京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

7歳になりました

2023年11月29日 | HALL家の話

るーちい(Lukas)7歳の誕生日。
 長い長い時間をかけてメッセージを認めたカードも届きました。

こちらでもケーキをいただくことにして、彼の誕生日を祝いました。
喧嘩しいしい、きょうだい仲良く、互いに思いやり合ってこれからも過ごしてほしい。

  

JessieとTylerの帰りを待って、病院へと向かったのでした。
もう7年。そのうち4年と半年ほどを日本で暮らしたLukas。

来月5日に兄のTylerが小学校を卒業します。
いつも“おにいちゃん”頼りに、隣の席を確保して行動を共にすることが多かったLukas。
これからは今まで以上に〈自立〉が求められるのかな?

(裸で失礼) 「だって、あつい」のだそうで…。
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紅葉且つ散る

2023年11月28日 | こんなところ訪ねて
22日に学友と一緒に“卒業旅行”の名目で?日本にやってきた孫娘。大阪で3日間をたっぷり遊んで、ホテルチェックアウト後は真っすぐ京都へやってきました。
互いに姿を見つけるや、手を挙げて合図。笑顔で歩み寄り合いハグまでいかないまでも体を寄せ合って「久しぶりだねー」「4年ぶり?」と言葉を交わしたのでしたか…。
まず健康保険証を作らなくてはなりませんでした。

来年の1月16日が帰国予定ですので、衣類やら、たくさんの化粧品、…等々の荷物を整理し、お土産にあずかり…。
疲れをとってと休養を重ねての今日。

冬紅葉となりましたが、きれいなうちにどこかへ見に行きたいという孫娘と、南禅寺から永観堂へと歩きました。
ひときわ華やかなのが楓。そこに銀杏黄落。日差しを浴びて、はらはらと散る紅葉。
花筏と言いますが、池や川に浮かぶ紅葉はなんと…。




永観堂では思いがけず長谷川等伯の作品を目にする機会を得ましたのに、足早に過ぎる孫娘。
たくさんの人で見ずらく、気持ちもあまりむかないのか、あとを追ってさささとその場を離れることに。





何枚も写真を撮りながら堪能していた様子に、脚の疲れはお口チャック。
帰宅後は両親にLINEで写真を送ったり会話したり。声も弾んでいましたね、楽しんでくれてよかったよかった。

弟のTylerから「明日はるーちいの誕生日」と言われ、「わすれてたー」。

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サンタさん

2023年11月25日 | 日々の暮らしの中で

    「明け方のサンタさん」
 いつものように新聞をとりに行く。朝のひんやりした、すんだ空気にふれて目が覚める。季節をはだで感じながら、きれいに折りたたまれた新聞を開くと私の一日が始まる。今日はどんな記事があるだろう。
 師走、早朝の寒さにおどろいた。周りはまだ真っ暗。冷えきっている新聞を手に考える。配達員さんはもっと早い時間から届けてくれているんだな。今よりもっと寒いんだろうな。
そこで、日ごろの感謝の気持ちをこめて、おこづかいでカイロを贈ることにした。配達の邪魔にならないよう、手首にまくタイプ。メッセージも添えて新聞受けにかけておく。プレゼントに気がづいてくれるかな。
 いつも新聞を届けてくれてありがとう。毎朝わくわくを届けてくれるサンタさんのような配達員さんへ。届けてくれるその手が、少しでも温まりますように。今日だけは私もサンタさん。
 明日はこの冬初めての雪が降るらしい。
 メリークリスマス。


新聞配達に関するエッセーコンテストで、小学生部門・最優秀賞に選ばれた、になさん(9歳 北九州市)による作品で、切り抜いて後も私は何度も読み返している。

 

今日、立ち寄った書店の店内放送でブックサンタへの参加を呼びかけていたので、(ああ、そういえばそんな時期だった)と思い出すことになった。

習慣としての読書が最も必要なのは子供だという。

「なあ、透。本を読むということは他人の人生を生きるということだ。自分ではない誰かの人生を辿り、その心で生きてみるということだ。それはなんと素敵なことだとおじいちゃんは思うんだ。魔法みたいなことだなあとね。ひとは、一冊の本を読むごとに、きっと、その本のぶんだけ、優しくなれるんだとおじいちゃんは信じてる。本がなければ、ひとりぶんの人生しか生きられず、自分の目だけでしか、世界をとらえることができない。けれど、一冊の本があれば、違う世界を見る眼差しを、違う人生を生きる魂を得ることができる」(『桜風堂夢ものがたり』村山早紀)

