京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

収穫を問うなかれ

2022年01月31日 | HALL家の話

予定通りに休校措置が解除されれば、来週7日からいよいよ新年度の学校が始まる。
5歳児ルーカスはプレップに入学。兄とお揃いの制服があり、靴も黒の指定で揃えたといい、写真を送ってくれた。Photo by Tyler。兄による撮影に表情も和んで柔らかい。

なのに、「幼稚園メンドイ」なんていうのはどういう意味? たまに聞かされるけれど。
長い休暇を家族でたっぷり楽しんで、いろいろな体験をしたはずだ。海に山に川に遊び、カラオケデビューもして…。

《種は、不思議が詰まったカプセル》 これは何かの標語だったと思う。種は見えないところで芽を出して、根を伸ばし養分を貯え、ゆっくりゆっくり時間をかけて成長していく。人もそうだろう。好きなように根を張って、明日どんな花を咲かせるか…。目前の「収穫を問うなかれ」だった。

ビデオ電話をかけてきたが、そう毎日話すこともなく間が持てない。「またあとでかけようか」「うん、そうしよ」「じゃあな」「じゃあね」
えっ!? ルーカス、「じゃあな」って言った!
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西の空が明るんで

2022年01月30日 | 日々の暮らしの中で

神社の階段下に、両の手に持ったスティックを支えにして腰を伸ばし、上を見上げる高齢の女性が立っていた。近づくと笑顔を浮かべていて、深い会釈をしてくれる。「こんにちは」と腰をかがめて、笑顔で返した。
「きれいに咲いてはります」と言って、また腰を伸ばす。「よう上がらしまへん」ので、いつも階段下から眺めているのだと言われた。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と言葉が返ることの気持ちの安らぎ。同じだろう。「きれいだ」と言う思いに相づちをうってもらえる交感に、そこはかとなく心はふっくり、満たされる。それが何ごともない一日の喜びにさえなる。

私は神に祈ることはしないが手を合わす。
西の空が明るんだ。雲のあわさいから漏れた夕日が「大」の斜面を染めた。


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ドラえもんの好きなやつ

2022年01月28日 | 日々の暮らしの中で
「ドラえもんの好きなやつやぁ~」
出ました出ました、この一言。ドラえもん大好きなLukas。「どらやき」がうまく言えなくて、彼には「ドラえもんの好きなやつ」だった「どら焼き」。


絵葉書を認めて、結局3枚を同封して送った。届いたことをJessieが写真とスタンプで知らせてきた。2週間ほどかかっている。
絵を見るなり、「ドラえもんの好きなやつやぁ~」が飛び出したという。単純で率直な、期待通りでもあった言葉で反応してくれた。
Tylerの大福も、和と笑いを共有して和やかな大大福になってくれたと思いたい。「よし、次は…」と新たな思いがムクムク。

〈最後とは知らぬ最後が過ぎてゆくその連続と思う子育て〉と俵万智さんが詠う。
離れているが頻繁にLINEで、ビデオ通話でつながっている。これといって用もないまま、お喋りや画像をいじって遊ぶ彼らと“つきあう”時間を過ごす夜も多い。若く幼い子供たちとのこんな時間も、共に限りある時間と思いなおせば惜しまれることだ。


  たのしみは一つの画面に顔ならべなにがなんだか聞き取れぬ時

朝から五目豆を炊いた。  
  たのしみはつねに好める五目豆うまく煮たてゝ食せける時
焼き豆腐を五目豆にかえて、橘曙に倣ってみた。
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学びがいっぱい

2022年01月26日 | 日々の暮らしの中で
洗濯物を外に出して乾き具合もよく、日差しのぬくもり度は大。春の如し、とはいかずとも、その兆しを感じる日だった。午前中は書き物、午後はメモを携え四条通りに面した大垣書店(京都本店)に行く。先日、八条のイオンモール内にある店で下見だけして帰ったので、購入を決めていた。

友人と落ち合って近況の交換。そして、半額出し合うことで成立、二人でこんな本を買ってみた。小川榮太郎著『作家の値うち』。

現役作家100人、主要505作品を、文芸評論家が100点満点で採点している。
「何よりも呆れるのは、そもそも小説としての水準に達していない作品が軒並み権威ある賞を受賞していること」「名を関した賞を安物扱い」などという言葉がある。

