京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 締めくくり

2012年07月31日 | 日々の暮らしの中で
昨夜は遅いもんまで柔道の日本選手を応援して、案の定今朝は寝坊してしまった。
けれど、学校に遅れるからと大騒ぎする子もいないし少々面映ゆいだけでどうということはない。

いつだったか、「お母さんが寝坊したから」と、息子によって先生に言いつけられた事があったのを思い出した。言い訳を母親のせいにしたのだ。先生は笑っていたと言うが、その通りだったから仕方がない。お弁当が作れなかったのだったかな…、そういうことがあったと言うだけでもう忘れてしまっている。


山に囲まれて、「焙烙で炒られているような暑さ」と表現もされる京都の真夏。暑い暑いと家に引っ込んでいても暑い。それならと、いっそこうして木陰を選び自然の風に当たって汗をかいてみると、気持ちがすっきりすることもある。厳しい暑さをいっときなりと忘れさえしている。朝の出だしをしくじったので気分一新、誕生月の締めくくりウォーキングに出た。

 

これだけの人家密集、風の通り道を探すのは大変だろうと思われる。けれど、きっとそこにはお金では買えない暮らし方の知恵、技あり1本ともいえるエコライフが潜んでいることだろう。何に価値を見出すかは人それぞれだろうが、問われることだと思っている。
残暑厳しいとされる9月まで、無理をしない節電を心がけながら乗り切りたいものだ。

誕生月は終わる。結果良ければ 「All happy in the end.」
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 思い捨てずに

2012年07月30日 | 日々の暮らしの中で

油照逃げる場なきこと空気にも       宮津  昭彦

念力がゆるんでしまったのか、耐えがたい暑さを感じて過ごしていた。
また一つ歳を重ねたけれど、してみたいこと、形に残したいこと等々思いを捨てることなく過ごしていきたいと心から思っている。できれば上手に気持ちを切り替えながら、丁寧に日々を積み重ねよう。

“誕生月の打ち上げを派手に”とのこと、ハワイ帰りの土産話が待っていた。One word One smiling 、一語一笑とでもいうところか、聞き役に徹してチョコレートを戴いた。水温が低くて海もプールも楽しめなかったとか。ハワイに行ったことがない人間には、常夏ではないのかと驚きだった。

すべては幸せにおさまりそうな誕生月、あと一日を残す。
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 思わぬつまずきに

2012年07月24日 | 日々の暮らしの中で

出鼻をくじかれて予定変更、外出は取りやめにした。2時になったら出るつもりでいたので、洗濯物やら布団を取り入れてうっすら汗ばんで、支度でもしようかと思っていたら、1時半を回る頃から何やら変。暗くなるでもないが雲の厚みが増してきて、ゴロゴロゴロっと聞こえ出したら雨が落ちてきた。降るわ降るわ、どっしゃぶりの雨の中を出るに出られぬほどの本降りに。2時間ほどたっぷり降り続き、足止めされた。

ちょうどよかったのかもしれない。点訳を手打ちでするためか、しかも例会日まで普段はおさぼりして、まとめてするからよくないのだろう、と思っている。パソコンで打ち込むのと違って、肩が詰まってしまうんだなあ…。今のところ必ず翌日に症状が現れて、今日も朝から調子がイマイチ狂った状態だった。3月末からの参加なので初心者だとも言ってはいられない。根の詰め過ぎとならないように、1日1ページ、で十分なのだ、ぼちぼち進めようと強く思った次第。

今日の午後は何をしていたのだったか…。
昨夏、新聞投稿欄でゴーヤーのつくだ煮作りのお話を拝読した。その切り抜きが出てきたことが本日の大収穫と言えそうだ。「読者応答室」でも再度問い合わせで再現され、以後も時々作り方の問い合わせは続いていると紹介されるほどに、大反響を呼んだゴーヤー料理。

 材料は、ゴーヤー 1kg  
     調味料 (三温糖250~300g、しょうゆ150cc、酢100cc)
     かつお節適量、 白ごま30g 
 作り方 ①ゴーヤーの種を取り除き、5mm程度の厚さにスライスして湯通しし固く絞る
     ②鍋で調味料を煮立たせ、ゴーヤーを入れ、汁がなくなるまで煮詰める
     ③かつお節を入れ、水分を吸わせ、最後に白ゴマを入れると出来上がり   