本は読んだ人の心を温め、“人の中で眠るうちに育ち”、そして滋養となっていく。
ー 子供のために大人が手をとり合える社会でありたい。



楽しみごとをいっぱい詰めた大きな袋を抱えて、いよいよ明日、我が家にもサンタさんがやって来る。 


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言霊は肉声に宿る

2023年11月23日 | 催しごと
〈言霊は肉声に宿る〉とどなたかが言われた。
東本願寺の御影堂に響き渡る正信偈や念仏和讃、浄土和讃の大音声。


「何言うてるかわからんお経やな」と後方でささやいた御仁ではないが、わからないなりにも
注がれるありがたいようなものを全身で浴びていた。と、そんな感覚を、今も思いだす。
東本願寺で勤まる報恩講にお参りした。

60人を超える僧侶によって小一時間続いた読経。最前列に母親と座った入学前とみえる子は、前に向かって手を振っていたから内陣にお父さんが座っていたのかもしれない。家でお勤めに親しんでいるのか、行儀の良さは立派だった。そんな子を見たことが嬉しくもある。

今夏、ニュージーランドに短期留学した高校生の感話があった。
多くの人と通じ合いたいと思っていたが、自分のことをわかってもらおうとばかり意気込むのではなく、相手の(他者の)言うことに耳を傾け、理解しようとする思いがなければ、心を通じ合わせることは難しいと実感したという。世界の平和に、対話の必要性を挙げていた。
彼がその時感じた限界、そしてこれからの彼の可能性を聞き取ることができた。
 「知眼(ちげん)くらしとかなしむな」

結局は細くても拙くても、自らの言葉を自分から発するしかない。肉声が心をとらえる。
人と人を繋ぐのはそうやって発せられた言葉しかないのだな。
〈聞く耳持てたら、橋が架かる〉、魂の往来ができそうだ。自分にできることをしていけばいい。


22日、朝4時半に家を出たという孫娘。母親経由で情報を得ていたが、昨夜9時半ごろ目的のホテルに着いたことを知らせてきた。
仲のよいお連れがいるのが心強い。
19.9キロのスーツケースを引いて、階段の上がり下りは重労働。「まじできつかった」と言ってきた。
歩道橋なのか、親切な助っ人氏に感謝していた(が、気を付けてよといってはまずいのかな?)
26日に、友人は名古屋へ、一方はこちらに。

  
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人よりも空、語よりも黙。

2023年11月21日 | 日々の暮らしの中で
こんなに好天気の日は、〈人よりも空〉。
本山の報恩講にお参りしようかと思いもしたが上天気、人中に入るよりも空の下へと出ていきたい。



祠の一部分が、南天の木の幹が通る大きさでまるくくり抜かれていた。よく見ると、南天は右の花筒の脇から生えているのだった。真っすぐ伸びるよう住人が穴をあけ、幹を通したたのだろう。
たくさんの蕾が開くとき、この祠は南天の実と山茶花に荘厳される。

〈語よりも黙〉。


伊豆修善寺の温泉で療養中に大喀血し、死線をさまよった漱石。
この大患後、新聞連載された『思い出す事など』は、「漸くの事でまた病院まで帰って来た」の一文で始まる(のだそうな)。
死の淵から帰ってきて、「人間は閑適の境界に立たなくては不幸だと思う」という心境に達する。

細川護熙氏は、病気が漱石に「閑」を意識させたことがひときわ興味深いと『不東庵日常』で書いておられた。
「人よりも空、語よりも黙。」は漱石の日記にある文言だと教わった。

私は特に深い思いもないまま都合のよいいただき方をしているが、少し気持ちが疲れたなと思うときなどは「閑」の境遇を求めて人から離れ、自然の中に身を置くことが安らぎになる。胸が大きく開くような感じで解放感を味わう。歩いて、疲れて、ぐっすり眠れれば、気力も回復する。このところよく眠れない日々でもあった。

