週末、孫娘と大阪の梅田で待ち合わせて映画版の「キャッツ」を観た。何かの折にこの予告を見ていたので、二人して公開を待っていた。上映開始時間より1時間半ほど早めに落ちあい、昼をすませ、行きたいというところに付き合って、あまり開けたくない財布を何度か取り出すことになる。「買ってぇ、お願い~」なんて迫ってくるからたまらない。
肝心の映画は、なんかよくストーリがつかめなくて、もやもやとしたまま。なんかよくわからなかったなあで、面白かったとも言えない。それぞれに場面があって、なんで今この場面、この展開?という感じで流れが追いにくかった。
ごみ溜めに袋が投げ捨てられるシーンから始まった。一斉に多くの猫が袋の周りに寄ってくる。その中に入っていたのが、かわいい子猫ヴィクトリアだった。そして、昔は劇場のスターだったが身をやつし、どぶネコのようにうす汚れ、猫仲間から疎まれているのが老い猫グリザベラ。華やかな思い出を支えに、生きる力を点すことはできるはずと、子猫は身をやつした老い猫に思いを寄せていくかに思えた。両者の心の通い合いを感じさせるシーンがあって、後半、そこでグリザベラが2度目となる「メモリー」を歌ったとき、なんやらじんと胸打つものを感じた。
孫娘は14歳ながら「過去にとらわれていてはいけない」と口にすることがある。そして、実は自分は過去を引きずってる、なんて言い足す。つい先日も。へえぇ、引きずる過去って…と思い聞いた。
「天上に行く」という言葉があった。年に一度、長老猫によって選ばれた1匹の猫は、天上に行って生まれ変わり、新しい生活を始めることができるのだという。長老は、その1匹に薄汚れたグリザベラを選んだ。ラスト、グリザベラはロンドンの建物の尖塔よりも上へ上へ、気球のようなものに乗って天へと昇って行った。「天井に行く」シーンだった。
少しでも神様に近づきたいという思いで西欧では建築物は高く築かれると読んだことがあるが、人(ネコ)生の再生が天上へと言うのが、わかるようであって、年に一度なぜこの展開になるのか、スッキリしない。やっぱりイマイチようわからんなあとエンディングの画面を見終わって、席を立っても無言でしばし…。
「歌がよかったね」、と孫娘。互いにストーリーのことなど語り合わずに駅へ向かった。どうだったのだろう。今度会ったとき感想を聞いてみよう。