京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「秋らしいわ~~」

2009年10月31日 | 講座・講演
秋の日差しが眩しい。   

青蓮院では国宝「青不動」が平安時代の創建以来初めての公開中。ここから南に下がれば知恩院。丸山公園があって八坂神社・祇園へと続く。
今日は青蓮院とは反対の平安神宮の大鳥居をくぐり、国立近代美術館・京都市美術館をみながら京都会館へと出かけた。
真向かいには京都市勧業館があり伝統工芸品展開催中、続々と人が流れ込んでいく。この岡崎界隈を東へと抜けていけば紅葉見事な永観堂。さらに南禅寺も近い。
まあまあまあ!一帯は観光の名所。

ご飯・みそ汁付きでおばんざいバイキングのお昼をいただき、平安神宮でおみくじを引き、「古典の日記念シンポジウム」開場までの時間を過ごす。友人の「待ち人来たらず・音信なし」・「病治らず」…これで小吉?とのことに大笑い。

     

シンポジウム「やまとごころ やまとうた~生活の中の古典~」

京都の文化の源は「古今和歌集」である。ということが本日のまとめ!かな。
古今集の季節感が日本の重厚な美意識を既成しているのだと。

ひと雨ごとに秋も深まって行くが、雨、水でもみじが赤く染まるのではない。秋らしいわ~と思う心があるかどうか。鹿ともみじ・梅に鶯・…実際そういう光景もほとんど見ない。。梅に雀かもしれないのだ。また、饅頭に竜田川ともみじの焼印。あってもなくても味は変わらない焼印に、季節と王朝をイメージする心で味わえるかどうかが重要なのだと。
「心のたね」をことの葉にのせてうたう。文化はことの葉が作った。もみじではないのだ。理論ではなく「型」であるということ。

枕草子の冒頭。「春はあけぼの。……」、春先、明け方ちょっと早めの時間に、実際今この目で見られる「東山の時間」の状態がそこに綴られている。
夜の祇園だけでなく、京のみやびを見つけにいらっしゃ~~い…とのお話でした。

およそ800年前の藤原俊成作成の原本が冷泉家の蔵に保持されてきている。これが私の自慢なんだと冷泉家当代夫人の貴美子さん。文化の宝庫を学びとろうとした何百人もの過去の有名人がページを繰った手ずれさえ見て取れると。来春展示公開予定。ぜひ…あなたもどうぞ~。

楽しかった!よい時間をいただいた。感謝。
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 本選びとテンションの関係は… 

2009年10月30日 | 催しごと
                 

百万遍知恩寺で秋の古本まつりが開催された。

「百万遍」という交差点名のほうが馴染みがあるが、また、「百万遍」といえば京都大学の代名詞のようにもなっている。
毎月定例の「手づくり市」で賑わう知恩寺は、七堂伽藍がそろう。

参道をはさんで東西に17店がブースを作っている。デコボコで、突然くぼ地にはまったかのような足場の悪さ。製本の講習会開始のアナウンスがある一方で、「お宝」の古書・美術書のオークションが始まる。覗いていると、夏目漱石の全集6巻揃いが「600円」だった。嬉しそうにビニール袋に入れてもらっていた学生らしき男性。どんな作品が?

    

少し古くなると、大型書店ではあっても店頭で買えないことが多い。今回のように古本市でそれがかなうかといえば、それもなかなかない。案外お目当ての本は見つからない。
手にとって開いた本があまりなかった今日。自分のテンションが低かったのだ、きっと。

いつ、どのあたりの書棚に並び、どんな一瞬の気持ちが動いてその本を手に取ったかまで、鮮明に記憶している本もある。自ずと大切な一冊となることがある。

セイゴー(松岡正剛)さんが、東京・丸の内にある丸善の本店に、千夜千冊で取り上げた本を中心に新刊だけでなく古本も買える「松丸本舗」というフロアを展開されているという情報。これは嬉しいチャンスがやってきそうだ。ぜひ覗きたい。

昔、趣味は「読書」なんて書いていたことを思い出す。

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 「熟女」にもなれなくて?

