京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 浄土は黄金色の彩り

2015年11月26日 | こんなところ訪ねて

平成2年11月25日、母を見送りました。25年にもなります。
まだ父も健在で、私は二人の子供たちを連れて実家に戻っていたため、父と一緒に最後の最後まで母の傍に寄り添って…。近くにいて、日々細やかに両親を気遣い支えていてくれた弟が、たまたま自宅に戻ったその合間のことで、母は息を引き取りました。
母を思うとき、この頃思い出すシーンのほとんどが、この病院で看取った最後の時間です。母が懐かしい、「懐かしい」のひと言です。一緒に過ごす時間があまりにも少なかった、と思えてなりません。昨日は東本願寺にお参りしようと思いながら諸用があって時間がとれず、一日遅れて参拝してきました。

                   阿弥陀堂から、北隣に御影堂


東本願寺では21日から報恩講が勤まっていて、この期間中には修復中の阿弥陀堂内部が公開されています。
「浄土の世界を表すというお堂の中心空間の内陣は、天井から柱まで全てに金箔が押され、黄金色のまばゆい光を放っている」と新聞記事にあったそのまんまの荘厳さ。すごい! 感想とは言えない感想ですが、ただ「すごい!」
この機会を逃せば絶対に立ち入ることなどできない外陣にまで進んで、内陣の天井から壁面、柱…をじっくり拝見。
「横30m、奥行き10m、高さ 8m」「本間を中心に3室あり、約11センチ角の金箔約30万枚(約7.5キロ)を使用して床面以外を黄金色に彩った」とも書かれてあります。御本尊は隣の御影堂に安置されていて、来年の3月31日にお戻りとか。なので、須弥壇の上の空殿にはただ今ご不在。

この末の報恩講を目の前にして、しばらくはちょっと気張らないといけません。

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「観音の里めぐり」3 - 賑わう「隠れ紅葉スポット」

2015年11月23日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて
日曜日(22日)、地元のボランティアさん同行で「奥びわ湖・観音のふる里と隠れ紅葉スポット散策」を楽しんできました。JR長浜駅10時出発です。静かな湖北の山里、盛りを過ぎた紅葉が装う道を歩きました。ほんの少し。

まずは高月にある渡岸寺(どうがんじ)観音堂で、あの十一面観音立像との対面。ここでガイドをいただいた方の穏やかで品のある口調も心地よく、何やら観音像へのいっそうの親しみが増した気分でスタートしました。
連休とあって人の出でも次第に増え、狭い道は車で渋滞です。先の読めない列に加わることを避けてバスを下り、石道寺(しゃくどうじ)-鶏足寺(けいそくじ)-己高閣・世代閣(ここうかく・よしろかく)の順で、当初の予定とは逆コースで歩くことになりました。再訪、再再訪…となる場所も含まれていた中、これによって、山裾に、石道寺の小さなお堂を眺めながら歩くチャンスが訪れたのです。


前回ここを訪ねた4月22日は、小型のバスでお堂に近い場所で下りたために周囲の様子はさっぱりでした。

             春先に
薄暗く小さなお堂。春夏秋冬、唇に朱を残し、右足の親指を小さく上げた、村娘のようなかわいさで讃えられる十一面観音がたたずんでいるのです。長い年月、大事に守り続ける村人、見守る観音。愛しいお堂にさえ感じられ心に沁むようです。


石道寺を下に見て、山道を上って鶏足寺へと進みます。写真で見るだけだった鶏足寺の散り紅葉の美しさをこの目で! これが今回のエスコートツアー参加の主目的でした。が、この人の賑わいでは…。


檀家もなく無住のお寺は朽ち果てるばかりだったという鶏足寺。散り紅葉の敷かれた長い石段道の先に建っていたお堂は、村人の手で再建されてまだ新しいようで、本尊の十一面観音は少し離れた己高閣に安置されておいででした。参道の両脇には大極殿や僧坊などの跡を示す碑が多く建ち、一般人が往来するための石段が別に参道脇には設けられて残っているのです。立派な、力のある寺院だったのだと偲ばれます。


ヒガンバナではなくトウガラシの赤い実が畑で目を引く初冬の里を、己高閣・世代閣へ…。

歩く楽しさを感じた好き日。ウォーキングツアー参加復活をしてみようか…、そんな思いもチラリと芽生えたのでした。



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 大阪城も灰色の中 

2015年11月19日 | 日々の暮らしの中で

今日はおよそひと月ぶりに大阪へ、おベンキョ―でした。
まる一日半ほど降り続いた雨は今朝には上がって、ほっとしたものの“一日夕方”で、時間の感覚が鈍りました。
出がけ前、高いところのものをとろうと身近にあった椅子を利用して上に乗ったところ、キュッとわずかに動いた。それもそのはず、回る椅子。椅子ごとこけて頭を打って、…そのせいでの感覚の鈍りではありませんが。低く垂れこめた雲が晴れることはありませんでした。
頭より、ふくらはぎ上部に椅子のどこかが当たったらしく、いたいいたい!