と、あります。しばらくは冷凍保存しても味は変わらないそうです。
強い苦みが特徴のゴ―ヤーですが、つくだ煮は苦みもほとんどなくおいしいそうです。私も初めてですが、作ってみることにします。
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 お話を読んで絵に

2012年07月21日 | 日々の暮らしの中で

日本では長い夏休みが始まった。海の向こうでは孫のJessieももうあと半期分の授業が始まっている。

昨年のHall家滞在中、彼女の思わぬ一面を見せられてとても嬉しい思いをした出来事があった。まだプレップ・スクール(日本の幼稚園相当)でのこと、図書館で本を読んだ後、みんなで創作。その結果に1位というプレゼントが付いてきたのだった。今年もその作品作りが始まっているという話を聞かされた今日。

このところ、こちらの新聞紙上でも「お話を絵にするコンクール」の案内を目にすることが多くなっていた。応募してみないかと声をかけようかと思っていた矢先だったので、早速に伝えることにした。
Jessieなら保育園・幼稚園&小学校1・2年向けの選定図書を読んで、思ったこと感じたことを絵にして応募すればよい。


型にはまらず、好きなことを楽しんでやれる好奇心を大切に活かしてあげたいものだと思うが、どんな場合も意欲があるかないかは大きい。意欲がなければ持っているものも発揮することもできまい。才能の有無などはわからない。でも、結果を残すことはできそうだ。むろん賞の有無などにとどまるものではないのは言うまでもないこと。

どうかな、やってみるって言ってくれそうかなあ…。


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 呪文の効力

2012年07月18日 | 日々の暮らしの中で

昨夜遅く、失せもの探しに効力抜群だという唱え言葉があると聞いていたことを急に思い出したのだった。と、そのことを今思い出していた。大切なことを忘れたようだ。

  「音羽の滝の滝の音は尽きるとも 失せし物の出ぬことはなし」

文庫本、携帯電話、花ばさみ…、三日に一回くらいこの呪文にすがって失せものの行方を探し、しっかり実証済みの人がおられる。何度も探したはずの文書類の間から文庫本は出てきた。二階の窓のレールに携帯電話、雑草の中から花ばさみと、すべて見つけ出されている。
3回すらすら唱えてから探すとよいとあった。つっかえつっかえが、次第に上手になってすらすらと唱えられるようになると、たいていは失せもの発見!に至ると言われる。

家の中での失せもの探しだと気付きもしたが、寝る前に初めてこの言葉を唱えてみた。外で落としたものではダメかもしれないが、物は試しと、唱え言葉を見ながらつぶやいてみた。見ながら唱え、何度か練習した。言い淀むが少しづつましにはなる。完璧ではないが一通り言えるようになって、もういいかとお終いにした。

今朝になって運転免許証が車内から出てきたのは、ひょっとしてこの呪文が効いたのだろうか。そうだわ、効いたのだ。昨夜この呪文を唱えたのだ。忘れるところだった。なんと、この呪文のおかげだわ。
以前、私は、この唱え言葉を教わりながら真剣にノートに控える仲間の姿を距離をおいてただ見ていた。こんな日がこようとはね。

失せものの多い方、ぜひ一度お試しあれ。
   「音羽の滝の滝の音は尽きるとも 失せし物の出ぬことはなし」 3回すらすら唱えてから探す・・・

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 あまりに軽率な…

2012年07月18日 | 日々の暮らしの中で
スーパーへ買い物に出て運転免許証紛失!?に当たっては、善意に期待できるほど一連の行動範囲は狭かったのでした。
お店からの連絡もなく、落としたつもりで実は自分の身の回りにあるのかと考えました。まずは買い物袋。キーを取り出した際に、一緒に飛び出したが下へは落ちず、商品の入った中へ滑り込んだかもしれない。でも出てこない。冷凍庫に入れた商品の下にくっついていないかと再チェック。車内も見ました。座席の下を覗き込み、足元のマットまでめくって。隙間に挟まってるかもしれないし、斜めになってへばりついているかもしれません。ですがどこを探してもなくって…。

今朝もう一度車内を見直し、諦めた瞬間のことでした。ドアが閉まるその時、紙の様なものが運転席シート少し後方のすき間に紙らしきものが見えました。何かあった! よくメモ書きしては置いておくので、なんの紙かと再度ドアを開けて取り出しましたところ、免許証でした!!
どうして車内に!?という思いはあるのですが、おかげさまで見つかりました。あ~、もう恥ずかしいことです。

