京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

曼殊沙華

2020年09月29日 | 日々の暮らしの中で

今から5年前、何度目かになるが訪れた奈良市高畑(たかばたけ)の地にある志賀直哉の旧居。旧宅は「高畑サロンン」と呼ばれる文学仲間との交遊の場になり、小説『暗夜行路』はここで完結したという。食堂にこうして彼岸花が飾られ(写真上)、サンルームでは花の下に少しだけ茎をつけた状態で浅い花器に数輪が挿してあったのを少しの驚きとともに印象深く記憶している。そういうことはしないと思っていたからだ。見ても別に嫌な思いはしなかった。

長いこと嫌いな花だった。花の形状がだったろうか。嫁いで、死人花の異名を知ったせいだったか。だが今は、天上の花のひとつとされる曼殊沙華の妖しげな花の形の美しさ、背筋を伸ばした意志的な立ち姿が好ましい。



賀茂川の土手に曼殊沙華が咲いていた。見るべきものは見ておかないとと探し歩いてもいたのだ。

    曼殊沙華抱くほどとれど母恋し   中村汀女

一緒に大原を歩いていたとき友が口ずさんだ句。以来、この句が毎年思い浮かぶ。体が弱かったという彼女。それゆえ大事にされて、両親への感謝の言葉をよく口にする。コロナ禍にあってなかなか会うことがかなわない。腰が、背中が痛いと言っては整体通い。そろそろ一度会いたいなあと思いを強くしている。曼殊沙華の花がそう仕向けてくれているのかも…。

「この指とまれ」と題して小文を書いているところ。どんな反応があるか、少しの期待をもって…。

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蔵出ししてみれば

2020年09月26日 | 日々の暮らしの中で
       

ご門徒から、りょうすけ君が乗っていた自転車を譲ってもらって、3歳8か月ほどになった孫娘が乗っていました。今から11年ほど前になります。
スタンドを外し補助輪に付け直してで、アスファルト道を走るときの音のうるさかったこと。本人はそんなことにはおかまいなしの、この得意顔でした。
これをまもなく3歳10か月になるLukasにどうかと思い、今日までずうっと蔵入りしていたのを出してみました。

今は彼の愛車はキックバイク。両足で漕いでこいで、勢いがつくと両足を乗せてす~~~っと気持ちよさそう。そのブレーキのかけ方を自分で工夫していたことが驚きでした。両足を地につけて、はフツー。車体の脇に沿ってある場所に乗せた左足かかと部分をタイヤに接触させることでブレーキを調節していくのです。何かがこすれる摩擦音がするので気づいたことでした。

同年で、数か月年上の友達は、まだ十分足は届かないのにすでに16インチに乗って公道を走っています。14インチで練習中の子もいます。16インチに乗せてもらうとそこそこバランスをとって…。もちろん手を貸してやります。ペダルをこぐ、ということが意識できれば、すぐに慣れるでしょう。負けてなるものか~(というのは冗談です)。4歳の誕生日プレゼントは自転車になるんでしょうか…。


蔵出ししてみれば、空気が抜けてぺちゃんこ! これは仕方がないとしても、問題はタイヤ交換せずに使えるかどうかでしょうか。明日、自転車屋さんで見てもらおうと思ってます。姉のJessieが乗っていたのに乗るということが、たとえひと月でもあればいいのにとは思うところです。
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北のまほろばに吹き荒れる疾風

2020年09月25日 | こんな本も読んでみた
はるか昔に歴史で習ったことを思い出すと、天皇(大和朝廷)に対する「反逆者」というのが、都から遠く離れた陸奥の大地に暮らす〈蝦夷〉への評価ではなかったか。「蝦夷平定」などと権力者側のモノガタリで、朝廷が、坂上田村麻呂が英雄視されていて、だから〈悪路王〉の烙印が押された蝦夷族長がいた。


『まほろばの疾風(かぜ)』(熊谷達也)をとても面白く読んだ。

8~9世紀初め、蝦夷の独立を掲げ、彼らにしてみれば西からの侵略者でしかない征討軍に戦いを挑んだ誇り高き英雄・アルテイの生涯を描いた歴史小説だった。
【山の神さまに見守られながら、森の精霊たちの囁きを聴き、蠢きを肌で感じ、平穏に暮らしていた日々。山の蝦夷は、人は森によって生かされていると考える。山の神様の怒りに触れない限り生きることを許され、その恵みを分け与えてもらえる。
獣だけでなく草木の一本にさえ、山の蝦夷は、彼らの命に手をかける前に許しを乞い、命を譲り受けたことに感謝を捧げ、神の国(カムイモシリ)へと厳かに送ることを忘れない。】

