京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

人一人の影響力…

2019年05月29日 | 日々の暮らしの中で

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。・・・」(日本古典文学大系 岩波書店)と始まる『方丈記』。

私の興味・関心の世界に一本通っている芯は、高校時代の恩師との出会いによって芽吹いたもので、師の存在が人生の指針となった。
この師の存在がなければ、今に続く自分があったかどうかさえほとんど疑問だ。「出会ったことが喜びとなり、力となる。そこから新しい自分が生まれ、更に出発していける」、そんな出会いに恵まれたことをただただ感謝したい。

いのちには限りがあることとわかっているが、大きなものを失い、悲しい、…というか寂しさが迫ってくる。
卒業後の進路は違ったが、中国文学を専攻した友と電話で当時の師を懐かしんだ。
私は高校時代の仲間との交友関係はないにも等しい。数えるほどしか近況を知らないでいる。だから、こちらの心の中にあるものと響き合って語り合える、稀有な存在と言えるのだろう。

流されて生きるのではなく、時間を大切に過ごしていかなくては…。 
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青い空に朗々とした声が…

2019年05月27日 | 日々の暮らしの中で
夕刻、外出先から帰宅すると訃報が届けられていた。


高校時代の恩師で、3年間ずっと「古典」を教えていただいたT先生には、社会への、人生への道案内をいただき本当にお世話になった。

黒縁のメガネをかけてスタスタッと教壇に上がった姿は、一見怖そうで、やだなあと思ったのを覚えている。朗々とした声で、いつもゆっくりと話し出された。しょっぱなに「方丈記」の冒頭部分の音読を指名され、「よろしい」のひと言があった。これが出会いの始まりだった。
中間テストで古典文法につまずき、完璧に復習した。努力は無にならずで、以後すっかりとりこになって、3年後には先生の後輩となり、職業選択にもアドバイスを受け、続いた。

        

「今度。。。な内容で研究発表をすることになった。あなたの見解を聞かせてくれたまえ。最新の研究はどのようなものだろう」などと、駆け出しのひよっこにたずねることでもなかろうと思うことまで認めても下さる方だった。「嫁さんにいく話はまだか」なんて言われたこともあった。「詩吟を習い出した。君もどうかね」と、寺に詩吟はよく合うから、というだけのことで。手紙やはがきの束が残っている。いただいた村上の堆朱が形見に…。

中国旅行から帰ったら君の寺を訪ねたい、と言ってくださっていた。
そうか・・・、亡くなられたのか…。87歳。寂しい。
青い空が広がっていた。
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「12か月の未来図」

2019年05月23日 | 映画・観劇

「12か月の未来図」

エリート校の高校教師フーコーが1年間という期限付きでフランス郊外の教育レベルが低く、生徒には問題行動が多い中学校に赴任した。
学ぶ意欲を持たない、持てない子供たちに、教師は一人一人にビクトル・ユーゴの『レ・ミゼラブル』を渡し、読書を通して国語の学習を工夫する。おそらくまともに本など読んだことはない子がほとんどだろう。移民や貧困問題が子供たちの背景にはある。個々の発表を通し、更にさまざまな想像、見方を引き出し、課題への取り組みを認めていく。

何かと手を焼かされる生徒の一人・セドゥ。彼はベルサイユ宮殿に遠足に行った日の行動で退学処分を受けてしまう。救いたい教師は、法律の条文を読みこんで、「取り消し」を手にする。
教師によって小さな承認が重ねられ、子供たちにも小さな変化を感じ取れるようになる。

人間は先を見据えて生きていかなければならない。だから辛い。子供たちの将来を案じるフーコー。子供たちの心に未来を描く光が差し込んだら…。逆境から何かを学び取る。1年という期限付きの教師との別れに、セドゥは言った。「僕でも(先生が戻るエリート校に)入れるかな」「寂しくなる」 
彼が近未来、これから1年先の未来図を描き、困難な環境を突破する可能性だってゼロではないはず、…と思い巡らせ、心温まるよいラストだった。


多くの問題を抱え込んでいるパリ郊外の学校。これはフランス社会の現実問題だろう。学ぶことの楽しさをもっと子供たちに…。
久しぶりの友人とは、この先の人生をどう生きたいか話題になった。やっぱり先を見据えて生きなければならない。
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ふと思う

