京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「百歳ぐらいまでちゃんと…」

2012年05月31日 | 日々の暮らしの中で

日本初の女性報道写真家になるのだとか、笹本恒子さんのインタビュー記事を読む機会があった。大正、昭和、平成と生き抜いてきた笹本さんは97歳の今も現役のフォトジャーナリストとして、ニューヨークへ北海道へと飛び回っておられると。

「日々の生活では「ねばならない」という意識が大切ね」「いろいろなことから刺激を受けて、また新しいことにチャレンジしたり、希望を持つ努力をすれば、百歳ぐらいまでちゃんと生きていられるのではないかしら」「新しいことを勉強して覚えていく面白さに夢中になると、年をとるのを忘れてしまいますよ」「人生に遅いってことはないの」と語られている。
『97歳の幸福論ー一人で楽しく暮らす、五つの幸福論』『好奇心ガ―ル、いま97歳』 ガール、とはなかなか言いにくいものだが、こうした著書もおありに。

『見残しの塔』を書かれた久木綾子さんは、89歳で小説初デビューだそうだった。“構想に14年、執筆に4年”をかけての一大ロマン。椎葉の描写に心魅かれたのを思い出す。「年を重ねてきて、毎日がなお楽しい」と言い切られる清川妙さんも素敵だ。
チャレンジしたり希望を持つことの大切さを、教えられる。

ちっとも覚えないけれど勉強し出した「絵本で英会話」。ベッキー先生との時間は、日本についていかに知らないかということに気づかされる場になる。会話そのものも10学べば、さて… 3つ?2つか… インプットされるのは1つかなあ、こちらは2つもあったら大儲けと言えそう。なにせ続けることにエネルギーが要るのだけれど、「何かを始めるのに遅いということはありません」と心強い笹森さんの言葉もある。

さほど意識はなくても大きく生活に食い込んできていた熊野詣では終了した。気持ちも一新、同時に自分をすこし取り戻し落ち着きたい。
それは好奇心から始まった、などと、そんな言葉で新たな自分を振り返ることができるとしたら、嬉しいことだ。




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 虎耳、鴨足… さて

2012年05月29日 | 日々の暮らしの中で

「ユキノシタ」、ひょっとすると季語なのかと歳時記を開いてみると、夏の季語になっている。

花弁の上3枚は小さく淡紅色で斑点があり、下2枚は白く大きく垂れる、と説明されていた。教えていただいたように「虎耳草」と記されて、「ゆきのした」とルビがふってある。上の花弁のかたちが虎の耳似ということなのか。だが、虎の威を借りる、というには似つかわしくない花だと思うが。「鴨足草」の表記もあった。「満点星」が「どうだんつつじ」と知った時には美しい!と思ったものだ。歳時記の楽しさは、こうした表記の様々を知るところにもある気がする。

    低く咲く雪の下にも風ある日   星野  椿

正午前、暗くなってきたので洗濯物を取り入れた。埃の匂いが窓から入ってきたと思ったら、やがて、thunder and lightning 雷鳴と稲光。
thunder showerのイメージよりも、むしろ所によっては「thunder storm」、雷雨だったようだ。
話題に出てきた英語表現、こんな些細な言い回しでも使うときがない。そこで、知ったかぶりしてでもちょこっと挿入してみたくなるというものか。

やがては天候も回復。何を思い立ったか、ウオーキングに出ようと準備開始。ところが再び2時半ころから頭上でゴロゴロ鳴りだした。3キロほど久しぶりに汗を流し帰宅。真っ暗な中をひと暴れして去っていった。

さて、口をあけたこの写真は何でしょう。わぁ~~お、夏の季語になっています。「・・・・・引けばたやすく抜けるもの」星野  椿

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 「もうで餅」をひとつ

2012年05月27日 | 日々の暮らしの中で

朝から気温が上がっている。日曜とはいってもいつもと変わらない早起きだ。
こってり時間をかけて新聞を読んで、布団を干して掃除をしたり、なんてことのない片づけものなどしながら気ままに過ごしていた。

「いつも一緒にお使いに行っていたのに、今年はどこへも行きません」
年末の買い出しのことだと思う。よく母と二人でアメ横を覗くことがあった。古い母からの手紙にこんなことが書いてあった。嫁いで間もない年末、送ってくれた小包の中身についても触れてある。寒さに慣れていないのだから、肌着を重ねて寒くないようにせよとまで。
あ~~あ、なんかいろいろ話をしたいなあと、本当に久しぶりにそんなことも思った。

