京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

4歳

2020年11月30日 | HALL家の話
生まれて

半年(2017.5.29)    

昨日、(2020.11.29)4歳になりました。


オーストラリアからの電話で、顔を見ながら父親と姉からも「Happy Birthday,Lukas! なんさいになったの?」「おめでとう」って祝ってもらい、「さんきゅー」って。姉のJessieはやはり顔を見たいのでしょう、「るーちい、るーちい」と呼びます。兄とふざけていましたが、手を挙げて「はい」と笑顔で対面です。
102cm 、 17.2kg 。 将来はサッカー選手。4歳児の夢、です。
ラグビーボールもサッカーボールも兄のお下がりだったり共有でしたから、彼のサッカーボールを贈ることにしました。さっそく半時、公園で使い初めです。「いいなあ、オレがほしかったわー。貸してや」「ダメ」 
「隠しといた」とLukasでした。

吉野弘さんの詩に「 I was born.」というのがある。
生まれた、ことが受身形で表現される。
命は賜りもの、授かりもの・・・。
多くのおかげを受けて、健やかに育っていることに感謝です。
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マウスを買って

2020年11月27日 | 日々の暮らしの中で

ノートパソコンばかり使い続けて4台目になるのですが、その間、マウスを使ったことがありません。点訳の作業で外部で寄り合う時、会場に備えられたデスクトップパソコンに接続されたマウスを使ったことがあるくらいで、その便利さもわからないままに来ています。

便利だからぜひマウスを使うのがいい、と知人が強く勧めてくれます。
タッチパッドの狭いようで十分でもある面の上で、ササッと指を動かし、全ての操作をしてしまいます。何も問題を感じたことがありません。ですから、わざわざどうしてマウスにする必要があるのかねー、と先延ばししていたわけです。
でもまあ、あれだけ勧めてくださるんだからと、USBで接続する一番安いマウスを購入したのです、今日。
まず、その「使い方」に慣れる段階です。真ん中はどう使うんだっけ? こんな調子からのスタートです。カーソルが目的地にいかないし、手間がかかってイラっとしますが、でも幾分慣れました。というか覚えた、というべきか。

「覚える」なんて表現するなんて、どうなん!?って方が圧倒的なのでしょうかね。でもね、初めてといえるほどの体験ですんよ。
新しいことに挑戦していると思うえばいいのです。楽しくやらなくっちゃですから。

にしても、手間どるんです。

                              (画像はネットから)
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言葉で伝えきれない思い

2020年11月26日 | 日々の暮らしの中で
昨日は母の祥月命日だった。本山の東本願寺で勤まる報恩講にお参りしたいと考えていたが、昼からにしようか、今日はやめよう、明日にしよう…と思いが決まらず、結局見送った。そして今日も。
平成2年(1990)の11月初め、母を見舞いに病院へ。治療のために吐き気があってベッドに伏せていることが多かったが、脇の椅子に座って、のどの渇きを潤す程度にかき氷を少し口に含んだ。そして、「ああ、おいしいっ」と。これが耳にした母の最後の言葉だったといつも思い浮かべていたが、そうではなくて、もう少し先があったのを忘れていた。


母の病床にあった『わたしの脇役人生』と『わたしの台所』(沢村貞子)。この2冊は私がもらい受けたのだが、『わたしの台所』の扉のページ裏に鉛筆書きで、私は母との最期を簡単に書き記していた。

母と最期になった会話は、父と病院を後にするときだった。「連休が来るし、また来るわね」「楽しみにしてるから」。母は廊下で小さく手を振って見送ってくれたのだ。そうだったのだ。たったこれだけのやり取りのメモからも、忘れていたあれこれを思い出させてくれる。
23日、電話をもらって駆けつけることになった。新幹線の移動だから気持ちばかりが急いて…。25日午後6時11分、母の最期を看取った。その間に父は浅草寺に願を解きに出向き、夫は子供たちを連れて上京してくれていて、夏に得度式を終えたばかりの小学生だった息子が初めて衣を着て葬儀に参列した。