2019年05月22日 | 日々の暮らしの中で

青葉が広がるすがしい道。

明日は友人と映画を観る約束を交わしている。
高齢の姉を介護する友人も若くはない。
姉がデイサービスを利用して、その空いた時間が自分のフリータイムだと。
お昼を一緒にと予定しているが、友はこんなにも美しいこの道を知っているだろうか。


梶の実に花が。まだ小さいけれどたくさん実をつけていた。

お弁当でも持って、この自然の中でのんびりと気持ち安らぐひと時を過ごそうと声をかけてみるのもいいな、と歩きながらふと思いついた。

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「お花が咲くんよ」

2019年05月21日 | 日々の暮らしの中で
今日は二十四節気の小満。陽気が盛んで、草木の成長著しく天地に満ち始める頃という。

毎年新しい種を採り続け十代目のものを手に入れていた。それを昨年は十粒蒔いたが、結局一粒も発芽することがなく全滅してしまった。
弟の忌明け法要の朝、彼の家の庭からもらい受けた特別なアサガオの種だったのに。例年たくさんの種を手元には残していたが、よりによって一昨年は十粒のみ。蒔き直しもできず、はい、これまで!…となってしまった。

この4月。娘宅の留守を預かり、孫のルーカスと公園巡りをしていた日。一番馴染みの公園で、周囲にめぐらされたフェンスに枯れた蔓が絡み、種が残っているのを発見した。
「むし~?」と言って後ずさりした子に「お花が咲くんよ」と答えて、8粒を集めてポケットにしまった。


まる一日水につけ、とりあえずまいてみようかと土の中へ。
すごいものです。芽を出し、かわいい双葉が広がり始めたのです。ちょっと形が悪い? 
無理せず、ゆるやか~に育ってちょうだい。
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心豊かに…?

2019年05月19日 | 講座・講演

「仏教学とはなにか」
そんな大きなテーマでお話を聞くことが自分の何になるのか?と、少しばかり出渋らせる思いが湧いた。けど、事前に申し込み済みだったし…。

宇宙にはたくさんの星が輝いているのにどうして暗いのか…。佐々木閑先生は工学部ご出身、物理学のお話からだった。
「古来不変の宇宙法則」の信念は、宇宙の膨張が確認され、ビッグバン宇宙論の登場により崩れていった。
物理学に始まり、あらゆる自然科学、哲学も人文科学の諸分野もすべて、歴史学の一種となった。宗教も、然り…。

仏教も本質となる「釈迦の言葉」を、後の人たちが様々に解釈を示し、周辺は異なった見解で大きく膨らんだ。宗派によって、また同一宗派内であっても、それぞれに元とする「経」が異なる。いつ、どこで、誰の手により、どのようなプロセスを経て現在形になったのか。
仏教学は、「釈迦の言葉」として承認されている聖語・聖典の言葉の正しい理解を探求することを目的に、解体される科学的思考の世界になっている。

こうしたことは仏教の価値を損なっていると思われる現代社会の諸問題を見出し、それらへの対処の方法を探るという手順へと続く。研究の成果は直接、現在の仏教の在り方に影響を与え、出家修行者の日常生活にも重要な関わりを持ってくる。仏教世界に混乱を招くだけと批判もされるだろうが、しかし、…と還暦も過ぎたこれからの研究生活に思いを向けられる言葉で結ばれた。

日常にどう取り込めるお話なのか追い直してみたが…。ただ一つ、心に留めておこうと思ったことある。
消滅、消え去った者(小宗派、組織とか)を軽んじ貶める悪口がある。例えば、自殺者を「心が弱かったから」と口にする人がいるが、裏を返せば、自分は心が強いと表明することばである。反論できない者たちが自分の隣に座っていると想像し、心を汲んでモノを言おう。【歴史学の本義は、消え去った者たちへの慈悲の表出である】と。学問に限らない…。 

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平凡な一日でも…

2019年05月16日 | 日々の暮らしの中で

今日は何も予定がない一日だった。
明日の文章仲間との例会に備えて仕上げた作品を確認し、そのことは終わり。
好きに本を読んで、お使いに出て、それから小一時間のウオーキングに出た。小さな靴の落とし物が木の枝に掛けられていた。
そうそう、朝のうち少しだけ草むしりをしたんだった。鎌でカイカイッと、少しだけ。