葉書きも手紙も、母よりも圧倒的に父からのものが多い。ほとんどが父からのものと言えそうだ。捨てられずに、クッキーの空き缶にしまってあるのだが、出てきたついでに開けてしまい、思わぬ時間をとられてしまった。けれど、これと言って何も用はない一日だから、のんびりしたものではあった。

橘曙に倣えば、「たのしみは… 大きなる饅頭を一つほゝばりしとき」
熊野速玉大社の門前で買って帰った「もうで餅」を冷凍庫から出して、頃あいを見て一つ頬張るおいしさ。
そうして、「熊野」の感想文を書きかけていた。これはこれで佳き一日に。

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 なんと器量よし

2012年05月24日 | 日々の暮らしの中で

あれまあ、なんとよいお顔。見てみるものです、撮ってみるものですね。清楚な器量良しでした。なんの花でしょう~。この葉はテンプラにしてもよいそうですし、歯が痛い時にこの葉を噛み噛みするのも効果があると聞きますが、いずれも試したことはありません。

振り返られることも少なく、ひっそりとしているのではないでしょうか。優しげでいて強そうです。これほどの美しい造形を思ってもいなかったユキノシタの花です。ちょっと背筋を伸ばしたくなる、「一輪の花の声」を聞く思いがしました。
ところで、この一文字。 
日本語補習校では、ひらがなの書き順を習うことはなく、書けることは前提となって授業が進められているのだそうです。「書ける」とは、単に形を作ることだけではないでしょうに…。

「わ」と「れ」と「ね」をよく書き間違えていた時期を見知っていましたが、これは、先日の、母の日のカードに書かれていたJessieの「ね」の字です。器用でしょう、どう書いてあるのかと、なぞってみたくなるおかしさがあるでしょう。ようまあこんな形を作るものです。でも、見つめる先に、彼女の笑顔が浮かぶ「ね」の字です。

花にも文字にも、それぞれに独特の顔がある。新しい発見は楽しいことです。
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 千載一遇の…

2012年05月23日 | 日々の暮らしの中で

熊野へのウォーキングツアーが終わって、ふくらはぎと太ももの筋肉痛に悲鳴を上げながらゆっくり過ごしていた。世の話題をさらっていたのは金環日食だった。にもかかわらず、私の心はよそにあった。新聞の文字に釘付け!胸は高鳴る。期間限定「奈良県寺社 秘宝秘仏特別開帳」に、バスの日帰りツアーの募集案内だった。

どうなってんの!?今一つ終わったばかりだというのに…。気持ちは飛びついていた。これはチャンスか?もしかしたら千載一遇、めったにないチャンスかもしれない。この機を逃すべきではないかもしれない。そうは思うのだけれど、どうしようか、と迷いも生じてくる。

金峯山寺までは、とても個人で日帰りの勇気がなく諦めていた。金峯山寺は、桜の名所・吉野山に悠然と聳え立つ役小角(えんのおづぬ)を開祖とする修験道の根本道場だ。国宝の仁王門平成の大修理勧進、秘仏ご本尊特別ご開帳。本堂の蔵王堂の巨大なお厨子が開かれて、過去・現在・未来を救済するという座高が7メートルに及ぶ3体の金剛蔵王権現にお目にかかれる、有り難いチャンス到来。この迫力。逃したくはない。二日迷って、考えて、参加することに決めた。やれやれの感だ。

最近なにかの機に「金峯山寺」という言葉に触れていたことに思い当った。京都国立博物館での「陽明文庫名宝展」でのことと思い出した。平安時代には金峯山参詣が貴族の間に流行していて、藤原道長がその山頂に埋めたという金銅の「経筒」が展示されていたのだった。思わぬことでつながりを得た。

唐招提寺、さらには法華寺の十一面観音菩薩立像の特別開扉とが含まれた一日コースになっている。

     若葉しておん目のしづくぬぐはばや
夏の日射しが照り返す境内の白砂を踏んで、母と歩いた日を思い出す、唐招提寺。ここでは御影堂の障壁が特別開扉があるようだ。



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 熊野本宮大社へ、ゴール!

2012年05月21日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
さわやかな初夏の陽気に恵まれた18・19の両日、念願だった熊野古道(紀伊路・中辺路)を語り部と歩くウオーキングツアーは無事に熊野本宮大社へと達し、終了した。同時に、那智大社と青岸渡寺、那智の滝、熊野速玉大社と合わせて参拝、「熊野三山」への参拝がかなうことになった。

 
  
【上・左はわらじ峠への上り。右は女坂の一部だが、実際は段差の大きい、急な石段をひたすら下った。全行程通して初めて膝に痛みが生じた。まだ早い時間帯だったにもかかわらず、左足を着地させる際、この先が不安になるほどの辛い痛みだった。下・岩上王子への男坂は通行止めのままで別ルートに。明るく豊かな緑を目にしながら先の見えない上りが続いたが、膝の痛みもなく、とにかく一歩を刻み続けるだけだった】

和歌山県ははるかに遠い。交通の便も良いとは言えないし時間もかかる。行ってみたいと思いながらも、はるかに南、その先は海という地の果てまでは面倒だった。絶好の機会と意を決したが、初回は土砂降りの雨の中、2回目には藤白・拝ノ峠という難所が待ちうけていた。おっ、雨で懲りたかと思ったけれど? この険しい山道にはギブアップするではないのか? そこかしこに宿る神は私を試したのか。な~んの、「挑戦」というよりも、1回ごとを楽しんで積み重ねることができた。行き交うたくさんの出会いに心を寄せて、語り部さんの案内を得て知り得たことは多い。

   
    
【上・左から、再びの下り坂を経て 中・湯川王子。 右・この先はこの日三つ目の急な上り坂となり、最もきつく感じた。言葉もなく黙々と三越峠の関所跡まで。ミンミン蝉が鳴いていた。きれいな杉の人工林は、根を張らずに地盤をもろくさせていると語り部さん。樹齢40年の“中途半端”な杉1本は300円にしかならないそうだ。間伐しても、腐るのを待つだけと。崩落現場の間を通ったが、恐ろしさを実感した。山中、かつての熊野銀座街だったか、人家の礎石が多く残っていたし、一升瓶が縁に置かれたまま朽ちつつある廃屋もあった。古い石の流し場、甕、浴槽、覗けば二層式の洗濯機もあると。きれいな田んぼがあった所もすべて杉が植樹されている。右・音無川沿いに下って猪鼻王子へ】
【発心門王子の鳥居をくぐって、いよいよ聖域に入った。勝浦温泉までバスで移動、夜は4人の相部屋を楽しんだ。早くから横になりおしゃべりしているうちに眠ってしまったみたい…。ひどい筋肉痛!】      

静かに、ただ照り返る海の輝きに目を見張った紀伊路は、陶酔の感ありだった。「緑の海」新緑の美しさ、5月の熊野を2度も味わった。濃くて深い緑が幾重にも連なる山並みは、情にさえ訴えかけてくる。息を切らし上りつめていく自分との戦いだったが、座り込んでいつまでも見ていたい眺望が待ち受けていた。黙々と声もなく歩く時、木の葉擦れの音はやさしい風を運んでくれた。


  
  
【19日、朝から温泉に入ろうと、かけておいた目ざましの時刻を上回る早起きになった。最後の一日に限りなく力を与えてくれるかのような日の出を、部屋のベランダから見つめていた。 上、左・朝一番に大門坂はこたえた。どこまで行っても段々道、石段続きだ。中・那智大社へ。右・鳥居をくぐってすぐ隣の西国第一番札所の青岸渡寺。下、左・そこから三重塔とお滝を遠望。その後、那智の滝、熊野速玉大社と参拝して、発心門に戻った。神仏習合の熊野の世界】

古来、多くの人が極楽往生を願い、蘇りを期してひと足づつ踏みしめた熊野詣での道。その上を自分もなぞりながら、常に試され続けていたのかもしれない。かつてない体験は、その1回ごとが非日常で新鮮だった。

  
  
【お昼は、高菜の漬物でくるんだ目を見張るほど大きな「めはり寿司」などのおにぎり弁当。毎回“前田のおばちゃん”の手作りで工夫され、味噌汁付き。おいしく頂いて、上、左・発心門王子を出発。中・水呑王子跡。右・緑に癒されながら伏拝王子を目指す。下、左・果無山脈の眺め。説明板によると、和田ノ森1049m・安堵山1083m・黒尾山1235m・石地力山1140mの連山を呼び、東西に18km、稜線は奈良県境となっているとある。中・右とも伏拝王子からの眺めだが中央は振り返った方向になる。右・中央より少し右寄りの白っぽく見えるところに、本宮大社を望む】
  
