京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

聞き役、 上手?

2008年09月30日 | 日々の暮らしの中で
お酒の匂いをプンプンさせて、万さんの立ち寄る先が “keiさんのとこ”。
夕御飯の支度に忙しい傍に寄って来て、上がり框に腰掛ける。
専用の一升瓶で、さらにコップ酒。
人恋しいのか毎夕keiさん、keiさんと言って、顔を見せてくれる。
あちこちにいたという女性の話や、わが半生のご披露が始まる。
家には帰りを待つ、老いた母が一人。
腕にはシールなどではない、カラーの装飾を施した植木職人さんだ。

相づちを打って、打って、打って。
へぇ~、へぇ~、へぇ~と感嘆詞で受けて。
私って聞き上手?演技派? 
万さんは充分気持ちよくしゃべった様子。
「また来てくださいねー」と送り出して、何年が経ったかしら。
罪な相づちだったろうか、お酒がもとで亡くなった。

嫁が怒るから「keiさん、ボタンつけて」と、大きな犬に引っ張られて散歩するUさんがやってきた。
針と糸を持って来て並んで座る。Uさんの口からぽろぽろこぼれる胸の内。
すべてを拾い集め、糸に通し、こぼれないようしっかりと玉結び。これで大丈夫。

私がニコニコ黙って聞いていると、胸のつかえをおろして帰られる。
私はどこへしまおう。“すべてを胸に収めて”…、ちょっとつらい時もある。
小耳にはさんだオモシロイコト、しゃべりたくなってしまうことが…。

「ふ~ん」「ふ~ん」「そうですよね~」と聞いているばかりの未熟な聞き役に、荷物を預けて帰られる。
裏切ったらいけません…、「貝」になれとか?
しまいきれないから、そっと流してしまおう。

悩みの捨て所、それを拾い上げる私の悩みはだれに捨てよう。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝たもの勝ち

2008年09月28日 | 日々の暮らしの中で
私たちはなぜ眠るのでしょうか。

 明日によりよく活動するための準備のため
 寝不足では、睡眠負債という借金を背負う
 だから、快適に眠り、美しく目覚めましょう

どこかで読んだ。

だから今日は早く寝ようと思います。
人生寝たもの勝ち、らしいから。
「眠りこそ、いのちの充電」らしいから。

朝5時に起きて朝日を眺めたそうだ。
札幌で眺める朝日って?美しいのでしょうねぇ。
昼食後、寒いのでストーブをつけた。当然、次は、心地良さからウトウト…。
今朝は「寝坊」ではなく、「早起きし過ぎた」という。
もう、しっかりしておくれ。

終わったことはもういいのです。
お互い規則正しく過ごしましょう。

目が変です… 早く寝よーっと。おやすみなさい……
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋晴れなのに、私は…

2008年09月27日 | 日々の暮らしの中で
比叡山の方向を観ると、今日はやけに美しいその山容が目に留まりました。

「昨夜からの雨も朝にはあがって、京の大路には秋の日ざしがまぶしい。
 忠範は目をほそめながら歩いていた。
 はるかに比叡の山が見える。
 比叡山はどっしりした山だ。
 四明ヶ岳、大比叡の連峰から東山にかけて、ゆるやかな稜線がつづく。
 そのうつくしい遠景を断ち切るかのように…… 」

連載中の『親鸞』、作家が魂を込めて書くとか聞く、「冒頭」の一文。
比叡の描写。
まさに今日です。緑濃い美しさ、ゆるやかに、流れるように続く稜線。
こんな光景に囲まれて、しあわせ。爽やかな秋晴れでした。

9月最終日曜の明日、セブンミール10月号を作成します。事前の打ち合わせ、連絡待ちの朝。用事を済ませ、早く終わることを願い待つのですが、30分過ぎても連絡は入りません。約束は9時半。
PCとにらめっこもできず、半分ほっとき、ちらちらのぞき、出かけるわけにもいかず。

また寝坊?案の定!また寝坊。さらには、「少し段取りを考えてたので~」「すみません」と。
時間は過ぎます。「ちゃんと時間は守ってね(守ってよ!かな)」と言いたいのを我慢、我慢。
「だいじょうぶですよ~~」とかなんとか、簡単に許してしまった。

