京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

100人いれば100の舞台が

2024年08月11日 | 催しごと
この暑さにお花も長持ちしないのが悩ましいが、阿弥陀さまへのお花も立て終えたし、お飾り、堂内もきれいに整えた。
心地よい大汗を流して、堂内吹き抜ける風に(ああ、極楽ごくらく)の心境…。 
まさに一事に専念よ。


だから今日は午前中から下鴨神社の糺の森で始まった「古本まつり」に向かった(~16日)。


会期の後半にもなるとあちこちで値下げが始まり、3冊1000円コーナーが3冊500円になったり、3冊500円が1冊100円になったり、最後は袋1杯でいくらとする店まで出てくるとか。
ほとんどが初日に一回ということもあって知らずにいるが、店側には、なるべく本を持ち帰りたくないという事情もあるらしい。文庫本を中心にこうしたコーナーを見歩いた。

「本との出会いは縁なのよ。自分の目で棚を眺めるうちに引っ掛かるものが見つかる。勘を頼りに選ぶ数百円の本に一万円の物語が詰まっていたら得した気になるでしょう」
少し古い文庫本を好んで、たまに買いだめして帰る母親に、「今度、神田で買い集めて送ってやるよ」と言ったクニオへ、一言(『クニオ・バンブルーセン』乙川優三郎)。

編集者として働く休日に母を訪ね、母の手料理を食べながら母と子の会話は戦争から文学へと移って ー。
「私ならこうする、という反発的な読み方はつまらないわねえ。ああ、こんな人もいるのかと他者の世界を愉しめたら、実生活の役にも立つし」
クニオにとって小説はすべて人生読本だったから、母親のこうした本の読み方にも教えられた。

以前『生きる』を読み、今回『露の玉垣』を読み終えて、8月に入ってから2店舗のブックオフで時代物ばかりを買い集めた。
乙川作品は現代ものから入ったが、絶望や虚無の底にも生の意味が潜み、明るさを見いだせる作品のとりこになって…。

 

小説は人に同じ解答を与えはしない。
〈文学は、真実は個々の内部にあり、誰にとっても同じである必要はないし、そこに意味がある。文学は個々のものだ〉
100人いれば100の舞台が生まれる、と永田和宏氏が書かれていた。

「憧れから始まる人生に無駄なことはない」とクニオさん。
楽しい毎日は自分で作らなくっちゃ。


水やりに顔を出したのは茶ガマかな?茶子かな? 
見分けはつかないけれど、見慣れてかわいいものです。
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ものすごいエネルギーで

2024年03月20日 | 催しごと

何度目になりますか。等伯さん、またお訪ねいたしました。という感じで、桃山時代を代表する画家・長谷川等伯が描いた「佛涅槃図」の真筆を拝見に本法寺を訪ねた。
1月28日、あのときはレプリカ承知で拝見にうかがったが、年一度の機会には改めてという思いがあった。等伯筆「波龍図」も公開されている。


26歳だった息子の久蔵が急死した。等伯56歳。
秀吉が朝鮮出兵に合わせて築いていた名護屋城で、久蔵は狩野派の絵師たちと大広間の絵を描いているはずだった。にもかかわらず、持ち場ではない天守閣の外壁に絵を描いていて、足場が崩れた。事故死ではない…、と余地を残して『等伯』(安部龍太郎)では描かれた。

才ある息子への大きな期待。この日は公開に合わせて、ボランティアガイド氏の説明を受けることができたが、死の真相に触れる記録は一切ないそうだ。

当時の本法寺住職・日通上人は、絵筆も持たなくなった等伯に命の輪廻転生を説いたという。
五木寛之氏が『百寺巡礼』で書かれている。
【等伯はその寂しさやむなしさを信仰というところに投げかけて、この巨大な絵を描くことに没頭したのだと思う。衆生に対して、なにかを語りかけようとしたのではないか。日蓮宗の信者は、社会に向けて自分のほうからメッセージを送る、という意識を持っていることが多いようだ。賢治にしてもそうで…。】


縦10m、横6m。レプリカと真筆の区別がつくはずはないが、巨大さには目を見張る。
もっとも、更に縦に1m大きいのが室町初期の画僧明兆が描いた東福寺の涅槃像で、釈迦の臨終を嘆く種々の動物の中に猫も描かれている。
等伯はコリー犬を描き込んだ。家族で堺に暮らした時期がありそうで、そこで見かけたのではと想像される。