【左・三軒茶屋で合流している小辺路。この先は高野山へと続く 中・最後の上り 右・最後の道標は祓戸王子のところ。滝尻王子を1として、500mごとに建つ。山中で事故があった時など、現在地を知らせるのに役立つと】

 
一歩、一歩と、心を凝らして踏みしめながら歩かせてもらった。熊野古道は「触る道」と。素晴らしい体験をさせてもらった語り部さんに感謝。ここまで足を運べたことに感謝。感謝と共にゴールした熊野本宮大社だった。これにて終了…。
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 「じぶんの耳目 じぶんの二本足」で

2012年05月16日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
初日18日は那智勝浦町まで移動して一泊する。本宮大社までの7kmの行程は翌日になる。


「熊野三山」は、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社に青岸渡寺、補陀洛山寺(ふだらくさんじ)の二寺を加えた総称のこと。神仏習合の聖地熊野を目指す中辺路・大辺路・伊勢路の三つの道が「熊野古道」と言われる。

紀伊山地には熊野古道のほかに、高野山への参詣道・高野山町石道(こうやさんちょういしみち)と、吉野から熊野へ続く「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」の二つの信仰の道がある。この三つの霊場とそれらを結ぶ参詣道、そして、その周囲を取り巻く文化的景観が、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。

この文化的遺産には、「古くから神々が宿るとされてきた山々や川をはじめ、森林景観や棚田、集落など」が含まれているが、1200年以上にわたって遺されてきた信仰の山の伝統を反映しているからだ、と案内のパンフレットにはあった。

「道は一歩一歩あるくものである / 心を凝らして泥を踏みしめて・・・」 旅は生きることなのだから、あらゆる機会をとらえて旅に出ようではないか、そんな立松和平氏の言葉を励みにしてきた。ご自身も目にされた熊野古道を包み込む「緑の海」は、美しく映えていることだろう。最後の行程を楽しみたい。   

かつての御幸にならえば「熊野本宮―速玉大社―熊野那智大社」という参詣の順序はあるようだ。熊野本宮を残したままに、19日は、那智から「大門坂」を歩いて「那智大社・青岸渡寺」への参拝から始まる。そして、バスで「那智の滝」「熊野速玉大社」へ移動。参拝後、改めて発心門王子まで戻る。
さあ、ここで昼食を済ませたら、熊野本宮大社に向かって7km!! 
      発心門王子―「水呑王子」―「伏拝(ふしおがみ)王子」―「三軒茶屋」―「祓戸王子」へ。上皇たちはここで旅装を解き、旅の汚れを清めるために潔斎した。「熊野本宮大社」はもう目と鼻の先、あと3分! 大鳥居も間近に…。

はやる気持ちを抑えてゴールするのだろうか。足掛け3年!熊野古道ウォーキングツアーはここで終わる。・・・はず。自分の中で何をどう落ち着かせようとするだろう。

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 時機を待つ 

2012年05月14日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く

柔らかな雨を受けて、どのような花を咲かせてくれるのか。咲き急がないでほしい。さりげないたたずまいで時機を待つ、この蕾のままの姿でしばらくは眺めていたいと思える。愛おしいではないの!? 何気ないものは心地よく、気持ちの安らぎが生まれてくる。

2010年10月に第1回目が始まった。途中、台風やTyler誕生という出来事で中断もあって、結局二年半余という時間がかってしまった熊野古道ウォーキングツアー。最終回を目前にしてプレッシャーもあるが、それとは別に、漠然と自分の姿や心の内を思い描くし、心の奥深い所ではわくわくして仕方ないものさえ感じている。

前回の到着地「小広王子」から出発する18日の行程を、神坂次郎氏の著書『藤原定家の熊野御幸』などを参考にたどってみた。

出発後、「小半時がかりで草鞋(わらじ)峠をのぼりつめ」る。「かと思うと、次は谷底に転げこむような曲折の多い女(め)坂をまた小半時かけてくだり」仲人茶屋跡に出る。栃の河を渡ると、「その向こうには熊野街道最大の難所と言われる男(お)坂の険、岩神峠が待ちうけている」「小広峠と同じく、頭上から蛭が落ちてくるので蛭降峠八十丁と恐れられた」道で、のぼりつめると「岩上王子」だ。