2009年10月29日 | こんな本も読んでみた
読書週刊が始まっている。秋の夜長に…
11月1日は古典の日。古典とは… 古今東西を問わずに、ジャンルの別もなく模範として愛読されてきた書物…。ではあっても、私には日本の古典文学に限定されてしまう。ただ、今何かを読むといっても、ちょっとなあ…。

歴史は好きだ。歴史小説も好き。歴史の好きな女性を「歴女」というらしい。
若い女性の間でも人気がある、みたい。だが、彼女たちがいくら龍馬を追いかけたって「歴女」にはなれないのだ。該当者枠は「熟女」に限ると。熟女って…

    熟 == ウれる(果実が十分に成熟する。)
         ナれる(調和してよくまじって味がよくなる)
                   :‘99年版漢和辞典による

    熟する == 十分にみのる    :最新の広辞苑で

淑女(しゅくじょ)はあっても、熟女(じゅくじょ)など載っていない。
ちなみに淑女は == 善良で徳のある女性・品位のある女性  とある。

齢だけくったって、「淑女」も「熟女」も圏外、とあらば?
  幼女・少女…まさか、天女・美女、烈女?イメージが悪い…、
 (善男)善女。しかし…善女も今一つ。「熟女」も“イメージ”には程遠い。
そこで歴史小説もパス!!

読み出したのは『懐かしき友への手紙』三木卓著(河出書房親書)。
目次を見ると「耳」「指」「膝」「肌」「眼」…と。身体器官の感覚を横軸に、家族や友人、知己など懐かしい人たちとの交流の記憶が時には本名で登場してくる。短編9編の連作。

「人はあちこちこわしながらも、勇敢にたたかっていく」
身体の不調や体力の変化を受け入れようとすれば、老いることは人間の自然な過程となるわけだ。病や体の違和感を通して、他者への感謝となったり共感があり、いたわりが感じられてくる。不思議なぬくもりを感じたりもしている。
「人間であることは、はるかにおもしろいことだった。…すべては満足と感謝の中にある。」 でもその裏で、少し哀しい…かな。
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 静寂さに厳しさが… 

2009年10月27日 | こんなところ訪ねて
      

学生であふれる烏丸今出川周辺。御所の北側を東西に今出川通りが走っている。
通りを越えて御所と向かい合うようにしてレンガ造りの校舎が立ち並ぶ同志社大学。その北東部に隣接して相国寺がある。臨済宗相国寺派の大本山で、九十余の末寺があり金閣寺・銀閣寺もここの末寺となる。

御所の神道、同志社のキリスト教、相国寺は仏教、五木寛之さんはこの交差点付近を「宗教のスクランブル交差点」などと言われている。

金閣寺や銀閣寺は狭い場所に多くの人で賑わう人気スポットだが、本山の相国寺は人の姿もまばらで静かなものだ。禅寺の持つ雰囲気にたっぷり浸って、これがいい。交通量の多い市街地に、四万坪といわれる境内が広がる。誰にも邪魔されることなく、小鳥がさえずっている。買い物袋を提げたご近所さんらしい方とすれ違い、自転車に乗ったおっちゃんや学生が通り抜けていく。

作家・水上勉さんが生活困窮から口減らしのために引き取られたという塔頭の瑞春院。『雁(がん)の寺』と表札も掲げられている。あいにく都合により拝観は中止となっていた。
法堂の天井にある鳴き龍に鳴き声を聞かせていただく。両手を合わせパンッ!反響がある。



少し色づきだしたもみじ、もっこくの実の赤さ、苔の美しさが彩りを添えている。
ここは、静寂さに包まれて厳しい修行生活が日々営まれているのだ…。
水上氏は小僧生活から十三歳で脱走したという。
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 揺らめく炎の中に…

2009年10月25日 | 日々の暮らしの中で
                                   

   山の烏が / 持ってきた /赤い小さな / 状袋
   あけて見たらば / 「月の夜に 山が焼け候 こわく候」
   返事書こうと / 眼が覚めりゃ / なんの もみじの / 葉がひとつ
                       (西條八十)

開けて見たら、三人娘の変わりない近況と弟の三回忌法要の案内が入っていた。

十二月初旬の東京の空気が吸えるな。早くも心が騒ぎ出す。
愛らしく咲く“夢見花”三つ。素直だけれど一筋縄ではいかない個性派ぞろい。どんな夢を育てているのだろう。どこまで夢は育っているのだろう。

一人でも泣けるけど、一人では笑えない ― そんな言葉に触れたことがあるけれど、この家族の明るさを好ましく思うのだ。

長くなったり短かったりと炎は揺らめき、みるみるきれいな薔薇の花の形のロウは溶けてしまった。
        「ねえさん」と呼んでいたかな。
駅まで送ってもらって…、それがサヨナラだったね。

返事を書いて、入れるものがないのでJessieの写真を同封しておいた。

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 小さな幸せ探しに… 

2009年10月24日 | 日々の暮らしの中で

友人が“おばあちゃん”になった。

小さな幸せを探していたら、素敵な天使が舞い降りた。さすがに声も弾み、それが心地よく響く。三男坊に、女の子の初孫である。おもらしをしては息子の衣服に着替え、我が家で一日遊んでいたこの三男坊。お兄ちゃんお姉ちゃんの先を越した。

うまく社会に適応しきれずにいる長男の苦悩を、母親として自分の責任だとしている彼女の日常。何の楽しみがあるだろう…。「日常」こそが人生の大部分であれば、味気ないことだ。勝手な思いで、なかなか外へ出ることがない彼女を誘い出すのは私の楽しみにもなっている。小賢しく、彼女の悩みを掬ってあげようなどという思いなどさらさらない。気楽なものだが、少しは家を離れ、外の空気を吸って、遊んで、一日を終える。それでいいのだ~。

新米じいちゃんの笑顔が見える…。嬉しいだろうなあ~。

嬉しいなあ…、どんなお祝にしようかな?

   (鐘馗さん… 魔除けの瓦人形。邪気を払って幸せを~)
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 祭りの前…

2009年10月21日 | こんなところ訪ねて
         左手奥に健礼門

神無月の名を欺いて京都の十月はお祭り月。

桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都した日にちなみ、明日十月二十二日は百五回目(明治28年/1895年に始まる)の時代祭が行われる。

“京都千年の歴史を綴る時代風俗の行列”と言われ、先頭は明治の維新勤皇隊。西郷隆盛・坂本龍馬も登場し、時代は平安時代へとさかのぼっていく。時代考証をもとに再現された衣装をまとうのはおよそ二千人。ほぼ二キロにわたる行列が建礼門前を出発し、平安神宮へと向かって市内を練り歩く。「文化の秋」ならではか。

かく言う私は先頭近くの行列はもちろん、時代祭そのものをまともに見たことがない。たぶん明日も、見ても、ちらっと見程度だろうし…。

      
       (写真左は北を望んで。右は東を…)

今日、御苑内を歩いてみた。建礼門前の大通り両脇に、観覧席の準備が進んでいた。芝を刈る音が響き、土煙りをあげて熊手や箒を動かす女性たちがいた。
朝からたくさんの人が集まり、沿道の観覧席も賑やかなことだろう。

静かに秋の雲を眺めぶらぶらと…。
京都三大奇祭のひとつ、鞍馬の火祭も明日だ。たいまつが夜空を焦がす。

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 余裕しゃくしゃく…

2009年10月20日 | HALL家の話
               

 「ジェシカさまよ」
 と、kei婆ちゃんが、この日のあさ、ホール家の一人娘・Jessieのお目覚めを今や遅しと待ちくたびれて、芝居もどきの神妙さでもうしあげたものであった。

男の子のだけどと前置きし、ジェシーに自転車を譲ってくれたおばちゃんがいたことを告げた朝。青と黄のツートンカラー、“ピンクの自転車”ではなく、補助車も付いてはなかったが、なんの問題もない三歳児だった。

早速に補助車を付け、練習開始。歩いて十分ほどのお気に入りの公園まで、ガラガラガラガラと騒音をまき散らして日参していたものだ。母親が自転車で同行。行きはよいよい、帰りは歩いたほうがましなことがあるらしかった。母親の不機嫌さが家内の環境汚染、私らの吸う空気を汚してしまう…。自転車二台を引いて、お疲れはごもっともだった。本人は我関せず? いやいや、マミィちゃんのぶつぶつに小さな胸を痛めていたことだろう。でもその後もときどきそういうことはあった。

四歳の誕生日プレゼントだという自転車に乗るジェシー。

一人前の男として自由の世界にいで立つ龍馬さんのおそばにも寄れないが、心なしか顔つきも少女らしさを増し、悠然と落ち着き払ったかに見えるジェシカさま。

寿司好きの彼女のために求めた絵はがき。 
キティちゃんの切手第2弾を貼って投函。
第一声は!?
早くひらがなぐらい読めるようにしてやって~~な、マミィちゃん!
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 息を詰め…解放~

2009年10月19日 | 展覧会
    (脇筋、東を望むと…)

京都大学界隈、左京区百万遍の交差点に近い思文閣美術館で、「没後30年 神谷恵美子がのこしたもの」と題した企画展が開催中。
岡山県の長島愛生園の精神科医としてハンセン病患者に寄り添った方である。日記・遺品の数々・書簡などで一生をたどる。

展示の品々に顔を近づけて文字を追う。息が詰まってくる。一つ読むごとに大きく息を吸い…。なにやら強い力に圧倒される。一人の女性の信念が館内に漂う。なんで人はこうも自ら信じる道を貫き通すことができるのだろう…。低次元のような感慨だけが残った。(帰宅後に、少しばかり彼女の人生を手繰り寄せてみた。)

「何故私たちではなくてあなたが?― 」詩の一節である。“やはり”美しい女性だった。

外は秋晴れ。祇園へ。大石内蔵助が豪遊した場所として有名な赤い土壁の一力茶屋を左にして花見小路通りへと入る。両側にお茶屋や京料理の店が連なる。目的もなくぶらぶらと、建仁寺まで。開放感を満喫。

     
(「笑門」とある)

鍵膳のくずきりがおいしかった。これで満足の一日!



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 おしゃべりが…

2009年10月17日 | 日々の暮らしの中で
  ♪ 君は空を見ているか、風の音をきいているか …
  空気のにおいをかいでいるかな。

頭にタネの殻をつけたまま、少し重そうですが元気です。
畑の脇に置かれた発砲スチロールの箱の中、盛んなおしゃべりが聞こえてきそうです。
かわいいね~、君たち。

ところで君たちは何者?

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 おひでさん  

2009年10月15日 | 日々の暮らしの中で
或日の昼つ方の事である。一人の老婆が、山門の下で雨やみを待っていた。
大きな門の下には、この老婆の外に誰もいない。唯、所々ささくれた、太い支柱の前に、老人用手押し車が一台置いてある。そして、そこにチョコンと腰かける小さな老婆がいた。


その日も、いつの間にかやって来ては、境内に敷き詰めた砂利の隙間に生えた草などを摘んでいた。「おはようございま~す」と声をかけると、お秀さんは必ず立ちあがって一度腰を伸ばす。それからゆっくりと膝に手を当てて腰をかがめる。かわいい笑顔が浮かぶ、いつものあいさつが返ってくるのだった。

「寒いから早く帰って下さいねー」。朝から薄暗かった空は、お秀さんの帰りを待つことなく降り出していた。いつからそこにいたのか…。八十歳に近いお秀さんの足で十分ほどの家まで、車で行くことに。そっと下ろしてあげるはずだったのに、若い人にキャンキャンと礼を言われ、調子が狂ってしまった。

金木犀の香りが漂うこの季節、お秀さんの静かな笑顔は消えた。春の沈丁花、夏のクチナシ、いずれも香りが愛される花である。どんなに愛された花でも、香りから色は生まれない。色の名が生まれたのは「くちなし色」ただひとつ。果実が熟しても口を開かない「クチナシ」。口がなければものも言えない、「謂わぬ色」とも呼ばれるそうな。

いたずらなしゃべりは控え、微笑みを浮かべて生きよと? お秀さん。
もう少しするとその実も熟してくる。
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 空は高く、そぞろ歩いて…

2009年10月13日 | 日々の暮らしの中で
露草を見つけ、きれいに根っこから頂戴して帰った。根元近くに小さな花がひとつ。

赤まんまもしっかり根付き、伸びた茎からはいくつも赤い花がついた。道端や草むらなどどこにでも生えている草に、少しの栄養を与え、成長の促進を図ってみた。すくっと伸びた。…が、所詮は
    ひねもすの埃のまんまの赤のまんま     虚子
なのだろうか。ちょっとお気の毒。そして、ちょっと飽きてしまったの…。

そこで今度はツユクサだ。地面を這って増える似たもの同士だけれど、名前がはかなげで、ゆかしい。今の季節、まだ花開くのだろうか、小さなふくらみをいくつも付けている…。植物の葉や花を直接に摺りつけて布を染めるのに用いた露草だが、水に落ちやすく褪せやすいという。移ろいやすいは人の心…。朝に咲き昼にはしぼむ花、これまたはかないこと。

鹿ケ谷カボチャがぶら下がっていた。ひょうたん型をしている。ぼつぼつがあるほうが形がよいそうで、普通のかぼちゃより栄養価は高いのだそうだ。畑で収穫した野菜を売っているおばあちゃんから、アフリカから来た人が八個も買ってくれたことがあったと聞いた。お国の味と似ているのだとか。甘みは少ないという。

植木鉢をひっくり返した。斑入りの沈丁花のいただきもの。あわてて土を掬い入れていたらみみずが出てきた。危うく触るところだった。「みみず鳴く」、地中での静寂を破られ鳴いていただろうか…。『虫愛づる姫』にもなれなかった、畑仕事に縁遠い理由かもしれない。

何をしているやら、好天の秋の一日だった。
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 「入場券」に酔う…

2009年10月12日 | 日々の暮らしの中で
昨年は、日本が世界に誇る源氏物語が世に出て千年ということで記念式典を初め各種の催し物が相次いだ。

紫式部は千年前の十一月一日の日記に記している。
「あなかしこ。ここらわたりにわかむらさきやさぶらふ」当代一の才人だった藤原公任から声をかけられた日だ。

日本文学研究家のドナルド・キーンさんは、十八歳のときにニューヨーク・タイムズスクエアの書店で英訳の源氏物語と出会ったという。

十一月一日を「古典の日」とする宣言文が読み上げられて一年。
来る一日には「古典の日推進フォーラム2009」が開かれる。俳優の児玉清さんの「書棚の向こうに世界が見える」と題した講演もあるようだ。

また前日十月三十一日には記念シンポジウム、「やまとごころやまとうた~生活の中の古典~」と題して意見交換がなされる。冷泉家時雨亭文庫の披講「古今和歌集」もある。こちらへの参加を希望して往復はがきで申し込み、その返信がやっと!手元に届いた。よかった~~、長いこと待たされた。「番号 6」とは、ずいぶんと早い申し込みだったのだろうか。

たまには少し高尚な?場で雰囲気に酔ってみようっと。…酔うは一時だろうけれど。こんな愛想のない“入場券”なのに、友からのお誘いのよう。なぜか嬉しいわ…。
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…郷に「習う」

2009年10月11日 | 日々の暮らしの中で
ずっと昔のことを思い出しています。私にもちゃんと昔はあった。その頃は心の中に小さなロウソクの灯のようなものがあって、風が吹くとそれが揺れました。そのたびに泣いたり笑ったりしていたのです。やわらかな心でそれを感じていたはずなのに…。

中学生のころからの夢、希望通りの仕事についてすべてのエネルギーを注ぎ込む“輝かしい季節”があった。八月三十一日付けで退職、十月十日挙式。世間を知らぬままに…。
 
日曜日の二人での散歩中、畑で作業する人たちを見て「日曜にも働くの?」と私は言ったらしい。小耳にはさんだ人がいた。「お寺のが…」。ひんしゅくを買った。なんて狭い世の中かと忌々しく…。

ご近所さんが「keiさんに言葉を教えたらな…」と婆様にささやいたらしい。「Tちゃんがいわはったわ~」とだけ私に伝わった。ムクムクと湧きあがる対抗心。完璧な関東弁?で立ち向かう。馴染めずにやたらと反発することも多かった。スイカを食べていけ、お茶を飲んでおしゃべりしていけと誘ってくれる声に甘えながら、おせっかいの優しさを感じられるようになっていっただろうか。
 

意地っ張りで妥協を許さない性格。土地の言葉、風俗習慣、長年に渡って地域で打ち解けるのを邪魔し続けていたようだ。

郷に居ては郷に「習う」。
4歳児のJessie。誕生日のドレス、頬張るサンドイッチ、心なしか顔つきまでオージー化して見える。なんの抵抗もなく楽しんで身につけるお国柄。それが自然なこと。
スッカラカンだった英語もコミュニケーションがずいぶんととれるようになってきているという。
Jessieの話を聞くにつれ、世間知らずがこぼしてきた時間を振り返っている。  
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 まるで違ってしまった…

2009年10月09日 | 日々の暮らしの中で
    
 
  私はまるでちがってしまったのだ
  なるほど私は昨日と同じ残りのカレーなどを食べ
  昨日と同じように財布も軽いがフットワークも軽く
  昨日と同じように可もなく不可もなく生きている
  それでも私はまるでちがってしまったのだ

うすら笑いやニヤニヤ笑い…
愛の女神がほほ笑んでいる

今日の喜びは今日満喫し、明日できることは明日に先延ばし
苦労の割に実りは薄いが多くを語らず
この心根が敬慕の的…   ???

と、こんなことならよいのだけれど…。

黒っぽさが目立ち無愛想な湯呑茶碗が、手に取られることもないまま台所の片隅に伏せてある。ちょっと拝借、お茶を注いで席を離れ戻ってみれば、「あれ?ここに置いておいた湯呑はどこにいったのかな?」という驚き。
色気を帯び鮮やかな変身ぶりに驚かされた。福徳の神々が笑っているではないか。
なあ~んと何と、である。
よく見れば、黒地に白の文字上、ぽつぽつと赤・黄・青・橙の色合いが意味ありげに施されている。どこかの何かのいただきものか。いわばタダモノ。が、なんと「百寿」とあった。こんな有難いもので出がらしのようなお茶を一服!?

「女性は男性より先に死んではいけない」、永瀬清子がそう言っている(『悲しめる友よ』)。

「昨日と同じようになんの取り柄もなく
昨日と同じように不器用にこの世を生きていく」

百歳まで生きて…? 
いや「男性より一日でも後に残って」悲しみを抱きとって行けと― か。

それにしては気軽に取り上げた湯呑に、今日の大いなる「福」をいただいた。
愛の女神がほほ笑む、こんな奇跡は何度でも味わいたいものだ。

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