京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

一度止まると書く

2021年09月30日 | 日々の暮らしの中で

おお~、弾けてる! 種を護る外皮は意外と肉厚。

立ち止まらなければ、見えないものがある。「足を止めると、聴こえてくる声がある」(長田弘)
椿の木の精? なんてのはオーバーだけど、生きてる、命の気配かもしれない。
誰か目を止める人がいるだろうか。こんな山道で。やはり、足を止めないとわからないことはある。

寺の掲示板に、
  正しいとは
  一度止まると書く
  
  あわてない
    けど
  あきらめない

とあった。おお~、確かに! 

【夢はね、必ず叶えなくちゃ駄目なの。叶えるとね、アラ不思議、あなたの過去が変わるのよ。ああ、わたしのこれまでの人生は、今日のためにあったんだって。】 苛めにあい、人生に絶望していた高校生のカオリちゃんに向かってゴンママが、「何か一つ夢を持ちなさい。夢は必ず叶えなさい」と話して背中を押す。(『大事なことほど小声でささやく』)
 おお~、なんでもないセリフも効果抜群のワンシーン。 今の延長上に作られる未来。


「立ち止まらなければ ゆけない場所がある」
私もここで一度立ち止まろうと思って。けれど、夢をあきらめることはなく、やっぱり弾けたいなと思うのよ、まだね…。
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神様には負けられない

2021年09月28日 | 日々の暮らしの中で

詰め放題で25$。大きくて甘くて、おいしい、と。(でしょうね。)
イチゴファームに行ってきたと言って、写真だけを見せられる。砂糖をまぶし、冷凍するといいそうだ。

今日もお休みだった? 学校はまだ始まらないのと聞いてみると、来週の火曜日からで、この2週間余りのホリデーは、こちらでいう春休みに相当するらしい。毎日遊びまくって、写真で様子を知らせてくれる。嬉しいことで、楽しんで何度も繰り返し眺めているぶん、休み中のオベンキョーは???の思いは封印。お口チャック。ちょっと息苦しいんだけれど…。

こんな本があるのをご存じでしょうか。
点訳の関係者から教えて頂いた2冊。読んでみようと思って…。



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起きた!HAPPY! 寝る!

2021年09月25日 | 日々の暮らしの中で
HAPPY! と今日一日を生き抜く

寝るっ!

  目が覚めた。生きてる!
  HAPPY! と今日一日を生き抜く。来月のことなど考えない。来週のことも、明日のことも考え
  ないで、今日を生き抜いて、
  寝る。

この繰り返しでひと月が経てば、どれだけのHAPPYが貯まるだろう。

京都FM  α-STATIONを聞いていたら、DJを務める谷口キヨコさんがこんなことを言われていた。
機関銃のように言葉が飛び出す。頭の回転が速いのだろう。うるさいなあ。ようまああれだけ一人で勢い込んで喋ることだと思わないではないが、明るい! 

似たような日々の繰り返しの中で、どんなハッピーを取り込んでいくかは、自分次第だろう。誰かが歌っていたが「小さな幸せは見えないもの」だから、
意識的に暮らさないと…。

今日のハッピーは、…。
ヒンヤリとした朝の気持ちよかったこと。
クサギの木にいっぱいの青い宝石をながめたこと。
両親が離婚。父親と暮らしながら、小学校6年生で孤独の意味を知り、中学の3年間でそれを深め、高校入学後も一人だったシュン君が、級友から「飯、一緒に食おうぜ!」と言われ、心臓がぽかぽかになったこと。
点訳本に『見えない星に耳を澄ませて』(香月夕花)があったこと。
法要のダブルブッキングを危うく回避したこと。

「今日も一日生かさしてもろた」は、義母の口癖だった。
                (写真は、葉の陰に伸びだしたツワブキの花茎)

