京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 普段こそ

2011年08月31日 | 日々の暮らしの中で
                  

今日で八月も終わるという日、同好の仲間と師を囲んで、会食を楽しんだ。
34度台の厳しい残暑が続くが、いくらか台風の影響をうけていたのだろう、黒い雲が流れる帰り道だった。

「それがどうした」 この言葉を俳句の下に続けよと言う話になってドキリとさせられた。自分が書いた文章の最後に続けてみよ、と言われた思いだった。常々言われている「だからどうしたの?」という文章のつまらなさ、表題ですべてがわかってしまう愚かさ… 思い出すだけで耳が痛い。皆が知っていることは書くな、独りよがりの… まだまだある。

七年前、知恩院の石段を上るのに息が切れた師は、「あなたは五木さんより若いのに」と笑われたそうだ。ただ、あとになって思えばだが、五木寛之氏がそのころから『親鸞』を書くために緻密な取材を重ねられていたのだなと思っていたという。

ネットで大量の情報を集めることもある。だが、そうして集めた情報を使うためにではない。取材して聞き得たものでもない、いまだ知られずにある、情報と情報の隙間にあって知られざるものを文章に、作品に生かすためなのだと、ご自身の経験からも披露…。
聞き得えたことを利用して取材文に「挑戦させられた」かつて、顔が赤くなりそうだった。

「人生はつらい」「あ~、人生はほんとにつらい」と繰り返しながら、行きつけの飲み屋さんのママ亡き後の酒の整理に向かわれた。仲間と店の整理をしているのだとか。本日を持って閉店につき、「人生はつらい」と笑みを浮かべながら~。

生ぬるい環境より、意見を戦わすような場は多くあったほうがいい。ま、「戦わす」ほどでなくてもいいか~。
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 順番に

2011年08月30日 | HALL家の話
                
これまではあまり見たことも聞いたこともなかったようなJessieの一面だ。

外遊びが好きな活発な子で、お人形さんで遊ぶと言えば、おもちゃのベビーカーに載せてぐるぐる押して回っていたのを覚えているくらいだ。外へ抱っこしてでることもあるにはあったが。抱いて寝たりなどほとんど知らない一面に思われる。

Jessieのベッドに縫いぐるみが総動員されたという。そして順番を決めて毎日一緒に寝るのだそうだ。
「くまさん・いぬさん・うさぎさん・ねこさん・ぺんぎんさん・ねずみさん… 」
さあて、Jessieはいったい何を始めようとしてるのだろう。夜は赤ちゃんと一緒に寝ると言っているというから…。

あの日、Jayはなぜか朝早くから病院に駆けつけていた。Jessieが生まれるのを待っていたのだ。少し遅れて私もサラの車で病院へ。三人思い思いに待つ廊下に、Jessieの元気な産声が! 今もはっきり耳に残っているのを最近思い出したのだった。
あれから6年目も近い、ようやくおねえちゃんに。楽しみだね、Jessie…。

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 張ったりは身を助けるか

2011年08月29日 | 日々の暮らしの中で
一度試してからと思って今日になってしまった、ポータブルでのDVD再生。

今更なんで!?「ロード中」と表示されたまま一向に再生されない。DVD自体は今回もちゃんと録画できているのは確かめた。何度しても、何枚しても同じ結果だ。ミュージカルなど手元にあるDVDは見られるのに…。となれば、やはりダビングの仕方に何か再生できない理由があるのだろうか…。すんなりいかないものだ。

幸い小さな機器である、本体だけを店まで持っていくことにした。
頼りないババゴン奮闘の顛末記は、結局、「交換」ということで落着となる!

 
ダビングに問題なし。説明書に沿ってリモコン押している。携帯で鍛えた親指はスムースに動くし間違いなかったのだ。やったね~!ジェシー。息子から届く品を待って、一緒に送ることにしよう。

ところで、変圧器が要ると言われた。要らないはずだと思いながら、要るというから売り場へ向かえば、そこでは要らないというではないか。何でも知っていそうに説明してくれるが、知らないこともあるということだ。

あまり無知丸出しも言いなりだと用心して、少々張ったりをかますことがある。困ってすがる思いを示しつつ、時々知ったかぶりをするのだ。これって「知者ぶるな」という戒めに反することかもしれないね…。
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 夏ぼけか・・・

2011年08月28日 | 日々の暮らしの中で
       息子が小学生のときの作品だ。
俳句・五七五の形式を知っているということは…、だが、何年生のときだったか忘れてしまった。
周囲を飾った花も彼の手で作られている。木綿の紐をほぐしてボンドで固めたりして花びらにしているのだ。花芯にビーズを置いて、実家の母との共同作業の部分もあっただろう。
Jessieが好んだきらきら糊が使われているが、ひどく変色してしまっている。

以前は九月一日が二学期の始業式と決まっていたし、今頃は最後まで残る宿題に終われた頃だったろうか。線香の空き箱を重ねて何にしたのだったか、息子の工作をお墓みたいだと冷やかされたらしい思い出。娘の感想や表現をうまく引き出してまとめた読書感想文が、コンクールで賞を得たことは快挙のひとつだ。親へのごほうびになった。

そういえば自分達のころには、朝の学習時間帯と午後には昼寝の時間が決められ、外へ出歩くのを止められていたものだ。眠れずに、流れる雲が形を変えるのをじっと眺めていたのを覚えている。姉弟三人がゴロンとしている懐かしい日は浮かんでくる。

晩夏から秋にかけて鳴く蝉を「寒蝉」というらしい。気付けばこおろぎが鳴いている。夜の涼しさまでもう少しのところだろう。
「昼と夜とが交互にやってきて交替する」なら、夏もいつの間にか過ぎて行くのも時の推移として自然な流れだ。

今日はNHKの大河ドラマを見たような見なかったような…、時どき目を覚ましていたはずだが。タヌキが出たって… ?

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 夏の忘れもの

2011年08月26日 | 日々の暮らしの中で
                 

9月2日、養老孟司氏の基調講演に続き、パネルディスカッションという構成で
京都新聞『「日本人の忘れ物」記念フォーラムin京都』が開催される。

戦後日本人は物の豊かさと引き換えに大切なものをわすれてきたのではないか。日本人が忘れつつある価値観が今も行き続ける京都から温故知心の知恵を発信する。こうした趣旨での、キャンペーンの一環となるようだ。

案内を見て応募したが、どこまでくじ運がないのか、半年もたたないで二度目の抽選漏れである。またまた似たような文面で「この度は… 厳粛な抽選の結果、・・・ご参加いただけない結果となりました。あしからず…」と、葉書きが一枚。あ~あ、かなあ。

「日本人の忘れ物」はともかくとして、まさにこの夏の忘れ物をしているかの思いがある。Jessieから引き継いだおじぎそうだ。歳時記によると「含羞草」と表記する。手で触れるとまるで肩をすくめるように葉を閉じ合わせペコリと茎を折るかわいさ。

    
      
       おじぎ草眠らせてゐて睡うなりぬ    大石 悦子

昼間は明るい場所へ、夕方には奥にいれてと見つめ続け、未だ花が咲く気配すらない。丈は伸びたが、一年草で花が咲かねばタネもとれず。ホテイアオイもとうとう咲くことなくこの夏を終えそうだ。
あ~何もかも、いったいどうなっているのやら。
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 あさはかさ

2011年08月25日 | 日々の暮らしの中で
           
これまでテレビ番組を録画、ダビングして娘の元へ送ったことはなかった。
チデジ化されたことなど全く意に介せず、DVDに収めてJay宛ての荷物の中に入れ、上旬に発送した。

失敗だった。パソコンで試すことなど頭にもなかった。ぼんやりテレビの前にいる間にと、なんと12枚分ものダビングを終えていた。我が家一の機械通を自負するワタクシ、我ながらようやった!と満足感に浸っていたのに、だ。もちろん、ファイナライズも済ませてある。完璧やわ!
ところが見ることができないと言ってきた。

「CPRM」を解除する? ネットで急遽調べてみても難しいことが書いてある。インストール後の手順も難しそうだ。うまくインストールできないと娘は嘆くが、かりにできたとしても、一枚、みるたびに?この先どれ程の手間を要することになるのか計り知れない。

低レベルの中での一番を鼻にかけたところで所詮はこんなもの、やれることは知れているのだ。せっかくしたんだけれどなあ~。
いっそCPRM対応の再生機があれば、問題はないのだろうと即断。待たせてしまったが今日、駅前にある電化店を覗きに行った。

ポータブルだ、そりゃあ小さいわ~。でもやけに小さい。
テレビとつないで大画面で見たいわけだが、出来ない場合があると説明された。オーストラリアのテレビ次第か…。だが、最低でもこの画面で見ることだけは保障された。

このまま荷造りしようと思っていたが、たった今、確かめたほうがよいと思った。
箱を開けさせてもらうとしよう。そうだ、そうなると、充電もしなくっちゃ。いや、待てよ、最初に充電でなくてもいいわけだ。頼りないことだ、まずは説明書!

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 「つき指さん」

2011年08月22日 | 日々の暮らしの中で
                 
今朝、意識不明と伝え聞いたまま…。 竹脇無我さんの突然の訃報に驚きました。

テレビから姿が消えて久しいのに、甘いマスクと素敵なお声は記憶に残っています。
「大岡越前」は楽しませていただいた番組でした。榊原伊織先生でした。

トラックバックを打たれた『つき指の読書日記by大月清司』の「つき指さん」は竹脇無我さんでした。プロフィールを拝見して驚いたものです。
しかもその日、つき指さんのブログの文頭は、「一期一会という言葉がある。」から始まっていました。

細い糸でつないで下さった、これもいただいた何かのご縁でした。
                               合掌

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 五七五七七

2011年08月21日 | 日々の暮らしの中で
珍しい雨の一日となった。時折の止み間にはジィーッと蝉が鳴きだす。
ジージーと鳴く蝉はメスなのでしょうと言われた人がいる。ジージを求めて鳴く京の蝉。バーバーと鳴いたらオス!? あ~、いくら暑いからといってねえ…。

         
ところで、雨の中だったが歌人・河野裕子さんの一周忌に合わせた「もう一度河野裕子に会いたくて」と題した企画展をたずねた。
足跡をたどる新聞記事、企画したスタッフにより選出された30首が掲示されていた。一番好きな歌にシールを貼ってくださいともある。見られたら恥ずかしいと感じたりして、ジーンとくる思いを押し隠す。

『サラダ記念日』より15年も前から口語短歌に挑まれたという河野さん。
「文語の香りがまとわりつく口語」、リズムの心地よさ、言葉の詩的な響き… 等々これまでいくつもの賛辞を拝見してきた。
「歌は意味や頭でつくるものではなくリズムでつくる」これは昨年6月、新聞紙上「実作教室(短歌)」での言葉だった。
カルチャー講座で指導を受けた方が、「無理に詠んだ歌は予定調和でつまらない」「あつ苦しい歌や」とはっきり言われたと偲んでいた。
むろん感覚だけではあるまい。語彙の豊かさ、詩的響きをかもし出す言葉の組み合わせ…。
難しいことはわからないが、日々の思いを、生きている証を日記のように五七五七七に書き留めるというのは、いいですね…。

・たとへば君ガサッと落ち葉をすくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
・子かわれかわれが子なのかわからぬまでに子を抱き湯に入り子を抱き眠る
・さびしいよ息子が大人になることもこんな青空の日にきっと出て行く
・コスモスの花が明るく咲きめぐり私が居らねば誰も居ぬ家
・遺すのは子らと歌のみ蜩のこゑひとすぢに
・ゆうちゃんかと電話に聞き返す母のこゑハコベのちひさな花のように
・死んでゆく母のこころの淋しさを少しは引き受け匙ひと匙を
・一日に何度も笑ふ笑ひ声を笑ひ顔を君に残すため
・死ぬな 男の友に言ふやうにあなたが言へり白いほうせん花
・たっぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江といへり

私もこの中の一首にシールを張らせていただいた。
   
多くの共感を得てシールが圧倒的に多かったのは絶筆だった。
「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」
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 マイペース

2011年08月17日 | 日々の暮らしの中で
            
曇りがちで日差しがない朝、最後の命を燃やすかの鳴き声に混じって時折カナカナカナと聞こえてくる。青鷺がボート留めで身動きせずにいるのは塑像かと見えるほどだ。
すぐ斜め後ろに誰かが迫って歩いている。2週目も…、抜かれてなるものかという思いが湧く、そんな自分がおかしくてニタッとした笑いがこぼれる。そして、ちょっとだけピッチを上げてしまう。

中学生の背中に「夢は逃げない だから逃げない」と縦書きされてある。ウォーキングの人、ジョギングの人、そこにダッシュなど加えている若者もいるし…、あまりに多くの人が朝からここで過ごしているのを知って驚いている。

私には今までウォーキングの習慣が全くなかった。
時間帯もまちまちで決して早朝でもないが、でられる時にと心がけて続くこの頃だ。
1周1.5キロを3周とプラス1000メートルで1時間になるペースができた。

大勢の中の一人、真ひるまのあの頃よりはずっと楽しんで歩いている。
なんと言っても、ジョギングしてる人の脇で自分は歩いているのだと思うと、気持はぐっと楽ではないか。
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 「瞼ふさげば」

2011年08月13日 | 日々の暮らしの中で
「お父さん、ユニクロのLサイズがはけへんかった」
「やせて入るようになったん?」「不健康な感じとちごて、しまってみえるよ」

               
          
       めはじきの瞼ふさげば母がある       長谷川かな女

久しぶりに帰省した娘が父と会話しているのを聞いていた。
娘は父親の体型に目をやり、何ヶ月か、一年前か、一緒に暮らしていたときの父の姿を呼び起こしているのだと思う。たわいもなさそうな話が娘との空白になっていた時間を埋めていく。父親の豪快な笑いが楽しそうだった。
ご先祖にお参りして立ち寄られたところだった。盆の入り。こうした久しぶりの再会に脇で立ち合わせてもらえるのも過分な冥加というもの。

高野槇を前籠に覗かせたまま止めてある自転車があった。精霊は高野槇の葉に乗ってこの世に帰ってくると信じられ、お盆の間ご馳走でもてなし祖霊をねぎらうのだとか。臨済宗、六道珍皇寺の「六道まいり」がよく知られるが、むろん我が家ににそうした風習はない。

人の行き来を見つめる京の辻… ってところだろうか。
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 「納涼」とは…

2011年08月11日 | 日々の暮らしの中で

朝から曇り空で蒸し暑さを感じる日、恒例の下鴨納涼古本まつりが始まった。

会場の下鴨神社糺ノ森では蚊遣りがたかれ、どんよりとした空気に包まれているようだった。連日の疲れとは思いたくないが気分が乗らない。ああ、今日はダメだなと感じるものだ。じっくり見て回る気力もなく、それでも大雑把に覗きながら一周した。そして戻った。

手に取ってページを繰って、一旦戻しはしたが、わずかにでも気持が揺れた一冊があった。最後まで見て、もし戻ることがあったら買おうか?などとあれこれ理由をつけておいて、結局購入して帰った。「古本市、収穫は?」これだけ。「…また御枕になさったの」って声も聞こえてきそうだけれどね…。
 
 
         
バス停へと帰りかけたが変更、会場のテントを左手に見ながら木のトンネルを南へ下がって、河合神社へと立ち寄ることにした。下鴨神社禰宜の次男として生まれた鴨長明。公職を辞してからはあちこち転々としたが、その結果できたとされる移動に便利な組み立て式の「栖(すみか)」だという。
1丈(約3m)四方、畳約5帖半程度の「方丈」である。

 

暑い京の夏をどう過ごしていたのだろう。
『方丈記』を読んでみる?
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 灼熱

2011年08月08日 | 日々の暮らしの中で

炎昼。よりによってなぜ炎昼なのかだが、この暑さに負けていては熊野はムリという思い込みで歩いている。そよともしない風、草木も眠り、ただただ灼きつけられる熱地獄の中、帽子を目深に被ってわずかに顔をのぞかせる。顔以外はすべて覆っているので、暑いといったらない。

この汗を出して、やせよう!と思い、 お肉よお肉よ飛んでいけーっ!と、笑われない程度にと意識して(こんな時間にだあれも見ている人などいやしないのだけれど)軽くお尻フリフリ~。リズムよくハイピッチのウォーキングは続けられる。
筋肉痛など感じるので、結構上手に運動をしているのだということにして自画自賛。いつまでもつか…。

今月はJessieのダディとマミィちゃんが誕生日を迎える。今日、Jayへのプレゼントが用意できたのでカードを添えて…。ついでにJessieも少し喜ばせようか。

外出からの帰宅後すぐ30分だけ歩くことにした。暑かった。
明日もか… 暑そうだなあ…。継続しなければ意味がないのだとわかってはいるが、暑いのだ。
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 ウソとホント

2011年08月06日 | HALL家の話
先日のJessieの「マラソン」は、スタート後グランドの高くなった所をぐる~~~っと回ってから丘へと駆け上がっていく…、「クロスカントリー」でした! 5歳児で500メートル、少々ハード過ぎるような…。

男女に分かれて、女子は45-50人ほど。最初はへらへらしながら走っていたJessieも、いつの間にやら超真剣な表情に変わっていたといいます。結果は2位で、入賞のリボンをもらったようです。              


「くろすかんとりーでいちばんになりました」
その晩の日記を最後まで書き直すことはなかったとか…。ところが、そっと覗いて見ると「らいねんはいちばんになるようにがんばろう」と書き足してあったそうです。

ババゴンも頑張りました。
真夏の熊野古道ウォーキングはありません。気の緩みからか、とんと運動不足の日々が続いてしまいました。一時間半、熊野ウオークを想定しながらのペースで歩きました。11時スタート、予定より30分延長して9435歩。帰宅後は汗かきついでに家の掃除をし、さっぱりとなってゴロン! うとうとして…
「あしたもがんばろう」と日記に書いておこう。
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 否定形

2011年08月05日 | 日々の暮らしの中で

あのアメリカを襲った同時多発テロ・9.11事件が、まもなく10年を迎える。
追悼の集会や式典が行なわれるのだろう跡地付近で、様々な思いを言葉にしたカードが掛けられたニュース映像を見た。

「ALWAYS  REMEMBER」とあったが、なぜ「DON’T  FORGET」ではないの?という思いが一瞬よぎった。あなた(がた)のこと…、事件のこと…。

ところで、スチュワーデスの接客マニュアルには、「お客さまに否定形で答えてはならない」というのがあると以前読んだことがあった。「ございません」と言わずに、「こちらだけになっております」という具合だ。
日常でも耳にすることがある。「ないのね!?」と念を押したくなる私は別として、一般的にはマニュアルのように奥ゆかしいとされるのかも知れない。

否定形を遠ざけることができたら、しっくりとソフトムードの社会になるだろうか。忍耐強さが増しての~んびりと、気長に相手の言葉を待つかも知れない。が、相手の言葉を最後まで聞かなければ判断がつきかねて、いらちが増える可能性もありそうな~。
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 猛暑日の午後

2011年08月05日 | 日々の暮らしの中で


丈の高い植え込みの横に置かれたベンチ、日差しは遮られ極楽の風が吹いてきます。

暑さに負けない体力を、いや待てよ…あまりにも無謀かと思い直してみたりの挙句、好き好んで午後から自転車での外出となりました。
暑さもピークに達する午後2時、めったに人の姿も見かけない園内のこの場所で頭をひねり、本を読んで過ごしていました。居眠りしていたかどうかさえ記憶にありません。

振り返れば、こんなに緑豊かな一画です。炎天、草取りに精を出される姿が目に入りました。その労を心の中でねぎらいつつも、「心根に秘めた気丈さ」が魅力のゆずさんがかわいくてたまらない世界に浸っておりました。

自然の涼を求めて、数時間を過ごした四日夏の午後でした。
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