薄い和紙を何枚も何枚も張り重ねた上に描き、周囲は表装ではなく、牡丹の絵が描かれて仕上げられている。等伯62歳。
絵図の右下には、自分が雪舟より5代目の画家であることを書き込み、また、本法寺に収める前に御所へと持参するなど、自らの名を世にだそうとする戦略もなかなかのもの、とガイド氏。
左の沙羅双樹の根元には、やつれた表情で座り込む等伯の姿がある。釈迦は久蔵ではないか…。

ボランティア氏は、「闇の絵師」が面白かったとお話だった。作者は「さわだ?」「さわだ?」とつぶやく。
帰宅後ネットで検索してみると、澤田ふじ子さんに『闇の絵巻』というのがあった。

 
本阿弥光悦が唯一作庭したという巴の庭。半円を二つ組み合わせた円形石で「日」、切り石による十角形の「蓮」池で、「日蓮」が表現されている。
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青い空に五重塔

2023年12月21日 | 催しごと
風があり空気も冷たいけれど、広がったこの青空。


毎月21日は東寺で弘法市が開かれるが、年内最後のこの日は「終い弘法」としてにぎわう。
正月用品を買い求めることより、この風物詩を単純に楽しみ、人混みの中に身を紛れ込ます。
店主と客の会話を聞くともなしに聞き、両者の目の先にあるものを覗く。値段を知るや孫娘と目が合い、「高いな」と言ってくる小声に「うん。そんなもんよ」と笑って返す。

アンティ・ダイ(ダイ叔母さん)へ、お土産として求めるのは花器だったが、孫娘の若い感性を動かすような出会いはなかったとみえる。たしかに、ここではちょっと無理かもしれない。
    
      終い弘法母へお皿の二、三枚    陽山道子


四条に移動して…。
11月初め、「キューピーちゃんの続編やね」「ツバキ文具店の続編の続編? 再婚して連れ子にキューピーちゃんがいたよねえ」
と言ってきた娘。キューピーちゃんを知らなくて、話についていけなかったが、ようは『椿ノ恋文』が読みたいということらしく、リクエストの本3冊を購入。

 
「TylerとLukasの天才教育でも始めるんやろか」
Jessieと書棚から探し出した本のページをパラパラとめくってみた(こんなん知らんわー)。


クリスマスが近い。Jessieの希望をかなえてサンタさんになろう。
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言霊は肉声に宿る

2023年11月23日 | 催しごと
〈言霊は肉声に宿る〉とどなたかが言われた。
東本願寺の御影堂に響き渡る正信偈や念仏和讃、浄土和讃の大音声。


「何言うてるかわからんお経やな」と後方でささやいた御仁ではないが、わからないなりにも
注がれるありがたいようなものを全身で浴びていた。と、そんな感覚を、今も思いだす。
東本願寺で勤まる報恩講にお参りした。

60人を超える僧侶によって小一時間続いた読経。最前列に母親と座った入学前とみえる子は、前に向かって手を振っていたから内陣にお父さんが座っていたのかもしれない。家でお勤めに親しんでいるのか、行儀の良さは立派だった。そんな子を見たことが嬉しくもある。

今夏、ニュージーランドに短期留学した高校生の感話があった。
多くの人と通じ合いたいと思っていたが、自分のことをわかってもらおうとばかり意気込むのではなく、相手の(他者の)言うことに耳を傾け、理解しようとする思いがなければ、心を通じ合わせることは難しいと実感したという。世界の平和に、対話の必要性を挙げていた。
彼がその時感じた限界、そしてこれからの彼の可能性を聞き取ることができた。
 「知眼(ちげん)くらしとかなしむな」

結局は細くても拙くても、自らの言葉を自分から発するしかない。肉声が心をとらえる。
人と人を繋ぐのはそうやって発せられた言葉しかないのだな。
〈聞く耳持てたら、橋が架かる〉、魂の往来ができそうだ。自分にできることをしていけばいい。