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月の土地を誕生日プレゼント

2021年09月21日 | 日々の暮らしの中で
旧暦の8月15日に当たる今夜は十五夜お月さん。しかもその月は、8年ぶりの満月で迎えられるというのに…。
6時半過ぎても上がってこない。7時を回って窓を開けてみれば埃っぽいにおいがする。うん?雨?? 気付かないほどの静けさで雨になっていました。ほぼ止んでいますが、月はありません。

こんな事にもなろうかと、昨夜たっぷり「月を友とする」(佐伯一麦氏のエッセイタイトル)思いで楽しませてもらったのでした。
ところで――。月の土地を買えるって、知らないのは私だけだったのか。

【今日は、悦子さんの誕生日。満月の夜です。私は、シンプルで使いやすい屈折天体望遠鏡セットを買い揃えてプレゼントすることにしました。
70歳になる悦子さんは夫の死後から岬の先端で岬カフェを営んでいて、私はその店の古くからの常連客の一人でした。そして、悦子さんに♡♡ 10年前から想いを伝えられないでいるのでした。「誕生日おめでとう」。私は封筒を差し出しました。中には、月面の地図と英文字が連なる2枚の証書が入っています。

月面の中の1エーカー、およそ4000㎡が悦子さんのものになり、ちゃんと国連や米ロにも提出された正式な権利書でした。「あのあたり」と指さすのは、月のうさぎの丸い尻尾の辺り。悦子さんのものになった土地です。

私は勤め先で左遷され、大阪に向かいます。遠く離れても、一緒に月を見ようと悦子さん。「誰かと一緒に、同じものを見て、感動できるのって素敵なことだと思う」 でもこの先私は、二度と悦子さんと会うことなく終わります】

『虹の岬の喫茶店』(森沢明夫)。娘に頼まれた本のなかの一冊でした。送ることになるので先に読んだらというので手に取ったのですが、短編の連作集で、なんともあたたかな作品でした。「第4章ラブ・ミー・テンダー」と題された中のお話です。
ちょっとネットを検索してみると、1エーカー辺り2700円で購入できるのだとか。サッカーコート1面の広さだそうです。


昨日、ウォーキング先で鹿に出合いました。1頭かと思いきや2頭が連れ立っていました。
あかあかとした月夜のしたでは、2頭はどう過ごすのだろうなどと思いを馳せましたのに、ザンネン。


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いっさい捨てよ忘れよと

2021年09月19日 | 日々の暮らしの中で

  夏ゆけばいっさい捨てよ忘れよといきなり花になる曼殊沙華   今野寿美 

この歌に添えて、「いきなり花となる、あの真っ赤な強い力の美しさは何なのだろう」と馬場あき子さんが書いている。
曼殊沙華もあちこちで花盛り。しかも彼岸の入りに合わせるように、不思議です…。
「曼殊沙華抱くほどとれど母恋し」(中村汀女)。何度か記してきたが、大原の地を歩いていて友人が口にした一句だった。私の母も亡くなって今年11月で31年になる。
身の回りにあって、様々なことを想わせる花のようだ。

幸い台風による影響はほとんどなく、天気も回復し暑いくらいの日中です。
6時半近く、東の雑木林の向こうにうっすら黄みを帯びた大きな丸い月が上がってきました。


お花を立て、内陣のしつらえも済ませてある。一安心で何度も月見に走る今夜。満月は21日でした、か。多分。
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花瓶に挿す…

2021年09月17日 | 日々の暮らしの中で
台風に伴う雨雲がかかり、大した降りではないが降ったりやんだりの一日だった。明るさを増した雨のやみ間に小一時間のウォーキングに出ることにした。


  秋くさやしばらくは日のさしわたり    久保田万太郎

「曼殊沙華を十数本束ねて、硝子の花瓶に挿す。」
前登志夫さんにある「尾根の道」と題したエッセイの文頭の一文なのだが、この一節は、奈良にある志賀直哉旧邸で初めて曼殊沙華が屋内で飾られるのを見たときの、内心の軽いショックを思い出させる。
若い頃はどちらかといえば避けていた花だったが、自分の思いを重ねるようになるにつれ、ちょっと妖しげでいて、すくっと意志的な姿を好ましく思うようになった。

「萩・すすきに曼殊沙華も添えて瓶(かめ)に挿し、月の出を待とう」。前さんを真似てみようか? できるかな。肝心のこの花をどこぞで頂戴するしかないのも問題だ…。
秋の彼岸近し。天上の華。

今日は趣味ごとが一応の形を成して一区切り。ほっとしているところ。寝せてから、手を入れよう。

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10歳、のびやかに夢を

2021年09月15日 | HALL家の話

先生からの誘いをいただき、テニスを始めたのが7月末頃のこと。放課後に10回ほど練習に参加して、近隣から5校が参加するテニス大会、3-4年生の部の出場メンバーに選出されました。

試合は今月6日。結果は5校中4位という成績で終わりました。楽しかったのでしょう。誕生日には(15日、今日ですが)テニスのラケットが欲しいとリクエストがあったことを聞きました。
娘が送ってくれたゲーム中の動画を見ては、ほめほめシャワーを浴びせて。なんといっても将来は未知数なんですから。
試合後も放課後の練習は続いていて、コーチの指導が受けられるとか。

新しいことを始められた力、意欲には嬉しさを覚えます。もっと学校に慣れてからにすると、いったんは見送ったラグビーに戻るもよし。
何ごとも、これだけと一つのことに限定してしまわずに、のびやかに夢を描いて、舵を取って進んでほしい。

誕生日を迎え、十歳になりました。
一つ一つ階段を上っていきます。自分の成長をどう自覚しているのだろう。



「テニスコートを借りて、家族でテニスを楽しむのもいいね」と娘は言ってきました。
いいね! 心の底からの共感です。
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独り占め

2021年09月13日 | 日々の暮らしの中で

涼しい風が吹き抜けます。誰もいません。ときたま背側をウオーキングやランニングする人たちの足音が通りすぎるだけ。
こういう場所に来て、どんなふうに時間を過ごしましょう…。


文庫本をもって出てきました。あまりに心地よく、本など読んでいられません。考えごとも煩わしい。

「ぐうたらで、不平家で、ろくでなしで、腹へらし」
「勉強ぎらい、働くこと大きらい、できるのはただ大あくび」

いいえ、いいえ。私はピノッキオではありません。
ですが、何をする気持ちにもなれません。何かをすることがもったいないような気分のまま、水面のきらめきに目を奪われたり、鯉がはねる水音や、どこからともなく聞こえてくる鳥の声に耳を澄ませ、なにか気配のような、なんだかわからないけれど、静かな周囲の中に感じる何か、を聞きながら感じながら、静かにじーっと時間を過ごした午後でした。何もかも独り占めで。

 

思ってもいなかった時間が得られて、たっぷり充電がなった気分です。
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かさ高な積ん読本

2021年09月11日 | 日々の暮らしの中で
外へ出れば心も開くというし、思い切って気分転換。前かがみが続いていた姿勢から腰を伸ばして、書店に向かった。昨日のこと。

娘からのリクエスト本が次々に入る。本だけは仕方ないなと思って希望を叶えるべく揃えてきた。書店に出向くのは好きなので、まったく苦にはならないが、かなりの出費になった。でも、本人には言わんとこう。


『三人屋』『ランチ酒』の原田ひ香さん。娘のおかげで新しく覚えた作家の一人だが、名前がインプットされると、これまでなら見逃していた文字も素早く目に留まる。大量の平積みに加え、書架にも並んで話題性を演出なのか、『三千円の使い方』。
帯には〈節約家族小説〉とある。絶賛とかいう言葉には強いと自認しているが、娘なら面白がるかと思って買うことにした。本の価値は読んだあとについてくる。

『弥勒の月』(あさのあつこ)は何も考えることなく購入したものだったが、ストーリーの面白さに引っ張られて読み進んでいる。ちょっとまとまった時間がとれれば、難しいことに頭を使わなくて済むしキャラクターの造形も魅力あるし、謎めいていて今はとても面白い。時代小説だが推理小説の感覚だ。どんな展開が待っているのか、何が明かされるのかな。


これが「弥勒」シリーズの始まりだったとは。続巻2冊がすでに文庫化されていた。

ぎょうさん、ぎょーさんある積ん読本の上に、さらに積み上げてしまいました。
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詰まって詰まって産めるかな

2021年09月10日 | 日々の暮らしの中で

ようやくのこと気持ちが集中し始めたのを感じている。

長いこと構成を練り、展開を考えていた。適当なところでペンを置いても、なぜか四六時中頭を離れない。思いついたことをまたメモしておく。あきれるほど時間がかかる。けれど、これが私のスタイルだから仕方がない。いつのときも、ずっとそうして書いてきた。

「私はおしゃべり好きだから、パソコンに向かうとどんどん進む」という知人がいる。そんなふうに書けたら楽なのだろうなあ。自分とは違う。饒舌なその文章を読んで、羨ましいと思うこともなく、結局言葉を紡ぎ出すには原稿用紙に向かうしかない。書きながらエピソードを捨てるし、書き換える。と、そこで詰まってしまう。言葉にも詰まるし、で、詰まって詰まって、何度も何度も推敲し…。ああ、ほんと不器用なんだ。

書き始めた。
下書きをパソコンに入力していったが、またもや詰まってしまった。で、河原町にある書店・丸善にまで行ってきた。これほど不器用な人間だが、書きながら、もう一つの構成を練っている。少しだけ欲張って。

ふと心をかすめる人生の秋の悲哀、なあんてね。
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アクシデント

2021年09月08日 | 日々の暮らしの中で

リトープス。6~9月頃までは夏季休眠期に入っているのです。
寝る子は順調に育っていて、一番大きなもので、このひと月でさらに1.2cm大きくなりました。身長?5.2cm。頭が重そうなほどです。

それがつい先日。この右端の2株が揺らいだカーテンに引っ掛けられるというアクシデントが発生。


左側の株の根元がわずかに傾いてしまったのです。土をかぶせ、安定させてみたものの、あらまあまあ!です。なすすべなく日に日に溶けて御覧のとおり。皴しわにすぼんで、見る影もありません。並んでくっついていた片方も、どうも怪しい。なんでかなあ。

大きくなったなあと声をかけ、半月に一度の水遣りをして、することはそれだけ。それだけでもうまく育たないなんて、ほんとにショックです。
株分けも可能だという。10月には少し大きな鉢に移したいと思っているが、失敗したら元も子もないので悩ましいこと。

脱皮をする。秋から冬にかけて、花が咲くこともあるというリトープス。楽しみにしているのですがね…。
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2980歩

2021年09月06日 | 日々の暮らしの中で
滋賀県の大津まで車で出かけた。ちょっとした寄り合いで座りっぱなしだったので、午後3時に帰宅後そのままウオーキングに出ることにした。
日中は気温も上がり、日差し十分だったが、午後に入っての風は心地よささえ感じる。行けそうだ、と思ったからだが…。
わき腹が痛むし、足は進まない。なんか息が切れる。帰ろう。いや、もうちょっと!と頑張ってみても極めて調子悪い。帰りついてみれば、なんとたったの2980歩。そこらへのお使い歩きだった。


青いどんぐりを一つ見つけて帰った。
昨秋に中古本書店で購入したままになっていた『弥勒の月』。題名に魅かれて手を出したが、あさのあつこさんの作品はこれが初めてになる。
今夜からスタート。

『すぐ死ぬんだから』(内館牧子)。「八十歳を間近にした女性主人公をめぐる、外見に関する物語」。
「すぐ死ぬんだから」という免罪符は、無精者の「葵の御印籠」と胸に刻もう、と言われる。
とっても面白かった。得ることもあり、共感できることも多く、よい作品でした。若い人に向けるあたたかな思いが汲めるし、何より主人公ハナさんの懐の広さ、大きさ、素敵でした。内館さんがちらついてなりませんでしたが。
書店で文庫本になっているのを見かけた記憶がある。


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「上級国民」

2021年09月04日 | 日々の暮らしの中で
女優の綾瀬はるかさんがコロナに感染、肺炎症状が出て入院されたという先日来の報道は耳にしている。医療崩壊が言われ、入院もできぬまま多くの感染者が療養施設や自宅で不安や苦しさに耐えているのが現状だ。そうしたさ中でもすんなり入院できるんだなと、正直思った。所属の会社が手を回すのだろう、とも。

今夕、ネットでのニュースで、この対応が中傷の対象になっていると知った。主に、〈『上級国民』は優先的に入院できるのか〉という声だそうだ。それを読んで、女優が上級国民?!と思ったことが立ち止まるきっかけになった。
「上級国民」とは、〈社会的地位の高い人間を指すネットスラング〉と説明されている。綾瀬はるかさんが嫌いというわけではない。ただ、女優って社会的地位が高いの?など思いながら、なんかイヤーな反応がわいてくる。いやな言葉だなと感じる。

以前、酒井忠康氏の著書を通して、住井すゑさんが、桂離宮で茶の湯を楽しむ「文化人」を一笑に付されたことを知った日があった。氏は、住井さんの『私の童話』(新潮文庫 1992)の第1ページで驚かされたそうだ。 少し長いが引用してみる。

 これは『わたしの童話』です。小学生のころから、農繁期には田んぼにはいり、夜まで大人にまじって働いた、“私の童話”です。ただ一つのたのしみ(生甲斐)は、文字を読むことでした。世に言う習いごと - 茶の湯や生け花とは全く無縁で、ひまをぬすんでは活字をあさりました。これが私の履歴です。
 さて、先日、テレビを見ていたら、“桂離宮で茶の湯を楽しむ文化人”と言いました。とたんに私はふき出しました。文化人とは、労働者、農民、つまり人間が生きていくのに絶対に必要な物資を作りだす人たちのことであって、桂離宮で茶の湯をたのしむ類の人たちではないからです。


「長くこういうものだと思い込んでいることに関して疑義を呈している。徹底的に見直し、考え直す必要があるという感じを私もまた抱いた」と酒井氏は記していた。

この文章の記憶が私を立ち止まらせたのか。あるいは言葉への私の感覚がそうさせたのか。個々の社会的存在、命の重さに上下はないだろう。こういう言葉を使うことは、それらに差をつけ、貶めている様な気分の悪さを感じてならない。不快な言葉、嫌いな言葉は使わないでいたいと思う。

SNSもとんと興味がない人間が、「上級国民」という言葉にストレートに反応してしまった、その思い…。長くなりました。



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今朝九月

2021年09月01日 | 日々の暮らしの中で

今朝九月。よく眠った朝。窓を開け、風を入れ、その涼しさに熟睡のわけを知る。

東京で暮らす息子の身に思いもかけなかったことが起こっていた。
仕事上必要な取材や撮影をこなしているとは聞いていた。感染予防には十分な注意を払ってきていた様子だが、盆明けから増加一方の数字を見るにつけ、こちらの不安は大きくなるばかり。気にしながらも、様子を訊ねることは一日延ばしだった。お盆の帰省もままならず、恐ろしいほどの人の出の中にまじっていたのか、そのころどこかで…?

治ると思って連絡しなかったというが、29日に知った時にはすでに8日が経過。血中酸素飽和度も数字的には問題ないが、咳の辛さを訴えていた。
昨夜は「あれこれ入っている連絡に返事をして、あとは“仕事しています”」と聞かされた。「寝てませんよ」と。
今日、保健所指定の療養期間がおわった。
医療が受けられない。その現実の厳しさを思い知らされた。



弟が、息子がエライ目に遭っているのも知らず、毎日楽しそうな写真を送ってもらって、話をしていた。兄の「Tylerのともだちのおとうさんにもらった」自転車を車に積んで、スケートパークに出かけて練習に励んでいるという4歳児。夜はバタンキュー。

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