『ゴサインタン 神の座』『女たちのジハード』『砂漠の船』『第4の神話』『冬の光』…、これだけ読んでいるのだから私なりの興味を持ったはず。
【筆力は卓越している。なのに小説の設定や構想は文学的リアリティがなさ過ぎて、受け入れがたい。行動の条理を余りにも踏み外した不思議な人間が -脇役を含めて - いつも作品を占める。作品そのものの不条理。それなのに文章は書けている。現代文壇の七不思議】と評す。
娘が読みたくないという理由がわかったような気がした。ずいぶん前だが数冊、不思議な世界観がある作品を読ませてしまった。でも私は、なんか好きなんだ…。

【将来にわたる世界文学の古典となるべく約束されている、数少ない現代日本の作家である】【わかろうと思い、急ぎ通読しようとするより、言葉の呪縛力に身を委ねることだ。そのうねりの中に一度でも入れさえすれば、古井の文学が期待を裏切ることはめったにない】。わかろうとばかり努めたが入り込めずにきた古井由吉作品。結果はわからないが、おっしゃることを念頭に、読み直したいと強く思う。

自分の感性を大事にしたいし、本は読む人によって価値が異なると思っているが、氏の評に学べることは多岐にわたっていっぱい。厳しさの中にあたたかな視点での評価が素晴らしい。その視点もまた学びどころ。興味のある作家から読み始めた。
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蝋梅は毒の花

2022年01月24日 | 日々の暮らしの中で

   「ロウバイが
   咲きました」
   という書き出しで
   ふいに手紙を
   書きたくなりぬ
俵万智さんの“クロッカス”をロウバイに変えて、朝、知人に返信をしたためた。
ずいぶん前になるが、キャラメルの箱に入っていた縦5センチ、横6センチのカード。またHi-softを買ってみたくなりました。

この蝋梅は見上げるほどの高さになっていて、花が終わって大ぶりの楕円の葉が出そろった夏場は、それは見事にわさわさと葉擦れの音を立てる。木のものが多い我が家では、梅より一足早い春告げ花となる。
花弁の美しさはもとより、甘く重い香りの高さ。大好きな花だが、先日読み終えた『嵯峨野花譜』(葉室麟)で、「蝋梅は美しくともひそかに種子に毒を持つ、毒の花」と描かれていた。種子には毒があり、誤って食べると卒嘔暴瀉(そつおうぼうしゃ)するのだと『有毒草木図説』から引いている。

クロッカスに変えた花が蝋梅だったこと。季節の巡りに乗っただけなのに、毒のことを後になって思いだしシマッタ!とちょっとだけ思ったのでした。
物語は、不吉な予感通り…。
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雪船形

2022年01月22日 | 日々の暮らしの中で

賀茂川沿いに足を延ばしてみた。
歩いても歩いても体は温まらなくて、耳にはジンとした痛みが出てくるし、ひどく冷たさが身にしみた。
五山の送り火で「船形」がともされる西山の斜面。手入れをされた火床の周囲には木々もなく、そこに雪が積もって残っていた。「雪船形」と言っていいのかどうか。

西野文代さんの句〈雪大文字に千切を炊く匂ひ〉とともに「雪大文字」を眺めたのは
2017年の1月だった。




小学生が『わさお』という本をもってやってきた。
「どんな本?」と聞くと「わさおっていう犬のお話」と言う。「面白い?」には「かわいい」と言うきりで本に目を落としている。

18日にAUSに向けて国際小包を船便で出した。
「トンガの火山爆発の影響がどのくらい出るかわかりませんので、まだ引き受け停止の連絡はないけれど遅れるかもしれません」と最後に念を押される。
念頭になかったので、あらためて気づかされたことだった。自分中心に考えてしまっているから…。2か月後に無事着いたとして、3月半ばだ。一日でも早く届くことを願いたい。
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雪散華

2022年01月20日 | 日々の暮らしの中で

雪散華   杉本健吉

寒気が身にしみる薄暗がりの中に、お仏飯の湯気が立ちあがります。
ぴたぴたとした音が耳に入って、どうやら雪がふっているらしい気配。大きな白いものが、みぞれのような水っぽさで暗い空から落ちてくる音でした。

草木国土、生き仏さん含めたあらゆる諸仏を、雪の花(華)で供養するかのような「雪散華」。何度口にしても美しい響きの「雪散華」。もうちょっと降ってくれたら。
おりんを鳴らし、さっと手を合わせ、長居は無用とばかりに早く引き上げたいですわ。

今日は大寒。寒さのどん詰まりの日。ということはこの先の寒さはなくって、立春にむかい春を待つ日々に…、なればいいんですけどね。
こんなに寒い日は、春を待ちつつ力を貯える。ありがたいことに「いつだって読書日和」の私です。
『荒仏師 運慶』(梓澤要)を読み進めた。平重盛による南都焼き討ちの描写、諸堂のお像を運び出さんと力を合わすさまが、一人称「わたし」の目線で物語られます。この南都焼打ち場面は、澤田瞳子さんの『龍華記』と重なるので一寸読み比べてみたりして。

ところで、例えば桜庭一樹、有川浩、梓澤要さん。このお名前は、一見したところ男性の名前に思えてしまう。「男性かと思った」と、先入観で口にすることは今やまずいのかしら。
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父からの手紙

2022年01月18日 | こんな本も読んでみた
薄日の中で小雪がちらつく。


春先に咲く馬酔木の愛らしい花がとても好きだが、今、秘められた盛んな活力のみなぎりで装いが進んでいた。


大型店舗の進出や世の不景気で小さな町工場や個人営業は仕事を奪われ経営難、家族の生活が守れない。父親の失踪と焼身自殺。この二つの物語がどこで接点を持つのか、ミステリー仕立てで巧みな構成に引きずられ、夜遅くまで読み進めた『父からの手紙』(小杉健治)。

【父失踪後10年となる今年も、24歳になった麻美子に父からお祝いの手紙が届いた。手紙を通し麻美子は父を身近に感じてきた】 この父からの手紙の謎。
【過去と一切の縁を断ち切って、「焼身自殺」の裏の秘密を守るべく神経をすり減らして生きねばならない日々が、果たして幸せだろうか】
【自殺などすべきではなかった。何を選択すべきだったのか。いかなる困難や試練にも負けずに生きていくこと】だった、と描かれる。
真実に目を向け、そこに自分を奮起させる希望を見出すことが、遺された者がそれぞれに背負う試練を乗り越える唯一の力となるのかもしれない。

セルビアの難民の報道だったか。家族が生きるために、食べるために、5人の末っ子3歳の女児を“嫁がせた”父親がいた。成人するまで育てる約束で先方から前金として3分の1に当たる33万円を受け取った。また、自分の臓器を売りに行った父親がいた。患者が出れば連絡がくるのだと。
遠く離れた地の傍観者は、胸ふさがれる思いで見ていた。

彼らの命が救われるためには、どんな縁が花を咲かすだろう。
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隠し味を

2022年01月15日 | 日々の暮らしの中で

便がなくて以前送り返された10冊の本を改めて娘のもとに届けるために、荷物は段ボールひと箱に膨らんだ。
喜ぶ顔を見て声を聞けば、ほなまた、と喜ばせたくなってしまう。もうあと少しだけ揃えて来週発送する予定でいる。
昨日、あちらから荷物が届いた、4日に出してくれたのが12日に日本に着いて、その二日後のこと。早い。こちらからは相変わらず船便しかないようだ。


クリスマス後、ボクシングセールというのがあって、50%オフも多く、母親は娘のJessieと朝9時から午後2時半まで歩き回ったと言っていた。「お母さんのはデパートの品やからな。ご安心を」ストールを贈ってくれた。

「Good choiceやな」の言葉がいつも往復する。「こういうのが欲しかったのよ」って。互いに好みがわかるのもいいものだ。

5人の顔を思い浮かべて荷を作るのに、父親をはじいて4人占めをした。だから今回は
「えーっ、ダディだけずるい!」って言わしめる隠し味をひそめた。隠し味とは、無くても暮らせる、困らないが、あれば便利で潤いが生まれるといったものだ。家族間で息巻いて取り合う大興奮。そうなればこちらとしては大円団?? もくろみ成功なんだけど。

本も何冊かプラスしたわよ。笑いが転がりますように~。うふふふふ。
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お薦めできない ?