午後からはボランティアの例会に出席。急いでお昼にして、外をぶらつく余裕などない。
明日は結局この宅配用のカタログ作りに追われます。せっかくの好天気に、複雑。

NHKのテロップで流れる語彙の表記が辞典になっています。
録音したテープを文章化する際に、それを一つの基準として使っておられる方がおられます。
その方からの要望で、一冊の辞典をテキストで作製しなおすのです。
そうすると、視覚に障がいのある方はPCで音声として聞き取ることができます。
(特に、複数で分担してテープおこしをする場合、漢字か仮名か、表記がまちまちになっては困りますし。)

依頼者が来ておられました。引き受けることにしました。むろん、数名で。
意志薄弱なのか、断ることもできません。
お断りする理由もないので、お引き受けです。
そうしたニーズを受けて手助けしてさしあげることは、少しもいといません。
自己満足であろうと何であろうと。

ここに私はこの方とのご縁ができ、私は一つの経験を積めます。
できなければ断るでしょう、きっと。できそうだから。
だから、意志薄弱ではない、ということにはなりますよねー。

まずは明日です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

同級生です

2008年09月26日 | HALL家の話
イミグレーション マイ グラント プラン、
「この国(オーストラリア)で暮らすのだから最低限の英語力をつけなさい」という目的で、政府が門戸を開いている学校があります。政府の援助から成るプランです。各種コース、150時間までは無料で受けられるそうです(その後さらに希望するなら有料で)。

通学期間中は、連携してチャイルドケアも援助が受けられます。
一日、6000円~7000円が相場という保育代。
1A$を100円として、60A$までは、負担してもらえるとのこと、娘の場合は61A$ かかるそうですから、 1A$だけの自己負担という恩恵を受けています。
週2回のため2A$だけの負担。
学校とはきちんと連携が図られますから、特別に預かってほしい事情が生じた場合、受け入れ可能ならその日は実費で頼むことになります。

一期間は二か月、例えば3か月間帰国していても再度継続して、次の開始日に合わせ通学できるのです。
手厚い援助であることを感謝しなければならないでしょう。
日常の会話に不自由はないとしても、仕事をしていくには、当然、より高度の英語力は求められます。
娘がどの程度の自覚で通っているのか……、わかりませんが。

結婚による移住、戦争による避難民、不法入国で収容されていたものの、大統領が変わったのを機に自由になり暮らす人たち、リッチな再婚相手を見つけ住み着く人……、背景は様々。出身国、年代…も。
ある意味、貴重な“社会”の中で一緒に “励んでいる”、娘の同級生です。

娘のすぐお隣は70歳を超えられている方、右端の方も近いお年だそうです。
“遠足”と称しお出かけをしたり、ピクニックに、ときには映画に、この日は大勢で飲茶と、得難いチャンスを楽しく味わっているようです。初めてその写真を見せてくれました(若者同士は過去に)。
まさにピッタリ「親子」の関係になる、年回りになる友人もいるのだと。

「そうね、おばあちゃんの知恵袋みたいなところがある」と話します。
きっと話題豊富で、生活の知恵も頂き、世の中の様々な情報も得ながら、この関係を楽しんでいるのではないでしょうか。また、そうであってほしいと感じます。

昨年度は、私が送り迎えのドライバー、おばあちゃん役でした。
明るいあの大きな大地、私も好きになっています。

介護師として働く目的で、多くの方が来日されています。彼らを取り巻く環境はどのようなものなのでしょう…。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ことばの魂

2008年09月25日 | 日々の暮らしの中で
お母さんとテーブル越しに向かい合い、見つめあい、かわいい笑顔を浮かべて、サンドイッチを食べる子。
おいしそうに小さな口を動かして…。
と、突然、厚めの卵焼きがポロンとテーブル下に落ちてしまったのです。

 「なにしてるの~!」
 「何で落とすの~!」
そんな声さえ聞こえそうな場面でもあります。

 「お母さんが悪かったね」
 「まー君が悪かった」
普通にやり取りし、そして、また二人で笑っています。

ことばに魂を感じるかのような二人の会話が、3歳2か月の子との間で成立しているのです。
言葉の力。
楽しいはずのお母さんとの食事の場面です。
かわいい心を傷つけたり、落胆させることもなく、“まー君”の限りなく柔らかな笑顔は相変わらず浮かんでいました。
温かな一瞬を共有しました。

