京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 よいお年を!

2011年12月31日 | 日々の暮らしの中で

昨夜、京都駅に着いた息子が映した京都タワーです。
 予定は一日ずれ込んでしまいましたが、元気な姿を見て一安心…。

京都タワーは、昨日と今日(~元旦の午前7時)もオレンジ色にライトアップされています。
いつもは真っ白な「ろうそく」ですが、穏やかな色合いで温かみが感じられます。
いつもと違うと思い、思わずカメラを向けたようでした。

東日本大震災や台風による犠牲者の鎮魂や被災地の復興を願う、祈りの灯ということです。

   できることから心を結び合って、力を出し合いたいと思います
     来る年がよき一年となりますように…



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 マニュアル 

2011年12月27日 | 日々の暮らしの中で
「小雨とはちがう。霧雨ともちがう。」

傘を持って出なかったので、引き返そうか?とためらわれたが、案の定、思っている間に陽も差してきた。朝から時雨れていた。比叡山の姿はもやの中に包まれてしまっていて見ることができない。
「北の山から降り出す北時雨…」と謡曲「定家」は謡い出す。ここのところ毎日のように時雨がくる。


活動拠点となるセンターの点訳マニュアルが五年ぶりに改定された。分科会でその説明があった研修総会に参加できずにいたところ、この押し詰まった日に時間を作ってくれるとあって、地域の会の仲間を訪ねることにした。

点訳図書の点字入力に当たって、最低限、共通認識は徹底しておかなければ校正者にも迷惑を掛けるし、作業もはかどらない。マニュアルを見ながら頭を抱え…、それでもまあ、実際に入力しながら新しいことも身についていくだろう、とわりとのんびり思うのだった。

左右の人差し指・中指・薬指、計6本の指でパソコンのキー6つを使い点字を入力していく。
頭がぼんやりすることから少しでも遠のいていられるのではないかと淡い期待を胸に、時に眠気と戦いつつ、パソコン画面を見ながらひたすら指はキーを打つ。もやっとした、新旧けじめのなさは許されまい…。


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 世はクリスマス

2011年12月24日 | 日々の暮らしの中で
昨日は差出人がJessicaとなったクリスマスカードが届いた。
       
            サンタさんと
   Jessieは6回目ですが、3ヶ月にもならないTylerがクリスマスカラーでおめかしには笑えます…。

お礼にこんな写真を作ってメールで送りました。 
       でも、右上のJessieの写真を今一度差し替えました…。

クリスマス、こういうことで遊んでいるわけです。

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 HANAGATA

2011年12月23日 | 映画・観劇

京都を拠点に活躍されるごまのはえ氏と土田英生氏が書き下ろした新作品で、茂山家の第三世代とされる5人(茂山千五郎家を支える茂山正邦・茂・宗彦・逸平・童子さん)による公演「HANAGATA’11」が先斗町歌舞練場で上演された。

伝統芸能としての狂言に軸足を置きながらもその枠を超えようと試みるHANAGATA。
狂言は見たこともないというごまのはえさんによる作品「鯉山の話」「伝統は絶えた」、土田氏による「警備員の悩み」「是非に及ばず」の4作、今回初めて外部の人に任せた演出でもあったという。

現代劇であって、狂言のせりふの言い回しや所作がベースにあるものだからそれが返って、大きな笑いにつながる。「それがしは~」…、大きな張りのある声! 


観客は圧倒的に若い人たちが多かった。スタンプカードなるものを持ち、「ハンコ」を押してもらう行列ができているのだ。茂山家の人気がうかがえる。自作の新作狂言や狂言風コントなど意欲的な取り組みで若いファン層を広げてもいる。こうした異分野との交流もその一つだ。

舞台に登場した土田さん、「はずすタイミングが遅かった」と宗彦さんに。「夜の部ではそのへんを調整してみて下さい」。
どの作品も純粋に楽しく、この年の瀬にかなり笑わせてもらった。

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 朽ち葉を踏んで

2011年12月21日 | 日々の暮らしの中で

久しぶりに来てみて随分と明るくて気持がよくなっていると感じたのだったが、それも枝から葉が落ちたせいだった。
地面に散り積もった落ち葉はすっかり色落ちして、腐ったような汚い色合いで絨毯になっていた。吹き寄せられまるめられ、踏みしだかれて…。カサカサした音が楽しいのか、子犬がわざわざ道端の枯れ葉の山の上を駆けて行く。

外出の帰りだったが、寝床へかえるとて三つ四つ…どころではない鳴き声を耳にしながら夕暮れ迫る道を少し歩いた。どこに目を遣っても花一つない。な~んにもなさそでしっかりあるのが季節限定のこの「冬枯れ」の森。

     木も草もためらはずして枯れゆけり     相生垣瓜人

こんな朽葉色も、平安人には心にしみじみと感じられる「あはれ」の美であったようだ。

帰宅してほどなく、Jessieからの電話だった。「もしもし…」の挨拶もどこへやら、「Tylerがな、今な・・・してpush、pushしてるの!」「ふ~ん、プッシュプッシュしてるの!?」「Tylerがな」
大きな声で喋りまくるせいか、説明してくれているらしいTylerの様子の半分も聞き取れない。適当に驚いた声をあげておいたが、それでも気持が明るくなる。う~ん、やっぱかわいいよなあ~、日本へ招こうか~???

枯れ葉の「あはれ」より、訳わからん会話でも、元気に笑顔のほうがどれだけよいか。かわいいお姉ちゃんをしているのだろう。今日はプールへ行ってきたと話していた。
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 エネルギー基本計画

2011年12月18日 | 日々の暮らしの中で
 
                                             20年前、息子に…

「一念発起して朝晩、体重の記録を始めた。日々きつくなるズボンは危機的状況だ。減量にもっとも効果的との評判に期待して目標は10%減。だが、高値安定が続く。世界経済情勢同様、即効薬はないようだ」

私事ではない。新聞のコラム記事の書き出しだが、10%減ともなるといかがなものだろう。身長・体重、個別の条件は異なるので、単純に、あくまでも計算上では「痩せすぎ」に輪をかけることになってしまう。よいとこ5%を削減目標に据え、なおかつ体力増強と足腰鍛錬の付加効果を伴えるよう、年末・新春からの我がエネルギー基本計画を策定することとした。

何をあほらしいこと! とお笑い下さいませぬよう~。
何もかも熊野古道ウォーキングへの参加再開のための意思表示、かな…。
9月、残り4回となったところで、諸事情が発生した。本来なら順次コースを辿って最終の熊野本宮大社へと進むのが筋だろうと思う。欠けてしまった3回分を半年遅れのツアーに参加して補った上で、一泊の最終回へとなだれ込みたい。

で、まずは第11回目が2月だ。これまではクリアーできたのだという思い出などは甘っちょろい。だが、それなのに実際はあの夏の真っ盛りにでもあった意地が、ファイトがちっとも湧いてこないから困ったものだ。気が緩んだぶん体力は危機的かも知れない。

明日はやるさ!明日こそ歩くさ~、このお天気屋の性格を自らよく見つめることが問われてくる。問題点は良く見えていそうだから、意識改革が改革の始まりということ。すでに基本計画だけは出来上がってしまっているのだから。

わかっているのだから、目をそらさず凝視し続けないでください~。
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 山科疎水

2011年12月15日 | こんなところ訪ねて
    布団着て寝たる姿や東山
JR山科駅の背後北方にある毘沙門堂へ、振り返ればなかなかの眺望がきく坂道を上り詰めるように歩いた昨日。東山36峰、なだらかな峰々の連なりを家並みのむこうや畑越しに眺めながらのひと汗だった。

         橋を渡る前
             振り返って
疎水にかかる「安朱橋」のところで、賑やかな小学生の小集団が東から散策路をやってくるのと出会った。美しい周囲の様子に立ち止まっていた時だった。

琵琶湖から京都市内へ水を引き込むために二十代の青年技師田辺朔郎が指揮を執った「琵琶湖疏水」は、1885年着工、1890年に完成したという。目の前のこの疎水は、水運を目的とした「第一疎水」。「第二疎水」は飲料水が目的なので、汚染防止のために全線が地下トンネルに入っている。京都市のほとんどの飲料水は琵琶湖から供給されているのだ。


