京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

贈り合う

2019年06月29日 | 日々の暮らしの中で

学生時代に所属していた研究会の後輩が母校の学長に就任されるというので、お祝いの話が持ち上がったのが3月だった。

そしてこの度は、「当時の研究会員でお祝いの会を催し、およそ50年ぶりに再会する機会として、「研究会同窓会」を開催したい」という案内を戴いた。
大先輩は88歳、伝承文芸の研究者でおられる。出会ったときは院友だった方も多いが、総じて先輩については名前とともにお顔が浮かぶ。一方で、後輩では「学長さん」が属されていた1期下までしか記憶はなく、更に顔までとなると難しい。

どちらも、遠い過去から飛び込んできたような話なのだ。しばらくは夏季合宿への誘いを受けていたが、とても参加の余裕はなく断り続けた。
卒業後の40何年かの私の日常に、何の痕跡も残していない。…ようなのだが、そうであれ、こうして今、名簿に名前も記載され、誘いの声が掛けられる。…ということは、縁のある人であった、と考える意味は深い、のだろう…な。

意識の上では、更なるお祝い金の支出に思わず「どんだけ~!?」と口にし拒絶?否定の思いもあったが、奥底では、会の一員であったという存在を仲間とともに贈り合い、関係を保ちたいという願望だってある。4年間、研究会でたくさんのことを学び、青春を謳歌したのだ。

なら、「どんだけー?」「また~?」などという思いが湧いたこと、やっぱり見苦しいのかな。
同期は女性が3人だった。一人、名簿から漏れ、もう一人は神奈川県在住で発起人に名を連ねている。関東地方に住む人が圧倒的に多い。
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間に合わなかった思い

2019年06月28日 | 日々の暮らしの中で

日中は好きだった庭いじりをして過ごし、夕食は食べたくないと言って何も食べずに横になった。
夜中、うなされているような声に気づいたので手を握り、ずっとさすってあげていたら、午前2時頃に静かに息を引き取ってしまった。

叔母は電話口で、91歳の叔父の最後の様子をこんなふうに話してくれた。叔母も今年90歳になる。
ずっと二人での暮らしだった。「平(たいら・福島県)はいいところだったって言いながら亡くなったようなもので、満足して逝ったと思うからよかったんじゃないかな」とも。平の地の温かさがとても気に入っていたという。身体が弱いからと、常に身体をいたわったことが長生きにもつながったのだろう。
会うのは、母、父、弟の順で葬儀のときばかりだった。一度我が家を訪ねてくれたが、関西の地まで、旅行すら控えていた叔父には珍しいことだったらしい。

一昨年の夏、羽黒山の五重塔の前に立ってみたくて東京発のツアーに参加した。息子宅に戻ったあのあと、叔父夫婦を訪ねていわき市まで今一度出向いておけばよかったのかもしれない。心のどこかにその思いはあったのだ。後になって悔やまぬようにと思いつつも、いつもちょっとだけ間に合わないことが生じる。

   暮れぬ間の身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき
我が身は暮れぬまのいのちなのに、明日知らぬ身であることも忘れて、人の死のあわれを知るというのもはかないことだと紫式部が詠んでいる。
まことにまことに、命は賜りもの。なのに、今日を限りのとは、つい忘れてしまう。
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54文字

2019年06月26日 | 日々の暮らしの中で

目的もなく入った書店で見つけた『54字の物語』。
存在すら知らなかったので、つい手に取ってみた。
太田光さんの作品も載っていた。
 エイリアンの遺骸を彼らの故郷地球に返そう、って話だったかな。

孫のTylerとストーリーを考えてみても面白いだろうな、と思った。
買って読んでみようかと思ったけれど、帰宅してちょっと調べてからと思い、今日のところはやめた。
わずか54文字。 魅力ある挑戦。

以前、新聞の文芸欄に川柳作家・高鶴礼子さんの「表現するということ」の一節が紹介されていたが、その中にこんな言葉があった。
 「一瞬の、おやっ、ほおぉ、ドキッを創り出せないものか」
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新生姜

2019年06月25日 | 日々の暮らしの中で
今日は先日に続いて2度目となる、新生姜でのシロップづくりをしている。
弱火で火にかけたものが常温になるのを待って、こしにかかっているところで、もう少しかかりそう。ほぼ一日がかりです。

 ※新生姜400gに砂糖350g、レモン1個(レモン汁大さじ3)  

    
  
2回とも新生姜は1キロちょっとで。
この「ちょっと」プラスの部分は計算で砂糖の量を出してもみたが、難しい数学を習っても役に立たないとぼやく孫娘に、比例式が役立つと伝えようか。

①洗ってスライスして、ボールに入れて砂糖を上からまぶす。(30分以上~半日放置しておく)
②水分が上がってくる(写真左 400gぶん)。鍋に生姜と水分を入れて、煮る。
 煮えてきたら弱火にし、30分ほどことこと煮る。アクをすくう。
③火からおろし、レモン汁を大さじ3ほど回しかける。(ピンク色に染まる)
④常温になるまで冷まし、冷めたらこす。

シロップは冷蔵庫で保管する。(写真右 量はもう少し別瓶にとれる) 炭酸で割ったり、お湯割りで。
こしたあとの新生姜(写真右 これですべて)を、昆布、じゃこと一緒に薄口醤油でさっと煮るとおいしくいただけます。私はシロップよりこちらが好き。時季にさっと湯がいて冷凍してある実山椒を少し加えるも好きですが、これは娘に不評。ちりめん山椒を作っても、山椒とじゃこを分けてほしいと言う。一緒だと子供達が食べられないから、というわけです。

火にかけていると何ともいえない香りが部屋に広がる。生姜のさわやかな香りに甘みが加わって、いくらか重くなった香りです。



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ため息ひとつ

2019年06月24日 | 日々の暮らしの中で
やわらかに青い花びらを広げてくれました。



などとは程遠い、ちっちゃな花が咲きました。
あーあ、ため息ひとつ。ふたっつ。失望、落胆、気分はどん底…。

アサガオではありませんですねえ…。
葉っぱの形が違うよなあ、と思いながらアサガオであることを期待していたわけではありませんが、
やっぱりね、という感じでああ、あ。

朝から咲くヒルガオってありますか。
葉っぱが問題? ヒルガオより小さくて、「コヒルガオ」ってのがあるのを知りました。
雑草扱いになる、などと書いてあった。

「雑草という名の草はない」と植物学者の牧野富太郎が言っていますが、
それよりも、この花はなんて名前なのでしょう。

ロマンも夢も吹っ飛んでしまいました。
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夜明けに仙女ひとり

2019年06月23日 | 日々の暮らしの中で
午後7時頃、窓を赤く染めるほどの夕焼けが空一面に広がった。
やがて薄暗くなり、「夜」がやってきた。
周囲の暗さが変わっていく、闇になる一瞬というのを見たような、まだなような…。



アサガオは順調に育っている。タネをまいて双葉がそろって… およそふたつき経過した。今日は、先端に伸びている蔓を意図的に切ってみた。摘芯、というわけ。そして、気づけば小さな蕾ができている。
こんな小さな、1.5㎝あるかないかの小さな蕾を見たことがなかったために、ちょっと驚かされた。小さいけれど、形状はきれいだ。でも小さすぎない? 咲くんでしょうかねえ…。

「青い羽衣をまとった仙女が欄干にもたれるように薄明の中に咲く朝顔の花」
と蘇軾の門下・秦観がたとえた。

NHKラジオテキストを広げ、「漢詩をよむ」をオベンキョーしたのは2010年のこと。
懐かし過ぎる思い出のなかに、「牽牛花」と題した泰観の詩があったのだ。
…咲くんだろうか。
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短い夜

2019年06月22日 | 日々の暮らしの中で

  今年の夏至の日の出   4:43
           日の入り 19:14   (京都)

昼間は14時間31分もあるのに、夜は9時間29分しかない。
たちまち明ける夏の夜、「短夜」。
昨日、今日と、午後3時を回る頃から二日続きの夕立があった。
雨上がりには東山連峰も西の山並みも白くけむってみえていた。

裏へ出たところに額の花が咲いた。茶花としても好まれる色合いが好きだ。
あらゆるものに同じいのちを見つめる日本人の感性は、人間と自然との境目をなくし、家の中の床の間にも自然を取り入れて楽しんできた。
神仏への供花として、そして、暮らしの空間に、花が存在する。
花の美しさも、いのちも、輝きを増すことだろう。



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2歳児の社交場

2019年06月20日 | HALL家の話

5月の連休に会って以来、久しぶりに娘家族の元を訪れた。
孫娘が通う中学校で説明会があるとのことで、末っ子Lukasと仲良くお留守番。
翌日の母親の外出にも、またしても置いてけぼり?lukasと、午前中は連れだって公園へ。背には愛用してくれているリュックが見える。

道すがら「おっちゃんとこ行こ」っと横道に入り、趣味で木工の人形や玩具、模型づくりを楽しむ近所のおじさんの仕事場を訪ねるLukas。「おお、来たのか。一人で来たのか?」。上手にあれこれ言葉をかけてくれるのに2歳児は頷きを返し、「あとでね」と手を振りバイクにまたがった。

同い年のオトモダチが3人、4人とできてきた。まだまだ幼い2歳児がと思いがちだが、一緒に遊びながらちゃんと相手を見ている。良くも悪くも真似をする。学んでいるのがわかる。言葉がもひとつはっきりしない3人が寄って、“会話”している姿は何とも微笑ましい。
それぞれが固有の姿を持ったままの遊びの時間は、貴重な社交場となっている。

人はみなわが師。気付くこと、聞く耳を持つこと、アンテナを張ること、…等々、2歳児の世界にもそれがあるようだ。そんなことに気づく私、身の回りには楽しいことがいっぱい。

明日は幼稚園の「プレ」の日。年少さんのも一つ下のクラスに、5月から月2回の割で通い始めた。お昼もお替りしていただく食欲を見せるとか。公園で幼稚園で、確かな成長のあとが嬉しい。表情が、無言のうちに心の安定を語っているように見える。


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月を眺めつつ

2019年06月17日 | 日々の暮らしの中で

梅雨入りの宣言はまだないが、
久しぶりの日差しがみずみずしい。

  日の入り 19時13分
  月の出  20時03分
なかなか暮れていかない夕暮れ、時の流れがゆっくりだ。
今宵、素晴らしく澄んだ空に明るいお月さんが上がっている。
飽かず月を眺め、満たされた気分で一日を終える。

近所の中学生3人が、社会の資料集のようなものを開き、問題を出しながら歩いていた。
孫娘も今日から期末テスト一週間前だと聞いている。(がんばれよ~!!)

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みんな生きているんだ

2019年06月15日 | 日々の暮らしの中で

寝不足の頭に時間をかけて目覚めを待つが、降りそうで降らない空模様みたいに何かさえないまま一日を過ごした。

寝たと思うと目が覚める。まだ3時なんてことでは悲劇だと思って時計を見ると、午前1時半だった。
本を閉じて電気を消してから1時間ほどしかたっていない。暗がりの中であれこれ考えだすから、もう寝入れない。
「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう」
明かりをつけましょう。明かりをつけて、本でも読むかとまた1時間、2時間…。
本を読むという経験は時間と空間を超える旅をするようなものだ、といった人がいた。
時空を超えて、慢性的な寝不足状態では困ったことだ。命の危険もあるやに聞く。

午後2時、折り畳みの傘を持って少し歩きに出た

  

黒い雲の下、イチジクの葉の渋重い匂いがこもる畑道。みんな生きているんだわ。


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「国連UNHCR協会」

2019年06月12日 | 日々の暮らしの中で

5月に入った頃。「国連UNHCR協会」と印字されたゆうメールが届いた。しかも外面には〈バングラデシュからの緊急メッセージ〉として、バングラデシュ ダッカ事務所主席保護官という人の名で「モンスーンの季節の豪雨による自然災害から難民を守るために支援を」といったことが認めてあった。

2019年8月以降、74万人以上のロヒンギャの人々がバングラデシュに流入し、未曽有の人道危機を生じた。この援護活動の指揮を執ったのが、ここバングラデシュ ダッカ事務所だったと。…現在の事務局長の名があり、顔写真も添えられている。
「皆様の力が必要」「支援を」、つまり寄付の依頼だ。
カード番号を書く欄がある。ゆうちょ銀行から寄付の申込用紙も添えてある。そこにはすでに私の住所・氏名が記されている。

さて、ホンモノか? ホンモノかもしれない。
ただ、腑に落ちない。直接かかわりもない「団体」さんから、いきなり「私」個人に宛ててとはどういう流れ?
居住地域で、町内を通じてならともかく、この手の寄付はしたことがないから、なおさら不思議…。

ホンモノだったらごめんさいね。難民の家族、子供たちの教育、健康、倖せを思うこととは別次元で、私へのこうした依頼はボツです。
ということで、今日をもって送付されたもの一切を本当にボツに。
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田辺聖子さん

2019年06月10日 | 日々の暮らしの中で

作家・田辺聖子さんが6日、91歳で亡くなられた。
どうされてるかなとふと思うことがあった。久木綾子さんのことも、もう一冊読ませていただきたいなあと思いながら近況を知りたく思うこの頃だった。

  六月
「私は、つゆどきの人間の感性のしめりが好きである」と書かれた。
な~んかたまらないなあ、この表現。…と思うのだ。「大人の情感の世界」。

「愛して、愛されて、楽しんで」、「アア、楽しかった!」と去られたのでしょう。


2014年10月に田辺聖子文学館を訪れ、同行の友人から多くのことを教わった。読むといいと言われた小説はいまだ読んでいないが、あれから田辺さんの文章論、古典や、小説、詩歌、作家などを語る何冊かを拝読した。そして「夢見力」という言葉をいただいた。
何度か挑戦し、少し好きになった『ほっこりぽくぽく上方散歩』。『ふわふわ玉人生 楽老抄Ⅲ』など大好きな一冊だが、田辺さんご自身がふわふわと、やさしくかわいいお方。これからも時には作品でお会いしたいと思う。
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「千鳥百年」

2019年06月09日 | 映画・観劇
   キノハノ
   ヲチタ
   カキノキニ
   オツキサマガ
   ナリマシタ


鳥取県に生まれた田中千鳥(1917ー1924)が5歳のときに書いた初めての詩だそうです。無題。
母の古代子は鳥取初の女性記者で、その後は小説家としての道を選んでいる。両親の仲は悪く、千鳥は母親とともに実家に移った。病弱だったという。わずか7歳の短い命を終える間に40編の詩を遺した千鳥。その千鳥が残した言葉の世界に触れる…、短編映画「千鳥百年」が京都で初上映された。

砂丘に、ぐるぐる回る風車。荒波。倒れたおびただしい墓石。こんな映像が続いて始まる。ものわびしい音楽とともに。美しい自然?鳥取の風土?
製作者の意図がしっくりこなかった。


何度か繰り返し読むうちに「キノハノ ヲチタ カキノキニ オツキサマガ ナリマシタ」と口ずさんでいた。
絶筆は「けむり」
   
   ばんかたの空に
   ぽつぽと
   き江てゆく
   きしやのけむり 

まっすぐに心に響く千鳥の言葉。何気ない言葉の中に広がる世界。聞いて心地よい言葉の響きがあった。なんとなく覚え、フレーズが口に乗る。
心の動くまま、心は感動と置き換えてもいい、ことばを紡いだ千鳥。
よい詩とは? 問うてみたいものだ。読みの貧困な自らのことは棚に上げてでも。

古代子の随想が遺されているようで、詩には母親の言葉が添えられてもいた。37歳で自ら死を選んだそうな。
千鳥生誕100年。こんな母娘がいたことを知った日。

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小さな親切、大きなお世話

2019年06月07日 | 日々の暮らしの中で
久しぶりに大きな傘をさして朝からの外出となった。

  6/1 6/7

毎朝一番に、ごきげんさんでいるかと朝顔の鉢を覗き込む。
強い雨に打たれて、モヤシのような茎が頼りない。
強くなれよと、見守る側にも次第に親身な思いが育っていく。

8粒蒔いた種は結局1粒のみの発芽で、ここまで育ってきた。
蔓を伸ばしてきたので支柱が要るなあと思うものの、たった一つ。で、こうしたワッカのものを取り出した。
そして、だ。
蔓がうまく絡みつくように巻き付けて…、あ~ら、それが余計なお世話だった。
長く伸びた先10cmほどの所で「く」の字に!
細い茎が曲がってしまったからたまらない。セロテープで保護したらどう? でも諦めた。 

成長を助けてやろうというわけではなかったが、小さな親切心も大きなお世話に。
ほんのちょっと見栄えよく? 上に伸びやすかろうと思っただけなのに。
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『渡良瀬』

2019年06月05日 | こんな本も読んでみた

「こんな電気工事の教科書みたいな小説のどこがおもしろいのか」と書いた評者がいたという。 『渡良瀬』(伊藤整文学賞受賞)

作品では最も細かく、熱を入れて、芸術作品づくりのような愛情をこめて、配電盤の配線についてが描写されている。その分量も半端ではない。
まったくわからず、理解しようにも想像すらできないので難しい単語は読み飛ばす個所もあったが、主人公・拓の仕事へかける思いが熱く伝わる。
職場の人間関係も、それぞれ職人としての描写も、丁寧に細やかだ。時代の背景は昭和天皇が倒れ、平成に移る時期。

28歳の拓は東京で電気工として仕事をしていたが、妻と子供3人を連れて茨城県古河市に転居。配電盤団地内の電気工場で配電制御盤配線工として勤務する。長女が緘黙症、末っ子の長男が川崎病になり、主人公もアスベスト禍で肺を痛めている。進んで残業をこなし、夜遅く玄関灯も屋内の電気も消えた家に帰って行く。妻は子供と一緒に休んでしまっている…。
読み進むにつれて28歳の拓が好きになっていく。
渡良瀬の遊水地、田中正造、谷中遺跡についての個所も関心をもった。

佐伯一麦氏自身の人生が反映されている作品。氏は私小説作家とは言われるが、私小説の概念を変えたい、広げたいという一つの思いがあると言われ、「自分の内面をほじくり出して描いていくのはあまり得手ではない。自分を取りまいているものを書くことによって、自分というものを描けないかと思います」と語られていた。
新著『山海記』を読んでみたいと思っている。


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