重さの無いものを、財布と一緒に袋にポンと入れてちょっとそこまでのお使い歩きでした。そうでなければ、ファスナー付きの内ポケットなどにきちんとしまって持ち歩きますが、あまりにも軽率でした。何十年もそうしてきた挙句に反省!! 工夫します。

慣れが生んだ失敗談、恥ずかしや恥ずかしや。お騒がせいたしました。


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 びっくり仰天

2012年07月17日 | 日々の暮らしの中で

梅雨明けが発表された。暑いのは仕方のないことと思えるのだけれど、気分は最悪だ。

運転免許証を落としてしまった。スーパーマーケットから帰ってすぐ、買い物してきたものを冷蔵庫にしまい、買い物に出るときの手提げ袋をしまおうとして無いのに気付いて仰天した。
車のキーと免許証をいつも一緒に置いておく。財布やカードケースに入れて常に持ち歩くことはないのだ。必要がない限り、免許証は車に乗る時だけ携帯するというのが最初からの習慣になってしまっている。不幸中の幸い、紛失したのは免許証だけ。

買い物を済ませ、車に向かう途中でキ―を取り出した。その時、知らぬ間に飛び出したか…。落としたとすればその時をおいてない、はず。出口から近い場所に駐車したから、だだっぴろい範囲を探し回る必要もなく範囲限定の感じなのだが、届いてはなかった。警察へ尋ね、交番に届け出た。

どこへ行っちゃったのか、ゴールデンの帯が入った私の運転免許証。全身の力が抜け虚脱感漂う。わずか半日で憔悴したんじゃない?ってほど落ち込んだ。あー、がっくり。

これまでこうした貴重品の類を落としたことがない。一昨年だったか、手袋の片方を地下鉄の券売機の周辺で落としたことがあった。改札をくぐってすぐ気がついたが時間が迫っていたので後回しにした。けど届けられていたなあ…。手袋ぐらいって感じだ。
とりわけいつもと変わりない時間を朝から過ごしていた。3日以来になるが朝早めにウォーキングなどしたが、だからといって何もどうということはない。
「大丈夫ですよ」とあたふたする私を見てお巡りさん。再交付には手数料がかかるので1,2週間様子を見たらいいと。そんなに長いこと車に乗れないのはかなんなあ。はーて、こまった!あー、こまったなあ。
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 「木は鉄より強し」

2012年07月16日 | 映画・観劇

満席(104人)に近い中に母親に連れられて小学生が一人だけ含まれていた。少し小柄だけれど、4年生か5年生ぐらいだろう。どのような事を感じたか聞いてみたいと思った。
【法隆寺の大修復、薬師寺金堂、西塔の復興などを率いた西岡常一氏(1908-1995)の晩年を追ったドキュメンタリー映画「鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言」】を観た日のことであった。
祖父いや曾祖父と孫のような間柄の二人にもなりそうだが、このまだ幼い少年の心にどう響いたことだろう。なんかすごい人がいた、素朴にそんな感覚でもいいのだ。いつかこの日の記憶に遡る日が訪れるといいなと、勝手に期待している。

法隆寺修復解体で、屋根瓦をすべておろすと、抑えつけられていた柱が背筋を伸ばし出したという。千年を経ても弾力があり生きている。
大陸文化が入ってきた飛鳥建築だが、日本古来の工法がそのまま使われているのだそうだ。
「建築当時のままであること」は世界遺産登録の条件の一つだと言われる。古い部材を切ることなく、ねじれゆがんだ柱や梁に最小限の手を加えて再び元の姿に組み上げていくことになる。

薬師寺再興、金堂、西塔の復元に当たって白鳳文化で唯一現存する東塔の実測に2年をかけた。金堂の高さ、屋根の反り具合、回廊、伽藍の配置等々、実測の結果から割り出してバランスを考えていく作業が続く。

鉄骨で補強すべきだという学者との意見の違いにも引くことはなかった。そんなことはできないからボルトの部分に使っておいた、と。その学者は月に一度しか来ないので知らんてます、と笑っていた。が、薬師寺金堂内陣は国宝の本尊を納めるということで、コンクリートで囲まざるを得なかった。三百年しか持たないものを千年もつ木で囲むとはどういうことか。意見も通らず納得できない仕事であったエピソードも語られていた。

