京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 することがない??

2010年08月31日 | 日々の暮らしの中で
                  

最近は、用があってもあまり外へ出たくないけれど、用がなければ外へ出ない?????
わかりやすく言えば、暑いので外へは出たくないけれど、仕方なしの外出となる日が多かった、という事だ。
今年は日傘を新調した。嬉しかったのでひたすらこればかり使った。ありがた~い傘となった。
男性の日傘も今年はよく売れていたらしい。だが、「よく」は、よく「みんな持っているから買って」と言って子どもたちが親にせがむのと一緒で、売り手側の戦法かもしれない。そんなに多くは見なかった。
そもそもそんなにぶらぶらしなかった人間の言うことだから当てにはならない…。

暑い暑いとぼやいていても暑いので、えのころぐさを採ってきた。
穂を抜いて、ちょっとおひげをつけて遊んでみようと。

               

高く高く吹き上がる噴水、虹がかかったりしてきれいだが、最後はバシャッ!と一気に落ちてしまう。それはそれで気持ちがよい。見ているものの気分も一緒に高みに吹き上げられるようだ。だからか、見ている人は必ずといっていいほど歓声を上げるではないの。
喜びかな?? 子どもはこんなポーズをとっていた…。
生後4・5日ではなかったか、父親に抱かれてダミーを離さないJessie。

こんなことしているまに9月の声を聞く。去年の夏は暑かった! きっとそう振り返るに違いない。
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 夏の向こうに…

2010年08月30日 | 日々の暮らしの中で
夏はいつだって暑い。
昨年も長く暑い夏だった。「政権交代」の気運に振り回されがちになっていた。「マニフェスト選挙」の言葉も記憶にある。国の“かたち”を変えようとしていたのではなかったのか。それなのにそれなのに、またまたなにやら内輪で蠢いている。

「地方は国の根っこ」、綿貫さんの言葉だった。
根っこの水分、養分が足りないと言っていた。大木を育て、拡大再生産が必要だと言っていたのだ。ここ、地方自治体の財政難は相当な厳しさだ。
そして、お国の高速道路無料化実験とかで、あれほど排気ガスを撒き散らして車は走るのに、ここでは一時間早寝して二酸化炭素を削減しようではないかと呼びかけているわ。どーなってるんだか…。

天から雨が落ちてこない。雨不足、大木云々より、草木も枯れる。生活の安心をどう感じて生きましょう。

酷暑、数字の判別学習などしているチンパンジーもやる気をなくした様子だそうだ。チンパンジーに負けてもいられないとは思う一方で、DNAは99パーセント人間と一緒だそうな…。みんなみんな暑い夏を過ごしてきたのだなあ。

8月ももうあと一日。早くカレンダーをめくりたい。この夏を、早く少しでも向こうへ遠ざけたい気もする。
夏があるから秋が来る、のか・・・。

                 (小林良正さんの“ほほえみ地蔵”)
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 「まさか!」 ?

2010年08月29日 | 日々の暮らしの中で
自民党と民主党が連合した… ?
まさか! という発想なのかもしれない。だが、いずれ「にっぽん」洗濯の立役者が登場し、こうした「まさか!」の固定観念を打ち破る日はあるのかもしれない。政体改革、といった言葉もあることだし。

NHK大河ドラマ『龍馬伝』、毎回が楽しみだ。
今回の「薩長同盟ぜよ」、古い先入観にしがみついている者にはできない発想なのだろう。
日本を立て直すため両藩は「砕身尽力」するという対等の関係での盟約が成った。立ち会った龍馬の発想の柔軟さ。

「なんでも最初に考える人がえらいわ~」とは、我が家の婆様の口ぐせだが、うなづける。
何か新しいことを始めるには勇気も、信念もいるが、この世に生まれてきたからにゃぁ~、で楽しいではないか。と思ってはみても自分ではなかなかね、そんなドデカイことには手もでない。
大切なことは、自分の行動ひとつでできることはあるってことだ。かな?