二人が「あぁー」と声を上げたものですから、隣席にいる者に「すみません」の一言。
それをきっかけに少しおしゃべりができました。

口をもぐもぐさせながら私達を見ている“まー君”。
他人と言葉を交わしている母親の明るい開放感のある姿に、“まー君”はじっと目を向け共鳴しながら、きっと感性の一つとして彼の脳にインプットされ育つのでしょう。
楽しい食事の積み重なりとともに…。
「三つ子の魂…」なんとやらと言いますが、こうして人間性は育まれていくのだと感じます。

“まー君”の心が隣の席に向かって時々遊びに来てくれているようでした。
おかあさんのゆったりと構えた心の広さは、子どもの世界を大きく広く羽ばたかせるのと違うでしょうか。

こんな住宅街の一角に秋の実り  
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なんでもお見通し

2008年09月23日 | 日々の暮らしの中で
    子どもの目は
    なんでも
    お見通しだ
    子どもの耳は
    なんでも聞こえるぞ
    子どもの頭は
    なんでも受けとめるぞ
    子どもの心は
    真っ白だ
    どんな色にも
    染まってしまうぞ
         篠木 真「写真集 こどもは……」

まだまだ幼い赤ちゃんが、ベビーカーからニコーッと笑いかけてくるのです。
よく笑う子です。とはいっても、親しみを持って、と言うほどの年齢ではありませんが。
じーっと目線をそらさないでいます。こちらの方が目のやり場に困るほど?に。
お父さんと一緒でした。
どんな子に育つのか、かわいがられて育つことでしょう。
この笑顔が消えることないように。

「お見通しだ」「聞こえるぞ」「受けとめるぞ」「染まってしまうぞ」
大人の在り方を厳しく問いかけるような口調で繰り返されています。
子どもにはごまかしが効かない…。
大人は子供の見本でなければならない…。

まもなく3歳になろうとしている“姫ちゃん”に、プレゼント発送の準備です。
“母親用”の駄菓子から、乾物類を中心とした食品、衣類に化粧品類に本・雑誌……、注文の数々。
手に入りにくいという物は確かにあるのですが、送料を考えたら、「そっちで買って」と言いたくもなりますかしら。
万歩計までおねだりしてきました。「そっちにはないの?」
プラス親心、ついでだしと、あれもこれも……、いったい何キロになるだろうか不安です。

「三つ子の魂……」なんとやらですが、明るい空の下、広々とした大地に根を張って、健康でかわいい女の子に育つ事を祈るばかりです。

夏の間に買っておいた服、どーやら、小さくなってしまった感じ。
もう夏ものは買えないし、健やかに育っている証しと喜びましょう。
 でも、荷物には入れてしまおう、ついでだし。



コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

携帯電話がない

2008年09月22日 | 日々の暮らしの中で
携帯電話がない。
バッグの中もポケットも探す。地下鉄のホームで時間を確認し、バッグのサイドポケットに突っ込んだ。
落したんだ。
すべり出て座席に乗ったまま「国際会館」まで行ってしまったのだ。

去年の三月三日、機種変更した。中には、私の社会的居場所を守るに必要な多くの連絡先。孫の“姫ちゃん”の動画や写真。消すに消せない録音二件。こっそりメモった誰かさんのアドレス。
「長いひもをつけたら」って、娘が言ってたなあ。その言葉、そっくりお返ししたいけれども。
どう思い出してもホームの記憶で行きどまりだ。

社会的つながりの入り口でもあるわが愛すべき携帯。
いろいろな人との関係をつなぎ、支え合い、励まし合い、育みあいながら調整してきた「社会的健康」が宿っています。心の健康になくてはなりません。
この社会的健康があって、居場所も確保され認められ、必要とされる着信音が鳴ります。

二百歳も三百歳も生きられません。でもひょっとすると、まだ五十年ぐらい生きられるかもしれません。科学も進歩し……??? 
だからこそ、今、この時を大切にして、携帯電話探しと向き合わなくてはなりません。

長い人生にはいろいろな出来事があります。
ありました!!
いつ、どうして、そこに置いたのやら……、孫へのプレゼントの入った袋の下に。

午後からは素晴らしい秋晴れの日。
「社会的健康」の推進に、脳の若返り・現状保持にと努力を惜しんではなりません。

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呼ぶ声

2008年09月21日 | 日々の暮らしの中で
朝から大ぶりのおはぎを作って、ズッシリと思い包みを毎年届けてくれていた “Mちゃんのおばあちゃん”もすでにあちらの岸の人です。
お彼岸、仏壇へのお参りは続きますが、世代交代の中、様変わりの多いのは仕方ありません。

