京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 こころゆるむ二月尽

2013年02月28日 | 日々の暮らしの中で
「It’s warm day! Warm day!!ねぇ~」 教室に入ってこられるなりのベッキー先生の言葉でした。

今日は生ごみを出す日だったのをうっかりしてしまって、8時20分ごろ大慌て。ゴミ袋片手に100mほど走ったのに、あ~あ~あ~、収集車に行かれてしまいました。それで、ではどこか違う場所へ!とまたまたゴミ袋ひっさげて…。今朝はコートも着ないしマフラーもせずに飛び出してもすむほどの温かさでした ― とは先生のお話。何やらとてもリラックスした雰囲気のベッキーでした。

が、話題は花粉のシーズンがやってきたことに移りました。幸い私は no allergies、なんにもアレルギーはありません。花粉症もなければ鼻炎も無し、イネ科に雑草に、鮭缶に…、とアレルギーが出ることも喘息もありませんから、残念ながらこれと言ってお話しすることがありませんでした。私はとてもタフ?なようです。健康体とでも言った方がイメージは良いかもしれません。
今日から新しい本にも入って、いつもながらあっという間の「絵本で英会話」80分は終わってしまいました。


 まばゆいばかりの日差しにあふれた二月尽。

                 風光りすなはちもののみな光る       鷹羽狩行

近くの植物園では「早春の草花展」が開催中です。寄ってみようかと向かいかけましたが、テントで覆われた中での花展よりもと、植え込みの切れ間から川べりに出ることにしました。目の前は紅枝垂桜の美しい半木(なからぎ)の道です。蕾はまだまだ小さく固いのですが、あたりはやわらかな春の色を感じさせてくれる一日でした。あー、よい日でした。
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 朧月夜

2013年02月25日 | 日々の暮らしの中で
            
                 春さればまづ咲くやどの梅の花 
                      ひとり見つつや春日暮らさむ          山上  憶良

幹はほとんど空洞の古木だが、今年もこうして蕾をつけた。
霞がかかっているのかと見間違えるが、眺める先は吹雪いているために白くかすんでいるのだった。

今宵は十六夜のおぼろ月夜だと教えられた。
二月の二十日余りの頃、内裏の紫辰殿で桜の宴が催された。そして、その晩、光源氏が朧月夜と出会う下りが『源氏物語』八帖「花宴」に描かれている。同じような月夜だったのだろうか。
「人の命、久しかるまじき物なれど、残りの命、一二(いちに)を惜しまずば、あるべからず」(「手習い」)
ふむふむ… 人生の一回性という人間の条件・・・ふーむ …。 

春はおぼろなりけり…。
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 子供の声が…

2013年02月24日 | 日々の暮らしの中で
娘宛てに送った小包が着いたと知らせてきた昨日。
タイラーはお風呂上がりで裸でいるらしかったが、「ジェシー、ジェシー」と姉を呼ぶ声が聞こえる。後を追っているのかもしれない。Jessieは金曜日は友人宅にお泊りして、土曜日の日本語補習校の授業を終え、送られて帰宅したところだという。賑やかなおしゃべりに気持ちが動く、吸い寄せられそうだ…。


浮き上がるクマさんが可愛くて、Jessieに便りを書こう!と買ってしまった。国内なら80円切手で投函できるが、遠方でもあり、折曲がらないように厚紙に挟んで封筒に入れた。裏面に油性のペンで書いて、桜のシールを数枚散らした。
お相撲さんの土俵入り。朝青龍の取り組みを「かーい、かーい(かわいい、かわいい)」と観ていたこと覚えているだろうか。白クマさんがタイラーに重なるが、四股を踏む動作が似あうことだろう。

寒くて籠りがちの日曜日だった。
日脚が伸びて、空も陽射しも明るさを増している。光が春の先取りをしたかのようにきらめく二月半ばから三月にかけての「光の春」。この季語は気象キャスターの倉嶋厚さんが広めたのだという。今はまだ襟元はマフラーでしっかり冷たい風の侵入をふさいでいる。これがはずせる頃には、風も光り出していることだろう。


