京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 鐘の音

2010年12月31日 | 催しごと
               
鮮やかだった黄葉も散り落ちた街路樹の姿に、季節の巡りをしみじみと感じていた今日。
師走の行事をこなしながら、いよいよ2010年も今日一日限り。
ゆっくりと振り返っている余裕もなくきたが、それでも、「私の耳は大きいか?」と振り返ったとき、いろいろな言葉をじっくり聞ける一年にしたいと思ったことだけはしっかり覚えている。一日一日大切に過ごそうと思ったことも…。
楽しい出来事がたくさんあった、いい一年だった。そう言える、感じている。
いいこといっぱいあったなあ~~。

無銘ではあっても、余韻のある音色の響きは喜ばれている鐘だ。
厳しい寒さの中の除夜の鐘つきとなりそうだ。

大晦日の夜には、寝ずに新しい年を待つ風習があった。「守歳」と言うとある。
「故歳 今宵尽き、新年 明旦来る。…」 北斗七星が横たわる東北のかなたを望み、よき春の訪れを期待する。
『漢語日暦』12月31日の項にはそう記されている。
「よき春の訪れ」を願って…。                           
できることなら、すやすやとした眠りについてしまっているだろう、
はるか海の向こうの5歳児のもとにも、鐘の音に込めた願いが届くことを祈りたい…。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 お花を立てて…

2010年12月27日 | 日々の暮らしの中で
             

「残り日少なし ペースを上げて取り組もう」
今日の運勢にこうあったのだ。何もかもお見通しのように、勝手にむちゃくちゃ言わないで~。
夕飯のあと睡魔が襲う。眠気には勝てずテレビの前で小1時間夢の世界をさまよう始末。
あとはお花を立てて、内陣の飾りつけなど…。庫裏はどうしても後回しか、そこそこで見切りをつける。もう目いっぱいだ~、ということだな。

暮らしの空間を美しく飾るために花を生ける。
最も多いのが、自由に活けて楽しむ生け花だろう。小座敷の床飾りにふさわしい形式と格を備えたものもあり、さらにはもうひとつ、これから内陣の仏さまに飾るお花のように、「立てる」と言っているが、立花の形式のものがある。
詳しくはない知識をポロリとこぼしてしまえば、もうこれだけで底をつくのだが…。

「立花」は江戸時代のいけばなの中でも最も古い様式になり、室町時代以前は、花を生けることを「たてる」と言ったという。神仏に花を「たてまつる」意味が込められる。

芯には一本の松を生けている。そして「真(心)・副・体(しん・そえ・たい)」の比は、枝ぶりのバランスを取りながら、目安となる基準は7・5・3。 見た目の量感もよし、と言うところか。
自己流だと言いながら、見映えよく立てたらいいと言うのが婆さまだった。
活け上がりは両の手でやっとこさ花器を持ち上げる重さになってしまう。それを何とか奥の壇上に、まさに供え奉る。据え置いてから更に水を足し入れるのだ。
      
                    縁起良くウサギの絵が

花の少ない季節、蠟梅の枝をご自由にと生花店に提供しながら、物々交換よろしく持ちつ持たれつのお付き合いなどが生じている。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ちゃ~んと

2010年12月24日 | 催しごと
  「はやくあいたい」 

ちゃ~~んと我が家にも、こうJessie直筆のメッセージが添えられたクリスマスカードが届いています。

世間のムードからはちょっと引いて、それでもホクホクの暖かな思いを楽しませてもらっています。Jessieのおかげです。
判読できる文字、Jessieのこの一年の成長ぶりはまさに「クリスマスサプライズ」で、
大きなプレゼントをもらった気がします。

夏のクリスマスを迎えているオーストラリアでも、80年ぶりの記録となる気温の低さだとか…。
家族や親戚が寄って賑やかに楽しむクリスマス。
どんなプレゼントに埋もれるのかな?? お楽しみあれ~。

今夜は冷たい北風が音を立てて吹いています。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 ♪『聖夜』

2010年12月23日 | 日々の暮らしの中で
   

十二月二十五日は、キリストの誕生日だと広く知られている、と言っていいのだろうか。「クリスマスの日」という認識ではなかろうなあ。

若い男生が二人、レジ待ちの列の後ろでしゃべっていた。
「つい買ってしまうな」「服が買えなくなったらヤバイ。それだけはやめよな」
クリスマスソングが流れ、きれいに飾り付けられた店内は活気に満ちている。
各階ごとに何か買ってしまいそうだ、と笑う二人がかわいくもあるような。

    あれを買ひこれを買ひクリスマスケーキ買ふ      三村純也

「降誕祭」、その前夜をクリスマスイブ「聖夜」というのかな。
「♪ き~よし この夜 星は ひ~かり」…と、イブを目前にしてまことに恐縮だけれど、京都西本願寺第21代大谷光尊の次女として生まれた九条武子さんをご存知だろうか。
あの柳原白蓮とともに「大正三美人」と言われる武子さん。
    おほいなる もののちからに ひかれゆく
             わがあしおとの おぼつかなしや

佛教讃歌の一曲に、九条武子作詞 中山晋平作曲の「聖夜」がある。
    ガンジス川の 真砂(まさご)より
    あまたおわする ほとけたち
    夜ひる つねに守らすと
    聞くになごめる わがこころ

プレゼントを贈るほどでしかない身のクリスマスだからと言って、誰もが浮かれているその隙に割って入って佛教讃歌『聖夜』など、場違いでしょうかねえ~~。
ちょっとだけ、ご勘弁を~。きれいなお方ですよ、武子さん。


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 かるたは優れもの

2010年12月22日 | 日々の暮らしの中で
やっぱり~!
「ちびまる子ちゃんのことわざかるた」もよさそうだけれど…
昨年末、「日本のことわざかるた」をJessieには送っていた。二つもいらない。

「脳によい」「学力アップ  老化も防げる?」とは、かるたのお話。
わずか4歳の子に、「ろくじゅうのてならい!」「へそでちゃをわかす~」などと言われ笑って過ごしていても、ちょいと本気で迫ればちょろいちょろい。怒らせふくれっ面をさせるのは簡単だった。
4歳児は自分がカードを取れないと面白くない。勝つことの楽しさを身につけた、とばかりではなかろうが、絵と言葉がワンセットで記憶され、置き場所を覚えているのもあった。

言葉の違いを聞き分けて、正しい下の句を判断する頃に前頭葉の緊張がピークに達するのだそうで、それに連動して、視聴覚や運動関連の脳活動も活性化するらしい。
知的活動の司令塔は前頭葉だという。

かるたは、暗記力・集中力・瞬発力を養える優れモノだとあれば、先見の明? 孫との愛育みてババゴン鼻高々~。
 … しろいはうさぎ・うさぎははねる・はねるは「なんだっけー」、と
『さんかくしかく』からの早速のご披露。
ほめほめシャワーを浴びせる電話のこちら側で、ぽろりとこぼす本音はVサイン。しめしめ…。

ババゴンの宝はわたしなんだって!! 
Jessieの心にそう焼き付けるチャンスを待つとしようか。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 この身もすす払い

2010年12月20日 | 日々の暮らしの中で
 東 西

2本の竹の棒で、親鸞像を安置する御影(ごえい)堂の畳927枚、本尊を安置する阿弥陀堂の畳401枚をたたいて、1年間の埃を払い出し、さらに大団扇で舞い上がった埃を外部に払い出す。
一年を無事に過ごしたことに感謝する伝統行事の「すす払い」が東(西)本願寺であった。

御仏に参拝し、合掌し南無阿弥陀仏と唱えるに加えて、少なからず祈りがあり願い事が、感謝があるのだろう。何でも聞いてくださる耳をお持ちとは言え、ささやかれた声なき声が染み込んだ畳でもある。
憂いも含めて叩き出し、晴れやかに新年を迎えようとしている。

一年間かけて、この身には積もり沈んだ不純物もたまっていることだろう。わが身こそすす払い、埃のたたき出しが要りそうだが、竹棒が畳をバンバン連打している音に、この身が打ちつけられているような感覚に… は、ならないか。でも少しだけそう感じるような。

