京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

余韻を愉しみつつ

2021年07月31日 | 日々の暮らしの中で
〈男たちが杉丸太の皮むきをしたあと、女たちが丁寧に小むきをする。そして菩提の砂を水か湯でやわらげて、丸太を磨く。たいていの家は、軒端と二階とに、皮をむき、洗い磨き上げた杉丸太をきちんと一列に、立て並べて干している〉〈どの壁よりも美しいかもしれない〉

昨日訪れた北山杉の里で、川端の『古都』に描かれた光景を見ることはかなわなかった。作品に菩提の滝という名のバス停が出てくる。周山街道を走るバスの後ろにできる列に加わることもあるが、いつか千恵子のようにバスで訪れて、北山杉の町を歩いてみたいものだ


「ホーホケキョ」とウグイスのひと鳴きがあった宗蓮寺。湧水の流れる音と鹿威しが時折大きく響く境内。くもの巣が張った小さな祠の前に、クチナシの花が三輪咲き残っていた。
…きのうの余韻をとどめておこう。

          夫を亡くし、自分には趣味もないことに気づかされたノーラ・ウェブスター。良くも悪くも相互扶助を前提として成り立っている田舎町で、生きづらさも感じながら自分を立て直していく三年間のノーラの日常が、丁寧にみっちり書き込まれている。
新聞の書評を読んで購入した『ノーラ・ウェブスター』(コルム・トビーン著)。後半は早く読み上げることを目指すようになってしまった。この3年のみっちり感は、なんとも長編だった。

〈ノーラは泣き崩れない。ツイッターに悲しみをぶちまける 者などいない。かつて人間は怒りではなく、高潔さで苦難に立ち向かっていた。そんな時代があったことを思い出させ、胸を打つ〉とはワシントン・ポスト評。
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北山杉の里

2021年07月30日 | こんなところ訪ねて


「北山グリーンガーデン」「北山銘木協同組合」の古びた看板がかかる。かつては多くの磨き丸太が見られたようだ。ここまでは問題ない。

この先の地図を再確認し、「右へ」の入り口をイメージして家を出てきたのに、またもや見落としてしまった。実は曲がる?べき所だった少し先に生協の宅配トラックが止まって荷下ろししていたので、引き返した時に訊ねることにした。
「もう少しだけ戻って。オレンジのカーブミラーがあって、小屋があるからすぐわかりますよ。その小屋の後ろへ回り込んで進むことになるから」





車幅いっぱいいっぱいの上り道。怖い怖い。左に落ちたら死ぬな、と思うと震えたわ…。傷だらけのねじれたガードレールに接触するんじゃないかと用心用心、そろーろそろりの箇所。距離は大したことがなかったが、ほんとに怖かった。

「中尾山 宗蓮寺」と記された石柱の前のスペースに車を止めて参道を上がった。


ドキドキがいつまでも収まらない。シャクナゲの木が多い庭を拝見していると「どこから来なさった」とはご住職だったのか。「いつまでもコロナでかないませんなあ」と言ってどこかへ行かれた。室町末期、応仁の乱後の開山だそうな。
参道を戻って、来た道へと歩いてみた。(上の2枚の写真はその時のもの)


北山大台杉 〈地上から6mほどのところから立木が林立しているのが特徴で、樹齢400年と推定される。台の所から四方に出る枝(とり木)を残すことによって、台の上の立木を伐採しても次からへと新しい芽が出て次世代が育つので、植林する必要がない。こうした方法で針葉樹から木材が生産されているのは、世界で唯一ここ中川の地だけ。400年以上も前に考え出されたということは驚嘆に値する〉と言ったことが説明板にあった。

古くは床柱のような太い磨き丸太もこの方式で生産されたという。現在は茶室や数寄屋建築で用いられる細い化粧垂木を生産するために育てられているそうだ。


怖い思いをしたから見られた光景がある。
「We live here, too.」 の言葉をちょっと考えさせられる。
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あきらめない私

2021年07月29日 | 日々の暮らしの中で
   世々を経てにごりしみしわが心 清滝川にすすぎつるかな

鎌倉中期の公卿近衛兼経の歌だそうだ。
別に、清滝川で垢離(こり)をとろうという思いからではない。

高尾から清滝川の流れに沿って北上して行くと、川端康成の『古都』に描かれた北山杉の里「中川」に至る。その中川にある宗蓮寺さんを目指して家を出た。
高山寺を過ぎ、最初のトンネルを抜けて梅ケ畑亀石町で「中川」へと右へ入り、もう一度右へ。川を左にしてそのまま道沿いに北上すれば、よいはずだった。ところが、この2度目の右折がわからず、見逃した! おかしいと思って引き返す時に、ここでは!?という分岐点に気づいたが、もうやめにした。

