京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

一歳に

2017年11月30日 | HALL家の話

いつ書き込まれたのかわかりませんが、書いたのは孫娘Jessieです。我が家を訪れるたびに、家族の誕生日をこっそり記して帰っていくのです。
昨日、11月29日は孫のLukasの1歳の誕生日でした。「本人はわからへんのやしな。みんなが楽しもっ!」て子の母のひと声。お祝いの席に加わって、その成長ぶりを一緒に喜ばせてもらって帰りました。

 
 

長女に6歳違いの弟ができ、その弟が5歳になって、彼にも弟ができました。
10月半ばを過ぎる頃から1歩、ほどなく2歩、3歩と足が前に出始めて、「7歩歩いた!」「ルーカス8歩歩いた!」と兄のTylerが素っ頓狂なほどの声を上げて喜ぶのでした。Lukasの周りに笑いが転がります。
11月に入って無沙汰続き、「もう普通に歩いてるよ」と聞いていた通りでしたが、実際に見るとまた感慨もひとしおです。
小さな段差でも、今はまだ降りられません。玄関では、くるっとうしろ向きになったかと思うと腹ばいになり、足から下に降りるわけです。誰が教えたわけでもありません。知恵の見事さ。仕草のおかしいこと。

「いただきます」で、手をチョンとたたき合わせます。これがまたおかしい。なんでもおかしい、楽しい時間です。
名残惜しくもありましたが、所用もあり、「バイバイ、またね」でした。確かな歩みを目の当たりにした喜び、うれしい気持ちを持続させて…。

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帰り花

2017年11月28日 | 日々の暮らしの中で
青い空が広がり、ぽかぽかと春のような一日でした。
昨日、今日、明日あたりまで、こんな天気が続きそうです。

     返り花きらりと人を引きとゞめ    皆吉爽雨


日差しがまぶしくてたまらないのに、草むらに、南を向いて陽を浴びるタンポポの花が一つ。 小春に帰り花と出会いました。

こんな日は、背中に陽を受けて縁側でごろん。読書などして、うつらうつらを楽しんでいたいなあ、と思うのです。少しの気兼ねを感じて、しかし、陽だけはたっぷり浴びる。この後ろめたさあればこそ贅沢なのですから。

タンポポは春の花とされますから、「狂い咲き」です。ですが、狂ってるだなんて心外でしょう。花びらをやんわりと開いた状態で、この嬉しさに満ちた顔。自らの色をより輝かせています。私は春しか咲かないの!なんてだんまりを決め込まない。「暖かければ何度でも開くわ」、というふうなしなやかさ。やわらかな受容。たくましくも洒落た心もようは、自然界の神様からのプレゼントかもしれません。こんな柔軟さが欲しい。
気持ちよさそうな隣で、横になっていたいわ。


良い日でした。
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「人の心も庭の落ち葉も」

2017年11月24日 | 日々の暮らしの中で

まっすぐ空に向かう大樹の、おびただしい黄金の葉の輝きも良いけれど、散るも素敵な贈り物を残す銀杏の趣き。道路脇、街路樹の小さな黄落に、なんか胸いっぱいの明るい楽しさが満ちてくる。この近くの公園では、二人の男性が竹箒で落ち葉をかき集めていた。木の葉時雨もあって、掃いても掃いてもきりはないのだけれど…。
頼まれた「4枚の原稿用紙」が埋められて、一息つける。じゃあっ、と身をちぢこませて家を出てきたけれど、身心がほぐれていくのがわかる。

どこといって目的の場所はなく歩いていたら、後方に気配を感じて振り向いた。
「やばいー、雨雲が出たあ」
「雨雲が出たぞー」
「雨雲でたってー」
先頭の少年の言葉が後ろ送りするように繰り返されていたが、自転車に乗った7、8人の少年たちは、あっと言う間に私の横を走り去った。
見上げた空には、彼らが向かった方向に大きな黒い雲が出ていた。
孫娘の個人懇談があると聞いていたのを思い出し、彼らも、そうした学校の事情で帰宅が早いのだろうと思った。