ただあれでは痛くてかなわない。はたきでパタパタくすぐる程度では、ちと心もとなくもある。メリハリつけて…。

悪魔の叩き出しじゃあないのだから、とは思うが、気付け薬程度の一撃はいるかも知れない。荒々しいものが棲めばからっと気を静めるように、あるいは弾むような響きを効かせて明るく奮い立たせるように、ときには柔らかな音色でしっとりと…。

わが身の沈殿物は様々だから、浄化のコントロールは大変そうだ。
でもね、いくつになっても良性の培養物が潜んでいるかもしれないのだから、無茶苦茶だけはせんといてほしいわ。
                       (写真はネットより拝借)

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 年末らしく

2010年12月18日 | 日々の暮らしの中で
  

通りすがりのご近所さんを招き入れ、延々と続くストーブの前での茶話会に、婆さまは自らお菓子の袋を捜しに行く。日常茶飯事、冬の風物詩なのだが、あまりの極楽ぶりに、寒空の下こちらの活動意欲などは下降気味だ。
もともと柔な根性だから、大きく息をつけばたちまちしぼんでしまう。主体性のない話だが、こんなもんで、ほんのちょっとしたきっかけで簡単に分かれ目が生じる始末。

家を出れば浪費につながる、ここはひとつ気をつけて、お籠もりをしていようと相成った。
暖かさを失わずに動くとなると限られる。身の回りに目を向けてガサゴソ始まるわけだが、それほど片付ける必要もないまま一足早くに『大つごもり』を読んでいた。

「勝手は北向きにて師走の空のから風ひゅうひゅうと吹きぬきの寒さ、おお堪えがたと竈のまえに火なぶりの一分は一時にのびて、割木ほどのことも大台にして叱りとばさるる婢女の身つらや、」

  「すっぱ~~い!」2歳のJessie

『十三夜』を読もうとして取り出しておきながら再び脇に追いやられていた一葉さんだ。
童門氏の『二宮金次郎』も久しぶりに目にした。家計簿をつけるサムライの話が映画化されてもいるが…。 そんなこんなで仕分けが始まった。

こうなると少し年末っぽくなってきたような感じがするが…。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 寒さもたのし…?

2010年12月16日 | 日々の暮らしの中で
                             京都駅大階段途中にそびえる
Jessieは5歳。離れて暮らし、まして電話でのやり取りだから、何が欲しいって、お菓子ばかりの注文が出る。クリスマスのプレゼント「も」含めて、大きな荷物を先日発送した。
ようやく一件落着とほっとしているが、間もなく息子の誕生日がやってくる。
悩むんだな、これが。 何がいいかな…。

去る3日、「安否」を問うメールを入れたのに、いつもの「3日」が経ってもとんと返信がない。あ~~あ、どーなっているんだか、信じられんわ!!
まあいいか~。

      しんしんと寒さがたのし歩み行く        星野立子

昨日はおおかた家にこもりきりでいた。今日の最高気温は6度、肌を刺す厳しい空気だが、思い切っての外出はそれなりに背筋も伸びて、しゃんとするものだ。

プレゼントで、親子の絆を深め合う…どころか、忘るるか、母親の存在を心に甦らさせる…ってところだろうか。いやいやいや、まあ、あまり重くなっても迷惑千万な話、か~~るく喜んで笑ってもらえるプレゼントはないものだろうか。なににしようかな。

               

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 立ち読み

2010年12月14日 | こんな本も読んでみた
貧しい本好きの少年が、毎日書店のウインドーに飾られた1冊の本をながめていた。
ある日、そのページが1枚めくられていた。翌日も、その次の日も、1枚めくられていた。
書店の主の計らいだった。毎日めくられていく本を少年は何ヶ月もかけて読み終えることができた。

『月光に書を読む』(鶴ヶ谷真一著)の中で、立ち読みにまつわる最も美しい話として語られている。
と言うことを、教えてもらった。話の出どころは「天声人語」だった。

速読法をマスターしているでもなく、一箇所で長時間の立ち読みの根性もなく、通いつめるのも難しい。数店を回って読破しようか。
買うほどには欲しくはないが読んではみたい。そんな本が結構あるものだと再認識した。

よく利用するJ堂書店には各階に長椅子が用意されている。座ってページを開き、内容を少し読んだりながめたりして買うべき本を選択することはある。ここで一心に読み耽っている人を見かけるが、立っていれば立ち読みの類だろうに。

