたり、横に葉を広げたりするかもしれんけどな。わしは知らんと。無駄がない。こういうふううに生きられたらええよなあ」

ネギの句…、〈ねぎ白く洗ひたてたる寒さかな〉ぐらいしか出てきませんなあ…。
どんな調子で音読したらいいのやら。


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カムイのうた

2024年02月08日 | 映画・観劇
「『アイヌ神謡集』の著者、知里幸恵をモデルにした映画「カムイのうた」の製作が7月から始まった」



ここにある7月とは2022年の7月のこと。 - 北海道東川町が企画し、ふるさと納税で支援を募り、翌年秋には完成予定、などとある切り抜きを、まあご丁寧に保存していたというわけ。
ようやくこの2日から映画の公開が始まった。



【アイヌの昔話やアイヌの神様たちの話「カムイ・ユカㇻ」を祖母からいっぱい聞かせてもらった。自分の民族の誇りをこれだけ持つことができるようになったのも祖母のおかげだ】と菅野茂さん(『アイヌの碑』)。

【ユーカラ、昔から伝わる数多くの話は、主人公が人か英雄か女か、また、語る内容、目的、形式などで分けると何種類にもなり、それぞれが地域ごとに特色を持っている】とあった(『アイヌの世界に生きる』茅辺かのう)。

菅野氏の著書には、シャモの多い学校に通って苛められ、罪人にされ、差別的な言葉を浴びせられ、強制労働に従事させられ、アイヌ語の言葉を禁じられ、同化政策を押しつけられ…。アイヌ民族が歩んできた悲しい歴史も詰まっている。


「大正6年、学業優秀な北里テルはアイヌとして初めて女子職業学校に入学するが、理不尽な差別といじめに遭う。ある日、アイヌ語研究の第一人者である東京の兼田教授が、テルの叔母イヌイェマツのもとへアイヌの叙事詩ユーカラを聞きに来る。テルは教授の強い勧めでユーカラを文字にして残すことに着手し、その日本語訳の素晴らしさから、東京で本格的に活動することに。」
アイヌ民族が口承で伝えてきた叙事詩ユーカラを「神謡集」としてまとめ、工夫を凝らした日本語訳をしたテル。
1903年に生まれたテル(幸恵)は19歳の若さで亡くなった。

こうした類の本をちょろっと読んではみるが、アイヌ語の一つも覚えられない。それでも、こうして生きた人たちがいたのだ…と感慨をいだく。人間として非道な姿を見せつけられれば、不快極まりない思いがわく。決して今現在と隔絶した話ではないのであって、自分にもきっとそうした排他的な部分はあるだろうと顧みるし、反省につながりもする。

「この150年、あるいはそれ以上前からの、アイヌの辛かったことや楽しかったことが、すべて凝縮されてこの映画が出来ると思っています」
と何かに書かれていた。
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明日は解体キングダムを

2024年02月06日 | 日々の暮らしの中で
「人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った。塔の名を瑠璃光寺五重塔という。」


こう書き出される『見残しの塔 周防国五重塔縁起』は、久木綾子さん89歳での作家デビュー作。取材・構想に14年、執筆に4年をかけたことなど、出版当初から話題になったようだ。
私がどういう経緯で手に取ったのかは今思い出せないのだが。

実は先日、何気なく目にしていたNHKのテレビ画面で、7日の「解体キングダム」という番組の1分もない?予告に目が留まった。解体修理でもしているような画面に、〈瑠璃光寺〉の文字も見つけた。令和の大修理でも進行中なのかしら。まだ目にしたことのない五重塔だけれど、これは見逃したくないと意識したのだった。

で、取り出した文庫本。ここには当時ネットから得た書評のコピーを挟み込んである。
〈村人たちが待ちに待った、椎葉ゆかりの本がついに世に出た)とある。
〈椎葉・十根川神社の宮司の次男として生まれた左右近(さうちか)が大工見習いから修行を積んで副棟梁になって、周防国瑠璃光寺の五重塔を建築するまでの数奇な運命をたどる物語である。〉
〈椎葉の血が流れている瑠璃光寺五重塔〉といった表現もあり、馴染み深い地名や方言の駆使を喜ぶ弾んだ胸の内、郷土人の誇りがにじんでいる。


「長い年月、塔を建てるために周防山口に参集した人たちがいた。膨大な量の木材を削り、部材を作り、百尺の塔をその手で組み上げた番匠たち。それを支えた数多の職人たち」
「彼らは、塔が、今日まで六百年近くも立ち続けると思っていただろうか。」

大正4年に解体再建工事が行なわれたとのことで、このとき墨書した巻斗(まきと・肘木の上にある小さい升形)が発見されて、年号、月日、時刻が明記されていたことから塔の建立時期が判明したのだそうな。ただ、「此のふでぬし弐七」とだけあって、名前はなかったと書いている。
誰が、何のために・・・。 

この最初の部分に触れるだけでも引き込まれずにはいられない。…でしょ?


私にはタカラモノのようなこの2冊。

明日は絶対に忘れずに〈解体キングダム〉を見るのだわ。

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春立つ日を前にして

2024年02月03日 | こんな本も読んでみた

梅は春一番に咲く花ですが、まだ春ではないのに「年の内の雲間」に「春待たでほほ笑む」白梅を今日、よそさんの玄関先にながめました。
「年のうち」というも「今宵ばかり」の今年。年が明ければ春です。(…と、冷泉貴美子さんの「四季の言の葉」を参考に)


母親の婚約者に家から閉め出されて、夜の公園で本を読んでいた8歳の律。姉の理佐は高校を卒業し短大に合格したのに、入学のための費用を婚約者のために母親は使ってしまっていた。理佐は妹を連れて独立を考えた。


蕎麦屋さんで働くことになり、そば粉を挽く水車小屋にはネネという名の鳥・ヨウムがいた。
「仕事をして、ネネの世話をして、周りの人や知り合った人々に親切にして」、二人は暮らしてきた。
姉は18歳から、28、38、48、58と齢を重ね、妹の律も8歳、18歳、38、…と齢を重ねていく。極めて長編の物語は新聞に連載されたものを加筆修正したとあった。

「自分は…これまで出会ったあらゆる人々の良心で出来上がっている」

「二人の生活が心配でたまらないけれど、なんとか暮らしを立ち行かせようとしているのを見て、自分がその手助けをできるんだと思った時に、私なんかの助けは誰もいらないだろうと思うことをやめたんですよ」
8歳だった律を受け持った藤沢先生は62歳になっていて、48の律に話した。

自分が生きることが他人が生きることと結び合っているから生きることが楽しくなる、と言われたのは、むのたけじさんだったと思う。
そうそう!と、〈パドマの誓い〉とされていた好きな言葉が浮かぶ。
   原石のごとく
   比べようのない輝きを有す あらゆるいのち。
   それらのいのちは相互に照らし合って 
   自己を知り、 
   より深い輝きを放つ。

『水車小屋のネネ』。さまざまな感情を体験させられて、何度も鼻の奥がじーんと詰まって、涙になるのだった。
人が人の〈善意〉という部分をわかり合っている。だから、あたたかくもしみじみとした読後感なのだろう。

冬の終りに、心温めた。
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春はほのかに温かく

2024年02月01日 | 日々の暮らしの中で

冬の終りに水仙の香りも身近にあってほしいと思うところだけれど、開花はまだ少し先のようだ。だから安野光雅氏の水仙の絵をみて、清らかな香り高い花を目と鼻で?想像。言うなら未生の美を楽しむってところかしら。


細かなところは忘れたが開高健が、訪れた越前の宿での女将さんの話を書いていた。
「5月5日は菖蒲湯ですが、このあたりではこの時季に水仙風呂に入ります」
開高氏のために用意しようという話で、茎も花もちょっとした香り漂うものらしかった。
越前海岸に咲く水仙を分けていただいて、京阪電車に揺られて帰宅したことがあった。あの時、芳香は車内でも揺れ漂っていたかもしれない。


あいかわらず梅はじーっと時季を待つ。
〈春は香りを燻す埋火のようにほのかに温かく、いい香りのするもののようです〉と長谷川櫂氏の言葉の香りも高い。

今日、2月1日。春を待つ。


18歳になった永徳が、京の狭い辻を心浮き立って足早に進んでいく姿で登場して物語『花鳥の夢』は始まるのです。このとき彼の心をつかんでいたのは緋蓮雀(ヒレンジャク)でした。

【緋蓮雀は冬鳥で、京の周辺では春先にしか姿を見せない。冠をかぶった勇ましい姿をしている。たいていは百羽ほどの群れをなして木の枝にとまり、実をついばんでいる】などと文中説明がありますが、、見たことがありません。

緋蓮雀の「緋」は、「緋色」の緋。緋という文字で飾られる鳥って…。
それがなんとまあ、このタイミングでブログを通じて拝見することがかなったわけです。こいつぁ~、春から(冬の終りに)なんとやらです。

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