「雄偉」「閑雅」「晴朗」、龍馬の風貌を越前藩士下山尚が書き残していると聞いた。スマートでかっこいい男、上品で品格あり、声は晴朗さわやかだと。
お龍さんとの新婚旅行、彼女のかわいい笑顔をたくさん見たいものだ。

「おけいはん、龍馬に迫る!」なんて、京阪電車の車内広告に目が行くものだから、つい!熱く…。
http://www.okeihan.net/ryouma/
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 三兄弟??

2010年08月27日 | HALL家の話
              

Jayからのメールに添付されていた写真。
甥っ子コービーのフットボールゲームの応援の時の写真だという。

They 3 seem to be brother.

三兄弟、ではない。ジェイと弟のショーン(コービーの父親)、従兄弟のクリス。
比較的近くに住むクリスのお母さんには娘も早くからお世話になっている。

ショーンよりも子ども好き?のクリスはまだ独身。Jessie とかくれんぼに興じて家中を走り回っている姿が愉快だった。彼らの仲間には、Jessieが娘のミニ版と映るらしく“ミニ○○”と娘の名入りで呼ばれると聞いた。まことにたくましい、ショーンとクリス、180センチを越えている。二人の傍ではちょっと小粒のJayだが、友人や上司からの信頼も厚い好人物だと思うけどな。

♪ 弟想いの長男  / 兄さん想いの(従兄弟) / 自分がいちばん次男 次男

One arrow ie easily broken.
It is hard to compromiss if you bundle up three arrows .
Match power peacefully!!

一本の矢は簡単に折る事ができても、3本束ねたらそう簡単に折れるものではない…。
姉弟3人仲良く力を合わせて生きて欲しいという父の願いは、子どものころから聞かされた。
異国で暮らす娘に思いを馳せ、ふたつの国籍、ふたつのアイデンティティを持つJessieの行く末がたまらなくいとおしく思えることがある。成長が楽しみだ。
それを思ってくれるのか、優しいJayは時々こうして写真を添付してくれる。
  
Jay! ありがとうね~。hontouni!!      
     okaasan
       
 (写真がビットマップイメージだったので再処理。男前がちょっとぼけたけど~)
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 「朝型生活」

2010年08月26日 | 日々の暮らしの中で
月光ほろほろ風鈴に戯れ          荻原井泉水

こんなよい月を一人見て寝る        尾崎放哉

窓の外が明るい。昼間の暑さがなかったような、静かな月夜だ。宵っ張りが、心ゆくまで一人月見して長い一日を終える日が続く。

このライフスタイルを転換せねばならないのか…。身に染み付いてしまった生活のペース、改善したほうがよいと思いながらも、ついつい就寝時間はずれ込んでいく

わたしは地球温暖化のためにせっせと協力する好ましくない人間の一人のようだ。
部屋の電気をつけて手元にはスタンド、エアコンを入れたり切きったり、廊下の電気をつけてうろうろと…、 おまけにちょくちょく冷蔵庫を開けに行くし、遅くまでパソコンの電源も入っている…。夜の電力消費を減らそうという流れに逆らっている。

   灯りが消えたら…

夜1時間早く就寝して照明やエアコンの電源を切る生活を続ければ、1世帯あたり二酸化炭素を年間165キログラム(レジ袋6千枚の焼却分に相当)削減できるらしい。
そこでなんと! 9月を“朝型生活の推進月間”と市が定めるのだという!!
朝7時から市主催で5つの朝講座を開催、さらに企業への講座開催協力を呼びかけている。
通勤通学前に参加を、となるわけだ。

その参加者を送り出すために誰のどんな協力が要るのだろう。たいへんだなあ~・・・。
7時に参加するために逆算して4時起きの日々。 
こりゃたいへんだ~。               
文句ばかり言っていないで快眠のコツを学ぶ「朝快眠部」に出席しろと?・・・

今夜も月が綺麗だ。早々に寝てしまうのはやはり惜しい。

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 風が運ぶ?