 「掃けば散り 払えばまたも塵積る 人の心も庭の落ち葉も」 

明日は母の祥月命日でもあり、東本願寺の報恩講に参拝したい。

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「やさしさの根」

2017年11月22日 | こんな本も読んでみた

大坂の友人から絵手紙が届きました。京都の醍醐の地で娘さんが新しく暮らし始めています。電車を降りて向かう足元に、はらはらと舞い落ちてきた1枚の桜の葉っぱ。「はじめまして。冬が来ましたね」という声を聴いた、と添え書きが。その愉快さにクスっと。

友人が膝人工置換手術をして、リハビリを終え、来週明けには退院の運びに。日時の約束などできなくても、「またいつかお会いしましょうね」のメールの結びの言葉が嬉しくて、ふっくら温かな気持ちになりました。いずれはジョギングさえ可能になるのだと。

今夕、映画好きの友人から「『ゴッホ最後の手紙』を見てきたけど、すごい作品よ! 絵がすごいのよ。あの自画像が動くのよ。keiさんにオススメ!」と、メールを受信。絵画オンチの私に何をもってオススメなのかはわからずですが、「歴史の謎ときっぽい作品」のようです。いつも自分の感動をもってストレートに勧めてくれる人です。

         

拾い読みなのですが、今、時々ページを開いて読む『詞華断章』(竹西寛子著)。
詩歌に限らず、散文まで含めた好きな詞華を引用して書かれたエッセイです。昭和63年(1988)8月から平成6年(1994)3月まで朝日新聞に毎月1回連載されていたものが単行本になって1994年12月1日に第1刷が発行。この本の最初の所有者は、発売直後に購入されたのでしょうか。「’94、12、9」と記されて、認印が「石田」と押してありました。
さらには、おそらく文庫本から切り取られたと思われる辻邦夫の〈詩歌を生きるということ〉と題した「巻末エッセイ」が、ホッチキスで留められて挟みこまれていたのです。、『詞華断章』を読んでの感想などが綴られています。
いつだったかの古本まつりで購入し、今は私の手元にあります。この連載を、私は読んでいたはずなのですが記憶に残っておらず、まっさらな気持ちで読み返しました。


「山路の栗」と題したエッセイの冒頭個所です。私は今日この部分を反芻して味わいました。
【 ものに感じる心が人にあり、その心を、互いの言葉で知り合う仕合せと不仕合わせについて思う機会は、作品を読む時、書く時に限らない。
 相手と向かい合っての、さりげない会話がきっかけになる場合もあれば、受け取った葉書を手にして、また便箋にペン先を当てたまま、受話器を持ったままという時もある。
 訪ねてくれた年少の人が、日ごろ誰でも使うような言葉で、良いものをよいと感じる心を証して帰って行った時など、私は嬉しい置土産を抱く気持ちで、その人の言葉を反芻する。
 目上の方をお訪ねして、忘れようのない言葉をひそかに抱いて帰ることもあるけれど、それはたいていの場合は、特別な知識がなくても、聞くだけで、こちらの気持ちが静かに動き出すようなやさしい物言いである。時間がたつにつれて、そのやさしさの根がいかに深く、いかに広く張っているかを知らされる。……事のはじまりは、何でも小さく、やさしく、ありふれているのであろう。】

今日、私はこの文章を反芻しました。さりげない言葉で、心や感情を通わせ合うことの安らぎを思って。
                                                 (橋は白川の一本橋)
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「さあ、こっちにおいで」

2017年11月21日 | こんなところ訪ねて
去る土曜日、友人から「彼女がその名を知らない鳥たち」を観に行かないかと映画への誘いが入ったのでした。内容のあらましも知らないまま気楽に乗っかって、なんとも後味悪く見終えました。話しも弾みません。それなら、と「もみじの永観堂」へ案内することにしました。私もモミジの時季に参拝したことがありません。
東山山麓にある南禅寺から少し北へ、地下鉄の蹴上駅で降りて歩きました。総門前の南北の道は狭くって、車と人の交通整理です。内へとくぐり入れば「モミジと壁に手を触れないでくださーい」と参道の脇に並び立つ若者から注意喚起の声が繰り返されていました。「大変なとき来ちゃったね」、と。



