10月27日、今日は文字・活字文化の日だそうだ。
本日付の新聞のコラム「凡語」は、「ガリガリ。幼い頃、夜中に妙な音で目が覚めると、教師だった父がヤスリの板に鉄筆を走らせ学級通信を書く後ろ姿が見えた」と筆者の幼い頃の記憶で始まっていた。
「ガリ版刷り」と呼んでいて、わたしにも懐かしい思い出が残っている。
鉄筆でガリガリと文字を書きつけた原紙を謄写版にセットし、インクをつけたローラーを押し付けるように転がして一枚一枚印刷する。定期テストも日々の小テスト問題も、連絡ごとも、初任の頃はすべて印刷物はガリ版刷りという時期があった。授業の空き時間だけでは間に合わなくて、私も家でガリガリやっていた。やがて輪転機が入り、枚数をセットすることで手刷りの作業からだけは解放されていった。コピー機の登場はそれから以後のこと。

小学生から中学生になって、大きく変わった環境に戸惑うことも多い子供たちが、毎日学校に行くのが楽しいと思えるクラスにしたいと、私もマメに学級通信を出していたのだ。経験の浅さをカバーする熱意だけは充分だったろう。今読み返すと、気恥ずかしいほどの真正面さに満ちている。紙はすでに赤茶けてしまった。取り出して読むこともないがしまい込むこともなく、鉄筆も使う当てなどないままに捨てることもなく、40年を超えて私の机の引き出しにあり続ける。
人間の心を映す言葉。考えを深める上でも文字、活字は大切な存在となる。すぐに消え去るような簡単な言葉で思いを示したり会話をするよりも、私は思いがこもった自分の言葉を文字で残したい。届けたいところには届ける努力をしていこうと思う。
本日付の新聞のコラム「凡語」は、「ガリガリ。幼い頃、夜中に妙な音で目が覚めると、教師だった父がヤスリの板に鉄筆を走らせ学級通信を書く後ろ姿が見えた」と筆者の幼い頃の記憶で始まっていた。
「ガリ版刷り」と呼んでいて、わたしにも懐かしい思い出が残っている。
鉄筆でガリガリと文字を書きつけた原紙を謄写版にセットし、インクをつけたローラーを押し付けるように転がして一枚一枚印刷する。定期テストも日々の小テスト問題も、連絡ごとも、初任の頃はすべて印刷物はガリ版刷りという時期があった。授業の空き時間だけでは間に合わなくて、私も家でガリガリやっていた。やがて輪転機が入り、枚数をセットすることで手刷りの作業からだけは解放されていった。コピー機の登場はそれから以後のこと。

小学生から中学生になって、大きく変わった環境に戸惑うことも多い子供たちが、毎日学校に行くのが楽しいと思えるクラスにしたいと、私もマメに学級通信を出していたのだ。経験の浅さをカバーする熱意だけは充分だったろう。今読み返すと、気恥ずかしいほどの真正面さに満ちている。紙はすでに赤茶けてしまった。取り出して読むこともないがしまい込むこともなく、鉄筆も使う当てなどないままに捨てることもなく、40年を超えて私の机の引き出しにあり続ける。
人間の心を映す言葉。考えを深める上でも文字、活字は大切な存在となる。すぐに消え去るような簡単な言葉で思いを示したり会話をするよりも、私は思いがこもった自分の言葉を文字で残したい。届けたいところには届ける努力をしていこうと思う。