京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 進行方向

2013年07月29日 | 日々の暮らしの中で
「尺取り虫は 日本の国が どれだけ長いか よっちらよっちら 尺をとる」(竹久夢二)
「黄金虫は、… 金蔵建てた、蔵建てた」(野口雨情)

 

「カミキリムシは樹木の枝や幹の中を食害する。樹木だけではなく草花にも加害する種類がある」と書かれてありました。
防除の方法が示される一方で、虫カゴでの「飼い方」を尋ねる人もいます。カブトムシ、クワガタ、カミキリムシと、同列で名前を羅列するだけの知識しかありません。この模様はよく見ます。インターネットを覗いてみたところ、胡麻斑天牛(ゴマダラカミキリ)だとわかりました。「髪切虫・天牛」と表記することも今頃知って、まあまあ知らないことばかりです。

      天牛の星空の髭長々と  斎藤夏風

この長い触角がどうも気色悪くて、ゾクゾクッとしてきます。アンテナを張って、進行方向を探る役割を果たしているのでしょうか。

手探りで、願うほどの成果を上げられなくても、それをまた種にして、と、鷹揚に構えています。何かを変えたい、…そんな事を願う7月末。
暑さのせいか口論。暑さ増して消耗…。多くは語らず淡々と、準備です。 

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 声に励まされ…

2013年07月25日 | 日々の暮らしの中で

誕生月だった。ずっと微妙に気持ちが不安定で、これまでにない不思議な淋しさも感じながら今日を迎えた。母の年齢に追いついたのだ。

わたしはまだ「ワカイ」、と感じられる、感じていたいのかもしれないが、何かが気持ちの芯にあって、この先に夢見ることも、やりたいことも、続けていきたいことも、様々に抱えている。「先のことなどわかるもんか」と日頃は耳にしてきているが、先が見えないからこその不安で、わけもなく気を揉んだりと焦りを感じることがある。いつになく我が身に母を重ねていたからだろうか。

月半ばに奥琵琶湖ウォークを終えて10日あまり。だいぶのんびり過ごしたけれど、ここのところ暇を見つけては、寂聴さんの『巡礼みち』や「高野紀行」(『仏みち』収)を読んでみたり、『仏教を歩くNO.1 空海』、NHKの「歴史秘話」で放送された「空海からの贈り物、天空の聖地高野山」の録画等々、高野山関係のものに目を通している。宿となる宿坊が根本大塔に近い場所であることも確かめた。

新たな齢を重ねた始まりに、高野山の爽やかな冷気を吸って、とにかくとにかく、ゆったりとした気分で3日間を過ごしたいと願っている。新たな心でこの世との契約を更新というところか。出会うご縁こそ大切に、楽しみたい。今は、一週間ほど先となった高野山夏季大学参加の日を静かに待っているといったところだ。

Jessieの「お誕生日おめでとう」の声が最高のプレゼントになった。Tylerのよくわからないあれこれのおしゃべりも。「ぼく ねんね」という彼は、この電話のあと、6時就寝。
 
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 今は昔、の感

2013年07月23日 | 日々の暮らしの中で

「蝿こそにくき物のうちに入れつべく、愛敬なき物はあれ。人々しう、かたきなどにすべきもののおほきさにはあらねど、秋など、ただよろづの物にゐ、顔などに、ぬれ足してゐるなどよ。」(『枕草子』四三段 岩波古典文学大系 )

蝿こそ「にくきもの」-腹立たしく不快に感じるもの- の中に入れたいほどで、じっさい可愛げのないものだと清少納言さん。敵にまわすほどの大きさではない。が、特に、顔などに止まったりした瞬間を「濡れた足で」ととらえて、不快でたまらないというあたり、その感触まことに「にくきもの」を納得させられる。冷え、ピタッ!?
昼寝などして横になっていると、追い払っても追い払っても寄ってきた小癪な生き物。嫌な奴だったが、家に入ってくることもめったになくなった。

1匹でも部屋に入ってくると悲鳴を上げて逃げ回っていた娘。「閉めて!閉めてや!」「おばあちゃん閉めてや!!」と、必死に叫んでいたのが思い出される。日頃、障子でも襖でも、部屋の仕切り戸を開けても閉めることを忘れる祖母のこと。孫にせかされ、ゆっくりした動作で閉めだすものだから、ふたたび「はよう、しめてや~!」と声が飛ぶのだ。笑えるような、イライラするようなやりとりの光景が、おかしみをもって蘇る。

