京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 5時から… 5時までに?

2011年07月29日 | 日々の暮らしの中で

      青々と茂る夏木立。御苑内を吹きぬける涼しい風に居眠りが誘われます。

「緑陰に憩ふは…」女三人。この夏、三人でそれぞれが推薦し合った直木賞作品を読もうと計画したのでした。読み直しということもあります。それぞれが持ち寄った作品は…。
九月まで計画延長なんてことは容易に想像できますが、寝る間を惜しむかしないと難しそうです…。

私は宵っ張り、夜行性の枠から抜け切れません。朝はぼーっと…ですので、「朝活より夕活」の理屈にすがろうとするわけです。
夕方から眠る前までが体温が高く、従って一番思考力や活動力が増すという時間帯をうまく利用したいと言うわけです。血流もよければそれだけ脳もよく働く、そこにすがるのです。
ですが、眠気が最も少ない時間帯だというにもかかわらず、どうやら落ちこぼれです。私の食後の居眠りはなんなのでしょう。

夕方の忙しい時間帯、おまけに夕食後の居眠り…、これでは「5時から女」にもなれません。ではどうしたら、やはり寝る間を惜しむ?
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 高野山

2011年07月27日 | こんなところ訪ねて
      
麓とは10度の差。ハスの花をイメージするかのような、八つの小山のような峰々に囲まれた地が高野山なのだそうだ。“七つの世界遺産めぐり”に惹かれて26日は高野山へのバスツアーに参加してきた。

        奥の院へ
        金剛三昧院

①奥の院―赤松院(秘仏公開、法話、特別祈祷、精進料理で昼食)―宝善院(高野山最古の庭園見学)―持明院(四国西国お砂踏み体験)―②金剛三昧院(本尊特別公開、国宝の多宝塔見学)―③金剛峯寺―④徳川家霊台―⑤壇上伽藍―⑥大門-⑦高野山町石道(説明板を読んだだけ)

短時間で多くを巡り、記憶はごちゃごちゃになるし、行ってきました・見てきましたの感は拭えない。それでも初めて足を踏み入れた高野山で、点在する塔頭寺院の多さ、伽藍やお堂を始め建造物の大きさ、警察、町役場、病院に大学… まさに「一山境内地」、高野山全体がひとつの寺という認識をすることにはなった。
        金剛峯寺

左手に豊臣秀次切腹の柳の間。なにやら厳粛な気分に誘われもする奥の院だが、物見遊山的楽しみが勝ってしまう団体旅行だ。杉木立にヒグラシの鳴き声、そして「つめて、つめて!後ろをあけて!」と高野山の案内人の大声で説明が流れる。まくしたてられて、右から左…。でもちょっとだけメモを忘れない私だ。
「有りがたや高野の山の岩陰に大師はいまだ在(おは)しますなる」 道長が詠んだと伝えられる。岩陰にそんな気配を感じながら歩いてみたいものだ
         西の入り口 大門

むこうから来る僧衣姿の若い二人とすれ違って、厳しい修行の場なのだなと現実に引き戻されたような遺産巡りの瞬間だった。
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 齢は重ねたけれど

2011年07月25日 | 日々の暮らしの中で
あまり大きな声を出すのも恥ずかしくてですが、
これまではどちらかと言えば素通りしてきたジャンルに、今になって興味を感じ出した自分がいます。言葉を練りながら… などと言う以前の段階でアップアップしているわけですが、そうした推敲の作業を案外楽しんでいることにも気づかされています。

ただ、いつまでも自己満足の域では進歩は望めません。だからと言って、やはり恥ずかしくて一人ボチボチ…。イヤイヤ、やはりそれでは意味がないのです。
そんなこんな、先行きの不安は尽きずですが、イタズラに明日を思い煩っても仕方ありません。こっそりベンキョーさせていただいております「センセイ」に感謝しながら、まだ埋もれている自分を少しでも掘り出してみる一年にしてみようと思うのでした。