征夷大将軍となった坂上田村麻呂の巧みな戦略に追い詰められていくアルテイ。【我ら蝦夷(えみし)よ、未来永劫、北のまほろばに吹き荒れる疾風となれ!】と、まだ新しい平安京の処刑場で青空を見上げながら、アルテイはイサワの村の仲間たちを思う。

外見、言葉、風俗、習俗、宗教、異なるものがそれぞれにあるわけだが、力でもって従わせようとする理不尽。権力の愚弄。人間は根本にはどうしても分かり合えない部分を持ち合わすものなのか。現代の世にもある。
何年か前に市川染五郎主演で「歌舞伎NEXT 阿弖流為」が話題になっていた。シネマで上映されたが見逃してきた。どんなふうに描かれたのか、観てみたくなった。

雨音で目が覚めて、夜が明けるまでの3時間余りを読みふけってしまった。ほとんど眠れてない。雨が降り続く一日だった。
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疫病退散を願う護符

2020年09月23日 | こんなところ訪ねて
室町中期に九条兼良が著したとされる「公事(くじ)根源」には宮中の一年間の行事や儀式(公事)の由来や移り変わり(根源)が説明されていて、そのうちの6月の祇園御霊会(祇園祭)に関する中に、「蘇民将来」と書いて貼る護符の由来になった話が記されている。…という。茅野輪くぐり関連で蘇民の名を聞いたことはあるだろうか。今の流行り病に際して、「蘇民将来」と記してウイルス退散を願うお札やお守りが話題になったらしいが、今まで知らなかった妖怪アマビエの話もずいぶんと耳に入ってきた。



かつて参拝したときに写真に残した記憶をたどったが辿り着けず、では今一度と19日に紫式部邸宅跡とされる蘆山寺を訪ねた。京都御苑の東、寺町通沿いにある。式部は祖父・兼輔が100年ほど前に建てた旧い家で一生の大部分を過ごし、ここで源氏物語執筆にもあたったことになる。ここから内裏に出勤(?)などと空想も広がる。白砂の源氏庭に咲く桔梗も清楚な趣だったが、本堂脇入り口の柱の上部に貼ってある護符を拝見するのが目的だった。


異様な鬼の護符。「元三大師」の話が、『街道をゆく16 叡山の諸道』(司馬遼太郎)に収められている。
名は良源。正式には滋恵大師で、正月三日に亡くなったことから遺された弟子たちによって〈元三〉と呼ばれるようになった。晩年、大きな鏡の前で禅定に入っているうちに、鏡に映っている元三大師の姿が骨ばかりの鬼になった。絵心のある弟子が素早く写し取り、あとで大師に見せたところ、「これを版木に刻んで刷れ」といったのが、古くから疫病除けの護符とされる〈角大師〉だそうな。奇妙な鬼の頭に昆虫の触角のような角がついていることから「角大師」の名がつけられた。

大師という称号は、真言宗の空海(弘法大師)、天台宗の最澄(伝教大師)がよく知られている。大師には真言宗に史上7人、天台宗には6人いるが、高野山で単に大師と言えば空海一人を指す絶対的個人崇拝が宗風であるが、叡山での〈厄除け大師 おみくじ大師〉などとご利益の対象として拝まれる元三大師のような存在は珍しい、と。太子堂で手を合わせ、道路を挟んだ向かいの梨木神社の萩を覗きに寄った。

21日に娘宅で一日留守を預かることになったが、兄のほうは連日ラグビーの練習やサッカーの試合で不在。3歳の孫と二人での留守番になった。すること言うこと、会うたびに成長が感じられていとおしいものだ。不安だし、とても行楽地に連れて行く気がしないという娘。だが孫たちには近所のお連れがたくさんいて遊び相手に困ることはない。

多くの人の移動があったこの連休。疫病除けという現世御利益を授かりたいもの…、とすがってみようか。
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秋の物語が始まりゆく

2020年09月18日 | 日々の暮らしの中で
公園の大銀杏が、全身の衣装替えをしたのに気付いた。柔らかな色合いが、やがて秋の黄金の美を演出する。
柿の実が色づき、これから鮮やかさを増していく。まだ、どっちを向いても秋、とばかりも言えないが、足元低くに枝を伸ばしたムラサキシキブに紫の実が生る。通るたびに椿の実の割れ目は大きくなっていくし、なんか嬉しいのよね…。自然と心が弾む。



