京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

晩秋

2017年10月30日 | 日々の暮らしの中で

「ゆーき こんこん 来たよ~」
孫のTylerが3歳だった頃、灯油の移動販売車から流れてくる音楽を聞きつけると、こう言って知らせに来たものでした。
車が玄関先などに停車すると、相図変わりにこの音楽が流されるのです。

木枯らし1号が吹いた今日。「♪雪や こんこん 霰や こんこん。 灯油の移動販売に参りました」、とびっくりするほどの音量で流され、車は止まりました。今年初めてではないかしら…。冷たく、きつい風のせいで髪の毛はぼっさぼさに。口からは思わず「さむいィ―!」っと。12度か13度ほどでした。
雲の切れ間、切れ間から差し込む光の筋。その筋も動いているのです。雲が流されていることによる変化なのですが、しばし見惚れていたのが午後3時過ぎ。

紅葉が進み、葉を落としていくのに、松の緑は冬になっても色が変わりません。そろそろ冬支度の頃でしょうか。
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岩間寺の蛙とびこんだ古池

2017年10月28日 | こんなところ訪ねて

昨日27日、古典文学の舞台を紹介し、散策路を策定する「文遊回廊」が、京都新聞で始まった。第1回目は『方丈記』で、国際日本文化研究センター教授・荒木浩氏が解説されている。地下鉄東西線石田駅から、長明の庵跡とされる方丈石を山中に訪ね、帰り道には長明を捉えた日野の里の法界寺や親鸞ゆかりの日野誕生院へと足を延ばすコースがとられていた。

この記事で私が心に留めたのは方丈石ではなく、岩間寺だった。滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある標高443mの岩間山中腹に位置する真言宗の寺。西国三十三所、びわ湖百八霊場の一として、また、芭蕉が「古池や蛙とびこむ水の音」と詠んだとされる池のある寺、としてその名を記憶していた。大津市には芭蕉ゆかりの地が多く、4ヵ月住んだという幻住庵、石山寺、墓のある義仲寺、などと点在している。岩間の名が出てくる『幻住庵記』、そのことからも、この池である信憑性は高いようだ。

引用されていた原文を読み、芭蕉よりはるかに以前、長明が岩間寺に詣でていたことに気づかされた。
岩間寺は勅願寺院で、熊野、吉野と並ぶ日本三大霊場の一つとして隆盛していたという。長明は気が向けば、近江の国へと山を越え、あるときは岩間寺に詣で、またある時は石山寺に参拝。またある時は蝉丸の翁の旧跡を訪れているし、猿丸太夫の墓を訪れたりもしていた。
【京都を守護する大神社の御曹司だった男は、いろいろあって俗世を厭い、平安京の郊外を南北するうち、ついに「一間」の山暮らしを「故郷」と感じる。その代わり、東国の鎌倉将軍の知己まで得た彼の視点は、縦横に闊達。長明の身心はすこぶる健やかで自在】、と解説に。

昨日は友人との約束があったのだが、体調不良とのことで前の晩に予定はキャンセルとした。で、時間が空いていた。決断は早く、早速午後から車でひとっ走り岩間寺に向かうことにした。
九十九折りの山道、歩いて登る人の脇を車で通り過ぎてしまう私。ちょっとうしろめたさを覚えた。ここのご本尊は毎夜、136の地獄をかけ巡って人々を救済し、翌朝には汗をかきながら戻ってくるので「汗かき観音」とも呼ばれるのだとか。できるなら、汗をかかないといけないのだ、な…。


本堂と不動堂との間、観音堂の前に小さな池はあった。

参道入口には石山観音への道は38丁と記した石碑があった。空を覆う枝の広がりを見せる桂の大樹。本堂前の大銀杏の黄葉はみごとなことだろう。騒音などとは無縁の静かな山中で3、40分を過ごして戻った駐車場で、車ですれ違った男性と出会い、どちらからともなく「こんにちは」と言葉を交わした。楽しちゃったな…。
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「大きな他力の中」

2017年10月25日 | 日々の暮らしの中で

明日26日は父の祥月命日。あいにく組み込まれた予定は変更できず、一日早くお参りし、東本願寺にも参拝してきた。

母を見送ってから3年のあいだ父のひとり居は続いた。かかりつけ医院で診察待ちの間に倒れ、救急病院に運ばれた。くも膜下出血だった。受診はたいていが心臓のほうでだったのだけれど。
目覚めた時、息子や娘の認識はとんでしまっていた。それでも私を「お寺のおくさん」とはよぶものだから、何かがオバーラップしているのを弟と笑ったことがある。妻(母)が亡くなった記憶は失われたが、「かあさんは?」とは口にしていた。入院生活は1年未満、退院の話も出かけたさなか、平成5年、父は74年の生涯を閉じた。