いずれにしましても恥ずかしくてはっきり申せません。でも、気持ちだけは本気、です。こうして書きながら自分の気持ちを確かめています。

今日はひとつ齢を重ねました。
これまで生きてきた人生を大切に、明日からも淡々と、目立たぬように埋もれないようにと過ごしていけたらいいと思うのです。


 母親が呼ぶ「お母さん」をそのまま真似ていつまでも「おかあさん」と。Jayも「Okaasan」と言いますので私は「おかあさん」さん?
Jessieからの手紙も届き、Jayは花を贈ってくれました。忘れずにいてくれたことが嬉しい。
そしてわが息子は… 今年もまた…。
あれもこれも、あまり大きな声では言えないことばかりでした。

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 またひとつ・・・

2011年07月24日 | 日々の暮らしの中で

いつだったか、蝉の抜け殻の種類から自然度を調査していると新聞が報じていた。
京都での定点観測の結果では、シャアシャアシャア…とあのかまびすしき鳴き声の主の数は減っていると指摘している。

寺の大門を入ったすぐ西に泰山木がある。高木の太い幹には縦列で、数珠つなぎの有様で、よく見れば幹のぐるり至る所に爪をたてたままの抜け殻が見つかったものだった。根元の地面には穴が開いていて…。あれほどいたのに、それがここ数年以上にわたってほとんど見られない。
あちこち探し回った。阿弥陀如来に見守られた梅の古木、中はすっかり空洞化してしまったが、こんなところからこの世に姿を現したものがいたようだ。

青白く燃える霊魂が大屋根を這うように移動して本堂の中へ消えた、かつてそう話してくれた人もいた。出たり入ったりと現世は多忙だけれど、阿弥陀さまはいつも穏やかに迎えとっていてくださるだろう。
またひとつ、母の年齢に近づいていこうとしている…。

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 「デンデラ」

2011年07月21日 | 映画・観劇


「めでてえな」と男の声。
70歳になったカユ(浅丘るり子)は山行きだった。
画面は、死装束を身につけたカユが、降りしきる雪の中を姥捨山へと仰向けに背負われたまま、無言で山深く入っていく姿を捉え続けていた。合掌して男が去ると、運命と受け容れているのかカユは「極楽浄土へ、極楽浄土へ」とつぶやき出し気を失ってしまう。

命を助けられたカユは、そこに30年前に捨てられたメイ(草笛光子)によってデンデラと呼ばれる共同体が築かれていることを知る。顔見知りや親しかったものたちが生きていたのだ。カユでちょうど50人。家族のために生きてきて、村や家族を救うためにと捨てられた女達は、村を襲撃する準備と訓練を重ねていた。
女達の形相はすさまじい。それを見ながら、復讐心に燃えるメイは言う。「他の多くのものにとっては本当は復習などどうでもいいのだ。何か目的があったほうが生きることは楽しい」と。

五日後に村襲撃を控え、熊に襲われる。目を背けたくなるような何度かの熊との格闘、さらには雪崩に巻き込まれてと、メイをはじめ多くの女が次々に死んでいく。熊を捜しに出たカユだが、雪の斜面を駆け下りたその先は…。そして、熊を目の前にして「…結局どっちが勝ったことにるのだ?」の一言でエンディングとなった。どう解釈しよう…。

デンデラで暮らしながら「死にたくはなかった」「生きていたいと思った」と聞こえるつぶやき。
メイは言っていた、「ここにいる者たちは捨てられたことで一度死んだ。けれど、ちゃんと死ぬためにもう一度生き返ったのだ」と。いくつかの言葉が頭に残っている。

『デンデラ』、生きようとする執念や力強さにあふれ、手に力が入りっぱなしの映画でした。




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 それぞれに

2011年07月20日 | 日々の暮らしの中で


昨日、何の番組だったか、テレビで八幡平に咲く白く美しいキヌガサソウの花を見る機会があった。思い出したのは、6月の熊野古道ウォーキングの際に、山中の足元に群生していた花のことだった。心惹かれながらも写真を撮る余裕もなかったのだ。

何枚かの写真を見て、これかっ!といったんは納得。喜んでは見たが、どうも花びらがすこし違う…ような気がしてくる。葉もだ…。

 