22日、朝4時半に家を出たという孫娘。母親経由で情報を得ていたが、昨夜9時半ごろ目的のホテルに着いたことを知らせてきた。
仲のよいお連れがいるのが心強い。
19.9キロのスーツケースを引いて、階段の上がり下りは重労働。「まじできつかった」と言ってきた。
歩道橋なのか、親切な助っ人氏に感謝していた(が、気を付けてよといってはまずいのかな?)
26日に、友人は名古屋へ、一方はこちらに。

  
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夜はテレビを消して

2023年11月01日 | 催しごと
今日から秋の古本まつりが始まった(~11/5)。



大阪の寝屋川から京阪電車で出てくる友人と、会場の百万遍知恩寺門前で待ち合わせる。
待っているとき、「本なんか読まへん」と言って自転車を押していく人がいたが、境内は老いも若きもでにぎわっていた。

文学者の評伝とか文学者による文学論といった類の文庫本を何冊か買った。

 例えばこれ。
毎日新聞文化面に週一で掲載された(‘00.4~’01.3)ものだという。24人の24作品を通して吉本文学論が読めそうだ。

  夏ごろに娘にと思って買っておいた『空飛ぶ馬』(北村薫)を読んでみて、その続き、「円紫さんと私」シリーズの2作目となる『夜の蝉』を100円で購入した。

【文章の静かな味わい。高雅な文体。抒情の精妙と知性と作の興趣とを兼ね備えた作家の一人】などと北村文学が評されるのを読んで、娘よりひと足早く【上質な紅茶の香り】を味わってみたかった。2杯目のおかわりはどんなもんかしら…。
娘に6冊ほど選んでもみた。

『等伯』を読み始めている。
長谷川信春(等伯)が能登の七尾を追放されることになる経緯は衝撃だった。妻子を連れて京へ、本法寺を頼って先を急ぐが、信長の比叡山焼き討ち、近江侵攻に遭遇し、難儀を極める…。こちらはストーリーで読み進む。

読み急いではいけない。そんな必要もない。
《読書は忘れた頃に知恵になる》と雑誌の見出しで情報を得た。この言葉に、「本も、人の中で眠るうちに育つ」という古井由吉さんの言葉が重なった。

夜はテレビを消して、…。
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絵解き

2023年04月23日 | 催しごと
慶讃法要が勤まる西本願寺の門前。


向かいのミュージアムでは法要に関連した春季特別展開催中で、土曜日だけ〈三河すーぱー絵解き座〉による絵解きの実演があるので昨日出かけた。この座は僧侶もそうでない人もいて、20年の活動歴があるという。琵琶の音とともに語りは始まった。

9幅の太子絵伝(複製)が掛けられ、差し棒で示しながらのお話は、
聖徳太子の誕生、握ったままの指が開かれた2歳のときの合掌、その姿像、開いた手から零れ落ちたという仏舎利、仏教伝来による蘇我氏と物部氏の対立、太子の教え、長野の善光寺、善光さんのこと、四天王寺建立、六角堂での親鸞との関わり…等々。

〈絵解き〉と言えば『那智山熊野権現曼荼羅』を絵解きして、熊野への信仰を掻き立てた熊野比丘尼が浮かぶ。
物悲しい節回しで諸国に「熊野の本地」の物語や熊野権現の霊験を語り伝えた女たち。
かつて熊野古道を歩くツアーに参加していた折に、善男善女の涙を絞ったという比丘尼の話を読んだこともあった。


この日絵解きを披露された座長さんは「絵解きはエンターテイメント」とお話のようだ。どう伝えるか、絵伝を穴のあくほど見つめ考え抜いて台本を書く、のだとか。
太子の教えも、親鸞聖人の教えも、弟子たち、あるいは志ある人々の書や語りを通して広まる姿を見ることができる。『論語』もそういうことだ。
一度聞いてすべては記憶に残らないし身に添えない。誤って解釈することもある。だからこそ教えを聞き問答し語り合うという姿勢が問われてくるのだろう。

『金剛の塔』を思いだし書架から取り出した。昨年秋、初発の感想は作品の構成も含めてイマイチだった。
「わかりやすいことは薄っぺらでもある。なにも考えさせない小説に良質な読後感は期待できない」と乙川優三郎氏が作中の人物に言わせていた(『この地上で…』)。
あのときのモヤモヤ。絵解きが再読へといざなってくれているのか。太子のお導きか。
どこかに聖徳太子のストラップが落ちているかもしれない。
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蓮如上人御影道中