そんな娘が母親になって、私に孫ができた。当時3歳だった孫娘に、日本語のリズムに触れさせようと意識的に暗唱させてみた一句。
「やれうつなー はえがてをするあしをする~」
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 まるい木の実

2013年07月19日 | 日々の暮らしの中で

          まるい ちいさい 木の実だけれど
          すてきに いいもの ひろってかえった
           ……
          はこに だいじに しまっておこうか
          土に うずめて そだててみようか

          なんの木の実か しらないけれど
          山で いいもの ひろってかえった
                                   「木の実号」 佐藤尚美
 “ 山で 初めての いいもの 見つけました~ ”

                           
6月初旬に散歩道で見つけた真っ青な実。ひとつもいで、皮が向けるのかと試してみましたが、固いこと固いこと。爪先でカリカリと、青臭い、固い実でした。何の木の実か知りません。そのまま7月になって、真っ青だった実にも少し茶色味がかっかってきて、遠目には、キーウィのようにも見える表面です。でも何の木の実なのか、やっぱりわかりませんでした。

琵琶湖岸沿いの道に、この木が多くありました。ツアーの添乗員さんが「クルミでしょ」っと。教わりました。ようやくのこと、「まるいちいさい木の実」がオニグルミだと言うところにたどりつけました。決して珍しいものではないというに、今の今まで知らずにいて…、スッキリしました。
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 見残す塔の名は…

2013年07月18日 | こんな本も読んでみた
「ふらんすへ行きたしと思へども / ふらんすはあまりに遠し / …… 」 

そこで、朔太郎をなぞってみた。
 
   羽黒山へ行きたしと思へども
   羽黒山はあまりに遠し
   せめて図書館で本を借りて
   久木綾子ワールド『禊の塔 羽黒山五重塔仄聞』の旅にいでてみん。


著者89歳でのデビュー作は『見残しの塔 周防国五重塔縁起』(2008年)。
 「人は流転し、消え失せ、跡に塔が残った。塔の名を瑠璃光寺五重塔という。 ……中略…… 塔は、今日も中空にのびのびと五枚の翼を重ね、上昇の姿勢を保ちつづける。」

周防山口に塔を立てるために参集した番匠たち。彼らにかかわる人々の、交錯した運命が描かれた作品はこうして始まっている。

「谷底に這いつくばるような椎葉の明けくれは、彼の胸に高いものへの憧れを駆り立てた。」 九州の隠れ里、椎葉村の描写がやけに心に残ったものだった。久しぶりに文庫本を手にとってみたが、おそらく再読するであろうお気に入りの一冊に。

四条通の書店で、久木さんの2作目『禊の塔』があるのを見つけておいてからだいぶん経っている。文庫化を待ってはいられず、図書館で借りて読見始めている。芭蕉の歩いた細道を辿ってみたいなどと憧れたものだが、今や学生時代の夢で終わりそう。「死と再生の聖なる山」出羽三山のひとつ羽黒山。その羽黒山五重塔をこの目でと願うには、いかにも遠いのだ。

作品の冒頭部分はこうだ。
 「雪は「もつ、もつ」と降りはじめ、「もっつ、もっつ」と地に落ちる。天からの下されものなのである。
   庄内の言葉は奥が深い。
   出羽国田川の見渡す限り広い野面に、昼から、雪がもつ、もつ、と落ちはじめた。」

二日の予定がパワーみなぎらずで、休養日は一日長引いてしまった。ひととおりの事をすませば、フリータイム。
たっぷり充電!? そう暗示にかけるには、ごろごろとお粗末な3日間だったような気もする。でも、まあこれもまたよし、ということに…。




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 奥琵琶湖を訪ねて-③

2013年07月16日 | 奥琵琶湖・湖北路を訪ねて
15日午前6時、滋賀県北部には大雨警報が出されていた。前日から、リュックは、雨具ばかりが大半でふくらんでいた。カッパにリュックのカバー、足元へのスパッツや折り畳み傘…と詰めて、タオルもいつもより2枚余計に持った。きっといつものようにたいして使わないですむだろう…、などと心のどこかで思いながら。今回は、帰途にスーパー銭湯に立ち寄るとあって、着替えも一式含めてある。

途中参加して3回目の行程は菅浦から大浦園地までの10.5kmとあるが、葛籠尾崎展望台でお昼を済ませてからの出発である。すでに山の上。さらにそこからゆるやかな登り道を行くと、竹生島を眼下にする展望所に出た。


「遠くから眺めるとその形には古墳の手本となったものがある」「前方後円墳そのままである」と書かれた白洲正子さん。(「かくれ里」) 大正天皇は「青いタニシ」と讃えられたとか。そんな竹生島へ、子供たちを連れて彦根港から渡ったのは、彼らが小学生だった頃の事だ。船の中でお弁当を食べることを、ひどく喜んだ息子を思い出す。竹生島の形をし、小さな穴を覗くと弁財天が描かれている赤い根付けは未だに手元にある。

葛籠尾崎のある琵琶湖に長く突き出たこの半島は、手入れがなされてなくて荒れ放題だった。見事な大木が折れて頭上の木々に橋を架け、足元は枝を張ったままの倒木が道を塞いでいる。またいだりくぐったりを繰り返す、難儀な道だった。が、本当の危険個所は、このあと。一気に下る斜面に、丸太で作った苔むした階段は足を乗せると滑る。落ち葉の下にかくれた石も、雨で濡れた落ち葉でさえもが危険だった。小さな悲鳴に「大丈夫ですかー」と、前を向いたまま声だけをかけていたガイドさんが、いきなりスッテン、尻もち!! 菅浦集落の東よりに出た。

背後に山を背負い南は琵琶湖という集落は、東西に二つの四足門を設けてある。この村を通過する時は一列で、と記した立て看板があった。




休憩を繰り返しながら、大浦園地まではひたすら湖畔沿いの道を進むだけ。ガイドさんの説明はない。速いテンポでさっさと進んでいく。ガイド氏がだ。「ガイドさん、おさきにどーぞ」と言ってみたくもなるというものだ。実際そう言いながら、この湖面の美しさが心を捉えるものだから、写真を撮ったり振り返ったりと自由に楽しみながら歩かせてもらった。ではあっても、適度に遅れすぎないように続くのだから、出来のいい一団だったはずだ。


この先も湖岸を歩くことになるが、さて次回はどうしようか…。予定通り、午後3時30分、ゴール・イン!
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 自己暗示

2013年07月14日 | 日々の暮らしの中で
明日の予定を前に、今日は少しの時間をも惜しむことなかれと思い立ち、朝のうちに散歩に、ウォーキングを兼ねて出ることにした。これが大正解! 昨日に続き、午前中から、降ったりやんだり短時間集中の大雨に、やがて雷さまも暴れ放題。夕立三日、明日はどうなる事やら。


たっぷりと降った雨に川は音を立て、流れも速い。草が一面同一方向になぎ倒されている。低く雲が垂れ、靄がかかったような川面。日曜日とあってすれ違う車も人もない川の上流へと道沿いに足を延ばしてみた。奥へ行くほど手入れもされておらず、草木は茂り放題だったが、この緑の濃さ、量感は、エネルギームンムンのにおいで包みこんでくる。

はるか前方を歩く女性が、時々立ち止まっては柵に手をかけて、ひと息ついているのが見えていた。追いついたところで声をかけてみると、「この辺りには30センチほどの鯉が3匹いるんですよ。河鹿も鳴きますしねえ。」と。 下を流れる川を覗きこみ、黒いのと赤の薄いのと白っぽいのと…。「親子でしょうかね」「大きさが一緒だからお友達でしょう」

毎日ここを歩かれるというこの方は、96歳だと言われた。笑顔の柔らかさ、口調の中に、よくはわからないが豊かな何かを一瞬ほのかに見せてくれている気がした。素敵だった。「いつの間にか96になってました」と、笑う。50代から始めたテレビ体操は今もって続き、5時半に体操をして散歩に出るのが日課だと言われる。「何のとりえもありませんが、毎日続けることが大事ですわ」と、教えられた。
よいお顔でいらした。つかの間のおしゃべりだったが、とても良い気分をいただき、「またお会いできると嬉しいです」と、お礼を言って別れた。

少しだけれど、ちゃんと体を動かし調整した。これで明日の備えも、まあまあだ…と、自己暗示。

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 忘れ草

2013年07月11日 | 日々の暮らしの中で

ダンプカーがしきりに往来する道でした。ガードレール脇の草むらに濃いオレンジ色のヤブカンゾウの花が咲いていました。八重咲きで、あっぱれなビタミンカラーは炎天に負けていません。活力の彩りです。

この花を身につけると憂さを忘れると言い伝えられて、「忘れ草」の別名があるようです。恋の苦しみから逃れられない思いを「忘れ草」に託して、古来詠まれてきているようです。庭一面に咲かせでもしたら、忘れることは物思いだけには留まらないのでしょうか。
夕刻には萎れるという花。これらのつぼみが咲ききるまでに憂さを失くせるのならよいですが、せめて花の精を閉じ込めておける袋はないものかしら。

猛暑続きの東京にいて、体調はいかがなものかと案じる母親からのメールを気付かないはずがないでしょうに…。二度目にして、最短の2日後、息子から「ごめーん! 返事できなくて。」と始まる返信がありました。もっとも、6月23日からは半月以上経過。メールでさえも言葉を交わす機会が多くもてません。世の親の一人としても、いろいろな憂い?はありますものです。

庭にひと株、ふた株…、時にはこの元気な色を眺めれば、内なるエネルギーも高められるやもしれないと思うのです。
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 炎天下汗して

2013年07月10日 | 日々の暮らしの中で

祇園祭は、7月1日の「切符入り」から始まりますが、7月31日の疫神社の「夏越祭(なごしさい)」に至るまでで、毎日のように神事が繰り広げられていきます。神事の内容については新聞で読むくらいで、私はほとんど知りません。12日から14日には、巡行に先駆けての「曳き初め」で、本番さながらに町内を往復するようです。14日から16日までの宵宮は、夕刻から駒形提灯に灯りがともされ、祇園囃子が響き渡る、もっとも情緒ある3日間といえるのでしょう。

17日の「山鉾巡行」がハイライトです。四条麩屋町に立つ斎竹(いみたけ)に張られた注連縄は神域との結界で、これを長刀鉾の稚児が一刀両断にします。結界を解いたのを合図に山鉾は神域へと進むこととなって、とても重要な儀式になるわけです。



今日から「山鉾建て」が始まりました。毎年巡行の先頭を行く「長刀鉾」の作業の様子です。
36度を超えていた市内、炎天下で職人さんたちが汗して土台のやぐらを組んでいました。縄をかけながら小槌を打っている職人さんも見えます。木部をよりきつく縛るためだそうで、釘は1本も使わずに、縄だけで固定する「縄がらみ」という技法だそうです。熱中症にもならず、神がかりのような神々しさでの作業っぷりでした。 この方たちあっての伝統行事のようです。

夜に入っても下がらない、この四条通り界隈の熱気は半端ではありませんが、このときばかりは「暑さ」こそが、人の出の多さとともに祭りの気分を高揚させるのであって、怨霊も退散せざるを得ない勢いの盛り上がりとなるのでしょう。
ですが…、山に囲まれた京の夏を「焙烙で炒られているような暑さ」と表現されたのはどなただったか、私にはこの暑さがネックになって祭りに足が向きません。「辻回し」を一度、河原町通りで巡行を一度、日中と宵宮を合わせても数度といった具合です。
巡行は1週間後です。
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 小さな生き物が

2013年07月09日 | 日々の暮らしの中で

     年老いし蟻を見掛けしことのなし   高田風人子
黒々、艶々、俊敏な蟻ばかり、ヨボヨボとやっと歩いているような蟻は見たことがない、といったことばが添えられていたのには思わず納得、何やらおかしみが。

庭の通路脇に埋め込んだ30センチはあるかという大きな石を持ち上げると、石の形に土はくれているので、そこにはたくさんの白っぽい卵があって、うじゃうじゃと大集団の蟻たちが一斉に動き出す。一瞬にして体中に鳥肌が立つほどなのに、夏場はよく庭の石を起こしては覗き見していたのを記憶している。子供の頃の事。
食べこぼしに蟻が群がっていたり、大行列をなして畳のヘリに添って座敷に侵入してくるという厄介なこともあった。


 「一匹一匹が3という数字に似ている。… 333333333333……ああ、きりがない。」と表現したのは、フランスの作家、ルナールだそうだが、蟻蟻蟻蟻蟻蟻 これもアリの列に見えてくるから不思議。
 「虫扁に義理の義の字を持ちながら 人の屋敷へ入るは御無礼」、これは山東京伝の黄表紙に。 ほんまに無礼千万と、片っぱしから蟻退治に奮闘などということも珍しくなかったな、と思いだす。けど、なかなかしぶとくて…。

暑さの中で少しは身体を慣らしておかねばなるまいと、ウォーキングいうほどのことではなく歩くことにした。
昼下がり。無礼な侵入者の足音に、川へ逃げ込む音がポチャン、ポチャン。梅の木の下は、草の茂みに身を潜める彼らのお気に入りの場所だったのかもしれない。いるわいるわ、ポチャン!ポチャン!ポチャン! もういないのかい?と、靴先で草をかさこそさせるとまたポチャン! お邪魔しました。






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 七転げ 八起き

2013年07月08日 | こんな本も読んでみた
なんとも異常なほどの蒸し暑さに見舞われて、早く送ってしまいたくもあった梅雨終盤でしたが、近畿地方も本日梅雨明けしました。市内では最高気温が36.9度というではありませんか。驚くなかれ、明日の予報は37度です。

    私はと言えば、『星と祭』(井上靖著)のページを繰る、日盛り。
存在は早くから知っていながら先送り、今、図書館で借りて読んでいます。昭和46年からほぼ1年、333回にわたって朝日新聞朝刊に連載され、単行本は細かな文字で2段組みの読み応えある長編小説です。

竹生島の南方、琵琶湖でもいちばん深い、120メートルぐらいの深さがあるあたりで、突風によりボートが転覆。17歳だった娘のみはるは、一緒にいた青年と共に琵琶湖の底に沈んでしまいます。娘に対して縁薄く生まれついた父親は、7年が経ってようやく娘が眠る琵琶湖を訪れることができるのでした。
湖畔の十一面観音を訪ねて回ります。渡岸寺の十一面、石道寺の十一面、福林寺の…。精神の安定を感じる不思議さ。葬儀ができない苦しみに、死者を悼むために設けられた殯(もがり)の期間を思い、娘との“対話”は、挽歌を詠むことにつながっていくと感じる父親。

 ― 今夜は満月だよ。
 ― 知っています。わたしもいま満月の光を浴びています、
   ……
 ― 少し散歩したいな。
 ― それはだめ。おとうさんは湖の上にいらっしゃるけど、私は湖の中。

「ほかの星にもう一人の俺がいる。そして、この俺はそいつの影!」「遠い星のもう一人の俺」
「みはるよ、遠い星のもう一人のみはるよ」

ずっと琵琶湖に通い続け、愚痴をこぼし、泣いたり、観音に訴えたりして過ごしてきたのが青年の父親。二人の違った悲しみの現し方、死の弔い方などを感じながら、どうしようもなかった悲しみの処理をどのようにみいだしていくのか…、星と祭。あと少し。


7月8日、「本ばかり読んでいないで」の声に、七転げ、八起き。梅雨明けの暑さを避けてのウォーキングにちょいとだけ。
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 ♪スピード スピード 窓の外~

2013年07月05日 | 日々の暮らしの中で
       
京都から新大阪まで、片道540円。5番線ホームから新快速の姫路行きに乗って25分で到着でした。

「電車は2階に入るから、1階へ降りたらすぐわかる」、友人の“あっぱれヨーコさん”がそう言うのを、「そうかねー…」と、半信半疑で聞いていたのは6月半ば。昨日、「まだ行ってないの!?」という友がいました。えっ!? 忘れていたわけではありません。「まだいいやろ~」と、考えていただけの事ですが、「もう行かなあかんのかな」という気にさせられたわけです。“あっぱれヨーコさん”の言葉だけを頼りに、とにかく行ってみることにしました。

速いね、速いね! はやいよ~!! 新快速ってなんて速いの! 走れ~、走れ~ はしれ~~!! 久しぶりに味わうこのスピード。
一駅区間を2分で走るとはいえ、主にが地下鉄、時々バス利用で市内をあちこちしている程度の日々を思い知りました。


なぜか、子供たちを連れて実家へ遊びに帰った時の、息子の姿が思い出されました。4歳だった息子は混み合う山手線のドア付近に立ったまま動かず、その頃はまだ彼の目の位置よりは高めになる窓でしたが、じっと外を眺め続けていたのでした。あのとき何を感じていたのか。今日の私と同じように、速いなー!とでも感心していたのでしょうか。風景の違いに目を奪われていたことも考えられます。

轟音を立てて走る電車、流れる景色。途中、高槻に停車後はノンストップ、次です。新大阪が近づくにつれドキドキし出していました。集合場所を確認するという目的だけですが、新大阪にデビューです。2階のホームから1階へ降りる階段など見当たりません。いったん3階へ上がって改札を出る必要がありました。すぐにはわかりませんでした。

【改札を出たら右へ。新幹線乗り場が右手に見えてくるので、その前からエスカレーターで1階まで下りる(でも2階から1階へはわずかに左方向へ)。1階に出たら右へ…。】
教わった通りにメモをとりました。歩いたコースが周囲の風景と共に頭の中に再現できています。これなら行けるでしょう。午前9時半という集合時間に合わせて、時刻表を確認です。まだもう少し先と思っていた高野山行きですが、懸案事項をひとまず確認し終えて、少しだけ8月2日が引き寄せられました。
蒸し蒸しの大阪は32度を表示していました。どこをみる気もしなくて、とんぼ返りで京都へ戻りました。
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 いかにおはすや…と

2013年07月03日 | 展覧会
昨年5月3日、東大寺ミュージアムの開館記念「特別展 奈良時代の東大寺」展で、法華堂の不空羂索観音像、日光・月光両菩薩像を拝観した。
堂内の像をすべて移動し、仏像や須弥壇を始め壁や床下調査にまで及んだ修理、補強、調査がなされていた法華堂。それは3年に及んだ。その間ミュージアムに移られた三体の像を、ガラス越しに間近にする機会を得たのだった。この3年間を、ABC放送が「天平の美を守れ! 東大寺法華堂・修理の記録」として放映したのをご存じの方は多いかと思う。

法華堂(三月堂)内陣にもどられている不空羂索観音像はいかにおはしますやと、お参りすることにした。いつも、東大寺大仏殿の裏手、土塀が両脇に続く参道からお水取りで名高い二月堂の前を過ぎ、三月堂へと歩くことにしている。
慣れ親しんだ道を、遠く二月堂の舞台を目にしながら一歩づつ歩む楽しさ。期待も膨らむが、なにより和らいだ気持ちになっていくのがわかった。価値観の相違、とまではいかなくても、生じている溝を埋めたくてなんでもきっちり考えようとする自身の性格の弱点が現れてきていた。いらだちや高ぶりを抑え、静かな心を持って仏と対面するために用意されている道だったかもしれない。
朱赤色のザクロの花が咲く二月堂付近だが、小さく口をポッとあけた実がいくつも生り、ねらっていた花の盛りに遅かったことは悔やまれた。  
    花石榴久しう咲いて忘られし  正岡子規

 
法華堂の建立に関しては資料が残っていないという。が、使用されていた木材が年輪から730年ごろの伐採であることが判明している。聖武天皇と光明皇后の御代である。お世継ぎの病気平癒を祈願して建てられた「若草山のふもとに寺」の寺に当たるのではないかとされている。

古くは僧侶以外に堂内にはいることは許されず、礼堂から手を合わせ拝んだそうだ。
薄暗い堂内の須弥壇の上で、両手を強く合掌された祈りの姿が目の前だった。その両脇には、柔らかに手を合わされた日光・月光の両菩薩の姿があったはずなのに、それが消えた。残念でさびしい。
今回の修理で、床下には日本で初めて免震装置が施された法華堂。それでも、塑像である両菩薩像が倒れて壊れることを回避するために今後はミュージアムでの保存が決まったのだという。隙のない合掌の姿に気持ちを引き締められて…。

帰り道、西からのひんやりと心地よい風が吹き抜けていくのを全身で受けてたたずんでいた。「西の十万億土」からの風…かな?
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 「赤おに」さんち

2013年07月01日 | 日々の暮らしの中で

    心のやさしい鬼のうちです。
    どなたでもおいでください。
    おいしい“舞鶴でとれた旬の魚”がございます。
    “焼酎に、酒所伏見の地酒”も用意してございます。

今夜は絵本点訳の例会に参加しました。
帰りを急ぐ道すがらに、ふらりと入ってみたくなる「赤おに」のうちがあります。ちらりっと覗き込みますと、赤おにさんがこちらに背を向けているのが見え、賑やかに話し笑う声が聞こえてきました。
今宵は見上げる月もなく、共に歩くお連れもありません。いつものことながら、足早に通り過ぎるしかありません。寂しい帰り道でございました…。

お菓子にお茶も、この季節にはビアガーデンもよいのですが、こういう店へ小人数で、が私は好きです。

いよいよ7月、いつもより少し早寝を心がけて、体調管理万全に努めようと誓っております。


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