偶然目に留まったミツバオウレン。鬱蒼とした山道で、この写真のようにスクットした茎には気づかなかったが、こちらのほうが近いだろうか。花びらのように見えるのは花弁ではなくガク片だと知った。あの時にひと言聞いておきさえすれば…。

  「それぞれに特色あり 花のやさしさ 雑草の強さ」
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 「畳の上で…」

2011年07月18日 | 日々の暮らしの中で

「海の日を畳の上で…」

山鉾巡行を終えて京の街全体の気温が下がったのではないだろうか。落ち着いた静けさが戻り空気も薄くなったような気配を感じたのも、涼しい朝を迎えたせいだと思う。

本を読んだり、冠題の「星満天」に付句を付けてみようかとイメージを膨らませてみたりしては、うとうとうとうととして過ごした。
5月に友人と訪れた義仲寺では、ドウダンツツジの白く小さな花が周囲の新緑に映えてかわいさを増していた。きれいな「青空」と「満天の星」、即興の一句の言葉の取り合わせを思わず笑いあったことなど思い出していた。

久しぶりの雨音を歓迎しながら、強まってきた雨脚の中、朝顔を覗きに出たところがご覧の通り!だった。7月5日以来の待ちに待った2輪目のつぼみが明日に備えているではないか。いっぺんに気分がシャン!と。

人真似で、素人が大きな花を咲かせようとイタズラに手出しをしたせいか、かわいそうなことをしたものだと悔やみの連続だった。
明日の朝は雨かもしれない。鉢植えなら雨を避けることもできようが、どうか大きく開いてほしものだ。寝て待つしかないことだけれど。
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 無病息災で

2011年07月16日 | HALL家の話

祇園祭山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾のミニチュアが小さなガラスケース入りで土産品としても売られている。
実際に祭りを見たこともない頃から実家の人形ケースの隅っこにそれは置かれていて、父の一代ずっと、ほとんど場所も変わることなくそこにあった。子供心に美しいと思った記憶もある。京都に住むプライド高く自慢しいの、ちょっとイケズな伯母が送ってくれたものだ。優しい話好きの伯父と伯母とに案内されて見歩いたのが最初だったが、巡行を見物したのはそれよりもっと後年、二十歳も過ぎていたと思う。

祇園囃子の笛や鉦の音を耳にしながら、今年も無病息災を祈ることにしようか…。


12日から学校が始まったJessieだが、少し風邪気味らしい。
母親が洗濯物を取り入れている間に、写真と絵と折り紙とで「Show and Tell」の準備にかかり出したそうだ。自分の発表材料なのだから… でも…、やっぱり… 「あれ~、まがってる!」となる。
だが、母親が「まあいいか~」と言えば、「ま、いいっか」と、軽くのりあう迷コンビ。涙もなく一件落着の模様だ。名前入りのウチワと時の記念日に手作りした時計を持参して、14日に終了。まではいいのだが、いったい何を話したのだろう…。

  

デザートを作って。
その晩の日記:「(夜の間に)マミィちゃんぜったいにたべないでね」

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 阿弥陀仏のおやすみなさる…

2011年07月14日 | こんなところ訪ねて
昨日は久しく忘れていた月の美しさを堪能していた。十三夜だった。今夜も何度も見上げる夜空だが、街灯や家々の明かりが邪魔をする。湖岸の灯りが目に入るとは言え、やはり大きな闇に包まれる琵琶湖。季節は違うが、芭蕉にこんな句がある。
    
        鎖(じょう)あけて  月さし入れよ  浮御堂

元禄4年の中秋の名月の翌日、十六夜に月見の宴をして詠んだ句だとある。


琵琶湖西岸を北上した堅田の地で、湖中に突き出すようにして立っている浮御堂。山号は海門山満月寺、京都の大徳寺に属する禅寺で、古くから湖上を往来する船の安全を祈ってきている。


お堂の扉は開かれ、源信僧都が自ら刻まれたと言う「阿弥陀仏一千体」が安置されている。


琵琶湖大橋が架かり、ここは琵琶湖が一番くびれたところとなっている。お堂脇の湖中に白い杭が見えるが虚子の句が記されている。「湖も この辺にして 鳥渡る」

美しい山容の近江富士が目に付くが、首をぐるりと巡らせば近江八景にまつわる風景を一望できるそうな…。「比良の暮雪・堅田の落雁・唐崎の夜雨・三井の晩鐘・粟津の晴嵐、瀬田の夕照・石山の秋月・矢橋の帰帆」と。


お堂の周囲を青黒い藻が囲み、立ち泳ぎしているように揺らめいている。ひさしが日差しを避けて心地よいこと、涼しい極楽の風が吹く。母を案内し四歳だった息子を連れて初めてここへ来たのが、26年前の5月だったと記憶する。あの時、扉は閉ざされていた。そんな話を受付の女性と交わしていたら、「誰もいないからゆっくりしていってください」と。
Jessieが帰る前に泳いだ琵琶湖はここからまだ北になる。あの日は素通りしてしまった。

        しろがねに月輝(て)る湖辺(うみべ)を北に向き
                               彼の花電車いづくに行きにし

昨年なくなった河野裕子さんが歌われている。千体の阿弥陀仏がお休みなさるお堂に、月明かりは優しいことだろう。今夜も月がきれいだ。
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 予定は未定…

2011年07月12日 | 日々の暮らしの中で

筋書き通りにはいかないのが嬉しいときもある。35度の予報が外れた。
朝から黒い雲が空を覆い、日差しは弱い。午後一時ごろになってパラパラとほんのいっとき雨になったが、それも埃くさいにおいを立ち上げただけで終わってしまった。

いったんは、本を読んでゆっくりしようと思ったが、こんな日にこそ動いたほうがと方向転換。汗をかきかき午前中はあっという間だった。
昼からは本を読もう、そう決めていた。ところがだ、エアコンを入れる必要もなく過ごせるのだから、昼寝をするにも心地よい。

夜になったがどうもペースは変わらず、じっとドラマ漬けになっていた。
録画してダビングして、はるか南半球まで送ってやらねばならない。今夜から始まる新番組『絶対零度』が希望のリストに入っている。あれもこれもと面倒で、たまには「忘れちゃった!」としてしまおうか。続く『バチスタ~…』まで見てしまった。オモシロカッタ。
今日は特別過ごしやすい日だったから…、理由にもならないいいわけをして読書も後回しになった。

       そのうち処分を… 今年限り。
処分してくれと置いて帰ったJessieの靴。5ドルで買ったらしいが、洗ったらすぐ中敷がめくれる始末だった。幼稚園に通うのに履いていた。捨てるのも惜しく、きれいに洗って残してある。今度来た時に履けるわけではないのだけれど…。こんなものとっておいたのかとあきれられるだろうか。捨てようか?捨てられなくて悩んでいる。
  
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 ストレス…

2011年07月11日 | 日々の暮らしの中で
初めて耳にしたとき、何をテストするのだろう、多くの被災者の様々な原因から生じる心労の変化などをどう測ろうというのか、測りきれるのか… などと至らぬ低次元のところで思いは留まっていた。

『原発の「耐性評価」』と表現してもらえたら、字面からまだもう少しましな意味を探ったことだろうに。もっとも、日本語で言い換えたところで、知識のない者がそう簡単に理解できるかといえば、そうでもない。
「ストレステスト」、こうしたカタカナ語はあふれている。

『「レスペクト」と言う言葉を使う人間だけはレスペクトできない』と笑いながら指摘される方がいたが…。
カタカナ語が好きだった伯母は「ペイオフ」を「ペイオブ」と連発していた。使い方を誤ったうえに、ナ~ンセンス!なんて、両手で派手なジェスチャーをされてもなあ…。

        順調に生育中
             
            ぺこっ! 