前回ここに来たのは、あるボランティア団体のハイキングで立ち寄ったときで7、8年は前のこと。「昨日、ここに死体が埋まっていたのよ」と木の根元を指しながら、前夜観たテレビドラマが話題になったものでした。
「もみじの永観堂」、モミジは約3000本あるとか。ヤマモミジや小型の愛くるしいイロハモミジなど素晴らしい美しさです。燃え上がる一番の盛りに出会えるのは、きっとほんの一瞬のタイミング。見頃を迎えていた紅葉の美しさにも、真っ赤な葉もあれば、橙色、黄みがかった葉もあり、まだ青葉に近い葉があるかと思えば、一足先に既に紅はくすみ始めたそれもあり、とその一葉、一葉の姿は様々です。あのみずみずしかった新緑の、いわば老化現象などと重ねては興が醒めるのかしら。


永観堂といえば、首を左に傾げ、振り向いた姿の「みかえり阿弥陀如来像」です。像高は77センチ。須弥壇の真正面からではお顔がほとんど見えず、右手側面に回ると近くから拝顔できるのです。
7代住持となる永観が、念仏行で念仏を唱えながら阿弥陀如来像の周りを回り続けていた時、阿弥陀如来が壇から降りてきて永観を導くように先に立って歩き始めた、とか。驚いて立ちすくむ永観を振り返って、阿弥陀如来は「永観、遅し」と言葉をかけたそうです。感涙し、合掌すると阿弥陀如来はその時の姿のままになった、とエピソードが伝わるようです。
「みかえり」の意味を講釈し出した若いカップルの女性の言葉が耳に入ってきて、聞いてみたいと思ったのですが立ち上がりました。「代償」としての意味合いでしたから、はて…。阿弥陀堂を出て、下がったところからお堂を振り返ってみました。


朝方の天気も回復して、秋の午後の日差しはどこかしみ入るやさしさです。徐々に陽が傾いていくのが感じられる午後3時過ぎ、ここを後にしました。これは、孫娘と吉野山を巡る楽しみがお流れになってしまった11日のことでした。

びわ湖北部にある石道寺(しゃくどうじ)の、紅をひとはけ唇に残し、右足親指を上げて、今にも一歩踏み出すかの十一面観世音菩薩像が思い出されます。「さあ、こっちにおいで」との如きここ永観堂の珍しい姿もあれば、浄土真宗の阿弥陀さまは「私はここにいますよ」と私たちの前にしっかとお立ちです。
――などと思うこといろいろです。 


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孫の後ろからでも?

2017年11月18日 | 日々の暮らしの中で
朝から書き物で机に向かい、昼過ぎまで座りつづけてしまった。静かに降り続く雨の音が、こんな時には心を落ち着かせてくれる。座っている時間が長い人は寿命を縮める、とか新聞で何度か見かけたのを思い出す。少し迷って、夕飯の段取りをつけてから歩いてこようと決めた。午後4時だった。窓から顔を出してもそう寒さは感じない。雨は少し前から上がっていた。


歩くために歩いた、8日ぶりのウォーキング。今日はわりと快調、体も軽いし、足の付け根の痛みもない。ごくたまに膝の芯に感じるチクチクした痛みもなかった。時間も時間で人気も少ない。

実は一週間前の土曜日、11日には孫娘と一緒に紅葉の吉野山をハイキングで巡っているはずだった。ところが10日前になって、催行人数の25人に達しないという理由で中止になる旨の電話を受けとって、ガックリ! 「どこか違うところを探して」と言われても、学校があるので土曜日でなくては参加できないという条件が付く。これは難しかった。

