京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

晴れ間

2016年09月30日 | 日々の暮らしの中で

午後6時半を過ぎると、「とーふーー とーふーー」とラッパの音が聞こえてくる。豆腐の移動販売です。
「こだわりの 美味しい お豆腐はいかがですか~」って。音が澄んで、近くに聞こえる。
昔、義母は「もっと早うに来な」と決まって言っていたものです。「明日の朝のぶんを買う人がいるんやろな」とよく言っていたのでした。どうなのかしら。

一日とても良いお天気だったが、また雨が降り出してきた。

「この道抜けられます」(『猫なで日記』田辺聖子)
提出期限まであと少し…。早く抜けたい。
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秋の雨

2016年09月28日 | 日々の暮らしの中で

秋の長雨。
雷をともなって断続的に雨が降る一日だった。非常に激しい降り様で、あがったすきにちょっとそこまでが間に合わず、ひどい目に合った。今月は何度も雨に濡れている。未だに降り続き、京都市内でも避難勧告、避難指示が出ている地域があるので大事になりませんように。

10日ほど前になるか、根元あたりに花芽を付けた柄を見つけた。花芽を見つけた、というのかしら…。それからちょっとづつちょっとづつ柄を伸ばして上がってきた。先っぽの固い花芽が開くまでには更に茎が伸びあがってからだから、まだかなりの間があるだろう。

熊野古道を歩いていたとき、山中ではなかったが、同行の人が「もらってきてあげた」と手渡してくれたのだった。土が合わないのか、どこででも育つかと思うのに、周辺の土を掘り起こし入れ替えてみたりしてはみるものの期待通りではない。それでも枯れることなく、以前よりは艶やかな葉を広げている。もっと葉が重なり合って、フツ―よくある状態でもっこりしてほしいのだけれど…。なんで??
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「観音の里めぐり」4 - かくれ里の趣

2016年09月26日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて
9月25日、久しぶりに「観音の里めぐり」のバスツアーに参加し湖北路をたずねました。
東林寺 - 昼食 - 上丹生薬師堂 — 菅山寺の里坊弘善館 — 医王寺 — 浅井三姉妹の郷(何かと思えば道の駅でした)に立ち寄り長浜駅に戻って解散の一日コースです。


この日、東林寺では聖観世音菩薩立像が17年ぶりの御開帳(中開帳)でした。
集合した滋賀県のJR長浜駅から更に北へ35キロほど、人の手が入らない鬱蒼と茂った深い木立の中に小さなお堂はありました。ご住職の話に続き、自治会長さんの挨拶があって、ご開帳法要はまだ営まれている最中でした。小さなお堂から村の人たちが次々と出てこられたあと、参拝者は順番に堂内に入ります。お顔が見えないといけない、と順番が来るまでの間に、秘仏と回向柱とを結んだ白い紐にそっと、しっかりと触れて、このご縁に感謝。

狭い堂内では写真撮影が許可されていてフラッシュがたかれどうし。「形」のないままよりはお姿をを求めてしまうものなのだろうか。帰宅後、丹生神社に関して白洲正子さんの『かくれ里』に目を通していたら、世阿弥の言葉を引いて、ご神体というものは元来「秘スレバ花」なのだと言われていました。
秘仏のご開帳は至極貴重な仏教行事。拝観者には自己の心の開帳なのだとどなたかが…。真正面に立ってカメラを向けるという行為が、何かとても無作法な気がしないでもなくためらわれます。

記されていた縁起によれば、順徳天皇の御代1216年にこの地を訪れた比叡山の僧・泰恒法師によって建立され、自らご本尊を刻んで安置して、千花山東林寺と名付けたとあります。地区36戸、村人が持ち回りで世話役をして護寺されているとのことですが、押し寄せる高齢化。次回の御開帳が危ぶまれるという状況らしい。


『星と祭』(井上靖)で、きれいで美人だと描かれた医王寺の木造十一面観音立像。これまた深い深い山の中へと入っていきます。
明治22年、医王寺の僧・栄観が長浜の古物商の店頭に合ったものを買い受け、152センチの像を背負って寺に持ち帰ったのだそうです。「目も柔らかく口も濡れているようにみえ、頬は張りを持ちながらも優しく丸みを帯び、…ういういしい花嫁御寮連想させる」と日本画家・椙村睦親の文章を示していただけました。
正面に座し、少しづつずれつつ見上げたお顔。眼鏡を家に置いて出たおかげで、その口元はどこから見ても微笑みかけてくださる。ようにみえるのでした。裸眼の効能です。オペラグラスでのぞき込む人に、そんな鮮明にしてしまうよりと言いたくなるほど、何や誇らしいような良い気分に包まれたのでした。

この村でも30数軒のうち10件は空き家になり、高齢化が進んでいる、と80歳の世話方さんのお話でした。7月からひと月、東京藝術大学で開催される「観音の里の祈りと暮らし展」に出品された観音像。どのような場所に安置されているのか。隅っこに無造作に置かれている状態だったらとどうしようと気が気ではなく東京まで出張したそうで、わが子を愛おしむような心もちが感じられるのでした。入った正面にあってほっとした、と嬉しそうに。


上丹生薬師堂、素朴で剛健な造りに目を見張ります。堂はもとより電線の高さまで積もる豪雪の重みに耐えるという目的もあたようです。ここの秘仏の公開が待たれます。ご本尊の秘仏が本当にあるかどうかの調査があり、その時、収めた厨子の床が抜けていることがわかったのだそうです。その修理が終わるのに合わせてご開帳できないものかと、若い自治会長さんのお話でした。2年後? 50年に一度開帳の秘仏のようですが。
煩悩によって厚く閉じ込められた自分の心、果たして開く一日となりえたかどうか…。
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秋彼岸に減点!?

2016年09月22日 | 日々の暮らしの中で

黄金に熟し、穂が垂れた秋の田。その脇に彼岸花が群れ咲いている。

午後2時半を過ぎての雨に持って出た折りたたみ傘を開いたが、肩先やひざ上から足元にかけてかなり濡れてしまった。
家の近くまで帰ってくると、顔見知りの高齢のご婦人が車椅子にもたれるように立って、タオルで頬被りをしている。「小止みになったのでお使いに出ようと思ったんだけど、また降ってきたねえ」と言われた。
ジャンバーのようなものを羽織っているが、傘を差さずにタオル1枚ではすぐにびしょ濡れだろうと想像できた。こんな雨の中をと思っているうちに、腰を下ろし素早く方向転換させると婦人はすっと出て行ってしまわれた。私は「気を付けて」と声をかけただけ。

ウォーキングから戻ったときのこと。人助け、マイナス1点!? 一人暮らしの彼女に代わって買い物をしてきてあげるべきだったのか…。たずねてみるべきだったのかしら…。

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きれいな花を

2016年09月17日 | HALL家の話
15日はTylerの誕生日でした。運よくというか、ちょうど15日は大阪でのオベンキョーの日に当たっていて、終了後は娘家族のもとへいそいそと…。

         プレゼントに添えたもの

         中身は 

反応は…「えっ!?」「えっ!?」 …「たべられるの?」

「しばらくは土の中でお休みしているけど生きているんだからね。きれいなお花が咲くように水をやったりして、いっぱい話しかけてあげてよね、タンくん」
赤、黄、白、それに混色で二種、チューリップの球根10個を包んでみました。
「耳にあててごらん、何か言ってるんじゃない? 聞いてごらん」
「聞こえへん」・・・。

 
                     Tyler、5歳になりました。

「3 3 7びょーし そーれっ!!」 運動会で白組の応援団を務める姉の声がかかると、「ハイッ」と返事をして隣に駆け寄るTyler。それを待って「ピッピッピッ ピッピッピッ ピッピッピッピ ピッピッピッ」と始まります。見よう見まねでその動作を真似ています。
どの子も身の内に秘めている宝物。誰かが磨かなければ、宝の持ち腐れになってしまう。集団生活ですから子供なりに周囲との調和を図って自重することも学ぶだろうし、思う存分自分を発揮できる場面もあるのでしょう。こうして生き生きと過ごせている様子を見るにつけ、子供の適応能力に感心するとともに、日々の支えに感謝です。
  ♪とんぼのめがねはみずいろめがね  …歌いだす5歳児に合わせながら忘れていた歌詞を思い出しています
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城田優の「エリザベート」

