京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

よく見て聞いて、確かめて

2022年11月30日 | こんなところ訪ねて
滋賀県の湖西、坂本にある日吉大社の「もみじまつり」に案内してあげようと誘われたのを、少し待ってもらっていたところ、昨日は生憎雨が降り続き、明けて雨は上がったが、空模様はいまひとつ。まだ訪れたことがない日吉大社だったが、薄暗い神社はちょっとユーウツと予定を変更した。

白洲正子の『十一面観音巡礼』に登場する、十一面四臂(しび)という珍しい形式をもつ、盛安寺の十一面観音立像にお目にかかりたいと、初めて穴太(あのう)駅に降り立った。
盛安寺は、びわ湖百八霊場湖西第七番。坂本城主・明智光秀とゆかりが深く、「明智寺」とも呼ばれたという。


そして、「穴太」といえば…。


美しい石垣。戦国時代の築城で活躍した石積みの職人集団「穴太衆」によるみごとな石積み。

 

石を加工せず自然のままに積み重ねる「穴太衆積み」と言われ、比叡山延暦寺や日吉大社の門前町で発展した。石工職人の間では「石の声を聴き、石の行きたいところへ持っていけ」という言葉があるという。
かつては300人を超えた職人さんが、今はたったの4人になったなど、しばらく前の新聞紙上で、15代目の「穴太衆頭」粟田純徳さんの記事を読む機会があった。

残念なことに、ご住職は「寺用で出かけます」中だった。本堂にも客殿にも上がれない。
おまけに十一面観音の公開日は決まっているとわかった。


「ほとんど秘仏のようになっている」と白洲さんの文中にあったのを、良く確かめもしないで…。
天智天皇が近江に都を作ったときの鎮護の寺・崇福寺伝来の仏像。「どこをどういうふうにして穴太まで辿りついたのか、おそらく名もない村人によって、火災の中から救い出され、現在に至るまで守られてきたに違いない」と白洲さん。


本堂の階段の脇に腰を下ろし、昼まで待ってみる? 坂本へ行く? 帰る? と三択で思案。浜大津まで戻って琵琶湖を見ながら食事におしゃべりと決まった。
雨は上がったのに、大きくフラレタ11月末日。
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背表紙を眺めながら

2022年11月28日 | 日々の暮らしの中で
今年は母の33回忌に当たっていた。縁者はみな関東に住まいしていて、実家の墓守も拙寺で勤めている。お墓参りと我が家でのお勤めをしておいて、報恩講が終わった東本願寺に参拝した。
思いだす人がいなくなった時、故人は二度目の死を迎える、と言われたのはどなただったか。

その帰り、書店に立ち寄った。
『カカ・ムラド』と、平台から『バスでおでかけ』(絵・文 間瀬なおかた)を選んで、ブックサンタさんになった。

孫のLukasが3、4歳のころ、彼自身はバスにあまり縁がなかったが、工藤ノリコさんの『ペンギンきょうだいバスのたび』を好んでいて、繰り返し繰り返し「これ読んで」と数ある中から抜き出してくる一冊だった。なんべんとなく一緒にお話を追ったことが思い出された。

母親ともたびたび訪れているようで勝手知ったる書店。私ともよく行ったが、足を運んだ割に本を買ってあげることはなかったのではなかったか。姉や兄の時の本がたくさんあったせいだろう。
そんな子が明日は6歳の誕生日を迎える。近所の公園仲間が誕生日を祝ってくれたそうな。


ここは本店よりも好きな店で、先日来探していた『平台がおまちかね』を見つけた。これまた他店では見られなかった『背表紙は歌う』と合わせて、買ってしまった。


『本バスめぐりん』など、本を巡る、書店を訪れる、様々な人間の背景が描かれるのを興味深く読めたこともあって、ついもう少しと欲が出ていた。未読の本が積み重なるほどあるのに。

「背表紙を眺めながら暮らしたい」といわれた斎藤環さん。電子書籍にないものが背表紙で、並んで見えるものは一つの表現となるから、書棚をあまりあけすけにしたくない。物質としての本には、本と暮らす楽しみがある、などと。