そこで読み始めたのが『知的余生の方法』(渡辺昇一著 新潮新書)だが、これはいけそうだ。忘れないようにと、店を出たらちょこっとメモ書きをまず。

「何ヶ月もかけて一冊にくらいつけばすばらしい」と天声人語氏は結んでいる。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 Jessie、おめでとう

2010年12月13日 | HALL家の話
先日、Jessieはキンディでの生活を修了いたしました。
クリスマスホリデーを前にして、その式に臨みました。

友達や先生の手形が押されたTシャツを着て、歌いながらダンスをしたり、習ったポエムを全員で暗唱、修了証書の授与がありました。
きちんとまとまってはいない。日本の、「指導」が行き届いた発表会をイメージするわけにはいかないようです。ばらばらだけれど、先生もあえてそろえさせようとはしない。それがお国柄でもあるのか、それもいいものだと素直に納得です。

    
大好きだと言うミス・リンダと。 ミス・ジョーに一番の仲良しジョー、二人のジョーと。

           
この子達は、来年1月末からは、日本の幼稚園年長組に当たるプリスクールへと進級です。
それぞれのスクールへ、ばらばらになっていきます。
1年後にはそこから小学校へと入学、そのための面接なども既に終えたとのことでした。

突然の腹痛に襲われ緊急入院と言う出来事も乗り越えて、おかげさまですっかり回復しました。ちょっと恥ずかしそうな表情にも、お姉ちゃんになったと母親の喜びの声が届きました。        
   あとひと月もすれば着ることになるユニフォームです。
この世に生を受けて5年、感慨深く振り返り、成長の喜びを噛みしめられることを大切に!
修了のこの日もまた通り抜けていきます。ですが、確かにこの日があって、これから始まる楽しい出会いを更に待ち遠しくさせてくれるのです。
かわいい制服姿、大きな笑い声を立てたJessieの弾む息遣いが幾度となく繰り返されるようにと思いを馳せます。

Jessie 、ダディちゃん、マミィちゃん、おめでとう~。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 「ひらがな」か「アルファベット」か

2010年12月10日 | 日々の暮らしの中で
                  
クリスマスのプレゼントを含め、早く荷物をそろえないといけない。
発送して5-6日は届くまでに日を要する。さすが遅れると嬉しさ半減、興も冷めそうだ。
Jessieへは、本も1冊贈ろうと捜していたが、ようやく選んだのが今回はこれ。
わが子たちとも親しんだ懐かしい一冊。

それとは別に、ひらがなの練習をさせたいと言う母親からの要望に応えて、ドリルのようなもの捜した。これまでもなにかしら使ってきているが、来年から「学校」と言うこともあるし、Jessieの覚えが悪いのか? あせる親の気持ちの表れか…、催促がきた。

         
英語圏に住んでいて、母親としては平仮名も書かせたい・覚えさえたいことだろうが、日本語での「あいうえお」同様、アルファベットのほうが肝心なのではないのだろうか…?

ただ、最近はそうしたことを考えるのが億劫だ。どうでもいいと思えてくる。
実際、私にはどうでもよくて、深く考えず、親の希望に沿うものを捜してみようとするにとどめるが、その捜すことが面倒なのだなあ~。

バイリンガルは思考力に優れると聞いたことがある。平仮名を書くことが少しぐらい遅れても、日本と異なる教育方法・体制の中でどんな「Jessie」が育っていくのか、これが楽しみなのよ。
国際学力が回復傾向にあるらしい?日本の教育だから、あと何年かすると黙って見てはいられず、急きょ日本に呼び寄せるババゴンに化すだろうか。まっ、それはあるはずもないが、いずれにしても素材が肝要だ。健康で活発な娘Jessie、磨いておくれ。親に負けずにたくましくあれよ~~。

塗り絵もそうだった、こうしたドリルも長続きしそうにない、そんなきがするけれどなぁ…。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 街の彩り…