たわわなザクロもやがて硬い皮が割れて大きな口をパックリあける。びっしり詰まったルビーのような赤い実をのぞかせるのだ。ザクロといえば、通った高校の校門入った右手に木があって、掃除当番に当たるとつまみ食いをしていた思い出に結び付く。

      実柘榴の実一つだにも惜しみ食ふ  山口誓子



「ほら、見てみて」なんて言い合える連れのある散歩もいいのだろうなあと思いながら、外歩きはいつも一人。
曼殊沙華はいつ咲くのだろう。今年はまだお目にかからない。
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「あるべきようは」

2020年09月16日 | 日々の暮らしの中で

明恵上人が入滅までの数十年余を過ごした栂尾の地にある高山寺。その石水院の壁には、赤松の枝に坐し瞑想する姿を描いた像が掛けられ、秋明菊が供えられていた。

「人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持つべきなり」。明恵上人の遺訓として有名だが、〈人は、それぞれの立場や状況における理想の姿(あるべきよう)を常に自分自身に問いかけながら生きてゆくべきである〉と語釈されている。

昨日、孫のTylerが9歳の誕生日を迎えた。オーストラリアから日本に生活の場を移して4年4か月ほどになった。誰一人知る人のいない大阪の地を選んで、
それが何ら負担にもならず、交友関係を築いてきた。これには母親の努力が大きいと思うが、そうした母の姿を見れば、子供たちの心も外に向かって自由に羽を伸ばし遊び行くことだろうと想像する。
心優しい少年に育ち、毎日たくましく生きている。どんな未来を切り開くのか。この子の内に、まだ見ぬどんな輝きを有しているか。人は、「より多くの仕方で触発される可能性があればあるほど、いっそう多くの力を持つ」。いつだったか出会った言葉が思い出されてくる。

今、彼らには彼らの生活のペースができている。私たちは平素は遠くから気にかけながらも見守り、求めがあれば(待ってましたとばかりに?)手を貸すという関わり方が続くのだろう。時には進んでオテツダイがあってもいいだろうか。

     (昨年暮れの弟の誕生日で)
「家族って温かいものなんだよ」、こんな言葉を口にした子だ。9歳、子供! と侮るなかれ、かな。

子供への思いを綴った過去のブログを開いてくださった方、目を通していただけて果報に存じます。
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秋うらら

2020年09月14日 | 日々の暮らしの中で

窓を閉めようか。体が冷たくなるのを感じながら、こんなに涼やかな空気がどこにしまわれていたのかと季節の移りに感心している。

〈秋うらら〉を感じる一日だった。
午前中は家にいて書き物で机に向かったが、昼にはおにぎりと文庫本をもって外へ出ることにした。子供たちの声で賑わった、あの猛暑日は嘘のようだ。静かな境内に、極楽の余り風。というか、ここは神社だから神代の風(って言う?)か。
秋の七草のひとつ萩の花が美しい。咲き乱れるという野山の花そのもので懐かしさを覚える麗しさだ。「万葉集」の中で一番多く歌われているのが萩の花。秋の七草は奈良の都で創られた。百毫寺、新薬師寺の萩を訪ねてみたいものだな。

今はもう虫の音も聞こえない。窓を閉めた。
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一計を案じてみる

2020年09月12日 | 日々の暮らしの中で
臨済宗の僧侶、松原泰道さん(1907-2009)がこんな話を書かれていたのを読んで、書き抜いていた。

【家から早稲田までの電車賃が往復で15銭だった当時、改造社の『現代日本文学全集』が流行し、1冊1円で売られていた。6人の仲間で1人20銭ほど出して買って、輪読した。その感想を言ったり、批判したり、煎餅をかじりお茶を飲みながらしゃべりまくった。読み終えた本は、仲間内に競り売りする。50銭くらいで売れるので、その50銭を元手にして、さらにまた20銭ずつ集める。するとだんだん高い本が買えるようになる。「芋会文庫」と呼んでいた。地方出身の貧しい仲間だった。】



この話は常に私の頭の中にあるのだけれど、今、こういう仲間を募ろうとしても、よほど文学の志向や嗜好が似ていないと難しいことだろうか。それでも、「読んでみよう」「やってみよう」と気軽に寄りあえるのなら、それもいい。
京都在住の作家さんの3巻の自選集が出版された。その各巻は2530円。これを全巻購入となるとやはりオタカイ。一巻だけでもちょっと値が張る。そこでまずは1冊だ。5人集まれば…。まあ、3人でもいいか、と私は一計を案じている。そして松原さんの真似をして順番に回し読みをするのだ。そしてみんなで喜ぶのだ、こんな試みを楽しめたことを。