2010年08月23日 | HALL家の話
                      

残暑のぶり返しどころか相も変らぬ真夏日のような日が続いている。

冷房なしでいられる本堂右手の玄関だろうか。境内の敷石ばかりの照り返しは相当に厳しい。だが、花など一輪も咲いていないが、北側の奥の庭が見える窓を開け放てば風の道筋になるからだ。簾を下ろし、まあ扇風機ぐらいは置いておくことにしよう。

エアコンつけて長時間になると頭痛、冷え冷えになる始末。さりとて無しでは…。
「心静かなれば即ち身も涼し」などとはとても言えず、まさに耐え難い「苦熱」には、避暑の一等地としての解放区だ。

サラからのメールにボーリングを楽しむJessieの写真があった。先日のジェシンタ誕生会のヒトコマ。
やはり抜けている!写真でみるのは初めてだった。

グラグラしている!と驚いて娘は病院へ連れて行った。
まだ少し早いと、「心の準備をしてなかったのでショックでね~」と言っていた。
やはり生え変わりであったようだ。抜けている。
誰もが通る道、仕方がない。けど5歳少し前…。

歯が抜けたら枕元にコインと共においておくそうだ。寝ている間に妖精が歯を集めに来てくれるのだという。なんてかわいい風習だろう。綺麗な歯が早く生えますように~。

人より少し早い生え変わりには思えるが、これかてDNAのなせる必然性なのか?
国による風俗習慣の違いの新たな気付きもあった。
何よりJessie自身がそうしたことに早くから馴染んで、人格の根底に流し込んでいく。
その国の空気を吸って紛れもない個が育つのだろう。

季節も人間の一生も、風が運んでくるのかな。その風もこの宇宙を取り巻くsomething greatの仕業?・・・

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 ドデカイもの… 

2010年08月21日 | こんな本も読んでみた
「この一冊!」・・・ということなのだが…。
大真面目で読んだ『乙女の密告』。  大真面目! 真摯に描かれていく世界を感じる。

自分が自分のままで生きていけないために、他者の仮面を欲しがる。
だが、他者の言葉で己を名乗ることはできない。逃れようのない事だけれど、「戦争が終わったらオランダ人になりたい」、つまりは「他者になりたい」というアンネ。ただ、そうなる時、それはアンネの自己に反することなのだ…と。
「ユダヤ人」としての誇りを失っていないだけに最大の悲劇、矛盾が生じる。
追い詰められるアイデンティティ…。

こんなことをメモしてみるのも、読書感想文を書こうとしているのではない。
読み始めてまもなくに、アイデンティティ、DNAということが頭の中を占め出した。
娘のこと、孫のJessieのことなどふと浮かんだせいかもしれない。

選んだ「この一冊」と、思いの接点をどう深めるかなあ。まとめられないでいる。そんなところへつい先日、「“something great”って言うんですけどね」と、師の言葉が出た。

友人から借りた『人生の暗号』で言葉を記憶していた。メモ書きでは2004年のことだった。
あれ以来触れることもなかった言葉に出会った驚き、不思議さ。常日頃DNAのお話をよくされるのだが、「keiさんのところはお寺だけど、神さん信じる?」と尋ねられたことがある。神・仏のむこう、もっと大きなものが何かあると信じているという師が言わんとされるのはこの言葉だったのか。

そんなこんな、いったいどうコジツケましょか・・・。無理かなぁ??
こんなドデカイ言葉を前に身のほど知らずのようだ。
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 命のリレーがなって… 

2010年08月19日 | 日々の暮らしの中で
                   

とりわけ厳しい夏の陽射しを受けて、夕刻にはくたんと萎れうなだれてしまう朝顔の葉も、水遣りひとつで精気を取り戻す。
一人で蕾を数えつつ、明日の朝を一足先に楽しだ。

亡き弟の庭からもらい受けたまま、播くのを忘れてしまいこんでいたタネ。昨年、17ヶ月ぶりにやわらかな青い花びら広げ、真っ白な花芯の奥から「ねえさん」と呼ぶ声を耳にした…。

新しく手にしたタネから新たな命を紡ごうと、今年は倍ほど蒔いたのだった。
多い日には40に近い花が咲いた。
去年のように、「お花が咲いたぁ!」と歓声を上げ「ひとぉつ・ふたぁつ…」と数えるJessieの声はなかったけれど、なかなかのたくましさで、私の思いに寄り添ってくれた。

絡みからんで、上へ上へと伸び上がったつる。
その先のほうで小ぶりな花が横並びに咲くことが多くなってきた。
どの花も空へ向かって、上を向いて花弁を広げている。
一日と持たない短い命を、どんな夢見て咲いているのだろうか…。

いろいろな思いを抱えせわしげに生きる日々も、
できることならこともなげに涼しげに、何食わぬ顔で私も咲いていたいものだ。
水遣りしながら、心中そっとつぶやいてみる。

        
       '07.10.21円山公園で          2歳児の寝顔

秋には色付いた木の葉やどんぐりを拾って、どんな遊びができるだろう。
Jessieは2歳だった2007年10月にひと月ほど日本に滞在した。5歳児となっては、また少し異なることだろう。
どうやら再び日本の秋を楽しみにやって来ること濃厚に…。

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 魂送り

2010年08月16日 | 日々の暮らしの中で
                 

八月十六の日の夕。幼い頃から最も親しんだ「妙」の文字。まだまだ家も少なく、伯母の家の玄関先に座って眺めることができたものだった。その伯母も亡くなり3年、跡地は未だ買い手が着かぬまま…、時だけは流れる。

昨年もここへ来て送り火を眺めた。東の方向を見返れば「大」、正面に「妙」・西に目を転じて「舟形」を望み、更にその向こう金閣寺の裏山の斜面に沿い字形は捉えられないのだが、2画目の払いが長い「左大文字」が目に入る。嵯峨野の「鳥居形」はそのまたはるか向こう、とても見ることはできない。

    

「妙」の文字は一気に、見事一瞬にして浮かび上がった。燃え盛る火床の炎の揺らめきが見え、白い煙が辺りを包む。歓声に拍手・拍手!!の丘の上は、涼しい風が吹き渡る。

盂蘭盆会の魂送りの行事だ。お迎えした祖霊・おしょらいさんに感謝しながら再びあの世へとお帰りいただく、「魂送り」。
「お送りする」わけだけれど、なにやらみ魂の意思さえ感じられそうな、本当にあざやかな燃え上がりぶりに感じていた。この世に思いを残しながら帰る霊も中にはあることだろうか…。「おばあちゃんバイバイ」そんな声がしていたが、送り、送られる日が来るんだろうなあ。(いや、まだ、すこしばかり早い!)

八百万の御霊が別れを告げた。風に吹かれながら腰をおろし見つめていた。
こうして今年の夏も終わった、という。
さて、明日から秋風、が立つのかなあ~。だったらいいのに…。

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 のけぞって見上げる先に

2010年08月15日 | 日々の暮らしの中で
               

虫の音しげき夕べかな。

大門をくぐり強い陽射しの照り返る大屋根を前にして一息つく。そこで曲がっていた腰を伸ばしながら、空を見上げんばかりにのけぞったお年寄りたちは、一様に瓦の美しさを口にして本堂へと向かわれるのだった。
帰り際、中にはこの平成の大改修の碑の前に飾り物が増えたことに気付いてくれる人がいる。写真の代わり、どうぞ心に焼き付けてお帰りを、と眺めていた。

         

亡くなった人の青光りした魂が阿弥陀様の元に戻って来る。大屋根のてっぺんをスーッと滑るように走って本堂の中に消えていくのを見る人がいる。
でも別に不思議ではない。誰もが仏の子となって浄土の世界へと。

お盆、生かされているご縁を喜び、感謝してお送りしよう。おのずと守っていて下さるのだ。そう思うと、気持ちが安定するようなことはないだろうか。

今日はJayの誕生日。Happy Birthday!
そして終戦の日。彼と話した「Kokoda」を思い出していた。
「Nobody Winners…」といった言葉、多くの命が失われる戦争に果たして真の勝利者がいるのだろうかと思う。
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 “わたしは生きよう”…、 河野裕子さん

2010年08月13日 | 日々の暮らしの中で
遅くに開いた夕刊をみていて、歌人の「河野裕子さん死去」の記事に驚かされた。昨日12日午後8時7分乳がんのために亡くなったとあった。64歳。

2年間、近現代歌に詠まれた京都・滋賀の地を歌人の永田和宏さんと河野さん夫妻がいざなう「京都歌枕」が新聞に連載されてきて、7月15日で終わったばかりだった。その後、連載を振り返ってお二人が語り合う19・20日の2日間の記事でもって閉じられた。