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 早春の湖上

2013年02月20日 | こんなところ訪ねて

「魞挿す」 魞(えり)は定置漁具で、魚の通る道に、何本もの青竹を迷路のように挿し、外側から竹や葭(よし)の簀(す)・魞簀(えりす)を張り巡らしてある。そして、その先端に仕掛けた魞壺に魚を誘い込んで捕獲する仕掛けになっているのだそうな。そのための青竹を挿す作業を「魞挿す」といい、2月から3月中旬に行われる。琵琶湖の魞は仕掛けも大掛かりらしい。

手前には水鳥の姿が揺れる湖面に多くあったが、その向こうに魞を挿した早春の風物詩が見てとれた。魚の通り道とは、知る人ぞ知る。年齢を重ねた人の体験や知恵の尊さ、それを継いで味わう機会がまた貴いことだろう、な。



           竹積んで魞挿す舟と覚えたり   高浜年尾
           魞挿して波をなだむる奥琵琶湖  福永耕二

比良の山々にも雪が光り、湖岸に下り立つと風は強く、打ち寄せる波で足元を濡らしそうな勢いだった。
よく見る光景だったけれど、知らないことも知ったなあ~、と思って。
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 今、この時に

2013年02月17日 | こんな本も読んでみた

分かりやすい書物で“仏教入門“してみようと思いたちました。
『梅原猛、日本の仏教をゆく』(梅原猛著 朝日学芸文庫)があります。ちょうど4年前に買いました。日本仏教の重要人物を解説し42人の生涯とその思想に迫り、日本人の精神に根付く仏教思想の根源をたどられた1冊になっています。と、偉そうな括りかたをしてしまいましたが、情けないことに未だ読了前です。

実は、この著書のもとになっているのが、先ごろ復刻された週刊朝日百科『仏教を歩く』で連載された『梅原猛の新「授業・仏教」』です。梅原氏の1冊を手許に置き出したのに合わせるように、この週刊の冊子を揃え出そうとした偶然。天の声?そうです、今は少し気持ちを入れてみる機会だときっと背を押してくれているのです。

「何ぞ、たゞ今の一念において、直ちにする事の甚(だ)難き。」(現在の一瞬に置いてすぐ実行することが、どうしてこのように難しいのであろうか)
いつかもう一度念を入れて勉強しようなどと将来を頼みにしていてはいけないのです。仏教では、1回指をはじく間に60の刹那があるというそうですからね。思い立ったらすぐ行動に移すことの大切さを兼好法師が説かれているわけです。

文庫本の方は並べ直されています。そこで、解説の部分で読み方のヒントを与えてくれています。冒頭から通史として読むよりも、「一日1章、寝る前に読んでみるのはいかがでしょうか」「梅原さんの導きで、はるか遠い過去の躍動感あふれる人々の活動に、心を馳せながら眠りに着くというのは、随分贅沢なこと」とありました。
寝る前にですか…、はて…。そればかりは、寝る前には思い浮かべることがちと違うような…、ですが…。

わからないまま、わかったような気になって、ちょっとばかり得心するかもしれません。仏教を考える時のよさだと、どこかで読んだ記憶があるような無いような…。あります。いずれにしても「時間を惜しめ」と聞こえてきそうです。

肩の、首の?凝りをほぐしに午後から少しばかりのウォーキングでした。寒い池の傍から眺める比叡山です。思いきって出てみれば出ただけのことは、あります。
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 愛の表現を…

2013年02月13日 | 日々の暮らしの中で

明日は世界共通の年中行事の一つ、バレンタインデーです。恋人だけではなく先生や友達、家族・ペットにまで、日頃の感謝をこめて愛の表現を示す日なのだそうです。強い絆を結ぶために、義理チョコはともかく、カードを送ろうと思ってひとりこそこそ、こてこて取り組んでいました。出来上がりました! でも「こんなんです」と気前よくお見せするわけにもいきません。

親子や仲の良い友達同士で使える定番のメッセージもあるようです。
    I love you.
    I always love you.
    I will love you forever.

   Be My Valentine.      とすると、「私の大切な恋人になって」
   Please Be My Valentine.   頭に「Please」をつけると、もっとかわいく、「恋人になってくれる?」の感じだそうですよ。

ほとんど縁がなくて使ったことはありませんが、オーストラリアで仕込んできたものです。
こんな時ぐらいは、あっちこっちの方々に向けて愛の表現を楽しんでみてはいかがでしょう。「愛してます」より「I love you.」の方がずっと無難に使える気がします。まあ、あまり愛の安売りもなんですが、「愛の表現をする日」なのだそうですから、照れないでいきましょう。

ちょっとランクが上のお相手には特別なメッセージを添えて!  I'm thinking of you … … ….
思いっきり楽しんでみましょうか~。

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 足踏みしながら

2013年02月11日 | 日々の暮らしの中で

厳しい寒さを越え、三寒四温を繰り返す季節の歩みは遅い。今か今かと待たれる春の訪れだけに、その期待も喜びも大きくなりそうだ。

『万葉集』に見られる梅花の歌はすべてが白梅で、百首を超えるという。春の到来を知らせる花。梅は日本に自生しておらず、奈良時代以前に中国からもたらされた木だった。古くは仏教も文学も、文化、国家の体制までも中国から学ぼうとして、日本にとって中国は憧れの国、先進国であったのだ。何度も危険を冒して渡航しあった過去がある。そして、やがて八世紀末の平安遷都からおよそ百年ほどをかけて、それまでに輸入された大陸文化が“日本化”されていくという時代の流れをたどる。

清楚な風情を好み、漂う香を愛でる風雅さを、どこやらかから流れ込む汚染された大気や気配で台無しにされたくないものだ。 
様々な言動に首をかしげ、なんて品位のない!と不快な感情はどうしても先立つが、決して相手を責めるだけではすまされないものが国内にもありそうだ。
おりしも今日は建国記念の日。その賛否を唱える集会も催されていた。『日本書紀』が伝える神武天皇即位の日を、太陽暦に換算して定められた「建国を記念する日」。日の丸の旗が翻る光景は悲しいほど見かけなくなってしまったが、「国家」「国旗」行き着くところを何処に求めたらいいのだろう。

2月11日、この日は亡き弟が生まれた日でもあった。彼が目をかけた甥っ子の子供が三日後にお喰い初めを迎える。小さな命がすくすくと育っているのは救いで嬉しいこと。春はやはり喜びだ!

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 春を感じに

2013年02月10日 | こんなところ訪ねて

     京都御苑に立ち寄ってみた。「つぼみ膨らむ」 何か言いたげな…。
カメラをセットして、じーっと腰をかがめたまま覗いている。 高いところを指さして、何を観ているのか。
 

思い思いに春を探して。

昨日から北野天満宮では梅苑公開が始まった。早咲き種でも昨年より22日送れの開花だそうだ。
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 底冷えは家の中まで

2013年02月09日 | 日々の暮らしの中で

昨日の最高気温は2.9度とあった。胸の奥がほってってくるような温かさでも感じられるのなら、極上のエコ防寒法になることだろうに。
どこからかすき間風だ…。襖を開ければひやーっとした寒冷地の空気が入り込む。北極のような冷気が沁みついた廊下を肩をすぼめて足早に移動する。家の中にいて吐く息が白く見えるだなんて、笑われそうだけれど冗談ではない。

      首と腰を温めると体全体が温かくなるという。家の中にいて、これほどの重装備は不可能だとしても、首の付け根が凝るのは冷えからくるのだろうか。

桜の開花予想が京都では3月25日の見込みだと発表された。そう聞くだけですでに身も心も浮き浮きしてくる方もいるらしい。ちょっとばかり気が早いんじゃな~い?って思ってしまうが、あのお花見の光景など思い浮かべて、少しでも心を温めたほうがいいに決まっている。やっぱり春は喜びだ。

「もうすぐ春、恋してみませんか?」って新聞のコラムにあった。結果を気にして身をすくめていては何にも始まらない。そうか、街へ飛び出そう~!! って? やっぱりさっむーっ。寒過ぎる。プリンターのインクを買いに出かけたついでにスーパーに立ち寄り、直行で家に戻った。朝から掃除も洗濯もパスして、今日は完全フリータイム。
あれこれ何かはしていた。が、基本的に何もしないでいられる日だったのでなんと幸せな~。

枯れ尾花のてっぺんに綿のような白い花が咲いた朝だった。

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 風前の灯?

2013年02月07日 | 日々の暮らしの中で

処分しようと積み重ねておいた雑誌、書籍類だったが、一冊また一冊と、今朝もまた一冊、気が変わって置き場所を変えた。だが、数日後には再び玄関先にプラス1、かもしれない。きわどい運命を行ったり来たりの類だ。一歩部屋に近づき戻されたものは、多分、袋にでも入れられてしばらく留め置かれるのだろうね。

ラジオを聴きながら一応はおベンキョ―したが、書き込みがあるものはすべて廃棄する。
弟の著書もある。しまい込んだまま、どれをとっても読み通したものはない。せめて文学作品だったらと思うのだ。これらの本が手元から消えても、弟の思い出が消えるわけではないだろう。置き場所を変えられながら、やっぱり書棚の奥に後戻り。出たり入ったりさせられているのは思いきれない証拠ではあるのだけれど。
               
毎週火曜日発売でこれから30冊が新たに手元に並ぶ。読むべきだと言われて『舟を編む』(三浦しをん)を遅まきながら手に入れた。けれど、「山本周五郎賞受賞作」に魅かれて『光媒の花』(道尾秀介)をちゃんと読み終えた。お枕にしとくだけじゃないわ。
一冊でも多く心の肥やしにしてとなると、思い入れのあるものばかりで尚更手放す機会は失われそうか。

息子が置いていってくれたキャンドルの灯り…。ゆらゆらとは、すき間風かな。
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 『マグノリアの木』

2013年02月06日 | 日々の暮らしの中で

日頃文章を書くことを趣味として集まる仲間で、先生を囲んで遅い新年会を催しました。あるメンバーの快気祝いも同時にということになりました。そして、何とも深い宗教の話題に触れてきました。

涅槃図には横たわる釈迦の周囲で弟子たちと一緒に多くの動物が涙する様子が描かれています。動物も人間と同じように釈迦の死を悼んで泣いている話になりまして…。犬もコウモリもダニも草も木も人間も、みな一緒。地球上にDNAは1個で、ここから世界のすべてが派生していったと、以前師から伺った話を思い出していました。
そんな話の途中で、高校教師退職後11年というTさんから『マグノリアの木』(宮沢賢治)を教わったのでした。帰宅後に先ずしたことは、青空文庫からのダウンロードでプリントアウトしたことです。

「霧がじめじめ降っていた。」で始まる作品中に、こんな会話が出てきます。

「あなたですか、さっきから霧の中やらでお歌いになった方は。」
「ええ、私です。またあなたです。なぜなら私というものもあなたが感じているのですから」
「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから。」

「マグノリアの木は寂静印です」「マグノリアの木は寂静です」「寂静」の語意には「涅槃」とあるようです。
「マグノリアの木が覚者の善でまた私どもの善です」「いちめんまっ白にマグノリアの木の花が咲いている」
「(けわしくも刻むこころの峯々に、いま咲きそむるマグノリアかも)」

あなたと私の関係性、なんとはなしに感じるこの賢治の世界ですが、もっとじっくり描かれた世界を味わってみてから、彼女に教えを請うことになりそうです。
「般若心経」でさえ、お釈迦様の死後500年も経ってからの“教え”です。ちょうどNHKテレビの『100分de名著』で学ばせてもらったばかりの「般若心経」ですが、法華経ひとつとっても知らないことづくめ。仏教の各宗派、その多様な教えに首を突っ込むだけでも気が遠くなりそうです。が、元は一つなのでしょうか…。
とにかく一つ、知らずにいたこと教えられました。
                                (写真はネットより拝借・東光寺さんの涅槃図)
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 「最後は万事すべてよし」

2013年02月05日 | 映画・観劇

友人と映画「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」を観てきました。

イギリスからインドへ、老後を長期滞在して過ごそうと男女7人が渡ります。ホームページで調べただけの豪華ホテルとは全くの嘘っぱちです。埃をかぶった調度品、ドアのない客室、水が漏れる水道の蛇口、食事、衛生環境に至るまで様々なショックが彼らを迎えます。が、この大いなるカルチャーショックは当然と私は客観的にみていますから、ユーモアを感じ愉快です。異文化の面白さが楽しめました。

ウソで騙したのではなくて、ホテルを預かるこの若者にとっては、豪華ホテルを目指してただいま邁進中、でかわしてすませる程度のことでした。そんなことは大した問題ではないと捉える若者が客を迎えて、一見根拠のない自信で奮闘します。「人生は挫折の連続で絶望が散りばめられて」いるというまだ若い彼の人生ですが、「最後は万事すべてよし」というインドのことわざの上に立っているようです。


カルチャーショックで閉じこもる妻に向かって夫は言います。社会に入り込んでみようとさえすれば「刺激的で喜びに満ち楽しみに溢れている」「色も音も豊かに溢れている」「人生最大の失敗は何もしようとしないことだ」
それぞれが人生を選択していきます。気持ちを前に向かせてくれる台詞が随所にあって、納得、大いに共感し背を押されました。

自分がどこに向かおうとしているのか。小さな、小さな喜びや満足感と言った気持ちが毎日を積み上げていく…。やりたいことを持って怠惰な心と闘いながらの人生の質は、決して自画自讃などではなくて、それなりに良好と意識していきたいです。
多分野への興味関心の積み重ねや貯えがやがて関連性を持って自分の中に形を成す。「最後は万事すべてよし」、かどうかまではわかりませんが…。
観てよかった!と心から言える一作品となりました。
                             
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 「心して、用心…」

2013年02月02日 | 日々の暮らしの中で

いつ降り出したのか、音もなく降り続いた作夜来の雨も朝には上がりました。
知人の寺で法話会を開くからと誘いを受けていて、友人に声を掛け一緒に参加してきました。気楽に接待を受けて、どうかすると苦手な正信偈を唱え、お説教師さんのお話に心傾け…、などと昼過ぎまで。

仏教に関心を持つ友人の存在は心強く、声をひそめて途中あれこれ二人で確かめ合っては緊張を和らげして時間を過ごしてきました。こんな機会があったらまた誘って欲しいと熱心です。とりあえずは、日曜講座、法話会などもしているよと、ふっておきました。

今日は19.7度を記録。明日は節分です。ベッキー先生には吉田神社で行われる2日の鬼やらいの神事と3日の夜、古いお札を焼く際の燃え上がる火の大きさが印象深くあるようでした。そうしてもう一か所口にされていました。もし時間がとれたら…、特徴のある追儺式の様子を覗いてみたいと思っています。

「京の言い伝えと」として、儀礼作法研究家・岩上力さんが書いておられます。
【鬼は本来目に見えないもので「隠(おん)」と書かれたそうです。正体は「寒・病・貧・戦・厄」などとあります。京都には節分の夜、「掻撫(かいなで)」という鬼が現れ、夜遅くに手洗いに行くと「おいど」(おしり)を撫でられる」と言い伝えられていて、「早う寝なあかん」と言われました。】

岩上氏がおっしゃるように一つの躾の言葉であり知恵です。早寝して、心身共に健康であればこそ笑顔になれますが、そうした笑顔を消滅させるたくさんの鬼の存在が現代社会にあると言われます。ただ、思いました。そんな鬼に、誰かの笑顔を消すような存在に自分自身がなっていやしないか、ふと考えた瞬間がありました。
“用心用心、心して用心”…です。

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