       月郷神社に太古から鎮座するクスノキがあった。
新月の夜、その空洞に入って心にある伝えたいことを念じると、クスノキは預念者の思いのすべてを記憶する。刻み込まれた念は5年や6年程度では少しも消えない。そして、満月が近づくとクスノキは強い念を発するようになる。そこで空洞に入って、灯した蝋燭の独特の香りを嗅ぎながら、念を受け取りたい人との思い出に浸るようにその人を思うことで、念を受け取ることができる。ただ、受けとれるのは血縁者だけ。そして、すべての思いがクスノキには刻まれるので、中には伝えたくないことも伝わってしまうのだが。

「月郷神社のクスノキに念を預けました。どうか受け取ってください」
もし母がこんな手紙が残していたら、受け取るだろうか。「心にある思いのすべてを言葉だけで伝えるのは限界がある」。自分は家族に宛てて残したい「念」があるだろうか。なんてことをちょっと考えた。苦労も何もかも食べてしまって一代を終えるのがいいのかも。

東京から電車で1時間近くかかり、バスで10分乗り継いで、降りて更に勾配のある道を上がっていった先に月郷神社はあった。
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今日の好感度

2020年11月24日 | 日々の暮らしの中で

これまであまり目に留めてこなかったけれど、すらっとして、厚かましさがなく、…などと今日はやけに好感度が増すので、仰ぎ見ている。
なにやら静かに充ちた気分でいる。そんな今日の私のきままさにちょうどよく添うようだ。
高い高い、青く澄んだ秋の空の中で、少しさみしさもにじませる美しさだろうか。
また自分の好きなことを楽しむための時間を増やしたい。

「そうだ京都に行こう」、こんなフレーズに乗っかって、皆さん京都大好きなんだ。
私も学生時代は休暇のたびに京都に住んでいる伯母を頼って世話になり、一人歩きを楽しんだ。その足あとを朱印帳に残して。京都大好きだったものなあ。
それにしても連休中の嵐山の渡月橋の人出には、いろんな意味で驚いた。
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寄り合うために

2020年11月20日 | 日々の暮らしの中で

今年もこれだけの実を付けたピラカンサ。赤の色が自分を励ます力となって目に映る。
新型コロナウイルス禍の中で報恩講をお勤めするには様々な配慮がいる。準備に当たる組の人数を抑え、できるところは簡略化の知恵をいただきながら、寄り合う工夫を凝らす。裏方の女性軍の段取りが悪く、一人でしたほうがよほど楽に思えてくることがあっても、実はそうではないことを誰もがよくわかっているのだ。若いお方(お嫁さん)の協力が得られることになり頼もしく、嬉しい。

地下鉄に乗っていて、ドア付近に立つ女性二人連れの会話が耳に入ってきた。話しているのは片方のみだけれど、「京都のお米はまずいなあ」と言うではないか。
そして自分の家でとるお米のおいしさと比較する。お米自慢はいいけれど、でもねー、少し場所をわきまえたほうがよさそうだ。なんでも率直に口にして、配慮が足りない。どこで喋っているのか、意識しているのかしら。近県からおいでのようだった。
そうなん? と思って聞いていたが、
  ひいき目に見てさえ寒き素振りかな    一茶だったかな。

こんなことにならないように、名もなき一人ひとりの力を合わせて。
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落ち葉の下には

2020年11月17日 | 日々の暮らしの中で

散り敷かれた落葉。おびただしい数の葉っぱです。

人の言うことを
なるほどそうかとうなづけたら
何かそこには
小さな花が咲くようである     (榎本栄一)

のにと、…心のどこかで相手の思考の柔らかさに期待をかけてしまった
けれどきっとはねつけるだろう、と距離を置いてしまった。
口をつぐむことにした。
不協和音は嫌だし、言い争っている場合でもなかった。

分かり合うには時間もかかるということ。何年もかかるでしょう、と言われる。
人と人をより深くつなげてくれる対話が不足。
時間をかけたその日々に、きっと実りの種は眠っていると思って…。

いやいや、人のせいにしていてはいけない。

【人の言うことを
 なるほどそうかとうなづけたら
 何かそこには
 小さな花が咲くようである】 
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「他言無用」

2020年11月15日 | こんなところ訪ねて
「観光寺院ではない寺で、静かでいいところがある。出口には、他言無用と書いてある。」

この話を伺ったのが今から10年も前になったのを今さらに驚いたが、凡その位置も教えて頂いていたので、見当をつけるようにして出かけたことがあった。けれど門前への道さえわからずに引き返した。秋が来るたびに思い出し、今日、小春日和に誘われて2度目のチャンスと出かけてみた。



道路沿いには住宅が立ち並ぶ。その裏手へ、はいり口がわかりにくいのだ。もう2度と間違えることはないが、ナイショ、ね。
「観光寺院ではなく禅の道場です。しかしながら縁あって来られた方の心を休めるひとときのために、この先も境内を開放していきたい。拝観の宣伝等して頂きませぬよう。…」といった趣旨のことが入り口に書き出されてあった。
さらに拝観のための注意事項を読んで、理解したうえで竹の結界を上げて入山を、と促している。志納のための竹筒も供えられて。






あるがままの姿で、美しい紅葉を見せてくれる境内を拝見。建物はあまり手入れが行き届いていないようだ。だいぶ傷んでいるようだった。使われることがあるのか? それにしては傷みが気になる。石の上、砂利の上だけを歩く。「苔を踏むべからず」。歩けるところは少なかった。
コオロギのような虫の音が静寂の中に響き、上から何かが落ちる音がする。ベンチがあって、日差しを受けて一休みできたのがありがたかった。
だあれもいないのだ。心行くまで時間を過ごして後にした。

近いとはいえ久しぶりの外出をした。今日は良い日だった。


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2020年11月13日 | 日々の暮らしの中で

「つはぶきはだんまりの花嫌ひな花」と詠んだのは三橋鷹女でした。
明かりが点るように咲いている。この明るさが好き。そして、すくっと伸びた花茎の先に花をつける、その姿も好きな花です。

探し物をしていて、小引き出しの奥底から袋に入れたままの韓国紙幣が出てきた。もう使う予定はないので換金しようと思って時がたち、いつの間にか忘れられ、引き出しの底にしまい込まれ。3歳だった孫娘と彼女の母親と私の3人で韓国旅行に行った時の残りで、10000WON紙幣が36枚あった。
今日、10000WONは945.40円とあった。さて、計算計算。
ささやかなしあわせ感が・・・。
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深まる秋に

2020年11月11日 | 日々の暮らしの中で

こんな小さな芽生えも、大切にその命の輝きを見せていると思うといとおしいものだな。
なあんてこと、言ってみたり、思ったり、書いてみたり…。
これはおそらく春の季節にはない、感傷かしら。秋という季節がそう思わせる。




午後遅めの陽を浴びて、静寂な境内の一隅に深まりゆく秋。

寒いけれど少しは体を動かそうと思って、軽めの散歩を続けている。小一時間はいつものことだが、歩数はほぼ半分で様子見と言ったところ。
寝入りばなを襲われていたが、昨夜は咳も出ず本当に久しぶりにぐっすり眠れた。ただ、平熱6度3分ほどに、6度5分を上下する微熱が残る。これといって自覚症状はないのだが、なんでかなあ~。
この時期いろいろあって…、寝てもいられない。

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落ち葉

2020年11月09日 | 日々の暮らしの中で
小一時間、ゆっくり足元を確かめながら久しぶりの散歩に出てみて、周囲の樹々の色づきが思っていた以上に進んでいることに気付いた。
風にあおられた路上の落ち葉が、溝や街路樹の根元へと快い音を立てながら舞い踊る。安住の地探しかな。


        寂莫を絢爛と見る落葉かな   松根東洋城

【落ち葉は静かに木の元に吹き集められ、根を覆って温め、やがて地に還っていく。それは、
ページが一枚ずつ重なって本となり、読んだ人の心を温め、滋養となっていくのと同じだ】
本を読むことが好きで選んだ道ではなく、本を待つ人たちのために本屋になったモンテレッジオの村人は、本を届ける職人だった。そうした『モンテレッジオ 小さな村の 旅する本屋の物語』にある一節。

         読書の意欲がわいてきたので、娘のところから戻ってきた『クスノキの番人』を読み始めた。東野作品は『素敵な日本人』を読んで以来の2作品目。
 〈その木に祈れば願いが叶う〉 でも祈念のルールがあるという。
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病を得る

2020年11月07日 | 日々の暮らしの中で

平素は特別健康上に不安を抱えることもなく過ごせている。もちろん足や腰に痛みや不具合を感じることは年齢相応にあるが、我慢してやり過ごしている部分があっても受診にまで至らないでいられることはありがたいことだ。

この2週間…。のどの痛みが市販薬で改善したまでは良かったが、クスリが切れた翌日から鼻がグズグズ、頭は重い。頭痛で起きているのも辛くなって、ようやく4日に内科を受診した。いつ以来のことになるのかも思い浮かばない。熱は平熱より2,3度高い程度だったが、6度台後半から7度2分まで上がるだけで身体はガクガク、チクチクと夜間でも痛みが走る。

このご時世、症状があると思い立って病院へとはいかず、まずは新型コロナウイルスに関する相談窓口への相談を求められた。そして改めて診察をお願いすることになる。風邪を治すのではなく、初期の風邪の症状を抑えるためのものだという3日分の漢方薬を内服し、今日に至った。症状はかなり改善され、少し体を動かしたいという気分にもなれたが、しとしとと降り続いた雨が抑制剤となってくれたようだ。これでよかった。
6日の文章仲間との例会は欠席したし、今日はかつての文学仲間の友人と会う約束をしていたが、それも延期してもらうことにする。

今ここで私が風邪を引いたという出来事には意味があり、たいそうに考えずとも、これを機にもう少し細やかな注意深さをもって日々暮らそうと気づかされただけでも良しとしよう。
いつだったか、ある僧侶から、「病」を「得る」と言う言葉が意味する大切な教えについてお話を伺ったことがあったのだが…。

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人生の味付け

2020年11月02日 | HALL家の話
自転車に乗り出したLukasの写真をいっぱい添えて、先日の映画の話、万博記念公園での話などを孫娘のJessieにポチッとメールで送信。
笑える~と楽しんでくれたようです。会いたいでしょうに、年末の帰国もおそらく無理な今年です。

10月2日が誕生日でしたので、15歳になりました。
家族が分かれて住む現在、そろってお祝いもできずにいます。
お祝いのメッセージを送りましたところ、そんなアドレスは使ってないと言われ…。じゃあ、どこにあのメッセージは行ったのか。エラーとして通知があるわけでもなく「送信されました」。

    

ピアスの穴をあけたと言うのです。この子は3歳のときにはすでにピアスをしていましたから、両耳に二つずつ。
もともとオシャレやファッションには人一倍関心があり、楽しいことのようでした。「おお~、いいねえ」と一緒に笑って。「かわいいじゃない。・・・ジェシがよ」と返します。環境の違い、文化の違いは、受け入れるしかないようです。
15歳の、「人生の味付け」なんでしょうかねぇ。

鼻がグズグズ、風邪ひいたようです。一日家にいて、文章仲間の例会日に向けて仕上げを急いでいる最中なのですが、参加できるかどうかが危うくなってきました。特効薬はないものかしら。ちょっと辛い。風邪が。欠席もだけど。
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