積んでおいて後で読めばいいってことさ、と思い直そう。
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ブックサンタになろうっと

2022年11月25日 | 日々の暮らしの中で
今年もブックサンタに参加しようと思って、これを選んでみました。
何冊かまとめようか。あるいは指定の書店数店で1冊ずつ購入し、預けようか。考えているところです。

 

【 2019年12月4日、中村哲医師は支援先のアフガニスタンで、銃に打たれて亡くなりました。
この本は、中村さんに助けてもらったことを後世に語り継ぐために、アフガニスタンで出版された2冊の絵本、『カカ・ムラド~ナカムラのおじさん』と『カカ・ムラドと魔法の小箱』に解説を加えてまとめたものです。
『カカ・ムラド~ナカムラのおじさん』は、中村さんがアフガニスタンで行ってきたこと、事実を基に描かれた創作です。『カカ・ムラドと魔法の言葉』は、作者のイメージする中村さんが登場するファンタジーです。(後略)】   (はじめに より)

テレビで、紙上でも紹介されていましたので、ご存じの方は多いことでしょう。


「水があれば、きっと人は生きられるだろう」(一つぶの麦 さだまさし)
魔法は手品ではなく、継がれ継がれて、続く。知恵はみんなで出し合うもの。
みんなで出し合う知恵は、ものごとを実行に移し、継続するためのエネルギー源になる。

 

幼い子にはちょっと大人が仲立ちをしてあげたい。
鶴見俊輔さんは、少年時代に読んだデュマの『巌窟王』を100回以上読み返してきたそうで、本はぼろぼろに。こういう1冊を持つことはとても幸せなこと。
もちろん孫たちのもとへも贈りたい一冊です。




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それでも理想へと向かう国

2022年11月23日 | 日々の暮らしの中で
来年度(1月末ごろから)は6年生に進級するのを前に、孫のTylerが“スポーツキャプテン”に立候補したと聞いたのは10月中旬だった。何やら50項目ほどある一つ一つに教師からサインをもらわねばならず、それらを経て昨日、スピーチに臨んだ。
今度は1年生になる弟のLukasも会場に座っている。母親が送ってくれた動画には、幼い子供の泣き声が入っていた。

大阪にいたときに参加していたラグビースクールでは、コーチ陣から「タイラー、大きな声出して!」と一喝?される常習者だったのだ。母親は「普段はうるさいくらい大きな声なのに」とむくれるし…。そんな子が立候補したと聞いて、へえー!と思ったほど、実は意外であった。もうこれは彼の生涯に刻まれる貴重な体験をしているときだと、結果は二の次で喜ばしく感じている。

 

スピーチをする横に、手話通訳の先生が立つ。
手話を必要とする子が何人かいて、手話ができる先生も何人かいる、と。兄がスピーチの練習をするそばで、弟の身振り手振りがなんだったのかがわかる。
Ausに帰国してまもなく1年半。二人が学校生活の中で学んでいけることは広がるようだ。


「日本の障害者政策に9月、国連から厳しい勧告が突き付けられた。障害者権利委員会が特別支援教育を『分離教育』として改善を求めた。障害のある子とない子とがともに学ぶ『インクルーシブ(包摂)教育』への移行だ」
京都新聞10月16日付のコラムはこう書き始まっていた。

そのあとだったか。知的障害があって言葉が離せない、支援学校に通うご長男(9)のことを記者が名入りで綴っておられるのを読んだ。
一般小学校に通わせ、子が受けるかもしれない苦しみを思う心配が、支援学校選択の理由の一つだったこと。現在は温かく育んでもらっていることへの感謝。
「こうした環境が全国の地域の小学校内にあれば。どの子にも的確な支えと心配りがなされ、同じ建物・校庭で過ごすうちに、多様な人と人が織りなす社会の心地よさを自然に学べたなら。」と書いておられた。
壁は山ほどあるが、それでも現実から理想へと向かう国であってほしい、と結ぶ。

Lukasの真似ぶりから思いは飛んだ。みんなが相互に生かされる、救われる社会…。
                        
                         (絵は小林良正さんのほほえみ地蔵)
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すべきことをすませて

