海沿いを南下してきた一行が潮に身をひたす最後の潮垢離を済ませたのが前回に寄った「出立の浜」だった。ここから中辺路・大辺路が分岐する。熊野本宮を目指し、山道を行く中辺路の入り口に当たる田辺は「口熊野」と呼ばれる。
熊楠の墓がある高山寺を出発し、秋津王子-須佐神社-万呂王子-三栖廃寺塔跡-三栖王子-八上王子-田中神社-稲葉根王子 と辿る9回目のコースも無事完歩することができた。
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「あの(奥)右手の山に突き進めば本宮大社があります」
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背中に牛馬童子の語り部さんの言葉に、そうか、いよいよか…と、ちょっぴり感動。
【日本人は縄文人と弥生人に分けて考えると理解しやすい。地域的にも縄文地域と弥生地域に分かれるのではないか。そして、熊野は近畿の中でももっとも縄文文化の面影をとどめる地域であり、中世の熊野崇拝も、人々のひそかな「縄文文化への復帰を願う日本人の潜在意識」ではないかと言われる。】
田辺聖子さんは、“熊野学”の第一人者として梅原猛氏(『日本の原郷 熊野』)をあげられ、その著書を通してこう語られている。
― のだけれど、だ。
神の子を祀った「九十九王子」が見守る地・熊野。クマノは神の坐すところ…。
9回歩き通して…どこまでそうしたことを体感しえただろうか。これから何か得られるものがあるのだろうか。何もなく終わるのか。何を求めて歩いているのだろうか…、様々なことが頭をよぎるようになってきている。「常世の国に迷い込んだような気分」か、さて、…。
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須佐神社 三栖廃寺塔跡 三栖王子
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八上神社 西行の歌碑 稲葉根王子
濃緑の山が待ちうけ、川も水田も輝き心地よい風が吹き渡る。鬱蒼とした山道に咲く小さく美しいつくりの白い花の群生…、急坂もべたつく汗も含めてすべてが私を喜ばせ気分よくさせてくれた一日だった。
神も仏がいるのだろう、か…。と、またまた…。
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この先は写真どころではなくて
「心を凝らして泥を踏みしめていけば、路傍の花や虫の小さな世界も見える。
行き交う人と感情を共有することもできる。道は一歩一歩あるくものである」
この立松和平氏の言葉はあらゆる面での支えになっている。
車道脇に視野に入った水門には驚いた。今も閉められると言う。
富田川に架かった潜水橋(沈下橋)というものも始めて見た。一見簡素に見えた、欄干がなく水面からの高さも低い黒っぽい橋だった。
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口熊野の終着地・稲葉根王子のそばを流れる富田川沿いにある水垢離場跡。熊野へ!の前に、ここで現世の不浄を清める神聖な川に身を浸したのだ。変化の多いコースに満足して、17371歩だった。