 お金を出さなくても図書館でという手は最後に残しておけばいい。
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「幕が下りる前に」

2020年09月10日 | 日々の暮らしの中で

三条大橋の東詰め、京阪三条駅の前に、京都御所を遥拝している高山彦九郎の像がある。ほとんど関心をもったことはなく、どんな人物かも知らないできたが、「高山彦九郎」の名だけはなぜか認識していた。昨日丸善で目的を果たしたあと、ここの三条駅ビル内の中古書店に立ち寄るためにやってきたので、像が目に入り、初めて写真に収めてみた。というのも、「高山彦九郎の土下座」と題した葉室麟さんの短い随筆を読んだことによる(『古都再見』)。


1747年、今の群馬県太田市の郷士の次男として生まれた彦九郎。13歳の時、『太平記』を読んで先祖が新田義貞の家来につながることを知って学問に励み、18歳の時に帯刀し京に遊学する。三条大橋のたもとから御所を拝して「草莽(そうもう)の臣、高山彦九郎」と連呼したとかで、像はそのときの姿を現しているそうだ。新田義貞を討った足利尊氏の墓碑を鞭で打つとか、なにかと奇行が多い人間だったらしい。1793年、九州遊歴中に久留米で謎の自刃をして果てた。享年47歳。墓は氏の自宅がある久留米市内の寺にあるのだという。葉室さんは、彦九郎の天皇観に及んで思いを綴っていた。

氏は2015年2月から京都で暮らし始めた。
「人生の幕が下りる前に見ておくべきものは、やはり見たいのだ」。『古都再見』に収められた68篇の作品は、まず「薪能」で始まる。木曽義仲の最後に触れ、胸に湧いたであろう「絶望」に思いを馳せ、「誰しも最後はひとりだ」と感慨を抱く。そして最後、68篇目は滋賀県大津市にある「義仲寺」を訪れている。「幕が下りる前にしなければならないことがある」と締めくくられた。

そしてそう書かれて1年2カ月ほど後になるか、2017年12月23日に亡くなられてしまった。あらためて最初と最後を読み返し、綴られた「人生の幕が下りる前に」の言葉に、しみじみとした感慨があった。
今日も涼しくて、一日家で過ごしていた。



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九月九日重陽の節句

2020年09月09日 | 日々の暮らしの中で

九月九日、中国では近くの小高いところに登って酒を飲み、小さな赤い実がなる茱萸(しゅゆ)を髪に挿して、その匂いの強さで邪気を払う習慣があった。「九」という陽の数字が重なるので「重陽」の節句と呼ばれる。

ただ一人他郷に旅の身となった王維が、重陽の節句の日、故郷の兄弟たちの様子を瞼に浮かべ、その場に自分だけがいないことを思う詩がある(「九月九日山中ノ兄弟ヲ憶フ」)。
高校時代に習ったもので、赤線や書き込みがいっぱいの当時のテキストが手元にある。漢文の基礎を確認するにはとても使いやすかった。
漢文は古文ととともに古典乙に取り入れられていて必修だったし、大好きな教科だった。古典の教科担任との出会いが私の将来の道を決めた。そんな若い頃を手繰り寄せる一冊であり、紙も柔らかく、すっかり手に馴染んで、ページもばらけるので補修を重ねつつ、換言すれば、ぼろくなったということだけれど、手放せず大事にしている。
今年もこの王維の詩を通して、こうして懐かしむひと時ができた。その師はもういないのだけれど。

15日には孫のTylerが9歳の誕生日を迎える。あのキムズカシヤさんのプレゼントを何にしようか。最近歴史に興味があるみたいだと聞いて、丸善へ。また、ラグビー少年にふさわしいマンガがないかとネットでも探してみたが、見当たらない。
サッカー少年だった息子が高校3年の最後となる試合の直前まで『オフサイド』を座右に置いていたのを憶えている。試合の前夜に目を通していたのか、机の上に残されていた。そんな作品があればなあと思ったのだった。
感動は人間のこころを刺激し、さまざまな力を養う。折々にどんなご縁をいただくか、孫もだけど私も楽しみ楽しみ。                    
         (写真は三条大橋の西詰めにある弥次さん北さんの像。旅の安全を祈願)
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さあ、どっちが…