2023年04月17日 | 催しごと
浄土真宗中興の祖・蓮如上人の北陸教化と真宗再興のご遺徳を偲び、吉崎別院では毎年「御忌(ぎょき)法要」が勤まります。

「御影道中」は、御忌法要をお迎えするため蓮如上人が歩んだ東本願寺と福井県の吉崎別院を結ぶ往路(御下向 )約240km、復路(御上洛)約280kmの道程を、上人の御影(ごえい)とともに歩む大切な御仏事で、江戸時代から300年以上続けられ本年が350回目となります。
300年を超えて、この力は何なのか、どこから来るのでしょうか。

今年は親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要をお勤め中の御下向ともなり、しかもコロナ禍で途絶えていた「歩いて」の道中が復活しました。

阿弥陀堂での下向式を終え、蓮如上人の御影が収められた輿をリヤカーに乗せています。

御影堂門を出て北へ


「蓮如上人さまのお通りー」
先触れの声が響きます。輿を乗せたリヤカーを引く歩みはかなりの速さでした。速い! 


式典に参拝し、五条まで共に歩いて、お見送りする機会をいただきました。

下向最大の難所、木ノ芽峠を行く時は、御影を入れたお櫃を背負ってゆくようです。責任の重み、いのちの重みを感じると供奉人の長を勤める方がお話でした。

乱世の時代、対立した比叡山延暦寺の衆徒は本願寺を破壊しつくし、蓮如上人は滋賀県の堅田に移って布教の拠点としましたが宗徒に追われ、やがて越前吉崎へと発ちます。
蓮如上人39歳から始まる五木寛之氏による『蓮如 -我深き淵よりー』(中公文庫)は、上人が吉崎に向けて船出する57歳まで、戯曲で書かれています。

「されば朝には厚顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」(「御文」から)
朝方にはいかに元気であり、明るくふるまっていても、夕方には死んでしまうようなこの身である。「のがれがたきは無常なり」。
無常の苦から救済されるには阿弥陀仏をひたすら頼むことである、お念仏もうしましょう、という信仰が…。

今夜は小関の光徳寺にお泊りでしょうか。由緒あるお寺です。
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なにしに行ったのか…

2023年04月16日 | 催しごと
「前登志夫没後15年企画」展を奈良町にぎわいの家に訪ねた。


前さんの創作活動は「詩」から始まったようだが、私は平素から「詩」とは疎遠できた。
20代の氏が中心となった吉野発の文芸誌『望郷』『詩豹』。「歌人以前の前登志夫の活動の足跡を紹介する」とあるが…。
コピーされた何篇かの詩が蔵の壁に貼られてあって、それを読まなければ具体的に詩に触れることはできないのだが、腰をかがめ目を凝らさなければならなくて、文字を追うという根気を失うのは早かった。


「20代の頃、詩を書いていた私は、突如として20代の終りに短歌を詠むようになった」
(「いのちなりけり 現代における自然詠とは」『いのちなりけり吉野晩禱』収)

学んだこと、失ったことがあるという。
先ず学んだことは草木鳥魚を細やかに視るようになったことで、山河自然への眼を開かれた。観念の言語とイメージにまみれていたので、削ぎ落す苦痛は一入だったと書く。
が、作歌の世界に入ってたちまち自然についての考え方に覚えた違和感は、40数年たっても続いているとある。
手法上の分類、題材としての自然詠に過ぎず、自然への哲学が欠けているように思われた。
心理や感情移入しているたぐいのものが多く、余計なもの、はからいを詠み込む歌は理に落ちた後味が残る、などと書かれている。

はてはて、ムズカシイ。
『吉野山河抄』から始まる氏の散文集を通して詩歌にも触れるという読者でしかないが、言葉を味わい作家の思考に近づくために、きっとこれからも繰り返し読むだろう何冊かの本があればいい。
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♪ひとりでも ひとりじゃない

2023年04月01日 | 催しごと
桜の開花が進むにつれてそわそわと、じっとしていられずに腰を上げる日々が続いた。
今日4月1日。少し気持ちを整えたくて東本願寺に参拝した。数珠をもって。
「宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年 慶讃(きょうさん)法要」が3月25日から始まった(~4/29)。


美しく整備されて生まれかわった門前に、何台のバス?