知らないことには腰を低くお尋ねすれば問題はない。まあ、こんなにペコリ!とするには及ばないだろうが。
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 夢を

2011年07月09日 | HALL家の話
ポストの前で手を合わせていたら、人目につく。
だから投函前にそっと、グッと一枚の葉書きに念を込めた。コトリッと、音がした。
この思い届きますように…。

いまや多くのことがメールで事足りる。そこを自筆でというこだわりは捨てがたい。第一に、葉書きや文書でなら、相手の手元に届くという感覚を得られるのだ。古いのだろうか。

           
                 「ジェシカ作・七夕カレー」 

夜空にはたくさんの星がきらめき、素麺で作った天の川の両岸に織姫と彦星を配置といったアイディのようだ。「今日は会えるのかな?楽しみやなあ」と言いながら夕飯づくりのお手伝いをしていたという。

これがもし手紙で知らされるのだとしたら一週間近くも先のことになって、ちょいと興ざめかも知れない。

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 ただ一度の…

2011年07月07日 | 日々の暮らしの中で

今日は愛の七夕。織姫・彦星の幸せ日。こんな今日の運勢だったのだが…。

    夜空のはるかかなたにかかる天の川
    ただ一度の対面の喜びは、人の世の数知れぬ逢瀬よりもはるかに大きい
    水のようにあふれる 愛の心
    夢のようにはかない このひと時
    織姫の帰り道を見るのはつらい


宋代の詩人・秦観は詠い、二人の愛がずっと変わらないなら 朝な夕なに思い煩うことなどあるまい。いつもいつも顔を合わせる必要があるのだろうか、と思いを巡らせている。

星の輝きにしては明るすぎる、まぶしいほどに強い光のトンネルが見える。真っ暗闇の中には幅の広い川がとうとうと流れている。
トンネルを抜ける。川を渡れば、会いたかった懐かしい人に会える。
手を差し出しておいでおいでと手招きしてくれている。その手につかまればいいのだ。
会いたい! …と、突然どこからか自分を呼ぶ声がした。そして、行ってはいけない!と聞こえた。そこで意識が回復するという。
天の川ならぬ三途の川、臨死体験と仏教的側面に関するお話を伺う機会があった。

いずれにしても距離は大切だ。見上げる夜空の美しさ。日々一緒に生きる適度なつながり。
夢のようにはかないひと時、日本では織姫が牽牛の訪れを待っているようだ。

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 初めて 

2011年07月06日 | 日々の暮らしの中で


今日は朝の早い用事があったこともあるが、咲いていることが約束されてる朝顔見たさで目覚めの気分も良かった。残念ながら「薄明」とまではいかなかったが。
しっとりと、柔らかな花びらを広げた初の一輪。すがすがしい空気の中で、こうして静かに人の世に姿を現した。
じっと見入っていると、やはり嬉しく温かな思いがあるものだ…。

一週間前に帰国したばかりのJessieが、補助輪をはずして自転車に乗れるようになった。この子にとって画期的な一歩を印した出来事になるのではないだろうか。
 

車の行き交う狭い道、補助輪がたてる騒音以上の大声を張りあげての後追いも、ついこの間のことだ。子供がこうして一歩一歩自分の世界を広げて行くことの楽しさ。大きな花がひとつ、ここにも咲いた。
鼻がかゆかったらしい。片手を離して乗っているのに気づき、「あらまたびっくり」とは母親の弁。
あー、どこまででも走っていきそうだ。
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 明け方に仙女ひとり…

2011年07月05日 | 日々の暮らしの中で

7月2日、和歌山県の田辺市では、赤とんぼが群れをなしていた。富田川べりの優しいピンク色のねむの花が心を癒してくれる。菜の花畑の跡地にコスモスの種まき準備が始まっていた。秋には一帯が黄色からピンクに様変わりする取り組みだという。
梅の実の収穫は終り、木に熟したまま残された実は甘酸っぱい香りを放っていた。
行くたびに、眼にする光景は季節の移り変わりを見せて待っていてくれる。

赤みを帯びた大きな朝顔のつぼみが、ようやく明朝には開きそうだ。ブルーの中央に真っ白な花芯、だったのに…。

別称、「牽牛花」。夜明けに咲いた朝顔の花、柵にツルを巻きつけ、花や葉が薄明の中に朧に浮かぶ。その様を「仙女ひとり 美しい欄干にもたれている」と喩えたのは宋代の蘇軾の門下詩人・秦観だった。
「地平線のかなたの碧の光をすかして、人の世に降り立ち、明け方に姿を見せた」と幻想的だ。

明日の朝は早起きしようか!? 待ちかねた一輪のために。
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