京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 プレゼント

2012年11月30日 | 日々の暮らしの中で

両親からもらった健康な身体。父親譲りのコツコツ努力型の気質。母親からは、「困ったわね~」と口にしながらも「何とかなるわ。なるようになるんでしょう」という鷹揚さ、いい加減さ。そして、なぜだかちょくちょく肝心なところが抜け落ちる、間の抜けっぷりの良さが伝わっていると思っている。

一直線にわき目もふらずではつまらない。父と母から流れてきた性分が旨い具合にミックスされて形成されたことが、案外ちょうどよいのかもしれない。つまづきながらいろいろな風景を愉しんだお得感ありの道だった。そのすべてが今につながっている。ちょっと中途半端な生真面目さ、まことに都合の良いものがプレゼントされたものだ。

今年は少し早目に送ろうと、すでにあれこれクリスマスプレゼントを揃え出した。Tylerは母親がバッグを持つと「いこいこ」とドアの方へ走り寄るこの頃ということだ。片言の声が電話口から聞こえてくることもある。Jessieの手紙の文字に、片言に、孫たちへの夢を馳せもするが、やはり顔を見たくなってくるのよね。プレゼントを探しながら、いっそ行こうか!?と考える自分がいる。

サンタさん、チケットプリーズ!!  なんて、あまりに虫が良すぎます…



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 天空の城壁

2012年11月27日 | こんなところ訪ねて
竹田城は播磨・丹波・但馬の交通上の要地に築城された。現在の兵庫県朝来市に位置する。
5世紀半ば、山名氏と赤松氏の対立が深刻化していた時、赤松氏に対する山名氏方の最前線基地の一つとして築城された。以後、太田垣氏が7代にわたり城主となるが、歴史の変転を経て、1600年に廃城となった。放置されたまま朽ちたそうだ。

 

天守台の標高は353.7m、この高さだと風当たりも強く、天守閣は2層ではなかったかと説明された。天守台を中央に置く石垣の城郭、その規模は南北約400m、東西約100m に及び、防御性を高めた構造が随所に残されたまま、山上に威容を誇っている。素晴らしい日本の文化の名残りだと思えてくる。規模こそ大幅に違うが、「日本のマチュピチュ」と称されるのもうなずける天空の城の光景。


晴れていたら眼下に広がる城下の様子もくっきりと観ることができ、木々の色づきの名残さえ趣を添えてくれたに違いないだろう。ところが今回は、大方が雲の中であった。雲が切れたわずかな時間に、わずかに覗けた城下の街並み。そしてそれも、再び真っ白な世界に閉じ込められてしまうものだった。見事な石垣の遺構に歴史のこもごもを重ねるとき、雨に煙った世界の幻想感がより情趣を増したのだと喜びたい。すべてがクリアーにされないことの魅力は確かにあるはずだ。


26日午前4時、雨は音を立てて降っていた。「雨か―」と思わず口をついて出た一言。予定より少し早目に起き出してしまった。リュックの中身はカッパ、リュックカバー、ネックウォーマー、手袋、タオルに予備の靴下…。そうそう、アドバイスを受けて気温調節用にベストを含めた。前日からの雨対策は万全だった。昼過ぎまで降り続いたが、上がる間もあって土砂降りでもなく、足元が濡れないようにカッパを着用して歩いた。やがては傘が杖代わりにもなった。

総勢37人の参加者だったが、昨年は年間10万人、今年はすでに20万人を超える観光客だそうな。この日も、他のグループとごちゃ混ぜになって、よそさんのグループから参加してくる一団もいて、山頂は大賑わいでした。
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 きっと、雨には雨の風情が…

2012年11月25日 | 日々の暮らしの中で


北大路駅からバスに乗って、大徳寺、金閣寺、平野神社を過ぎて北野白梅町まで。そこから徒歩で北野天満宮へと向かった。毎月25日は天神さんの縁日が開かれる。ポカポカ陽気で、日焼けしそうなほどの日射しが注がれた日曜日とあってか、多くの人出で賑わっていた。期待したが、あいにく白い山茶花はなかった。

 
店を覗く予定は初めからなかった。疲れない程度に帰路、平野神社まで歩くことにした。もう少し早くに訪れていたら、桜紅葉でさぞかし見ごたえがあったことだろう。すっかり散紅葉だった。

諦めようか?もう今日は止めておこうか。今日を逃せば後回しになりかねない。結局は近くの園芸店で「白楽天」と書かれた白の山茶花を見つけ購入してみた。たくさんの莟がついて60-70cmほどの背丈を、1本。

明日は雨の予報が出ている中、現地のガイドさんと行く「竹田城ウォーキング」に参加する。日本百名山の一つで標高353.7mにある山城は天守閣がなく石垣だけの城跡だという。「日本のマチュピチュ」と呼ばれるだけの光景はいかに!? 楽しみです。
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 白い山茶花

2012年11月23日 | 日々の暮らしの中で

東寺の境内で見つけたこの花は、…山茶花ですよね。見上げるほどの高木でしたが、随分と豪華な気がします。薄く、透き通るかのような色白の美人。お肌には艶さえ感じられる、純白です。「椿に似て、椿より淋しく」咲くと歳時記に。はかなげに咲き、はかなげに散る。

     山茶花は白一色ぞ銀閣寺     小沢碧童

紅い花もこの初冬の季節には風情を感じます。椿はあっても、家に山茶花がありません。
25日、天神さんで買いましょか。冬を迎える花、白い山茶花が欲しくなりました。

やがて黄色いつぼみを膨らませてくる蠟梅の花は、生花店と物々交換です。長年のお取り引きでして、枝ぶりも含め、蕾の付きようが盛んなところをハサミでパチン!パチン!と、二人がかりで切り出して持ち帰られますが、その変わり、本堂に菊の花などをたんとお供えして下さいます。花の少ない時季のこと、報恩講から新年に向けて助けていただけるわけです。

久しぶりに欲しいものができた、そんな感じです。
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 「いのちのスープ」

2012年11月21日 | 日々の暮らしの中で

上映中の「天のしずく」が、料理研究家の辰巳芳子さんを追ったドキュメンタリー映画であることを新聞記事から知った。全国の病院で最期をみとる「いのちのスープ」が広がっているそうだが、その提唱者である。
最近、玄侑宗久氏と辰巳芳子さんの対談を読んだばかりだったので、改めてページを繰ってみることとなった。

冒頭、辰巳さんは、スープが喜ばしい理由として、食べ物の中で最も母乳に近いものだからだと述べられた。「ス-プをいただくいちばんの功徳はほっとすることだ」とされる著書の言葉をひいて玄侑氏は、「人と人が接することのいちばん大きないただき物を、ほっとすることだと思う」と応じられていた。

スープ、汁ものを食べて「あっ、なんだかやる気が出た」と感じられることは大事で、自分の生命力が信じられてこそ希望が、愛が生まれ育つのではないかと辰巳さん。著書『あなたのために ― いのちを支えるスープ』は、作り手に向けた本だと説明される。
つくる人が一番良い結果を生み出そうと工夫する中で、身も心も込めた心遣いを身につけていける。料理の作業への心遣い、それを通して無意識にでも受容力のあるいい人なれるのではないか、と含みを持たせている。
いつもの味噌汁に、家族の健康を願い、ひと匙の擦りゴマを加える朝…。そんな心遣いをされる女性を知ったが、見習わなくっちゃ。

 
言葉の中にも仕込まれて存在するだろうと思われる「心遣い」。辰巳さんは「人間の面白さは感応力にある」と言われていたが、懐かしい友人の声を聞いて、まさに「あっ、なんか元気が出た!」の思いで東寺の弘法さんを覗いてみることにした。現金な~…。

重い雲が広がっていたのが嘘のようだ。広がった青空の下、まぶしいほどの晩秋の日差しを浴びた黒々とした五重塔に、紅葉が色を添えていた。
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 この人誰?

2012年11月15日 | 日々の暮らしの中で

小学校3年生の女の子、ホリ―・エヴァンスは、念入りな計画のもと「サイエンスプロジェクト」を立案。野菜の種を蒔いたプラスティックコップをいくつも箱に詰め、空に向けて放つのです。                                        
やがて空に野菜が充満し出します。キャベツ、キュウリ、ライマメ、アーティチョーク、ウド…、すべてが巨大なサイズで。そして、やはり巨大化したブロッコリーがホリ―の家の裏庭に!「いったい何が起きたの!?」と沈むホリ―ですが、何やら宇宙人らしき生物が登場してくるようです。             

新たに読み始めることになった『JUNE29、1999』というタイトルの絵本。彼女の部屋には、左にヘリウムの入ったタンクが見えています。箱詰めのカップに水が行くように何本ものチューブです。土入りの袋、種の箱があります。「温室効果」「光合成」という分厚い本まで。少女の生物や科学への興味の深さを想像します。絵から読みとれる様々なことをもとに話題は発展。そこに「英会話」が存在してくるわけです。

     
ベッキー先生が、左上の肖像画を「キュリー夫人」だと言われました。素直に受け入れたのは一瞬、「アインシュタイン」という名も口にされましたから一変、生物学者のダ―ウィンではないのでしょうかと。ろくな知識もないくせにです。
舌を出したアインシュタイン、顎ヒゲを蓄えたダ―ウィンの写真はよく知られるところですが、それ以外の姿だってあるはず。うーん、どっち!? ちなみに11月24日はダ―ウィンの『種の起源』初版が出版されたことにちなみ「進化の日」とされています。まちまちな声が飛び交ったまま…。

結局、私はつい先ほどベッキー先生が最初に言われたキュリーさんかもしれないと思い直すことにしました。理由は簡単です。私は若い頃、「尊敬する人物」を書く欄にいつもキュリー夫人と書いていたからです。彼女の伝記を読んでいましたが、女性を挙げることにこだわったからに過ぎません。少女ホリーがマリ・キュリーを尊敬しているというのもよいものです。
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 少しの勇気で最善を

2012年11月13日 | 日々の暮らしの中で

熊野古道を歩いた汚れを洗い落としてからしまっておいたトレッキングシューズを出した。足を入れかかとを納めると、すっぽりと包み込まれた足の落ち着き具合は何ともいえぬ心地よさで、久しぶりの感触に気持ちが高揚してくる。またこれを履けることの嬉しさが満ちてきていた。シューズの試し履きも兼ね、色づき始めた木々を確かめようと外へ出てみることにした。

 
落ち葉の絨毯の上を歩き、風もなくまっすぐ揺れ落ちてくる黄葉のひと葉を手で受けて一休み。東山三十六峰、最北の比叡山から大文字で知られる東山の如意ヶ岳へ、更にはもう少し南へと続いて見える山容を一望していた。

トレッキングシューズに問題はなし。『天空に浮かぶ石垣の幻想「現地ガイドと行く 竹田城ウォーキング」』日帰りツアーに参加を決めた。
今でなくてもいい、今度にしよう、などといった思いから、様々な機会を逃してしまうことはなんと多いことだろう。先送りせず、ためらうことを捨てようと思ったのだった。歩きまわれる気力・体力がある今を大切にしよう。

こうした決断の潔さは往々にしてプラスに働いてきてくれたように感じる。もちろん運の良さも味方してくれただろう。ただ、潔いなどと言えば聞こえはいいが、反面で思慮に欠く場合がないとは言えない。どちらもが私自身の姿で、性分かもしれない。

    熱いコーヒー片手に裏庭へ??
人生の転機の中で、「もしもあの時・・・」、と語るとなると…? 歩きながら考えようと思ったけれど、結局何もまとまることなく終わってしまった。人生に数々ある転機には、何らかの形で出会いの存在があり、よりよい方向へ弾みがついてもきた。自分が常に良い出会いを求めていることも大切なことには違いない。「人生の岐路」、振り返った時に見えてくるものは・・・。やはり、こんなこと考えるのももったいない、良い季節に似合わないテーマではないのかしらん。

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 痛恨のミス

2012年11月10日 | 日々の暮らしの中で

点字図書は凸面を触読するというものですのに、その面にほんのわずか皺を寄せてしまいました。
縦に点字3文字ぶんの部分にしわが重なり、余分な凸面ができてしまったのです。写真、文中の「まる子は、」と読める左側にです。「ほんのわずか」という表現は適当ではなく、まことに大きな失敗となってしまいました。

点字を打ち込んでから裏をはがしながら、透明シールを絵の表面に貼り付けます。曲がらぬよう、左右反対にならないようにと気をつけて気をつけてしています。ペタッ!っと貼りついたシールは、ほとんどはがすことはかないません。そこに少し皺などを寄せてしまって。あ~、悲しや悲しやです。
「たった3文字に支障が出た」という問題では済まず、このまま読んでちょうだいなどと納められることのできない不完全な一冊となってしまいました。40ページ目です。裏表紙にある「あらすじ」まで残り5ページ分はすべて貼り終えました。この1ページが!!…。

点字の校正・指導をしていただく先生から、ここにアイロンを当ててみよというお話でした。
当て布をして、アイロンで極力平らに均して、その上から再度打ち込んだシールを重ね貼りをする。重ねるのです。その前に、凸面をつぶしてみることにしました。しかし、「点」を重ねる!?って、はたしてできるでしょうか。これからアイロンを…、ですが勇気が出ず先に進みません。一瞬の気の緩みが思わぬことに。これも勉強ではありますが、ガックリ。


アイロンを出して置いたまま、昼から京都御所の西側の護王神社に古い足腰のお守りを納札に行ってきました。まずは一年間元気に歩かせていただけたお礼です。そして新たなパワーで守っていただけますように…と。
何か違うお守りでも授かったほうが良いのでしょうか…。何事も慎重にという戒め続きです。
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 魚の小骨が

2012年11月08日 | 日々の暮らしの中で

鍋に水と調味料を合わせた出し汁を煮立て、身欠きニシンではなくソフトニシンを用いて・・・、ニシンとナスとを炊き合せました。けれど、ここではレシピの話ではありません。
昨日の昼間、甥っ子からベイビー誕生の知らせをもらい、ほんまに軽やかな嬉しさいっぱいで過ごしていました。浮かれ過ぎないでと、チクリ!?

通過するはずと高を括った小骨が、不覚にも喉か舌の奥に刺さってしまいました。痛みも異物感もあります。ご飯や固形物を通すことで取り除けはしないかと繰り返してみてもさらさら効き目なし。チクチクとしたままぐっすり休んで、今朝を迎えました。

トーストなら角で骨をさらってくれるかもしれないと期待しましたが、失敗です。喉に指を入れてこのあたりだと探ってみても、嘔吐きそうになるばかり。相変わらずの違和感でしたが病院に行く間もなく、外出です。このままでは夜間外来にでも行くしかないと思って、帰宅後アイスクリームなど口にしていたところ、いつの間に嘘のように喉元がスッキリしているではありませんか。どういうわけか小骨は取れた。良かった。子供ならいざ知らず、骨が刺さったとは少々恥ずかしさもあって言いにくく、正直なところ困っていたのです。

「ソフト」ということで油断、火にかける時間が足りなかった、ということはないはずです。細くて白く光った、意外とシュッとした鋭い骨。生まれて初めての体験に思い出した言葉は、娘が祖母に向かって言っていた「おばあちゃん、ゆっくりたべや~~」です。慌てたつもりはありませんが、これも、食事はゆっくり落ち着いて食べるべし、というありがたいお達しになるのでした。

昨夜から、甥っ子の喜びごとの陰で、大きな口をあけて鏡を覗き込み、ひたすら刺さった魚の小骨と苦闘する体たらくが続いていたのでした。
思いやりの心もないなんて、なんと無粋なニシンの小骨でしょう。
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 新米父さん

2012年11月07日 | 日々の暮らしの中で
いよいよ本格的に冬支度を意識させられそうな「立冬」を迎えた。日ごと厳しさを増していくばかりの冷え込みだが、紅葉の見ごろはこれからが本番、晩秋の彩りを今少し楽しませてもらいたい。

秋の終幕に向かって、有り難い千体仏地蔵菩薩の拝観という機会をいただけたばかりだというのに、早速に喜びごとが舞い込んだ。気持ちが軽やかになるのを実感しながら、電話の向こうに甥っ子の顔を思い浮かべつつ彼の報告を聴いた。

   「やっと後継ぎができました」             
今朝8時頃に第一子、長男が誕生したという知らせだった。2007年11月11日挙式。久しぶりに親戚が一堂に会した場は、新たなご縁が生まれた日でもあって、とりわけ若い者同士どこかでつながっていて欲しいと願ったものだった。
「元気に育てたいです」と、父親としての思いが窺える嬉しい一言を残してくれた。

彼の父親から「さっき生まれたよ」と誕生の知らせを受けた日が、ついこの間のことのようだ。夕飯の支度中だったのを思い出す。
新米父さん頑張ってね!! 写真を送ってほしいと頼んでおいた。
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 離れられずに

2012年11月06日 | 催しごと
「秋の非公開文化財特別公開」が行われている。

 
初めて上京区の報恩寺を訪れた。寺歴によれば享保・天明の再度の大火で伽藍はことごとく類焼したとある。本尊阿弥陀三尊像や地蔵菩薩像はじめ、絵画、古文書には難を逃れ現存しているものはあるが、本堂と庫裏は再建されないままで、本尊は客殿に祀られているのだという。鳴虎、梵鐘の伝説、黒田長政往生の間など拝観するポイントも多いが、目的は「厨子入千体仏地蔵菩薩像」ただ一つだった。

(新聞掲載による写真)

厨子と千体仏とはそれぞれがガラスケースに入って客殿右側の間に展示されていた。
土・日曜日には2000人に近い参拝者で賑わったらしいが、平日の午前中とあってか、押すな押すなの状態ではないのが幸いだった。

他のことは眼中にない私は、各所の説明に耳を貸すこともなく、ただただガラスケースに入った千体仏にまとわりついて見入っていた。間近にして、そのぐるりを時計回りにという順路でひと巡り。二巡り、三巡り… 何度巡っただろうか。
驚きだった。新聞掲載の写真で興味を持ったわけだが、目の当たりにしては芸術品の感が強い。むろん信仰の対象・地蔵菩薩だろうが、この彫りの見事さ、精緻さに息を呑む。立ち去るのが惜しまれて何度も何度も、時には列の中に入って順番を待つ。引きつけられた。離れられない。

厨子入りの携行用だと説明されていたが、厨子の高さは19.6cm。
その中に、檜(ひのき)素材で13.5cmの岩山が作られ、わずか3,3cmの中尊を配置。
そのぐるり、岩山の後ろ脇も含めて、更に小さな5mmサイズという千体仏が白檀で一体づつ彫られている。
針金を利用して立てて並べてあるのだそうだ。こんな小さな地蔵さんに顔が彫られ、衣のひだが見て取れるし、5mmの像に光背があり光を放っているのも感動だった。閻魔王と冥官が手前に。5mmの像を1千体、この彫り師の思いが、見るものを引き付けて離さないのか。

ルーブル美術館など欧州の美術館を巡回し、平成18年、国の重要文化財指定を受けてからは京都国立博物館に寄託保管されている。以後、展示されることもないまま、この寺でも初の公開だそうで次回の予定も未定とのことだった。御柏原天皇により御下賜された当時は1000体だったが、現在は954体。46体が失われている。鎌倉時代、1300年代後半の作と説明された。
言葉は要らないほどに釘付け。大きな思いを胸に刻めた気がしている。御利益のおすそ分けを、ぜひ!!   合掌

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 「夜ふかし あと1ページ」

2012年11月05日 | こんな本も読んでみた
昼からできた時間をどうするか。やはり「古本まつり」に足を運んでみようと思いたちました。秋晴れの日曜日、昨日で古書市も最終日でした。秋の会場は百万遍(左京区)にある知恩寺です。東大路通と今出川通が交差した付近に広がる京都大学の代名詞的「百万遍」ですが、この今出川通を烏丸通りへと西に向かえば、同志社大学のキャンパスが一帯に広がっています。なんとなく気分も若やぐようなエネルギーを感じる場所です。




「古本でしか読めない」「三田村蔦魚を読む。秋らしくなってきたので特別大特価!」
「最終日ご奉仕! 文庫と新書 付け値から100円引きします」
「均一 500円」は単行本です。お堂のぐるりを全集本が囲っています。競り売りも行われます。文庫本10冊で500円、5冊で300円のコーナーもあって、つい誘われて覗いて歩きます。

私が文庫本で探すのは、講談社文芸文庫でしょうか。1冊1400円で買うこともありますが、お安く手に入れるチャンスで興味のある作者を探します。もっとも、もしあれば程度ですからめったと見つけられません。今回は探し物はなく、ページを繰って拾い読みして元に返すだけ。会計をしながら、四国の高知から来たと話す男性の声が聞こえてきました。

帰り道、新刊本で『中途半端もありがたい 玄侑宗久対談集 語るとは聞くこと。だから心に響く』を買って帰りました。京都新聞社からの推薦という本でした。それと、朝刊連載中の山本兼一氏の「夢をまことに」の切り抜き、これらが私の読書の秋の始まりになりそうです。今日で111回目、ここまでをまとめて読破です。

 

今年の第66回読書週間の標語は「ホントノキズナ」。本との絆、…本当の絆??
「落ち葉をしおりに 読書の秋」、戸外での読書も好きですが、ちと寒さが厳しいこの頃。
「秋だからちょっと夜ふかし あと1ページ」「読みたい本を 読みたいようによめばいい」といきたいです。「思わず夢中になりました」と言える出会いがあるでしょうか。「心に刻もう 確かな一冊」、こうなるとホントノキズナも生まれそうです。

まとまる時間は大作に挑戦したくなる読書の秋、何にしようか選ぶ楽しさも味わえます。

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 秋も深まる頃

2012年11月01日 | 日々の暮らしの中で

十一月に入った途端の変わり様で、冷たくどんよりとした空が広がった。近畿地方では10月29日に木枯らし第1号が吹いたが、今日あたりはそれに続くものかもしれない。

風で車道に吹き出された枯れ葉が、かさこそ音を立てながら円を描いている。Dead leaves were dancing in the wind. 風と戯れる枯れ葉の歌か。
外出先から戻ってみると、貴重な、たった1本の石蕗の茎が頭を垂れてぺにゃんとしている。風の威力に、多分頭が重いぶん太刀打ちできなかったのだろう。すわっ!とばかりに大急ぎで支柱で体を起してやることにして、自分のしていることがおかしくもあった。ひらりひらりと風の流れの隙をぬうように舞う蝶が、とまり場所を探していた。

  

藤本義一さんが亡くなられた。朝、洋書絵本の英単語を調べながらテレビを見ていたら、生前の姿が映し出されていた。
「(直木賞)受賞なんて交通事故みたいなもの」
(もう何歳だからなんて言わないで)「冒険に出なくっちゃ」
『「運」と言う字は「運ぶ」って読むでしょ。じっとしていたら運もやってはこないのだから、足を運んで、どんどん外に出ていこう』

若い時からほんまに素敵な義一さんでした。
命を燃やして、朽ちても美しくありたいもの、できれば…。

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