2020年09月07日 | 日々の暮らしの中で

新しいパソコンでメニューバーの表示を設定したいと思って、その方法を随分と検索してみたがオテアゲ! Microsoft Edgeで開いている。

1年間、わからないことをサポートするシステムがあるがどうしますかと購入時に聞かれた。もちろん有料でだ。まあ、何とかなるだろう(するわ)という思いで「いいです」と返事した。使いこなすまでのハードルの高さは理解しているが都度クリアーし、自分の必要レベルでこれまでは整えてきた。けど、どうにもならない。

何とかしたくて店で尋ねてみることにした。知人に話すと、「二十歳の娘なら一つ聞いたら十教えてくれる」と笑った。大丈夫。二十歳じゃないけど邪険にされたことはないものね。
Microsoft Edgeで開いていることが表示できない理由だという。Internet Exploreのアプリを探してタスクバーに表示して使えば、メニューバーの表示もこれまで通り、とのことだった。そういえばそういえば、Windows7から10に更新された時、使い勝手が違いInternet Exploreで使うようにしたのではなかったかと思い出した。ゆっくりやってみようと思うその一方で…。

【ファイル 編集 表示 お気に入り ツール ヘルプ】の機能を果たしてどれだけ活用しただろうか、と今考えている。それほど便利に使ってはいない? 見慣れた仕様というので無いということが不便を感じさせるだけなのか。表示したい、というこだわりか。まだ知らないだけで、それらに変わりうるものがあるわけだ。すでにインターネットもできるし、メールもできている。こんなに便利なの?とわかってくることがあるだろう。だったら、しばらくこのままEdgeで使ってみるのも一案?? 「そうしなさいよ」のひと言が心強いんだけど…。


店舗を出て、本当に久しぶりに東本願寺に参拝した。これほど人がいないのって初めてだ。台風の影響で強過ぎず弱過ぎすの風が吹き、心地よい。御影堂の縁の隅に腰を掛けていたら、南東隅につるされた風鐸が、風に揺れ音を立てるのに気づいた。カン カン カン。
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愚痴は心を疲れさせる、って

2020年09月05日 | 日々の暮らしの中で
昨日は文章仲間の例会日だった。
一人ひとりが名もなき己の人生と世界を大切にし、心を尽くして生きていることを作品を通して感じ取る。
そしてそれをよりよく仕上げるために、評価し合う。けれど…。言葉を放つ。言葉を受け取る。言葉を返す。このキャッチボールが成立しない? 長きにわたる共同体のお付き合いを壊さぬように、内輪褒めで関係を保っているのかもしれない。などと物足りなさを感じた不満を、どこかに捨ててしまいたい。


9年近く使用してきたパソコンの調子がいよいよ悪く、新しくしようと数件の店舗で下見をした。
が、これならという決め手を得られない。知識もない素人であっても、高価なら万全、最高などという了見ではないからなおさらだ。

それでも今日、手元にやってきた。さっそく初期設定だけはすませたが、すべてはこれから…。
すべて〈してもらった〉前回。その前も、そのまた前も、だ。今回も、必要なバックアップはしてあるので誰かお引っ越しをしてくれたらいいのになぁと、本音のところで思っている。息子でもいてくれたら大助かりだが、みんな一人でやらなきゃならない。苦手だな。メンド―だな。使えるまで時間かかりそうだ。頭イタイ。

パソコンを車に積んで帰ってきたら、虹がかかっているのが見えた。

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「今朝九月」

2020年09月01日 | 日々の暮らしの中で
      今朝九月草樹みづから目覚め居て  中村草田男

ようやく油照りの日々から解放されていくのか。げんきんなもので九月一日の朝だと思えば、いくらかの心地よさを感じた。
長かった「八月」。京都市の8月の最高気温は38、8℃、猛暑日は24日を記録したという。

戦い相手はこの暑さなのか、「まいるなあ、うんざりだ」とくじける自分の心の弱さなのか。自分の努力で克服しようとすると、深い深い朦朧とした世界に迷い込みかねない。で、あるがままにと自分のはからいを捨てた結果、自宅で過ごす時間が増えた。そして、あれもこれもと興味は散漫になり、集約できずに何ごとも成果なし、ってひと月だったような。
どう暮らすか。暮らし方の工夫や知恵、価値観といったものは、お金を払って手に入れるものではないから、その質が問われるにちがいない。
などと言ってみているが、暑さに疲れた身に倦怠感が湧いてくる。シャンとしなくっちゃ…。


九月になった。シャンとしなくちゃ。  散歩コースにある梶の木にも赤い実が増えてきた。




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