孫の第三子Lukasの面倒を見て欲しいとの頼みで、娘宅へ。
家のちょっとした大事な所用に、子供たちの学年末行事、夕刻からの空手やサッカーの練習等々がここ二日間に重なってしまい、母親である娘が一人でまさに東奔西走で対応。その間、三番目を預かって留守居をしていたというわけです。
私が洗濯物を干している横で、ルーカスはボールを転がしては追いかけたり、手首のスナップを効かせて庭帚を地面にこすりつけ、“おそうじ”をしてくれています。
カラスが「カァー カァー」と鳴きました。
「あ、ルーくん。今、カラスが鳴いたね。カァー、カァーって。カァー、カァー」。
ルーカスは、「あーっ、あーっ」と言って空を見上げました。
そこで私が言いました。「ルーくん、『あーっ』ちがうよ、『カァー』だよ」って。
このやり取りを思い出して一人ニヤニヤしているうちに、何かが浮かんでくるのですが、はっきりしませんでした。なんだったのか、気になります。たどり着いた先は、「言葉はないから『アーアーッ』」でした。
「言葉のもとは音だから」と言われていたのは羽黒山伏の星野文紘氏でした。(『感じるままに生きなさい-山伏の流儀』)
【本来、祈りは音でやったんじゃないかな。言葉はないから「アーアーッ」と。
そのうちに、物をたたいてやるようになった。
音が出ると、今度は踊りたくなるだろう。だから舞も祈りだ。】
と、こんな一節がありました。
たたくと音が出て、メロディーを奏でるオモチャがお気に入りです。リズムに乗って、体を左右にゆするようにもなりました。足踏みをトントントン。
それに、口をまあるくすぼめ、独特の抑揚をつけて「お~~~~~~っ」と驚きを表現します。
【祈れば自分に勢いがつく】【昔の人は、感じたそのままを表現するから。】【魂のまにまに】。
何の脈絡もなく孫話からの思いつきなのですが、小さな子と触れ合う機会をもって、人間の成長過程の霊妙さをふっと思ったりしたわけです。それだけです。