京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「雨やんでゐる白木槿」

2014年08月30日 | 映画・観劇

    母の間に風すこし入れ白木槿  (日下部 宵三)

午後の夕立の滴を宿した槿の花がなんとも言えないきれいさでした。
ひんやりとした風が吹き抜け、涼しくなりました。

今頃になって夏休みの宿題などに取りかかって、家にこもれば食事以外に口を動かすことが無くなってしまうような?数日。
ろれつが回らない、そんなことだってあり得そうな予感…。しかし、この数日で限度です。

          
今日は映画「ル・アーブルの靴みがき」を観て食事をして…と、ゆっくり友人と過ごすことができました。
「槿花(きんか)一朝の夢」…。
今日一日のお楽しみとはいえ、たっぷり充電したのでしばらくはもちそうです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 日暮れがた

2014年08月26日 | 日々の暮らしの中で

車で遠出の用事を済ませて帰宅。固まった身体をほぐすには歩いてくるのが手っ取り早いと考えて、身支度を終えたのは4時ごろだった。
日差しも落ちてきた夏の日暮れがたの涼味が飛び出す勇気をもたらしたのだろう。

青空に明るさも眺められるというのに頭の上には黒い雲が覆い、夕立がひとしきり激しく降った。通りがかったマンションのガレージに飛びこんだらすでに先客さんが2人。10分ほどの雨宿りののち、小止みの中を走って帰ったわ~。転ばないでよかった…。

天候不順ゆえの夕暮れの暗さだったのか、繁みに咲くユリの白さが浮き彫りになった。
雨風に打たれながら案外に強い。花言葉は「純潔」「荘厳」とか。強さもまじる気品ある表情が映える。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「雨やめたまえ」

2014年08月24日 | 日々の暮らしの中で

雨による大きな災害が相次いでしまっている。

困ったときにはおまじない。子供の頃に口にした、様々な呪文のようなことばがあったかもしれない。ゲームをしていて、「神さま仏さま…」と力を貸してもらいたくて何やらつぶやくなどということは我が子にも見られたことだった。

こんな和歌があったのを思い出す。
 
   時により過ぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまえ   (源実朝)

鬼神の心に訴えかけてでも…「雨やめたまえ」。
「八大竜王雨やめたまえ、八大竜王雨やめたまえ、八大竜王あめやめたまえ……」
せめて祈りを込めてひたすら言葉を繰り返そうか。これならできそうです。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ひとときを…

2014年08月20日 | こんなところ訪ねて


昭和55年、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来日。挨拶の中で、世界の宗教に最も適した言葉として天台宗の開祖・最澄の言葉として知られる「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」を挙げられたそうだ。「忘己利他」。
92歳で天台座主になられた山田恵諦氏は、法王のこの言葉、精神に日本の宗教人としておこたえしようと考え、日本宗教会トップがこぞって集会を開くという体制を作って、法王をお招きし、比叡山宗教サミットを開催された。と、そんなお話を聞いたことがあった。
法然も親鸞も道元も、栄西も日連も比叡山に学び、一宗の宗祖となっている。

「不滅の法灯」が安置されている延暦寺の国宝・根本中堂だが、60年ぶりに大規模改修されると報じられている。来年には着工とか、改修には全体で10年程度を見込んでいるとあった。10年後の参拝など考えられないこと、とすれば、早目に一度訪れてみたい。



仏教の聖地。だが、そうした世界とは無縁に今日は山頂から右に京都市中を見下ろし、左を向いては眼下に広がる琵琶湖に目を休め、対岸、そして、はるか鈴鹿山脈の山並みを追った。出町柳駅から叡山電車で八瀬叡比山口駅まで14分。ケーブルカーで9分、ロープウエイに乗り継いでわずか3分で比叡山ガーデンミュージアムに到着する。3年ぶりになりました。
 爽やかな風を受けながらひと時、友との時間を楽しんだ。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 残暑

2014年08月19日 | 日々の暮らしの中で


厳しい残暑でした。
北側の窓から入る風は涼しくて、その通り道に一人掛けのソファを移動してはそこで過ごしています。エアコンなしで過ごせる時間はそうやって自らが移動し、雲を眺めてはあれこれ。少しばかり頭を使うと、眠気が襲うのですが…。

まだまだ日差しは濃くって、くっきりとした影を映していますが、すでにヒマワリは枯れ、立ち葵も夾竹桃、サルスベリの花も、もうしばらくと思わせる気配がみえています。朝顔はどこか控えめに、やわらかな口をすぼめて開いてみせるだけで終わるようになりました。雑草の中から何本ものミズヒキが覗いているのが案外涼しげです。

夕方5時になろうかという頃、まだ水遊びに戯れる子供のそばでしきりに帰りを促す親の声が聞こえていました。
明日も猛暑日の予報。比叡山のガーデンミュージアムに行く予定で待ち合わせています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「たましずめ」