その第一疎水、琵琶湖の取水口から三井寺のある山側に流れていくが、やがて長いトンネルとなり、京都へ抜ける前に山科で顔を出してくる。山麓を蛇行して流れるこの部分は山科疎水と呼ばれ、やはり春には桜のトンネルなのだそうだ。蹴上げからは別れて、南禅寺の水路閣、哲学の道沿いから松ヶ崎へと北上していく。

さて、ここで問題~。京都盆地の地形にははっきりとした高低差があり、京都の川は北から南へと流れているのです。なのに、蹴上げからの分線が北に向かって流れるのはな~ぜか!?
とても気に入ってしまったこの風景。そのために、少しばかりおベンキョーをしてしまいました。おすそ分けです…。
要らん!? 大きなお世話って??
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 山科義士まつり

2011年12月14日 | こんなところ訪ねて

赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを果たした12月14日、討ち入り当時を再現した行列が練り歩く「山科義士まつり」が行われた。
行列は、午前10時に山科盆地の北端に近い毘沙門堂を出発し、大石内蔵助ゆかりの瑞光院や岩屋寺を訪れながら、午後2時30分に約6キロ先の大石神社に入るという行程になっている。

        毘沙門堂

  瑞光院:この寺の第三世和尚が浅野内匠頭長矩夫人瑤泉院と族縁に当たることから、浅野家の祈願寺となったのだそうだ。右に、衣冠と短刀を埋めて建立した浅野内匠頭長矩公の供養塔。左には、切腹二日前に46人の髷の髪を貰い受け、帰京後に瓶の器に納めて埋められている遺髪塚。46人の姓名と戒名が刻まれた石碑が囲んでいる。
朝ゆっくりだったので、毘沙門堂・瑞光院はもうすでに出発後2時間も経過してからの訪れだった。


    岩屋寺(左)と大石神社
大石内蔵助の隠棲地として有名で、大石寺とも呼ばれる。赤穂城明け渡しの後、ここに隠れて密かにあだ討ちの謀をめぐらしたとか。
        
  甘酒でひと休み
  大石神社へと
             

「雪が降ったんやね」と聞こえてきたが、今日はまぶしいほどの日差しに恵まれた。そんな中、初めて忠臣蔵ゆかりの地をこうして何箇所かだけ巡ってみた。交通の便も悪く、かなりの距離を歩いた。運動不足も今日に関しては解消だ。

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 クリスマスコンサート

2011年12月13日 | HALL家の話

Jessieが通う学校で、夜にクラス独自のクリスマスコンサートが催されたと聞いた。

11月、彼女の家に滞在中から、この日のための練習は始まっていた。エンジェル役になることも知っていた。披露するクリスマスソングは両親には内緒だという部分もあって、そこだけは一足早く私に歌って聞かせてくれたものだ。とは言え、なにぶんにもまだ早い時期で歌詞も音程もあやふやだったけれど。
セリフがあって歌もちゃんと自分のパートをこなしで、ウルウルするほどの感動を覚えたという母親。

先生からのお別れのプレゼントの一つとして、こうして写真にメッセージを添えて手渡されている。
             

            Dear Jessica
            You are very special person
            And I wanted you to know
            How much I enjoyed being yoyr teacher
            How fast our year did go
             ・・・
母子ともに大好きだった先生、ベテランの域に達する素敵な先生だった。よく褒められた。どの子もことあるごとに。
もうそろそろ学校は長い休暇に入る。新年明けて一月末、Jessieは一年生に進級します。


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 お礼参り

2011年12月11日 | 日々の暮らしの中で

娘の「本厄」で厄除け祈願を済ませ、ほっとする間もなく突きつけられたのが「大凶」の2文字。たった一枚の紙切れなのに、その持つ魔力のでかいこと。と、そこへ今度は、娘の第二子妊娠の知らせが届く、という新年の始まりだった。

古来、「神の配慮は公平」と信じ、「偶然は公平」と考えられてきた。とすれば、4番で大凶を引き当てるように仕向けた神の意はいかに…。
わが身に降りかかる災難への不安が勝り、厄除けもどこへやらの感だった。
ずっと意識の底にはこの「大凶」が見え隠れし、いつ何ごとが起こるやらとあらゆる面で多少の節制を余儀なくされた気もする。

      

娘には元気な男の子が授かり、何よりの厄落としになったのだと喜べた。おかげさまで順調以上の生育振りだ。6年間親の愛情を独り占めしてきたJessieだから、その胸のうちの寂しさを思いやるが、弟Tylerのよきお姉さんになることだろう。

お礼参りなどというのがあるのかどうか、いまこの時期にしてもよいのかどうかも知らないのだけれど、ぜひこの年内にしておこうという思いになって立木観音にお参りをした。おかげさまで… と。ここでとめるべきだったのか。よい年が迎えられますようにと、やはりついひと言頼みごとなどもしてしまった。

“All happy in the end” すべては幸せにおさまった。      
    言ってもよいのかな…? いや、危ない危ない、あと3週間!気を抜かずに自重あるのみだ。
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 「狂言らいぶ」

2011年12月10日 | 映画・観劇

「狂言ライブ」がどのようなものなのか、楽しみにしていた。

ライトを浴びて元彌さん登場。能舞台ではなく、中ホールでの上演だったために演者は目と鼻の先だった。むろんホールは小さくとも3間4方の舞台は変わらない。美しい男前だった。

室町期に始まり600年の歴史がある狂言だが、和泉流は今年573年目を迎え、その二十世宗家が和泉元彌さんということになる。
来年1月に初舞台を踏む3歳の男児と9歳の女児が登場してきた。次代を担う二人だが、セリフの稽古の様子を再現して見せてくれた。
600年前の日常の侍ことばがそのままに「口伝」で、口真似によって今日まで継承されてきているという純粋喜劇の凄さ。抑揚をつけての言葉の難しさはお経にも通じそうだ…。決められたとおり、型どおりに真似る。だから余計に個性が出ると。

狂言の歴史や舞台構造、「ことば・うごき・しぐさ」についての解説、演じ方の実演。そして上演される「鬼瓦」と「盆山(ぼんさん)」」の楽しみ方があらかじめ解説された。
ことばや仕草から目には見えないものを見て、目の前の舞台に自分の想像の世界を作って観てください、と言うお話だった。

ワークショップでの狂言体験は、会場全体で真似をすることにトライ。
抑揚をつけて「ビョー ビョー ビョー」、これは600年前の動物のうなり声とのことだが、さてこれは何の動物でしょう?
「さらば さらば」などいっそう難しいが、4回も大声出しての練習となった。

狂言鑑賞の層や輪を広げたい狙いがあるのだ。小中学生の参加者もいた。とても親しみやすくわかり易い解説だった。だがそのために、セリフに耳を傾けながら、お先走りでクスクス笑いを感じるという楽しさは奪われてしまったような気がする。

「あることないこと書かれてつらい時期もあったが、乗り越えてここまで来た。笑いと笑みを絶やすわけにはいかない」とは節子ママでした。 『笑う門には福来る』 

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 まあるく

2011年12月09日 | 日々の暮らしの中で

この石は、今は亡き伯父が、嫁ぐ日を前にした私に庭から一つ選んで差し出してくれたものだ。腹が立ったらこれを撫でたらよいと言っていた。どんな時にもお姑さんは「おかあさん・おかあさん」と呼んでいるようにとも。

釣り好きの伯父がどこかの河原で拾ってきた。楕円で本当にきれいな形をしている。どれだけの年月をかけてこれほどの丸味がついたものか。手のひらにすっぽりと収まって、持ってみれば心地よい重さだ。量ってみたら365グラムあった。

30数年、まあ、ほとんど撫でたことはない。では、腹は寝ていたのかと言えばさに非ず、蹴っ飛ばしたらゴロンゴロンと…? 石の下に30数年、…ではどこかが違う、やはり「石の上にも」か。書棚の隅で存在を忘れられながらもいつも静かにまあるく座していたことになる。捨てることもなければ紛失するでもない物持ちのよさだが、時間の長さが石への愛着度を高めている。
ふとこんな思い出に浸るだけで、ただの石ころではなくなるようだ。
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 針仕事

2011年12月08日 | 日々の暮らしの中で


Jessieは初孫ということもあって、その誕生に向けてはガーゼの長短の肌着から手作りしたものだった。三重ガーゼのキルトでふっくらベスト、お座りできる頃を見計らってはフリルで飾ったロンパースなども。よだれかけやエプロンなど数がいって重宝したのではないかと思っている。

大したものはできないが、型紙をあれこれ少しだけ工夫して手を入れれば、出来上がりの違いは出せる。あとはシンプルに、柄で着るという具合に楽しませてもらった。ワンピースもなにぶんにも小さな服なので、「簡単」の域だった。すべては、作り手にもかなりの気力があった頃の話ということにはなるのだけれど…。

日本風な柄に飛びついた娘。赤地に蝶、くどくならないようにあっさりサンドレスにしてほしいという要望で、布地を持ち帰っている。まあだ、手付かずのままなのだ。肩紐で胸周りはゴムシャーリングでと。さて、…一度取り掛かりさえすれば早いのだが、そこまでが、なのだ。

  

30度に達する翌日は24度に下がるなど不順な陽気に、娘は風邪気味でいる。例年雨の多い12月だ、Jessieのドレスは来月回しでもよさそうかとずぼらを決め込んできた。それでも、そろそろ…、だなあ。夏が終わらないうちにと目のつくところに引っ張り出した。着せてみたい。
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 「だって」

2011年12月05日 | 日々の暮らしの中で

午前中、多少の用事を急いでこなし終えてからは、少し頭をひねって知恵を絞った。

と言えば何やら様になりそうだが、この一年を振り返ってみようかとペンを執ってはみたものの、たいして長続きもせず知恵も回らない。どうしてもしなくてはならないことではないからだ。どうだっていいからめんどくさくなる。
「めんどうくさいことをしよう」と清川妙さんに教えられたばかりなのに、「だって・だって」が付きまとう。

うつらうつらしかけては気を取り直して、本など読んでいた。短い一日はすぐに暮れていく。動かなくてはと外へ出てみれば、夕日を浴びて鮮やかさを増した色彩に目を奪われた。
今日は何をしていたのだったか…。明日は、メモを取った続きをすることにしよう。
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 師走好日

2011年12月04日 | 日々の暮らしの中で

西本願寺の銀杏の木
       
法師の「師」説もあるらしい「師走」。法要の合間、出番のない時間帯には福岡国際マラソンの経過を気にしてテレビ画面に確認に走る姿が見られる。やはりこの説は正しいのかもしれない。誰でもせかされ気味に、これから一層あわただしさを増すのだろう。

今年は見頃がやや遅れたこともあって、師走に入った京の街で紅葉を楽しむことができた。

ふと立ち止まった目の先で、まさに「今が旬」と赤く染まった枝葉を広げたモミジのふた枝・三枝だけが、ふうわりとした軽やかさでかすかに揺れ動いているのに気付いた。午後も4時に近づいていた頃だったが、風はないと感じていたときだ。それなのに、そこだけが静かに息をしているかのように、肌で感じることさえないような風に乗って揺らめいていた。目が離せなかった。

例えば…、そう、幸せな気持ちをいっそう酔わすように誘い出す揺らめきだったか。自分の心が揺らしていたのか? 美しさと哀しみと…、などときたら川端文学の世界になってしまうが、そんな穏やかならざる世界でもない。ただホンの一瞬でも、日々の暮らしの中で忘れている何かを思い出したり感じさせてくれるひと時が貴く思えている。泣きたいほど美しい光景に接した瞬間だったようにも思い返されるのだ。

「人の運命の不思議さ。思えばいずこから来ていずこへ去るとも不明のまま、人はこの世にある限り、何者かの手に握られた運命の糸にあやつられて、ささやかな喜憂に心を躍らせたり沈ませたりしながら、生涯の旅路をたどっていく。」
寂聴さんの書き出しの一文が心に染む。やはりこれでは少々感傷的だ。紅葉の精でも忍び入ったかなあ。
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