          焚火の光景はすっかり消えて

大文字山登山はどうだろうか、と思い立った。私にとっては最初で最後の大文字山登山になるだろうなあ。アイディアは良さそう。我ながらいいこと考え付いたと思うのだけれど、さて、現実にどうだろうか。先ず私は、「登山」というのが極めて苦手だ。けれど、むちゃくちゃなコースではないと聞く。それでも、途中で足首を捻挫し、負ぶられて下山した知人がいたなあ…。
帰ったら一度調べてみようと考えながら歩いていると、どこからなのか、漂ってきた「すぐき漬け」の匂いが鼻をかすめた。
                                             (ほほ笑み地蔵 小林良正さん)
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「ピョンピョンはねろ」

2017年11月16日 | こんな本も読んでみた
時間の隙間をとらえては、よしっ、行こうって調子で起こす行動が私にはよくある。多分に衝動的な部分があっても、そうやってただただ興味のむくまま「少しづつ」の時間を積み重ねてきた。昨日15日もそうだった。


しばらくかけて読んでいた『死してなお踊れ 一遍上人伝』を読み終えたことでもあり、東山にある長楽寺で開催中の「遊行上人とその秘宝展」(10/20から11/30まで)を拝見しておこうと足を運んだ。

          

自分で考え抜き、独自の言葉で表現する書き手に贈られるという池田晶子記念賞を受賞した政治学者・栗原康氏の著書。ことばが踊っている。こんな文体、文章の作品をかつて読んだことがない。しょっぱなから度肝を抜かれたが、寂聴さんは「新鮮な文体」だと評される。
「一遍が狂ったようにおどりはじめた。はげしく肩をゆすり、あたまをブンブンふって、手をひらひらと宙に舞わせている。そして、おもいきり地をけりとばし、全力でとびはねている。ピョンピョンピョンピョンとびはねて、ピョンピョンピョンピョン、またはねる。しかも、それでもまだものたりないと、クルッとまわってまたはねる、クルッとまわってまたはねる。」「むちゃくちゃきもちよさそうに、満面の笑みをうかべてピョンピョンピョンピョンとびはねる。」

              パンフレットより

鎌倉時代に、諸国遊行の途につき、津々浦々を巡り貴賤を問わず念仏の札を配り、行くところで民衆に念仏踊りをすすめた一遍上人。「遊行賦札踊躍念佛(おたびふだくばりおどりねんぶつ)」と言い、配られた小紙片には「南無阿弥陀仏 六十万人 決定往生」と記され、歴代の遊行上人に継承された。(時宗の法燈を継いだ時宗の法主のことを「遊行上人」と称す。)
――ことなどが説明されていた。一遍上人をはじめ7人の遊行上人の像が並ぶ。また、上人が代々踏襲して身にまとう「阿弥衣(あみえ)」と呼ばれる衣は、時宗独特の衣で、縄文時代から作られていた手編みの布で作られているのだとかで、現存する本物をみた。

跳ねて跳ねて、捨てきったと思った執着心。けれどそれもいっとき。ただ日頃のストレスを発散するだけで、また翌日から同じ日常を始めることに無意味さを思い始める一遍には、人間の変わらない姿も浮かぶ。自由奔放。善意を装って生まれる正しさの強制、秩序を嫌う。捨てろ捨てろ。心やしがらみ、一切のこだわりを「捨てろ」と歌う。「真の仲間」をもって、「群れるな」「バラバラに生きろ」。「仲良しクラブのつきあいなんてまっぴらだ」。「死んだつもりで生きてみやがれ」。次から次と一遍の、著者の、ことばを浴びる。

最近、孫娘が私に、中学生だった頃の話を聞きたがる。〈人はそれぞれ。仲間を見つけ、それぞれに思う道を、それぞれの自分で生きたらいいんだ。いろんな人と出会うたびに、あたらしい自分に出会っていくんだよ 〉、と受け取ったメッセージを話してあげようか。わかるかしら…。〈人間は本来なんにでもなれる。無限の可能性に開かれているんだよ〉、とも。
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こんなふうに生きた人が、

