5月11日、午前7時30分に京都八条口を出発しました。前回のゴール地となった石切神社山門の上、なぜか剣のモニュメントがありませんでした。今回はここから13km先の近鉄大阪線安堂駅(柏原市)付近までまっすぐ南下、…の予定でした。
体操で身体をほぐして8時30分、瓢箪山稲荷神社を目指して出発です。傘が必要でした。
枚岡神社一の鳥居を東(左手)に見過ぎ、狭いところに路上駐車も目立つ歩きにくい道を進んで近鉄の瓢箪山駅前に出ました。道はそのまま駅前の大きな商店街へと続きます。車・バイクも通行禁止のアーケードを設けた国道170号となっていて、そこを抜けていくのですから驚きです。
30分ほどで瓢箪山稲荷神社でした。以下【】内は案内板によります。
【創建は豊臣秀吉が大阪築城にあたり巽の方鎮護神として伏見桃山城から「ふくべ稲荷」を勧請したるを由緒とする】【社をまつる小丘はこの地一帯にある山畑古墳群の中でも最古最大に属する6世紀末古墳時代後期の双円墳であり、瓢箪山と称する由来である】
【江戸時代より門前の東高野街道沿いにおいて、「辻占い」の風習があり明治初年宮司山畑阿良美が「辻占」を創始する】ここ日本三大稲荷の一つは、辻占(つじうら)の総本山でもありました。
【幕末から大正時代にかけて、神社から東高野街道までの参道両側には、たくさんの旅館、茶店がならんで大いに繁盛し、大阪堂島の米相場の上り下りも、この辻占によって占われ】、【古くは往来者の言動・持ち物などで事を占ってい】たのだとか。雨のせいか寂しい参道です。享和元年(1801年)刊行の『河内名所図会』には、「如卜(じょぼく)」ということばで記されているようです。
やがて、「淡路島通ふ千鳥の河内瓢箪山 恋の辻占いらんかへ」という売り口上で「辻占おみくじ」売りの少女が活躍したそうです。
雨は上がり、蒸し暑さを感じて歩いていました。一直線の街道を南下の途中で東にそれて、平成17年に復元された国史跡心合寺(しおんじ)山古墳へ。
写真右手から上がってみました。
全長160mの前方後円墳からは副葬品として馬具類が多く発見されているのだそうです。朝鮮半島から馬と飼育技術が伝わっていたとみられ、この辺りは騎馬を飼育する馬飼部を率いた渡来氏一族の勢力地で、そうした一族の墳墓と見られることが記されています。
東側の道を進んで再び街道と交わる付近に垣内一里塚がありました。生駒の山並みももやっています。
朝が早いのでお腹がすきだします。みな、昼食が気になりだしました。あと30分ほどで着くとわかってもうひと踏ん張り、行進は再開です。靴を脱いで上がった座敷はテーブル席。もうこれで終わりかと錯覚するほどくつろぎ、ゆっくりとウォーキングツアーには不似合いな?食事中に雨が降り出しました。あと4kmを残して、雨中さらに歩く気持ちなど失せてしまっても不思議ではない、…ほどに腰を据えてしまいました。「もう歩きとうないわ」「全員撤退しよう」という声がで始めて、…あれこれ思うことはありましたが、異を唱えることもなく、したがって私も同意ということです。13kmの行程は予定であって、ここにて終了!!
後味の悪さを感じています。