2010年12月09日 | 日々の暮らしの中で
             
親鸞聖人の血脈を継いで750年の本願寺、利休の茶の湯の伝統を400年受け継ぐ三千家、創業数100年を誇る老舗などがある。「継続こそ美なり」と、継続することに価値を見出す美意識というものがある。
千利休―小庵―宗旦―【武者小路千家・表千家・裏千家】、この三千家に見る継続の知恵や抱える問題を、ジャーナリストの立場からの「京都文化論」として伺う機会があった。

三千家の一子相伝、家元制度でお家継承の知恵、養子縁組。血は混入しながらもここまで続けてきた。が、今、高齢化と椅子の普及で正座ができずに茶席は危機。カルチャーで学んでも流派に属す人も少ない。家元制度存続の危機を抱えているとおっしゃる。
そこで一肌脱がれた本日の講師、若手の後継ぎが流派を越えて集い、異分野との交流で学び合う、NPO京都法人伝統フォーラムを立ち上げられたと言う。
次代を担う、後継者の若者の話は興味深く拝聴。
             
                       
オープンして間もなく1ヶ月、寄り道して烏丸四条北西角にある「LAQUE (ラクエ)」を初めて覗いてみた。女性向け衣料や雑貨・丸善書店の文具店・飲食店などが入って…。周辺の商業施設とも共同企画で、このエリアの活性化を目指すと注目されている。とは、新聞紙上だけで、こうした場所も縁遠くなっていけない。
ここの「駅ナカ」も東京資本の店がほとんどだとかだが大賑わい。ドーナツを買うために延々と並び続ける長蛇の列ができる店には目もくれず、地下鉄の改札口へと向かう。

街の彩りや形は、伝統文化とは別に変わりつつあるのだろうか…。
クリスマスに間に合うように…、要望に応えるのも楽じゃないわ。
           

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 あかあかやあかあかあかや

2010年12月08日 | 日々の暮らしの中で
     あかあかや あかあかあかや あかあかや
          あかあかあかや あかあかやの月

先日の熊野古道の道筋、湯浅の町で、行燈に明恵上人の歌が書かれていた。
現在の和歌山県金屋町で生まれた。8歳で両親を亡くしたあと、京都の高尾の神護寺に入るが、やがて、多くの僧が名利を求める姿を嫌い、寺を逃げ出し、故郷の山々で一人道を求めたという。
「気高くやさしい僧」であったからこそ、人からの嫌われ者になって名利を断ち切ろうと、自ら右の耳を切り落としたという逸話がある。

座右の銘「阿留辺幾夜宇和 (あるべきようは)」
日本人好みの「あるがまま」でもなく、その時その場において、「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを探して生きようとするものだと、河合隼雄氏は言われる。

彼は若いときからの夢を書き残している。その『夢記(ゆめのき)』によれば、晩年は女性の夢も多く残されているそうだ。
戒律を厳しく守った僧が見る夢。 夢で、夢でしか語ることができない?他者への批判…。
人間らしく微笑ましいとも思えるが。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 みかん畑輝く熊野古道

2010年12月06日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
  
4日、2時間ほどバスに揺られて着いたJRきのくに線の紀伊宮原駅。風の冷たさに思わず首をすくめた第1歩、万歩計をセットして上着を着込んだ。実際はもう少し薄手で間に合ったが、このへんの調節が難しい。やがてリュックにしまい込んでしまった。
前々日、2日は大雨警報発令、前日も大荒れという天気が噓のような、この青空!
有田川に架かる宮原橋を渡り、万葉集にも詠まれた糸我の里から歩き始める。
   足代過ぎて絲鹿の山の桜花  散らずあらなむ還り来るまで

                  
中将姫ゆかりの得生寺、日本第一稲荷の糸我稲荷神社、隣接する熊野古道歴史民俗資料館と立ち寄り、糸我峠・方津戸峠を越えると、醤油発祥の地として栄えた宿場町・湯浅の町に入る。旧街道を進みながら河瀬(ごのせ)王子が終着地になる。