2016年09月13日 | 映画・観劇

見てください、このパンフレットにチラシにDVD、東宝ライブ盤のCD…。ミュージカル「エリザベート」関連のものです。チケットまで残してあります。

「“昨年演劇賞の主演男優賞受賞した城田優のエリザベート”、行きませんか?」という友人からの誘いに乗せてもらって、ミュージカル「エリザベート」を楽しんできました。本場のウィーン版から始まって宝塚版もありましたし、今日で4回目です。声をかけてくれた友人の娘さん、その娘さんの友達のお母さんも一緒という4人連れです。
演劇評論などはできませんが、当然のことだろうけど歌い方や演出の違い?など微妙に感じながらも、今回はストーリーに気持ちが入って夢中でした。なんか何度観ても楽曲に酔います。


父親のように自由に生きたいと願うシシイ(エリザベート)は、若き皇帝フランツ・ヨーゼフの妻となって宮廷に入ります。 が、彼女にとって宮廷での暮らしは苦痛以外の何ものでもなく、この結婚はハプスブルク王朝の破滅への序章となっていくわけです。
夫の支えも得られず、子供の養育もかなわずに長女を亡くし、やがて息子も失い、孤独を深めていくエリザベート。「私の人生は私のもの」だと言い放つのです。

コートダジュール、マルタン岬のテラスで。後を追った夫はエリザベートに放浪の旅をやめさせようと試みるのですが、最終的に二人は自分たちの結婚が不幸なものであったことを確認しただけで終わります。二人で歌い上げるこの場面、なぜか好きで、情感あふれる楽曲の中で最も好きだと感じるところです。
 「あなたと私は夜を漂う2隻のボート」「それぞれ行き先が違う 積んでいる物も違う」
 「私はあなたの影では嫌なの」

8月に観劇を予定していた「ピーターパン」は主演の唯月ふうかさんが舞台稽古中に大けがをし、公演中止となってしまいました。惜しい機会を逃し、こうした生の歌と踊りをぜひぜひJessieに見せてやりたいものだと強く思ったりしておりました。
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指月橋を渡って西明寺

2016年09月11日 | こんなところ訪ねて
昨日のこと。朝、空を見上げるときれいにうろこ雲が広がっていた。昨夜からの予報で秋晴れの一日が期待できた。用事を済ませ、早めの時間に出て槙尾山の西明寺に行ってみることにした。



8月19日に神護寺を訪れたときと同様、周山街道沿いで一番奥まったところにある高山寺の裏参道入口に近い市営駐車場を利用した。少し戻るように歩いて清滝川沿いへと道をとれば、この朱塗りの指月橋はすぐだ。だがあの日は暑い盛りで、橋は渡らずじまい、右に見ながら通り過ぎていたのだった。
高尾(雄)の神護寺・栂尾の高山寺・槇尾の西明寺を合わせて「京都の三尾」と称される。5月に高山寺に参拝しており、予定の行動だったとはいえ残る一山に参拝せずにいてはすっきりしないし、申し訳ないような気がする。



川のせせらぎと、鳴き続けるセミの声が響くだけの山中、古刹とはいえ普段は訪れる人もまばらまばらだそうな。境内に入ったとき、一人だけ参拝者の姿があった。それでもやがてぼつぼつ石段を上がってくる人が絶えない土曜日だった。わずかな人のためにも、ご住職は堂内に座っておられる。お厨子に安置されたわずか51センチのご本尊・釈迦如来。すぐ前まで進んでかまいませんからゆっくりどうぞ、と言葉をかけていただく。


出雲路暢良さんの言葉として遺される「賜った座に座」す。そうした言葉にふっと思いが及んだ。
     【 賜った座に座し
       いつわりなき光に照されつヽ
       すべてを共に実りゆく
       いのちを
       苦難の中つらぬいて
       成就されんことを 】                ほんの少しづつだが読み進めている選集より。

「紅葉シーズンでも平日の午後なら比較的人は少ないですよ」。「4月初めごろ、裏山に広がるみつばつつじをご覧においでなさい。それと新緑のころです」と。
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隠れ蓑

2016年09月08日 | 日々の暮らしの中で
                                                 カクレミノ
高校時代の記憶がいかに曖昧なものになっていることか。
古典の授業を通じて人生の師ともいえる存在になった教科担任との3年間は別格のものとしてしまわれている。が、毎年クラス替えがあって、最後の1年間をともにした「クラス」にも懐かしさがなく、これといって思い出が浮かんでこない。受験勉強最優先で学校を休んでしまうこともあり、適当に受けている授業もあったりした。気持ちが入らない学校生活を送ってしまったせいだろうか…。

これまでに一度だけあった同窓会は、父が亡くなった直後で欠席した。幹事さんからは写真が送られてきた。そう、またの機会にはぜひ、という言葉があった…。数学の先生だった担任が真ん中で笑っていた。校長になったと知った。あのときの写真、あれはどこにいった…。

今、卒業生名簿の作成が行われているようで、関連事項の確認の文書が何度か送られてくる。なんら変更もないままに返信したが、在籍したクラスでは「住所不明者」として26人の名があり、情報提供を呼び掛けている。大半が旧姓のままに女性だ。ということは、前回の名簿作成時にも返信していないのだろうか。 

嫁いで地元を離れ、その地で根を張ることを考えているうちに交流はなくなった。名簿は購入していないし、今回もするつもりはない。ますますわからずじまいだが、これだけ長い間かかわりがなかったのだから、いまさらという思いもある。ただ、一人ひとり名前を見れば顔が浮かんではくる。どこでどうしているのかしら…。
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愉快な時間

2016年09月05日 | 日々の暮らしの中で

1970年8月、両親と弟二人、家族5人でこの太陽の塔を目の前にした思い出があります。EXPO’70、日本万国博(大阪万博)でこの会場を訪れました。それ以来です。

エキスポシティへは、なんとJessieは3度目。この日は前回見送った欲しいものがあるとかで、一人で買い物を楽しむ余裕があるようでした。30分後、落ち合う場所を約束して店内を回ります。お小遣いと相談です。
レジでの支払いどきになって200円足りないことがわかり、「(買うのを)やめます」と言ったのだとか。見歩いた別の店で、より安くお気に入りの品が見つけられたことを喜んでいました。まあ、いろいろ社会勉強中と見守っています。


日曜日はタイラーのフットボール練習日。私はJessieとの約束で二人で梅田へ出ることにしました。紀伊国屋書店で本を買って欲しいというのです。先日『ハリーポッター』の続編新作の原書を母親に買ってもらいすぐに読み終えたと言い、この日は『Twilight』を希望。もちろんこれも原作で読みます。嬉しそうに抱え、レジに並んで支払いを済ませ…、本を受け取るのを忘れて…、大笑い。
日本の文学作品を紹介する楽しみはなくなりそうですが、書物との出会いは書物が人を選ぶことでもあるようです。

久しぶりの二人での外出。ちょっと甘くなりすぎて大きな出費になりました。9月はじまりの手帳を母親に見せると「なんで~今ごろ手帳なんか…」。そんな声にはめげることなく、早速に予定を書き込んで。カラフルなページが出来上がっていくようでした。
一緒に食べたパフェがおいしかったこと~。

大阪までオベンキョーに出たので娘家族を訪ね、気ままに過ごして帰ってみれば9月もはや5日。
 追記:Jessieは木曜日は校外学習でした。立ち寄った泉佐野漁港の青空市で小アジ5尾と小鯛1尾をお土産に買って帰ってきました。

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