とりわけ私もすることはないのですが、心なしか気になる人の声が聞こえてくるのです。夢でも会えないでいますのに。
「keiちゃん、keiちゃん……」

まさか!「こっちにおいで」と呼んでいるのではないでしょうね。
並び咲く彼岸花ロードを歩くうちに、あちらの岸にかなり近づいてしまっているのでしょうか。
この花は、彼岸への入り口のような気がします。
赤く、美しい作りを見せてくれますが、淋しげに映ります。
   
   曼珠沙華抱くほどとれど母恋し  (中村汀女)

秋、大原の里を歩いたとき、友人が口にした一句でした。
友が母への懐古の思いを語るように、何かしら、なくした大切な人へとつながる花のようです。数ある花の中でも、好まない花の一つです。

父は母を見送り3年後、他界しました。
3年間…、不自由な、寂しい思いをさせていただろうことを今更ながらに思うのです。
私の電話を心待ちにしていました。
会いたいなあ、夢にも出てこないねえ……、なぜなのでしょう。
気づくと彼岸の入り、命日も近いことですし、やはり、呼ばれていたのでしょうか。父です。
体に気をつけて頑張れと、ただそれだけを伝えるために?

“センチメンタルジャーニー”は、ここ東本願寺。
堂内いっぱいの人で、秋季の永代経法要が勤まり読経中でしたが隙間に入り込みました。
ここは“ひとり”になれるところ。
少しづつ気持ちが落ち着き出す、不思議な場所です。

雷とともにものすごい雨となり、足止めです。
大屋根から落ちる雨は、風に流されカーテンのようになって、仏様のもと、雨宿りで残る多くの人を堂内にすっぽりと包みこんでくれるのでした。

すべては仏様の「掌・たなごころ」の上で……。守られながら……。

呼ぶ声も小さくなりそうです。彼岸花には近づかないでおこう。

 集中豪雨の繰り返しの一日

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女性の心根は昔も今も…

2008年09月19日 | 映画・観劇
    (どんよりとして…川の向こうに南座です)

家長の祖父が実権を握る三世代同居の家族。
家宝の埴輪を1年ほど前に祖母は壊してしまっていた。
その箱を捧げ持ってはつまずく女たちは、壊したのは自分だと思いこみ、その責任に慄いて暮らしているのだ。
言い出せない、聴いてもらえる状況ではない。
ストレスのたまる緊張感の中で、夫婦・嫁姑・親子のかかわり合いをユーモラスに描き出してくる。

時折家長が鳴らす仏壇のおりん、チーン!
「なむあみだぶつなむあみだぶつ…おかあさーん…」
祖父の人の良さがうかがえるけれど、まだこの上おかあさん?

すったもんだの末、2代目は、家族の前で埴輪を床にたたきつけてしまう。
こんなものがあるから……言いたいことも言えなくて……
ガッシャーン!!……息を呑む。けれども言うのです。

「明日の幸福のために……」
「私にもまだ“あしたのこうふく”がありますから」、祖母も。

一本目、『明日の幸福』です。
祖父は国防大臣としての就任が決まりフラッシュを浴びている。

これからも祖父の都合に振り回されそうですが、大家族・松崎家は右往左往しながらも3代3人の女を軸として賑やかにつながっていく気がするのです。
「家は女で持つ」、まんざら嘘ではないでしょう。

一つ先が読めるようで、こみあげてくる笑い、大げさな所作、展開への笑い。
演出として計算されたおかしみでもありながら、そこには自分自身の日常の姿や心理と重なる、共感するものがあります。下心の無い、自然の笑いが生じてきます。

『遊女夕霧』は、自分のために店のお金を使いこんだ男を助けるために、「借金」として証文を取り付けるという知恵を出したのです。身を引くことを念頭に、懇願したり脅したり?で迫る夕霧、波乃九里子の演技。女の情感あふれる、かわいい姿でした。

「ほれちょります!!」
「夫婦にならなくたって、この世に生きている限り、力になりあうことはありますですよねえー」
「ありますですよねー」
「ありますですよねー」

与之助への立ちがたい思いは伝わります。

一軒に、女が三人。
二人よりはもめごとも少ないのでしょうか…。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

舞台も読書も

2008年09月18日 | 日々の暮らしの中で
南座での新派公演、『遊女夕霧』『明日の幸福』の2本を観に行くことになっている明日。
新派誕生120年の記念の舞台となるそうです。
『遊女…』は川口松太郎作、波乃久里子さん・片岡愛之助さん…
『明日の…』は、中野實氏の作品、水谷八重子さんの主演で。3世代同居の家族が織りなすコメディータッチのホームドラマとか。