2017年11月12日 | 展覧会

『湖の伝説 -画家・三橋節子の愛と死-』(梅原猛著)という本があります。夫との婚約時に郵送で届いた一冊でした。40年にもなろうかという昔のことで、当時読了したかさえ記憶にありません。以後、何度かはページを開き、昨年には改めて再読したという一冊ではあります。
誰にも引けを取らない美術館オンチ。そうなんですけれど、どんなスイッチが入ったのか。滋賀県大津市小関町にある三橋節子美術館を訪ねました。2回目ですが、今回は近松寺(湖西27名刹の5番)とセットで。

昭和14年3月3日、大阪で誕生。京都市立美術大学で学び、昭和43年、日本画家・鈴木靖将氏との結婚を機に滋賀県大津市の長等山の麓に居を構え、長等の風土や歴史を題材に数多く作品を発表された節子さん。二人の子供を授かります。昭和48年、鎖骨骨肉腫により右腕切断の大手術。術後すぐから、絵筆を左手に持ち替えて描くことに専念されたと。

退院してみると自宅の裏山の近松寺(ごんしょうじ)にある樹齢800年の菩提樹がスズランのような花を咲かせていたそうです。初めて左手で本格的に描かれた作品「菩提樹」。先が短いことを知って、夫や子供たち、父や母に別れを告げるために、近江の昔話に自分の思いを重ねて絵を残します。家族で余呉湖に遊び、互いに別れを受け入れ、さよならを言う時間を過ごし、そして描かれた絶筆が「余呉の天女」。我が子への遺言、「雷の落ちない村」。大切な人を失う悲しみ…。その中にも、亡くなった人こそいつまでも心の内に存在し、傍にいてくれると実感するのではないでしょうか。作品に用いられる白い線が、それと、使われる朱色がとても印象的に心に残ります。
靖将氏がスケッチしたデスマスク。亡くなる7時間前に二人の子供に当てて書いたという葉書2枚の展示も。地域の豊かな先人のゆかりを大切に継承されていることが学芸員さんや館内の雰囲気から伝わって、とても素敵な美術館です。
再婚された靖将さん。氏は新見南吉生誕100年を記念した企画で童話の挿絵を担当されていて、その挿絵原画展が新見南吉美術館で開催中だと教えられました。



美術館の裏からさらに少しだけ高みに、雨風に傷んではいましたが琵琶湖に開いて近松寺の本堂はありました。近松門左衛門が20歳から3年ほどをここで過ごしたと伝えられます。
そこかしこに眺められる寺の甍に目を奪われながら、ぶ~らぶ~らと京津線「上栄駅」まで戻りました。
「日本文化に多く見られる入れ子型構造の屋根の先端の反りは、上昇を志向するもんじゃなくて、内へ引き寄せながら外を包み込んでいる力だそうだ。…」。 ???同行者の言葉は宿題になりました。
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「幻住庵」

2017年11月09日 | こんなところ訪ねて
一所不住、生涯旅寝を決めた芭蕉は、『おくのほそ道』行脚を終え、滞在していた義仲寺から幻住庵に移り住み、およそ4ヶ月を過ごしている。この頃になると、芭蕉の俳風を理解する門人は近江にしか残っていなかった、とか。とすれば、ここで過ごした日々は、信頼できる門人たちに囲まれて最も心安らかな束の間ではなかったのか。
どんなところだろう。ちょっと覗いてみたくて、きつい風が吹いていた去る4日にお邪魔を決めた。


「石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。」
この国分山の山中に、芭蕉は近江の門人で膳所藩士の菅沼曲水の世話を受けて庵を提供された。無住のまま、ひどく荒廃していた様子は『幻住庵記』にある。閑静な山中に、竹箒を扱うような音が耳に入ってきた。ひと風吹けばカサカサいっせいに舞う落ち葉。誰も見ている人とていないのに、石段を掃く人が二人。そのうちの一人が上がってきて、迎えてくれた。