ほっと一息ついて夜空を見上げてみれば、まあるくお月さんが昇っている。
静かな夜。一番くつろげるひととき…。

    
アザミの花を見るといつも思い出す。
子供、中学生頃だったかな、仏さんのお花を買いに行くことを頼まれたことがあった。
買ってきた中に、アザミの花が混じっていて、それを見た母から、トゲのある花を仏様に上げることはできないから替えてもらってくるよう言われたのだった。
仏花に混ぜて売っている花屋が悪い。そう思っていたのよね、ずーっと。
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『そして、バトンは渡された』

2019年05月15日 | こんな本も読んでみた

「困った。全然不幸ではないのだ。」
高校2年生最後の進路相談での場面から始まる『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ著)。
〈私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった〉と帯にある。4度名字が変わった優子ちゃん。

不幸じゃない。けど、どうしたって寂しい。ポチを連れて散歩に出て、空の下、川を見ながら涙を流していた小学校5年生の優子ちゃん。また家族が変わるかもしれないという不安がぬぐえたことはなく、心の安定を図り続ける。どの親もいい人で、大事にされた。けれど、淋しさ、悲しさ、やるせなさをずっと抱え込んでいる。「わたしの家族ってなんなのだろう」。回想がはさまれて…。先の展開は見えてしまわずに引っ張られて読んでいける。

高校3年生の優子ちゃん。父親の「森宮さん」と暮らして3年になる。
合唱祭でピアノ伴奏を勤める優子は、ピアノをめぐって父・森宮さんとの間にぎくしゃく感が生まれる。このあたりからだった。読んでいてグッと興に入りだすのは。合唱祭の前夜。課題曲「ひとつの朝」を優子の伴奏に合わせて森宮さんが歌うと言い出す。優子は森宮さん20年前の高校3年時の合唱祭での曲を調べ、その「糸」(中島みゆき)の譜面を用意していた。いい場面だった。YouTubeで「ひとつの朝」を聞いてみた。

「自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日がやって来るんだ」「親になるって、未来が二倍以上になることだよ」。素敵なメッセージだ。「優子ちゃんと暮らし始めて、明日はちゃんと二つになったよ。自分のと、自分のよりずっと大事な明日が、毎日やって来くる。すごいよな」「自分以外の未来に手が触れられる毎日を手放すなんて、僕は考えられない」

「いつも流れに従うわけにはいかない。この暮らしを、この家を守りたい」。
森宮さんの「覚悟」を底流に、優子は進学し就職を決め、やがて結婚式を迎える。

いろいろな事情で周囲に翻弄される子供たちは多く、血のつながりや家族の形態に思いがいくこともあった。一人の少女の成長に重ねて、すべての子供たちに幸せを…という思いにもなる。本屋大賞受賞作品。
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「釈迦内柩唄」公演

2019年05月13日 | 映画・観劇

11日、劇団希望舞台による『釈迦内柩唄』(原作 水上勉)の公演を観た。
【釈迦内は秋田県、花岡鉱山の近くの在所の名前。その地で代々続いた死体焼き場を引き継ぐことになった末娘・ふじ子の物語。仕事ゆえに忌み嫌われ、蔑まれる。だがそこには家族の深い絆と愛情、分け隔てない人間に対する優しさがありました。酒を呑まずにいられなかった父。その父が山の畑いっぱいに育てたのは人の灰で育ったコスモスだった】

父・弥太郎が死んだ日、ふじ子は父親を焼くカマの掃除をしています。ふじ子の胸に、さまざまな思い出がよみがえります。
二人の姉のこと、母親のこと、花岡鉱山から逃げて来た崔さんのこと、そして憲兵に殺された崔さんを焼いたあの日のこと…。頑なに断る父に代わって憲兵の要求を受け入れた母は、一人黙々と仕事をする。カマの中の真っ赤な火、立ち上る煙。憲兵の異常な威圧感。吹雪の夜に彼を招き入れた温かな団らんのひと時が前シーンだったのに…。息をのんで見つめた一幕だった。

「なして、人は焼き場の子と聞くと、あった冷てえ眼でみるんだべか」
家業ゆえの差別で愛する人との別れを経験したふじ子は、町から戻って父の跡を継いでいた。宿命に翻弄され、心を閉ざし、その先を差別への憤りで苦しみ続けるとしたら、それもまた辛い。

一面のコスモス畑では、コスモスがひとつひとつ、それぞれの顔をして咲いている。あのピンクの花はお母。あの白いコスモスは崔さん、きれいな目をした人だった…と。コスモスの花に、ふじ子はいのちの平等を見つめている。
コスモス畑を抜けてくる馬車の鈴の音が聞こえてきました。いつもは棺桶を運んでくる馬車に、今日は姉さんたちが乗ってやって来るのだ。お父を弔うために…。
「わ(吾)は さみしかったよー」。ふじ子は大きな声で姉たちの名前を呼んだ。ラストシーンだった。
一人残されたふじ子のさびしさが沁みてきた…。「寂しかった」という言葉でふじ子は気持ちを放つことができた。と思ったら、なんか涙があふれてきた、のでした。


会場となった館の出口で。「一緒に撮りましょうか」と歩み寄ってくださった、ふじ子さん。お父、お母、姉のさくら、梅子と並ばれて。
原作で読んだときとは違い、生の言葉、間合い、表情、仕草、…演劇の力に心は揺さぶられた。
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「蓮如上人御影道中」

2019年05月09日 | 催しごと
本願寺中興の祖・蓮如は1415年本願寺七世の長子として東山大谷に生まれた。母は父の使用人だった。後継争いを経て八世に就く。
室町時代、迫害を受けた蓮如は京都を逃れ、福井県の吉崎に布教の拠点を移した。吉崎には多くの門徒が群がり、一大寺内町(じないちょう)が出現するほどだったという。真宗寺院を中心に周囲に塀や土塁などが巡らされた。


江戸中期、蓮如上人を偲び吉崎に本山から御影を迎えたのが「蓮如上人御影道中」の始まりで、京都から吉崎別院への「御下向」(4/17-4/23)は琵琶湖西岸を、東本願寺に戻る御上洛(5/2-5/9)では琵琶湖東部を、それぞれ1週間かけて歩き、その距離はおよそ280kmになると。
御影は専門の御輿に載せられ、花で彩られたリヤカーに積まれ、ゆかりの寺やご門徒の家に立ち寄っていく。
吉崎では4月23日から5月2日まで蓮如忌が営まれる。最大の年中行事で、蓮如上人の御影が滞在する10日間は祭りで華やぐのだそうな。


今日、大津市で友人と会うために車で逢坂山を越えようと、ちょうど追分の「逢坂山関址」の碑がある辺りにさしかかったとき。
午後12時15分頃だった。反対車線側にある歩道を登ってくる小団があった。何かウオーキングのグループか?と思ったが、先頭を2人、衣装、笠、花に飾られたものを引く姿などが目に飛び込んできて…、すれ違いざまには思った。花の飾り。今日は9日。間違いない、あの御一行だろう、と。
この先山科別院へ。そして五条大橋を渡り、東本願寺が終着となる。確か午後3時も回っての到着ではなかったか。

ニュース映像か新聞紙上で拝見するだけだったから、一行の姿をちらっと見かけただけに過ぎないものの、ありがたい!!と思えた。
本当にありがたいことでした。このところの晴れない気分も一瞬吹っ飛んだ、かな。ありがたい思いに満たされた。お疲れ様でした。

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『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』

2019年05月07日 | こんな本も読んでみた

『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』 (南杏子)
「静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です」。サイレント・ブレスについて著者はこう説明する
大学病院勤務から訪問クリニックの医師となり、在宅医療、看取りの医療の大切さに気付いていく主人公・水戸倫子。6話の連作。

アメリカの精神科医キュプラ―・ロスに取材し、病気や死と向き合う人の心の動き、最終的に死を受け入れるに至るプロセスを基礎から解説した本を著した知守綾子。彼女は45歳、今、末期の乳がんを患っていた。
いざ自分の人生の終末に臨んでは、激しい悩みや苦しみに苛まれる。自分の人生はこれでよかったのかと、「魂の痛み」に見舞われる。「受容できない自分を受容し」、心の安寧を得るために彼女には臨床宗教師が寄り添っていた。「義妹には義妹の人生がある。自分の介護のために貴重な時間を使わせたくはない」。申し訳なさ、そして感謝。終末期を生きる綾子の姿が印象深く残った。

 
京都・西陣には、戦後間もない時期から地域に根差した診療活動に力を注がれた早川一光さんがいた。在宅医療の先駆者でもあった。訪問看護の立ち上げに関わり、往診に力を注いだ。「西陣の路地は病院の廊下や」と。

医師から患者に立場が変わった。老い、病んで初めて味わった「さみしい」という感情について語られていた。身体がどのように老いて行くかは知っていたが、心の奥深い所で常に流れている「さみしさ」を知ったときは驚き、動揺したという。想像さえしていなかった心の揺らぎだった、と。すべてをあるがままに受け入れられない。「ああ、こんなものか」と、2年かけて受容したそうだ。 

身体が衰えるさみしさ、戸惑い。率直に口にされた言葉が長女のフリーライター・早川さくらさんを通し「こんなはずじゃなかった」としてまとめられ、新聞に連載されてきた(’16.1~’18.5)。患者の立場から聞くことができた貴重な言葉の数々があったこと、合わせて思い出す…。
氏は2018年6月2日、94歳で亡くなられた。

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10連休も終わる

2019年05月06日 | こんなところ訪ねて
4日、大阪と京都から向かい、近鉄奈良駅で待ち合わせることにした。
こちらからだと最寄りの駅から直通の電車に乗って1時間ちょっとで行ける。京都駅に出て近鉄線でという径路をとることで伴う移動や待ち時間を考えると、乗り換えなしで早く着くような気がする。娘たちは梅田から難波へ出て近鉄に。べビーカーを引くのでエレベーターを探すなど混雑の中の大変さを想像するが、集う楽しみにちょっとした期待感が湧く。10分ほど早くついて待っていた。


奈良公園から東大寺大仏殿へ。鹿を見て大仏さんにお参りして、2歳児のペースに合わせ人混みの中を進むので結果的には多少の疲労感はある。
「京都で泊まっていく?」「ウチに来る?」 

5日、こどもの日。箕面の大滝へ行こうと誘われ、青モミジの美しい山道を皆でハイキングに。


娘たちは3度目とか。大滝まで標識では2.6kmとあった。上り坂あり、脇道ありを、2歳児もあっちへこっちへ気ままな寄り道をしては連れ戻されながら、おおかたを歩いて楽しんだ。



爽やかな新緑。森林浴はたっぷりの休養になった。
同じようなことを繰り返している日々ではあっても、“明日の学校”を気にすることなく孫たちと多くの時間を共有するなど、10連休という特大のおまけに預からせてもらった。作文でも残しておこうかしら…。
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「たのしみは…心をいれて書を見るとき」

2019年05月03日 | 催しごと
娘家族が帰ったあと、どれだけ洗濯機を回したことか。幸い天気に恵まれて、二日半がかりで片付け終えた。


みやこめっせ(左京区)で「春の古書大即売会」が開催中(~5日)とあって、昼から行ってみることにした。
いつもいつも文学中心に背表紙を追ってしまう。小説、随筆、詩歌、古典、歴史、哲学、宗教、美術、音楽、翻訳もの…、とジャンルは種々あるにもかかわらず、決まって狭い範囲でしか目は働きません。

何かしら手に持って、あるいはスーパーなどで見かけるカゴに選んだ本を入れながら会場内を歩いている人が多い。読みたい本がいっぱいあるんだ、いいなあ、なんて人の手元を見ながら私も回ったが、今回結果は、なあ~~んも…、でした。読みかけのもの、買い置いてあるものを先に、ということかな。

「幅広い読書やゆとりのある思索の時間からある種の『化学反応』を経て生まれてくる何者かが「教養」である」、と京大の根井雅弘教授(経済学者で書評家)の言葉に触れたことがあった。
「自分にわかる本だけ読んでいても勉強にならない。ハウツー本など読んでも教養が身につくはずがない。教養とは知識の寄せ集めではない。わかりやすさを優先しても、古典をきちんと読みこんでいる人にはかなわない」と手厳しかった。
「幅広い読書」、これが欠けているのはわかっていても、今更…という感はあり、難しい書を頭抱えてという気は起らない。ただ、読書なしでは寂しい人生だ。我が道を行こうっと。

「たのしみは人も訪ひこず事もなく心をいれて書をみるとき」 
「たのしみは世に解がたくする書の心ひとりさとり得しとき」(橘曙覧 独楽吟」)

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