カーブが続く細い道。杉木立の景観が素晴らしい。けれどすれ違う車はなく、道を問えそうな家もない。
ナビはついているが、いつも地図はおおよそ頭に入れるかメモを取る。同乗者がいないときは便利な代物なのに無きに等しい。頭に描いた地図通りに行かないと、山の中で迷っては??と不安もあるしで、明日再挑戦と決めた。。

19歳のゴールドメダリストにあやかって、あきらめない私。誕生月を締めよう~っと。

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あなたにとって、いい一日とは

2021年07月25日 | 日々の暮らしの中で
今日も、あなたは空を見上げました? 
奇怪な造形を見せる雲が美しくもあります。このところでは珍しく風のある一日でした。


午前中は娘家族とLINEでおしゃべりして過ごし、午後から車で鴨川上流のほうに出てみました。
お父さんと川遊びを終えたらしい3,4歳くらいの水着姿の女の子が、バスタオルで髪や体を拭いてもらっているところに、ちょうど行き会わせてしまって。双方の車がすぐ近くで、乗り込むためにはどうしたって避けられません。
「きゃあー」って女の子。そんなあ~です。「見ない。見ないわ」って左手をかざして目線を遮断。何がおかしいのでしょう、無邪気な笑い声が転がります。それがかわいくて、浮き輪を見ながら「川で泳いだの?」と声をかけてみました。「はい」「お魚がいた」って。
「そう、つかまえたの? お父さんとたのしそうね」と言うと、またけらけら笑うのです。

「さよなら」と言いますと、「あついですからきをつけてください」ですって。
「ありがとう!」 驚きながらも嬉しくて、もう一度「ありがとう」と言って別れました。

一つ歳を重ねましたが、今日はいい日でした。

詩人の長田弘さんは「最初の質問」で冒頭先ず「今日、あなたは空を見上げましたか」と訊ねていますが、続いてこんなことも質問されています。
〈あなたにとって、いい日とはどんな一日ですか〉と。
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今日、空を見上げましたか

2021年07月23日 | 日々の暮らしの中で

 〈今日、あなたは空を見上げましたか。〉
 
   詩人・長田弘さんの「最初の質問」です。

白い雲が湧く空は案外近く感じられます。川遊びに興じる子供や若者たちが夕刻の西空の下、まだまだ暑い一日を謳歌していた。石も木も水も、眼に光る暑さです。
空はつながって、今夜はオリンピックの開会式をオーストラリアに住む娘家族と一緒に見始めることになったのですが、カメラでお顔拝見も映像はかたまりかちだし声も途切れる。ネットワークが不安定とのことで、メッセージも送信できないありさまでした。

二日後、私は誕生日を迎えます。もういくつでもいいや、という思いですが、この先の私の人生、小さくても自分の胸のうちの気力に点火するのは自らの意思次第であるということ、そっと抱いて過ごしていこうと思うのです。
まだ入場行進が続いています。聖火がともされるのはいつ…。もう彼らは寝てしまってるにちがいない。


   あなたは今日、空を見上げましたか。
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「やってみなはれ~」

2021年07月21日 | 日々の暮らしの中で

手軽にできる、ぬか漬け風のさっぱり漬けもの。〈きゅうりのビール漬け〉です。

■作り方
①まず、粗塩90g、砂糖400gとビール1缶(350ml)、練りわさび1本を合わせます。
これが漬け汁です。全部溶けて馴染むまで混ぜます。
②きゅうりを洗って水けをふき取り、①に漬けて、冷蔵庫へ。

…と、これだけ。
2、3日たったころから食べられ、1週間は大丈夫。
この漬け汁の分量で、一度に漬けられるきゅうりは10~15本ほど。漬け汁は2、3回繰り返し使えるようです。(私は2回まで。写真では、きゅうり7本です)

●練わさびはダマになりやすいので、あらかじめ適量のビールで溶き混ぜてから加えるといいです。わさびはカラシに変えても美味。好き好きです。
とてもおいしくいただけます。
  
      
孫娘は10年生。日本でいえば高校1年生です。週1で8週間、サウスバンクにあるTAFE(専門学校のようなところ)での勉強が始まったと伝えてくれました。10年生だけが対象となる水曜日、各地各校から希望して集まる参加者は、選択したコースで資格修得のための勉強ができるのだそうです。
彼女はSocial justice and community serviceをオベンキョー。来年度はCrime and justiceを 学ぶのだとか。なにか関心のある将来への方向があるらしい。
目標があれば頑張れる。気持ちがあるのなら、何でもやってみなはれと心から応援です。

若いっていいなあと、羨ましさを覚えそう…。
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「あの夏に君と笑った…」

2021年07月19日 | 日々の暮らしの中で

姉も兄も学校で、僕がおそうじとうばん。
このぐらいのときはよく手伝ってくれて、本当はオコトワリしたほうが早く片付くと思う時があってもグッとこらえて、「じゃあ、おねがいしますね」っという展開だった。食事前にテーブルを拭いてと頼むと快く引き受けてくれていたが、母親が目で知らせてくる先を見ることになる。あちこちの雑巾がけが始まっていたのです。「るーちゃん、ありがとう。もういいよ。ごはんにしよ」
切りあげさせるときは、ヘンな表情をしていたなあ、と思い出す。


不慣れな学校生活での緊張をほぐす週末は、家族での外出のようだった。
「公園に行こう、公園に行こう」って、暑い日も寒い日も大阪では公園が友達づくりの場だった。今この二人にそれがないのは寂しかろう。ただ、こんな様子を見るだけでも安心はする。また一週間頑張れそうかな。言葉の壁。彼の力を信じて見守っていればいいのだと、わかっちゃいるんだけど…。

梅雨も明け、いつになく朝から部屋の空気が暑い。気になっていた水回りの収納庫をきれいにして、時間を見計らったところで歯医者さんに急行した。車内が涼しくなる前に着いてしまう近さだが、歩く勇気がなくて車でとなる。外に出たら、天牛! カミキリムシがコンクリートの上を這っていた。

    天牛の髭の先まで班を持てり    伊藤伊那男
    
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遣唐使船に乗って

2021年07月18日 | こんなところ訪ねて



船首に近い方(写真上)から「雑居の部屋」、「賄いの部屋」「遣唐大使の部屋」と3つの屋形が並ぶ。たたまれた網代の帆。
甲板の下は、昼間でも屋形の床にあけた明り取りの穴からの光だけで薄暗く、夜は多くの人が積み荷の間で寝ていただろう。火事を出した記録もあるとか。干飯を柔らかくするための湯ぐらいは沸かしたろう。大使だけは一人で一つの居室。など、詳しい解説板がある。多くて500人に近い一団が分乗したこともあるようだ。

753年。藤原清河を遣唐使大使に発った遣唐使船4隻は、およそ1年の滞在を終えて帰国する途上にあった。立ち寄った阿児奈波(あこなは /沖縄)で風待ちをしているところから「凱風の島」の物語は始まる。
〈あまのはら ふりさけみれば 春日なる〉の歌で知られる阿倍仲麻呂。20歳で入唐し、今56歳になって故国に向かっている。肉親はすでに死に絶えているかもしれない。「何を楽しみに戻るのか」「船尾に居心地悪げに座っている」仲麻呂。その胸の内…。
清河と仲麻呂の乗った第一船目だけは漂流し、日本に着くことがなかった。二人は流れ着いた先から生き延び、長安に入る。唐の官吏となって仲麻呂は17年後、清河は23年後、異郷の地で没す。この清河家に仕える斐麻呂が物語を動かす一人となっているのが澤田氏のデビュー作『孤鷹の天』でした。

漂着したときに場所がわかるよう、南海の諸島に石碑を建てることを自らの任務としたのは建築や治水を修めた留学生の牛養。困難を極めたが、いつの世
も夢を現実にと踏み出す一歩の力が時代を動かし支えていくのでは。牛養について史実のほどは知らないが、作家の描く世界のつながりを感じ、作品を読むごとにそうした音色が濃くなってゆく喜びも感じるのです。これもちょっとした「精神の酔い」かもしれません。
日本史資料集で見ていた写真より、実際に乗船して得た感覚。ありがたい体験でした。


幅75mの朱雀大路を歩いて、はるか先に見える朱雀門までは行くことにした。この辺り一帯は長く田んぼだったことが幸いし、宮跡は良好な状態で保全されたということだった。この空間にどのような世界が再現されるのかしら…。朱雀門の先、線路をまたいださらに向こうにある大極殿までは、それこそいつか、またの機会にしよう。
折しも風鐸が強い風に揺れ、低い音を奏で始めた。
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遣唐使船

2021年07月17日 | こんなところ訪ねて


そのうち平日に…、なんて待ちきれなくて。
連休だ、夏休みだと人出が増えるとさすがに用心します。教えて頂いたのはつい先日のこと。以来むずむずしていて、うーん、今のうちだ!と今日は奈良の平城旧跡にある朱雀門広場へ、「復元された遣唐使船」を見に出かけることにしました。

澤田瞳子さんの『秋萩が散る』にも、遣唐使船に乗って往復する大使や留学生たちの物語が収められ、興味深く読んでいます。
阿倍仲麻呂、藤原清河、吉備真備、鑑真…。物語の描写を拾い読みしながら、電車で向かいました。
ちょっと疲れました。なので  ・・続く
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田んぼ探して

2021年07月15日 | 日々の暮らしの中で
昨年、気ままに道を取りながら偶然に覗き込んだ田んぼでカブトガニを発見した。
この辺りだったと訪ねたが、草がぼうぼう、半分くらいが畑になっていた。周囲をコンクリートで高く囲んであるので、伸び上がって覗き込むような位置にあり、間違えているとも思えない…。北山杉を植林した山のはたに広がる住宅地。持ち主は田作りをやめられたのだろうか。

長雨の時季も過ぎ、梅雨明けも近いと思われるが、このところ毎日のように急な雷雨に見舞われる。今日は朝から強い日差しもあって、昼頃までは安定していそうだったので、わざわざ昼日中に出向いた。でも、カブトガニどころか田んぼごとなくなっていたというわけだ。
稲の花も見たいと思っていながら、今年は全てタイミングを失ったようだ。


緑爽やかな田んぼで足を止めると、あっちこっち足元から、目の前を小さく跳ね上がる生き物がいる! カエルに違いないが素早く稲の陰に身を隠す。茶っぽい背中が見えてたよ、カエルさん。オタマジャクシもいた。
昔は家の周りにも田んぼは多くあって、梅雨時にカエルの合唱は風物詩だが、時としてやかましい。おしゃべり好きの義母の名を拝借し、彼らを「冨久ガエル」と命名したものだった。今はさっぱりで、田んぼも探さないとならない。

   

今日も4時ごろから雷が鳴りだし、激しい雨が降り出した。去ったあとの涼しかったこと。
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学校生活一日目は

2021年07月13日 | HALL家の話

「楽しそうに帰ってきたわ!」
昨夜、孫のTylerの学校での様子を伝えてくれた娘。文面からも気持ちの弾みが感じられるものでした。まずこの一声に触れて、よかった!と私も。

友達5人ほどでハンドボールをして遊び、また、食べる時間(ランチタイム)をなくすほど休憩時間を超過して遊びすぎてしまったようです。
「フツーに話しかけてこられても、何を言っているのかわからへん」
「初めて名前を覚えた友達がルーカスだったけど、弟の名前もルーカスだと言えなかった。明日、言えたら言うわ」
「算数で、答えはわかるのに英語で言えない」

単語の連発ででも、どうにか伝えられない? いろいろもどかしいねえ。
でも、想像できます。その単語が、なのです。ほんと、すっからかんの英語力。ほんと、ほんとにもどかしい。残念だねぇ。
「弟」、この一言が出ないのでしょう。言われればわかるだろう単語…。
自然に慣れるのを待つばかりではなく少しは、家族全員で彼の英(単)語力をつける楽しい取り組みを工夫したらどうなのでしょう。弟にとっても知らずプラスになるはずかと。

「あしたのお昼のサンドイッチを自分で楽しそうに用意してたよ!!」って。

今日は別クラスで、一日英語の勉強デーになったようです。

※追記
朝登校するとすぐに声をかけてくれて、ハンドボールをする仲間に加わったとのこと。
別クラスというのは、クラスタークラスというのでした。休み時間は自分のクラスに戻れるのだそうです。
良かったようです。「がっつり勉強した」そうです。
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初めての登校

2021年07月12日 | HALL家の話
帰国して2週間のホテル隔離生活を終え、「外に出てもいいですよ」という日を迎えたのが6月20日でした。
ようやく家族一緒に暮らし始め、以来3週間が経過しました。ちょうど学校のホリデーと重なったこともあって、AUSの空気や環境に馴染み、気持ちもずいぶんと落ち着いたのではないかと想像するのです。Tylerも穏やかな顔を見せてくれています。


今日から学校が始まりました。4年生。制服に身を包んで初登校日です。本当は帽子もあります(似合ってますよ。身びいきですがね)。自己紹介のフレーズを練習したと聞きました。級友の関心を引く、どんなひと言が含まれているのかを知りたいところですが、練習結果を出すだけで精一杯だったりして。まあ、おいおいです。自分で用意したというランチボックスには大きなハムチーズクロワッサン二つ、おにぎり一つ。ジュースと果物も見えます。のどを通ったでしょうか。大阪の地では6月4日まで登校して、それ以来の学校生活になります。