大阪城がこんなところに。灰色、グレイな?日でした。
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 冬の初めの通り雨に虹

2015年11月15日 | 日々の暮らしの中で

11月15日、龍馬命日。虹がかかりました。

【坂本龍馬と海援隊士をかくまった材木商「酢屋」】で30日まで龍馬追悼展が行われていますが、この日は店の前に祭壇が設けられます。
これまで2度ほど訪ねたことがありますが、その帰り道に2回とも北の空に虹がかかるのを見ました。

今日のこの虹はウォーキングに出たときに見たものです。青空だったのに途中で時雨に合って、国立京都国際会館の後方に虹が出ました。
時期的にも時雨やすい気候なのでしょうが、今日は龍馬の命日であることを思い出しました。誕生日でもあり命日でした。



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 「豪華な秋の贈り物」

2015年11月12日 | 日々の暮らしの中で
東本願寺に行く用事につき合ったあと、渉成園をひとめぐりして帰りました。
江戸幕府三代将軍家光から土地の寄進を受けて成立した渉成園は、東本願寺歴代宗祖の隠居所として、また東本願寺の「迎賓館」として機能してきたと言われます。


ひときわ目についた銀杏の大樹ですが、樹高は18メートルだそうな。青い空に、ものすごい数の黄葉がかがやいて、美しいです。まさに「豪華な秋の贈り物」の一つ。折よく目にした光景を、1枚残しておきたいなと思うのです。


東本願寺は駅近く。京都タワーが見える中央奥が京都駅です。駅前から清水寺方面に向かうバスには長い長い行列ができていました。
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 「ミケランジェロ プロジェクト」

2015年11月11日 | 映画・観劇

久しぶりに観た映画が「ミケランジェロ プロジェクト」になりました。、数ある中から何を選択するか、そこに人の嗜好の影が映り込んでしまいます。丸見えだったりすることも…。いずれにしても8月30日以来、食指が動いた一作でした。

『ナチ略奪美術品を救え、特殊部隊「The Monyumennts Men」の戦争 』という原作があり、映画の原題には特殊部隊の「The Monyumennts Men」がとられています。ドイツ軍が略奪したヨーロッパ各国の美術品を奪還すべく、特殊部隊 Monyumennts Menが組織されます。第二次戦争下、上層部は誰もこの作戦の成功など願ってはいない、という中で7人が立ち上がります。

貴重な文化財や美術品が数多く破壊されたり燃やされてしまったり。略奪品は鉱山、銅山にも、あのノイシュバンシュタイン城にも隠されます。隠し場所を突き止め、奪還に命をかける。二人の尊い命が犠牲になって、人の命よりも貴い美術品があるものかと問いかけられますが…。
文化財は人間の営みの歴史。命を賭けて守る価値はある、と答えは示されます。
ナチにより、戦争で滅んでもやがてまた必ず人は増える。その時に自分たちの文化が何も残っていないことの絶望の大きさを語っていた。それはすなわち文化財の持つ価値を突きつけるもの。セリフが強く心に響いた箇所でしたが、ここにそっくり引用することができずにザンネンです。覚えてなくて…。
見事なまでに略奪したナチの暴挙。しかし彼らの働きで数100万点もの品が返還されとか。彼らはこうした形で、「戦争に参加」したのでした。
実話に基づいて、ジョージ・クルーニー監督、脚本、制作、更に出演の作品です。
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 雨にぬれて、冬立つ日

2015年11月08日 | 日々の暮らしの中で

あらたのし、小雨そぼ降る冬立つ日になりました。温かく感じる静かな日曜日。
ここのところのウォーキングが順調なのに気を良くしていて、今日も雨が上がったわずかな間に外へ。

順調と言えるのは、歩数を6000歩半ばで抑え、1週間に歩く回数を増やそうと作戦を変更した成果かもしれません。出るのは午後遅め。ウォーキングに疲れ、夜の時間を居眠りで終わらないようにしたい。それなら、とアドバイスを得て、珍しく素直に試しているのです。
これがまた順調で、調子がよい。歩数は減っても、コースとかける時間は以前とほとんど変わらない。ということは、歩幅を大きくしているわけです。消費カロリーが大きくなると小耳にはさみ、これまでも大股でしたが足の大きさ一つ分更に大きくしてのウォーキングです。いい感じで終われます。

今日は折りたたみ傘を携行。けれど、実際に使うようになって、切り上げ引き返しました。雨の中を歩かんでも…と。調子のいいこと言いながら、簡単に意思はくじける始末ですが無理しないのだ~という具合でやっていくのです。いつになっても習慣化できない者が、そう決めたのです~。それでも5600歩ほどは歩けていたのでした。
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 「天台聲明の夕べ」