孫娘は明日の朝の便で日本にやって来る。2020年3月19日、コロナ禍でバタバタと父親の待つオーストラリアへ一人で帰国するのを、彼女の弟たちと家で見送って以来だから、かれこれ3年8カ月。無事な到着を祈り、私たちも再会を心待ちにしている。
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高校卒業式

2023年11月17日 | HALL家の話
今日は孫娘の高校卒業式でした。
現地時間の8時45分から、ということで時差が1時間ですから、こちらでは7時45分を念頭にスタンバイ。
始まる前に娘が送ってきた写真です。参列者の服装は平素のなりで、普段のままに今日のこの記念の一日をみんなで祝ってあげようという親しみにあふれているようです。


座ってじっと時間待ち状態でもなかったせいで、しかしどうした具合か、入場のシーンを見損ないました。娘が「よく見えなかった。Youtubeのほうが見えたかも」と言ってきましたので慌ててYoutubeでの配信を確かめて。

進行は生徒たちにより、12年生のコーディネーター2人が(日本で言えば、学年主任のような立場ではないかと)スピーチ。大きな笑い声、どよめきが上がり、最後は歓声まじりの大拍手でした。人気もあったようで、子供たちに受け入れられていたことがよくわかります。



多くの国旗が並びます。それぞれに関係する子供たちがいるということなのでしょう。肌の色も様々に、そうした中で関係を築き、TylerもLukasも学んでいます。どのように二人(三人)が育つか、それを私はとても楽しみにしているのです。


校長先生の語り掛けるような口調に、やはり生徒たちからは笑い声がまじります。日本でなら、あなた方は「社会」の中で見守られ育てられ…と言った視点から幾人もの〈来賓あいさつ〉に時間を割きますが、壇上からの挨拶はこの3人だけ。

〈卒業証書授与〉といった場面ですが、左右に分かれて立ったコーディネーター二人から交互に名を呼ばれ、登壇します。後ろに立つ先生から証書を受け取り、なかにはハグし合う姿がありました。
国旗をマントのようにひるがえして登壇する子、ポーズを決める子、様々な姿を見せてもらいました。


孫娘Jessicaは、左サイドから姿を見せました。中央(↓)に来るまで、こちら側は若干映りにくい。画面を瞬時とらえて、一枚残せました。





閉会です。


パーティーに臨む準備も整いました。ドレスはスリットの入った脇から脚を見せて。(な~んかなあ…と思っても言いませんが)みんなこんな格好だという娘です。ちょっとだけ…。



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しみじみ、そして晴れやかに

2023年11月15日 | 日々の暮らしの中で
つわぶきの黄色い花が晩秋から初冬の庭の一画に、目も覚める鮮やかさで目に入る。脳天を一本何かがツーッと突き抜けるような晴々しさだ。
〈つはぶきはだんまりの花嫌ひな花〉と三橋鷹女は詠んだけれど、一隅を照らすほどの花の色の鮮明さに好ましい魅力を感じる。
早くも一番の見ごろは過ぎてしまった。


つわぶきと言えばもう一人、網野菊さん。
幼少時に実母と別れ、以後3人の継母に育てられた。
「母、母、母。母は沢山あるけれど、本当に心から甘え懐かしめる母は一人もない」と書いている(『おん身は花の姿にて』)。
生涯志賀直哉を師として文学の道を歩んだ菊さん。「不幸のときいつも文学に立ち戻る」とも。

網野菊の作品から感じられる〈ひとり暮らしの凛々しさが好き〉だ。〈孤独の内に砂漠をつくりあげることは誰にでもできる。しかし、そこに花を咲かせることができるのは、豊かな心だけである〉と江藤淳。


〈冬支度するも一人や石蕗の花〉
菊さんの、自身気に入っていると書いていたこの句を、やはり今年もしみじみ味わう。

明後日17日、孫娘は晴れやかに高校の卒業式を迎える。
当日はYoutubeで式がライブ配信されるとのこと、姿を探せるかどうか。
午前中に式典を終え、パーティまでの間に髪を整え、メイクしてもらって…。このための場所移動に運転手は大変だ、と言いながら親は出番を待つ。


「今日は友だちと“まつげつけにいってる”」
3歳。小さい頃から身を飾ることが好きだった…。
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冬には夏がよいと言う

2023年11月13日 | 日々の暮らしの中で
部屋を抜ける夏の風通しのよさは有り難いことだが、転じれば冬の寒さが辛い。
〈手拭いのねじったままの氷かな〉 これほどじゃないが。
〈埋めたり出したり炭火一つかな〉と、いずれも一茶。

室温14℃。
一人の部屋でエアコンをつけるのももったいなくて、足元に電気ストーブでPCに向かう今。

「夏には冬がよいと言い、冬には夏がよいと言う。これじゃ不平の一生だ」
わかっているけど、プールで楽しむ孫二人のこんな写真を見せてもらうと、凝り固まる身体よりも汗をかきながらも夏がうらやましい。

 



地元紙に7年半にわたって連載された「京滋 文学の舞台をゆく」(-35回・夕刊)と「新・京滋 文学の舞台を行く」(-53回)は、合わせると計88回に及ぶ。執筆されていた森田信明氏が7月に亡くなり、9月3日の『夜は短し歩けよ乙女』(森見登美彦)が最終回となった。切り抜いてかなりの回を保存してある。
その50回目に『等伯』の案内があって、これが一歩を踏み出す力になったのだったなと思い出していた。

 『日本近代文学の名作』(吉本隆明)も新聞での連載ものだっただけに幅広い読者層を念頭に、読んだもの未読のものありだが、深く導かれる文学案内をいただいている。

月末近くには孫娘が来宅するので、今のうちに少しでも時間を作ろうと夜は読書三昧。
「恵まれし いのちなりせば 今日の日は再び来ぬ 尊き一日」というところ。 
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思わず夢中になりました

2023年11月11日 | こんな本も読んでみた
「『等伯』を読んでごらんなさい」
この言葉は、2015年度の高野山夏季大学に参加した折の、帰りのバスで隣り合わせた方から頂いたものだった。

娘家族との同居をやめて介護施設に入居し、82歳になったと言われていた。
「毎年お山にお別れに来るのだけれど、帰るときは来年も来れそうな気になるんですよ」
「帰ったら次は出光美術館に行くことが今一番の楽しみ」、とされていた。そして、ここに来る前に『等伯』を読み終えてきたということだった。


東京駅に娘さんが出迎えてくれるとかで、新大阪駅で別れた。
思い出とともに、冒頭の言葉を心のどこかにとどめ置いたまま8年も経って、ようやく実現した。感想など言葉を交わすことができたらどんなに嬉しいことか。読み終えて、静かに充ちたものを感じている。


〈思わず夢中になりました〉
これまでの読書週間の標語のなかに、こんな一文があったのではなかったかな。

信春(等伯)は33歳で上洛した。能登七尾ではすでに絵仏師として一家をなしていたが、狩野永徳と肩を並べるような絵師になりたい思いをたぎらせていた。
11歳の時に染物屋の長谷川家に養子に出されたが、生まれた実家は畠山家に仕える筋だったので鍛えられ、腕もたった。
最大の美質は「愚直なまでの粘り強さ」で、「本質を見極めようとする生真面目さがあった」と描かれた。生来の負けん気と、絵師の性に駆り立てられ、そのために手痛い失敗もする。
「絵師は求道者や、この世の名利に目がくらんだらあかん」五摂家のトップ、近衛前久はこう諭していた。

有力な多くの理解者を得て結びつき、人が人を、縁が縁を呼んでいく。それがゆえに政争にも巻き込まれるのだが、長い流浪の日々に、本能寺の変が運命を変えた。

大徳寺三門に描いた壁画は称賛を浴びる。狩野派、永徳とのとの確執は深まるばかりで、26歳の息子・久蔵もそうした中で命を落とすことになった。
秀吉との勝負から生まれた「松林図」。ラストに向けて、特に下巻からはペースよく読み終えた。


時に注釈的な説明を加えながら、文章はわかりやすい、読みやすい。読み始めるうちに〈思わず夢中になりました〉。そして〈ちょっと夜ふかし〉も。

ただ、例えば澤田瞳子さんの『与楽の飯』で感じたような、大仏造立の労役にあたる役夫たちと一緒に怒り悲しみながら、彼らの息遣いまで聞くように心熱くして読むような感覚には至らなかった。
だが〈思わず夢中になりまし〉て、ストーリーを追ったのだった、

本法寺に参った等伯の墓には、二人の妻の名と息子の名が刻まれていた。
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無縁坂あたりで

