かつては文学を“人生の意味を考える道具”ともしていたものだ。
「この作家、○○の思想は」という話をよくした。教養のためにと見栄を張り、わかりもしない内容に手を広げたこともあった。今、「正しい生き方」などといったものは消えかかり、小説や文学にも求めなくなっている時代なのか、読みたいから読む傾向に移行していると聞く。だから、「私の好きな倉橋由美子作品ベストスリーは」という表現にもなるのだろう。
女性の視点、文章表現には相当な関心を持ち続けた私だが、文庫本で手に入れた嬉しい一冊が、『あたりまえのこと』倉橋由美子著(朝日文庫)だ。ここ数日間のおこもり中に、痛快さとともに毒舌気味の批評を楽しんだ。「小説論ノート」「小説を楽しむために」の二部立てになっている。前半は1977~1979にかけて発表されているもの。
バッサリ切り捨て、あんまりでしょ!、言い過ぎ?とさえ感じるするどさ。
「耳が痛いどころか、中耳炎をおこしかねないほどきつい、しかし、まっとうな意見が地雷のように埋め込まれている、読みようによっては……」と解説者。
「ある児童文学が評判になっている。……私にとって…蕁麻疹(じんましん)が出る鯖と同じ…」
「文章の巧みさということ」の項目では、
哲学者、西田幾太郎の文章を「ほとんど寝言」、吉川幸次郎のそれを「音痴の人の歌を思わせる文章」と評してしまう。
「外から押し付けられた権威づけという曇り眼鏡をむしりとってくれる力があります。」
「倉橋由美子の放つ毒が、実のところ大変な良薬であること」を私なりにも実感。
お暇ならぜひご一読を。
残念なことは、筆者ご自身が「小説以外の文章を書くことも発表することも、これをもって最後といたします」と明言されていること。そして2005年没。
若い頃からの大ファンのひとりでもあったのに……。
「この作家、○○の思想は」という話をよくした。教養のためにと見栄を張り、わかりもしない内容に手を広げたこともあった。今、「正しい生き方」などといったものは消えかかり、小説や文学にも求めなくなっている時代なのか、読みたいから読む傾向に移行していると聞く。だから、「私の好きな倉橋由美子作品ベストスリーは」という表現にもなるのだろう。
女性の視点、文章表現には相当な関心を持ち続けた私だが、文庫本で手に入れた嬉しい一冊が、『あたりまえのこと』倉橋由美子著(朝日文庫)だ。ここ数日間のおこもり中に、痛快さとともに毒舌気味の批評を楽しんだ。「小説論ノート」「小説を楽しむために」の二部立てになっている。前半は1977~1979にかけて発表されているもの。
バッサリ切り捨て、あんまりでしょ!、言い過ぎ?とさえ感じるするどさ。
「耳が痛いどころか、中耳炎をおこしかねないほどきつい、しかし、まっとうな意見が地雷のように埋め込まれている、読みようによっては……」と解説者。
「ある児童文学が評判になっている。……私にとって…蕁麻疹(じんましん)が出る鯖と同じ…」
「文章の巧みさということ」の項目では、
哲学者、西田幾太郎の文章を「ほとんど寝言」、吉川幸次郎のそれを「音痴の人の歌を思わせる文章」と評してしまう。
「外から押し付けられた権威づけという曇り眼鏡をむしりとってくれる力があります。」
「倉橋由美子の放つ毒が、実のところ大変な良薬であること」を私なりにも実感。
お暇ならぜひご一読を。
残念なことは、筆者ご自身が「小説以外の文章を書くことも発表することも、これをもって最後といたします」と明言されていること。そして2005年没。
若い頃からの大ファンのひとりでもあったのに……。