京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 「百日紅 Miss HOKUSAI」

2015年05月30日 | 映画・観劇
「映画の『百日紅』って知ってる?」
友人とメール交換している中で、こんなことをたずねてみたら、こう返ってきた。
「知らないなあ、いいの?」
「杉浦日向子さんの原作があるんだって。それをアニメにしたものらしいわ。葛飾北斎の娘を主人公に、江戸の町人の生活とかよ。アニメ映画は見ることなくって、だから、どうかなーって思ってるの」
「うーん、アニメか。むずかしいね。マンガにする必要があったんやねえ」
「アニメにする必要性? そんなん考えたこともなかったけど…」

杉浦日向子さんが江戸風俗研究家であることは知っていたが、漫画家だと知らずにいた。原作の『百日紅』がマンガであることも知らずは友もだったけれど、その二人でトンチンカンなやりとりを繰り返して――。 見に行くことになった。

龍の動き、人の手が伸びたり首が伸びたりなどアニメならではの表現とわかってはいても、実感に乏しい。が、お栄と生まれつき目の見えない妹との関係にはしみじみとした世界。妹が口にする死後の世界に漂う死生観。文学性も感じられないことはない。
どうだったのか、自分でもよくわからないけれど悪くはなかった。つまらないと思うこともない。でも中途半端な気分が残ったのはどうしてなのか。
もう一度見て確かめたいとは思わないが、アニメ観賞デビューとなったこの作品、悪くはなかったのです。

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 「禅の風にきく」

2015年05月28日 | 講座・講演

出光石油のロゴか「□△○」が描かれた看板が、ある日気付くとガソリンスタンドから消えていた、と話しを始められた山折哲夫氏。
臨済宗中興の祖白隠より80年後、江戸時代後期の仙崖。仙崖和尚による笑いに込めた仏の教え。仏くさいのは我慢できないと、芭蕉批判のこだわりを根底に据えたエピソードや語録を楽しく拝聴した。


新築の祝いの席で、ことばを求められて出たのは「家をぐるりと取り囲む貧乏神」――家を出ること出来ない七福神。
な~ぁるほど~! ざわめきと笑いで会場には何度も動きが生じた。なにも知らずにいるものだから、面白い。
臨済禅の土着化に貢献した仙崖の「もどき」の手法ーパロディ、逆説、批判は禅の魅力ではないかと山折さん。良寛、本居宣長、折口信夫にまで及ぶ基調講演だった。わかったような気になるその時だけでも、楽しめればいいか~。時間が経つと何をどう聞いたのやら、さっぱり…。

五月の連休も明けて9日土曜日、友人に声をかけていただいて参加した「中外日報宗教講座 禅の風にきく」。今年は名古屋、東京会場での回もあって、京都での開催は9月にもう1回。その玄侑宗久氏の講演(「頓悟漸修という生き方」)にも申し込んである。とっても楽しみにしているのだが、さーて、「頓悟漸修(とんごぜんしゅう)」とは…。

このところの暑さを吹き払う風は・・・。
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 堀文子「一所不住・旅」

2015年05月26日 | 展覧会
兵庫県立美術館で開催中の「堀文子 一所不住・旅」展は、表紙絵となった絵画なども含めると160点を超える作品が展示され、素晴らしく見ごたえのあるものでした。


都会に住むべきではないと神奈川県の大磯へ移り住んだのが50歳前、60歳を超えてからも軽井沢やイタリアに移りアトリエを構える「一所不住」の生涯の画家は、96歳の今も現役です。

「捨てるということが大事・・・そうしないと次の感動がきませんから」
「人生の折り返し地点は50歳。残る時間を人に譲らず自分の目的に向かって進むしかない」
「奢らず 誇らず 羨まず、欲を捨て、時流をよそに脱俗を夢見て、私は一所不住の旅を続けてきた」
「新しい場所や人と出会って・・・子どものときのようにびっくりしていたい」
「気を抜かずわくわくしながら」

まだまだひよっこ。花ならつぼみ…? 気に力がじわ~っと湧いてくる、…ようです…。
まだ頑張れそうです。こんな気持ちになれて嬉しいことです。



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 柿の花

2015年05月20日 | 日々の暮らしの中で

どうにも回らなくなった頭をスッキリさせようと昼からウォーキングに出た時のこと。葉裏に?密集しているものが見え、いったい何の花だろうとのぞき込んで見たら、いつか何かの折に写真で見たことのあった「柿の花」でした。
帰宅後に確かめていたところ、1本の木でも雄花だけが咲く枝と雌花だけが咲く枝とがあると知って驚いているわけです。枝の付け根で何らかのスイッチが入る?
写真の花は雄花で、やがて全て散る運命に。道理で、この場所に柿があったとは認識していなかったわけです。実がならないのですから。

わが家には大きな冨有柿の木も渋柿もあるのに花を見るのはこの歳になって初めてで、なんとぼんやり過ごしていたことか。おいしくいただくばかりだったことを思うと申し訳ないような気がしてくるのでした…。

   柿の花こぼれて久し石の上   高浜虚子

しばらく様子を見続けるとともに、新たな柿の花探しでもしてみることに…。

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 「駆込み女と駆出し男」

2015年05月16日 | 映画・観劇

「金があったら本を買っておけ。どんな本でも3年たてば役に立つ」、尾崎紅葉は弟子にこう説いていたらしい。

2年ほど前に購入したはいいが、そのまま眠らせてしまった一冊、『東慶寺花だより』。
江戸時代、幕府公認の女性救済のための寺として東慶寺があった。身につけている物を寺の門の中に投げ入れさえすれば駆け込みは成功とされる。駆け込みに成功した後は、寺の御用を務める御用宿が「夫と別れたい」女性の事情を詳しく聞くなどしてその役割を果たす。
足かけ11年連載されたという作品は、この御用宿を舞台にして、花の名の章立てに主人公の女性の名、【梅の章 おせん】などと、15話が収められている。
            
これを原案とした映画「駆込み女と駆出し男」の上映が始まった。ようやく出番が来て読み始めたが、まずは「映画館へ駆け込」んだ。東慶寺に駆け込む事情も様々に、情味があり、とてもよい映画だった。

旅、美容院、劇場、映画館、図書館、書店、行きつけの飲み屋さん…。それぞれの隠れ場所(アジール)にこもって「自分の頭の中を整理し気持ちを落ちつかせようとしているのでしょう」。いつの世にも「隠れ場所は社会に必要な装置だと思う」と井上ひさしさん。
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 今日も若葉の中を

2015年05月14日 | 日々の暮らしの中で

大相撲夏場所、初日は黒星スタートだったが昨日はあの逸ノ城を上手投げ! 以後4連勝を続けている関脇照ノ富士。解説者の言葉に「場所前の稽古が実ってきている」とあった。

私が参加しようとしていたのは登山でもトレッキングでもない、「ウォーキング」なのだ。
というわけで、今日も10000歩を少し超えて歩いてきた。太もも筋肉痛!? 三日坊主にならないように、雨にも邪魔をされたくないのだけれど、雨だって降らないと困りますよね~。

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 魅力満載、なのに

2015年05月13日 | 日々の暮らしの中で

この頃は思いついたときには、思いつくのに随分と間があくようになってしまっただけに、即ウォーキングに出る準備にかかる。
こんな状態だからか、自然の経過なのか、どうも体中が油切れのようにギシギシ。朝起きぬけから腰に痛みを感じたり柔軟性も明らかに低下している。そうれでも、一旦歩きに出れば8000歩から10000歩は目指そうと頑張るのだ。歩けてはいる。が、団体行動に自信が持てなくて、先月からひそかに予定を組んでいた「奈良まほろばウォーク 全8回」への参加を見送ることにしてしまった。

これまでなら迷わず飛び付いたに違いないコース設定。2回目としては、日本神話のふるさと葛城古道(11km)が予定されている。今でも、行ってみたいという気持ちにはなる。私にとってこれほど魅力満載の行程はない。けれどだ、不安、自信がない。普段の積み重ね自体がもろに不足しているので、これが弱気にさせるのだろうか。どうしたのかなぁ…。

台風一過。意外と爽やかな山道を8000歩を少し超えて歩いてきた。
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 母の日だった

2015年05月10日 | 日々の暮らしの中で
「ハッピー マザーズ デー、おかあさん」とJayさん、そしてJessieとTylerクンからも。

今日はあちらでも母の日。
そろってお出かけしたようで、誰が何を食べたとJessieから細かな説明を受けえていると、「今日ね、マミィちゃんがゴミを出すときのクルマにひかれたの」って話になった。車にひかれたとはただ事ではないが、「ゴミを出すときのクルマ」で想像を巡らすことができた。手とか足とかいっぱい血が出てる、という。一体どうしたことか。

     '11.10.25
車庫前から道路に向かってはスロープになっているのだが、ローラー付きのゴミ箱が背中にのしかかってきたという。「クルマにひかれた」、下敷きになった状態らしい。いつもよりゴミ量が多く、重量もあった。そのゴミ箱を前に立って下ろしていた、ってこと…。
踵あたりにぶつかった弾みで膝をついたのか。その背上にゴミ箱が!? 検証?すればこう? いやー、滑り落ちないように引き加減で降ろすのがフツーではない…?

「ターくん助けてあげなかったの?」「たすけてあげないのよ」
「指2本もケガして、血が出てるし痛い痛いわ」と笑うが、とんだ母の日だこと。おまけに鼻声でいた。風邪を引いたらしい。

 

娘からは珍しいものが届いた。「健康にいいと思って」と、佐賀県の会社の商品で「毎日飲める酢」だそうな。水、炭酸で薄めたり焼酎で割って、いただくとしよう。
息子からメールが入った。それもつい今しがた。「ごめん、わすれてもーた~」。 いいんだわ、そうだろうと思っていたし。「早く孫の顔を見せなくちゃね、元気でいて下さいよ」とあるので、ゆるしちゃろか!!
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 『母の遺産』

2015年05月08日 | こんな本も読んでみた

咲きだしたシャクヤク。
父がのぞくファインダーの先には母がいて、シャクヤクの花に寄り添いながら笑っている。今では脳裏に焼きついた母の笑顔だが、そんな写真が1枚残っている。

なんとしても連休中には読み終えてしまいたかった『母の遺産 新聞小説』(2010.1-2011.4にかけて読売新聞で連載。水村美苗著)。知人からの紹介だったがようやくひと月ほど前に購入し、毎夜、横になってから少しずつ読み継いできた。

         
オビには【ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?】とある。
「何よりも五十代であの人から解放されたのが嬉しい」、娘二人が母の通夜の晩に電話で話をしている。そんな「通夜の長電話」から始まる。
「いったい、いつになったらあの人から解放されんの」「ついに母から解放されるかもしれない」「あの人、やっぱり、あたしたちを解放してくれない」
「諦めというものを知らず、虎視耽々と隙を狙い、何かに感動し、生きていることの証を欲しがり続ける母の存在」がおぞましく、介護疲れといら立ちをつのらせる娘の美津紀。

「どんなにいい母親をもとうと、数多くの娘には、その母親の死を願う瞬間ぐらいは訪れるのではないか」「姑はもちろん、自分の母親の死を願う娘が増えていて不思議はない」「娘はたんに母親から自由になりたいのではない。老いの酷たらしさを近くで目にする苦痛、自分のこれからの姿を鼻先に突きつけられる精神的苦痛からも自由になりたいのではないか」と著者は言う。
背景には複雑な家族の歴史があるが、娘を許し、娘に許しを請い、娘もいつしか母を許していく救いも読んだ。

ひと月余りもかけて読んで、疲れを感じた。本の重みで左親指付け根が痛い。言いようのない屈託、打開しようもない生育過程、不安、失望…、それでも人生に喜びを見い出そうと、多くの人は生きているのだろう。
かつて読んだ『沈黙の人』も思い出される。

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 「春の形見」

2015年05月03日 | 日々の暮らしの中で

カレンダーは赤い3456の数字が並んでゴールデンウィークだが、特別な予定もない。連休ではあるが、中身は普段と変わらないような…。予定がないからこそ、自由に過ごせると思えば、やはり黄金と見るがよいのか。でも…、これだっていつもと大きく変わりはないのだ。とは言え、周辺からは特別な風が吹いてくる。 世の中やっぱり休日だ。広いグランドの四隅で、少年野球の四試合が同時に展開。駐車場は車であふれ家族の応援で賑わう。山の道にも、多くの車の往来がある。


行く春を惜しむ気持ちから藤は「春の形見」などと表現されるようだ。春から夏へ、暦の上では立夏を前にして、明日は雨にもなるらしい。降り出す前にと足を伸ばし、川のせせらぎと鳥の声を耳にしながら、うす紫の藤の花房が山を染める道を歩いた。

Jessieに絵ハガキを投函。届くには1週間から10日ほどかかるだろうか。早く届くといいのに。

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 古書より団子??

2015年05月01日 | 催しごと

青葉の風情。若葉の向こうに透かし見る鳥居の朱色が鮮やかです。
地下鉄東西線東山駅で地上に出たあと、すぐ三条通りを北に入り、白川沿いを平安神宮目指して歩く。琵琶湖疎水に架かる朱の橋を渡り、鳥居を過ぎ、市立図書館、公園を抜けて少しでも近道、目的地は京都市勧業館(みやこめっせ)です。

今日から5日まで「第33回 春の古書大即売会」が開催されるとあって、とにかく初日、迷うことなく足を運んで3時間余り見て回りました。
何か目当てがあってのことでもなく、ただ見て回ることが楽しくて行かずにはおれません。どうしても手に入れたいと思えば、会計するまでずっと持ち歩く。あとにして誰かの手に渡ってしまっては元も子もない。買うのはどんなに多くても3、たまには4冊といったところ。次から次とスーパーにあるのと同じカゴに入れながら会場内を巡ることはありません。

「ぼくは本を読んだことのないヒトで…」
仏教関係の書物が多く並んでいたコーナーでのこと。あれこれ抜きだしてはページをパラパラして戻すことを繰り返す若い僧侶がセンセイと呼ぶ僧形の方に言う。そして、「センセイ、何か一冊薦めてください」などと…。本を読まないお坊さんがいるのですか!? 自分のことを「ヒトで」というのも私には気に入らない表現なのだけれど、これは目をつむる、耳をふさぐとしても、です。こんなところで言わない方がいい、本気にしてしまう人間だっているからね。驚いた。


  このお店、小さな行列ができます。二人で一つづつ、そんなお客さんが多いのかも。

書棚に読んでない本がある、これなら中古本販売店でも買える、青空文庫で読める…、時には高いか安いか、思い巡らせ…。
「読みたい本を読めばいい。読みたいように読めばいい」。かつての読書週間の標語ではありませんが、一冊だけ買って帰りました。読書の幅が広がるきっかけをくれるだろう、とても嬉しい一冊です。
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