2022年01月12日 | 日々の暮らしの中で

5歳の女の子みいちゃんがお母さんにお使いを頼まれる『はじめてのおつかい』は、子供たちと繰り返し読んだ絵本の一冊でした。
1月上旬、「絵本の世界に父親の登場がない」「古い価値観の刷り込みが心配」「名作だから安心、ではない」などといった指摘とともに、絵本の多様な読み方を考えさせられる記事がありました。

『はじめてのおつかい』は書庫に下げたというところもあって、正直なところ、それほどまでに「お薦めできない」作品だとは思いもしなかったことです。「ジェンダー(文化的・社会的性別)の視点から」でした。つまり、性別による役割分業、男の子女の子のイメージ、などの固定化とか。

一人でお使いに出るみいちゃんの不安や頑張り、目的を果たせた喜び、ほめてもらう嬉しさ等々、一緒に疑似体験しながら子供の心に何かが残れば、それは形のない宝物となります。絵本は読み手の自由な想像力、解釈、受け止め方があってよいのでは。一つの読みしかできない作品は、イメージが乏しいと思うのです。長く読み継がれてきたお話の世界を、そこに紡がれた言葉を、どう読むか。

『はじめてのおつかい』では、もっと純粋に、みいちゃんの心細さや安堵感、喜びの心のそばにいて、読み継ぎたい作品だと思うのです。
この作品にジェンダー、ジェンダー…。指摘を理解はしても、すべてに共感できるとはいいがたい。あまり声高に言いたくありませんのですが、こんなこと思うのはとりもなおさず私の価値観が古いのですかね…。とばかりは思っていないのですが。だからそれがやっぱり古い?



もう娘家族の所に送ることもないだろうと、昨年末に『ちびくろサンボ』を処分してしまいました。これはサンボ少年の呼称が「黒人差別」に当たると、ずいぶん前に指摘があり、すでに絶版です。
サンボから取り上げた服や傘を、互いに奪い合うことになった4頭のトラたち。〈…トラはぐるぐるぐるぐるまわって、とけてバターになっちゃいました。お母さんにパンケーキを作ってもらい、サンボは11枚(?だったかな)も食べました〉、とかで終わったような。擦り切れるほど読んだ一冊でした。

点訳時、時流に乗るばかりでなく選択眼もきちんと持ち合わせたいと思って…。

 (ゴールドコーストで休暇を楽しむ娘家族。コロナ感染拡大で24日の始業は延期だそうな)
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愉しければ

2022年01月09日 | 日々の暮らしの中で

孫たちに、それも一人一人にあてて、はがきを出そうと思い立ちました。

子供の友達から次々にエアメールが届くことを本人はもとより母親がとても喜ぶ声を聞き、厚かましくもその中に割り込もうという算段です。
手元には子供向けにふさわしいものがなく、買いに出ました。
こんなことで人なかに出て、余計なものを背負って帰ってはどもならんと笑われるのですが、そうは言いましても、です。
それに、「こんなこと」とも言い難く、まことによい思いつきだと満足しているのです。

相手を思い定めて、それぞれに選んだ3枚。3枚を一緒に出そうか? 一日ずつずらして出してみようか? 受け取る側はどっちが愉しいか、あれこれ考えます。

暖かければ歩きに出、よし、絵葉書をと思い立っては店巡りと、なんともお気楽な日々に映るでしょうか。
小さな子供もいないし、これと言ってしなくてはならないことも今はなく、時間があります。小さな楽しみを見つけて、自分が愉しいと思える一日にする。
それが豊かなのかかどうかは言えませんが、まあ、いいかです。
少なくとも、しょぼんとしているよりは、老いたりとは言え?? のびやかな気持ちで日が送れます。それも大したことではなく、ほんのちょっとした心がけの問題にすぎないのですから。
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冬木の芽

2022年01月08日 | 日々の暮らしの中で
ちぢこまった身体がほぐれ、とともに気持ちもやわらかく解放されていく心地よさを感じながら、小一時間歩いた。
寒さを押してまで出る気がしないでいたので、外出はあっても歩くことを目的にしたのは今年初めてとなる。

車で少し足を延ばした。山里に見る花もなく、思い出してオニグルミの冬芽をたずねた。
昨年よりひと月は早い姿を目にするわけだが、素人目には同じに見える。


青空の深淵へ冬木の芽    金子青銅

 

冬晴れの、この空へ向かって高く掲げる芽を持つ冬木。
くいっと、私の気持ちも引き上げられたかしら…
そんな気さえしてくる

「ほんわかと年なんか忘れ」、しまいに疲れを忘れて歩く気分の良さだった。
今夜はぐっすり眠れるかもしれない。
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未生の美 つぼみ

2022年01月07日 | 日々の暮らしの中で

まだまだ蕾の蝋梅の花。

年末には生花店と物々交換のようなお付き合いが続いています。花のない時季に仏さんのお花をあげてくださるのが本当にありがたく、代わりにこの蝋梅の枝を剪定して好きなだけ持ち帰っていただいているのです。

寝る前に読んでいる『嵯峨野花譜』(葉室麟)。京都大覚寺の花務職に就いた不濁斎広甫を師として修業する少年僧の胤舜。師は形の美しさばかりではなく、人の心を見て花を活けよと教える。京の四季、寺々を舞台に、生きることに荷を背負いながらも、人との出会いの中で胤舜は成長している。
昨夜、西行桜を活けるシーンを読んだ。どのように活けるか…。
まだ花弁が開いていない桜の一枝だけを白磁の壺に活けたのでした。西行が見たかったのは「これから開こうとする桜のいのち」ではなかったか、と感じ取ったのは胤舜の生きることの喜びの心と重なり合うようでした。

おおかた蕾の蝋梅を見て、昨日の今日のこと、この場面を鮮明に思い出していた。
未生の美。満開の盛りはどれほどきれいかと想像し、芳しい、ちょっと濃い目の香りを鼻先に感じてみる。これが日本人。何ごともちょいと足らぬがいいのだな~。と思いつつ蕾がほころぶのを待っているわけです。

見つけたり。

娘家族が住むクイーンズランド州では今日の感染者数が12000人だったとか。24日から新年度の学校が始まる予定だが、2週間ほど延期になるかもしれないとか。「もうかなんわ!」 
長い休みの更なる延長なんてたまらないと嘆く母親でした。
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手紙が残してくれたもの

2022年01月05日 | 日々の暮らしの中で

初めて耳にした5歳児の“英語”。なんてことはない、飼い猫を呼んでいる。「ミリ―ちゃん、come on.」「ミリー、come on.」ってね。このぐらいのことは日常少しずつ増えていると想像はするが、会話の中で自然と口にするのを聞くのは初めてだった。

今日は、日本でお世話になった幼稚園コアラ組の先生からエアメールが届いたという。
「きょうはルー君の誕生日だね」とクラスで話題にしたことが綴られてあったとか。「嬉しいなあ」という娘。

“宛先”にきちんと届く、思いの細やかさがあったということだ。
言葉を味わい、読んだあとに胸に残るのは、心をつつむ人のあたたかさだろうか。送る側、受けとる側。人間って、言葉って素晴らしいなあ。

手紙の言葉が娘に残してくれた感覚の充実。
たった一言の「嬉しいなあ」という言葉に私は思いを馳せ、余韻を味わっている。

                 (Jessieの上で、マッサージのミリーちゃん)
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ひとつ事に専念

2022年01月02日 | 日々の暮らしの中で

あけましておめでとうございます
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます

たくさんのお参りをいただきました。帰り際には庫裏の方に声をかけてくださる方もおいでになります。そのつもりで控えてはおりますが…。
入り口の引き戸があく音がして「こんにちは」と声がかかりましても、さっと立ち上がれず、ばたばたと下へ降りてご挨拶なんて見苦しきことに。ですので、まずは声だけでもと大きな声で「はーい」と返事に努める。
これって亡き義母に似てきたな、と思える年の始まりです。

一事に専念。
目の前のこと、一つ一つのことを、いちいち大切にやっていくことが大切になりますんですねぇ。時間と手が足りない時、どうしましょ。
努力を重ねること。急がずやり続けること。
さすれば大概のことは成就する。
だから時間と人手が足りないときは…?

「努力あるのみ。量は質に転化する」って言ってるものがおります。

人の言うことを
なるほどそうかとうなづけたら…
                         (小林良正さんの ほほえみ地蔵)
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