そして、つづら折れの坂を谷川に沿って下っていくと「湯川王子」にでる。が、下って終わりではない。この日3つ目の急な登り坂を20分ほどかけて三越(みこし)峠へ向かう。ここは口熊野と奥熊野の境になるのだとか。登ってしまったから、下らなくてなはらない。左右を山に挟まれた深い谷あいの急な坂道を下って下って小一時間かけて、「猪鼻王子」に。
ここを過ぎれば、15分ほどで五躰王子の一つ・「発心門王子社」で、この日のゴール地となる。

土地の古老が「ホシンボ」と呼ぶ発心門は「聖域へ入る入口の門」。なんとしてもこの鳥居をくぐりたい~。どんな気持ちになるだろう。

ここから熊野本宮大社までは、なだらかな下り坂が中心で歩きやすく整備されていると説明されているが、翌19日の行程になる。
ギブアップ、…寸前、ということはなかった。が、重くなった足でバスに乗り込み、どっかと腰を下ろした回はあった。帰途、爆睡しない回はなかった。がに股歩きを余儀なくさせられたことがあった。でも、もう行きたくないと思ったことはなかった。
がんばろ~っと!!楽しみだ。これまでと変わることなく過ごそう。
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 五月の朝

2012年05月12日 | 日々の暮らしの中で

「五月の朝の新緑と薫風はわたしの生活を貴族にする」と、萩原朔太郎がいう。

言葉を費やすことなどいらない。ワンダフル!か、ビューティフル!か デリ~シャス!!…?? …彼の心の抑揚…、思い出す限りの形容詞を並べてみているが、まことにエレガントでゴージャスな気分が読む者に心地よく伝わる。
読む人を快活な気分にさせる、気持ちよさのある文章表現ができないものだろうかなあ。感性欠乏症には夢のようなお話。

「いと麗はしき五月の頃 恋はひらきぬ わがこころに」、ゲーテじゃないが、せめて心はうきたたせたいもの。「なべての莟 花とひらく」、本来なら最も良い季節。初夏らしい日差しに、かぐわしい風が吹き抜ける陽気の到来を願うところ。

        
柔らかな緑の木々を揺らす風は冷たい一日だった。複雑骨折をした知人を見舞う日となってしまった。
こういうときは孫の顔でも見ているか。
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 力ある風吹いてきて…

2012年05月09日 | HALL家の話
         
若葉色のやさしい木隠れでキャンバスに向かうグループを見かけた。池の対岸も様々な緑のグラデーション、この生命力あふれる新緑に心を落ち着かせつつも、じんわりと新たな力を得ている気がする。毎日この中を歩くこの頃、思いはただただ熊野古道完歩、夢の完結に向かっていく。

さる3日、小学校1年生に進級したJessieの学校でクロスカントリー大会が開催されました。昨年(8月3日)は、500メートルを走って2位に終わったJessie。「らいねんはいちばんになるようにがんばろう」と、つけ足すように日記に書いたのでした。

                  
          (右から左へ1・2・3位)    
今年は3位だったようです。リボンを胸に、2位は昨年1位のアニー。トップに輝いたのは新しいクラスメイトです。“途中でころんじゃった”、みたいです。500mを走る間には何があるかわかりません。だから最後まで走り通してみるしかありません。もうあと少しで抜けたかもしれないし、抜かされたかもしれない…、勝負は時の運、とばかりも言えませんが、終わってみなければわりません。

今年は父親も応援に。もちろんTylerも、きーきーと声を発しての声援だったようです。
楽しみは先送りがよい。今年はどう日記に書いたのだろう…。「しっぱいはせいこうのもとよ!!」 立派、良く頑張ったものです、Jessie.
「くま」、しっかり歩いてくるからね…。
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 端午の節句

2012年05月05日 | 日々の暮らしの中で
小学生のまだ小さな女の子だったが、自転車で勢いよく走り出してすぐのこと、ズズズズーッと横倒しに転んでしまった。あ~っと思わず見ていて声をあげてしまったが、「起き~っ!一人で」と後ろからお婆さんの声が飛んだ。半ベソを我慢してるのか、彼女のひと言が耳に入った。「ちょっと待って。えらいことなったわー」と。 起き上がった、強い強い。大した怪我もしていないようだった。

    
毎年、ご近所さんに鯉を泳がせる家がある。青い空になかなかよいものだと思うが…。

『東都歳時記』(1838年刊)というのがあって、それによると、出世の魚と言える鯉を幟につけるのは東都の風俗だとしているようだ。広重や北斎の浮世絵に見られる鯉のぼりは上方地域には見られない風俗だったということになる。
武士にとっての「出世」は、公家文化が根付く京の町には受け入れられにくく、早良親王の出陣にちなんで武者人形を飾るようになったという説があることなど、端午の節句における江戸と上方の差異がかつて新聞に紹介されていた。
けれどやはり五月の風物詩、悠大に大空に翻る姿は爽快だ。

日差しに恵まれ気温も上がった。子供もいない端午の節句、予定もないまま家で過ごしていた。特に何をしていたわけでもないが、窓から入る初夏の風を心地よく感じながら体を休めたよき一日だった。

飾り物の柏餅に歯型を残した我が息子は、どうしていることか…。
  
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 ひとつ屋根の下に

2012年05月03日 | 展覧会
近鉄奈良駅から東大寺を目指して、連休で込み合う人の中を歩いた。

 

表玄関は南大門だが、明治、大正期は人力車々夫が臨時でガイドをしていたらしい。そのために、仁王像を見上げて「右は運慶、左は快慶、ともに左甚五郎の作です」と、随分と変な説明がなされていたということが何かの書物にあった。ふっと笑えてくるが…。

露店が立ち並んだ先の左手に昨年10月オープンの東大寺ミュージアムが見えてきた。東大寺には宝物が数多くあるのに、これまでは展覧する施設がなかった。東大寺ですら…、不退寺の老僧が、観光振興のための政策や支援が行き届かないことを嘆いておられたのを思い出す。

国宝・法華堂(三月堂)の本尊・不空羂索観音立像の宝冠の修理(2010年から始まる)が終わって、宝冠は外したままの不空羂索観音立像と日光・月光両菩薩とともに公開されている。これを目当てに3人でやってきた。
私は、法華堂内で2度拝観した事があるが、ご本尊よりも両脇侍の菩薩像のファンだった。とりわけ月光菩薩の柔らかな祈りの姿に心惹かれるものがあった。正面の装飾品もすっきりと静かなたたずまいが好ましかった。

 
 
上段左・南大門、右・二月堂への道、下段左・二月堂、右・法華堂(三月堂)

額にも縦に目を一つ、手は8本、三目八臂という変わった不空羂索観音立像が今回はなかなか印象深く、とてつもない大きさで存在しているのを仰ぎ見た。古代奈良の都に暮らす多くの庶民は貧しい労働者であったはずだ。疫病もはやった。そうした庶民の苦しみをきっぱりと救いとる強い祈りの姿が感じられる。宝冠を戴き法華堂に入られたら、必ずもう一度参拝してみたいと思う。 

ミュージアムを出てからは東大寺大仏殿の裏手から二月堂・法華堂(三月堂)へと向かった。今日の一日を三人それぞれに文章にしてみようということになった。こんな試みは初めてだが、面白い、かな??
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 28の顔を持つ

2012年05月01日 | 催しごと
 

春の「京都非公開文化財特別公開」が始まっている。厄除け観音としての信仰を集める法性寺の秘仏、千手観音立像が公開された。法性寺は平安中期、関白藤原忠平が建立した藤原氏の氏寺で、広大な寺域だったという。


この千手観音の特徴は、頭上面の数にある。通常の十一面観音像では、頭上に10~11面だが、この観音には、中心の顔の左右に忿怒面と菩薩面の2面、頭上には2段に分かれて24面、その最上部に1面、合計28面がある点で特異な像だと解説された。
お厨子の中、小さな堂内だが正面近くから見上げても暗くて、顔つきは定かには見えなかった。穏やかな顔立ちだそうで、像高は109.7cm。桜木の一本作りというから、頭部も体部も掘り出しているのであって、寄木造りではないのだから素晴らしい。春日の作。

通常の入り口は出口になっていて、隣接した狭いガレージ内で列を作って受付の順番を待った。いったん途切れて、30分ほど後に再開。いよいよか、と思えば、更に控えの間で15分待ちして、ようやく拝観がかなうという有様だった。学生のたどたどしい説明を一方的に聞かされ、終われば次のグループと交代のためにせっつかれ、しびれかかった足で立ち上がらねばならなかった。わずか10数分、鑑賞するほどの間もないままに…。

今回、最も注目度の高い観音像だけに、特別かもしれない。知恩院の三門の公開は5月31日までだから、ゆっくり行くとしよう。
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