2022年11月21日 | 日々の暮らしの中で
昨夜日付が変わる頃には雨が降り出していた。
横になって本を読んでいたが、(よう動かしてもらったわ)という思いをやわらかにほぐしてくれる、よいタイミングでの雨音だった。
お参りのなかったご門徒さん宅へ、おけそくさんをお届けにあがるのは午前中でいいとして、今朝は少しゆっくり過ごした。雨上がり、わりと暖かい。


月曜日の朝刊は文芸欄を一番の楽しみにしている。
松下隆一氏の「季節のエッセー」で、川端康成の掌編小説『秋の雨』が取り上げられていた。
何年か前、大阪へ通う京阪電車の往復の車中で読み進めた一冊だった。肝心の作品については、うろ覚えだ。

「紅葉した山に火の降るまぼろしが、私の目の奥に見えていた」
と始まる。主人公の「私」は京都へ行く急行列車に乗っている。
物語の普遍性、無常をはらんでいるなどノーベル賞作家の真骨頂、と松下氏。
取り出してページを繰るが、なにか落ち着かない。すべきことを後回しにしているせいだ。
おけそくさんを袋に入れて、腰を上げた。

今日から本山で報恩講が始まった(~28日)。
私には参拝が一年の締めのような、心を整える機会になってきた。お参りしたいものだ。


明日は孫のTylerクン、立候補演説、スピーチを控えているらしく、練習の様子を娘が動画で送ってくれた。傍らには兄の肩をポンポンと、緊張を笑いに変える弟の存在。そして、兄のスピーチを手話通訳しているつもりらしい。

  
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そう思いたい

2022年11月19日 | 日々の暮らしの中で
古井由吉さんが、鐘の音のことを平成27年「月間住職」に寄せた随想で書いておられる。
文中、
――お寺の鐘の音というものを、東京で生まれ育った私は日常聞いた覚えがない。あるいは遠くにかすかに聞こえていたのを、忘れているのかもしれない。

… 冬の冴えた空気にくっきりと響く、あるいは初夏の小雨の中にやわらかにふくらむ、あるいは晩秋の風にとぎれがちに運ばれてくる、そんな遠い鐘の音へ、私もつくづく耳をやったことがあるような気がする。

往古の歌集を読むうちに、鐘の音を詠み込んだ歌に出会うと、今しがた聞こえたかのように、遠くへ耳をやることがある。千年もの時空を渡ってくる鐘の声ということになるか。
… 何かと事にまぎれる人生にあって、我に返った心地もするのではないか。


――諸行無常の鐘の声 聞いて驚く人もなし
そんな歌謡が近世にはあったそうだ。これが世の常であろう。しかしひとつの寺の鐘を、その声の渡る範囲の里や街の人が揃って耳にする。それだけでも功徳ではなかったか。ほんのつかのまの、意識にもならぬ、悟りというものはある。悟りとまでは行かなくても、しばしのあらたまりはあるだろう。諸行無常の声は、哀しみではあるが、人生に行き詰まった者には、救いでもあるはずだ。

結びにはこうある。
今の世に寺院というものがあるからには、音にならなくても鐘の声は、おのずとある、とそう思いたい。寺院そのものが鐘の声ではないか。… 過去の衆生の存在を、今の衆生に感じさせる。


こんなに慕わしく寺の鐘を書いた作品を読んだことがなかった気がする。
今では、日々の早朝の鐘の音はうるさいという苦情が出るようになった。

午後1時、鐘を撞く。ゴーン ゴーン
「これから ほんこさん、お勤めします」
と、お知らせの鐘です。
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3日前の接触って

2022年11月17日 | 日々の暮らしの中で

今日昼になって、ドキリとする一報が…。
「月曜日、インフルエンザの予防接種後に体調がおかしくなって、念のために検査したところコロナ陽性の結果が出てしまいました。咳と喉の傷みだけの元気な患者です」
先週の金曜日に大山崎山荘美術館へ一緒に出掛けた友人からでした。

今になって変わりはないかと尋ねられても、そんなこととは露知らず一昨日には別の友人と映画を見て、昨日も行事ごとの準備のために外部の方と接触もしています。むろんマスク着用。

感染が確認される4日5日前にはすでに感染していると耳にしたことがあり、やはり自分がかわいいものですから、会ってから今日までの日数、体調、行動履歴を確認し…と、安心材料を見つけ出そうといち早く頭は働くのです。
その一方で、なんやら喉の奥が痛むのです。気がするのです。
もしかすると、無症状の私が彼女に感染させたのかもしれない、なんて考えることはかなり時間が経ってからでした。

土日にマスクなしで会食、おしゃべり。これがまずかったので、あなたは濃厚接触者ではありませんから、と伝えられましたんですが。
濃厚接触者になりたいわけなどありませんが、感染確認の3日前、これは“4、5日前には”の範囲内で不安が残ります。でも、わが身と映画の友の無事を祈り、自宅待機…、とはいかない忙しさです。




 

プレップスクール(幼稚園の年代)に通うLukas。象のエディと一日一緒に過ごし、日記を書いて、翌日エディと日記帳を次の子に回すという試みがクラスで行われているのだとか。
その順番がやってきたようです。
言葉の一語にも反映するLukasの世界。そんなたいそうな文など書かないでしょうから案外ひと言、「かわいかった」あたりかもしれないと思うのです。
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台所は畑に相談して

2022年11月15日 | 映画・観劇

浄土真宗の「妙好人」の関連で水上勉の全集を読んだとき、収められていた『土を喰(くら)う日々』をついでにという程度で目を通したことがあった。
ずいぶん前のことで、残るメモ書きもわずか。映画の原案となって、このカバーがかかった文庫本が出ているのを知っていたので、映画を見たあと書店に立ち寄った。写真も多く、文字も大きく明るくスッキリ、別物みたいで親しく読める。


九つから禅寺寺院の庫裡で暮らして、精進料理を覚えた水上勉さん。
京の相国寺の瑞春院で、五月がくると和尚さんと筍掘りをした。和尚は「喰いごろ」を教え、「肥やしになるでな」を口癖に、皮はその場でむくように言った。そんなシーンの回想もあった。

料理といっても材料が豊富にあるわけではない。何もない台所から絞り出すには、畑と相談してからだった。「精進料理とは、土を喰うものだと思った」のは、そのせいだと書いている。
「旬を喰うことはつまり土を喰うことだろう。土にいま出ている菜だということで精進は生々してくる。台所が、典座職(禅寺での賄役の呼称)なる人によって土と結びついていなければならぬ」。こういうことが老師の教えだったとも綴られる。

千年のベストセラ―、道元禅師の『典座(てんぞ)教典』は折に触れ引かれる。

 

読んでいると映画のシーンが思い出される。
大きな窓から眺める四季の移り変わり。ランプの灯りでの読み書き。食事の支度に畑に向かう。洗って調理して…。ツトムさんの一つ一つの所作に漂う品の良さ。妻亡きあと、親しくなった女性編集者との別れも心に沁みる。エンディングに流れた沢田研二が歌う歌の歌詞とともに…。
豊かな時間の流れ、丁寧に生きる日々、「調理の時間は、心をつくしてつくる時間」など、改めて考えた。

七輪に餅焼き網を置いて、くわいを焼く。皮などむかず、じっくり黒色化してくる頃あいを見てころがす。おせちには含め煮にしているくわいだが、氏のレパートリーの一つをぜひ試してみよう。
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あなたのお越しをお待ちします

2022年11月13日 | こんな本も読んでみた
若い方のブログで『本バスめぐりん』(大崎梢)が紹介されていたのを拝見し、早速購入して楽しんだ。著者は13年間にわたる書店員体験があるという。並んでいたデビュー作『配達あかずきん 成風堂書店事件メモ』と合わせて。


移動図書館、“本バスめぐりん”に乗り込むのは定年退職後に再就職した65歳の新人運転手テルさんと25歳の図書館司書ウメちゃん。
積み込む3000冊の本は向かう先々の利用者の好みを知って入れ替えられ、市内16か所のステーションを巡る。そうした日々にさまざまな利用者たちとの出会いを重ね、時にトラブルも抱える。見知らぬ人が「めぐりん」を介して近づきあう瞬間が温かい。
ーここにいますよ。二週間に一度。雨の日も晴れの日も曇りの日も。
  あなたのお越しをお待ちしますー

『配達あかずきん…』では書店の日常業務も描かれ、客との関わりの中で事件が持ち上がる。むろん警察沙汰というものばかりではなく、書店員杏子とアルバイトの学生の多絵を中心にして謎が解き明かされていく短編集だった。
これまで文庫本の背に表示されている記号や数字を意識することなくいたことに気づかされた。

独り暮らしで80歳に近い寝たきりの清水さんから、本を差し入れてほしいと頼まれた男性が成風堂を訪れた。清水さんが不自由な言葉で伝え、うまく聞き取れないままメモされた紙には、
「あのじゅうさにーち いいよんさんわん ああさぶろうに」
と呪文のような言葉がならぶ。出版社は「パンダ」だと言ったと断言した。

「ああさぶろうに」では →「あ」の「さぶろうに/3.6.2」→「あ」の「36」番目は新潮文庫で綾辻行人を指す→その「2」番目の本、…となると『殺人鬼』。
読書家だった清水さんが、パンダの絵のある新潮文庫目録からタイトルに変えて発した記号や数字は、助けてほしいというSOSのメッセージだったのだ。

どの話も平板ではなく、文学臭も濃く、細やかに描き込まれて解明への道をたどっている。
なかなかの作品だなと、謎解きを追い追い楽しんだ。


日に30点近い文庫本新刊を平台にどう並べるかは難題で、微妙な法則があると書く。
通は平台を見ただけで、その本屋の個性と担当者のセンスを見切る、と言われているとも。


図書館と書店とでは本の流れが異なるが、「本を一冊読むたびに、自分の中の窓が開く感じなんだな」と言うベンの言葉(『プリズン・ブック・クラブ』)が思い出され、だからこそ、読書は面白い!といいたくなる。

【彼女の隣には、物言わぬコミックが一冊、いつも寄り添っていたのだろう。傷ついても裏切られてもあきらめず、希望をなくさず、ギリギリのところで勇気を振り絞り、苦境に、立ち向かっていく主人公が。そして、たくましくも陽気な、その仲間たちが。】
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漱石も訪ねた山荘で

2022年11月11日 | 展覧会

アサヒビール大山崎山荘美術館へ。
気候が良くなったら行こうと機会を待って、今日になった。
「天下分け目の天王山」。天正10(1582)年、秀吉軍と光秀軍が戦った山崎の合戦の舞台が近い。秀吉は大山崎から天下統一へと乗り出す。

山の斜面に建つ美術館。大山崎駅前から歩いて10分ほどの道だが、行きは送迎バスを利用した。
降りてからも緩やかなのぼり道を進んで



山荘は大正から昭和初期に、実業家・加賀正太郎が自ら設計して建てた別荘だった。夫妻亡きあと平成に入って取り壊しの危機にあうが、保存運動を機にアサヒビールと京都府が連携し、美術館としてよみがえったという。
加賀正太郎は、スイスのユングフラウに登頂した初めての日本人として名を残しているそうで、この展覧会が開かれる背景を知った思いだった。


入り口は狭いが意匠を凝らした、贅を尽くした内装が素晴らしい。

エルンスト・クライドルフ、ハンス・フィッシャー、フェリックス・ホフマンの3人の画家が紹介される。
悪いことをした男の両の頬にヒキガエルがへばりついた。涙を流すことがあって、頬のヒキガエルははがれたが、それは背中に回ってはりついた。一生背負って生きていかなければならない、という展開だ。頬に二匹のヒキガエルの絵…。「おお、こわっ」と友人と顔を見合わせた。

10数枚の『こねこのぴっち』の絵がかわいい。

『ブレーメンのおんがくたい』『ラプンツェル』『おおかみと七ひきのこやぎ』など馴染みのある作品もあった。


帰りは歩いて下った。
「このあとの梅田行きは止めよう。こんないい空気を吸って梅田の人混みに行く意味がない」という友人の言葉を大歓迎で受け入れ、内心ほっとしていた。「行く?」と聞かれたら、「もう体力的に無理だわ」と返事を準備していたくらいだったし。


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うららかな良き日

2022年11月09日 | 日々の暮らしの中で
昨夜は皆既月食の余韻のままに10時半、ほぼ真上に見上げたお月さんの静かな輝きの美しかったこと。
今宵もまた、ちょうどよい角度に仰ぎ見る月は明るく、孤高を保つ美しさに感じ入るばかり。あたりにはネオンもないし、暗い夜空に冴える月あかり。何を思うでもないまま見あげていた。


うららかな良き日だった。
図書館で返却の用を済ませて帰宅。おにぎりを作って、外でお昼をいただくことにした。
ウルシの葉はひときわ目を引く鮮やかさで、夏場ははびこって鬱陶しいだけの蔓ものが、
この時季には赤く染まって初冬の彩りを増している。
 ♪秋の夕日に 照るやま もみじ~
ちょっと遠慮気味に口ずさんでみた

「食べんとかいや!」「食べたらあかんで」
近くにやってきた女性のグループが賑やかだ。「お父さんのみそ汁に入れるわ」
キノコ談義に笑わせてもらった。


「日本行きのチケットがえらいたっけーーっ」と悲鳴が聞こえてきた。
2回乗り換えで格安便を使ってでも…。 孫娘一人で2回乗り換えて、はきついだろう。
コロナが“第八波入り”とは思ってもいなかったようだ。インフルエンザの流行も懸念される国に、迎える側にも緊張感がある。

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火の用心

2022年11月07日 | 日々の暮らしの中で

午前中、灯油の移動販売で庫裏と本堂で使用する分を購入したところだった。
今月は報恩講を勤めることもあって、少しずつできる準備は進めなくてはならない。
本堂は石油ストーブと火鉢で暖をとっている。
ストーブやロウソクの消し忘れとか、火の元には注意を払ってきているが…。

西本願寺の向かい、堀川通を挟んだ門前は、北へもだが、南へは龍谷ミュージアムや旅館や仏具店、民家など、ブロック一画はとても建て込んでいる。夕刻のニュースで、通りに面した仏具店倉庫から出火したことを知って、びっくりした。  

火事は怖い。「火事」は一年中いつでも起こりうるが、冬の季語になる。暦の上ではまさに今日は立冬。

   ぬけろうじでもなさそうよ火の用心  西野文代

抜路地。通り抜けができる路地をいうが、路地といえばどん突きがある。
「通り」によって区切られたブロックが並ぶ京の街。その1区画の中を縦横に抜ける細道があったり、どん突きだったり、というわけだ。
家が集まり多くの人が寄って暮らしている。大事にならなくて本当に良かった。

ひと事ではなかった。気を引き締めなくっちゃいけないと思ったのだった。

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屋根裏に400年前のノミ

2022年11月05日 | 催しごと

大徳寺山門・金毛閣の北側にあって平素は非公開の方丈は、玄関、廊下、庫裏や仏殿などと合わせて2026年完了予定で半解体修理が進んでいる。
方丈は住宅に近い形式の建物だそうで、本来住持の住まいとして用いられるものだったのが、のちには接待や行事の場としても使用されてきている。平面は前後4室の八間取形式で、内部はほとんど畳敷きとされている(そうだ)。

その方丈の修理現場の南東隅の屋根裏で、軒先の板と上の部材に挟まれた形で400年前の大工道具のノミが見つかった。
今日、明日と修理現場の無料公開があり、ノミも展示されるというので、ぜひ一見と足を運んだ。


こうした現場を見ることは過去に機会はあったが初めてのことで、この壮観な、入り組んだ部材の構造に息をのんだ。美しいではないの。すごいものだ。

ノミはこのあたり、

吊り上げられた部材に押し付けられ、下の板にめり込んでいた。

上の部材は江戸初期1635年に方丈が建てられた当初から外されていないので、この時に残置されたノミだと判断された。


「これだけしっかり部材を設置するときに、気づかなかったとは思えない」
とは言え、
「当時の大工道具はとても高価。ノミは使い込まれており、愛用の品をあえて置くだろうか」
…と現場主任さんもいぶかしむ様子が紙上に記されていた。ノミを磨き直すことは考えていないと話す方が現場においでだった。

見あげれば、

日本最古の、つまり建立当時から使われ続けている畳の裏面や天井板に、墨書きの文字が残されて。
軒桁に柱がめり込み、「く」の字に折れてしまっていたようで、大きく傾いた柱の欠陥の修理もあるという。

そこかしこで私見を披露される方もおられ、耳にするのも楽しいことだった。
詳しいことなどようわからんけど、こっそり?聞き入った。みんな興奮してる?

多くの人がかかわって、この建物ができる。鉋屑を箒とちり取りを持って掃き集め、技術を盗む駆け出しの職人さん。ノミを研ぐ職人の汗。優れた匠の技。補修、修復にあたる人間の英知。継がれる伝統。今回の修復は未来何百年か先の職人たちによって目に触れ評価もされるのだろう。
どれをとってもやはり興奮するほど素晴らしいこと!と、素人はただただ感動です。
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天狗の品々を愛でて称えて

2022年11月03日 | 催しごと
「文化の日」。


京の老舗の集まり(「洛趣会」 現在26店舗)の展示会に友人が誘ってくださっていたので東福寺の会場入り口で待ち合わせた。
真っ青な上空をヘリコプターが飛んでいくのを見あげながら友人を待った(姉さま、かなりの時間をお待ちしましたよ)。

色づき始め、

三門の楼上内陣が公開中だった

「お売りしません お褒めください」
各店自慢のとっておきの品々を鼻を高くして披露する、年に一度の企画(ネットより)。それぞれの店のブースの壁には天狗の面がかかっている。

何を見ても「すごい」「きれい」としか言葉が出ないという会話を耳にするが、同感だった。一言では片づけられない、伝統や技術の担い手としてのご苦労等々あるはずなのを思う。
自分の日常とはかけ離れているが、時に足を止め、少しじっくり拝見する形で礼を尽くした。後ろから「ありがとうございました」の声が届く。
京のブランド。これも立派な文化財だと思う。

仏具店も法衣店も出店はないわけだが、広い東福寺の境内地を歩く衣姿の僧の方々のなんとまあ皆さん恰幅のよいことかと目を引いた。


何年前のことだったかな。児童文学者・石井桃子さんが
「どうしたら平和の方へ向かってゆけるだろうと、人間がしている、いのちがけの仕事が『文化』なのだと思う」
と書いていることを教えられたことがあった。同じ文化の日に…。
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門外不出

2022年11月01日 | 日々の暮らしの中で
雨が降り続いて、門外不出。
じっとしていると冷えてくるので上着を一枚重ねて寒さ対策としたが、
やっぱり寒い。読書に小さな湯たんぽを抱えて、時々居眠り。


『金剛の塔』を読んでいたとき、幸田露伴の『五重塔』に関心が広がった。のっそり十兵衛さん、どんな話だったか。再読になるし、手早く抑えようとしたが簡単ではなかった。
長らく無沙汰の文体に慣れ、気持ちがそこに入るには、拾い読みなどでは到底無理とわかった。
会話も、心情も、人間関係も、描かれた言葉を少しも味わえない。これを“心の余白”に描きこむことが必要だったのに。
大事なのは筋ではない。倍速は鈍行より効率悪く、同じ場所を読み返すばかりとなる。

今、映画も録画された授業も、倍速で見る学生が増えているらしい。手っ取り早くスジを知り最速で内容を把握したい。バイトや趣味に忙しい学生の気持ちは分かるけれどとしながら、「時間の効率化は失うものも大きいことを知っておくべきです」と龍谷大学の学長さんがお話なのを読んだ。その最たるものが「心の余白」だと。心の余白が少ないと、短絡的な思考や行動につながりがちであることを指摘されている。

まさに私への機をたがわぬ忠告、戒めと受け止めた。たっぷり時間があるわけではないが、ゆっくりでいい。
                                                              
休養になったような、疲れたような一日は暮れた。    ( ↑ 絵・文はROKUさん)


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