「こちら側から近江富士が見えますよ」「あのあたりに瀬田の唐橋があります。中山道がこう走っていますから、この木々がなかった昔はここから良く見えたはずです。馬が駆けたら土ぼこりが上がるのだって見えたかもしれませんよ」(梢の隙間から遠望するが、木々の茂りが邪魔で展望がきかない)「芭蕉は毎日ここから見ていたかもしれません」。(なんのために…)「旅を大垣で終えたことも不自然ですよ。大坂には豊臣の残党がまだまだたくさんいましたからね、幕府にとっては煩わしいことだったはずです」
何やら話の方向が見えてきた。芭蕉の隠密説があることを一応認識はしていたが、芭蕉は隠密のトップで、そういう立場は「そう」と言うのだと教えられた。


「こちらを見ましたか?」と案内されたのは、階段を少しばかり降りた所にある『幻住庵記』の陶板の碑文だった。
全文が記されるそれは、「幻住庵記 芭蕉艸」と書き始まる。「艸」の文字を箒の柄で差しながら、「これなんの意味でしょう」と聞いてくる。(さあ…)「クサカンムリです。くさ、『そう』です」。(はーい! 一瞬にしてさっき上で聞いた「そう」の言葉と重なりました)

次から次と繰り出される話題は豊富で、楽しく拝聴した。けれど、思うに、つい身を入れて聞き過ぎてしまったようだ。せっかく訪ねてきたのに、おしゃべりの時間が多すぎたと惜しんだ。切り上げるのが下手なのだな。
最後にもう一度、一人で高みにある庵まで戻ったところ、「長い話だったでしょ。話し半分に聞いてくださいよ」と言う人がいた。なんといったらいいのか、不思議なヘンな気分になった。
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「子供に、明日何が咲くか」

2017年11月05日 | HALL家の話
孫の二人が「少林拳空手道昇給昇段審査」を受け、おかげさまで合格したようで、その知らせをもって久しぶりに京都へやってきました。母親が用事があってのことで滞在時間は短く、西の空が赤黒く染まった頃、あわただしく帰っていきました。今日一日、末の子を預かったのは父親です。

二人とも4月から週に1回、小学校の体育館での練習に参加しています。Tylerは初めての昇級試験でした。姉の方は5月にまずは合格の喜びを味わい、次段階を目指しての挑戦に。帯の色ごとに内にはまたクラスがあるのでしょうか。合格でも帯の色は変わらないのだとか。黄から緑の帯に、頑張りどころです。この二人内弁慶?、案外とシャイな面があります。「へなへな、なよなよしたらあかんのよ!!」なんてチューコクすることがあるくらいですから、ようやりました。

かと思えば、「タイラーのタックルは草刈り機のよう」と、その角度、切れをほめられる一面もあるのですから面白い。「ダディがトライ6回すればご褒美くれるって」と、ほくほく顔でゲームに臨みます。ですが幼年の部、ゲーム時間は短く、メンバーが交代で出ることもあって、そういつも目標回数に達するわけではありません。


そんなとき、タックル部門でMVPをゲットして帰ることがあります。「僕だってトライしたいんよ。でもね…」。このあとには、ちゃんとチームプレイであることをわきまえての言葉が続くのでした。えらい! わかってるやん!! 
この3日は試合でした。「16回もタックル」と強調されて、MVPをゲットしたことが本人から報告されました。活躍の部分を見出しては表彰し、賞賛してくれるのです。Tylerにもお手製の賞状が増えていきます。ゲームを離れれば無邪気なもので、互いにお菓子をわけっこ、配り歩いていましたっけ。かわいいもんです。市民新聞にクラブの紹介があったとか、練習風景の写真に映り込んだTylerです。ラッキー!

自信は植え付けられません。いろいろな体験をしながら心の内に芽生えるものでしょう。どの子もどの子も、未来ある子供たち。
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未知の本に偶然出会う

2017年11月03日 | 催しごと

11月1日から知恩寺で秋の古本まつりが開かれている。
古本まつりを主催する「京都古書研究会」は1977年に市内の古書店主の若手有志18人で結成されたという。翌年の11月に初めて知恩寺境内で今のような形の即売会が開かれ、80年代に春と夏の即売会も加わったと。そして京都の三大古本まつりとなって続いてる。参道の両側に18社が出店。強い日差しがまぶしくて、暑い。


「未知の本に偶然出会う機会を提供」されて、2冊を購入した。一冊は、一昨日に続いて石牟礼道子さんの著書で『花をたてまつる』を。もう一冊は『庄内の風土・人と文学』(東山昭子著 東北出版企画)。境内をくまなく一巡。それぞれに別々の書店で心に留まった2冊だったが、再度戻って、手に取って、ページを繰って…、レジへ! 今夏の出羽三山を巡るツアー参加の体験、もろもろの関心が今に続き、引き寄せた一冊だった。

【庄内は美しい自然の中で“質実剛健”の気風を大切にし、花よりも根を養う、いわゆる「沈潜の風」を郷学の伝統としてきた、華やかに表 立つことをきらい、だまってじっくり実力を蓄えるという気風であり、言うべきときにははっきり物を言う反骨の気概を尊ぶ風でもあった。
なすべきことをなして語らず、その事績は、信をもってわかる人のみにわかってもらえばよい。天を相手にして己をむなしくすることが大切であり、長いものには巻かれろとはちがう権威や権力に対する痛烈な抵抗の気概を含んでいると言ってよい。】(まえがき ―『別天地・庄内』、その風土的形成 より)

Ⅱ章の「庄内の人と文学」の充実が素晴らしい。句碑、歌碑、文学碑、建物、顔写真などの写真や地図も多く添えられているのは嬉しい。著者は「先人の魂に、己が生きる魂を重ねて、庄内の風土に生きた人と文学に鮮烈な出会いをしてほしい」と書いている。その思いを大切に、楽しんで拝読したい。わくわくしてきます。

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11月1日、「古典の祭典」

2017年11月01日 | 講座・講演

源氏物語千年紀を記念して京都で2008年に11月1日が「古典の日」と宣言されました。「古典の日に関する法律」が制定され、今年は5周年に当たります。今年は「古典の日フォーラム」ではなく、「古典の祭典」と銘打った京都アスニーでの催しに参加してみることにしました。

第一部:管弦と舞楽の特別講演「平安の調べ」
     大正5年に創立された京都で最も古い雅楽団体・「平安雅楽会」により管弦「越天楽」や舞楽「青海波」「蘭陵王」の披露。
第二部:「古典を遊ぶ 芸能の世界~香ることば・舞うことば」
     香道志野流若宗匠の蜂谷宗苾氏、 能楽師ワキ方で連歌研究者でもある有松遼一氏は語りと謡の実演を交え、講演。最後は有斐閣弘道館の濱崎加奈子氏が加わって「ことば」のイメージを鼎談、といった構成でした。

〈香りを聞く。「聞く」は「かぐ」という意味を含み、もう一度聞き直すことはできない一期一会の香りとの出会い。香木を割って、古今集・新古今和歌集からことばを採って命名する。形のない香りに名を与えることで、ことばがつながっていく。能の詞章も連歌とクロスするものがある〉。

〈和歌も連歌も(能も)、文字で読んで言葉の意味を追うものではありません。ライブで、人と人が集う座があって、耳から聞いたことば(聞き取った言葉)が、心の奥のほうに入っていく、…その「間」に、立ち上がってくることばの色、温度、手触りとか匂い、座に通う息遣いをキャッチし、つなげ、ことばのイメージを広げて遊ぶのです。〉
お話の中の言葉をつないでつないで、このように心に残りました。「香ることば、舞うことば」、何となく一人合点して帰路につきました。つるべ落としの夕暮れ。空にはのちの月が美しく。
      
     

書店に立ち寄り購入したのは石牟礼道子さんの『花びら供養』。やはり読んでみたくって。読書の秋…。

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