2014年08月15日 | 日々の暮らしの中で

早朝から蒸し暑さを感じる日だった。夜にはいって、時折激しい雨が降り出してくる。

歌人・馬場あき子さんが書いておられる。 自身の記憶に残る夾竹桃の紅は、敗戦の記憶だ。燃えるような鮮やかな紅は照りつける太陽の下、戦争の惨禍が極まっていく夏をずっと見届けていたと。そして、こんな歌を添える。
   八月は千万の死のたましずめ 夾竹桃重し満開の花    (山田あき)

戦争を知らない私だけれど、先祖や家族の亡き縁者を供養し、戦死者合同慰霊祭なども続く八月になる。懐かしみを持ってこれまで何度も何度も繰り返し回想してきただろう亡き人の話を、新たに語って聞かす人として私が選出されたかのようだ。まあ、こうやって、目に見えないたくさんの存在に助けられて生かされている、ということかも。生かされている意味など考えてみるが…。

「盆の十五日で精霊様のござる晩だ。活きた御客などは誰だって泊めたくない。定めし家の者ばかりでごろりとして居たかった」、― 私の思いではない。客人に出す魚がないなどと嘆かすことなどさせたくはなかった、ゆっくりしたかっただろう…とは柳田國男で、岩手の小さな漁村、小子内(おこない)にある宿屋・清光館に泊まった時に見た、旧盆の淋しい盆踊りのさまを伝えている(「清光館哀史」)

 踊るのは女ばかりで、一様に白い手ぬぐいで顔を隠し、帯も足袋もそろいのまっ白、新しい下駄をはいて、前掛けは紺無地をしめる。人の顔も見ず笑いもせずに、伏し目がちに静かに踊る。太鼓も笛もない。一つの楽器もない。そして、細々とした声で、一つ文句ばかりを何遍でも繰り返し歌うものだった。6年後、再度訪れてようやくわかった歌の文句からわかったことは、「男に向かって呼びかけた恋の歌」だった、とある。「やるせない生存の苦痛、働いても働いても迫って来る災厄…、数限りない明朝の不安」を汲みとって、「恋に命を忘れようとした」小子内の村民の心情を思いやっている。

富山県八尾の、水音と胡弓の音色の響く風の盆に男女の恋物語を添えながらの『風の盆恋歌』(高橋治著)はReiさんにご紹介いただいた一冊。ここにもしめやかに盆の風景が描かれていた。

亡き人が集った? 亡き人と語らった? そんなお盆も、明日は精霊を送るとする行事「五山の送り火」で締めくくられる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 本を選ぶ

2014年08月12日 | 催しごと

例年8月11日から16日まで、下鴨神社糺の森で夏の古書市が開催されます。今年は台風の影響で一日ずれ込み、今日12日からの開催となりました。時間がない。けど、やはり一度は覗いてみたい。我慢できずに昼から3時間だけ、今日だけ!と思って大急ぎで、いそいそしながら駆けつけました。

今朝がたも雨が降っていましたから、準備をされる書店の方々にもご苦労があったことと思われます。森の中、湿気っぽさはありましたが、ひんやりとした涼しい風が吹き抜けて、団扇を手にすることなく見て回れました。

『一期一会・さくらの花』(網野菊著、講談社文芸文庫)『石蕗の花ー網野菊さんと私』(広津桃子著、同)などないものかなと、期待を込めて文庫本コーナーがあれば目を凝らしました。
7月、「網野菊という女性作家がいる。地味な純文学作家で、老いの一人暮らしを描いたいい作品がある。特に『一人暮らし』は、他人事ではなく、しみじみとした味わいがある」と綴った評論家・川本三郎氏の文章で知って以来、心にとめていました。しかし、残念なことにありませんでした。
Amazonnや楽天市場で探すのは早いのですが、できればまずは一度手に取って開いてみたいという思いで、それをしない私のこだわり。仕方ないので図書館で借りることにします。


『漱石の思い出 夏目鏡子述 松岡譲筆録』(1994 文春文庫)を手に入れました。
鏡子さんは漱石とは真反対の性格で、いわゆる肝っ玉母さんタイプだったとか。「夫の不安を理解しない妻だった」とは、先日の夏季大学における姜尚中さんのお話でした。思いがけない1冊に出会って満足です。松岡氏は漱石のご長女筆子さんの夫です。

驚いたことに、中表紙のタイトルの下に、新聞への投稿による掲載句と思われる切り抜きが貼ってありました。
  「漱石が提げて来さうな粽かな  
      松戸市 花島八重子」
どこのどなたから、どう巡って私の手元に届いた1冊なのでしょうか。松戸市は、私にとって思い出多き土地。不思議を感じているところです。

「初めて見るものであれば、新しい本と変わらない。まさに古い中から新しいものを見つけることがブックハンティングなのである」「古びた一冊が古びた古本屋の隅に眠っていたりする。わたしを見つけて! そして連れていってと僕に囁く本との出会いや楽しさ」。松浦弥太郎氏のやめられないブックハンティングです(『本業失格』)。うん、うん、うん!!
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 雨の日の儲けもん

