今から5年前、何度目かになるが訪れた奈良市高畑(たかばたけ)の地にある志賀直哉の旧居。旧宅は「高畑サロンン」と呼ばれる文学仲間との交遊の場になり、小説『暗夜行路』はここで完結したという。食堂にこうして彼岸花が飾られ(写真上)、サンルームでは花の下に少しだけ茎をつけた状態で浅い花器に数輪が挿してあったのを少しの驚きとともに印象深く記憶している。そういうことはしないと思っていたからだ。見ても別に嫌な思いはしなかった。
長いこと嫌いな花だった。花の形状がだったろうか。嫁いで、死人花の異名を知ったせいだったか。だが今は、天上の花のひとつとされる曼殊沙華の妖しげな花の形の美しさ、背筋を伸ばした意志的な立ち姿が好ましい。
賀茂川の土手に曼殊沙華が咲いていた。見るべきものは見ておかないとと探し歩いてもいたのだ。
曼殊沙華抱くほどとれど母恋し 中村汀女
一緒に大原を歩いていたとき友が口ずさんだ句。以来、この句が毎年思い浮かぶ。体が弱かったという彼女。それゆえ大事にされて、両親への感謝の言葉をよく口にする。コロナ禍にあってなかなか会うことがかなわない。腰が、背中が痛いと言っては整体通い。そろそろ一度会いたいなあと思いを強くしている。曼殊沙華の花がそう仕向けてくれているのかも…。
「この指とまれ」と題して小文を書いているところ。どんな反応があるか、少しの期待をもって…。