今回初めて御影堂と阿弥陀堂が一体となって勤まっている。

今日は中日、音楽法要が勤まる。席は予約していないので、後席の一角に設けられた自由席のエリアに腰を掛けた。前方には各地からバスで来られた方々が多いのだろうか。

分断、分裂が言われる今の時代だが、せめて日々の暮らしの中では自己満足よりも、互いに響き合い通い合って生きることに喜びを見いだしたい。

〈他者とともに生きる〉。そのためには、他者への想像力が問われる。相手の身になることはできないが、一人ひとりの人生の中で、相手の痛みを思いやる感性、「ねんごろのこころ」を持つ優しさを心に添わせて、日々道を歩んでいくことが大切なのではないのかな。

孤立せず、仲間を作って他者とともにバラバラに生きる。

宗務総長による〈表白〉の中で、心に残る言葉があった。
「なにか方向や答えを建てようとすれば、それは分断につながっていきます。しかし、私たちは生きるために立場を建てざるを得ない存在であります。その立場は時に、他者を傷つけ排除するか、あるいは立ちつくすしかない現実を作り出してしまいます。……」

で考えさせられたのです。分断や争いを超えてゆく道…。

  「ひとりでも ひとりじゃない 昔も今もこれからも」
      慶讃テーマソング「ひとりじゃない」(歌詞・串馬千聖)の中にこんな一節が。



 親鸞聖人生誕850年特別展「親鸞 生涯と名宝」  京都国立博物館 (3/25 - 5/21)
 「真宗と聖徳太子」  龍谷ミュージアム (4/1 - 5/28)
※ 「若き日の親鸞」 五木寛之『親鸞 -青春篇』を原作として 南座 (4/10 - 4/29)
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けじめなく売る

2023年02月21日 | 催しごと
「なにもかもけじめなく売る」弘法市へ。


夜来の雪に積雪が見られ、早朝は大きな雪がしきりに降り続いていた。
東寺の弘法さんに行く約束の日だった。
市内でも南と北で雪の降りようには差がある。案の定、風は強かったが雪はみられなくて、青空が広がっていた。
初めてだという友人は、大阪からにこにこ顔でやってきた。見歩く楽しみ心を持てば十分だと思う。

大正の終わりから昭和の8年まで京都に住んでいた柳宗悦。
彼はその在住の折、朝市にはずいぶんと心が誘われたという。ただ、もう当時すでに物の質は落ちていたようだ。




「大体こういう朝市には、何も名のある立派なものは出てこない。だから、評判などに便(たよ)ってものを見る要もない。こういう所こそ誰もに自由な選択を求めているのである。」と『京の朝市』で書いている。

欲しいものがあれば買い求める。掘り出し物としての値打ちを持つかどうかは、ものとのお付き合いの日々にかかると思えば気楽ではないの。

「この股引どうやあ。町で買うたら1000円はしますえ。390円安いよ。日本製だからねー。のびるよ」
腰をかがめ、誰にいうともなく老店主が声を上げていた。婦人物のタイツみたいだったけどなあ…。肌着に古着、帽子もある。
店主は5枚で薦めるが、一枚だけ、400円で小皿を買う男性がいた。


大玉の津軽林檎を手に持って、どう店主を振り向かせればいいのかわからない外国の女性。お連れさんが「スミマセン」と教えている。「スミマセン」と呼んだら振りむいた。
3種類のうちコーラ味を選びたがっていた外国人家族。店主はひたすら手のひらを差し出し代金を要求…。なんかちぐはぐだけど、なれているのかな。見ていてちょっと不安になった。
こうしたやりとりを見聞きし歩くのは楽しい。


南門の下に店を広げた餅屋さんで、黒豆入りの餅を2袋買う。
友人は中鉢を一つ買っていた。すぐき、干し柿も。餅を一袋、重くなるけどおすそ分け。



なにもかもけじめなく売っていた。
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屋根裏に400年前のノミ

2022年11月05日 | 催しごと

大徳寺山門・金毛閣の北側にあって平素は非公開の方丈は、玄関、廊下、庫裏や仏殿などと合わせて2026年完了予定で半解体修理が進んでいる。
方丈は住宅に近い形式の建物だそうで、本来住持の住まいとして用いられるものだったのが、のちには接待や行事の場としても使用されてきている。平面は前後4室の八間取形式で、内部はほとんど畳敷きとされている(そうだ)。

その方丈の修理現場の南東隅の屋根裏で、軒先の板と上の部材に挟まれた形で400年前の大工道具のノミが見つかった。
今日、明日と修理現場の無料公開があり、ノミも展示されるというので、ぜひ一見と足を運んだ。


こうした現場を見ることは過去に機会はあったが初めてのことで、この壮観な、入り組んだ部材の構造に息をのんだ。美しいではないの。すごいものだ。

ノミはこのあたり、

吊り上げられた部材に押し付けられ、下の板にめり込んでいた。

上の部材は江戸初期1635年に方丈が建てられた当初から外されていないので、この時に残置されたノミだと判断された。


「これだけしっかり部材を設置するときに、気づかなかったとは思えない」
とは言え、
「当時の大工道具はとても高価。ノミは使い込まれており、愛用の品をあえて置くだろうか」
…と現場主任さんもいぶかしむ様子が紙上に記されていた。ノミを磨き直すことは考えていないと話す方が現場においでだった。

見あげれば、

日本最古の、つまり建立当時から使われ続けている畳の裏面や天井板に、墨書きの文字が残されて。
軒桁に柱がめり込み、「く」の字に折れてしまっていたようで、大きく傾いた柱の欠陥の修理もあるという。

そこかしこで私見を披露される方もおられ、耳にするのも楽しいことだった。
詳しいことなどようわからんけど、こっそり?聞き入った。みんな興奮してる?

多くの人がかかわって、この建物ができる。鉋屑を箒とちり取りを持って掃き集め、技術を盗む駆け出しの職人さん。ノミを研ぐ職人の汗。優れた匠の技。補修、修復にあたる人間の英知。継がれる伝統。今回の修復は未来何百年か先の職人たちによって目に触れ評価もされるのだろう。
どれをとってもやはり興奮するほど素晴らしいこと!と、素人はただただ感動です。
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天狗の品々を愛でて称えて

2022年11月03日 | 催しごと
「文化の日」。


京の老舗の集まり(「洛趣会」 現在26店舗)の展示会に友人が誘ってくださっていたので東福寺の会場入り口で待ち合わせた。
真っ青な上空をヘリコプターが飛んでいくのを見あげながら友人を待った(姉さま、かなりの時間をお待ちしましたよ)。

色づき始め、

三門の楼上内陣が公開中だった

「お売りしません お褒めください」
各店自慢のとっておきの品々を鼻を高くして披露する、年に一度の企画(ネットより)。それぞれの店のブースの壁には天狗の面がかかっている。

何を見ても「すごい」「きれい」としか言葉が出ないという会話を耳にするが、同感だった。一言では片づけられない、伝統や技術の担い手としてのご苦労等々あるはずなのを思う。
自分の日常とはかけ離れているが、時に足を止め、少しじっくり拝見する形で礼を尽くした。後ろから「ありがとうございました」の声が届く。
京のブランド。これも立派な文化財だと思う。

仏具店も法衣店も出店はないわけだが、広い東福寺の境内地を歩く衣姿の僧の方々のなんとまあ皆さん恰幅のよいことかと目を引いた。


何年前のことだったかな。児童文学者・石井桃子さんが
「どうしたら平和の方へ向かってゆけるだろうと、人間がしている、いのちがけの仕事が『文化』なのだと思う」
と書いていることを教えられたことがあった。同じ文化の日に…。
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人それぞれに月あかり

2022年10月30日 | 催しごと

珍しく友人から古本まつりに行かないかと声がかかった。
百万遍知恩寺境内で始まっている(10/29~11/3)。


十夜法要を目当てに11月1日に行く予定でいたのを、ころっと変更。
膝の手術をして、まだ杖が離せない状態なので人混みは避けている。
しかし本人からの誘いなので、快く受けた。

「ブログ読んでるよ」。思わぬ一言だったが、もうずいぶん前にも一度言われた覚えがある。
言葉が刺激とって、相手の言葉に促されて、話が次から次へ発展、展開する楽しさを味わえる関係は、得難い友の一人だと実感している。

相手の言葉を聞いてその瞬間に自分も話したくなる。この状態を〈発信準備〉というらしい。
こうなると相手の話は聞けなくなる。
目の前の人の話を聞きながら他のことを考えてしまうことは私にもあるが、そういうとき、相手の言葉は私に届いていないということだ。
人の話を聞くことはそう簡単ではないということなのだが…。