2014年08月09日 | 日々の暮らしの中で

テロップで台風情報を見ようとテレビをつけっぱなしにしていた。そのおかげで、全国高校野球も中止となりNHKでは別番組が組まれていて、思いがけない幸運を得た。

「大人を魅了する“児童文学”~作家・上橋菜穂子の世界」を見ることができたのだった。上橋菜穂子さん「国際アンデルセン賞」受賞を新聞が報じたことは記憶している。児童文学のノーベル賞とも言われ、日本人で二人目になることも伝えた本当に小さな記事だった。私自身は作家も作品も知らないことばかりだったので、魅力ある番組だった。

「他の人たちの文化が間違っているなんて思う必要なんかない。批判なんかしたくない。みんな同じ地球に生きているんだから」(アボリジニの女性の話)「私はよその国の神話だからといって、頭から否定するほどバカじゃない」(作品より引用)「この人とは合わない、ではなく、この人は別のことを考えている、ととらえる」

物事を、人間を一面だけから、一つの視点だけから見て価値観を固定化することの怖さ。実際は万華鏡のように多面であって、この世には多様な価値観が存在すると話される。
単なるファンタジー、作り話では終わらない作品の世界はロジカルで、架空の物語だが自分の人生を重ねられるリアリティがあると紹介されていた。

世界には多様な考え方、価値観がある。そう想像し合って、平和な世界にならないものかしら…。
よい物語をたくさん読んで、生き方を模索していく。柔軟に生き抜いていける力を与えられることもあるだろう。魅力ある言葉がちりばめられた作品に、Jessieの誕生日プレゼントは決まり!っと思った。…のは一瞬で、少し早いかもしれないと思いなおした。『精霊の守り人』シリーズは世界7カ国語に翻訳されて出版されているそうだ。いつか薦めて見る機会があるだろうか。

外出予定もない一日。雨に閉じ込められて予期せぬ儲けもんがありました。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 雨に紫陽花も美しい高野山

2014年08月05日 | 講座・講演

8月1・2・3日と高野山夏季大学に参加してきました。雨の高野山でした。

高野山教学部長を勤められる小藪実英さん(福知山の観音寺のご住職)は、ぜひにと高野山へ招かれたことで高校教諭退職後の人生設計が狂ってしまったと、ユーモアを交えながら本音に近い?胸の内も覗かせてくださるお話がありました。(「弘法大師に学ぶ前向きな心」)
4歳で父親と死別、後に寺が全焼するなど苦しいことが多かったけれど「嫌だと思えばストレスに。負けないぞ、負けないぞと思えば根性になる」。不幸があるから生きていく力がつくのであって、「人の値打ちは心の状態で決まる」「心の偏差値を高めよう」とお話でした

最も楽しみにしたのは、最終日の姜尚中氏の「心の力」と題したお話です。
9時からの開始に合わせ8時半開場と案内でした。眠くなる脳みそにつける薬はなく、負けっぱなしの二日間でしたが、この日ばかりは気力充実!? 「6時の鐘」で8時の鐘が撞かれ始めたのを聞きながら会場に向かいましたところ、すでに長蛇の列。ゲストお二人への期待度の証しか、予定より少し早い目の開場でした。

テレビで拝見しているだけだった姜さんが目の前に。あの声です! ソフトな語り口はそのままですが、マイクにのって声もよく通り、メリハリがあってテンポも良く、心の中に収まっていきます。
「相続とは、亡くなった人の人生、つまり物語、命・魂をいただくことなのです」ということばは印象に残りました。

漱石の『こころ』も然り。先生の遺書を私が受けて、第三者に渡していく物語であること。母親の愛情を知らずに、自分は余計者意識のまま「不安」の虜で生きた漱石。「人間一生に一度 真面目になれ」(『虞美人草』)のことばをひいて、「悲劇は人を真剣にさせる」、どうしたら良いのかと、考え抜くことが心の力をつける。最後に、「自分は次の世代に何を伝えたいか」ということになるわけだが、と投げかけられて…。遺書を残すことは一つの形だと言えそうです。

由紀さおりさんは、あの美しい歌声を時々ご披露くださりながら「日本語の美しさ」を説かれました。「日本語は旋律」と。童謡に見られる日本語のやさしさ、美しい響き。濁音と鼻濁音を区別をすることなど、改めて意識させられた点でした。


2日午後から、今回大きな願いでもあった女人堂へ足を運ぶことができました。宿坊からは歩いて20分ほど。すれ違う人もいない道を傘をさしながら一人ぶらりと訪ねましたら、同じような思いの先客が一人。
高野山は女人禁制の時代がありました。高野山の入り口ですが、この先へは入ることのできない女性のための参詣所として設けられた女人堂。建立以来300年、唯一現存する不動坂口(京街道口)のお堂です。女性たちの信仰の篤さ、そんな思いをちょっと想像しながら、ゆっくり時間を過ごして戻りました。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする