
学生時代に所属していた研究会の後輩が母校の学長に就任されるというので、お祝いの話が持ち上がったのが3月だった。
そしてこの度は、「当時の研究会員でお祝いの会を催し、およそ50年ぶりに再会する機会として、「研究会同窓会」を開催したい」という案内を戴いた。
大先輩は88歳、伝承文芸の研究者でおられる。出会ったときは院友だった方も多いが、総じて先輩については名前とともにお顔が浮かぶ。一方で、後輩では「学長さん」が属されていた1期下までしか記憶はなく、更に顔までとなると難しい。
どちらも、遠い過去から飛び込んできたような話なのだ。しばらくは夏季合宿への誘いを受けていたが、とても参加の余裕はなく断り続けた。
卒業後の40何年かの私の日常に、何の痕跡も残していない。…ようなのだが、そうであれ、こうして今、名簿に名前も記載され、誘いの声が掛けられる。…ということは、縁のある人であった、と考える意味は深い、のだろう…な。
意識の上では、更なるお祝い金の支出に思わず「どんだけ~!?」と口にし拒絶?否定の思いもあったが、奥底では、会の一員であったという存在を仲間とともに贈り合い、関係を保ちたいという願望だってある。4年間、研究会でたくさんのことを学び、青春を謳歌したのだ。
なら、「どんだけー?」「また~?」などという思いが湧いたこと、やっぱり見苦しいのかな。
同期は女性が3人だった。一人、名簿から漏れ、もう一人は神奈川県在住で発起人に名を連ねている。関東地方に住む人が圧倒的に多い。