ちょっと違う。
文学でも好みの範疇は異なるが、かえってそれが対話の先に視野が広がる思いがする。息が合うというのか。

四条へ出て長い一休み。そして書店に立ち寄った。
知恩寺は手ぶらで出たが、2冊購入して帰った。一冊は薦められて。




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見ておくべきものは、やはり見たい

2022年10月01日 | 催しごと
若い日の夢はあきらめずにじっと抱いていないといけない。自分の身内に力の潮がみちてきたとき、必ずその卵は孵(かえ)る。どうしても形を成さない、しかし夢の一つにはちがいないというものは筐底(きょうてい)深く秘めておく。
――田辺聖子さんが書いている。

学生時代から文学散歩や社寺仏閣への関心が高まり、御朱印をいただくなどしてその足跡を残してもきた。法要や御開帳の縁にあずかり、聞法を重ね、時には心を整えるための参拝だったりもしたし、今も続く。ただ今はもう朱印帳を持ち歩くことはなくなった。数珠があればいい。

葉室麟さんが『古都再見』に書き残された「人生の幕が下りる。近頃、そんなことをよく思う。…幕が下りるその前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ」の言葉が妙に私の心に住み着いてしまっている。だからではないが――。

5月初旬に滋賀県愛知郡にある湖東三山の一つ百済寺に参拝した折、10月に秘仏十一面観音菩薩立像の特別公開があることを知って、ずっとこの日を待っていた。10月初めの行動はここへ、と決めていた。





5月には、格子戸越しに美しい聖観音と如意輪観音像と出会え、聖観音像の足元に「拈華微笑」の文字がしたためられてあった。
聖徳太子による建立だと伝わる百済寺。奈良の飛鳥寺に次ぐ古さだとされる。

この簡素な本堂(江戸時代の再建)に、戦火を逃れ、守り伝えられたてきた十一面観音がおいでだ。人々の篤い思いあればこそ。同じように信長の焼き討ちから守り伝えてきた湖北の多くの観音像が思い起こされる。内陣に入れていただけて、お姿を拝す。






長く続くゆるやかな石段。苔むしたみごとな石垣。杉木立。突き当りの石垣の上に、ようやくのこと本堂が見えてくる。右に回り込んで、息を整える時間が要った。
「百済寺城」。広大な山域に立ち並ぶ僧坊の数は“一千坊”とも数え、惜しまれたとか。甲子園の20倍、京都御所の7倍の広さを誇ったものの、信長の焼き討ちに合い、壊滅状態とされた。



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食えば食うほど食い気が

2022年08月12日 | 催しごと
「中学を卒業すると上京し、古書店に勤めた」出久根達郎さん。
『本と暮らせば』で書かれている。

「古書店は本を読むのが仕事である。売る者は買う客の数倍、読まなくてはならぬ。満腹だからといって、食うのをやめてはいけない。しかし面白いことに、本は食えば食うほど、更に食い気が増し、とめどがない」。
「読書人は年をとらない。…女性は、美人ばかりである。眼に張りがあるせいである。活字で洗われたまなこは、一点の曇りも無い。男性は、卑しさがない」。    (そうかしら~ぁ?)

朝から黒い雲に日差しが遮られがちだ。祇園祭で人出が増えることもあり、7月8日を最後に街中への外出は控え、映画の誘いも断るという自重を続けてきた。ワクチン接種後の体調も落ち着いたし、私には今日しかない。

ということで、納涼古本まつり開催中(~16)の糺の森に出向いた。ほんの1時間半ほどだったが、不特定多数の中に身を置いた不安は残る。
やっぱり気持ちが落ち着かないのか。春も今日も、食い気どころか食傷気味。
350円で講談社学術文庫を一冊だけ買って帰った。

出久根さんの文章をもう少しだけ読み進めた先には、「あきんどの売り口上」って言葉がある。


ここは最も北側。奥へ、南は西側に河合神社という位置で出店している。河合神社の神官の家に生まれたのが『方丈記』を著した鴨長明ということはよく知られるところ。


ホント、たま~に、そお~っと、涼やかな風がながれてくる。(ああ、きもちいい)と独り言ちたいけどそれも我慢して、背表紙を追う目を休める。
コメント (5)
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