2023年11月09日 | 映画・観劇
京都市国際交流会館で英語字幕付き日本映画の上映会(「国際交流基金京都支部日本映画上映会」)があって、「雁」を見てきた。
かれこれひと月ほど前から誘いをいただいていた。

映画製作は1953年というから俳優陣には懐かしい名前が並ぶ。
高峰秀子、田中栄三、東野栄治郎、芥川比呂志、宇野重吉、それに飯田蝶子とか三宅邦子の名もあった。
森鴎外の原作『雁』をもとに、明治13年の東京下町の人情や風俗が描かれている。


下谷練塀町の裏長屋に住む善吉、お玉の親娘は飴細工を売ってわびしく暮らしていた。
以前妻子ある男と知らずに一緒になって失敗しているお玉だったが、今度は呉服商だという末蔵の世話を受けることになった。
けれどそれは嘘(お玉にしつこく話を持ちかけたこの女↑の調子のよいウソだった。この人、飯田蝶子かな)で、妻子持ちの高利貸しだった。
大学裏の無縁坂のあたりの妾宅に囲われたが、やがて末蔵の真の姿を知り始める。

こんな暮らしをしていてよいのかと悩み、去ろうとするも、平穏に暮らし始めた父親はもうかつての貧しい暮らしにはもう戻れないという。父親によってお玉の決心は思いとどまらされていた。
娘の境遇より自分の安穏を求める父親。個人の幸せと親への忠義、孝行のはざまで思いきれないお玉の心情がもどかしく映る。

医学生の岡田は無縁坂を散歩する途中でお玉と知り合う。次第に岡田に魅かれていくお玉だったが、岡田はドイツへ留学することになる。
「あの人にはあの人の世界がある」という岡田。二人を結び合わせることはなかった。
彼の送別会の夜。
夜空に雁の列が遠くかすかになっていく。

「私の母もあんな(お玉の父のよう)だった」と友人は笑って言った。

個人主義と儒教的な親に尽くすという忠義、孝行の間で、どう調和?を図るのか…。
お玉には自分の運命を自らの意思で選びとってほしいと思うが、明治のまだ初期、末蔵のほうに変化があるのだろうか。

古い映画だなあ、と思ったわりには案外退屈することなく見終えた。
よい気分転換になった一日。

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この手で日々をかきわけて

2023年11月07日 | 日々の暮らしの中で

11月とは思えない気温が続いたが、やはり晩秋へと季節は進む。

本堂の寒さ対策は、石油ストーブと手元の火鉢とで暖をとる。今日はその準備を整え、お坊さまがたや当番組で使う食器類も蔵から出して…。
普段放ってあるおくどさんも、余分な灰を除け、周辺も見苦しくない程度に拭き上げて。
こうしておけば、あとは当番さんでその先を進めて下さる。

こういうことは早めに済ませておきたい。この先しなければならないことが多々あるのだ。
不足があれば催促の声もかかることだし、と構えている。
(あいかわらずだねえ)と愛ちゃんは口にするのだろうか。いつもちょっとだけ間に合わない? それでもいいんだわ。


烈しい雨の音に目が覚めたのが午前1時ごろだった。しばらく寝付けず、枕元の本を開いたが頭の芯は委縮したままで受け付けない。どれだけの睡眠がとれたのか怪しいほどで朝を迎えた。
それでも一日よく動かせてもらったと思いながら、午後3時、気分転換に歩きに出た。
ちょっとヒンヤリした風を楽しんだ。

  この手で
  日々をかきわけているようなれど
  気がつけば
  仏の手のままに                念仏詩人・榎本栄一


ちょっと頭が痛い。早く休もう…。
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私のものさし

2023年11月05日 | 日々の暮らしの中で
真っ赤な果肉を持つソルダムを使って、7月下旬に果実酒を作った。


熟成するまで3ヵ月ほど待って、今日はレモンと実を取り出し、取り出した実でジャムを作ることにした。

実800g  種を取り除き、粗く刻んで
砂糖 300gと 
レモン果汁 大さじ4 を入れ、
弱火で40分、煮込む

・・・だけ(ネット検索で)。
夕飯の支度をする傍らでさっそく取りかかった。
とろみがイマイチ?と思ったが、時間の経過でいい塩梅に。それでも“ジャム”の一般的イメージからすれば、若干ゆるい。そして、「酸味が強くフルーティーなジャム」のはずも、甘みが酸味に勝っている気がする。好み、というものはあろうが。

 こんなもんでしょ。材料が悪いわけではない。

〈人間の気まぐれな「私の物差し」で、材料の良し悪しをいってはならない〉、と青山俊菫尼僧が書いておられた。

ジャムのとろみ加減で収まるどころか、アメリカのテロ問題にも言及して本当の善悪は…、という深いお話へと続く尼僧のお話なのですが…。

〈すべてのものを測るものさしの真ん中に私が執念深く居座っています。
判断の真ん中に私がいて、その私が気に入るか入らないか、利益になるかならないか。「私にとって」という眼鏡がはずせません。
それが凡夫である私どもの偽らぬ姿でありましょう〉
…などと。ジャムづくりで頭をコッツン!の感

「ものさし」は、まことにいい加減なものなんだということでした。

ジャムは想像以上のおいしさだった。お酒のおいしさは十分に知っております。
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連れが言い出しまして

2023年11月03日 | 日々の暮らしの中で
「連れ」が古本まつりに行こうと言いだしました。
連れの部屋には未読か既読か知りませんが、今現在も単行本がタワーのように積み重ねられているのですが。


『五足の靴』、著者は? 、「五人づれ著」とあります。どういうこと?

【明治40年盛夏。東京新詩社の雑誌に集う詩人たち ―北原白秋、平野萬里、太田正雄(木下杢太郎)、吉井勇がいさんで旅に出た。与謝野鉄幹との五人連れは長崎、平戸、島原、天草と南蛮文化を探訪し、阿蘇に登り柳川に遊ぶ。交代で匿名執筆した紀行文は新聞連載され…】。
連載されたのは「東京二六新聞」だそうで、しかし、連載後長い間埋もれていたらしい。
それを野田宇太郎が発掘したのだそうでして…。

といった面白い経緯の一冊を見つけ出し、手に取って眺めていたのでした。
この一冊、買ってもらいました。
200円です。

「五足の靴が五個の人間を運んで東京を出た。」の一文で始まり、3行ほどの前置きのあと本文へ。(一)は安芸の「厳島」からです。一カ月に及ぶ旅。
本文と解説含めて140ページに旅程図がついた薄い一冊です。



真っ青な空に、ハナミズキは真っ赤に色づいたの葉と実を手向けています。
強い日差しを受けての背表紙追いは、眩しさも重なってクラクラするほどでした。

       秋晴れの日記も簡を極めけり      相生垣瓜人
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夜はテレビを消して

2023年11月01日 | 催しごと
今日から秋の古本まつりが始まった(~11/5)。



大阪の寝屋川から京阪電車で出てくる友人と、会場の百万遍知恩寺門前で待ち合わせる。
待っているとき、「本なんか読まへん」と言って自転車を押していく人がいたが、境内は老いも若きもでにぎわっていた。

文学者の評伝とか文学者による文学論といった類の文庫本を何冊か買った。

 例えばこれ。
毎日新聞文化面に週一で掲載された(‘00.4~’01.3)ものだという。24人の24作品を通して吉本文学論が読めそうだ。

  夏ごろに娘にと思って買っておいた『空飛ぶ馬』(北村薫)を読んでみて、その続き、「円紫さんと私」シリーズの2作目となる『夜の蝉』を100円で購入した。

【文章の静かな味わい。高雅な文体。抒情の精妙と知性と作の興趣とを兼ね備えた作家の一人】などと北村文学が評されるのを読んで、娘よりひと足早く【上質な紅茶の香り】を味わってみたかった。2杯目のおかわりはどんなもんかしら…。
娘に6冊ほど選んでもみた。

『等伯』を読み始めている。
長谷川信春(等伯)が能登の七尾を追放されることになる経緯は衝撃だった。妻子を連れて京へ、本法寺を頼って先を急ぐが、信長の比叡山焼き討ち、近江侵攻に遭遇し、難儀を極める…。こちらはストーリーで読み進む。

読み急いではいけない。そんな必要もない。
《読書は忘れた頃に知恵になる》と雑誌の見出しで情報を得た。この言葉に、「本も、人の中で眠るうちに育つ」という古井由吉さんの言葉が重なった。

夜はテレビを消して、…。
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