氏が入院で不在であっても、弟子たちは個々の仕事をわきまえ黙々と部材を組み上げていくシーンが映し出された。「部材を組みながら皆の心を組んでいますんやな」といった言葉が挟まれた。

法隆寺の大工には代々口伝が伝わっていて西岡氏はおじいさんから教わったという。その一つ、
 「木の癖組みは工人たちの心組み」というのがあった。「…大勢の職人の心を棟梁の心構えと同じように仕事に立ち向かう心構えにしなくてはなりません。職人も木と同じように癖があり、一筋縄ではいきません」と語られている。「人との付き合い方やったりもしますな」

また、「百論一つに統るの器量なき者は 慎み惧れて匠長の座を去れ」とも。

それにしてもあの小学生、これを観てどうだったんだろう…。
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 特典の「つき」

2012年07月14日 | 日々の暮らしの中で

誕生月と言うことで何やら特典つきの案内が舞い込んでくる。
今、いくら割引されても値の張る服は買う気にはなれない。夏物、必要ならチャンスかもしれないが、そうでない限りは無駄に散財したくはない。ないと困るか、なくても別に困らないか、ここらが判断の拠り所で、わりと決断はすぐに下してしまう。ただ、秋冬物ならちょっと話は別かもしれない。

Luck with money is very good luck. ってところか、金運大吉。友人たちとの会食によく使う店があるが、そこのポイントがたまっているという一人から、お声がかかっている。そのポイントがどう使われようというのか。わずかなポイントで、そればかりははなはだ疑問だけれど、楽しくおしゃべりして過ごせるだけで喜ばしい幸運、吉日になる。

財布も軽いが、フットワークも軽い私は、贈られた“技術料金20%OFFのお祝いの心”を持参して、美容院に行ってきた。髪のボリュームが出てきてまとまりにくくなっていたし、パーマをかけて、梅雨空の下、頭もすっきりと軽くなった。
まだいいことありそうな誕生月。歳をとることも悪くはない、そう思えるといいのだけれど。
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 もっと楽しくおもしろく…

2012年07月12日 | 日々の暮らしの中で
                    四条烏丸の少し東にある長刀鉾。その向こうに函谷(かんこ)鉾。

予定では今日・明日にかけて鉾、山の曳初め(ひきぞめ)、舁初め(かきぞめ)となっている。山、鉾ごとに異なるお囃子を奏でながら、山鉾のある町内を往復するのだという。四条通を少し歩いたが、コンチキチンの音楽が流れ続けていた。

「横笛、鉦、太鼓」で奏でられるが、横文字にすると「flute, (hand) gong, drum 」となる。「フルート」と聞けば管弦楽に用いられる管楽器を思い浮かべるのではないだろうか。西洋の縦笛・横笛の総称と説明されている。古くは木製であったようだが、能楽に用いる竹製の横笛も「フルート」と英訳されるのかと、少々違和感を感じたりもした。

京に疫病が大流行し、東北が巨大な地震と津波に見舞われた869年。洛中随一の池があった神泉苑に、当時の国の数、66本の鉾を立て、神輿を送り平安を祈ったのが祇園祭の起源とされる「祇園御霊会(ごりょうえ)」だとされる。
「自由に飛び回れない日本の神様は、物について動くと考えられていたので、鉾は神が宿る依代で、それが山鉾の原型」なのだと識者は語る。
室町時代には、町ごとの趣向やスタイルが決まり、能楽の影響を受けて囃子も成立したという。

 

‘I study NOU in Kyoto.’ 「絵本で英会話」のベッキー先生は、自己紹介にこう添えられる。金剛流の能を学んでおられて、山鉾やお囃子はもちろん、懸装品への興味も尽きないようだ。「ロープ」だけで鉾を組んでいくあの過程はワンダフルだと興奮される。様々な日本文化への造詣の深さには毎回驚きと共に触発されている。刺激的な出会いだと、私は密かに感謝している。
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 花のやさしさ

2012年07月11日 | 日々の暮らしの中で
ご近所のおじさんが、殺風景だからとブロック塀沿いにユリを咲かせてくれています。
雨続きの頃から咲き出していました。
 
          

ユリを英語で「lily」と言うということ、これは久しく忘れていたことでした。
筒状あり漏斗型もあり、横向きに咲くのもあるし、下向きも、斜めも。ですが、これほど天を向いて咲くと…、これ見よがしに奥ゆかしさ半減?気味です。が、きれい。大輪のものが目立つような気がするこの頃、これなども新種なのかと疎い私はただ眺めるばかりです。甘い香りが重たく漂っています。
桃色のユリの花ことばは、「思わせぶり・虚栄心」と。まあねえ…。白いテッポウユリは「甘美・威厳」とありました。それぞれに特色あり、それぞれの花のやさしさありというところです。


シーボルトは1829年の日本から帰国時に日本のユリの球根を持ちかえったそうです。3年後には鹿の子百合がオランダの植物園で開花して、人々を魅了したとか。テッポウユリはダメで、再度日本から送られたのが開花し、復活祭や冠婚葬祭用などとして普及したといいます。

畑や庭で咲いた花を仏さんにといただくことは多く、本堂にもテッポウユリの強い香りが立ち込めています。薄闇の中で、花の白さが目を引きます。白い花は好きです。
雨が降り出しました。
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 良い買い物

2012年07月07日 | 日々の暮らしの中で
電子機器に触れたこともないオバサンが買いに来たと思われて、高価なものを押しつけられても困ります。そんな良いものもいらんだろうとちゃっちいものを奨められても、これまた無念。すぐに声をかけてこられるのをあまり好まないタイプですが、控えめに近づいてくれた店員さんに相談することにしました。

 

シャープの製品「Brain ブレーン」というタイプの機種に決めました。
コンテンツをダウンロードして使う機能も付いています。辞書の内容を充実させるなどありそうにもないことですが、付いているのですから、それは要らないとも言えません。
英単語・例文ともに読みあげ機能付きです。広辞苑には鳥の鳴き声やクラッシック音楽(一部)、日本民謡なども収録されていました。鳥の鳴き声を繰り返し聴いています。ウグイスの「ホーホケキョ」を「法を聞けよ」と聞いた妙好人がいたようです。昨日の今日、確かめてみました。「ほーー ォキェョ??」 いえいえ、何度聞いてもはるかに軽やかな美しい声が楽しめます。

いまどき当たり前なのかもしれませんが、これらは手持ちの物には全くなかった機能で、飽きることなくあれこれ機器内を探索、面白い。少しだけ先延ばしした自分への投資。よい買い物になったと思えることで気分は「大吉」です。早く使い方に慣れなくっちゃ~。

             

朝のうちは雨が残りましたが次第に回復、京都駅へと向かいました。ちょいとばかりルンルンで帰宅でした…。
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 「妙好人」

2012年07月06日 | 展覧会
浄土真宗のお話を「聴聞」する人々の中で、特に篤信な人を讃えて、“妙好人”と名付けています。「妙にして好ましい人」“ミョウコウニン”です。鈴木大拙の英文による原稿が展示してありましたが、それには、
「Saich was a myokonin,“wonderfully good-man”,…」と、書き出されてありました。


妙好人の中から代表的な念仏者として、有福の善太郎・因幡の源左(げんざ)・石見の才市(さいち)という山陰の三妙好人、大和の清九郎、讃岐の松庄(しょうま)、六連島(むつれじま)のお軽(かる)、嘉久志の仲造の7名が選ばれて、「妙好人展」が企画されています。言葉は聞いてはいても実のところ良く知らなくて、行ってみることにしました。

無料でしたのに、立派な冊子を戴きました(写真)。因幡の源左の言行を冊子より抜粋、紹介します。
【父や我が子との死別を通して、死とは何か、親様(阿弥陀如来)とは何かと考え、求道し続けたが、いっこうにわからなかった。
30歳頃の夏、「ふいつと分からせて貰った」出来事が起こる。いつものように裏山で草刈りをし、牛の背の左右に1把ずつを担がせ、自らでは負いきれない3把目を牛に担がせようとした時、「お親さんのご縁はここかいな」と「ふいつと分からせて貰った」という。
人間には負いきれない罪業を阿弥陀如来がすでに背負ってくださっていた、その他力のご恩に気付かされたのだ。それ以後は、彼は、「おらにゃ苦があって苦がないのだけのう」と、多くの苦しいことも悲しいことも「ようこそ、ようこそ」と味わう信仰生活の中で、たくさんの人々にお念仏の喜びを伝えていった。】と、あります。宗教哲学者、柳宗悦によって彼のこうした言行は世に広められたわけです。

矛先の勢いが激しい人、穏和な人、思索にたけた人、自戒の念の強い人などタイプは様々にあっても、それぞれの深い宗教体験から生み出された「いのち」を生きた人たちを言うようです。現代では金子みすヾ、中村久子、東井義雄らが挙げられていました。

何かを学べればよいのですが…。何かに誰かに守ってもらえていると感じることはできても「信じる」という言葉が使えず、ともすると息がつまりそうに。「はづかし はづかし わが心」です。

    原石のごとく、
    比べようのない輝きを有すあらゆるいのち。
    それらのいのちは相互に照らしあって、
    自己を知り、より深い輝きを放つ。
「パドマの願い」と書かれた掲示物に書き添えてあった言葉です。パドマとは紅蓮華のことでしょうか。
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 「金運は抜群の大吉」

2012年07月05日 | こんな本も読んでみた

「誕生月なのにチグハグ。金運は抜群の大吉」
新聞に今日の運勢が出ていた。お金が入る運はどう考えても大吉と喜べる可能性はない。それなら、「金運」もその使い道によって自分に返ってくるなら払い甲斐ありとしよう。そう決めて現金を用意して、「絵本で英会話」の講座に向かった。

戴き物のちゃっちい電子辞書では事足りずで、二度引きの手間を余儀なくさせられることが多くある。結局は「デイリーコンサイス英和和英辞典」の出番が増えるわけだ。これで十分なのだ。ちょっと指に唾つけて、なんてことは不要にページを繰れるだけ使い込んである。単語だって苦もなく引く。利用範囲を考えても自分には十分な辞書だった。
それでもだ、手持ちのお粗末な代物と比べても、電子辞書の手軽さには押され気味だ。なんと言っても小さな字を読みとるための眼鏡はいらない。長いこと我慢半分で来たが、「金運は抜群の大吉」に誘われた。こんな日はそうそう巡ってこないだろうと。

講座終了後、電子辞書を買いに京都駅へ向かう意思を持って別れた。が、なぜかふらっと入ってしまったいつもの書店。あるではないか。
女性随筆集がこの2月から刊行されているが、シリーズの第6巻目は「宇野千代・大庭みな子」さんで、小池真理子さんによって作品が精選されている。これまで食わず嫌いしていた宇野千代さんの作品を読む機会だと思っていたので、辞書よりも先に手が出てしまった。

用意した現金に手をつけるほどのこともない。なのに、今日はもうすっかりそこで気持ちが変わってしまった。あんなに「金運抜群の大吉」デーに買い時だと気持ちを固めていたにもかかわらず、いともたやすく心変わりだった。電気店に行くこともなく帰途についた。

楽しみを少し先延ばしにしただけで、十分この紙の辞書で用は足せる。そうは思ってみるが、せっかくの「金運大吉デー」も運勢どおりのチグハグさで終わってしまった。

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  Rainy Blue

2012年07月03日 | 日々の暮らしの中で

今日も朝から土砂降りだった。九州地方の降り様はいかばかりかと、思い馳せずにはいられないありさまだった。
昨日は31度だったが、またもや一転、肌寒い。観たいと思っていた映画の上映が始まったが、やはりやめようか?という思いに合わせるように雨続きだ。伏見区深草にある龍谷大学にも企画展をのぞきたい。奈良の国立博物館にも行きたいのだ。比較的余裕のあった今週、あいにく雨に足止めされる日が続く。

午後3時、雨も落ち着いたので、このすきにとバイカモらしき花を大急ぎでのぞきに行った。健在!?だった。 
ご近所の方がされたのだと思うが、側溝内に茂った草は取り除かれてあった。水の勢いでたまっていた泥も流されたのだろう。きれいになった側溝に、長く伸びた藻が揺らめいて姿を現わしていた。藻は広がりを見せていた。隠されていた藻までが姿を見せたのだと思う。おまけに、たくさんの花が咲いていた。なんやすごくほっとしてうれしい気持になった。

 

「Rainy Blue」レイニ―ブルーという曲もあるが、あまり憂鬱さは伴っていない。じとじと感も少ないし、蒸し暑さもこれからなのだろう。
今朝は5度だったという娘から、Jessieに靴が届いた連絡をもらった。ちびまる子ちゃんの本を6冊も含めたのだけれど喜んでくれたという。
このTylerはまだアンヨできないのですが…、写真も添えてくれてあった。

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