参加者19名、語り部・添乗員さん含めて21人の同行になった。長髪の語り部氏は、ユーモアと笑顔が持ち味か、手ぶら拡声器、タイピンマイクでの説明が聞き取りやすい。

小さな文字でびっしりとメモを取る82歳の男性。毎朝、琵琶湖ホールの階段を1段おきに上ることを繰り返し、筋力を保つ努力をされているそうだ。25年間鍛えてきが、「いっぱいいっぱいだ」と笑いながら歩かれる。隣り合わせてみて、歩幅は大きく、膝をバネにするかのように多少からだが上下に揺れるのが特徴で、リズミカルに一定した歩調なのがわかった。それにしてもあまりのマイペース、「あ~、ぶつかるな~」と見ていると案の定の追突! 渋滞などとは無縁のはずだが、前方不注意、スピード違反? 「びっくりした~」とは追突者の弁、お元気お元気だ。

資料館には、藤原定家が御幸に随行した際の記録が、イラスト入りの工夫で展示されていた。行きは一日平均26km、帰りは52km、暗いうちに松明を照らして進む。宿泊所は寒い。各王子へは先参りを済ませねばならない役目に、毎朝の水浴びが伴う。心身のお清めとあって、風邪引きでも免れることはかなわない。一ヶ月に及ぶ熊野御幸への同行は厳しかったことだろう。

     
     

目の前に地面・足元が迫るという急勾配の糸我峠。周囲のみかん畑に演歌が流れ、収穫中の女性がいた。どうしたら取り尽くせるのかと思うほどのみかんだけれど、いずれ出荷されるのだろうか。振り返れば紀伊宮原方面が一望できる。こればかりは上らなくては見られない光景だ。だから歩きながらいつもよく振り返る。
そして、下ろうとした視線の先に! うわ~ぉ、これから行く湯浅の町の眺望だ。
                     
湯浅から温暖で水利の便のいい千葉県の銚子へと醤油製造業者は進出したのだと知ったが、
銚子は醤油のにおいより干物のにおいが強烈だったと記憶する。醤油と言えば野田かな。
蒸し器のせいろを利用した「せいろミュージアム」や灯篭のアイディアの楽しさが目を引いた。        
                
  
天保9年(1838)の大きな石の道標、背後の家の2階を囲む銅版、ともに富の集積の証しだとか。中世・近世・現代の熊野古道が交差する地。
             
「すぐ熊野古道」の石碑は「まっすぐ進め」と教えているのだと。
熊野本宮大社を目指して、まだまだ先は長く遠い。順調に進んで一年後のことだ。

遠景も近景も、振り返った眼下にも、見事なまでの青空の下にみかん畑が輝いた熊野古道だった。万歩計は18479歩…。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

 準備OK

2010年12月03日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
“100人に聞きました”、そうだ。
今回(11/20~23日)の京都観光に「満足」「やや満足」の回答は92%。
京都観光が初めては6%、10回以上は31%、の結果だそうで、リピーター率は高い。
「歩く街」を唱えるにしては、渋滞緩和策の周知徹底や受け入れ態勢の整備の不充分さ、環境公害などと問題点は多く、解消には「まだまだ」という新聞紙面だった。

さて、明日は熊野古道ウォーキングツアー、第3回目の日だ。
紀伊宮原から醤油発祥の地として栄えた宿場町湯浅を進んで、河瀬(このせ)王子まで。
カーナビも渋滞にも無縁の11.7km。

地図を片手に(一応用意はしてみるものの…)、自分自身の感覚と判断で、現在置や進むべき方向を確認して歩くという能力が問われるわけではない。語り部さんの道案内であとに付いて、という気楽なツアーである。
そのお気楽さをいただくぶん、余った感覚、五感をフルに活用しなくてはもったいない。

前回の藤白坂、峠道のそこかしこでは陽を浴びて自生する石蕗の花が、息せき切って歩く者に道端から優しくパワーを与えてくれたものだった。この道を古来どれ程の人が歩いたかと想像するだけで、心弾む道中になる。
周りの自然の魅力にこころを敏感に働かせて、目や耳で楽しむのだ。
なんともワンダフル!!な世界。 正直、それが楽しい。

1回でも多く参加したい。足腰のお守りもリュックに潜ませた。極力怪我をしないよう注意を払うことも大事なことだと思っている。
ハレハレのテルテル坊主の心意気は効力抜群!お天気になるはずだ。手袋、マスクにカイロと準備おさおさ怠りなし! もちろんマフラーも加わる。寒さも忘れるだろう。


コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする