京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

桜どき

2016年03月30日 | 日々の暮らしの中で

ウォーキングにも汗をかくほどの陽気になって、桜もご覧の通り。まだまだ満開状態ではありません。

「今週末が見ごろだと聞いたので、土曜日に京都へ遊びに行きたいと思います」と兵庫県に住む姪っ子から電話がかかってきた。
「ご都合はどうですか」と言う。(そりゃあ、もちろん都合します)ぜひお会いしましょう! おいで下さい、ということになった。
で、さて、花見はどこへ…、だ。「どこかおススメはありますか?」と聞かれてもあっちもこっちもで、即答できない。双方で、相談して、ととりあえず切った。


7カ月になる娘を連れてなので車で行く、という。まだよちよち歩きをするでもないからベビーカーだろうが、どこがいいかなと悩ましい。行きたいところを言ってくれたほうが楽、かも。

      
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ぼやきたい日だって…

2016年03月28日 | 日々の暮らしの中で

年度末も年度末。お講さんを炊いて、寄合を持って…。こう何日も拘束されるとつい逃げ出したい気分に襲われます。
全ては先方の都合で日取りが決まる。なかったものが急遽組み込まれれば、予定もキャンセルのは目に…。勤めとはいえ、早く終わることを心ひそかに願ってしまいました。時が来たら終わるのに、です。


やっと! と思えば今日は少し寒いし、黒い雲が頭上に広がってどんよりした天気です。いきなり雨が落ちてきて、上がった合間に郵便局まで投函ウォークに出ればまた雨。時雨ては上がる。陽がさすと、少し厚手の上着を引っ掛けて出たから暑い! 
すべては怠惰な思いをひそかに抱いて、罰が当たったのかもしれません。
今日の外歩きをこれだけで終わりにするのももったいないと、家を目指していたのを方向転換です。雨は上がったものの晴れたり曇ったり。まだまだほとんどが蕾ですが桜の開花もボチボチと進んでいるのを確かめながら、プラス小一時間は歩いてしまいました。

何から逃れたかったのか。どこへといってどこに行きたいとも思わないのですが、窮屈な数日でした。ちいさな声でぼやいておこうっと。



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街を染め

2016年03月23日 | 日々の暮らしの中で

                                 上賀茂神社の御所桜、ちらっほらっと

昨夜、NHKでローカルニュースを見ていたら、京都タワーが朱色にライトアップされているのに気付いた。
タワーが従来のハロゲン灯からLED投光に変わったことは報じられて知ってはいた。

                  

なぜ朱色に? その疑問も今朝の新聞で理由が判明。文化庁の京都移転が昨日22日に決定したことを記念して、京都タワーと東寺とが朱色にライトアップされたのだった。



                                 賀茂川沿いの桜のつぼみ

移転に当たっては諸手を挙げての万々歳とはいかないさまざまな課題も挙げられている。

ところで、京都御苑内にある京都迎賓館は「調度品だけで100億円、建物は200億円」(京都府知事)だそうな。しかし、年に10回ほどしか使わないらしい。ロケット弾を跳ね返す屋根の構造、毒ガス浄化も可能な地下構造、玉砂利の下の仕組み等々。かつて、伝統美だけではない京の迎賓館についてのお話をうかがったことがあった。
文化庁の移転先は? 移転費用は? ー既存施設改修の想定で30億円と算定。では新築なら? こちらはセキュリティが問題?? 
それに、「文化振興」、地方独自の文化、…さてさて。
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春のこころは…

2016年03月21日 | 日々の暮らしの中で
彼岸会があったりで親戚筋の寺々はどこも忙しい。近い身内にはお参りいただき、義母の三回忌を勤めた。お喋りが好きで賑やかな人だったが、故人が親しくつき合いのあった方々はいずれも高齢ということもあり遠方からの来客はない。義妹のおしゃべりが目立つ程度で、和やかなお参りだった。


新聞を開く。朝のこの時間がとてもいい。

東寺の宝物館で春の特別展が始まった、と目に留まった。50年前の公開時に左手上の宝塔が盗まれた国宝が複製され、元通りの姿で公開されているとある。羅城門にあったと伝わる毘沙門天像。今日は弘法市だなと思い出していた。

と、目をずらすと、「永平寺」の文字が目に入ってきた。正門両脇の石柱に刻まれた文字から、明日22日の国連の「世界水の日」に話が及んでいる。
永平寺を訪れたのは、24歳の夏休みだった。同学年に配属されていた職員で「学年旅行」をした際の行程に含まれていた。出発は新宿駅。戸倉上山田温泉泊、輪島に行ったのもこのときだった。木立に囲まれた夏の永平寺が脳裏に蘇る。


                           (小野道風ゆかりの柳と伝わる柳。カエルではなく白鷺の姿が)

旅行会社のツアー案内、募集の広告が入っていた。日光東照宮・軽井沢・わたらせ渓谷、草津温泉や鬼怒川温泉名湯をめぐる3日間の旅があった。連れてって欲しいなあ。京都駅から特急サンダーバーで金沢へ。0番線ホームに止まっていた、あれだなと思い浮かぶ…。北陸新幹線に乗り換えて富山へ、か。いいだろうなあ。
亡き父が「いつかみんなで日光に行ってみたいね」と言ったことがあったが、そんな楽しみを味わうことなく逝ってしまった。小学校の修学旅行が日光だった。バス酔いがひどくて遠足も欠席することがあったが、日光いろは坂に目を回すことなく過ごせたことで良い思い出として記憶している。
ここのところ花見ツアーの募集も盛んだ。広告の裏も表もたっぷり楽しんで、これで終わってしまうのかもしれない、とも思った。

朝から強い風が家のガラス窓をガタピシ揺らしていたので、さぞや寒かろうとお籠りを決め込んでいたのだが、見るときれいな青空が広がっている。もったいない。昼からになったが東寺の弘法市をのぞいてみることにした。京都府内では月に50近い「手作り市」が開催されているらしい。京都に根付いているといわれる「縁日文化」、その代表的なものの一つになる。

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何時だか知らないけれど

2016年03月19日 | 日々の暮らしの中で

オーストラリアから帰って先週末、少し遅れたのですが息子のところへ気持ちだけの土産品を送りました。
「基本的に土曜・日曜は休んでいる」と以前言っていたもので、受け取りを日曜日にこだわって。日曜の朝はゆっくりしているかもしれないから午後の便がいいか…、などと思い遣りながら。とは言え、何らかの事情で再配達を依頼ともなりかねないのですが、いずれにしても「受け取った」のひと言はあるだろうと待って、日が過ぎて…。

少しイラッとしながら思い切ってメールをしてみれば、即返信があり「今スイスに出張で来ています」ときた。「受け取りました。ごめんなさい、バタバタしてて」と続く。スイスからは素早い返信だ。なんやの、なんやの!? どーなってんの。 もう、あきれたのでありました。で、それ以上な~んにも言わずにおいた。何やら少し腹が立っています。

どうやっても私が息子の身になることはできません。「昨日、今日と、校正が終わらなくて忙しい」という息子の忙しさを理解仕切れないのが本当のところです。それは、仕方がないのです。けれど、身に添うことならできそうです。そして、黙って身体を大事にと気遣い、願いながら見守っている。
見守っているつもりもいつしか立場は逆転するのでしょうが、こういうことは親子の縁を越え、ちょっとした心遣いの問題でしょう。

Jessieに借りて(バッグのポケットに入れて)帰った腕時計。ベルトの通し部分が切れたのでいらないからあげる、と言います。交換できるベルトがあればいいのに。まさかこんなピンク色をするわけにもいかないのですが、きれいな色です。正確に時を刻んでいます。

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怠け者と好色漢

2016年03月17日 | 日々の暮らしの中で
久しぶりの大阪行きだった今日。京阪電車特急で1時間余り、何度通過してもそのたびに風景や建物が新しく目に入る。見落としていたり、その時季だけのものとなる光景だ。この気づきは意外と楽しい。帰途、京阪三条で下車し少し歩くことにした。


夕刻5時半を回ってもコート要らずの陽気で、西日を正面に受けながら三条大橋を渡って、西詰めにある弥次さん喜多さんの像を眺めた。像の後ろ、橋下の河原では若者が音楽を楽しんでいた。三条河原と言えばかつては処刑地で、晒し首などが行われた歴史を持つ場所でもある。東海道五十三次の西の起点(と言っていいのか?)となる三条大橋、その西詰めに二人が立っている。

駿府でも五本の指に入る資産家・板面屋の一人息子として生まれた弥次郎兵衛。骨を折らずに設けることばかり考えている、怠け者だ。遊蕩三昧の挙句に店を閉じることになる。家中の金目のものをかき集めて夜逃げ同様に江戸へ出た。共に連れて行ったのが鼻之助。元服させて名を北八と改めるが、なんとこちらはすさまじい好色漢として描かれる。
色気と食い気が先立ち、失敗ばかり。旅は娯楽となって、笑いを基調に、伊勢参りは二の次だという二人の珍道中、『東海道膝栗毛』。
お伊勢参りを果たしたあとは京都にもやってきた。大阪や四国にも足を伸ばしている。
どこへ繰り出そうかと算段しているのだろうか。江戸時代、京でどんな風景を見、どんな失敗をしたのか。二人の顔からなんとはなしに笑いが誘われる。

愉快な紀行文が書けないものかしら…。二人に手を合わせてきたわけではありません。

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「老いは楽しむためにある」

2016年03月14日 | 日々の暮らしの中で

田辺聖子さんは、自分の「夢見力」が牽引力となって老いの身を支えてくれていると言っていた。
いつも好きなものを抱きつづけること、いつも愛する何かを身の裡にひそめ、それをじっくり温め、舌先で味わい、その味を育てようとすることで、自分だけの小さな蕾は、いつか、きっと開くと思う、と。
「老いは楽しむためにある。そう、思いたい」「憤りを発するのも、精神をリフレッシュさせてくれる人生のたのしみである。老いのたのしみは際限ない」とも言われる。素敵なメッセージだ。

たくさんの示唆、発見が詰まった『楽老抄』Ⅱ・Ⅲを読み返していた。良い気分になる。
私は今、自分の関心事を少し学んでみようとしている。充分にはできなくても、やがてそれらがどこかでつながり合う事を期待している。春だもの。

馬酔木の花を見ていると、このたくさんのおちょぼ口から盛んなおしゃべりが聞こえて来るような気がするのだけれど、なんと「小人の国の提灯」に喩えられているのを知った。賑やかにいろいろな声を聞くのも楽しいことだ。
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石山寺 梅つくし

2016年03月12日 | こんなところ訪ねて

新聞の「梅だより」を見ると、京都御苑、ニ条条、北野天満宮など満開だとあった。どうして二条城ではないのか、とかはわからないが、滋賀県大津市にある石山寺に行くことになった。こちらも満開だと知らせてくれていた。


2011年1月12日、立木観音に参拝した帰りに石山寺にも立ち寄ったが、それ以来。これまでに4回ほど参拝したか、いずれも冬の季節ばかり。

平安の王朝の女性たちは、任地へ赴く夫や親に同行したりしない限りほとんど京の外へ出ることもなかったという。物詣と称して、京の外にある神社仏閣に参拝することだけが旅をする機会だったらしいから、初瀬詣での長谷寺・石山詣でなどはその代表格だったのだろう。
朝早く牛車を連ねて出発、粟田道を通り、逢坂山を越えて昼頃に大津に着く。そして夕方には石山寺に到着、おおよそ二泊三日の滞在だったようだ。平穏であるだけに狭い体験しかない生活の息抜きをし、癒され、観音さまを心の拠り所とする女たちだったとされる。



今は車だけに、粟田道から逢坂山をいっきに越えて、大津の琵琶湖岸までは近い。そして膳所(ぜぜ)城跡公園をちらっと見て、瀬田の唐橋西詰めを過ぎ…、瀬田川沿いに走ればなんてことはない距離にある。


本堂前にかけては盆梅が並び、山内三か所の梅園は見ごろを迎えていて、広い寺域を道沿いにそぞろ歩いた。石山寺は「梅つくし」だった。
また、この18日からはご本尊の秘仏如意輪観世音菩薩が御開扉され、拝観できることを知った。33年に一度の年に当たり、12月4日までとある。日本で唯一の勅封(天皇の命によって封印される)秘仏なのだそうな。折を見て訪ねることにしたい。

日差しに恵まれ、気分転換にもなった。「結縁の紐」を手にして合掌…。
「しじみ釜めし」と記した旗が店先で風に揺らいでいる。よい香りが鼻先をかすめるのだけれど、今度いつかTylerがいたら一緒にいただくとして、今日はちょっと心残りのまま石山寺を後にした。
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けなげさに

2016年03月09日 | 日々の暮らしの中で

朝から降り続いた雨のなか、赤味を帯びた芍薬の芽がいくつも吹き出しているのに気付いた。十ほどの芽が散見できる。
硬い土も緩んでいるが、生命力の強さ、美しさにやたら感動してしまう。
咲いた花も美しいが、厳しい冬を乗り越えて地表に見せる赤色の芽には地中からの生きる力の解放感がある。

そう言えば、とふと思い出したのは、「土」という漢字の縦の線は下から上に向かって書くものだという榊莫山さんのお話。植物が天に向かって生えていく勢いをそこに見る捉え方には妙に納得させられる。
雪を分けて確かめた花の芽をみつめて、「一寸のたましいを持つ」と山崎方代が詠っている。

合評の3作品が届いた。しっかり読み込んで、気分もシャキッとさせたいものだ。
芽ぶきのけなげさに励まされ…、というところ。
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「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」

2016年03月07日 | 映画・観劇

2013年の2月に観た「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」。その続編となる「マリーゴールド・ホテル 幸せへの第二章」の上映が始まりました。
老後をインドで過ごそうとイギリスからやってきたシニア世代の7人。
ホテルがいつも満室なのは誰も出ていく人がいないからです。毎朝、若い支配人のソニーによって滞在者の点呼がなされます。夜中のうちに亡くなってやしないかの確認のために…。

いっしょに人生を歩む人を求める男女がいるなかで、「誰かと一緒に暮らしたいと思ったことは一度もなかった。一週間ともたない」と語ったのはミュリエル(マギー・スミス)ですが、このホテルに来て、彼女は決して孤独に生きているのではないことが感じられる温かさが心打ちます。「運命を支配しようとしてはだめ。身を委ねること。そうすれば楽しめるわ」と言います。
人には一人でいる権利があると同時に、人に出会い、つながって楽しむこともできるのです。恋の悩みや仕事の話、たわいない話を交わし、人と結びつき、助け合いながら暮らせる場所にマリーゴールド・ホテルがなっているのでしょう。

前に一歩進みたいがなかなか勇気が出ない。それでも、自分にその時間があるのならチャレンジしてみることを決意するイヴリン(ジュディ・デンチ)。
81歳の女優二人の表情の機微には言葉を越えて心に沁みるものがあります。
どの人も、それぞれの人生の瞬間を今が人生の一番幸せな時にしようと精一杯生きるのです。

インドの雑踏、結婚式の様子も印象的な光景ですし、ダンスのシーンはこれまた圧巻! ここだけでも繰り返しTylerに見せてみたいと思うほどでした。
そして、リチャード・ギアが現れたのにはびっくりさせられました。
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西陣 千両ヶ辻

2016年03月05日 | こんなところ訪ねて


京都御苑では桃のつぼみがふっくら!! 暑いほどの陽気です。
今日は、京都御苑内の中立売御門に近い食堂で友と待ち合わせ、お昼をいただきながらしばし歓談。梅は満開です。下照る道を散策しながら抜けて、西陣へと向かいました。

応仁の乱で西軍の山名宗全が陣を敷いたところというのが、「西陣」の地名の謂れだそうです。堀川より西、丸太町より北の上京の大部分を占める広い地域が西陣と呼ばれ、西陣織で有名な地です。今出川の大宮あたりがその中心になるとか。
そんな西陣にある町屋でお雛さまが公開されているからと、二人で拝見に向かったのです。ちょうど「千両ヶ辻 雛祭り展」が開催中でした。