4年間AUSを離れている間に英語はすっからかん。しばらくは言葉の壁がありそうですが、授業の内容などは家庭で十分フォローできること。あとは本人さんのやる気。うまく引き出すのが教育のはず。時間をかけて育っていけばいい、…と祈る心です。

日本語がわかる先生はいないのだとか。

 
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SHOW AND TELL

2021年07月10日 | 日々の暮らしの中で

孫娘が5歳だった時、通うプレップ・スクールでは金曜日の一日の始まりに「SHOW AND TELL」の時間があったことを思い出していた。
今はホリデーだとか。やがて終われば4歳のLukasも兄の小学校に一緒に通う日がやってくる。同じ体験をするのだろうか、と思ったりして…。

ぬいぐるみやゲーム、絵本にDVDとかまで、リュックに入れていくのを目撃したことがあった。縫いぐるみを持っていっていいのかと娘に尋ねたとき、「何か話したいことがあるんとちがう?」という言葉が返ってきた。
クラスメートの前で縫いぐるみを見せて、それについて何かを話す。すると質問が返ってくるという。だから、またそれに答える。単純な、いえ純粋な好奇心が楽しみを拡大させて言葉が往復し、彼らなりに相手を知り、理解を深め、共感が生まれるのだろう。時には仲良しができたかもしれない。
人と、言葉と、ちゃんと向き合って初めてそこに共感は生まれるはずだ。大人だって。

「文章を書くこともショーアンドテルなんですよね」と文章の師が言われたことがあった。
 
  道を聞く(学ぶ)には
  宜(よろ)しく耳を洗うべし
と、良寛が言う。
「耳を洗う」、耳をきれいにする、耳を澄ます、心を澄ます。そうやって耳を心を傾けたいものだな。

るーちい君は英語がわからなくても従兄弟のおしゃべりをニタニタ見ていたとか。日本語に包まれて生まれ育った彼が、どうやって言葉を豊かにしていくのだろう。それが成長だとわかっているが、不思議だ。小学校に入ると「SHOW」は「SHARE」に変わって3年生まで続いた。

セミが鳴き始めていた。
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七月七日の素麺

2021年07月07日 | 日々の暮らしの中で

七月七日は、牽牛・織女の二星を祭る七夕。
『駆け入りの寺』(澤田瞳子著)の舞台となった比丘尼御所・林丘寺。ここでの尼の食べ物は、暦によって厳然と定められていて、しかも重要な儀式も兼ねるので間違いは許されず、数日前から当日の料理を練習して備えたということが描かれていた。

この日の夜の献立は、素麺に索餅(さくべい。米粉と小麦粉を練って、棒状にして揚げた菓子)だった。ゆで上がった素麺を盛り付け、井戸水で冷やした汁をかけ、緑色も冴え冴えとした豆と透明な瓜の煮物を添える。ゆで方、湯からの上げ方、汁のかけ方にまで、見習い尼たちには厳しい指導の言葉が飛んでいた。

我が家では昼餉に素麺をいただくことにした。朝から一日雨続き。天の川が氾濫することもないだろうが、今日の逢瀬は先送りだななどと思ってうとうとし始めると、雷鳴がとどろいた。午後3時。やれやれと腰を上げ、傘をさして近くに生えている梶の葉を見に出かけることにした。

      梶の葉だとは思い込み??

長雨の中、一隅を灯すようにアジサイが咲いていた。
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「おため」・お返しを

2021年07月05日 | 日々の暮らしの中で
これまで幾度となく歩いているウォーキングの道なのに、今年になって初めて頭上にテイカカズラの花を見つけ、またクスノキに咲く花を見るということがあった。少しさかのぼって2月のこと。ソメイヨシノが植わる賀茂川の土手で、奇妙な形の冬芽をつけた木があるのに気付いた。ここは桜並木。そこにまじっていったい♪この木なんの木?と気になってならなかった。それが少しずつ、明らかな変貌を遂げていく。



巻かれてにょろりと垂れ下がるものが葉っぱだったとは、…思わなかった。4/10

「やがて赤い花穂が出ます」と会津マッチャンさんに教えて頂き、そのころ私も目にしていた。5/6

青い小さな実を結んだ。5/22

巻かれたた葉は放たれて茂りに茂り、葉隠れにちゃあんとわかるクルミが生っていましたぁ~。(7/1)梅雨空に爽やかな色合いです。

始まりは偶然だったが感動や発見のいただき物をしましたから、そう、ちょうど「ありがとう」の心をお返しする〈おため〉のように、ここにその余韻をとどめておくことにしよう。
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