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4日、2時間ほどバスに揺られて着いたJRきのくに線の紀伊宮原駅。風の冷たさに思わず首をすくめた第1歩、万歩計をセットして上着を着込んだ。実際はもう少し薄手で間に合ったが、このへんの調節が難しい。やがてリュックにしまい込んでしまった。
前々日、2日は大雨警報発令、前日も大荒れという天気が噓のような、この青空!
有田川に架かる宮原橋を渡り、万葉集にも詠まれた糸我の里から歩き始める。
足代過ぎて絲鹿の山の桜花 散らずあらなむ還り来るまで
中将姫ゆかりの得生寺、日本第一稲荷の糸我稲荷神社、隣接する熊野古道歴史民俗資料館と立ち寄り、糸我峠・方津戸峠を越えると、醤油発祥の地として栄えた宿場町・湯浅の町に入る。旧街道を進みながら河瀬(ごのせ)王子が終着地になる。
参加者19名、語り部・添乗員さん含めて21人の同行になった。長髪の語り部氏は、ユーモアと笑顔が持ち味か、手ぶら拡声器、タイピンマイクでの説明が聞き取りやすい。
小さな文字でびっしりとメモを取る82歳の男性。毎朝、琵琶湖ホールの階段を1段おきに上ることを繰り返し、筋力を保つ努力をされているそうだ。25年間鍛えてきが、「いっぱいいっぱいだ」と笑いながら歩かれる。隣り合わせてみて、歩幅は大きく、膝をバネにするかのように多少からだが上下に揺れるのが特徴で、リズミカルに一定した歩調なのがわかった。それにしてもあまりのマイペース、「あ~、ぶつかるな~」と見ていると案の定の追突! 渋滞などとは無縁のはずだが、前方不注意、スピード違反? 「びっくりした~」とは追突者の弁、お元気お元気だ。
資料館には、藤原定家が御幸に随行した際の記録が、イラスト入りの工夫で展示されていた。行きは一日平均26km、帰りは52km、暗いうちに松明を照らして進む。宿泊所は寒い。各王子へは先参りを済ませねばならない役目に、毎朝の水浴びが伴う。心身のお清めとあって、風邪引きでも免れることはかなわない。一ヶ月に及ぶ熊野御幸への同行は厳しかったことだろう。
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↓
目の前に地面・足元が迫るという急勾配の糸我峠。周囲のみかん畑に演歌が流れ、収穫中の女性がいた。どうしたら取り尽くせるのかと思うほどのみかんだけれど、いずれ出荷されるのだろうか。振り返れば紀伊宮原方面が一望できる。こればかりは上らなくては見られない光景だ。だから歩きながらいつもよく振り返る。
そして、下ろうとした視線の先に! うわ~ぉ、これから行く湯浅の町の眺望だ。
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湯浅から温暖で水利の便のいい千葉県の銚子へと醤油製造業者は進出したのだと知ったが、
銚子は醤油のにおいより干物のにおいが強烈だったと記憶する。醤油と言えば野田かな。
蒸し器のせいろを利用した「せいろミュージアム」や灯篭のアイディアの楽しさが目を引いた。
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天保9年(1838)の大きな石の道標、背後の家の2階を囲む銅版、ともに富の集積の証しだとか。中世・近世・現代の熊野古道が交差する地。
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「すぐ熊野古道」の石碑は「まっすぐ進め」と教えているのだと。
熊野本宮大社を目指して、まだまだ先は長く遠い。順調に進んで一年後のことだ。
遠景も近景も、振り返った眼下にも、見事なまでの青空の下にみかん畑が輝いた熊野古道だった。万歩計は18479歩…。