江戸時代には一日に千両の商いがあったと言われるところから「千両ヶ辻」と呼ばれるようになったのだそうで、かつては織元、糸問屋、上仲買、繊維問屋が軒を連ねていた地で、銀行も多い一角です。その財力が、中京の室町とともに京都の経済を支えてきたと。低い家並みに虫籠窓(むしこまど)が美しい。


町屋写真館 水野さんで上がらせていただき、江戸後期、明治、大正、昭和後期の雛人形や調度品など楽しませてもらいました。
古い家具の上や箱階段を利用しての展示もあります。時代により衣装もお顔も異なりますが、もともと公家の文化から発展したという京雛です。衣装は西陣であったりもし、小物に至るまでが上質な素材で、かわいらしさも手伝い、細部にまで目がいきます。
最上段に宮中の内裏を模した御殿が組まれる御殿飾りのお雛様にもお目にかかれて、「良いものを見せてもらった」と言う友の言葉に共感でした。

町屋ではありませんが、屋内の造りには私のところにも似たりよったりの部分があります。吹き抜けの天井の下のおくどさん、荒神さんに布袋さん、古い流し台など物珍しくはありませんが、通り庭もスッキリ、坪庭も美しい整い方でした。古いものを上手に生かした工夫が心地よいものでした。

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梅匂う

2016年03月04日 | 日々の暮らしの中で

太陽の光が満ち、ふくいくたる香りが辺りを埋めています。甘い、少し重ったるい匂いが漂っています。

境内にはモクレンや泰山木、サツキなど、花をつける樹木がいくつかありますが、この梅の老木がこの場に最もふさわしい清らかさかと思っています。今、本堂の前で満開。わが世を満喫の風格です。白梅であることが、またいいのです。などとは、単に好みの問題でしょうか。

温かさで心身も緩もうかと、1時間ほどのウォーキングに出てみることにしました。午後2時半過ぎ、通りかかった道の電光表示によると、なんと気温20℃でした。どこへ行っても歩くことは多かったオーストラリア滞在中でしたが、改めてウォーキングとなるとどうも体にリズムがありません。足の運びにもぎこちなさを感じるから不思議。多くの場合はサンダルやビーサンでペタペタ歩いていたからでしょうか。

三寒四温を繰り返して春本番へ。何かすべてに乗りきれないでいる私の足踏みも然り。けれど、どなたのことばにありましたんでしたか、「悠々として急げ」とは…。
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ひな祭りを前に

2016年03月02日 | 日々の暮らしの中で
                                                   ネットショップより拝借

孫引きで恐縮だが、田辺聖子さんは『上機嫌な言葉366日』の中で記している。
「私は若い女の子の、ふっくらと血色良く、丸い顔が好きだ。とくに彼女の、厚化粧もしないのに、頬がほんのり、薄赤く染まってる、豊頬の美しさは、人生でほんの少しの期間しか持てない、若い娘だけの美しさだ。」(ひよこのひとりごと)

「若い女の子」。まだまだ若すぎる?ほど若い、この9日でちょうど生後7カ月になる姪っ子の娘が初節句を迎える。
帰国して3、4日になるが連日寒さに震え、思うように体が動かないままぼんやりしてしまった。今日は姪っ子宅に小さな包みを贈った。配達希望日に3月3日と明日の日付を記入したのがきっかけで、はたと目が覚めた。ラッキ~、間にあった! と思ったような次第。
2970gで生まれ、順調に育った娘。まんまるい大きな目を見開き、大きな口を開けて笑って、にぎにぎした手がぽっちゃり、の写真を見ている。夏に向けてますます活動的に動きも増すことだろう。替えの数になればと、真夏の国で選んできた服を添えてみた。色づかいも柄にも独特なかわいさがある。


これは昨年弘法市で飾られていた真多呂人形の弥生雛と言われるもの。幾代を経ても残る、このあどけなさ。

「かしこさ、聡明、というのは女の子にこそ必要なんじゃないでしょうか」とも言われる。その人しか持っていないかしこさが、平凡なものもユニークな美しさに輝かせ、何にも代えがたい魅力を生み出すと。(手づくり夢絵本)
健やかな成長を喜んで…。
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