30年余り前、両隣の家の灯りが壁の隙間から見える三軒長屋の真ん中の家で、年中やぐらコタツを置いて二人は差し向かいで仕事をしていたという。3人の若い歌人がやってきて夜遅くまで議論しあい泊まっていった。その晩のことを一人が「永田和宏仁和寺の家」という固有名詞を下の句に据えて詠んだ一首が、最終回の掲出歌だった。
ここで暮らした子どもたちの幼年時代は深い刻みとして記憶に残ると語られている。

「私にとってこの連載で一番大きな意味は、あなたと一緒に時間を共有したことだったと思う。どこへ行くにも必ず一緒に行った。昔、浄瑠璃寺を歩いた、そして何十年たって同じ道のりを歩く。かつてあった時間と、これからどれだけの時間があるのだろうかという、短い人生で歳月が持つあじわい。人生、時間というものを感じさせられました。」

こう振り返られた河野さんだが、十年前に乳がんという病名を知らされていた。
その秋の日、澄んできらめく鴨川の流れを見つめ泣きながら「私は生きよう」と思ったと綴られた6月11日。しみじみとこの世の美しさなつかし、人生の短さを思われていた。
読みながら涙で文字がにじんだ朝。発せられたことばの持つ優しさ強さ、真摯さが身に染む素敵な女性だったなと思う。

生きている今、今生こそを存分に生きろよ~
 お盆の初日、そんな声が聞こえそうな気がしても不思議ではないかな…
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 日本人の本好き

2010年08月11日 | 催しごと
                

賀茂川と高野川の合流点にある糺の森は、鬱蒼と樹木が茂っていて下鴨神社への参道が続く。『方丈記』の著者鴨長明は、この森の中にある河合神社の禰宜の二男として生まれたが、跡継ぎに関わる一族内の確執によったか、50歳を過ぎたころ大原に隠棲したとされる。

森の外を行き交う車の喧騒などまったくない、神さびた雰囲気すら漂わす別天地に近い糺の森に朱色はよく映えている。昨日の激しい雨あがり、ジメッと籠もった空気がちょっとした原生林の趣を高めているような…。

              

まだ午前10時半過ぎだというのに、既に古本まつりの会場は多くの人であふれ返っていた。そして、なにやら感じる気ぜわしさは空模様との相談だったのか、降る前にお宝を探そう!とでもするかのようだ。
でもちょっとひどい、殺気だってるんじゃない? … 気付けばそこは100円コーナーだった。胸の前に高々と積み上げた本を両腕で捧げ持った人、お手伝いしましょうか?と声を掛けるようなおせっかいはやめたけれど、前が見えるのかしら。

こんなに本好きがいるのか!?と 嬉しいような笑いたくもなるようなだ。そうした人の様子を腰を下ろして眺めている楽しさ、これもなかなか捨てがたい。そして80万冊という書物の数に手を伸ばす、人の趣味思考は実に様々だ。

「日本人の本好きは寺子屋教育がなかったら到底成り立たなかっただろう」と、誠心堂書店のご主人は言われている。日本の教育の広まりに一役果たした民間の“学校”・寺子屋の存在意義は大きいようだ。
それなら、我が所のご先祖様の努力にも感謝のナンマイダ~、というところかな。
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 時は 移ろうけれど・・・

2010年08月10日 | 日々の暮らしの中で
                 

境内の小屋の前に蝉が仰向けで転がっていたが、近づくとまだ羽をバタバタさせる。
道路わきでも、この頃はそんな蝉をよく見かけるようになってきた。

今朝、気付けば蝉が鳴いていない。暗い空はかすかな雨のせいだった。
すさまじい蝉の鳴き声につられるかのように日差しが強まり、気温もぐんぐん上がっていったものだ。
「夏と秋と行きかふ空のかよひぢ」が一筋…、このところは季節の移ろいの中にあるのを感じられるようになった。

色素が抜けた突然変異なのだろうか、真っ白な朝顔が2輪咲いた。この種を取れば来年も再見できるのかと今ふと思ったわけだが、明日は間違いなくしるしをつけておくことにしよう。

     