末弟夫婦が一緒に住まないかと気遣ってくれていたが、父は住み慣れた家を離れることはなかった。父とは幼馴染だった姑も、こちらに父を呼んだらどうか、近くに住む選択肢もあるのではないかと提案してくれていたものだ。私が頻繁に行き来できる距離だったら、父はもっと長生きできたのだろうか。寿命、こればかりは如何ともしがたくおまかせだし、父が望む、満足した日々を過ごせたかどうかだってわからない。わからないけれど、もっと強く呼び寄せてもよかったのかな、という思いは残された。


母が11月。末弟が12月、と祥月が巡ってくる。
          (下の写真はボールペンで描かれているとか。駅地下通路で出会った額入りの展示作品)


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蔓たぐり

2017年10月20日 | 日々の暮らしの中で

冷ややかな雨に降りこめられるといった日が続いてきたから、「雨が降らなくてよかったですねぇ」と言葉をかけられ、それに「ほんとうにねぇ」といった言葉を返すだけでも気持ちが晴れるような一日だった。
〈秋の夜や膝の子にわが温められ〉(福永耕二)といった句があるが、抱っこをせがむ孫のLukasを膝や腕の中に抱き上げたときのぬくもりを愛おしく思い出しては心まで温められている。

          

まだまだ葉も蔓も青い部分が多いが、引き抜かれた蔓は用水路をまたぎ道路わきにまで広げられ、中に鹿ケ谷かぼちゃがころがされていた。1、2、…7、8、9、京都の伝統野菜に指定される鹿ケ谷かぼちゃが9個も朽ちるのを待つだけの身になって。表面には特徴である「こぶ」がないのだけれど。
いつもの道を外れたら、神社の境内地に見事な杜鵑草の花が咲いていた。

やる気に火がついた、などという勢いはないけれど、心に小さな灯がともるような温かい出来事があった。自分のフィールドだけはぶれないように、先を見据えて微調整してみようかしら…、と友人の紹介談に心が揺れている。

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運動会

2017年10月13日 | HALL家の話

昨夜、久しぶりに娘宅を訪れました。
孫のTylerが日記を見せてくれます。「10月12日   さいきんこどもせかいちずをみています。いろんなくにのはたをおべんきょうしています。アメリカとスイスオーストラリアのはたがすきです。せんせいはどのくにのはたがすきですか」

〇「月」〇「日」と漢字が加わっていました。クーピーで国旗を模写しては国名を記し、これもオベンキョーのようです。翌日には幼稚園に持参し、担任のコメントを楽しみにするこの頃らしく、興味を持ったときが、何といってもイチバンです。

  

今日は孫娘の運動会だったのです。雨で一週間延期されての開催も、またまた不安定な空模様で時折雨がぱらつきます。秋晴れの下での運動会を期待していましたのに、残念。団体競技だけの〈雨プログラム〉で進行、午前中で終わりました。
全校生徒数は1200人弱と、地域ではダントツのマンモス校です。ただ今年は平日開催とあって、昨年よりはだいぶゆるゆるとした観覧風景でした。
出番は組み立て体操と騎馬戦だけでしたが、応援席で同級の友だちと笑顔でおしゃべりをしている姿を近くで眺めるのも良い時間になりました。
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善峯寺の秋明菊

2017年10月09日 | こんなところ訪ねて
気温が上がって強い日差しにくらくらしそうな一日でした。


とても「秋明の頃」などとは程遠いのですが、一重の白いシュウメイギクが見頃を迎えてると聞いて西國二十三番札所・京都西山善峯寺を訪ねてみることにしました。西京区大原野小塩町。市域の西の端です。

駐車場に車を止めて、道の両側から聞こえる川のせせらぎを耳に歩きだしました。ほどなくして、早まったことに気づいたのです。確かもっと寺域近くに駐車場があったはずでした。「山門まで500m」と標識に。
車道から脇に入って赤い一の橋を渡り、この先の阿智坂はここまで以上で、なかなかの勾配で続きます。息が切れます。ひたすら上った先に東門。そして眼前に立ちはだかるような立派な二層の山門が現れ、まさに仰天! 観音堂(本堂)へと石垣も見事です。





おかげさまで健康に暮らせていることを感謝し合掌。まあまあ、汗が噴き出すことと言ったらありません。久しぶりによい運動をさせてもらいました。
いたる所に秋明菊の花。


このあたり、40年ほど前の春に一度訪れていて、善峯寺、十輪寺、勝持寺、大原野神社などを参拝しました。勝持寺からの帰り道に雨が降り出し、あの頃はバスを利用しての参拝でしたから、まだ寂しかった道を急ぎ足でいたところ、傘を持った女性が駆け寄ってきてくれました。返してくれなくていいからと傘を持たせてくれたのでした。赤いチェック柄の傘は長いこと叔母の家に残されてありました。叔母の家を拠点にしては京都を巡っていた若い頃でした。懐かしく思い出す地です。寺も多く、聖域のような一地域です。










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「ナミヤ雑貨店の奇蹟」

2017年10月05日 | 映画・観劇

  【どんな相談にも真剣に考え応えてくれる雑貨店
   そんな「ナミヤ雑貨店」に訪れた、たった一夜の優しい奇蹟
   時を超えた手紙が、彼らの未来を変えた—】          公式サイトより

原作を読んでおらず、大まかなストーリーを仕込むこともないままで、映画を観た。

背景の年代が交錯するので、少々戸惑いを感じることはあったが、「たった一夜」の話として何ともうまく構成され、「すごい!」と思った。ただ、「すごい」という表現には、自分のメッセージとして発信するものをなんら含んでいない、ということを学んだことがあったのを思い出す。「すご~い。すごい」と耳にして、「すごいって、いったい何がすごいの!?」と思うのに、そんな自分が、ただ「すごい!」と感想に変えていてはいけないのだろう。でも、よくできている。感動した!(ってのもどこかで聞いたけど…)

悩み事相談で投函された手紙に返信を認めるナミヤ雑貨店の店主が、自分の言葉は<答え>を求めた人の人生を迷わせたのではないかと自省する場面があった。けれど、人は<答え>を求めたのではないのかもしれない。自分に当てられた言葉をきっかけに、内ある思いが促され、自らの道を模索し始めるのだ。自分自身で自らの道を歩むために。

          

見知らぬ相手が発した言葉が、夢への推進力になる。生き方を変える原動力にもなる。価値観が揺すぶられ、自分と向き合い、思わぬ可能性を自分の中に見出すことだってあるだろう。言葉は人と人とをつなぐ。人はそこに心を結ぶ。結び目には古来、神が宿ると信じて尊んできている。結ぶことで新しいいのちが生まれ、思いがけない絆が生まれたりもする。人の世はこうした縁で回っているのでは。この、<たった一夜の奇蹟>も、円の相を見て取れる展開だった。薄くても細くても、やはり人と人とをつないでくれるのは言葉だろう。そして、結び目に宿った魂に触れ合う。魂の交感、とはちとオーバーかな。

様々な悩みを抱えた人たちの再生に感動を覚えた。心は停滞しないように、よく動かさなければならない。「リボーン」(再生)という主題歌は、作品世界をやさしくつつみこみ、何度でも聞きたくなる。たくさんの方にお勧めしたくなる映画です。
                                                (写真はナツメグの実)
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12歳に

2017年10月02日 | HALL家の話
今日は孫娘Jessicaの誕生日、12歳になりました。今夜は家族水入らずでお祝いをしているはずです。
弟ができるまでの6年余り、母親はもちろんダディもしっかり独り占め。(写真は1歳を前にして)


11月、紅葉の吉野山で世界遺産を巡るハイキングに参加しようと申し込みを済ませました。
桜だけじゃない吉野。如意輪寺からスタートし、吉野水分(みくまり)神社、高城山展望台へと上がってから、…吉水神社まで戻り、金峯山寺蔵王堂がゴールになる8キロほどをJessieと一緒に歩きます。
雨具が必要にならないことだけを祈って、私もまた目的をもってウォーキングに精を出せます。

こうした楽しみを共有できる日が来るなんて思ってもいませんでした。昨年の「みたらい渓谷ハイキング」が楽しかったようで、またどこかへ行きたい行きたいと言っていましたから、プレゼントの一つに、してはずるいでしょうか。




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