京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 手違いの苦しさ

2011年04月30日 | 日々の暮らしの中で
                  
四月も終りだという朝、いつものように食事をとっているのに、ふっとむせ返ってしまいました。
パン食ですが、それがどこか横ちょに入ってしまったのでしょう。咳き込むほどではないにしても、軽く、繰り返しむせって困りました。

娘がいたら「ガツガツ食べるでやわ」とでも言いそうです。息子ならちょっと冷たい視線を浴びせてくるところかもしれません。
「おばあちゃん!ゆっくり食べや~」なんて幼い孫に言われていた婆さまもむせ返りの名人でした。

食べ物が器官に迷い込むという、ちょっとした手違いで大きな咳き込みになるわけです。ヒイ~~ッと、目を白黒させた婆さまの苦しそうな姿、笑ってしまっていたことを後悔、反省です。
無意識のうちのことです。どこでどう食道と器官の交通整理の不手際が生じるのか、誰にでも経験はあることでしょうが、つらい時間帯です。
これがレストランでともなると恥ずかしさも伴いますが、家にいてのことでした。

ただひたすら食べることに集中あるのみ? とはいってもおしゃべりも楽しみたい。
そういえば以前、「ダディが食事中はおしゃべりしない、って言ってた」と言うJessieに、「あんたは喋りすぎだからね」と母親が…。

これからは「お喋りしないで」「ゆっくり食べや~」の言葉を思い出すことが増えるのでしょうか…。

                         (小さなお口で息を吐いてうつむいているような… アセビ…)


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 消化不良

2011年04月27日 | 日々の暮らしの中で
                   
                         キランソウ(熊野で聞いた“地獄の釜の蓋”)御苑で

原発の安全性は確保されていた、… のではないのか?
けれど「絶対」などということがありえないことぐらい冷静に考えればわかる。

では自分がこれまで「原発反対」を唱えただろうか。一度でも抗議の声を上げたか?行動に移したことがあったろうか…。一度もない。原発に対して、具体的な態度を示したことはかつてなかった。

夜、深夜まで煌々と明るい日本列島。真冬でも半袖で過ごせる店がある。汗ばむほどに暖房を効かせている。至るところに設置された飲料用の自販機の消費電力の大きさ。疑問視することは数々あるが、家庭では、娘時代から父親に習ってささやかにでも節電を意識する生活ではきた。が、これまでぬくぬくと原発の恩恵に浴してきたことだけは間違いないのだ。

そうした人間が、今、突然に原発反対と叫んでよいのだろうか。叫べるのだろうか。
福井県の日本海側に点在する美浜・敦賀を始めとした多くの発電所の存在は恐怖である。
今後、エネルギー政策転換の議論が活発化することは目に見えている。安全性の維持を図る難しさを思うが、原発の存続もあるのだろう。
私見など述べるほどのものがないが、日常での工夫の余地は多大だと思うし、協力への姿勢はあるつもりだ。
ただ、とにかく今は早い収束が待たれる。
今日は、いくつかの原発への意見を聞いていて、少々胸が焼けた。何もしてこなかった自責の念か、何も言えないためか…。

久しぶりに奮発して霜降り肉ですき焼きしたら、さっそく胃もたれ。たった2枚で夜も寝られず…、とはどこかで聞いたことだけれど。消化不良だった。
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 時の流れ

2011年04月24日 | 日々の暮らしの中で
                   
逃したチャンスの大きさに比べたら、やはり比べ物にならない“ささやかな気持ち”をいただいた。
新聞の折り目にスッと差し込むだけで、新聞を読むことが楽しくなるというSHINBUNCLIP(新聞クリップ)とオリジナル栞。
五木寛之氏の記念講演会参加に応募し抽選漏れした結果のもの、早速今朝から使ってみることにした。

『親鸞 激動編』連載の112回目、-夏の終り(17)に親鸞は民、百姓すべての人々のためにと雨乞いの法会を依頼された、だが、なかなか話は進展しない。もう少し先まで読みたいと思ってそのまま忘れていると、時間の流れの中でちゃんと明日になって続きがやってくる。

       
こちらは晩春を彩る「紫藤」の花。藤色、それより少し濃い紫があれば白い部分もあって、ほんのり紅みを帯びてさえ見える華やかで上品な花だ。花房が風に吹かれて揺られる日もまもなくのようだ。

すべては時の流れの中で…
「こんにちは~ げんきよ~。マミーの今度のベイビーはボーイやって~」
今夕、Jessieが電話で教えてくれました。
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 「恩を忘れぬほどに・・・」

2011年04月20日 | 日々の暮らしの中で
               

寒くて、外出には厚手の上着が欲しいほどでした。

    おもしろの春雨や 花の散らぬほど降れ     隆達小歌
小歌などにはとんと疎いが、隆達節は秀吉の時代に流行した近世歌謡だとあります。

桜の季節も終りに向かい、冷たい風が花びらを横なぐりに散らしています。そんな中、雨を得てスクッと、艶やかな葉を上向きに広げた蕗石の姿のまあかわいいこと。
木蓮の下あたりに、砂利の多いほうが草も生えにくいので、移してやろうかなと思案中です。

昼間出かけると夜は疲れて、夕食を済ますと知らぬまに睡魔が忍び込んでいます。だいぶん経ってから、さあ、ちょっとおベンキョーしようか…と思っても、なかなか集中できません。そんなすきにコツコツと仕上げている人にその成果を見せられると、大いなる刺激を受けます。そして、ちょっとだけ発奮します。

独力で英語を学び、仕事で世界を回った父。後年になって火薬取り扱いの資格を得るための勉強をしていた父でした。そんな血は私に受け継がれている。ただ好きなことだけを、試験もない甘い環境で続けているだけですが、時間をかけることだけしかないのを知っています。そんな時間もあまりないかもしれないけれど…。

    「おもしろの世の中や 恩を忘れぬほどに遊べ」
もじった歌はたくさん歌われたようです。

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 春の雨に

2011年04月18日 | 日々の暮らしの中で
春の雨音はやさしい。気づかないくらいに静かに注がれる恵みの雨、など言われるようです。
今夜は雨です。

硬い蕾のときから日に日にほころびゆく様には、やはりうきうきとして開花を待ち続けました。咲き満ちて、やがてこぼれるまで、その美しさを喜ばせてもらえます。
一雨ごとに温かくなっていくと共に、雑草天国の我が家の庭では草々が勢いを増します。最後の一画を刈り終えるころ、既に刈り終えたところに再び新たな芽が…、いたちごっこが始まりますが、この雨で万物が潤うのでしょう。

   さまざまな事おもひ出す桜かな    芭蕉

             
実家にあった大きな八重桜ももう見ることはなくりました。オーストラリアで、ブルーマウンテンの観光帰りに立ち寄った小さな田舎町に咲いていた桜です。八重のようです。2005年10月、Jessie誕生のあとの事です。ブリスベンからシドニーへ、果敢な日本のババゴンは一人旅を楽しませてもらいました。



Jessieにとって初めての日本が生後6ヶ月、春先でした。( 写真の右は1歳半頃)
3歳でやってきたのは4回目の日本滞在になります。
そしてまもなく…、 目に青葉、とその木々の緑が讃えられる頃にあの笑顔と会えそうです。

ゆっくり季節は進んで欲しいものです。
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 「老婆の休日」

2011年04月17日 | 日々の暮らしの中で
                
「帯を結ぶと心の折り目が正しくつく」と言うことばとはま逆で、やわらかな普段着を身につけるときが最も気持ちもほぐれるときです。
しなければならないことがない、いたってのんびりな日曜日でした。それを見越しておいた、昨夜からの読書を続けました。

「エッセイときどき小説」のスタイルはそのままに、それでも読みたい小説が2.3ピックアップされています。5月の古書即売会で探してみるのも楽しいかも知れません。コツコツと時間をかけてでも読まなければ、目指すこともできそうにありません。

午後、買い物は車でひとっ走り。あっという間に事足りました。ついでにこんな写真を撮っておきました。

それからは、「老婆の休日」です。桂文珍さんの落語です。何度も何度も、10回は聞いたでしょうか、聞いて聞いて何度も笑って。
元気でいればこそ病院に来れてわいわい楽しくおしゃべりできるのだという話。そして、首からハンコをぶら下げている老婆の話がとても面白かったです。
ご飯を食べたかどうかを忘れるという姑に、食べ終わったらハンコを押したらいいと嫁さんが提案します。それで首からハンコなわけです。いい考えだという人に、ハンコを押したかどうかを忘れるであかん、と答えるのです。

そこで88歳で亡くなった祖母を思い出しました。最後まで、ボケていた記憶はありません。なのに食べたのに食べてないと言う。暇すぎた祖母のちょっとしたおトボケだったのでしょうか。
あぁ、いろいろと愉快な休日でした。
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 知らぬ顔を

2011年04月16日 | 日々の暮らしの中で
                ヒカゲツツジ

腰を前にずらせて足を前に突き出したまま腕組みをして寝入っている。斜めに倒れ掛かるので二人分に近い席を占めてしまうことになる。

どうなってんの!? 片足だけ膝から下が黒い。えっー?と思って、よくよく見れば、ジーパンは左足のほうだけ膝上丈だ。そのため、素足ではなくスパッツ様の黒いものが目に付いた。それも足首まで。右足は普通にデニムの生地が覆っているという、見たこともない異様な、ニュー・ファッション!??で周囲の関心を引きながらも、突き出した足で他を寄せ付けない壁を造っている、ようにも感じさせる。

しかし、これはあくまでも外見だ。言葉をかけるとなんとも人なつっこい笑顔を浮かべることだって考えられる。

斜め向かいに座っている学生風の男性を見ていた。気になる。足元に携帯電話を落としているからだ。いつ落としたのか…。
気づかずにあわてて下車したら困るだろうな。気づくだろうか。教えてあげたほうがいいのかな? でもこの雰囲気…。

かまうもんか。電車の中ではしまっておけよ~、なあんていう思いもあるし。
ということで、知っていても知らぬ顔をするのが時には世渡りの術… ということにしておいた。



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 ちょっとだけ間に合わない 

2011年04月14日 | 日々の暮らしの中で
                
今は亡き父ですが、庭に小さな池を作って鯉ではなく金魚を飼って楽しんでいました。
昔のこと、戸外で、酸素をブクブクと供給するでもない環境下でしたが、大きなお腹の金魚さんもいましたし、中に入れてある石の陰で越冬したのではなかったかと記憶しています。出勤前に自分で餌をやりに出ていました。いったい何の話をしていたのですか…。

この小さな池に覆いかぶさるように、しなやかに枝葉を広げ「山吹の清げに」咲くのでした。
赤いおベベを着たかわいい金魚の上に、すっきり美しく咲く山吹を配した父の心遣いがあったのかも知れません。
もっとも、その奥のほうには茗荷がにょきにょきと生えてくるのでしたから、庭造りに特別な意図があったなどとも思えません。茗荷も夕食前に自分で採りに行くような父でした。
太田道灌の有名なエピソードを、「七重八重花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき」の歌と共に常々わたしたち子供に語って聞かせてくれていた、その心意も汲めないままです。
     
       
「人生はいつもちょっとだけ間に合わない」こんなキャッチコピーの映画がありました。
今になってみると、「ちょっとだけ」どころか思いの大半を知らずに別れてしまった親不孝者のようにも思えてきます。

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 桃のような

2011年04月12日 | 日々の暮らしの中で
                             
                    「桃夭」
      桃之夭夭    灼灼其華   之子于帰   宜其室家  

      桃之夭夭    有蕡其実   之子于帰   宜其室家

      桃之夭夭    其葉蓁蓁   之子于帰   宜其家人      中国最古の詩集『詩経』収

若々しい桃が華やかに咲いている。それに似つかわしい娘が、いま嫁いでいく。
    嫁ぎ先では仲良くやっていくことだろう。

若々しい桃に大きな実がなっている。これにあやかるような福々しい子宝に恵まれて、
      嫁ぎ先で幸せに過ごしていくことだろう。

若々しい桃には葉が茂っている。嫁ぎ先もそのように末永く繁栄して、
       嫁入りする娘は先様の人々と仲良く暮らしていくことだろう。

「梅見」に「花見」、桃は…

両側に桃の花の咲く奥深い谷川のかなたに理想郷があるという陶淵明。
広い盆地で、ずらりと家々が並び、よい田に美しい池。平和な自給自足の牧歌的な農村がある。閉鎖的だが平和な社会を築いている…。
覗いてみたい、東洋のユートピアとさえ言われる清らかな世界の別天地、「桃源郷」。
ただ、俗世間に魅力を持たない彼によって、世俗の者はぴしゃり!と締め出されました~。
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 「花にも魂が…」

2011年04月11日 | 日々の暮らしの中で
「草木 言(こと)問ひし時」と『風土記』にあるように、古来、草木は物を言うと考えられていた。
満開の桜の下で、お弁当を広げながら人はどんな声に耳を傾けたのだろう。
平日の昼下がり、たくさんの人が花見を楽しんでいる。冷たい風は砂を巻き上げ、盛んに花びらを散らしているのだけれど。

      
小さな口元をキュッと上げて、お日様に向かって開いている馬酔木の花。小さな房が垂れ下がるアセビは良く知るが、「甲山」という名のこのアセビ、非常に珍しいのだそうな。
たまには自分の足元も見てみたいと思っているのではないかしらん。かわいい顔にそんなことは押し隠して、淡々と、めげずに顔を上げていれば幸せは舞い込むと?

  
白州正子さんが「花にも魂があることを忘れていた」と言われていた。
安らかな命の象徴の桜の開花…、前線の北上が待たれていることだろう。注がれる春の陽光のもとで、どんなにか優しく語りかけてくれることかと、思いを馳せる。

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 お目当ては

2011年04月10日 | こんなところ訪ねて
あえて混み合う人中にも出たくはないし、ということで京都府庁旧本館を覗いてみた。
そのお目当ては、「容保桜」(下の写真右)だ。

 
1862年に京都の治安維持のために設けられた幕府の要職・京都守護職だが、その上屋敷は広大な面積で造られた。そして、その跡地を京都府庁が引き継いでいる。
旧本館は明治37年(1904)に竣工、創建時の姿を留める日本最古の官公庁建物として2004年、国の重要文化財に指定された。

 
       ここをくぐって                中庭へ入ると
                                                                                                                                その中庭に、6本の桜の木がある。            
                      
                 円山公園内の初代シダレザクラの「孫」に当たる

そのうちの1本が、桜守の佐野藤右衛門氏によって大島桜と山桜の特徴を併せ持つ木だとわかった。そして氏は、この地が京都守護職上屋敷の跡地であることから、守護職だった会津藩主・松平容保公の名にちなんで「容保桜(かたもりざくら)」と命名したというわけだ。
             
ただ、実際は樹齢が80年前後なのに、容保公が新撰組の後ろ盾となって京の治安維持に当たったのはおよそ150年前のことだ。
昨年は龍馬に光が当たった。一方に「将軍家を守護すべき存在」と家訓に従い、幕府と運命を共にした佐幕派もあった…。
     
                           館内二階から窓ガラス越しに

様々な歴史をのみ込んできた地、150年前には同じ敷地を歩く会津藩主がいたことなどを思ってみた。白いひとえの花が可憐に咲くという山桜だが、少し大きめだろうか。それでも美しい花を咲かせている。



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 シャンとして~

2011年04月07日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
この桜の季節に「つわぶき」の話もないものですが、先日2日に熊野古道のウォークキング途上で小さなひと株を頂戴いたしました。

              
昨年2回目の11月、丁石地蔵に癒されながら長い長い上りが続く藤白坂を越えました。
晩秋の峠道、枯れてベージュ色になった道沿いの斜面には艶のある葉が小さな塊でいたるところで目に付いたものです。「艶葉蕗」つわぶきは、短い花茎を伸ばして花を咲かせていたりいなかったりでしたが、ここを歩いた記念に欲しい!と思ったのでした。

以来、何度も我慢に我慢を重ね、まずいよな~、今回もあきらめよう…という心境を繰り返してきました。ですがこの度、とうとう念願をかなえました。ホンのささやかに手に入れたのは、海からは少し内地へと入った南部(みなべ)峠の緩やかな下り坂ででした。

美しく咲く桜の枝を折ってはいけないこと、ちゃ~んと知っております。
二度と歩かないかもしれない道々の思いでに大事にしますでね、許してたもれ~~。
 地に植えましたがまだシャンとしてくれませんようです…。



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 ひとり花見を

2011年04月06日 | 日々の暮らしの中で
             
道を抜けるのに入り込んだのは南北に一方通行の通りだった。見せてやろうと気遣い、待っていてくれたか。「わぁ きれいだ!」思わず口をついて出た言葉は至極単純。車両が脇を通るだけの幅はかろうじてあると思い、車を降りることにした。

とにかくきれいだ。遠景を楽しみ、花の真下に入って見上げまた離れしていると、「満開ですね」と、ご近所さんらしい女性が声を掛けてきてくれる。あいさつを交わして、女性は去った。こんなときにそれ以上のおしゃべりは欲しくない。
ただ息をのんだ、なんてきれいなんだろう。深く考え込むこともない。木の下に立ち、桜の花とさらにその先に広がる青い空へと抜ける明るさを眺めて感じ入る。ただそれだけの思わぬ出会いに気持ちが弾む。来年も忘れずに来てみようと思いながら、花の下をゆっくりと通り抜けた。

    
           代々上賀茂神社に仕えていた社家。創建は天命5年(1785)に遡れるという。

Jessieに見せてやりたいものだなあ。おんなじように「きれい~」としか言わないのだろうが。
季節の巡りに合わせて咲くのが待たれる桜だが、Jessieが来るのを首を長くして待つのも心躍る楽しみに違いない。

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 竜宮浄土

2011年04月05日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
           
 ♪ 助けた亀に連れられて…
この度の熊野行きでは、三鍋町の千里の浜が海がめの産卵地だと知った。

親孝行な浦島は魚を取って両親を養っていた。ある日、亀を一つ釣りに出ると、はるか海上に「美しき女房只ひとり波にゆられて」いる小舟が見える。そば近くにやって来たので尋ねると、「暴風に遭い、多くは海にはねられ、自分は心ある人がこの舟に乗せて放してくれた。波のままにここまで来たが、本国へ送って欲しい」と言って頼む。
親切な浦島は憐れんで、同じ舟で漕いで行くと女の故郷に着いた。そこは立派な建物で、言われるままに夫婦となって何不足なく住み始めるといった筋書きだ。

              
中世のお伽草紙の『浦島太郎』は、玉手箱を開ける民間の「浦島太郎」とは異なって、結末は海のかなた竜宮城で成仏得道の縁を受け、仏の位になって鶴になり「七千年と申す天にあがり給ふ」 ~となる。

白銀の築地に黄金の甍をならべ、四方に四季の草木を配してあるという竜宮城、まさにこの世のものとも思えぬ御殿だ。無常観漂う中世の人々は、老いることもなく、満ち足りて暮らす竜宮浄土を夢にも憧れたということになるのだろう。

穏やかな海に、たくさんの幸せがあることを思いたい。

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 大小さまざまな

2011年04月04日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く

「さざれ石」とは「細石」と書いて「小さい石・小石」の意。  (写真は両面から見て。約13cm・500g)

♪さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで …と、「君が代」の歌詞を思い起こす。
 「大小さまざまな石が集まって頑強な巌となっている様子は、国民が心ひとつに力を合わせ、末永く栄え行く国の姿を現している」
そんな大きな「さざれ石」なら護王神社や下鴨神社でも見ることができる。

              
先日2日、和歌山県の千里の浜で語り部さんに教えられた「さざれ石」。
いくつもの小石がひとつに固まったものだと言って、手のひらに乗るサイズの見本を見せられた。探してみてくださいと言われるが、ありそうでなかなか見つからない。「カニさんでもいないの?」「ワカメはないの?」って誰かの声もする。

What’s this?  これってホンマにさざれ石? 。
手のひらサイズが、さらに年月をかけてこれほどまで成長したということだろうか。では、いったいどうやって小石がくっついているのだろう。

思えば、今はまさに国のあり様が一人ひとりに問われている。小さな力を束ねていくものは…。
でもやはり気になるのはリュックに入れて持ち帰った石だ。これは「さざれ石」と言って正解ですか?
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