京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

エアコンテスト

2018年12月29日 | 日々の暮らしの中で

ずいぶんと冷え込みが増し、周囲はうっすら雪化粧の朝でした。
初めてエアコンを入れ、暖房のテスト(?)です。

明日から孫が二人だけでやって来ます。
最後の追い込みの二日間、例年やることは決まっているとは言うものの、ほんとはかなり気忙しい…。まあ、好きに過ごしてくれればいいかな。
孫娘は、家庭科の宿題に「おせちづくり」があると言っていましたから、手伝ってくれるのでしょう。

今夜も冷え込んでいます。
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「期待されれば結果を出す」

2018年12月26日 | HALL家の話

孫のTylerは幼稚園生のときから週に2、3回、サッカーの練習に参加してきましたが、今日から、年も押し迫った今になって、地域が異なる3チームが合流しての合宿に参加です。ただし、1泊。場所は京丹波町と言っていたような…。

今朝になって娘から「タイラーの手袋見なかった?」と電話があり、「取りこんだ洗濯ものの中にはちゃんとあったけど」と返事をしたものの、結局なかったらしい。手袋はどこへ消えたのかねー、出かける前になって困ったこと。ただ、ラグビーで、こうした団体生活は体験していることもあり、手袋騒動は別として、特別心配事もなく送り出したようです。軍手では頑として嫌だとか。嫌なものは嫌なのです、そういう子。

身体能力はなかなかのものだとラグビーのコーチ陣の評価に、「隔世遺伝だわねー」といつも話題にする。いえいえ父親譲りかな。おでこでソフトボールのフライを受け止めたらしい娘の遺伝子ではないことは確か。「キーパーをしたい!」、とわけもなく声を張り上げる。耳をつんざくような大声に、練習時に出しなさいと親からひと言。

両親はもとより、周囲からの上手な励ましや賞賛に小さな自信を積み重ねて、自分から一歩を踏み出し、やる気満々。〈期待されれば結果を出す〉…。どんな思い出を聞かせてもらえるのか、楽しみです。

    (欲しかった“シャカシャカ”? 仲良しが持っているらしく、サッカーゲームをプレゼントされて早朝から大喜び…。)
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風物詩・終い弘法へ

2018年12月22日 | 催しごと
        
    
     赴けば参りつかねどまづ見ゆる東寺の塔の尊かりけり   浅井了意

昨日は東寺で毎月一回開かれる市、かつては柳宗悦に「何もかも、けじめなく売る」(『京都の朝市』)と言われたほどだが、おせちの食材や迎春用品が売られる終い弘法に出かけた。骨董品、手作りの品々、古着を売る店、タコ焼きに始まる定番の食べ物屋さん等々に合わせて、境内には店がびっしり立ち並んだ。年納めとあって人の出も多かった。日差しは暑くって、陰に入ると「ああ涼しい」と聞こえてくる。

いつもの店でいつものように迎春準備をするので特別な目的はないのだが、年末の風物詩でもあり楽しんでいる。
干し柿、クワイ、子芋、数の子、丹波の黒豆、上賀茂のすぐき漬け、宇治のお茶、伏見の、大原の、鞍馬の…と、産地がわかる佃煮の類もあれば、生花、鉢植えの木のもの、亥年にちなむ置物にカレンダー。新しい年がくるんだなあと思って見歩いた。

店頭に置かれた焼鯖寿しを見て、「これ、お宅で作ったの?」「はい」「お宅が作ったの?」「知り合いが。頼まれて売ってます」、などと高齢の女性が問いかけ、やり取りしていたが「知り合いが?」という言葉を残して立ち去った。他の、この寿司を売る店の前を通りかかると「鰻をつけようかー」って。えーぇ!?だったなあ。

    「こんなにサービスしてたら儲けが出ないよー!」。呼び声で人だかりの店は、遠目にもわかるように福岡と掲げて明太子と裂きイカを売っていた。
袋の中から両の手でわんさとつかみ出してプラスチックのパックにガバッと収めてくれるのを、こぼれ落ちないようにとビニール袋の口を広げて待ち受けた。「ありがとうねー」。威勢のいい声はさらに「お金払って行ってよー」と続くのだ。というのも、ちょっとだけコーナーを変えた、明太子をてんこ盛りにしているお兄さん?のところで支払うことになるから。パックの裏面には、博多駅前だという製造者名に、「むしりいか」と記されたラベルが貼ってあった。

みんな好きだったなあと思い浮かぶ相手がいることで、せっかく来たし買って帰ろうと思わせてくれる。ただ、娘の夫だけは好まないのだけれど。

今日は冬至。
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宝ものは

2018年12月20日 | 日々の暮らしの中で

難事、万事片付き…、やれやれです。

「悩みのタネだわ」なんて笑顔で言いながら、そばに来た店員さんと言葉を交わす。若い彼女はどこかへ消えたが、すぐに戻ってきて「参考になるかと思いますから」、とレシピの本を手渡してくれた。有難くもらい受けた。孫娘へのプレゼントに添えておく。

クリスマスプレゼントを選ぶのは悩みのタネ。でも、楽しい悩み。ただ、ちょっと真剣に思い巡らし、思案してしまうので、つい日にちを重ね決められない。が、これっ!と即決できる出会いがあって、今日は肩の荷を下ろしたような気分だ。
何でも持っているような孫娘に、いったい何を贈ろう。持っていないもので、なんとか一工夫をしたものを選びたかったので、決まった瞬間は楽しかった。

贈り物に込めた思い。汲んでくれるだろうか。くれるだろうな、…と期待しよう。「ありがとう」のひと言で、心が通って、喜びを分かち合えて、二人の間には温か~な空気が生み出されるのだ。これこそが宝もの。

 自分のために、来年2月の「万葉オペラ・ラボ公演」のチケットを購入した。何ともささやかな、でも大きな楽しみを買った。
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すべてが足あとだから

2018年12月18日 | こんな本も読んでみた

これまでにも2歳の孫のLukasと二人で、娘宅の留守番をして過ごすことは何度もあった。ただ、先日16日(日曜日)には、夕飯も二人で食べて、お風呂に入って、嫌がる歯磨きを、娘ほどには押さえつけずに、ちょっと手抜きでクシュクシュと済ませ、と就寝までの一連の流れをクリアーして「もう帰ってくるね」と皆の帰りを待った。、二人にとっての初めての体験だった。

「マ―マ、おかえり」「タイラー、おかえり」「そうだねぇ。おかえり、言うんだね」と言葉を交わしながら待っていたのに、最後は疲れたのか、寂しそうにも見える無言のときを経て午後8時半、とうとうソファで眠入ってしまった。言いたかった「おかえり」には間に合わなくて、二歳児を抱き上げ寝床へ。

   読了して間もなかった『きみ去りしのち』(重松清)。
「あまり幸せになれなかった人生でも、意味はあるよね。どんなに短くても、どんなに後悔ばかりでも、生きてきた意味はあるよね」。余命を宣告されたかつての妻が「私」に言う場面があった。娘のためにしてあげられる最後のことで、一番大事なことが残っている。娘のために「倖せに死んであげたい」、と。これまで自分が交流を持った人たちと娘とをつないで別れを告げていく母・美恵子の最後が心に残った。
喪失の寂しさ、悲しさの涙から、母は母の人生を一生懸命に生きていたんだと思うことで流す涙になり、いずれは忘れはしなくても、少しずつ悲しみをうすめていくことはできるのだろう。すべての人がたどる大切な人との別れ。自分はどう?なんて考えさせられていた。

親のいない一日を、二歳児はどんな思いで過ごしたのだろう。不安、寂しさ、あるのかしら。「お父さんやお母さんの一番たいせつなもの」って、きっとわかっている。預かる私にも長い一日だったが、それ以上に長い長い一日だったろうと思うと幼子へのいとおしさは増す。いたいけな孫との一日は、私自身の命を惜しむ思いをも生んだ。帰宅後、彼のためにクリスマスプレゼントを買った。
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「モリのいる場所」

2018年12月12日 | 映画・観劇

「もっと生きる、もっと描く」 画家・熊谷守一 モリ94歳  (山崎努)
「ああ、そうですか」 妻・秀子76歳  (樹木希林)

おかしかった。おかしくて何度も笑った。
この風貌、頑固なお爺さん?? いえいえ、そんなことなくて、人嫌いなどではない。30年間、自宅の庭の豊かな自然の中に住む生き物を観察して暮らすモリ。聞きたかった「蟻は左足から歩く」の言葉だが、セリフでは「蟻は左の2番目の足から歩き出す」とより具体的だった。

二人の間の子供は早くに亡くしたらしい。その代わりにたくさんの人の出入りがある。
大勢で楽しく日々暮らしているようにみえるが、「毎日いろんな人が来て、なんだか疲れますねえ」と秀子さん。同感同感。
モリのいるところに人が集まる。ワイワイ、ガヤガヤ、乱れ飛ぶ言葉にも、分かち合うコミュニケーションがあり、人との交わりが絆をつくっている。
妻・秀子の飄々とした味もなかなかのものだった。 

杖2本を支えに歩くモリは94歳。年齢を重ねることでそなわる人間の美しさ? 存在の美しさとでもいいたいものが漂う。老齢だからとは済ませたくない、泰然とした大きさがある。人が集まるのにも訳があるのだ。

10月の上映時に一度映画館を訪れたが、開始1時間前で既にほぼ満席状態。そのままスルーしていた映画「モリのいる場所」。再度の上映を知った友人からの声がかかり、肩が詰まり首が回らないという不調も幾分か回復傾向にあったので、いそいそと出かけ楽しんできた。でもやっぱりなぜか首筋が詰まる。




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少し… ちょっと…

2018年12月06日 | こんな本も読んでみた
明日は今年最後となる文章仲間の例会日。行事事を控え、休もうかという気持ちもあるが終わったら急いで帰ろうと参加を決めた。書き上げた作品もあって、プリントアウトして準備した。少し迷うけれど…。

        図書館で借りて読んだ前登志夫さんの著書『いのちなりけり吉野晩禱』と『羽化堂から』の2冊。この先もページを開いては読み返したいと思ってアマゾンから手に入れた。中古だけれど綺麗な本でとても満足。ただ、安いのを選んでしまって、なんだかちょっと申し訳ない気もする。
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ほんこさんまえ

2018年12月04日 | 日々の暮らしの中で

カレンダーには、もう数日先に二十四節気の「大雪」の文字が記されている。
昨日の17度を上回る20度越えの気温に驚かされ、汗をかきながら報恩講の準備に励むことになった。午後6時過ぎには強さを増した激しい雨に雷までが加わり出して、これまたビックリ仰天。

ご門徒の女性陣に磨いていただいて、仏具はピカピカ。赤地の金襴の内敷き。松を真(芯)にして立てた一対のお花。生花店や御門徒から「ほとけさんに」と上げていただいた菊の花の彩りに、たわわな南天の赤い実が添う。荘厳した内陣の空気は華麗に一変した。米屋さんから届くおけそくさんを待って、お供えすればいい。

この狂った陽気も週末にはまた冷え込むらしい。
例年、一年の極みの月にこの一大行事をこなしているが、かつてはもっともっと厳しい寒さだった。ただ、この気温差に気を付けなくては。

 真砂なす数なき星の其の中に吾に向かひて光る星あり    正岡子規    

そっと心にしまって。

  (写真:通りかかった植物園の「ボタニカル・ウインドウ」を金網越しに覗いて。秋の収穫物を菊が囲む)
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「極月」

2018年12月01日 | 日々の暮らしの中で

「師走より極月(ごくげつ)がよい。ごくづきと言ってもよろしい」と前登志夫氏が言われる。(『いのちなりけり 吉野晩禱』)

「極月」とは使うことがなかった言葉。12月は一年のしめくくりの月、極みの月となる。
ということでちゃんと締めくくって新たな年を迎えたいと思うのだが、そうした余裕もないままに私はいつも年を越す。

何をしているうちに一年が経とうとしているのか。簡単に思い起こせないのは充実していたからなのか、すかすかだからなのか。
どうしてこうも一年が経つのが早いのかしらねぇー。この一年どう過ごしてきたのかしら。
「極月」の言葉と出遭い、ふと思った。

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