京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 プラス「1g」

2012年02月29日 | 日々の暮らしの中で
雨の音を楽しみながら眠った昨夜。一夜明けて、今日は4年に一度の「2月29日」。
陰暦では一年は354日にしかならない。太陽の運行による一めぐりは365日なので、約11日のズレが生じる。そこで閏月(じゅんげつ)をおいて調整している、とか。

「楽しみは、空暖かにうち晴れし春の日に仲間睦まじくうち集い、喜びをごちそうに笑い語りて腹をよる時」…  まことに欲張った、そして少し疲れを感じる二月末日となった。

 

昨年12月9日のブログで話題にした後、この石の重さを量ってみたところ、まったくの偶然で365グラムあった。針先が微妙と言えば微妙で見にくくもあるが、今年はここに1gが足りない。1gの物は何だろううと探してみたが、野田首相が「1万円札の重さは1gだ」と言われたと知り、さっそく確かめてみることにした。

だからなんだ…?って事になるが、思考回路が遮断されている。まあいいか、今日は特別、一日余計に過ごした日だと思えば、別格だ。…ってどういうことだろう。

この丸い石は、365万円!? 計算が違わなければ1万円札を365枚積み上げたと同じ重さという事になる。
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 自惚れ

2012年02月28日 | こんな本も読んでみた

私は何事も控えめだ。人の中では決して出しゃばらない。これはなかなかの美徳だ(?)。と、そう自惚れている。そんなことを自ら言うこと自体が怪しいわけだ。ほら見たことか。私は、そうであっても埋もれぬようにと様子を窺える程よい位置で漂ってもいる。やはり、なかなか計算高い。謙遜で終わっておけばよいものを、だろうが、ときどき「自惚れの快感の持つ誘惑」に負けてしまう。

文章を書くことは、まさしく「Show and Tell」だ。世に送り出せば一人歩きをし出す。その前には当然、文章の体裁も整える。恥ずかしいものだからと謙遜の美徳でしまいこめば別だが、書く以上は第三者に読んでもらいたいと思う。ここに相応の自惚れがある。

仲間内で、「出版祝賀会」などという言葉が聞こえてきた。誰が言い出したのやら、たいそうな言い方だが、気持ちを代弁している意味では心地よい響きに酔いたいものだ。はたと冷静になれば、自惚れなど吹き飛ばされてしまう。が、こうしたささやかな自惚れにすがって新たな欲を見出し、励みにするのではないか。まあ、仲間内の事だ…。

            
かさ高く積まれた本の山、幼いころの図書も、最近の小説、新聞でも、読んで得た知識や知恵は「あなたの知層になる」と言っている。
多読もいい。だが、座右に「繰り返し読む百冊の本を持っていることに満足している」と語るオダサクこと織田作之助の言葉も気になる。
読みかけ中の本があるというのに、先に積み上げてしまった。地層を削ってでも書いていきたいと思う。かけらほどの自惚れでもあるうちは…。
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 少し変化も…

2012年02月27日 | 日々の暮らしの中で

昨夜からの冷え込みは厳しかった。窓を開ければ雪降りの朝、風があるので体感温度も低い。

熊野古道を歩いて、一週間の休養をした。日々少しづつの積み重ねでしか脚力・体力共に保持しにくい。筋力を落とさぬためのスクワットと合わせて、ぼちぼち再開をと考えて歩きに出た。ふうわりと雪の舞う中だったが、体がほぐれ気持ちまで軽くなったようだ。

            

歩いているうちに、走ってみたくてうずうずしてくる自分がいる。ウォーキングでは体重が落ちないが、走ればてきめんだろう。老若男女がさまざまな条件を背負って、それぞれのペースで走っている。見ていると自分も走れそうな気がしてくるのだ。走ってみようか、止めておいたほうがよい…と気持ちを戦わせながら、結局歩いている。妙なところで一歩を踏み出せないのだが、今からなら試してみてもいいかもしれない。

新しい世界を見よう、か~?

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 「海神別荘」

2012年02月26日 | 映画・観劇

わたつみの財宝への欲と引き換えに、眉目容色世に類なき一人娘(玉三郎)は海底に捧げられた。
この美女は、「面(おもて)玉のごとく臈丈(ろうた)けたり。黒髪を背に捌(さば)く。青地錦の直垂、黄金づくりの剣を佩(は)く」海神の若君・公子(こうし、海老蔵)の若奥様として輿入れをする。

父親や故郷の人間に死んだと思われている自分が、こうして生きているのを見せてやりたい。身を飾る宝玉、指輪も人に見せなくては価値がない、と娘は未練を口にする。「人に知られないで活きているのは、活きているのじゃないんですもの。誰も知らない命は、生命(いのち)ではありません」と。

だが、公子は、娘の言う人の「情愛」を疑い、虚飾、栄燿を見せびらかすことはいかんと諭す。人は自己、自分で満足しなくてはならない。人に価値をつけさせて、それに従うべきものではない。「人に見せびらかす時、その艶は黒くなり、その質は醜くなる」
そして、陸には名山、佳水があり、俊岳も大河もある。更科の秋の名月や、錦を染めた木曽の山々は、海底の珠玉の金銀に劣りはしないものなのに、「人間は知らない振をして見ないんだろう」人間の目には何も見えていない、と言う。

人間以上に豊かな情感を漂わす公子は、鏡花の魂の具現だろうか。美女が心を通わすことで、この幻想的世界は浄化される…??のかな…?。
玉三郎演ずる美女の登場は、何故か「伎芸天」を念頭に浮かばせた。ふくよかに、少し首をかしげた美しさ、あるいは菩薩のよう、とも言えそうか。

シネマ歌舞伎 泉鏡花原作『海神別荘』。目立った大きな動きも少なく、じっと科白のやり取りに耳を凝らし楽しんだ。




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 ちいさな芽ばえ

2012年02月23日 | 日々の暮らしの中で

まだ夜明け前から起き出したが、静かに雨が残っていた。昨夕からの雨だ、十二分に潤っているし暖かさも感じた。

二十四節気の「雨水」は雪の朝だったが、植物が眠りから覚める頃でもあるらしい。雪が解けた鉢の中では、濃い緑色をした芽の先っぽがびっしりと、上への勢いを見せつけている。狭い中でよくまあこれだけ芽を出したことかと、思わず笑いも誘われたが、みごとではないか。

昨日のことだった。電車内でふと気付くと「ふゅえ、ぷひぇ、ぷひゅ、ふひゃ???」という無声音?が耳に付き出した。それとなく意識してみれば、声の主は隣の男性だ。けったいな声を出しているものだ。膝上のテキストに「○○の完全征服」の文字をちらっと盗み見たが、発音練習でもしていたのかもしれない。

今朝は、あるカルチャー講座の折り込みで「絵本で楽しむ英会話」という講座を見つけた。子供向けの洋書絵本を声に出して読むことで楽しみながら英語に触れていくとある。このような趣旨に興味がわいた。英会話がうまくなりたいという思いはない。この興味の先には、勿論のことJessieの笑顔がちらついている。講師は短大非常勤講師の外人女性とある、これもいい。どう、誰か背中を押してくれないかな~。

「絵本とは子供に大人が読んでやるもの」、これが児童文学者・松井直さん(『ぐりとぐら』『ちいさなうさこちゃん』『おおきなかぶ』…)のこだわりだそうだ。子供は言葉を耳で聞き、絵から読む。耳から伝わる生きた言葉が知らず知らずに子供の体へ染み込んでいく。この体験をすることが、精神世界を豊かにする一番の基本だ、と。

Jessieと楽しめる世界は広がるだろうか。相手にされないかもしれないが、それはそれでいい。
ちょっと楽しんでみたい。私の中に芽生えた小さな希望、この気持ちを大事にしてみようかな。
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 「御山に入る」

2012年02月19日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
稲葉根王子から清姫の墓に至る第10回目のコースを終えたのは昨年7月2日だった。11回目を目前にした9月、台風12号の“やまない雨”が紀伊半島に大災害をもたらした。田辺から先、熊野本宮大社への国道311号線にも土砂災害が起き、数か所で通行止めになった。あれから5か月を経たが、その時の爪痕はいまだに残されたままだった。

2月18日は雪の朝だった。
参加者は21名。京都駅八条口を7時50分出発、予定通りほぼ3時間で清姫の墓に到着した。

そばを流れる富田川は、水垢離をして現世の不浄を清める神聖な川とされていた。大きな石が流域に転がり、荒れた様子が感じられる。氾濫したという。そして、ここ清姫の墓から滝尻王子まで約2.3kmは、バスでの通過に変更された。途中、道路わきに大崩落の跡が残っているからだった。高さもある斜面には巨岩がごろごろ姿を見せており、今にも落ちてきそうな恐ろしさだった。


まずは昼食。その後滝尻王子を出発した。熊野の聖域の入り口「中辺路(なかへち)」、「へち」とは縁-へり(辺)・端 といった意味で、山のへちを通っていく道といった意味になる。
 
 
熊野九十九王子の中で別格とされた格式ある五体王子の一つだった滝尻王子。社殿は難を逃れたが、ここにも傍を流れる富田川の水は押し寄せた。社殿の裏手からいよいよスタート…。



1km以上続く石段や木の根の道を杖をつき、息を喘ぎあえぎ登っていく。語り部さんの「六根清浄」に続き「懺悔(さんげ)さんげ~」を唱えながら進む。ときどき竹で作った手製の“ホラ貝”の音が山に響く。これは、獣たちに人間が近づいていることを教えてもいるのだそうな。

とにかく登った。乳岩・不寝(ねず)王子を超え、剣ノ山、飯盛(めしもり)山の展望台へ。
最後にもう一度、厳しい上り道が…。
高原(たかはら)の集落を遠望し、朝6時頃から降り出したという雪が社殿の屋根に残るゴールの高原熊野神社を目指す。時折白いものが舞うのは、この地にしては珍しいと言える一日だったようだ。


「文化は山の上から来た」と。都人が行き来する熊野古道も、土地の人々にとっては最短で一番便利な生活道路でもあったという。山の上にあった雅な文化の香りは、地元の生活にも運び込まれていたのだろう。
今後今日以上のきつい上りはない、そう言い切る語り部さんだった。でも次回は距離が長いから…。
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 春の事触れ

2012年02月16日 | 日々の暮らしの中で

歳時記によれば、春の事触れの花とされる「椿」。色づいた開花前のこうした模様は愛らしい。
またかなりの冷え込みに襲われるという。もう一息のところ、身をすくめちぢこまってやり過ごすしかないだろう。

椿の艶やかで強靭そうな葉は、大人の男の気骨に相通じる気がして惹かれる、と伊集院静氏が語っておられた。
軒先に、それをはるかに超えて高木になった椿がある。落花を腐敗するままに放っておいた年だったか、毛虫が大量発生した。廊下の窓を開けることもできず、駆除に手を焼いた事を思い出す。そこにあるのが当たり前でか、椿の花に関心を寄せる者もいないが、冴え返った床の間に一輪などには風情がある。早く温かくならないものかなあ~。

まだちょっと違和感がある股関節だが、いつもの半分ほどの距離をゆっくり歩いている。
舗装道路を黙々と歩くより、何といっても山道が実は楽しいのだ。きょろきょろと気持が弾む。でも、つらさも知っている。

強靭な精神力だけではカバーしきれないが、それなりに体調を整えてきたのだから、自信を持って臨むしかないのだろう。あした、あさって、ここをクリアーしたら私にも春が来るに違いない、と思うのだ。
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 「わが躰の足腰…」

2012年02月14日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く

朝からの雨降りで薄暗い中を起き出したが、股関節が痛かった。これは困ったことになった。

昨日今日と二日続きの雨が予想されていたので、昨日は早めに歩きに出た。
今週末は熊野古道ウォーキング11回目の当日だ。今ここにきて無理に頑張るのはやめようと、頭のどこかでチラッと思って歩き始めたことは記憶している。ところが、最近は比較的快調だったことが禍した。少しやり過ぎてしまったようだ。朝からそれを悔いる羽目になった。

今回は「清姫の墓」からがスタートとなり、まずは熊野聖域の入り口とされる「滝尻王子」までの約2.3kmを40分ほどかけて歩き始める。そして、滝尻王子から「高原熊野神社」「高原霧の里」へと至る。

雨で足慣らしも出来ず、『藤原定家の熊野御幸』のページを繰っていた。
記録によると、定家は、鼻先をすすり上げるような急峻な山坂を、匍(は)うようにして滝尻王子に辿りついている。宿所には転げ込み、歩く力も気力も萎え果て、泣く余力さえなかったという。眠気にとらわれいびきをかきならしていると、後鳥羽院の気まぐれで夜中に歌会が催されることになったりと、大変な思いをしての熊野御幸の供奉だったことを教えられる。
供を命じられ「面目過分」と言いながら、わが躰の足腰の脆弱さを案じ困惑したというから、気の毒な…。定家40歳、後鳥羽院21歳。

行く手の苦しみが大きければ大きいほど末世の苦しみが少なくなるという熊野への道。熊野への道は迂回を知らない。目的に向かって一筋に突き進んでいく。そこに山があり川があろうとも頓着しない。
のだそうだ。進めー!

幸いにも今日は休養日となった。もう無理するのはやめだ。
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 年齢確認

2012年02月13日 | 日々の暮らしの中で

「年齢確認が必要な商品です」という音声が流れた。「確認ボタンを押してください」って店員さん。そんなもん、見たらわかるやろ!?って、私は思うわけだ。

コンビニに寄って缶ビールを購入したときだった。コンビニで酒類を買うことはこれまでにもあった。が、「ボタンを押してください」とまで言われたのは初めてだったから、どうしていちいち…、と。普段利用していない店だったし、規則とは言え実態には違いがあるのかもしれない。いずれにしても、パネルをタッチするくらいは簡単なことだ。にもかかわらず、なんで!なんで?と、それこそいちいち感じる癖の悪さ。

こういう私とは正反対に、この確認作業を指示してもらえるのが嬉しいという話を聞いたばかりだった。

「20歳以上ですか」と聞かれるということは、自分が20歳以上かどうか見た目が紛らわしいということですからね、嬉しくてね。聞かれて「ハイ!」と答えたくて、もう毎日コンビニ荒らしをしているんです。で、ある日、「どうしてもなさりたいのですか」と若い女店員さんが言うものだから、「してして!」と言ってね…。それでもたまに、「しません!」と言われてしまうんやけどね。

これは、常に何か面白いことはないかとアンテナを張り、自慢できる失敗談がないと残念がる72歳、我が師匠の話だった。
人生を楽しんでいると言うことでも、こちらのほうが得だな。いや徳か!?
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 ひとあし早い

2012年02月08日 | 日々の暮らしの中で

寒かったのなんのって!
日が翳り部屋の中が一瞬のうちに暗くなったと思うや、いきなりガラス戸が音を立て始めた。
風が吹き出し木々がざわめいているのだ。雪を舞わせているに違いない。
どれ程の?と少々の好奇心で窓を開ければ、真っ白! 
あたりは真っ白なのだが、これもたんに風の仕業であって、程なく止んでしまえば元どおり。
こんな繰り返しの中、昼から外出をした。

戻るとポストにJessieの名で封書が届いていた。この間言っていた…。

  『これはじぇしーのほん。』     と左の裏面に。「本」の表紙に当たるのだろう。
    こっちのえは かたちのえだよ  とは、左を差してか

この感性はどう…  大きな変化があるのがわかる。
なんと華やかな、明るい画面になっていることかと、あけてビックリ驚かされた。
正直、Jessieが初めて見せてくれた世界だと思う。
そして、いろ塗りが丁寧になっている。色鉛筆の動かし方も同一方向にそろって、この明るい色使いがなんとも嬉しい。

最近はご無沙汰です。声も聞かないし写真も見ない。ちょこっと会いに行きたくなってしまうな。。。

 あたたかな春が来たようです!!
    Jessieありがとう、会いたいねえ~。

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 仏滅の大吉

2012年02月07日 | 日々の暮らしの中で

「若い頃は寒い夜に火の気もなしで読書をした。けれど年を重ねると、なかなか読書も進まない。背中を炙って日向ぼっこをしながら書物を手にしても、目はかすんで細かな字は見えにくく、すぐに眠くなる。子どもの笑い声で気付けば、書物は前に落ちていた」
私ではない。中国、宗の時代の蘇轍が描いているという。だが、ユーモラスな光景は変わらぬものがあって親しみを感じる。

暖房を効かすこともない部屋で、受験勉強に励んだ記憶がある。「蛍雪時代」という雑誌もあったが、雪明りで書を読むほどに辛苦して学んだとはとても言い難い。が、やはり寒い時期は勉学に勤しめる時期なのかもしれない。

日中は思ったほどの雨も降らず、昼からは日差しに暖められた部屋で大作を読み耽る。その面白いこと。読み応えのある一冊になりそうだ。
「楽しみは人も訪ひ来ず事もなく心を入れて書を見る時」、というところだ。

今日は仏滅だった。そして、ついさっきだけれど「日めくりカレンダー」で引いたおみくじは大吉だった。そういえば、朝からノルマも順調にこなせて形に成し得ることができた。昨夜は焦りもあったけれど、できるべくしてできる、よい巡り合せの日だったのかもしれないな。

いつもなら読書のおまけはお決まりの居眠りだが…、そこを今日は思い切って外へ出る事で恰好の気分転換を図った。さてと、今夜はもう少しだけ励んでみるとしようか。
 
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 石段に立ちて

2012年02月05日 | 日々の暮らしの中で

顔に当たる風がやわらかく感じられた一日だった。

「東風凍解」、東風凍を解く(とうふう・はるかぜこおりをとく)。東風といえば春の代名詞、春を呼ぶ風が凍土を解かし始めるとされる、2月4日から8日頃を言うようだ。
これは、二十四節気をさらに三等分して、凡そ五日ごとにその時期ならではの気象や動植物に関する変化を示した七十二候の一つにあたる。

どう考えても理解し得ない、摩訶不思議としかいいようが無い自然観の現われもある。例えば、「鷹化して鳩となる」(2月16日頃)、「雀大水に入り蛤となる」(10月13日頃)など挙げてみたい。
古代中国で発生したものが、形を変え整理されて採りいれられているということで納得するわけだが、国内も地域によって風土によっても違いはあることだろう。

未来や明日への夢を託して節を分かったが、実際は寒さも厳しい日が多いこの月だ。
とは言え「初春」、春への思いはふくらんでいく。

     石段に立ちて眺めや京の春  野村泊月

「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」と素性法師が詠っている。さて、この春は私もどこかの石段に立ってみたいと思う。とても見尽くせぬ春の錦だが、楽しみな宿題をもらった気分で、新たな風景を求めてみよう。
私のカメラでは収まり切らないとしたら…、その節はカメラ持参でおいでいただこうか~。
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 「キツネは気常」

2012年02月03日 | こんなところ訪ねて

全国に四万とあると言われる稲荷神社の総本山・伏見稲荷大社は、今日が初午大祭だった。
和銅4(711)年、2月の初の日の午の日に大神が稲荷山の三ヶ峰に降臨したことにちなむ最も重要な祭礼だとある。そして今年は節分会とも重なっていた。

厳しい冷え込みの朝だったが、日差しの援護を受けて勢いよく飛び出した。出てさえしまえば、世の中たくさんの人が外を歩いているのを知る。閉じこもっていなくてよかった、という思いになるわけだ。

駅前の狭い道には、帰る人も向かう人も押し合いへし合いで体がぶつかり合うほどに人が溢れていた。その真ん中を車が通ろうと入ってくるからたまらない。おまわりさんが、「道路の端を歩いてくださーい」と声をからしているが、みな耳が悪いのか、さっぱりだ。こんなときくらいだろうか、しら~ん顔して無視できるのも。

 
 
    千本鳥居 

ご神木の杉の枝(「験(しるし)の杉」)を授かり、家に持ち帰ると願いが成就するという。「商売繁盛」も「出世開運」の祈願も、もちろん「験の杉」にも距離を置いて、「息災」にと手を合わせた。ま、「開運」ぐらいはいいだろう。こうした時は、いつもこのくらいは仏様も目をつむられようと思うことにしている。

         
生地に小麦粉、白味噌、白ごま、砂糖が入った3枚入りの稲荷煎餅をお土産にした。
なにやら少し食べにくいが、「キツネ」は「気常」に通じ、「気をいただく、元気をいただく」のだそうだから、ためらわずに顔を、面を丸ごと食べたらよいのだという。

そして、付近の店で絵葉書を見つけて一枚購入。
明日にでもJessieに便りを出そう。入学式もなく、すでに新一年生の学期が始まっている。何やら書いて送ってくれたらしいから、元気に明るく過ごせるように、パワーの源に更なる「気」を送るとしようか。
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 「見えない季節」

2012年02月01日 | 日々の暮らしの中で


「牟礼慶子」という名前が目にとまった。あの?という思いでみたのは訃報の記事だ。たった一つだけ知っている詩がある。「見えない季節」と題された、茨木のり子さんの著書の中で出会ったものだった。

「できるなら / 日々のくらさを 土の中のくらさに / 似せてはいけないでしょうか」、と始まる。
「地上は今 / ひどく形而上学的な季節 / 花も紅葉もぬぎすてた / 風景の枯淡をよしとする思想もありますが / 」 と。さらに続く。
「ともあれ くらい土の中では / やがて来る華麗な祝祭のために / 数かぎりないものたちが生きているのです / その人間の知恵は / 触れればくずれるチューリップの青い芽を / まだ見えないうちにさえ / 春だとも未来だともよぶことができるのです」(詩集『魂の領分』収)

【長い模索とあちらにぶつかりこちらにぶつかりしながら自分をつかみとってゆくのが普通の青春期だ。冬の間には、土の中でどんなドラマが進行していたのか。作者は地下の世界でひしめいている暗さ、豊かさの予兆のほうに信頼をおいている。
中学校教師を長く務めた作者が、生徒たちが抱える「くらさ」を感じ取り、暗さがはらむ未来にそっと手を添えているようなところに惹かれる】と読まれる茨木のり子さんだった。
そして、「自分をつかみ直そうとする勇気ある人は、大人になってからも何度でも、こういう暗さに耐えることを辞しません」と。

今年度限りで大学を退学することを決めた若者がいる。おばあちゃんが亡くなったので親が学費を払えなくなった、と話す。急な出来事で、当然就職先が決まっているわけではない。学生生活もようやく一年が経とうとする矢先のこと、厳しい実社会に否応なく押し出されていく。
この若者が、どうか「自分をつかみ直そうとする勇気ある人」であってほしいと思うばかりだ。

首をすくめるようにして、冬タンポポが道路沿いの斜面に咲いていた。
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