どちらも昭和29年初演の作品とのことですから、時代背景の違いが大きくあります。
しかし、当時の風情の中で、他人の人生の生き方を知り、泣いたり笑ったりを共有することのできる時間に、少しばかりの豊かさを、その日私は味わうのだと思います。
人間模様を通して、自分が何を大切にしているのか、感じることってあります。
読書とも似ていますね。

このわくわく感の中、台風の影響でどの程度の雨になるのかが気になって仕方がありません。
ああ、お天気は望めそうにありません。

今は賑やかな虫の音が聞こえています。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甘いささやき

2008年09月17日 | 日々の暮らしの中で
ルール違反の甘いささやきに乗りそうになったとき、乗ってしまったとき、
「人がやっていることだし自分も規則を破たっていいだろう」
「人がこんなことを言ってくるからだ、失敗してしまったではないか」
言いわけをしては自分をごまかしてしまう。
自分への「甘え」でしょうか。
責任を転嫁することで、合理化しごまかし、気持ちも軽くしたい。

自分がかわいいのです、誰でも。
自分の心への甘えが出てしまうのだ。

「まっ、いいか」と適当なところで手を打ち納得しておく、納得させる。
これが意外と多くて、規則こそ犯していなくても、弱い心と向き合うことを遠ざけてしまいがちな私がいます。
「自律」ですか・・・。

甘いささやきをする者がいる。
闇の中で(今や公然とだろうか)私腹を肥やすことにうつつをぬかし、
うすら笑いを浮かべ、人を見下す連中がいる。
その不気味な笑みが二度と浮かばぬような、何か良い策は無いものだろうか。

天誅が下らんことを!と、怒り心頭に発し?、最近の「米騒動」にも人間の傲慢さを感じています。

ささやき出す者が悪いのか、それに乗る者が悪いのか、
諸悪の根源は?
「人としての心」のバランスが図れていない、とは考えられないだろうか
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「栄養ドリンク」ではありません

2008年09月16日 | こんな本も読んでみた
注文しておいた本を受け取りがてら河原町へ。ジュンク堂書店京都BAL店。
娘が依頼してきた本の一冊。
『続59番目のプロポーズ 2nd Season』
「ソーシャルネットワーキングサイトmixi(ミクシィ)で話題を呼んだ、個人の日記。前作の続編」というもの。
「英国『TIMES』等でも大きく特集された」とある。
いろいろな本があるものだと、今更ながら。

文庫化されたので、五木寛之著『百寺巡礼 第一巻 奈良』。
初めて読む著者ですが、伊集院静著『ねむりねこ』。随筆集です。 
欲しかった2冊を手にした後、ふと目にとまりましたのが、
井上靖著『わが母の記 花の下・月の光・雪の面』。

…本は自分を映す鏡だとか。本はそれを読む人の鏡なのだから、その人が読みたいように姿を変える…とか。
難しい理屈は抜きに、まあ、読んでみたいから読むということです。
読めば何かが残ることでしょう。
「未来形の読書」ということにはなるようです。

まず、「ねむりねこ」から。
あなたもいかがですか? 

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

婆さまは

2008年09月15日 | 日々の暮らしの中で
婆さまの好きな言葉は、「もったいない」。
寺に生まれて寺に育ち質素な生活の中で備わったものだ。

自分の服は自分で縫い、和裁もこなす。なかなかのお洒落さんだったと聞く。
なのに、いつまでも同じ服を着ながら新品はタンスの肥し。残った食品は何でもかんでも冷蔵庫。ラップもせずにカチンカチン。野良行き靴が破れたら同種の片方を再利用。もったいない!もったいない!
ケチではない。故郷の香りをいっぱい詰めて小包発送大好き。特に他人には気前がいい。

婆さまの実母は幼少時に死亡。継母は後年耳が遠かったらしい。
屋内にも外での話声が聞こえてくる。大抵どこにいるかがわかる。静かであればお昼寝か。
演技派の婆さまは、紙芝居が得意だった。孫を背負っての子守歌は軍歌。本堂の縁を行ったり来たり。
日々、大声の訓練に抜かりはなかった模様だ。
それでも若かった頃は○○小町と言われ美人で人気者だったらしい。想像は、ムズカシイ?が。

ぽんぽこ小狸になって、眠くてたまらぬ授業を繰り返したらしい爺さま。亡くなってすでに40年近く。
爺さまの分も背負って「もったいない、もったいない」「仏さんが見てはる」。

たまの外出に、長年ためこんだ“勝負服”。
まだあったの?! それって××の時の?! おいおい、流行りってものがあるでしょう!
見栄っ張りで、“老人車”を押し歩くのを嫌った。「年寄りくさいやろ」って婆さま、いったいいくつに。齢ではないか。

婆さまは和歌をたしなみ、書に親しみ、俳画も好み、黙々と教室にも通った。筆跡は奔放、のびのびと!?

婆さまは年を取った。すっかり足腰が弱った。しかし、大きな声で笑ってしゃべって、よく食べる。よく動く口のおかげで、脳の活性化は図られボケることを知らない。これぞ長生きの秘訣となるのか。

ちょっと耳が遠くなったかなあ。大声出すのはいやよ。
   (赤染晶子さんの9.15付けエッセイをパロディの参考にさせていただいて)

     ≪虫の声 原田泰治≫  
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虫の音つきの観月に

2008年09月14日 | 日々の暮らしの中で
夕焼けの空も暮れてゆき、東から丸いお月さまがあがってきました。雲は多いようです。
先日、烏相撲を楽しんだ上賀茂神社。周囲の視界をさえぎる物のない広い広い神苑で、月だけを観る楽しみを味わうのもまた良さそうです。

「賀茂観月祭」。
神苑の外幣殿で、神事に続き舞楽や謡曲が奉納されたあと、いくつかの演奏などをご披露する団体やグループがあります。
先着300名に、月見団子とにごり酒の振る舞いがあるのですが、その予約引き換え券も手に入らずでした。ずいぶんと早くから来ている人たちがいるものです。

神苑内のじゃり道を二つの投光器が照らしますが、少し離れると人の顔もぼんやりするくらいです。
充分な闇が存在する芝に腰をおろし、外幣殿の上にゆっくりとあがってくる月を眺めていました。
雲がくれしながらも、澄んだ輝きを見せてくれます。
舞台での催し物は続きますが、虫の音はそれを上回る見事な大演奏。
素晴らしいコンサートに招待してもらいました。

娘に電話してみました。
雨が降っているとのこと、おまけに停電付きの夜のようでした。

広い範囲で今日は名月を楽しめたのではないでしょうか。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いかがおすごしでしたか

2008年09月13日 | 日々の暮らしの中で
  

朝夕めっきり涼しさを増してきました。
平素は格別なご厚情を賜りまして嬉しく深く感謝しております。
今日はどのようにお過ごしでしたでしょう。

夜来の雨もあがり、薄日とともに蒸し暑さが戻りました日中、京都文化博物館に足を運びました。
いただいたチケット2枚、最終日目前ですので、目の保養をしてきました。
近くの和文具店にも立ち寄ってみました。ここは、スクラップブッキングの教室も開催されているのか、有名な店です。ただ、店内で目を引くのは、京都関連の絵ハガキ、風物はがき、便せん・一筆せん・和のシール・小物…の類でしょうか。好みに合うものが多く揃っています。

映画館も近くにあります。ジョディ・フォスターばかりが話題になっていますが「幸せの1ページ」上映中。
「人生なんて、たった1行で変えられる」という文字が紹介の紙上に。本当にそうでしょうか…。
内容に興味が持てず、共演のジェラルド・バトラーの“お姿”に会えないでいます。残念。あのファントムです。「オペラ座の怪人」の。最近なにか映画をご覧になりましたか。

全世界の人が眺めるたった一つの月。どんな思いで人は眺めるでしょう。
厳かに、澄んだ気持ちで、幸せいっぱいに、悲しみに耐えて、お腹を空かして、祈りをこめて…。
明日の中秋の名月。
ぜひ静かな秋の夜、わずかなお時間をご一緒させていただいて、美しい月を愛でることができたら嬉しいことです。お天気に恵まれますように。

嵐山・嵯峨野ばかりではありません。深まりゆく秋、西山の地域にあります私の好きな光明寺の紅葉、晩秋の乙訓寺のたたずまいなどご案内したいものです。

虫の音が響きます。 
どうぞ明日もよい一日をお過ごしいただけますように。

(文化博物館の西にあります、これは郵便局です。ここから“投函”したつもりで)
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする