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京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

スイスの村のぬくもり

2008年05月31日 | 催しごと
モンブランの麓の街シャモニー、あるいは、ユングフラウへの麓の鉄道駅付近の、かわいいホテルの景観の記憶。
いずれも観光旅行でのあわただしい思い出ですが、こんなところで1か月ほど過ごしてみたいと思ったことを懐かしく感じます。

スイス中央部のインス村出身で写実主義の画家、アルベール・アンカー展が開催中なので楽しみに足を運びました。
まだ雨が残る時間帯でしたが今日ばかりは気になりません。
サブタイトルに、≪故郷スイスの村のぬくもり≫とあります。

秋から春までパリに暮らし、夏だけ故郷に滞在する生活を30年間送ったそうです。
油彩、水彩、デッサン等、約100点、日本で初めて紹介される回顧展というものです。

≪髪を編む少女≫≪猫をひざに抱く少女≫≪編み物をする少女≫≪鶏に餌をやる少女≫≪スープを飲む少女≫≪おじいさんと二人の孫≫
描かれている少女は聡明な、理知的な面立ちをしています。少女に限らず子供たちはみなその傾向です。かわいいし、美しいといえば美しいのですが、子どもそのものが発散する、無邪気さを感じ取りにくいのです。なぜでしょう。

新聞を読むおじいさん、ベンチにゴロンと横たわり眠り込んでいる少女。静かで穏やかな時間。部屋の内装、外回り、背景の自然、質素な衣装、生活のにおいのする光景。
人間の営み、故郷の村に生きる人々の暮らしぶりに、優しい眼が注がれています。

絵はがきを2枚買いました。
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『売ったらあかん』もの

2008年05月30日 | 日々の暮らしの中で
    売ったらあかん
    友達を 売ったらあかん
    子どもらを 売ったらあかん
    まごころを 売ったらあかん
    情愛を 売ったらあかん
    信仰を 売ったらあかん
    教育を 売ったらあかん
    学問を 売ったらあかん
    秘密を 売ったらあかん
    こころざしを 売ったらあかん
    大自然を 売ったらあかん
    自分を 売ったらあかん
    自分を 売ったらあかん

「1970年の夏、生まれて初めて、大阪弁の詩を書きました。」
「服部公一氏作曲で美しい女性合唱の組曲になりラジオの芸術祭の参加作品になったんや。」
「もう35年まえのうたやけど、いまも同じことばかり言うている気がします。」

「光り輝く方から見たら、銀色に見えることが、こちらから見たら、黒いシルエットに見えることがある。あるいは、あちらは上から眺めなはって、こちらは底から眺めている。角度がちがえば、おなじことがこのように違うのかと、おどろくようなことがありまっせ。」


明日は、4月29日に亡くなられた随筆家岡部伊都子さんのお別れ会の日です。
この日を前にしながら少しずつ著書『遺言のつもりで 伊都子一生語り下ろし』を読んでいました。
様々な体験談や、幅の広い分野での活動・交友関係のお話など、とても一度では受け止めかねる一生のお話です。

こだわりが強すぎる自分。視野が狭くなるのをコントロールしたいのです。
同時に、2度とない人生ですから丸く柔らかく、それでいて自分を見失うことなく暮らしていきたい。

でも、「売ったらあかん」ものはたくさんあります。
岡部さんのメッセージを心に…。
きっとまた違う作品で、岡部さんの世界に浸っていることだと思います。


「人生残り時間が少ないから!もう!巻きで行かないと~~~っ!倍速です!」
TVから声が聞こえてきます。(エド・はるみさん)
私はそんなに急ぎはしないけれど(?)。
上品な顔立ち、話し方と、芸人の顔とのギャップの大きさが楽しい。

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「レディ・ムラサキ」

2008年05月27日 | 日々の暮らしの中で
「こんな色調はほかにない」と胸を張るのは右京区の77歳の男性。
バラの品種改良はなかなか成功しないというが、平安朝の優雅さを思わせる上品なピンクがかった紫色のバラの新品種を作り出したという。(地元紙5/27付)

名づけて「レディ・ムラサキ」(紫式部の英訳)。
淡い紫色の「マダム・ビオレ」と、ピンクで形や色がよい「テコナ」を掛け合わせた。この掛け合わせの20本のうち1本がこの色で、直径13センチの大輪の花を咲かせた。同じ株から、秋にはまた花を咲かせるのではと予想されているとある。

それにしてもバラづくりの世界は研究の域。
彼は娘さんの誕生記念にということから端を発し、とりこになられた園芸研究家だそうな。

品種改良では、掛け合わせてできた種1万粒のうち1粒しか満足いくものができないとか。
「青いばらは不可能の代名詞」と言われてきたところに <青いバラ>を咲かせたサントリー。

今日は一日、「レディ・ムラサキ」の響きが脳裏を離れなかった。



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公衆浴場とスーパー銭湯

2008年05月22日 | 日々の暮らしの中で
私がよく行く公衆浴場は、湯の出るカランが十六しかない。そのうちのひとつぐらいはよくこわれているような、小ぶりで貧弱なお風呂だ。
その晩もおそく、流し場の下手で中腰になってからだを洗っていると、見かけたことのない女性がそっと身を寄せてきて「すみませんけど」という。手をとめてそちらを向くと「これで私の衿をそってください」と、持っていた軽便カミソリを祈るように差し出した。剃って上げたいが、カミソリという物を使ったことがないと断ると「いいんです、ただスッとやってくれれば」「大丈夫かしら」「ええ、簡単でいいんです」と言う。
ためらっている私にカミソリを握らせたのは次のひとことだった。「明日、私はオヨメに行くんです」私は二度びっくりしてしまった。……
私は笑って彼女の背にまわると、左手で髪の毛をよけ、慣れない手つきでその衿足にカミソリの刃を当てた。
明日嫁入るという日、美容院へも行かずに済ます、ゆたかでない人間の喜びのゆたかさが湯気の中で、むこう向きにうなじをたれている、と思った。
 (後略)
     石垣りん エッセイ集『ユーモアの鎖国』収 「花嫁」より


久しぶりにねねの湯へ。誘っていただき即OK。私は誘われるとなかなか断らない。
4月に世間がお花見に右往左往している中、ひとりで行きました。今日もよい天気で、比較的すいていました。

石垣さんが行かれた公衆浴場とは比べ物にならない、ゆたかに満々とあふれ出るお湯。使いたい放題のシャワー。
ほてった体を冷やすのにいったい何倍の水をかぶっているでしょう。

明日結婚するという花嫁さんの貧しさのなかのゆたかさ、喜びを感じ取っておられる作者。
一方私は好きに自らの癒しを求めて、自分のためにたっぷりな時間を使うのです。

「お風呂に入れないから、体がかゆい」と言っていた少年の映像が記憶に新しい。

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花を飾るより明かるい

2008年05月21日 | 日々の暮らしの中で
      「小さな靴」  高田敏子 詩集『むらさきの花』より
    小さな靴が置いてある
    満二歳になる英子の靴だ
    忘れて行ったまま二か月ほどが過ぎていて
    英子の足にはもう合わない
    子供はそうして次々に
    新しい靴にはきかえてゆく

    おとなの 疲れた靴ばかりのならぶ玄関に
    小さな靴は 置いてある
    花を飾るより ずっと明かるい


何度も何度も転びながら一歩一歩確かな足取りになっていく頃に、はいていた靴。
1歳6か月ごろに履いていた靴が我が家に残されている。
靴底は洗っても落ちない汚れが付いてしまっていますが、外見はしっかりしたままで。
想像してもいない靴のスタイルでした。ミニスニーカーです。

気持ちよく晴れ渡った今日、窓を開け風を入れ...

なぜか、しげしげと眺めていました。存在を忘れていたわけではありません。
こんな小さな足で立ち上がり、歩くことが嬉しくて仕方ないとばかりに、飛ぶように小さな歩幅を重ねていました。
2歳7か月を過ぎた今、どんな靴をはいているのかしら。

高田敏子さんの詩を思い出し、ページを繰りました。
  「花を飾るより ずっと明かるい」
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「完売です」

2008年05月20日 | 日々の暮らしの中で
「早い時期に完売してしまったんです」

まだ残ってるかしらと少しは期待していたのですが、遅すぎました。6月29日京都コンサートホールでの『茂山狂言鑑賞会』のことです。
残念極まりないのですが仕方ありません。これからは、これっ!というときは即決で予定に入れることにしよう。
知人と二人でのお楽しみがふいになりました。ああ、経験から学ぶのです。

なんとですね、EXILEのコンサートに行こうとチケットの手配に当たってくれている友人がいます。(演劇通の女性です)
彼女の高校生の息子さんとその友人と一緒です。行動はもちろん別。
私も彼らの曲が好きで娘にも聞かせようとCDを購入していたのです。(娘は大喜びでした)
久しぶりのミリオンセラーだというアルバム「LOVE」。  
偶然にも話があったところで彼女が計画中だったコンサートの話にのったわけです。
狂言会に同行予定だった友は、なんとグレイのコンサートに何回となく出かけているファン。

いろいろな年齢層、趣味や活動パターンの友を持つと、私自身の世界が広がります。

ただEXILEのコンサートは12月6日とかで、そのあたりはちょうど弟の一周忌が控えています。娘が家族で帰国する予定をしていますし、どうなるか。
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ここが大阪市役所よ

2008年05月17日 | こんなところ訪ねて
 「ここが大阪市役所よ」
 「あそこに見えるのがフェスティバルホール」
 「この辺りが中之島公園」
 「ここが中之島公会堂」
 「オムライスがおいしいので有名なお店がここで営業を続けてるの」
 「バラ園がきれいだから行ってみよう」

京阪淀屋橋で合流して3人。地上に上がって、彼女の説明からスタートしました。
「良いとこ取りよ」と言って案内してもらって、おかげで楽しい一日を過ごしました。

心斎橋、道頓堀りも初めて。阪神ファンの川へのダイブの橋。グリコのマーク、かに道楽のシンボル、くいだおれ人形。
縁無く訪れたことがなかった。ああ、ここが!これが!と思い、「へ~~え、へ~~え」の連発はわれながらおかしなものでした。
それほどどこも知らないのでした。

梅田に出て、赤い観覧車に乗って四方を眺め、1回転200円。遠く明石海峡大橋まで見えました。
大阪城公園。ここは私の中学時代の修学旅行でやってきて(関東育ちですの)以来のこと。
汗ばむほどの陽気に冷たいもので一息つき、やけどするといいながらたこ焼きを食べて。大阪城を眺めながらの一休み、二休みでした。

ブラストの演奏を楽しんだ大阪厚生年金会館、観劇のためには梅田芸術劇場・大阪四季劇場。USJには子供と行ったことがあった。
ずーっと昔の若い頃、家族で大阪万博にやってきたっけ。あとは? たぶんこの他にはなかったろう。
関空には何度も行ってる。

くいだおれ人形と、大阪名物の大きなたこやきが付いた耳かきを買いました。後者は娘のところへの荷物に入れてあげよう。
今日の収穫は、淀屋橋って簡単に行けるんだということを実感したことでした。
でも、何のために行くかです。目的がないから行く機会もなかったわけです。

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『ミュージック・オブ・ハート』

2008年05月16日 | 映画・観劇
原作はロべルタ・ガスパーリ著『ミュージック・オブ・ハート』(角川文庫)、自叙伝です。
ニューヨークのイースト・ハーレムで音楽教室を開きヴァイオリンを教え続けるロべルタ。
10年を超えて、突然にその教室打ち切りの通告を市から受ける。
しかし諦めることなく、存続のために力をかり、救済コンサートを開くことを決意していく。

クライマックスは、会場となったカーネーギーホール。
  「弾く時にハートを忘れないで」
  「ここで弾くのよ」と、胸に手を当て、
  「素晴らしい子たち!」
ロべルタはそう言って子どもたちを舞台に送り出す。
彼女の子供たちも一緒だ(長男はチェロ奏者に、次男は医学の道に進んだとのこと)。

“Please support music & arts”
「オーパス118音楽センタ-」財団ができて、小学校カリキュラムの中心に音楽と芸術を戻すために活動し続けているという。

子どもたちの演技も、目がきらきらと輝いているのも素敵だ。
音楽が人を、心をつなぐ。
1999年の作品『ミュージック・オブ・ハート』、ロべルタ役は、メリル・ストリープ。
制作時点で、ロべルタは養女とそれまでの家に住み続けているという。
夫と別れたからこそ今があると言って、ロべルタの母親は、夫に感謝をと笑う。

一つの人生を見せてもらった。
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自分にこだわってみたい

2008年05月12日 | 日々の暮らしの中で
点訳ボランティアの講習会に1年間参加し、終了後、活動の場を求めていた時に出会った会でした。

しばらく活動から遠ざかり、別なところで教科書や図書点訳を経験したりしてきました。それでも、できるなら“あの”活動にかかわっていきたいという思いが捨てきれずすっきりしない日々でした。

会の代表の考え方・姿勢・運営の仕方に納得できないもどかしさ。初心者に、あまりに活動の意義や“当たり前”を押し出されることへの抵抗感。わいてくる疑問。活動的だった友が一人減り、また一人と、去っていきました。

知らないことが多い「初心者」であったことからくる視野の狭さはありました。その反面では、まあ、俗に言う、熱心さもあったわけでしょう。
だからこそ徐々にこだわりが出てきて悩むし、疑問も生じてきます。

参加しながら改めて問い直してもいいかもしれない、何もしないで考えていても始まらないとも思うのです
あの頃より、少しは客観的に考えられる自分になっているかと信じたい。自分とペースの違う仲間とも協力できるだけの度量も身につけたろうか。
これまでのご無沙汰の日々が充電期間だったといえる日が来ればいいなと思って、動き出すことにします。
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雨だから

2008年05月10日 | 日々の暮らしの中で
ああ、今日は雨降りかと思っていると、この雨の中、しきりと鶯が鳴いています。「ホ ホケキョ」「ホケキョ」「ホケキョ」。
“ホー”があまり聞こえてきません。
予報通り気温も低く肌寒い日となりました。

本当は雨がふさわしいのでしょうが、上賀茂神社の少し東に位置する太田神社のカキツバタが見ごろを迎えているようです。
雨にぬれて群生するさまはきっと見事でしょう。情緒に欠ける私は、雨だということで、寒いし、断念。
たくさんの人が決して広くはない道路にあふれます。もっとゆっくり静かに眺めていたいと感じますが、自分も押しかける一人でして。
藤原俊成の歌で有名です。
   神山や太田の沢のカキツバタ  ふかきたのみは色に見ゆらむ
15日は葵祭、お天気にな~~れ。

先日、京都御苑で鳴く野鳥が新聞で紹介されていたのですが、その鳴き方の表現が楽しい。
  ❉尾がリボンのように長いサンコウチョウ・・・
     「月日星(つきひほし)ホイホイホイ」
  
  ❉背がオリーブグリーンのセンダイムシクイ・・・ 
     「焼酎一杯グイーッ」

こんな鳴き方、聞いてみたいものです。4月29日の段階で観察できたというから、バードウオッチングもいいかな。
池など水場の周辺、虫の多いトイレの近く。鳥の好む木の実があるところ、細い通りにある池垣の近くなどで観測しやすいらしい。

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大阪最終公演「トゥーランドット」

2008年05月09日 | 映画・観劇
ブルーにシルバーという冷たく冴えた色彩の衣装を身にまとう女帝トゥーランドット(アーメイ)が、
終章にかけては、ピンクを基調とした艶やかな温かい色合いの衣装で舞台に立つ。美しい!

宮本亜門さんが“現代人の視点で甦らせた新しい音楽劇とあります。
権力をもつことで変わっていく人間性、政争の裏切り、はかりごと…。

国を追われ、棄て身の皇太子カラフ(岸谷五朗)も、彼を一途に支える次女リュー(安倍なつみ)の言葉、
「命は自分だけのものじゃない」を理解していきます。
冷たい心で君臨する女王の心にも生まれる、人を恋する想い。

謎解きの答えから発せられる、「光」「希望」「愛」…そんな言葉が向かう先には姫がいて、カラフ自身がいて、私もいました。
「生きるのです。どう生きるかなどではなく、生きていることなのです。天命にはそれぞれに与えられた使命があるのです。
要は、それに気づくかどうかだ」というカラフの言葉となっていきます。
「私には国がある」と言わしめ、クライマックスに向かっていく。
気恥ずかしい言い方ですが、大きな「愛」が、人の心を豊かにしていくのでしょう。
人間には再生力があるのです。ひとを想う、思われる愛に包まれて。

台湾の歌姫といわれるアーメイの素晴らしい歌唱を吸い込まれるように聞き入りました。
生でのオーケストラ(特別編成)演奏もまた嬉しいこと。

国が再生されているのです。トゥーランドットもカラフの人生もです。
いっきに明るくカラフルな舞台に一変します。
踊る、舞う、歌う。音楽や衣装にもアジアンムードがあふれ、それは国を挙げてのお祝いです。

大阪での最終公演日でした。
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フェイスペインティング

2008年05月08日 | HALL家の話
楽しそうに様子を報告してもらうと、“音沙汰なし”だった空白の日々が安堵と喜びの気持ちで充足されます。

子どもが三輪車に乗れるようになった。いつもいつも後押しさせられていたことから解放される、おめでと~~っ!
プロによる初めてのフェイスペインティングをしてもらって、いとこと一緒に笑顔の“姫ちゃん”。
バースデーパーティでのこと。こんなの素人でもできそう、と言うけど。
このプロを呼ぶのには140A$(100円として14000円ほど)だそうです。

日本では、親・兄弟・いとこ・親戚…、身内が集まる機会は少ないかと思いますが、彼らはことあるごとにパーティーだ、バーベキューだと賑やかです。呼んだり呼ばれたり、行き来が多いこと。文化の違いなのか、彼らのファミリーが特別なのか…。
日本では、そう…、例えば、お盆の帰省ひとつとっても、なんだかんだと気を遣うシーンはよく見聞きすることです。
長男と結婚しているお嫁さんの“苦労話”は有名ですが。普段の関係が、一般には希薄と言えるでしょうか。
そういうしがらみから離れ、すっかり溶け込んで暮らしている娘の幸せを、親として嬉しく感じています。


あなたのお名前は?
   Jessica  Hall~~ 
マミィのお名前は?
   ○○○ ホール or マミィちゃん ホール
ダディのお名前は?
   Jasson ホール or ダディちゃん ホール
ワンコのお名前は?
   グッチ ホール
ドーラ(キャラクターの人形)のお名前は?
   ドーラ ホール
ユメちゃん(人形)のお名前は?
   ユメちゃん ホール
お母さん(私)のお名前は?
   お母さん ホール
すべての名前に ホールがつくと思っている姫ちゃんのようです。

最近のひとこま…
“姫ちゃんのキッチン”にはオーブンが付いています!。
   遊んでいるとき横からオーブンに触ろうとすると、
   「あついから!」 と制し、
   「ちょっとまってね」
そして、
キッチンからタオルを持って来て、手をカバーしてから開けるのだそうです。
「よく見てる~~っ」と笑っていますが、場面こそ違え、いつの間に?と驚くほど親のすることを見ているものです。
面白いやら怖いやらです。

「いや、いや」を連発していた去年の秋口。
まだ単語の羅列で、手振り交えて一生懸命にお話ししようとしていましたよね。
大量の写真を見て、彼女が話す日本語を聞きたくてならない思いに駆られます。


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Sazen is really sugoi yo!!

2008年05月06日 | HALL家の話
Jayの感想は、
Hi Okasan,
…  I especially liked Ofuji.
Japan has so much interesting and beautiful culture.
… I appreciate that very much.

丹下左膳のDVD。この機会にと私も見ることにしました。
昭和2年、新聞小説の脇役として登場した左膳、原作は林不忘。
豊川悦司さん版で。彼が気に入ったお藤は和久井映見さんです。勝気な性格丸出しの女性ながら、とてもcute。
左膳の喧嘩早い?突っかかる口調が耳障りな感じで、残念ながら肌に合いません。
“左膳”がこういう設定であるのを知らかった、中村獅堂さんの左膳像は?

黒谷金戒光明寺や、滋賀県近江八幡市で撮影がなされていることを知りました。
紅葉の名所として名高い真如堂から光明寺へと散策したことがあります。もう3年ほど経つでしょうか。
南西方向に平安神宮の朱の大鳥居を小さく見はるかすことができます。正面の石段はよく時代劇に出てきます。NHKの大河ドラマ「新撰組」でも確かここが。
江戸時代の美しい家並みなどは京都太秦の撮影所がありますが、情緒豊かな映像が多い気がします。
エンディングテーマの三味線の響きは素晴らしい!!。

Jayがどのような英訳で見るのかとふと思ったもので、ちょっとだけ…。
「♪♪きんぎょ~~、きんぎょ~~」(あの金魚売りのおじさんの節回しを思い浮かべてください)が
「g-o-o-ldfish, g-o-o-ldfish」。(別に、これ普通)
「殿!」は「my Lord!」。 ..
「武士に二言はない」は見落としてしまって、もう一度みるしかない。

以前に「たそがれ清兵衛「隠し剣 鬼の爪」」なども送ったことがあるのです。
私の好みとしたら、この2作のほうが圧倒的に好きだし、先日の「あかね空」もよかった。

日本の歴史、文化に触れようと関心を示してくれる彼の心根をやさしく思うのであります。
   Sazen is really sugoi yo!!


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花明り

2008年05月04日 | 日々の暮らしの中で
わたしは、それぞれの人がそれぞれの花で、生きてるあいだ、ご自分の光を放たれることを“花明り”と名付けているんです。
そういう“花明り人(びと)”が、気がついてみると、おびただしくいらっしゃる。それを喜んでいます。
そのなかの一人でありたいと思っています。
みんな自分の花を光にしましょう、自分の命を輝かせて、どうぞ人類のために、世界のために、小さなお人たちのために未来をつくってください、そのお力でいらしてください。(「沖縄の骨」)

ひそかに、よりどころとしていることばに、「生活者」という表現がある。生活、というと、くらしをたてる生計の意味や、日常茶飯事として、長い間、いやしめられてきたように思う。
だが、その日常こそ、限りあるいのちの時間の大きな部分を占める大切なもの。地道な日常のうちに、よろこびを見いだし自己を充実できなければ、どんなに味気ない日々だろう。(「賀茂川のほとりで」)
   『清らに生きる 伊都子のことば』(岡部伊都子)から抜き出しました。


愚痴をこぼして終えても一日。時には気を紛らわさなくてはならない日、不安にかられる日、落ち込む日、悲しい日もあるはずです。
日々よいことばかりあるわけではないし、何かを心に抱えて生きていくのだと思うのです。
私などは、中途半端な時期なのか、年齢を重ねていくことへの「焦燥感」にやたらとかられることがあります。

自分に厳しく、前ばかりを見つめて生きていくことはしんどいことだと感じます。
だからこそ、こうした信念に貫かれ人生を深く生きてこられた方の言葉を、気持ちのよりどころとしたいのかもしれません。
日常にしっかりと根を張って生きるためにも、せっせと自分に水やりをしなくては。

9日は大阪の梅田芸術劇場で『トゥーランドット』を楽しんできます。
宮本亜門さんの演出。音楽は久石譲氏が全曲オリジナルで書き下ろされるもの。
衣装はワダエミさん。主役のアーメイの衣装は、京都の老舗装束店が3カ月かけて織り上げた生地だそうです。
わくわくしてきました。

こういうわくわく感が大事だなあと思うのです。毎日わくわくしていられるならどれほどいいか。


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「ありがとう、ありがとう」

2008年05月04日 | こんな本も読んでみた
京都在住の随筆家岡部伊都子さんが、4月29日85歳で亡くなられました。

子供たちが学校に行っている間、図書館で作品に触れていた時期がありました。
いつも必ず座るあの大きな円テーブルで。
女性の感性が、どのような言葉で表現されるのか、生意気にもそんなことに興味を感じて、女流作家の作品ばかりを読んでいた頃です。
時代小説に興味が動くとそちらに集中、というようなところが私にはあるようです。

ブログでいろいろ教えていただいておりますmatsuさんから『清ら(ちゅら)に生きる 伊都子のことば』をご紹介いただきました。
そして『遺言のつもりで 伊都子一生語り下ろし』も読んでみたく、2冊を買い求めました。
店頭にはなかったものですから尋ねましたところ、「あっ、ちょうど昨日入ったところです」と。
よかった!
2冊、ずっしりと、嬉しい重みを感じました。

夕食後から読み始めました。
それにしましても、年譜によりますところ、一言で“病弱”というにはあまりにも多くの病を抱えられていらしたことに驚き入りました。
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