京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

花見を

2018年03月30日 | 日々の暮らしの中で
今日は娘家族がやって来ましたので、府立植物園へお花見に出かけました。甲子園球場6個分の緑地の広さだといわれます。桜が満開です。

娘の夫・Jayが「ここ」と選んだ花の下でお弁当を広げ、先ずは空腹を満たすことに専念? この最中、Lukasはベビーカーに座ったままで食事です。大きな口を開けてぱくつき、もぐもぐと食べます。よほどお腹が空いていたのでしょうか、大食漢。カメラを取り出すのは、ほどよくお腹が満たされる頃になって。「う~ん、ビューティフルねー」
自由にしてもらったルーカスは、道を挟んだ向かいで女性二人がお弁当を広げているベンチに寄っていきます。母親があわてて後を追います。幼子は握手を求められ、その場を立ち去りました。面倒見のよい兄のTylerがLukasについて、よいコンビです。が、目は離せません。

 

園内を散策しながら、Tylerもしきりに自分でレンズを向けていました。その1枚の風景が上のものでした。やがて蓮の花が咲く池に頭の大きなオタマジャクシがうじょうじょいるのを発見し、みなを呼びます。3歳頃でしたか、Jessieが「あたまじゃくし」と言って家族の笑いを誘ったこと、思い出されました。ルーカスも目を凝らし、ミズスマシの素早い動きにも指をさします。賀茂川沿いに出て半木の道の枝垂れ桜を堪能。土手の堤を足を上手に使って滑り降りるLukas。ここは、やはりその昔Jessieが何度も何度も駆け上って遊んだ堤でした。

最寄りの駅まで同行し、両ホームに前後して入ってきた電車に分かれて、一日が終わりました。
桜が人を集わせ、様々なことを思い出させてくれました。ここで一句、一首…とはいきませんが、花見のおかげで様々な文化が発達してきたようです。家族連れの枠に収まって、集う楽しみも心地よいものでした。


 
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花時に

2018年03月28日 | 日々の暮らしの中で
まことに迂闊だった。今月末にはブログを開設し10年を迎える、…そんなことを意識しながらここしばらくを過ごしていた。ところがどう、たった今気付いてみれば、はやひと月が経過しようと…。

長く続けられたと思う。が、いったいいかほどの内容があるだろうか、ということはずっと顧みてきている。私は、私は、と主張しすぎていやしないか。
自分にとって大切なもの、心に残ることが、人さまの感動を呼ばないということはよくある。ただ、人はめいめい自分の関心の世界を持っている。では、ただそれを書き散らせばいいのか。そこが苦心するところでもあって…。

さりげないものは心地よい。さりげない佇まいに安息が生まれる。一人の人間が生きてきた道。そこでの体験や努力、個性を大切にして、思いを言葉に沈めていきたい。言葉に沈める、実はこれが難しい…。スタンスは変わらないし、これまでのスタイルでなどとあれこれ考えていたのだった。ただ、10年目には外そうと思っていた、タイトルに続く「My good days」。英語ではなく日本語で、「心ころころ好日」と改めたい。

花時に25度を超える夏日となって、暑い一日でした。孫のTylerのためにランドセル型のお守りをいただこうと立ち寄った六角堂。


西國三十三所十八番札所にあたる頂法寺。本堂が六角形なので六角堂と呼ばれます。あさみどりに染まった枝・「柳の糸」2本を、おみくじで結ぶと良縁が得られると。親鸞聖人29歳のとき、100日参籠を志されました。夜になると比叡山を下りここ六角堂に籠り、朝に再びお山に帰るのです。――『親鸞』(五木寛之著)の新聞連載を楽しんだことが懐かしい。



コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間は素晴らしい

2018年03月26日 | 日々の暮らしの中で

人間は素晴らしい。
この小さな身体のなかに、盛り上がる意欲が埋蔵されている。ためらいなどありはしない。誰の気を慮ることなく、あっちへこっちへ、ひとところにとどまらない身軽さで自信に満ちている。溝を前にしても突き進むから危険極まりなく、目は話せないが、刻む小さな小さな一歩がほほえましくてならない。

 

土曜日に遊んだ時の写真を見ながら時にクスリと思い出し、名残を惜しんでいる。「すごいねーすごいねー。ルーくん、じょうずに歩けるねー」とただただこちらは笑顔になれた。誰もがこうした一歩を刻むことから始まって、遠く遥かな歩みをたどってきたのだな。

毎年のことなのに、この光景にはさすがに華やいだ気分に浮き立つ。開花情報を耳にし出すと、「うかうかしてはいられない」と人並みには今年の桜を尋ねてみたくなる。幼子の身軽さに学ぶとしよう。
上賀茂神社の御所桜と斎王桜(手前)。さくらは水辺を好むとかで、賀茂川沿いへも出てみた。



「京でよく見た白い花だけの染井吉野。これは日本でいちばん堕落した品種。花ばっかりで気品に欠けますわ」「本当の日本の桜というものは、花だけのものでなくて、朱のさした淡みどりの葉とともに咲く里桜が最高だった」「山桜が正絹やとすると染井はスフというとこですな」   『櫻守』より (水上勉)
まあそんなこと言わんと、この時節に乗るとしましょう。人にも花にも、二度と同じ時間は巡り来ないのだ。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「椿の花が赤い」

2018年03月23日 | 日々の暮らしの中で

あでやかな大輪は枝先をしならせるほどの存在感で、下からのぞき込む花の中心部には縮れた細かな赤色の花弁が詰まっています。京都は椿園芸の発祥地として様々な品種を生み出してきたようです。これは「日光(じっこう)椿」という種類で、中心部が白いものは「月光椿」と呼び、このような咲き方を「唐子咲き」というのだそうな。「日光・月光」と聞けば、菩薩像が思いうかぶでしょう。

通りすがりの、確か天台宗の寺院でしたが、参道の両脇にたくさんの椿の赤さが目に入って、門をくぐらせてもらいました。なんともまあ、この、ちょっと見ではグロテスクとも言えそうな造りに加え、花の赤さは鮮烈でした。日常の身辺で、ふと立ち寄った先でのささやかな発見に驚かせてもらい、新しく覚えたことは増えるし、感動です。

ところで、『徒然草』の講座は先日最終回を迎えました。「書けない恋」だが、書いて残しておきたい。兼好は恋人との10ほどの場面を書いて、『徒然草』の中に封じ込めました。作品は兼好の死後100年を経て世に出ます。伏せなくてはならなかった理由があったのです。

「その手法は、『伊勢物語』に似せたのでしょう」。そうかぁ、と思った瞬間はちょっと嬉しく。兼好は先人の言葉やエピソード、書物から、日常伝聞したことから、記憶の引き出しから等々、引用を多く用いて文章を書いていることに思い当たるのです。それは、「随筆の根本は古今東西の本をたくさん読んで、その中からいい言葉を見つけ出してそれを引用することにあるという基本を忘れないように」、と言われる川本三郎さんの言葉に重なることです。
学べることはたくさんたくさんある、ということがまた楽しく思えてきます。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自分の目で見る」

2018年03月21日 | 展覧会

先日、チケットがあるからと友人に誘われ、ベトナム戦争の報道で知られた写真家・沢田教一(1936-70年)の回顧展を見に行った。
氏は70年に銃撃を受けて亡くなったが、11歳年上の妻のサタさん(92)は開幕日に青森県弘前市から駆け付け、夫の思い出を語られたようだ。二人は三沢基地内の写真店で同僚として出会う。

川を泳いで逃げる母子を撮った「安全への逃避」など一連の写真でピュリツァ―賞を受賞した。名前の記憶などはなかったが、この写真は記憶している。隣同士だったので一緒に逃げた母子二組。沢田は地図にも載っていない地域へ分け入ってこの母子たちを探し出し、賞金の一部を送った。会場のビデオで、右端で抱かれた当時は2歳だった女性が、沢田への感謝の言葉を語るのを聴いた。「会ってお礼が言いたい」。

戦争の残酷な姿が何枚も撮影されている。一方で、子供たちの笑顔に目線を向けた写真も多い。
ちょうど孫たちと数日を過ごして戻ったばかりだった。彼らを目の前の世界に組み込んでチラとでも想像してみると、平和はありがたいなどという思いの前に、胸に迫るものがある。無性に悲しい。こんな体験をさせたくないと涙ぐみそうになるところをこらえるが、幸い誰かにそんな顔を見て取られることはない。それぞれが写真に見入り、きっと思いを共有していただろう。

立ちどまる。見る。自分の目で見る。じっと見つめる。それだけのことが、一瞬一瞬の出来事に忙しく目を走らせることに追われ、ふだんになかなかできにくくなってしまっている、と長田弘さん(『感受性の領分』)。「美術館は自分の目で見るという習慣の大切さを思い出させてくれる」。
この回顧展は、こんなことも考えさせた。

      
おかげさまで、16日17日には孫娘Jessieの小学校卒業、弟のTylerの幼稚園卒園を一緒に喜ばせてもらって帰ってきました。
一昨年の5月に来日し、間を置かずに居住地区の小学校、幼稚園に通い始めます。緊張も不安も多々あったはずですが、心配をよそにこのよき日を迎えました。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゆったり豊かに光を浴びて」

2018年03月13日 | 日々の暮らしの中で
被っていた帽子を風に吹き上げられて、間一髪抑えました。飛んでいくのを阻止です。この風の勢い、多くの花粉が舞っていたことでしょうに、幸いアレルギーはありませんが、マスクを忘れて午後の小一時間を歩いてしまいました。風に吹かれ、陽を浴びて、何の用もなく目的もなく、小銭200円をポケットに入れて。ここのところ一気に軽装です。沈丁花はまだ開花前ですが、いつの間にか強い香りを放つようになって。花の匂いをかいで、気分も良好。

住宅街の中に山を背にして小さな神社があります。45段の石段を上がると、ちょうど二階建ての屋根に上った高さで、南東方向に展望が開けます。
お参りする方は、ちゃんと拝殿の前で鈴を鳴らさないと、たとえ毎朝石段下で手を合わせていても神様は気づいてくれないそうですよ。
社殿の裏手から早咲きの桜が迎えてくれていて、誰もいない狭い境内が心地よくてひと休み。


   うららかにただうららかに或る日かな   久保田万太郎

果報は寝て待て。こんな言葉がありましたっけ、…という一日でした。




コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

名にし負う

2018年03月11日 | こんなところ訪ねて
大坂で暮らす娘から京都での梅見はどこがいいかしらと問われ、梅だよりで満開だとあった城南宮を薦めてみました。京都南のインターを降りればすぐですから、家から3-40分で移動できそうです。第2出口からだと念を押し…。待ち合せない?という言葉はありませんでした。



名にし負う“梅のお宮さん”でした、梅宮大社は。(市・右京区)
この時季に梅を見に行かずして、…ところが実はこの度が初めてでした。空気が冷たいものの日差しはやわらかです。奈良時代の政治家・橘諸兄の母による創建のようですが、本殿、拝殿、幣殿、回廊、中門は元禄13年(1700)に再建されたものと。近くの桂川から飛来してくるのか、アオサギが三羽つぎつぎにやってきて参拝者の頭上をぐるりと一回り、後方の林の梢高くに止りました。寝床でもあるのでしょうか。

紅白の花の光に満ち、白い花の明るさは清浄を尊ぶ社寺にとてもふさわしい樹木だと思えてきます。ようやく迎えた春という思いに気ぜわしさは全くありません。


       咲くやこの神も名にしおふ梅の花
              御代の春べにあふはうれしな   宗良親王
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦しい言い訳

2018年03月09日 | 日々の暮らしの中で
大阪に住む友人が、消しゴムハンコの会を立ち上げ、その代表役を勤めています。面白そうです。私があまりに熱心に聴いているからなのでしょう。毎回「ぜひどうぞ」と誘いのメールをいただきます。孫娘に声をかけて、一緒に行ってみようかなと思うことはあっても、やはり億劫です。

習わなくても、自己流でできるでしょう? ちょっと楽しむくらいなら…。昔むかしの話になりますが、年賀状を版画で手作りの時期もあったし、四角く切ったごっつい桜の厚木に彫り物をして彩色したこともありますし、子供たちと夏休みに芋版画だってしたし…、と思い出します。

それでいて会えば、またまた消しゴムのサイズや、いったい何を彫るのか、どんな刃で彫るのか、と根掘り葉掘り聞いてしまいます。これがいけない。でもツーっと入ってスーッと通過させてしまうのは失礼だと思って、ひたすら感心しながら拝聴するわけです。話の内容には本当に感心するのです。素人の想像をはるかに超えた手の込んだ作品もあるようですから。ただ、自分がしたいかということと面白く話を聞くのとはまたちょっと違うと思うんだけど…、気づいてくれないかしら。


また、この日曜日の案内を受け取っていて、どう断ろうかと、ほんま苦しいですわ。
                                             (図案はネットより拝借)
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夢見力」

2018年03月07日 | 日々の暮らしの中で

佐伯チズさんが美容アドバイザーだと認識したのは、新聞での連載コラムが終わってからの事だった。コラムの内容は皆目記憶がない。ただ、一度だけ、「老春の夢グスリ」と題した見出しが目に留まった回があった。それが最終回だった。

 ―もう何かにお金をかけるということもなく、欲しいものもなく、写真の夫と二人で、家にあるもので充分に楽しく、健康で充実した感謝の日々を過ごしている。あとは、日本の文化遺産の四季巡りと、その土地の蕎麦を食べ歩くことが今からの楽しみ、〈夢グスリ〉だ、ということを書いていた。
「夢グスリ」とはいい言葉だ。いただいておこうと思った。
それからこの言葉が、田辺聖子さんの「夢見力」という言葉を思い出させてくれたのだった。 
 ―いつも好きなものを抱き続けると、自分だけの小さな蕾は、いつか、きっと開くと思う。自分の夢見力が牽引力となって、老いの身を支えてくれている、と言われていたから。
どちらのメッセージも素敵な気分にさせてくれる。

私には今、知人の誘いの言葉をきっかけにして、新しい仲間と切磋琢磨してみようと心の内に持ったことがある。決めたこと。動き出すタイミングを逸しないようにしなくっちゃ…。
「自分だけの小さな蕾」を「いつか、きっと開」かせてみたいという思いが自分を励まし、力を宿す。やってみますか、ね。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おーい、カメさん」

2018年03月06日 | 日々の暮らしの中で

21度を超える陽気に汗だくで歩いたかと思えば一転、昨日は雨降りで、家の中は一日中夕暮れ状態。今日はまたまた春めいた陽ざしに誘われるように薄着で外へ出てしまった。風が冷たくて、身震いしながらの散歩は早めに切り上げることにした。三寒四温の時季、一足飛びに春は訪れないのだ。足踏みしいしいでやってくる。

池に「め」が泳いでいました。「め」。…4、5、6と、もう冬眠から覚めているんだなと思いながら目に入るカメを数え歩いていますと、向かいから親子連れがやってきました。父親は子供を抱き上げて、指をさしました。
「こうちゃん、ほれっ、あそこ、かメェがいるよ。かメェがいるよ。見てごらん」
「おーい、かめさーん」。子供はどっちの発音だったかしら。「かさーん」? 差異はなかった? 微妙。
何やらおかしいわ、「め」と「かメェ」。時どき自分のアクセントが周囲と違う事をふっと意識してしまうことがあります。わかってはいても、「かメェ」とは言えない。

嫁いで最初に大笑いしたのが「マッチ」だったはずです。「っち」という私に、「まっチッ」だと言い張る二人組でした。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

顔見世、2ヵ月連続で

2018年03月05日 | 日々の暮らしの中で
2年前から耐震補強のために大規模な工事行われてきた南座ですが、今年十一月には再開場するという記事がひと月ほど前に新聞に掲載されました。
顔見世興行は11月から2ヵ月間連続で開催されるようですから、年末にとてもそんな余裕がないと見送っていた方にとって少しでも朗報となればいいですよね。それに、3階まである客席を、公演によっては1階席を舞台と同じ高さにまで床をかぶせてフラットにしてしまうという演出設備も整えられるとのこと。これはぜひ一度足を運んで観覧したいと楽しみになります。座席も一新とあります。お隣と、前席とも、あの空間の窮屈感は解消されるのでしょう、とこちらの期待も増します。

ただ私はと言えば、歌舞伎に関する知識は皆無と言ってよく、ですので単に名台詞だけ知っていても展開は楽しんで追えずでして、となるとさほど顔見世にこだわりはありません。記事によれば、これまでの年間200日の開館が300日に増やされるようですので、お芝居を選んでとなりそうです。

   顔見世や六文銭をふところに
   ひとねむりして顔見世におでましか
   しぶしぶのやうなかほして顔見世へ

いずれも西野文代さんの句。孝夫ぬきの顔見世なんてつまらない、と心は早々とそっぽを向かれる様子です。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「軒ににほふ梅が枝」

2018年03月03日 | こんなところ訪ねて
「梅は白き、うす紅梅。ひとへなるが疾く咲きたるも、かさなりたる紅梅の匂ひめでたきも、みなをかし」と、匂いを褒めて引き立てているのは兼好さん。(『徒然草』第139段)
そして、「京極入道中納言は、一重梅をなん軒近く植ゑられたりける。京極の屋の南向きに、今も二本侍るめり」とあります。
京極入道中納言と呼ばれた藤原定家。その邸宅は京極、現在の寺町通の西側にあって、軒に植えた梅が有名だったようです。
現在、その梅も屋敷もありません。ただ、このあたりに邸があったことを示す碑が建っているだけです。 


京都市役所の西の通り・寺町通を北へ。二条を上がった西側の店先にその碑はあります。(写真手前が北。碑は東向きに)昨日、ちょっと足を延ばしてみました。

   わすれじな宿は昔に跡ふりて変はらぬ軒ににほふ梅が枝   永福門院内侍

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だれでも詩人に

2018年03月02日 | 日々の暮らしの中で
気温も上がり、一日青空が広がりました。

   窓をあければ
   風がくる、風がくる、
     光った風が吹いてくる。
         「風」 新実南吉

春の訪れの気配を感じながら、素直にまっすぐに心に入ってきます。口ずさめる詩です。だから好きです。

       「もう春かもしれない」 M.A
   もう春かもしれない
   風が林を吹き渡り
   木々を揺さぶり鳴らすとき
   心もゆれてざわめいて
   幼い記憶がよみがえる
   もうすぐ家が建つはずの
   空地で遊んで見つけた宝
   青い草の実 瑠璃のよう ・・後略        

長くって、ひたすら続くこの調子。このあと16行目に、もう春かもしれない と結ばれ終わります。
書かれた言葉と読み手とのすき間でイメージが生成されます。でも、その言葉にひっかかり、呼吸が合わないまま、しっくりいかずじまいで終わることが多くて、私は現代詩というものをほとんど読むことがありません。読んでみても「読めない」、ということです。
「太田垣連月のこと」と題した文章だけが読みたくてある冊子を買ったのでしたが、収められていた詩はオール降参です。

で、今日はこの関連であるお寺さんへ。富小路通を四条通から下がって、綾小路通を東へ寺町通りまでまっすぐ歩きましたら、前方に大きな鳥居が見えてびっくり。この方向から見たことなく、参拝もしたことなく、京都大神宮だとわかりました。一本の幹から紅梅と白梅が咲いているのです。何枚か奉納されていた絵馬には漫画のキャラクターのような絵が描かれ、縁結びを祈願。帰宅後、ふっと気付いたのです。この梅の木にあやかって縁結びの願掛けがあるんだ、と。 訳の分からないことを考えあぐねる頭では、現代詩などは不案内です。


  氷を割り雪を割って芽生えがある頃、軒に落ちる雨だれの音にも生命をつゝむ母体と希望があります。
  こんな時 人はだれでも詩人になるのです。― と六郎さんが言います。(「春」)
私は好きですねー、こうした文章。


コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする