京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

遊び心で春を待つ

2009年01月31日 | 日々の暮らしの中で
知人に便りを出そうと思い、便せん・葉書を買いに鳩居堂へと出向いた。
季節のものが探せてお気に入りの店の一つ。
店内の展示コーナーでは、香炉の上に伏籠(ふせご)をかぶせて、その上に衣を打ち掛けてある。
香が薫きしめられた衣を身につけた王朝人、こんな春の気配すら感じる日はどこへと通ったのだろう。誰を待ったのだろう……。

  うちにほうふせごのしたのうづみ火に
   春の心やまづかよふらん  
          藤原定歌

伏籠の下の香呂・うづみ火に、春のあたたかさ、ふと、ほのかに漂ういい香りを感じ取る。

今春中学校を卒業する5番目の娘を持つ知人に向けて、香りをたきしめて封書にした。どことなく楽しい気持ちに、甘い香りを添えて、ちょっとした遊び心。届いてほしい。

実質このひと月がもっとも寒い時期だが、日脚も伸びている。
睦月から如月へ……春を待つ。

姫の声がない。“お友達”と枕を並べていることだろう。
雨音だけが聞こえるような静かな夜。ちょっぴり、「ほっ!」

  (展示物ではありません。香炉と伏籠)
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オラの本気の恋だゾ

2009年01月30日 | JESSICAの日本滞在記
DVD借りたゾォー
今度の口真似はなんだ~?

なにかオモシロイコト言ってくれよ~
頼んだゾォ~~

「もう少し見せてみたい気がする」
言いだしっぺは母親だ。その発案に即のって、レンタル店へと急ぐ。
手当たり次第にしんちゃんのケースを抱きしめて、「しんちゃん だ~いすき」。
おいおい、「志村けんのバカ殿様」と順位を争う、“子供に見せたくない番組”だゾォー。 

ここはちょっとJessieのおもろさに期待を込めて、慎重に選んだゾォー。 
「TV版傑作選第3期 ②」(前回に①)
  1七草ガユを食べるゾ
  2父ちゃんのこづかいがないゾ
  3母ちゃんの成人式だゾ
  4こたつから出ないゾ
  5父ちゃんとデパートだゾ
  6母ちゃんの減量だゾ
  7アクション仮面 悪の天才!ツバインバッハ
  8母ちゃんが事故ったゾ
  9オラの本気の恋だゾ
 10オラの恋の告白だゾ  

聞こえてくるゾォー、
「この字読めるゾー。しちぐさ(七草)セットってなんだぁ~?」
やっぱ、見せない方が良いのか? 心配だゾォー。

埼玉県春日部市在住、ふたば幼稚園に通う5歳児。
その名も、ブラックリストNo.1野原しんのすけ。

しんのすけの好物の菓子チョコビ。
自分もコンビニで買って食べたことで、親近感をますますつのらせる我が家の3歳児。

頼むゾォー、おもしろいこと言ってくれよな~~、Jessie!
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みんなにやさしい…

2009年01月29日 | 日々の暮らしの中で


かれこれ2か月余り放置されている。

北山通りの一交差点、東西の横断歩道手前。
この近辺は、地下鉄への入り口が2か所、2大学・府立資料館・府立植物園・コンサートホールなどがあり、また結構人気のスポットでもあって人の流れは絶えず、交通量も多い場所である。

子どもやお年寄りがつまずくかもしれない。自転車で乗りあげ突起で滑ったりはしないだろうか、通るたびにそんな思いを抱くのだけれど…。
ある日は、四角い1枚が裏返しになっていた。
元に戻し並べておいてもみたが、またひっくり返り…、でも、それを誰か直した人がいた。とんでもない場所にまで蹴飛ばされていく、ずれていく。

「点字ブロック」と呼ばれるものだ。
線状ブロックで移動の「方向」を示し、点状ブロックで「注意」を喚起する。
横断歩道へ線状と点状の突起で誘導するわけだ。
危険な電車のホームの端を、白線に沿うように点状のブロックを敷き詰め、乗車位置を知らせるブロックがあるのも日常目にするところ。

視覚に障害のある人にとって、これでは情報を得られないばかりか、たちまちけがにも結び付く恐れさえある。
施設の拠点になっている所に話してみたが、「聞いてみる」ってことでそのままだ。これってどこへ直接言っていけばいいのだろう。
警察?そういえばこの近辺に交番がないなあ。道路工事の管理事務所かな?
どこが補修するんだろう。知らないことだらけなのを改めて思ったが、いずれにしてもこの長期にわたる放置状態は、やさしくない光景だ。

点字ブロックの上を歩く人、白杖の先で認識しながら歩くという人。必要としない人もいるらしい。
一方、車椅子利用者、杖をついて歩かれる方などにとっては、この突起が障害物にもなると聞く。
みんなにやさしい社会づくりってなんなのだろう。

思っているだけでは…、動かなくちゃ!、気づいているのだから。

「ピンポーン・ピンポーン」
地下鉄への入り口から、有人の改札口があることを知らせる電子音が聞こえる。
これだって本当に人が出歩く時間帯には聞こえない。利用者が少ないからというが、本当にそうだろうか。
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“死神”トート…

2009年01月29日 | 映画・観劇
   
椿も…。暖かな外出日和。
ミュージカル『エリザベート』・東宝公演。大阪梅田劇場へ、いそいそと足を運ぶ。
本場のウィーン版、宝塚版と続く3回目の『エリザベート』観劇。今回の最大の楽しみは、ミュージカルの帝王?山口祐一郎さん(昨年度NHKでの“篤姫”で、島津久光役。今日はトート役)。

19世紀ウィーンのパプスブルク帝国の皇妃エリザベート(涼風真世:元宝塚)を題材とし、黄泉の国の帝王トート(=死)を脚色して、彼女の生涯が舞台化されている。

自由を捨て義務に生きることを説く夫。しかし、婚礼翌日から始まる宮廷内の確執。
異常なまでにかごの鳥の窮屈さを嘆き、逃れようとする姿で描かれる。
「私は私だけのもの」だと歌う。
  誰のものでもないこの私 / 誰にも束縛されず 自由に生きるの
自分の生きる道はないと決め、常にどこかで「死」の選択をにおわせている。
パプスブルク家崩壊への道を象徴するかのようなエリザベート像だ。
  
トート曰く、「おれがいなければ自由は存在しない おまえを理解できるのは私だけ」。

死神トートがエリザベートに恋をし、黄泉の世界へと誘う。
 ♪♪その瞳が胸を焦がし 眼差しが突き刺さる 
   息さえも俺を縛らせ 凍った心を溶かす
   ただの少女のはずなのに 俺の全てが崩れる 
   たった一人の人間なのに 俺を震わせる 

 ♪♪あなただけに見つめられて 
   いつ踊りたいのか 誰と踊りたいのか 
   決めるのは私自身

トートとエリザベートの心理戦。
「あんなに素敵な死神なら…」って友が。えっ?死んでもいいって??

単純に、「生」を楽しんで、心の底から蘇り拍手拍手!!
わー、こっちに向かって山口さんの笑顔が!お手が~!!

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ちらちら、ほのかに赤い…

2009年01月26日 | 日々の暮らしの中で
つい昨日まで真っ赤な葉でおおわれていたようなドウダンツツジ。
すべての葉を落とした枝々の先に、よく見ると、もう赤みを帯びた小さな芽が鋭く伸びようとしている。競い合うかのようにびっしりとついた芽は、身の引き締まる、凛とした生命力を感じさせてくれている。

昼間、抱きかかえ、手先を温め、そこに人の輪を作ったが、灰をかけられて、しんとした暗い本堂の片隅に並んでいる火鉢。
その中の一つにいつまでも赤い炭火が浮かび上がる。ちらちらと、のびたりちぢんだり……揺らめくほのかな明かり。
水を張ったバケツで一気に消し去る。ジューーッ!!すさまじい灰煙とともに。

露骨さを嫌い、表は常に「きよら」に「ほのか」に保ったという王朝人。「ほの明かり」の美を、今、優雅だ、エレガンスだなんてうっとりともしていられない。
暗闇にちらつく赤い火も、魔力と化す。文化財防火デーの今日。ひたすら火の用心!!

「冬はつとめて。……いと寒きに火などおこして炭もてわたるも、いとつきづきし。」
炭をおこす、頬に火のほのかなぬくもりが伝わる。炭の臭いが鼻をつく。歩く足の冷たさを実感する。冬の光景として「につかわしい」……と。

この厳しい冬の早朝を、快感と受け止めるには、訓練が必要だ。心の用意と。

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彼女の心に火をつけた…

2009年01月23日 | JESSICAの日本滞在記
「論語読みの論語知らず」、語るもはばかれるのだけれども……
「古典」への興味を“職業”へとつなげようと志していた頃だった。私の人生の恩師から、春休み中に読んでおくよう紹介された書物の1冊に『論語 上・下』吉川幸次郎監修(朝日新聞社)があった。

大した理由があって取り出したわけではない。ふと浮かんだ言葉がある。どのような解説がされていたか、見てみたくなっただけのこと。
『子曰く、学びて時に之を習う、亦た説ばしからず乎。』

我が家の3歳児にとって、帰国前・後で最も違うこととして「会話」の存在の有無が挙げられる。
まずは、毎日自らが周囲の複数の人間と直接日本語での会話を楽しめる環境にある。
さらには、日本語での会話が常に耳に入ってくるという状況に恵まれた。
こしゃくにも?「人の話を聞く」という優れた耳を持っていることが、やたらと口真似をさせ、会話力を上達させ、語彙の増加にも貢献している。
まさに、会話から学び、「習う」日々だ。

日々見事に吸収し、真似る。何度も何度も繰り返すごとに理解度が深まり、体得されていく感がある。 
「それこそ人生の喜びではないか」、ってところだろう。楽しいんだろうなあ。

苦笑いしながら黙認状態のことばがある。
「あなた~~」「おだいじに~」「おしりふりふり」
ところかまわず大きな声で、なんとも上手に真似る。
母親が子供に見せたくない番組の第1位だそうだが、「クレヨンしんちゃん」。

先日テレビで見、DVDをレンタルして見せてしまった。陳列棚から見つけ離さない。
先入観や偏見なしでの選別は、新鮮な栄養となり、強い刺激となっているのだろう。
彼女の心に火をつけたしんちゃん。通過点だから!まあ、仕方ないか。

「習う」とは、にかわを煮溶かすように…ぐつぐつぐつぐつ…何日も何日も時間をかけ繰り返し…おさらいをする。繰り返すごとに習熟し体得し自分のものとしていく…
Jessieは私に論語まで取り出させる力を持っているのか…???

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目線の先には…

2009年01月22日 | 日々の暮らしの中で
明るくテーマソングを歌いながら小走りに駅までの道を急ぐ。
♪♪歩こ~~ わたしは元気~
  歩くの 大好きー!
  どんどん 歩く~~~

朝から“姫君”はご機嫌うるわしく、母親と外出。駅まで同行した。

雨が降り出してきた。夕刻、連絡を待って車でお迎えに上がる。
時間を見計らって出ているのに…
「なにしてたのー?」
「ひとの車、ひとの車」(何台もよその人を乗せていく車を見送った、ということ)
いっちょまえに、文句をつけてくる3歳児。

帰りを待って、暖を囲んでの夕餉のひととき、心身ともに温まる。深閑とした家に、命が宿る感あり。

今日の出来事のご披露に、言葉を詰まらせながらも懸命に選択し、息もあがるのか、ハーハーする姿を見、大人たちは笑いを誘われる。きれいな茶色の瞳が輝きを増す。
目を合わせ、会話して笑うことの幸せ。

視線を合わせて……、
互いに相手の反応をうかがう、お互いの意思を一瞬にして察し合う。
大爆笑をこらえる目もあれば、怒りの情の発信を見て取ることもある。
悲しみの中、何か助けを求める目線も……。
いずれにしても「目は口ほどに……」、いや、言葉以上の力を発揮さえする。

世界各地に暮らす一族がクリスマスに集まれば、国連総会のようだというオバマ家。多民族国家アメリカが抱えた民族、人種・宗教・貧困……をはじめとする厳しい現実。ワシントンの200万人の聴衆や世界の多くの人間が、これからに希望の光を見いだそうとしている。

大切なのは知ろうとすることだろうか。「知る」ことは「理解」に。理解はいつか共感へとつながるだろう。できることなら、いつもそんな思いを込めて希望の光を見つめられる視線でありたいものだ。

延期された「まいど1号」が明日、種子島から打ち上げられることとなった。
関わった多くの人の夢を乗せて。

 (姫の愛読書。おむすびころりんこんころりん~)
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大寒の“きょう”

2009年01月20日 | JESSICAの日本滞在記
家の中でも吐く息が白い。部屋の移動にさえ「あーさむっ!」と言葉が漏れる。
夜具から顔を出しては眠れなかった経験もある。
気は強いものの、なかなか“面の皮の厚い”女にもなり切れず、腹巻き・カイロの手を借りての、大寒の“きょう”。

平年よりは高めとはいえ、昨日より4.9度低い、1.9度という今朝の最低気温。
府内で「インフルエンザが猛威をふるい始めた」という記事。幸い市内では―。
帰国後2回の予防接種を受け効果が出始めるという時期に入った我が家の超パワフルな姫。
「Jessie、 voice down! voice down! 」
母親の懸命な繰り返しも効を奏すことはなく、大きな声で話し笑う。広い国土に、でっかい家で育つ一人っ子。まあ、そうもなるものかな。にしても、大きな声だ!あるいは、婆さまの隔世遺伝かいな!?

1950年、寺の徒弟だった林養賢の放火により炎上焼失。自殺を図った(未遂)という左大文字の山を正面に見ながら直進、「金閣寺前」を左折した。放火犯と面識があったという、相国寺塔頭の小僧だった水上勉氏の著書『金閣炎上』を思い出す。母親は保津峡に身を投げたとかだ。

太鼓判を押される、京の底冷えの中、金閣寺にて3度目の“Happy New Year”。
なぜか金閣寺なのだが、なぜか飛び出すこの言葉。おしゃべりしながら嬉々として大人と同行する3歳児。

「今日は疲れたねー」
「Jessieはー、ぜんぜん つかれません」 なんと~~。
「みずのんだね」「みずのんだね」 ??何のこと?? 「あ~っ!!飲んだねえ。こうやってえ~、長い柄杓で水を汲んで、水飲んだねえ!」
理解しあえて嬉しそうに笑う。四日目にもたらされた、Jessieの清水寺での「音羽の滝」の思いで話。
さて、キンピカの世界文化遺産はどう記憶にとどまったものか。楽しみに待つとしよう。
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選んだ人生…

2009年01月19日 | 日々の暮らしの中で
うっすら日焼けしてピンクがかったように赤い函入りの『聖少女』(倉橋由美子著)を大事に残してある。“学生運動”をキーワードに近づいた著者であった。読んだいくつかの作品。

自らも学生運動に加わりながら早々に脱退し、批判的な作品を発表した。東大学生であった樺美智子さんの死を「むだ死に」とした。左翼の学生から強い反感をかう。すでに日本での「運動」に意義や価値を認められなかったのだろうか。…「革命」。

『チェ28歳の革命』
「革命家にとって最も大切なものは何ですか?」、インタビュアーの問いかけに「愛」と。「人間への愛・正義への愛・真実への愛」。
ハバナ侵攻時、「How old are you?」―「30歳」 …余韻が残った。

長髪にベレー帽、ひげに戦闘服、優しい目をしたほれぼれする風貌だ。
アルゼンチンの裕福な家庭に生まれながら、革命の旅に身を投じていくエルネスト・チェ・ゲバラ。南米諸国の解放が念頭にあることを、カストロとの会話でうかがい知ることができる。「私のささやかな努力を必要とする庶民がいる」。ボリビアで死す。

創造的な人間から受け取る思い、やはり、「自分の選んだ人生をどう生きるか」ってところに行き着く……ようだ。強い信念のもと情熱をあらわにして生きることはできないが、心に描く自分の思いに沿ってだけは、ひたすら歩いていけたらよいだろう。

「子供たちのくだらないおしゃべりをおもしろがり、腰をかがめて子供達を理解しようと努める」母親となることは、「社会的動物としての発育停止と精神的低下を意味する」として拒否宣言。にもかかわらず「子供は母親に似せて自分を作る」という信念で、育児より仕事を優先する理由はないと断言している倉橋由美子。
どちらの思いにも共感できる。明確で潔い認識の仕方、そこが好きだ。

二部作の『チェ39歳別れの手紙』、前売り券を購入して帰った。
 
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ほめ上手・よろこび上手

2009年01月16日 | JESSICAの日本滞在記
清水寺へ行きたいということで、先日の八坂神社への参拝に続く今年二度目の“Happy New Year”となった。門の朱塗りを記憶していたのか、車が祇園下にさしかかるやHappy new yearの声が上がった。3歳児の何という記憶力!?

両手を合わせ「まんまん ちゃ あ ん」。

「ダディは~、車の~ 運転じょうず」
「おばあちゃんも~、じょうずー」
すかさず母親が聞く、「マミィは?」
「マミィは~、Jessieのベィビーカー ひいてすっご~い」

「そっかー、じゃあマミィはがんばってJessieのベビーカー押すわ」
「は~い」「ありがとござー(い)ますー」

自在に広がる展開、ことばの連想、断言してしまう潔さ(?)
なんとも天真爛漫な幼な心、といってよいものかだが。

それにしてもこのひねりはお見事…。
まさかいつも特別扱いのマミィの心をのぞきこんで心配りをした、お上手を言ったなんてこともないだろう。何だろう…、単なる思い付きかな?

ともかく彼女のほめ上手に乗せられて、大人は喜び上手を楽しませてもらっている。
大声をあげて泣きわめく。要求貫徹にまっしぐら、その大胆不敵さに、思わずイラ~~ッ!! 彼女に立ち向かってしまう“闘い”があればこそ、心楽しさも増す。
褒め殺しは好みではないわね。

3歳児なりの愛のことば。愛情表現だろう。
それに比べたら、もっともっと喜び上手にならなくては…
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My Dream

2009年01月14日 | 日々の暮らしの中で
「苦しい時こそ夢を持たにゃあかん!」

ほんの10年前までは一億総中流と言われてきた。労働者派遣法改正でワーキングプアの増加を招き、今般の世界金融危機の余波は、中小企業をもろに直撃している。
人あっての企業ではないのか。

一つ一つの会社は小さいが、高い技術を結集してユニークな製品開発に携わる会社が集まるという東大阪市。
「そんなことできるはずない」と言われ6年、この21日、鹿児島県種子島から小さな小さな人工衛星が宇宙に飛び立つ。「苦しい時こそ夢を…」と東大阪市にある町工場が中心となって開発したもの。「まいど1号」。大阪商人の挨拶、「まいど~」。My Dream.。

京都にも豊かな伝統に基づく様々な職人さんの世界がある。確かな技術力によるものづくりは、お家芸だろう。
今のこんな風潮だからこそ、予測もつかないような思い切った挑戦による転換のチャンスや芽があるはず…と考えることは、無理があるのだろうか。

『“東大落城”安田講堂 40年目の真実…』 
特別企画だというTV番組を見終わった。
「……力を尽くさずして倒れることを拒否する」と学生による決意文。

「若い人が理想や夢を語ることは割に合わないと思ってほしくない」
「時代を動かすのは元気な若者、たくましくなってもらわねば」
事の終結に当たった“国家権力側”の人が語っていた……。

夢を持とうじゃないの!

携帯の画面に並ぶ9と♯の記号。画面を、両手で頬杖ついてじっと見つめている。
「ダディがいる」、のだそうだ。にっこり、うっとりと見つめている。 
ことばが、心が飛び交う携帯に、父親の存在をつかむ子供心のかわいさ、純粋さ。
「Jessieは大きくなったら何になりたいの?」
My Dream、返事はいつも「サンタさん」。

(ピーナツを半分に。おじいさんとおばあさん登場に大喜び)


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小さな芝居小屋…

2009年01月12日 | 日々の暮らしの中で
夕食の準備に追われる台所で、流しにぴったりと椅子をくっつけて「お手伝い」が始まる。

彼女はいつも自分が主人公。自分がいて人がいる。必ず「Jessie と」、○と□と…だ。
笑顔は人のためならず? 皆の注目を集め、愛されていることを自覚しているのだろう。その中心できらきら輝きながら笑う子が、ここにもいる。
リップサービスも旺盛に、「マミィちゃんすごーい・すごーい」と拍手を送る。
少々おじゃま虫なれど、むげに「どいて!」と言えない。つらいところだ。

「自分に与えられた人生の劇場で、主役を演じていく」楽しいことだろう。
自分の台詞しか頭にないのではなく、人の台詞があって成り立つ芝居のように、楽しめたらいい。

自分とは違う思いが向こうからやってくる。それを自分の思いのどこかに組み込んでいく。ことばが行き交う中で、心がゆすぶられるし、ゆすぶられつつ、思いを共有していく。
自分とは違った言葉や行動を通じて、何かを共有できることも確かなことだと感じている。

自分の思いがうまく伝わってほしいと願う。そして、相手の言葉に込められた思いを、きちんと受け止めながら大事にしたい。
楽しみたいと思う小劇場。
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チェ・ゲバラ

2009年01月11日 | 映画・観劇
バリケードで封鎖され、立て看板であふれた大学。大学自体の封鎖、そして授業放棄。激しかった学生運動。それを追う年代ではあったが、であればこそ自分たちの進路と重ね関心も大であった日々があった。

今は亡き実弟は、高校入学後ほどなくから、社会に厳しい目を向け出していた。 
真情を解することもできず、かぶれてしまったかと、気にかけるだけであった。仲間を得、相当な活動を展開する高校時代。卒業アルバムには、彼が“朝礼台”からスピーカーで演説をぶっているワンシーンが挟み込まれていた。

高橋一巳氏・吉本隆明氏の著書が並ぶ書棚から、幾冊か手に取るが読み進められない。彼の思考法に触れることも不可能。
やがては書くことを通じ自己を表明することに転向していったが、後年よく聞かされた名が、革命家チェ・ゲバラ。

まだハイスクールにいたジョン・レノンは、「あの頃世界で一番かっこいいのがエルネスト・チェ・ゲバラだった」と。
今生きていたら、今年、ゲバラは81歳、カストロは83歳になる。
ぶれることのない男二人の友情、微動だにしない絆の深さ…

弟が抱いた想いに少しでも近づけるだろうか…。
『チェ28歳の革命』『チェ39歳、別れの手紙』、2部作で映画化され一部が公開されている。

「異国の空の下で最後を迎えることになったら、ぼくの最後の思いはこの国の人々に、とくに、君に馳せるでしょう。君の教えてくれたことや示してくれた手本に感謝します。みずからの行動の最後の瞬間まで、その教えと手本に忠実であろうとするでしょう」
キューバを去る時の手紙で、ゲバラはカストロに言い残す。



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ことばの個性

2009年01月10日 | 日々の暮らしの中で
皆がそろってテーブルについて食事が始まる。
「おばあちゃん!!」(がいない)
まるで重大発見でもしたかのように、目を大きく見開き、席にいないものを挙げる。

「Jessieのどかわいたー」 ???? 「おちゃちょうだい」を添えてやる。
「ありがと~」という母親、すると「Jessieも、マミィ、thank you」って会話になる。やだ・やだと、駄々をこね手に負えないことも多いが、気持ちの良い「は~い」が響きわたる。

幼いころから、普通のこと・好ましいことを繰り返し繰り返し、それこそ身に刷り込むようにしつけていくことで習慣はできていくはずだ。繰り返しの経験によって身につけた行動様式、考え方・感情。
言葉による習慣化から無意識のうちににじみ出てくるのが、こころ。こころが先にあるのではなく、習慣の結果生まれるとするなら、よくない習慣からは、よくない癖、心も芽生えるというわけだ。

三つ子の魂―、Jessieにとってのことばの基本が、今、無意識のうちにも、彼女の一生に関わる語感として刷り込まれていっていることになるのだ。おろそかにはできない日々でもあることを感じる。

関西で長く暮らしながら、私の関東弁が大筋でゆるがないことからして、彼女の基本の語感はどうなるのだろう。英語、日本語しかも関西弁と関東弁が入り混じる環境がどう働くものか。一人ひとりに固有のものであると聞く。

たどたどしい言い方は当然だが、“外国人の日本語”的感がある。
キャッチボールを繰り返しながら、せめて丁寧に、日本語を刷り込んでいくしかないのだろう。

夜。「早く寝よ~」という母親の声が聞こえる。抜け出してきた。そして、
「Jessie ちょっと busy! Jessie ちょっとbusy!!」
英語で独り言を言ってから、英語で本を読み出す(ぶつぶつと)。「おしまーい」。
奇妙な光景?に笑いを抑える始末。
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ばか笑いの効能

2009年01月09日 | 日々の暮らしの中で
人と出会うと、にっこり笑ったり微笑んだりする。しかし、心から笑うというのでもない。
彼女は、バカ笑いとでもいえるほどにゲラゲラ豪快に笑う。

腕立て伏せの格好をして足を持てという。1・2、1・2と自ら掛け声をかけ、つぶれては大笑い。よっぽど楽しいらしい。おしりふりふり、スキップまがいに跳ね廻り、ぐるぐるぐるぐる回り続け(こちらは目が回るが)、途中「ストップ!」をかけての繰り返しにおおはしゃぎ。このお相手に指名される。

下心のない、無邪気さから生じる豪傑笑い。彼女の心は開かれ、つながりが生まれる。笑いを共有し、回を重ねるごとに関わりは深まる。私のふところ深く飛び込んでくるようになる。私たちにすれば、3歳児の笑いによるコミュニケーションは、お腹の筋肉はもとより心まで柔らかくもみほぐしてもらえる効能がある。

喜怒哀楽、怒哀の割りの方が多かろう世の中にあっては、愉快に笑える心の持ち方を保とうと努めることはよくあることだ。笑って生きる強さを欲したり…。
ただいつも思うのだが、何事も肩ひじ張らず力を入れずに生きたい私、自然な心が大切か…と。むろん子供の無邪気さではない。

年齢を重ねながら、静かな柔らかな感情・心に裏打ちされた笑い、微笑のような笑いを浮かべられるようになりたいものだ。

バカ笑いに巻き込まれながら、つくられた無理な笑いの空虚さを感じている。
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