2015年11月06日 | 催しごと

【天台聲明の発祥の地魚山(左京区大原)で学ぶ「大原魚山塾」の僧侶たちによる聲明】と【縦横無尽に「打」を音に変える打楽器奏者・スティーブ エトウと透明感あふれる音色の篠笛奏者・佐藤和也】とがコラボレーショした、「天台聲明の夕べ」を楽しませてもらってきた。7回目になるのだそうな。
今日の聲明公演は「涅槃講式」と言って、釈迦が涅槃に入ったのを讃嘆する法要「涅槃会」で勤められる聲明なのだとか。いただいた式次第や解説が記されたパンフレットを読んでみるが、どうしてどうして難しくて、ご紹介するに正直なところ要約もかなわないでいる。

日本音楽の源流とされる聲明。そこに何の違和感なく美しい篠笛が響き、打楽器が邪魔にもならずに入り込んで、ひとつの世界を形成。聞き入る心を異空間に遊ばせてくれるような…、素晴らしい、本当に素敵なひとときだった。
私には聲明だけでは単調だったかもしれないところに、篠笛と打楽器が加わることで心に響くものになった。


たくさんの人にぜひ!とお薦めしたいが、このセッションは今日この時間だけのものだろうから、となれば、この機会を得たことはなんて素敵なこと! 篠笛のメロディー、音色の余韻に浸っている。一人酔い心地で、申し訳ありません…。
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 キックにタックル?

2015年11月04日 | HALL家の話

五郎丸さんに続けと?? ではありませんが、4歳児Tylerはフットボールでこうして父親と戯れています。




身体を張って父親と、楽しそうです。「あのぼっとしている子が、案外すばしこくて笑える」とは母親です。父親は尻もちをついたりして、真剣!?

ときの人、五郎丸歩さんですが、ラグビーワールドカップでの活躍までお名前も知らずにいました。この度、ブリスベンが拠点の世界最高峰リーグ「スーパーラグビー」のレッズに加入すると聞いて喜んでいます。娘の夫にはお気に入りのフットボールチームがあって、ユニホームを着た子どもたちを試合観戦にも連れていってるようです。Jayはこのニュースを知っているの…かどうか。娘には話をしたので伝わるでしょう。私にはラグビーとフットボールの違いもよくわかりませんが、ブリスベン拠点のチームとなれば親しみもわき、いっそうの活躍を期待します。

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 「芒澄む…」

2015年11月03日 | 日々の暮らしの中で

文化の日。何の予定もなく、約束もない。家で一つことに打ちこめる日になった。日差しも陰りがちだったが、夕日を背に1時間ほど歩く。背中がぽかぽかと…。   芒澄む人を遠しとおもへる日   岸秋渓子

         今年はHall家の日本への帰国はない。
1月いっぱいはJessieの小学校も休みなので来るように誘ってくれている。息子にも声を掛けたところ「善処します」とあってから、2週間が経った。航空運賃は日によっても変わるので気が気ではない。休暇を取るためのやりくりも難しいことだろうと思い遣ってはいる。来年のことだし、尚更に。まあでもこの際行きだけでも一緒にと、少し強く誘ってみているのだけれど…。

     
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 「十夜法要」 知恩寺にて

2015年11月01日 | 催しごと


古本まつりをのぞいてこようと出かけた先は浄土宗のお寺、左京区にある百万遍の知恩寺。秋は毎年ここの境内で開催される。

参道の左手奥の店から見て回ろうと決めた。ところが半分近くも見歩くと、あまり期待できそうにない、不思議とそう感じるものがある。気分が乗らないでいると、むしろ大堂から聞こえてきていた読経のほうが気になり始めた。大勢の僧侶によるものだ。何かお勤めでもあるのだろうかと大堂に近づいてみたところ、折しも午後から「十夜法要 秋の集い」が営まれるのを知った。
お参りしてこようと上がらせてもらうと、リハーサルのようでもあり、節回しの細かなところを確認し合う場面もあって、結局30分ほどそのまま様子を見せていただいた。

午後1時から、奈良の明日香の寺から来られたというご住職の法話に始まり、「十夜法要 秋の集い」は、聲明による古式法要、諷誦回向(ふじゅえこう・亡き人の追善)と続き、百万遍念珠繰りで終わった。見事な声量、抑揚、節回しのなんと美しいこと。心地良さの中で耳を傾け、無心に心委ねる…。どこか違う世界に引き込まれそう?…。聞かせてあげたい人がいろいろ浮かんでくる。

思いがけない機会に巡り会える幸せには、ただもう感謝。こうした喜びごとを幾度も重ねながら、身の内にささやかな力を灯し、長い道のりを生きていくのだろう。今週はいま一度、天台声明の公演を間近にする機会を得ている。南無阿弥陀仏、お念仏申さねば…。

「念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともがらに同じうして、智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」(法然上人御遺訓「一枚起請文」)



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