夏の戸外でよく作るカレー。
“戦地または平時野外における調理”として、「カレー汁」の作り方がこう記載された本がある。
●鍋に牛肉と少量のラードとたまねぎを入れて炒め、350ccの水を加え、先ず人参、馬鈴薯、玉葱の順で煮て、食塩にて調味する。
●そこに、ラードを煮立て小麦粉を加えてかきまぜ、カレー粉を入れて作っておいた油粉捏を煮汁で溶きのばしながら流し込む。
「温き御飯を皿に盛りて其の上よりかくればライスカレーとなる」とある。

甘味品のドーナツ・蒸羊羹・流し羊羹、特別食として流動食に果物ゼリー・牛乳ポンチ・ココア牛乳…なども食したのがわかる。
戦時中、中国へ渡った伯父が私に譲ってくれていたのだが、しまい込んだままだった。

時も季節も移り変わるが、忘れてならないものはあるのだろう…。
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 家路を急ぐ

2010年08月07日 | 日々の暮らしの中で
            

午前3時35分だった。
突然の目覚め、なにやら意識もはっきりと目が覚めた。
起きるか!?だけど何時だろうかと時計を見てビックリ、さっき寝たばかりじゃないの。
ということで、二度寝??することにした。

午前中に30度を越える「秋立つ日」、とは言え暦の上だけの話であって残暑も猛暑らしい。
そんな中、ご先祖の霊を迎える「六道まいり」が始まった。

京都には、この世とあの世の境目と言われる場所がある。東山の六道珍皇寺がそれだ。
ここの背後は阿弥陀ヶ峰と呼ばれる山の麓にあたり、平安の昔から鳥辺野と呼ばれてきた葬送の地へと続いていく。鳥辺野へと続く道筋にある寺、となる。
本堂裏にある庭の井戸を使って、閻魔大王がいる冥界とを行き来できたという。もっとも、小野篁の伝説によれば…、だが。

          

「迎え鐘」を撞く。撞くとは言っても、厳密には撞木(しょうもく)を鐘にぶつけて鳴らすのではなく、引き綱を引っ張って鳴らすようになっている。
「引く」と鐘の響きははるかかなたのあの世にまで届く、それを合図にお出ましなのか。引き手の持つ戒名ごとに音色にも微妙な違いがあるのかも知れない。
我が家へと祖霊をお迎えするお盆を前にした行事になっている。

あの世への入り口があるのなら、予行演習などというものではないが、ちょっと覗いてみたくなるのは人情。我が家の井戸で試すわけにも行くまいし…。

四日間で10万人ほどは訪れるという。一家に一人をお迎えとは限らない…。
黄泉の国から家路へのラッシュも続きそうだ。
 

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 ヒロシマ65年

2010年08月06日 | 日々の暮らしの中で
魂祭り。鎮魂の月、八月。
ヒロシマ65年、「原爆の日」を迎えた。

関連したいくつかの報道番組もみたが、こんな愚かなことがあっていいはずがない。
どれほど時を重ねても消えることのない記憶、逃れようのない被爆による心身の苦しみを思い遣る。わけもなく多くの命を奪いとった蛮行への憤り、奪われた命の無念さを思っていた。

東京育ちの夢や希望にあふれる青年は、親の反対を押して広島の大学で教員への道を志していた。わざわざ広島まで…。それゆえの被爆であった。

子供のころ、彼がよく夫婦二人で実家に遊びに来ていたのを記憶している。私の母とよく似たおじさんと綺麗なよしこおばちゃんは、ずっと夫婦二人きり。
叔父の口から「子供ができない」と話し出されて「被爆」の言葉を聞かされたのは、嫁いだ私のところへ遊びに来てくれたときだった。
父母からの話で知ってはいたのだ。知っていた、という必要もなかったが、叔父の話以上に深く尋ねることもできずにいた。
ただ、知らずにいることは罪だとも思ったものだ。

少し細身だが一見は健康そうだ。どれ程の症状で苦しんだのか、叔父は語らない。定年退職まで高校で社会科の教諭として勤め、今も二人揃って暮らせている。

…どんな思いで今日という日を過ごしたであろう。全国的に暑い一日だった。

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